まじめと魔人 S-1
ロンデニア大陸と呼ばれる大地がある。
太古の昔、高度な魔法都市がいくつも存在していたが、今はその面影を残すのみである。
その大陸の南西には、大陸の半分を横断するビストイア連峰が横たわる。
連峰の頂付近は、純白のシルクを被せたよな雪が、月明かりに照らされキラキラと輝いている。
その幻想的な彩を見せる連峰の麓をなでるように横たわる『空ろと安らぎのハマユラの森』と呼ばれる森林が広がる。
初夏とはいえ、山岳地域だけあって夜は気温が下がるため肌寒さが残る。だが、この森林付近は魔物も少なく、手付かずの自然が豊かに残る動物たちの楽園である。
その森に今ある静寂、それを切り裂くように一台の馬車が森の街道を駆け抜けていく。
四頭引きの馬車だ。
すさまじい縦揺れと横揺れに車体が軋み、悲鳴にも似た音を上げる。木々をかすめるたびに、枝の折れる音、葉のこすれる音がけたたましく鳴り響く。動物達の悲鳴にも似た鳴き声が森中にこだまする。
整備された道とは違い、湾曲し荒れた道に加え夜中である。普段なら徐行するであろう。
疾走せざるを得ないほど、切迫した状況なのである。
その馬車を人間大の飛行物体が追いかけている。まるで小鳥のように木の枝の間をすり抜ける。
「カーチャ、林道を抜けたら合図をくれ。出る!」
客室の中から男の声がする。
カーチャと呼ばれたのは、馬車を運転する御者の女性だ。「あいよ!」と小気味良く返す。
切迫した状況でありながらも肝の据わった返事である。夜中の悪道を、絶妙な手綱さばきで駆け抜けていく。
こういった状況に場慣れしている感じで冷静な対応だ。
カーチャは恰幅のいい女性である。ドワーフと呼ばれる種族だ。かれらは巨大な洞窟の中で暮らす民族で、人間よりも頑丈で闇夜で目が利く。
カーチャの背中越しには客間がある。ここに二人の男女がいる。
剣士の男は片手用の剣を腰に帯びている。剣の柄と鞘には立派な装飾が施され、名剣であろう雰囲気を醸している。
赤みがかった金髪は首元で縛ってまとめている。しなやかな体付きだが筋肉の付きも良く、褐色の肌がよく似合っている。精悍せいかんな顔に無精ひげも相性がいい。
剣士の男の傍らの少女は端正な顔立ちで、薄く紫がかった髪は馬車のゆれで少し乱れている。
華奢な体は、群青と白の士官学校の制服に重戦士用の手甲と脛当てに身に纏っている。首には服装と不釣合いなほど目立つ赤色のチョーカーをしている。
武器は携帯していない。その代わり立派な小箱を大事そうに抱えている。
釣り目がち瞳の奥に、やや不安げな表情を浮かばせ、振動でずれる眼鏡のフレームの位置を何度も直している。不安を押し殺そうとするその仕草は、やや滑稽だが、取り乱している様子は無い。
「オレはカーチャの合図で屋根へあがる。お前はその箱を守れ。カーチャの指示があった場合のみ、それに従え」
男は静かに、そして目を合わせず傍らの少女に話しかける。男から見れば、頼りなげな細い体で小箱をかかえなおす。
「レオン!あと30秒で林道抜けて崖にでるよ!」
外からのカーチャの呼びかけに、レオンと呼ばれた剣士は、「おう」と返す。そして拳を握りこむと力を込める。
「紋章、起動」
手の甲に模様のようなものが浮かび上がる。
そしてうっすらと青白い光が拳から出て、魔力の光の帯が全身を包み込み光が消えると、全身の鎧へと変化する。この力は稀有な能力で、持つものに大きな力を与える『紋章』と呼ばれている。
そして全身鎧を纏ったレオンは、傍らにいる少女に目を向け少女の肩に手を置く。どっしりとした感触に安心したのか、こわばっていた少女の顔が少し和らぐ。
