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はじまりの予感

はじまりの予感



 あら、と声を上げそうになり、ユキヒは口元を押さえる。途端、抱えていた洗濯物が手からこぼれた。

 静かにシャツや靴下の片割れを拾いながら、ユキヒは横目で不思議なものを見るように目を丸くする。

 実際、かなり妙な事になっていたのだ。

 リビングの掃き出し窓は、昼間の日光を存分に室内に届けている。その光と暖かさの恩恵を一身に受け、彼女の弟であるマイキは眠っていた。

 大きなものにもたれかかって。

 その何かは、長身の青年だった。最近、よく沖原家を出入りしている海里(かいり)シンタロウだ。彼は毛布にくるまり、軽く背を丸めるようにして床に伸びている。彼を包んでいる毛布は、濃いピンク地に丸くデフォルメされたうさぎが跳ねている柄。ユキヒの物だ。季節的に、そろそろ洗ってからしまおうと思い、部屋から持ち出してリビングにあるソファの背にかけていた。

 推測だが、眠ってしまった海里を見つけたマイキが手近にあった毛布をかけてやり、そのまま自分も一緒になって寝てしまったのだろう。

 そんな風に想像できるようになった自分に苦笑した。声を出しそうになった口元を押さえ、もう一度、ゆっくりと眺めいる。

 こうして寝ている姿は、まるで兄弟のようだ。ユキヒは最近、彼らを見てはそう思うようになっていた。

 だが、二人の顔かたちはまるで似ていない。マイキは明るい色の髪だが、海里は黒。眼の色やその他の特徴を見ても、せいぜい遠縁の親戚が限度だろう。

 そもそも、彼と弟を比較する方が間違っている。

 海里は、人間ではないのだから。

 彼は二十歳ほどの、どこにでもいそうに見える青年だが、その実態は、太古の昔、地球へ飛来した機械知性体オリジネイターの末裔である。

 彼らは皆、その名前の通り機械の身体に知性を有した存在だ。海里だけは人間に酷似した外装をしているが、他の仲間はすべて、ロボット的な巨体をしている。普段は人間世界に潜む為、自動車に擬態して何食わぬ顔でそのあたりを走り回っている。

 人類の歴史が始まる以前から地球上に存在していた彼らだが、現在は深海三八〇〇メートル付近にある深海都市を主な居住空間としていた。

 海里と他二名の仲間は、調査の為に地上世界を訪れたのだ。

 調査対象は、かつての仲間の動向。

 互いの意思の相違から別れ、深海から地上へ拠点を移した一部の機械知性体は、自らをイノベントと呼称し、まったく別の思想を持って活動を開始する。

 かの存在は現在、人類の殲滅を画策している。その計画を探り、阻止する為に海里達は属している組織(ユニオン)から派遣されてきたのだ。

 しかし今、そんな恐ろしい計画が進んでいる事が夢物語に思えるほど、海里は平和そうに眠っていた。時折、微かに震えるようにして身じろぎし、手や足先が動く。

 そこには、定められた動作を繰り返す、機械的なぎこちなさはない。自然な、本物の人間のようだ。

 毛布の端から、海里の足先がはみ出している。足の爪の形や、皮膚の下にうっすらと血管が透ける様を見て、ユキヒは感嘆の息を吐く。

(これが、全部機械なのね……)

 骨や筋の浮き上がった手足が動く様を見ていると、未だにその皮膚の下が、いや、皮膚も含めたすべてが人工物でできていると説明されたところで信じられない。彼女も一度、裂けた皮膚の下にある金属やケーブルを見ていなければ笑い話ですませただろう。

(……人間にしか、見えないわ)

 海里の外装は、彼らの仲間の一人が構築したらしい。東洋人を基本に、どこか、ほんの少しだけ異国の匂いが漂う容貌は、街中を歩いても悪目立ちすることもなく、自然に溶けこんでいる。その仲間がこの外装を作るのにどれだけの労力をはらったかについては、話好きな彼に、一度、長話しに散々つき合わされた際に聞かされた。

 海里の他に地上に出て来た仲間は二人いるが、どちらも今は留守にしている。彼一人を置いて、どこかを走り回っているのだろう。つい先日までは、海里もそろって出かけていたのだ。

