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手と手紙、旅立ちにて⑤「結晶病? いま流行ってるよね」



 広大な大陸に線を引くようにして走る路線がある。そこを走り抜ける列車はザ・ガン。オーストラリア大陸の北部ダーウィンと南オーストラリア州の州都アデレードを繋ぐ、世界で唯一の大陸間縦断列車である。

 約三〇〇〇キロを数日かけて走行する列車は豪華な車内設備を誇り、行程途中で乗客が中央オーストラリアの魅力に触れられるツアーも催行されているとあって、列車が単なる移動手段として使われるのではなく、一生の思い出に残る旅行として世界各地から利用者が絶え間なく訪れる。

 車内設備は寝台車に加え、シャワー設備やレストランもあるので移動するホテルと呼んで差し支えない。一般の乗客はそれらを利用して快適に旅を楽しむが、中には専用のプライベート車両を連結させて移動する者もいる。

 今回の二泊三日の旅では、その貸し切り専用車両が連結された。ほかの乗客がいっさい入って来ないプライベートな空間が確保できるとあって、意外と人気は高い。そして最大八名が利用できる車両の乗客は二名だけだった。

 ザ・ガンは街中を走る電車に比べると、速度はずいぶんと遅い。そのために景色が動いていないように感じられるほど静かで、ともすれば列車に乗っている事実を忘れてしまいそうになる。

 特別車の内装は細かな装飾の数々に彩られ、車内を暖かく照らすライト、高級ソファと見紛う座席に座れば車窓からの景色をそのまま一日中眺めていることができる。

 だがしかし、絢爛な車内には華麗さと相反するどす黒い空気が流れていた。その元凶となっている一人は手を組んで一人掛けのソファに座ってうつむいている。もう一方は豪華な設備を全身で堪能していた。長大なソファを一人で占有し、手足を揺れに任せて長く伸ばしてだらけている。

「結晶病? いま流行ってるよね」

 巷で売れて来たアイドルの話しでもするような気楽さでハルは笑う。実際、彼の表層と内心に大したずれはなかった。

「すでに被害者は数千、あるいは万の単位を刻んでいるはずだ。残念なことに、被害者の数はもうひと桁増えるだろうけど」

 ハルは微笑を口元に貼りつけたまま視線を窓外に滑らせる。走り出して一昼夜が過ぎ、景色は緑豊かな大地から赤茶けた砂漠地帯へと変わりつつあった。時折射しこむ陽光を受け、瞳が複雑に色を変える。

 顔を戻した先には、一人がけのソファに腰を落としている城崎の姿があった。眉間にしわを寄せ、いらだちを隠そうともしない様子だ。

「君はこの状況に何の手も打とうとしない僕を腹立たしく思っているんだろうけど、それは間違いだ。僕は何もしていないんじゃない、事態はもう、何の被害もなしに終息できる規模を越えてしまっている。それこそ億の単位で人命が失われなければ解決しないだろうね」

「元はと言えば、おまえが発端だろう」

「違う違う。まあ研究はしていたけどね」

 ゆるりと起き上がったハルは身体を伸ばす。

「改変されてしまったんだ。より強力に、凶悪にね。現在の微細機械細胞はウイルスの運び手、ベクターとして活動している。しかも、改変してばらまいているのは人間だよ」

 ハルの手から計画は一度離れたが、その際に残された技術は別方向にゆがめられ、悪意を持って世界中に散ってしまった。

「人間は、手にした力を試さずにはいられないんだ」

 世界防衛機構軍内に存在する非公開部署、通称第九。そこでは非人道的と罵られるような実験が、新技術の開発という看板を掲げて日夜行われている。だがその創設に関わり、高度な知識の一端を提供したイノベントは知識欲に暴走した研究員によって追い出されてしまう。歯止めを失った研究員は暴走し、書き換えられた微細機械細胞のプログラムは世界中に伝播し続けている。

「人間が人間を滅ぼそうとしている」

 深い瞳がじっと見つめてくる。心の奥底をのぞこうとするような眼差しに城崎はひるむ。皮膚が静電気で刺激されたようにちりちりとした痛みを覚えた。

 人のように話し、笑う。だがハルの挙動は決定的に何かが欠落している。ハルと相対していると、城崎は不意に暗い穴をのぞきこんでいるような畏怖を覚える瞬間があった。

 人の形をした人にあらざる者はくるりと振り返り、虚ろな穴を消して笑うが、やはり城崎から見ればどこか嘘のある表情でしかない。

「けどまあ、君だけは大丈夫だよ。あれはウイルスじゃあない。極小サイズの機械群だ。それらが人体に侵入し、増殖し、遺伝子レベルで人体の構成を書き換えてしまうんだけど、君の身体はどれだけ侵入を受けようとその書き換えを上書きしてしまう」