「イリアナ、その箱はお前が必ず守れ。いいな?」
少女は黙って頷いた。
レオンは「よし」といい、そのまま馬車のドアを開け、屋根へと上がるために外に出た。
イリアナは黙って自分の抱えた小箱に目を落とす。
美しく装飾された30センチ四方大の箱である。
彼らの任務は、王都ラヴィニエスタへの箱の輸送。
そしてこれを守るのが今のイリアナの任務である。
彼女は、カーチャたちがこの仕事を引き受けてからずっとこの箱の管理を任されてきた。イリアナ自身、この仕事を始めてからここ二十日あまり、寝るときも食事のときも片時も肌身離さず持っていたためか、いつの間にか妙な愛着がわいていた。
冒険者ギルドの検閲を通った依頼ではあるが、この箱に何が入っているのか、レオンたちすら知らないらしい。
レオンやカーチャがこんな怪しげな仕事を請けるのは珍しいことだが、初めてというわけではない。
なんにせよ、中身がなんであろうと関係ない。無事、王都ラヴィニエスタへ届けること。そしてそれは絶対に失敗できない。ただそれだけである。
イリアナは決意も新たに小箱を強く抱きかかえ、眼鏡の位置を直す。
「崖に出るよ!」
「よし!」
外でカーチャとレオンの掛け合いによって本格的な戦闘が始まる。
天井から、ミシリと重い音がする。レオンが天井に乗ったのだ。
イリアナは懐に抱えた小箱を抱え込むと静かに外の様子を窺った。
自分たちは襲撃者を倒す必要は無い。今向かっている城塞都市シーズ近辺には強大な魔力による結界がはられている。さらに人間同士の闘争も禁止である。人類以外はすべて結界に阻まれ、人の争いは大きな罪となる。
相手が魔族であれ人間であれ、結界内に逃げ込めば、それでイリアナたちの勝ちである。もっとも、相手が人間だった場合、『ルール』を守るかどうかは分からないが。
おそらくレオンとカーチャは逃げ切ることを考えている。イリアナはそう思った。そしてそれは正しかった。
レオンと襲撃者との激しい剣撃が始まった。金属音がリズミカルに耳に入ってくる。
イリアナには、襲撃者が人型の飛行物体であることだけ知らされている。レオンもカーチャもそれしか分からないのだ。人であるのかすら怪しいものである。
襲撃者が空を飛んでいる分、攻撃を繰り出す時間は短く、単調である。飛び道具は使っていない。使わない、もしくは隠しているか。
イリアナは、自分にもレオンのサポートが出来るかもしれない、と思った。
レオンは今、馬車の上でのバランスと襲撃者の両方を相手にしている。レオンと襲撃者の戦いは道なりに進むとはいえ不規則に動く馬車に翻弄され、長い直線かカーブなどの決まったタイミングでしかこない。
お互いに単調であるとさえいえる。
仮に襲撃者が、投擲武器や魔法などの間接的な攻撃の手段を隠し持っていたら、今の単調な戦いはフェイクの可能性も捨てきれない。単調な攻撃をレオンに刷り込ませるためかも知れない。レオンも奇襲を警戒しているはずだが、戦いのテンポを変化させる何らかの隠し技を持っているなら、機先を制する方がいい。
持っていなくても、安易に踏み込めない状況は作り出せる。こちらは逃げ切れば勝ちだ。倒す必要はない。
イリアナは箱を抱えつつ、金属の炸裂音が鳴り響く中、こぶしを握り精神を集中する、襲撃者に気取られないよう、体内で静かに魔力を練り始めた。
今、相手は単調な攻撃なので、あわせるのはそんなに難しいわけではない。
レオンに屋根をたたいて合図を送る。馬車の大きな振動の中でも、イリアナの合図との区別は付く。レオンは了解の旨を、つま先で屋根を叩き応える。