 彼らは何日か、下手をすれば数週間程度、姿を消す時がある。戻ると、マイキと一緒に一日遊び、何回かに一度、こうして自宅まで着いてくる。

 出かける先はその都度ばらばらのようだ。ユキヒは進んで訊ねる事はしないので、詳しい行き先や目的は知らない。マイキがよく話をせがんでいるのを横で漏れ聞く程度だ。だが、話と言っても海里自身が人間世界の地理や文化に疎いせいで、説明が要領を得ない。先日の土産話は、どう話そうかと散々首をかしげた海里の口から出たのは、看板と漢字がいっぱいだった、だのと、小学生でももう少しうまく話すだろうと溜息をつきたくなるほどお粗末なものだった。

 つたない話をマイキは毎回笑って聞き、一緒に並んでガイアスターの録画を見るのが最近できた沖原家の奇妙な習慣だった。

「……さてと」

 小さくつぶやいて意識を切り替えると、ユキヒは本来の目的である洗濯に戻ろうとする。

 と、そこで、目的の大物は海里とマイキが使っている事に気がついた。

 さすがに、引きはがせば二人とも目を覚ましてしまうだろう。しかし、このまま放置してしまうと毛布が洗えない。

 逡巡の後、ユキヒは大きく息を吐く。

(……毛布は、またでいいわ)

 先にシーツや下着の方を洗う事に決める。

 それに、とユキヒはよく眠っている二人を振り返る。

(風邪をひいたら困るし)

 四月も終わりに近づき、世間は大型連休に向けてどことなく浮かれた調子になっている。気候的には何をするにもちょうどいい季節だが、さすがに上掛けもなしに昼寝をするには少々心もとないだろう。

 なるべく音を立てずにリビングから洗面所へ向かう。

 と、その足が止まった。

(……機械の身体でも、風邪をひくのかしら)

 ううむ、と顎に指を当てて唸る。

 どうにも、海里を前にしていると彼の正体を失念してしまう。まるでそこらの成人男性を相手にしているような錯覚を覚えてしまうのだ。

 機械知性体オリジネイター。彼らは全員が金属の身体だ。特に他の仲間はそれこそ、アニメから出てきたような巨体をしている。

 それでも、隣に立ち、一緒に話をしているとその事実を忘れてしまう。機械と人間という区別を失念するほどに彼らは実に人間的なのだ。むしろ幼児よりも好奇心旺盛で、何にでも興味を示しては度々こちらをひやりとさせる。マイキに至っては、気にしているのかそうでないのかわからないほど自然に手を取り、肩に乗り、一緒になって走って笑っている。

 機械知性体と、人間。

 人ではない。マイキもその点だけは漠然と理解しているのだろう。だがその差異を、無意識のうちに埋めてしまうようだ。

 ユキヒが思うに、機械知性体という存在は世間一般的な人間が妄想する、未来世界のロボット的な完璧さとは程遠い気がする。

 かつての仲間の暴挙に怒りを覚えたかと思えば、話好きの一人はガイアスターの最終回を観終わった途端、マイキと熱く語り合っていた。

 もう一人は、なかなか戻って来ないと探しに出たら、駐車している間に猫がボンネットの上で昼寝を始めてしまって動けなくなったと本気で困り果てていた。

 色々と、ユキヒなりに抱いていた人類以外の知性体に対する期待は、日々打ち砕かれて行っている。

 特に、深海都市という限られた空間で育った海里は、地上世界の常識に疎い。機械知性体と人間との考え方の差異も大きいのだろう。その行動は大多数の人間に「変わっている」と受け止められるようだ。その隙間は、隣に立つマイキが補っている部分も多い。もっとも、マイキは彼の世話を焼く事が楽しいらしい。あれもこれもと教えたがり、手を引いてはあちこち連れまわしていた。

 ご近所には、急に増えた彼を不審に思う声もあったが、そんな時はいつもユキヒは笑って「イトコです。先日の災害で、私達が不安になっているだろうと来てくれたんですよ」と、適当な説明でごまかしていたが。

 今のところは、沖原家の事情を知っているご近所はその話で一応は納得しているようだ。

 沖原家は母親が早くに亡くなり、父親が海外出張で一年の半分以上を留守にしている為、人手は常に足りない。ユキヒは姉と母親どころか、時には父親役まで兼任していた。

 もしかすると、マイキが海里にかまうのは、家事と仕事に忙殺される姉から放り出されているさびしさを、この異邦人に求めているのかもしれない。

 それを思うと、ユキヒの胸は針でつつかれたように痛み、自己嫌悪に重い息を吐いてしまう。

 ユキヒ自身、理解しながらも遠ざけていた問題に、海里達が現れたことで現実を突きつけられつつも、彼らに依存しているのが現状だった。

 心中で謝ってから、ユキヒは顔を上げた。

 頼っているのは確かだが。こちらも機械エイリアンという得体のしれない存在を相手にしているのだ。持ちつ持たれつだと言い聞かせ、ユキヒは家事を再開する。休みだからこそ、普段はできない細かい部分の掃除などをやり遂げてしまいたかった。