 またひとつ、自身の身体に起こっている異常性を説明されたが、城崎には自覚がない。世界を騒がせている感染症の正体も、それに自分だけは抗体があると言われたところで寝不足が続けば疲弊するし、エアコンのきいた車内にずっといるせいか、乾燥して喉の調子が少し悪い。

 すごい能力と可能性を持っている、と常々言われているが、城崎の意識はあくまで人間の枠を出ないでいた。

 城崎は少し迷って簡潔に本題を切りだす。

「それで、どこへ行こうとしているんだ」

 いきなりオーストラリアへ行くと言われ、今度は豪華列車の旅。そろそろ目的はともかく、目的地くらいは教えて欲しかった。でなければ、ハルは食事中の城崎の首根っこをつかんで列車から飛び降りかねない。そんな異常行動も慣れてはいたが、さすがに心構えくらいはしておきたかった。

 ハルは城崎の問いに短く答える。

「自分探しの最終地点といえば、故郷への帰還だよね」

 ひとりごちるようなつぶやきを漏らし、ハルは再びソファに寝転がる。どうやらいまこの瞬間に列車から飛び降りるつもりはないらしい。

 真面目にたずねたのが急に馬鹿らしくなり、城崎は立ち上がった。貸し切り車両にはキッチンもあったが、自炊するのが面倒なので食事は一般の乗客と同じ食堂車に出向いている。

 立ち上がった城崎はハルには一瞥も向けず、彼もどこに行くのかともたずねない。ソファに寝転がって動かない人外の存在は人間と同じ食事を必要としていなかったし、彼にはハルを誘う理由が何ひとつなかった。



 世界が変容している。

 天条ケイは娘に見えない位置で嘆息した。夫であるユウシが世界防衛機構軍本部へ呼び戻されてから、すでに半月が経過している。世間は盆休みに突入し、新幹線の乗車率や海外旅行へ向かう日本人の数を連日報道していた。

 まるで、何もないと言わんばかりに。

 新しい情報が入って来ない以上、報道する側としては、なるべくいつも通り季節にそった情報を流すしかないのだろう。

 結晶病に関することは、最初の一週間でメディアから消えてしまった。まったく報道されないわけではないのだが、以前に伝えた内容を薄めるか言い回しを変えているだけ。

 何も変わっていない、進んでもいない。終わる気配はない。だというのに、表面上には何も見えなくなってしまった。

 現状にケイは強い不安を感じる。彼女の視線は娘のルミネへと向かう。七歳になっても本人は特に変わりなく、毎日毎日新しいことを見つけたと言って騒いでいる。大人から見れば、あたりまえすぎていまさら注視することもないものをまるで世紀の発見のように大仰に知らせてくる様は、あきれもするがケイの楽しみでもあった。もちろん、ユウシもだ。彼はこの半月で、いくつもの娘の初めて見た報告を聞き逃している。残念だったが、仕事の内容を考えると致し方ないとそこは割り切るしかなかった。

 連絡がつかず、何をしているのか、いつ帰って来るのかわからないことも常態化していた。それをわかって今日まで一緒にいる。これからも変わりないだろう。

 ただ、どうしていま側にいてくれないのだろう、と強く思う瞬間はあった。

 自分ひとりで娘を守りきれるのか。そしてこの子の将来は大丈夫なのだろうか。

 母親の不安は漠然としていたが、曇天のようにはっきりしない分、長く引きずっている。

 ケイは麦わら帽子の下にできた影に隠れて息を吐く。今日もよく晴れているが、公園に人気はない。昨今の暑さもあるが、子を持つ親は皆、子供を外に出したがらない。

 人体が結晶化する奇病の蔓延。感染経路も治療法もわからない謎の病が存在している。ウイルスはそこにあっても目には見えない。そんなものから家族を守るにはどうすればいい。閉じこめて手が赤くなるほど消毒液で洗ったところで根本的な解決にはならないと誰もがわかっている。わかってはいるが、やはり気がかりなのだ。