イリアナは、レオンの了解を得ると、箱をゆっくり荷台に置き、中腰になり構える。握りこんだこぶしは、わずかに光を帯び始める。
「ん……」
最後の力を込める。魔力を練りあげるのは完了した。あとは放つ瞬間だけ。不規則に振動する馬車に、崖をなめる様に続くワインディングロードである。
勝負は直線に入ったところで襲ってきた瞬間である。息を殺し、気配を殺し、魔力を練ったままその力を暴発しないよう抑える。
客室の上では、空中から襲い掛かる襲撃者とレオンが紡ぎだす金属の衝撃音。音域の高い音がイリアナの耳を貫くように響く。不快で不安になる音にももう慣れた。むしろ馬車の軋む音や、車輪の音などに混じることなくはっきりと聞こえて良い。
「カーチャ!城塞結界まであとどれくらいだ!」
「あと2千!」
カーチャとレオンのやり取りにイリアナは覚悟を決めた。残り1500mは林道の直線である。馬車の起こす風にあおられた木々が擦り合う音が聞こえ出したら林道。勝負所だ。
馬車は崖を抜け林道へ入った。再び聞こえてくる鳥の羽ばたきと鳴き声、木々のざわめく。にわかに騒がしくなった。イリアナのこぶしの光が強くなる。
レオンと襲撃者の位置が天井を通して見えてくる。
一撃、二撃。
襲撃者が距離を取ろうとするのは……
「今!」
イリアナは渾身の力を込めて襲撃者の位置に向かって念力魔法、エネルギーボルトを放つ。
馬車の天井を突き破った光弾が襲撃者を貫く、はずだった。
襲撃者の脇、すれすれをかすめた。
しまった。そう思ったが、襲撃者はイリアナの奇襲にバランスを崩した。そして一瞬ではあるが、攻撃が行われた客室へと注意がそれた。
レオンはそれを見逃さず盾を構え、体当たりをする。
襲撃者は吹き飛ばされた刹那、レオンへ腕を振り反撃をした。レオンの兜がひしゃげて夜空へ舞った。両者は、もみ合うように客車の天井から荷台の天井を転がり、馬車から放り出された。
しかし襲撃者はすぐさま空中で体勢を立て直すが、レオンはそのまま地面に落下した。
「なにくそ!」
レオンは空中で体勢を変え、腰に装備している鉤付きワイヤーを馬車の後部へ投げつける。鉤爪が、がっちりと馬車の車体に張り付く。引きずられながらも何とか結界まで持たせるつもりだ。
客間から駆けつけたイリアナは、すぐさまワイヤーに手をかけレオンを引っ張りあげようとする。
が、急に視界が暗くなった。そして目の前に奇妙な圧迫感を感じた。
襲撃者が目の前に居た。
暗がりの中で鈍い輝きを持った全身を覆った鎧。大きな剣。兜の隙間からのぞかせる青く輝く不気味な眼光はイリアナを竦ませるに十分な威圧感だった。
瞬時に実力の違いを理解した。
それと同時に、イリアナは背筋を悪寒が走りぬけ、歯がカチカチと音を立てた。
――殺される。
ゆっくりと剣を振り上げる襲撃者に、イリアナはすくみ上がることしかできなかった。
「イリアナー!」
レオンの叫び声も、馬車の激しい揺れも、何もかもが遠くに感じる。
振り下ろされる剣はひどくゆっくり見えた。
それと同時に、頭の中が真っ赤に染まる。炎だ。燃え盛る火炎が、イリアナの目の前を赤く染めていく。燃えるように熱くなる。
炎の中にいる目の前の物体。
それは、敵だ。
イリアナの瞳が燃えるような真っ赤に染まり、意思とは無関係に反応する。度を越えた恐怖によるものか、死を拒絶する本能によるものか。
相手の剣を振り下ろされようとした矢先、襲撃者の手首を左手で掴み、受け止めた。
いや、受け止めただけでは済まなかった。