 ソファに弟が脱ぎ散らかしたパーカーがある事に気がつき、ユキヒはついでに洗濯してしまおうと拾い上げてから、そっとリビングから出て行った。




 世界防衛機構軍(GDO)オーストラリア本部。

 本部施設は厳密には、オーストラリア大陸には存在していない。設立の際、当然と言えば当然だが、オーストラリア国防軍の強い反発に遭い、折衷案として大陸から離れた小島群に建設される運びになった。

 国防軍としては、体面も保てた上に体裁上は基地建設の土地を与えた形になるので世間に対する言い訳もできたと安堵の息を吐いたのだが、監視の目が届きにくい島に追いやってしまったせいで、逆に防衛軍の好き勝手を許すという結果を生んだ。

 拠点を与えられた防衛軍は、豊かな自然と謳われる、言いかえれば手つかずの無人島を切り開き、空港などの大規模施設を建設する。群島と周辺の海は立ち入り禁止区域へと変わり、人の出入りは資格と制限が課せられた。

 遊覧船や無人島ツアーは無期限での中止に追いこまれ、観光業は大打撃をこうむった。だが、失業寸前だった者達の大半は、その収入先を防衛軍へと変えて行ったのだった。

 本部施設の建設が終わっても、組織の維持には何かと人手が必要になる。いくら恒久的な世界平和の為に戦う軍隊とはいえ、そこにいるのは人間なのだから。

 基地建設の際に基盤として作られた小さな集落は、町と呼べる規模にまで肥大化した。観光客を相手にしていた者達は、その愛想笑いの向かう先を軍人に変え、軍事機密という手当分、増えた収入にほくそ笑む。

 こうして、基地建設から半世紀経過した現在、世界防衛機構軍の存在はオーストラリアの人間にはおおむね受け入れられ、世界でも本部がオーストラリアにあるという認識も根付いた。

 もっとも、本部施設が大陸内にない、という点だけは、未だに覚えてもらえないでいるが。

 そんな経緯の上に作られた本部は、最重要機密の軍事施設と現地住民が暮らす町がほんの数キロを挟んで存在する不思議な空間になってしまった。

 もちろん、緩衝地帯を挟んだ向こうは立ち入り禁止となり、高いフェンスと厳しい警戒網が敷かれている。だがその警報が鳴ることはまれで、たいていは夜遊びが過ぎた兵士が柵越えしようとして同僚に捕まっていた。

 島内に住む住民はすべて、基地に関連する職を得ている。彼らが領域を侵さないのは、自らの収入を失う愚行を犯したくないだけの話。むしろ警報を聞くと、新兵がまた何かやらかしたかと失笑し、話のネタにするほどだ。

 基地の兵士は休日、本土までの定期便に乗るほどの用事がない者は田舎の風情が残る小さな町に繰り出すのが定番だった。暇を持て余す兵士の為に、町には映画館も建設され、年ごとに娯楽施設も増加傾向にある。スーパーには本土と変わらない商品が陳列されていた。

 海岸では輸送機の爆音を聞きながら泳ぐ者達がいて、釣りに興じている者もいる。

 そうやって、休暇を楽しんでいる兵士がいる一方、かなり深刻な問題で頭を抱えている者も多く存在していた。



 司令センター内に数多く存在する会議室のひとつで、ある報告が行われていた。

 小さなホール程度の広さがある会議室内には、面積に反して人口密度は低かった。十人ほどの人間と、他には世界各地に散っている高官達がオンラインで会議に参加している。場内に設置された数台のモニタ画面に会議の参加者が映し出されていた。階級章は、その場にいる者達が全員、将官クラスであることを示している。軍内部の、それぞれの部署のトップがほぼ一堂に会していた。

「───次の報告です。「彼ら」に関する情報ですが、現

在、大きな動きはありません」

 演壇に立つ情報参謀本部副議長が遠隔操作のボタンを押すと、衛星画像がスクリーンに映し出された。かなりの高度から撮影された地上都市部の画像だ。副議長はレーザーポイントを使って、いくつかの地点を示す。

「これまでの動向ですが、まず、今年度の二月にあった、日本地方都市での件に関して、日本政府は未だにはっきりとした回答は保留中です。しかしこれらの被害が自然災害でないことは明らかです」