 憂慮したところで解決策はない。だから何かできないかという焦燥だけが募る。悲観的な妄想もついて回る。

 積み重なる埃のような気分でいたケイの元へ、本部から天条の後任としてやって来た男が挨拶に来た。ギルバート・ペイン、階級は中佐。オーストラリア本部でユウシの副官を務めていたのでケイも顔を合わせたことくらいはあった。ユウシよりも年長者で、いかにも軍人らしい階級と規律を重んじる性質。灰色の髪と削ったような頬が印象的だ。以前はイギリス海軍に所属していたらしく、彼の号令は聞いただけで背筋を伸ばす効果があった。

 ユウシには言えないが、彼には軍人として甘すぎる部分が多々ある。日本人的な気質もあるが根本的に善人なのだ。ペインはその穴を埋めて、部下の反発を一手に引き受けてくれる希少な存在でもある。奔放な性質のハントはペインとはそりが合わないらしく、何かやらかすたびにかくまってくれと泣きついてきた。

 ペインは天条家の玄関先でぴしりと背筋を伸ばし、ユウシの代役として日本支部へ来たことを伝えにやってきた。彼もユウシがどのような状況にあるのかは知らされていないらしく、特に目新しい情報はなかった。落胆する彼女に、ペインは帰還命令が出れば即座に知らせると言ってくれた。彼なりに夫の身を案じるケイの心境をおもんぱかっていてくれる。それだけでありがたかった。

 もっとも、ペインが本当は何か知っていたとしても教えてはもらえないのだが。

 ペインは早々に去った。上がってくれという隙もない。とはいえ、トップである天条が不在、日本支部で副官を務めていた城崎が突然の転属とあっては引き継ぎどころの騒ぎではなかっただろう。その忙しい中をぬって挨拶に来てくれたことだけでも僥倖だった。

「パパ、まだ帰って来ないの?」

 ルミネは蝉の抜け殻を手持ちのビニル袋いっぱいに集めている。本当はセミ本体も捕まえたいらしいのだが、ケイが昆虫があまり得意ではないので、蝉は七日しか生きられないので邪魔をしてはダメだ、といってあきらめさせた。

 少女はベンチに今日の戦利品をひとつひとつ並べながらケイを振り返る。

「パパ、オーストラリアへ行っちゃったんでしょ。ルミネも行きたい」

 そうね、ママも行きたい、とケイは返す。それは本音だった。日本支部設立の準備も兼ねた転属と、娘の小学校への転入。時期的にちょうどよかったので受けた任務だったが、こうして夫とは引き離されている。当初の予定としては、数年かけて日本支部設立の基礎を作るので、地味だがそこまで忙しくはなく、家族と一緒に過ごせる時間を持てるはずだった。

 だが現状はどうだ。ユウシは肝心の任務を放棄させられ、オーストラリア本部へ単身戻ってしまった。呼び戻された理由は彼女には知らされていない。

 少しばかり思い当たる節はあった。それが確信に近づいたのはある青年の訪問だった。

 数日前、海里がいきなり現れてオーストラリアへ行くと言って来た。彼もそこでユウシが日本にいないことを知ったらしく、どことなく慌てた様子だった。

 娘が父親宛ての手紙を書いている間、ケイは海里と話をした。彼は多くは語らなかったが、少なくとも観光目的で行くわけでないことは理解できた。

 眼差しに強さがあったから。

 恐らく、ユウシが呼び戻されたのも海里が渡豪するのも理由は同じなのだろう。思わずつめ寄ってたずねたかったが、ソファから身を乗り出す前に手紙ができあがった。

 結局、何もきけずに海里を見送ることになる。

 海里と天条の関係を、ケイはついぞ聞く機会はなかった。ユウシの拾い癖には辟易していたが、彼女としては、大怪我をしてひどく何かに傷ついた様の彼を放り出すことはできなかったので、理由など後回しだった。

(シンくん、カズマくんに似てたわね)

 オーストラリアへ移住したばかりのころ、ユウシが不意に少年を連れてきた。がりがりにやせ細っていたが、眼だけが異様に鋭かったのを覚えている。好意も悪意もひっくるめて、自分に手を出す者には容赦しないと警戒する野良猫のようだった。

 海里は逆に、何も見せず何も触れるなとばかりにうちへともぐりこんでいたが、二人はどこかよく似ていた。

 外見ではなく、根本的な部分が同じなのだろう。

 ユウシは時折、こうして道を見失った若者を連れ帰ってきた。大抵は家庭環境に問題があって、ケイとしては専門の機関に任せてしまいたかったが、それでは時間がかかると言ってユウシは聞かない。一応、娘が生まれてからは赤子に影響がないように最大限の注意をはらってくれていたので、ケイとしても生来のおせっかい癖の延長だろうとしか考えていなかった。