襲撃者の金属で出来ているであろう手甲にイリアナの指が食い込んでいく。襲撃者は腕を振り払おうとするが、びくともしない。
ならば、とばかりに左拳を振り下ろす。
イリアナは、その左拳を右手でなんなく受け止めた。
お互いに力と力の攻防が繰り広げられる。
しかしそれはあっけなく幕を閉じる。
鈍い金属音と共に、襲撃者の兜から刃が生えてきた。
レオンが馬車に引きずられながらも投げつけた剣が兜を突き抜けたのである。レオンが大枚をはたいて買った名剣は、馬車に引きずられながらという最悪の体勢で投げつけたのにもかかわらず、襲撃者の兜の眉間を見事に貫通させた。
襲撃者は天を仰ぐかのように体勢を崩す。
「クソが。そのまま荷台から落ちろ」
レオンは馬車に引きずられながら精一杯の悪態をついた。
襲撃者は力なく仰向けになり始めた。
そして、その襲撃者がまさに転落しようという時、イリアナの絶叫が木霊した。
渾身の力を込めた左拳を襲撃者の顔面に突きたてた。イリアナの身に着けた手甲が襲撃者の兜に直撃する。鈍い金属音と共に、馬車から吹き飛ぶ。襲撃者は地面にたたきつけられ、そのまま土埃を巻き上げながら転がる。
その脇を引きずられるレオンが通り過ぎた。
馬車は寸でのところで結界へと逃れた。
襲撃者は何度も転がり、ついには結界に接触した。一瞬青白い光の板が出現したかと思うと、襲撃者は弾き飛ばされ、暗闇の森へと消えた。
城塞都市シーズの都市結界は最上位の魔族や魔導師でもなければ破ることは出来ない強力なものだ。
脳天を貫かれ動いていた襲撃者は、間違いなく魔物の類。結界に弾かれたことから明白だった。
月明かりが暗闇の中の土煙をうっすらと浮かび上がらせる。襲撃者は襲ってくる様子はない。
カーチャは馬車を止め、荷台を覗き込んだ。
イリアナは荷台でうずくまっている。激しい息切れで過呼吸手前である。うめき声から察するに、自我はあるようである。
レオンはかなりの距離を引きずられたのだが、自分で立ち上がった。目立った外傷も無く、強いて言えば顔に擦過傷がいくつかできており血がにじんでいる。紋章の力で守られていたおかげである。
レオンはイリアナの異変を悟っていた。憮然とした顔でイリアナのいる馬車の荷台に向かって歩を進めた。
荷台の中ではイリアナがうずくまっていた。
「よかった、大した怪我はなさそうだね」
「ああ、お前よりかな」
イリアナは何かをごまかすような取り繕った顔でレオンに言った。本心ではあるが、それ以上にレオンを不機嫌にさせることをやってしまったことを自覚している。
レオンは、隠すように押えていたイリアナの左腕をつかむ。
「いっ……」
激痛に顔をゆがめるイリアナを見て、「ばかやろう」とポツリとつぶやく。
襲撃者を殴りつけた左手は無残な姿だった。
手甲が原形を失っている。ゆがんだ手甲の隙間から血が滴り落ちる。手甲の損傷具合から、折れた骨が皮を突き破って飛び出していることだろう。
カーチャはイリアナの手を見てため息をつく。
「またかい。もう少し自分を大切にしないと、強くなれないよ」
やさしくイリアナの手をとり、治癒の魔法をかけるために壊れた手甲を外す。イリアナは申し訳なさそうに目を伏せ「ごめんなさい」とつぶやいた。
レオンは何も言わず馬車に乗り込み手綱を握った。それと同時に、遠くから地鳴りのような低音が近づいてくる。おそらくシーズの守衛であるガードの軍馬だろう。
イリアナも酷く疲労した様子で、荷台に寝かされると、カーチャの治癒魔法を受けながら気を失った。
月明かりの下、追跡者からあがる煙と土埃は、夜空に不穏な空気を撒き散らせていた。