 いや、考えないようにしていたのだ。

 夫婦が失った、ひとつの命のことを。

 ユウシが連れ帰って来た若者は城崎以外にもたくさんいた。いまでも顔と名前、どんな騒ぎが起こったのかを一人ひとりしっかりと覚えている。

 その中でも、城崎と海里は異質だった。

 お互いの相似性に加えて、彼らの背景が見えないことが謎だった。

 思い悩む若者に接していれば、ある程度のパターンが見える。だがこの二人には、彼女が培って来た知識は何の役にも立たなかった。

 確かにここにいるはずなのに、存在が見えないのだ。恐らく、彼らは何かを隠している。それらは彼女が予測もつかないものなのだ、理解が及ばずにまるで影を相手にしているような不確かさを覚えてしまう。

 そんな異様さを放ちながらも彼らは「いい子」だった。実際に接していると、海里は表面上は少々無愛想な青年にすぎない。対応に悩みあぐねるケイとは対照的にルミネの方が柔軟で、迷える若者たちを手下のように従えて遊び回っていた。

 娘が彼に手渡していた小さな手紙。あれは届いたのだろうか。ケイが晴れすぎた空を見上げて汗をぬぐっているとルミネが服の裾を引いた。

「ねえ、ママ。歌が聴こえるの」

 それはここ最近、ルミネが繰り返す言葉だった。どんな歌なのかと尋ねても、娘の知識にない言語らしく要領を得ない。今日も聴こえると言われて同じ方角を見ても、蝉の大合唱が轟いているだけだった。



 起き出してきたタカフミは、リビングを見渡して息を吐く。

「行ってしまったんだな」

 主語のない独白に、ユキヒは台所からそうね、とやや冷淡にも聞こえる声音を返す。

「マイキを置いて行っちゃったわ」

 そのマイキは、今朝はまだ起きてこない。弟の分の朝食を置いて仕事に出ようと考えていると、カレンダーを見つめていたタカフミから声がかかる。

「なーユキヒ、おまえ、盆休みはあるのか?」

「まあ、一般的な日数くらいはあるわよ」

「そうか。なら、久しぶりに母さんの墓参りに行こうか」

 言われ、ユキヒはそんな時期よね、とこぼす。近頃慌ただしくて、すっかり忘れていた。

「俺もそろそろ仕事を再開するから、いまのうちに行っておきたいしな」

 働くつもりがあったのか、とユキヒは父親には見えない位置で息を吐く。仕事馬鹿のタカフミが珍しく長期休暇を取っていたので、もしかするとこのまま家族を守るために居続けてしまうのでは、と危惧していたところだった。

 娘にそんな心配をされていることなど気づかず、タカフミは亡き妻への思いをカレンダーの前で語っている。

「ヤシホは、母さんは素晴らしい人なんだぞっ! 何せ、父さんと結婚してくれたからな」

 若いころから仕事馬鹿だったタカフミは連日の測量、そして海外出張を繰り返していた。このまま三角点を恋人として終わるところだった彼の前に現れた女神の逸話は、沖原家では日本昔話よりも多く語られている。

「ユキヒ、父さんは母さんに贈る花束を注文してくるぞ。あと、墓苑の近くにキャンプ場があっただろ、コテージでも借りて夏をエンジョイしよう」

 言って、財布はどこだコテージの予約をせねばと朝からうるさい蝉にも負けない勢いで走り出した父親の背を眺めつつ、ユキヒは手早く自分の弁当をつめてしまう。

(何のかんの言って、父親なのよね)

 夏をエンジョイといいつつ、要は先だっての事件もあってタカフミは子供たちを千鳥ヶ丘市から一時でも離れさせたいのだろう。それにマイキはいま、海里に置いていかれたことに少なからずショックを受けている。目先を変えさせたいという目的もあるはずだ。

 とはいえ、単に自分がバーベキューや川遊びを楽しみたいだけの可能性も捨てきれないのだが。

 ユキヒは盆休みに入れるつもりだった予定をすべてキャンセルにすることに決めた。


【手と手紙、旅立ちにて 終】


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

こちらは7巻収録分です。

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「六神屋」でイベントに出てます。

関西コミティア、文学フリマに出没します。

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