 スクリーンの映像が切り替わり、崩壊した街並みの様子をとらえた写真が表示される。炎が激しく燃えさかり、建造物が道路を埋めるようにして大きく崩れている。路上に散らばった破片は、コンクリートや建材だけではない。監視衛星は落ちている雑誌の表紙ロゴまでも詳細に拾っていた。

 伏して動かない……写真だから当然だが……それらが、元は生きている人間だった事実も、ありのままを克明に記録する。

 悲劇を無視し、副議長はある道路を示す。他の道と同じように瓦礫に半ば埋もれ、アスファルトが粉々に砕けている。だが上空から見ると、不自然な点があった。

 道路には四つの穴が一定の間隔で穿たれている。穴の進行上にあったクルマも、ご丁寧に砕かれていた。

 何か、足を持った巨大なものが、障害物を踏み砕きながら進んでいるように見えた。

「……対象は、五メートルを超える巨体で市街を歩き回りました。未確認ですが、重火器類を使用したとの報告も上がっております。その為、市街地での被害は建造物の破壊に加えて火災も発生し、対象が現場を離れた後も火災は一昼夜続きました」

 副議長はそこで一度言葉を切り、原稿から顔を上げる。

 誰も何も言わなかった。

 皆、無意味に手を組んだり、唇を微かに震わせていた。副議長も、高官達の機嫌が加速度的に下降の一途をたどっている事は理解できたが、報告書はまだ全体の三分の一も終わっていない。ちらりと、演壇の脇に座っている彼の上官に目配せをしたが、男はうなずいただけだった。

 続けろ、ということらしい。

 何もかも丸投げされた事に、副議長は舌打ちしたくなったが、彼の前にあるマイクは非常に高性能な為、ささいな呼吸音でも過剰に増幅し、スピーカーを通して会議室の隅々にまで響き渡ってしまう。

 奥歯を噛んで息を飲みこむと、副議長は務めて感情を封じた声で続けた。

「先に市街に現れたものを、仮に未確認敵性存在(アンノウンエネミィ)1とします。UE1の攻撃から64分後、海岸線よりUE2が現れます」

 スクリーンの映像が切り替わり、かなり拡大した荒い画像が表示される。

 灰色と白黒の巨体が、街中で組み合っていた。

 周囲にある建造物と比較すると、それらが人間よりもはるかに巨大で、同時に、人間と似た構造を持っている事が見て取れる。

「UE1とUE2は交戦状態に突入した後、およそ7分後に海中に没し、以後の消息は不明です」

 次々と画像は切り替わるが、衛星軌道上からの撮影は、地球の自転があるので定点撮影には向かない。そして、監視衛星は茂みに潜む戦車を探すのは得意だが、それよりも小さなもの、人間などの小さな存在を個別に認識して動きをトレースする行動は苦手としている。

 小さな物体を認識するにはカメラをズームしなければならないので、一度に狭い範囲しか監視できない。たった一人に巨額の資金を投じて打ち上げた監視衛星を使うより、どこかでテロを企んでいるかもしれない武装集団を探した方が効率がいいのだ。

 もし、監視衛星が二機の未確認存在が海中に没した地点を重点的に捜索を続けていれば、海から上がってくる小さな存在……トラストを認識できたかもしれなかった。

 場に集っている高官達は、子供の玩具箱に入ってそうなロボットに酷似した巨体を見て、ある者は信じられないというように、またある者は無表情でスクリーンを見つめていた。

 当然の反応だろう、と副議長は内心で納得する。彼自身も、最初に届いたデータを見た時は、映画の撮影現場を撮ったのではないかと疑ったものだ。

 だがここにある写真はすべて、ハリウッドや日本の玩具会社が製作したものではない。

 二足歩行の巨大な機械存在が市街を蹂躙し、格闘の末に姿を消してしまったのは、厳然たる事実だった。

 マイクにかからないよう注意しながら息を吐き、副議長は続ける。

「次いで、こちらは関係性は不明ですが、三月半ばに中東へ向かう国籍船籍不明の潜水艦が報告されました。移動方向から見て、日本近海から中東方面へ向かったようですが、すぐにこちらの監視網をふりきって逃亡、以降の消息は不明。それ以後……UEに目立った動きはありません」

 不明艦の説明は早々に打ち切られた。長々と話を続けたところで、誰も聞いていないのが明らかだからだ。

 それだけ、あのロボットが印象的なのだ。

 まだ、UEの情報を公開するのは早かったかもしれないと、副議長は後悔した。情報公開の決定権は上官だが、それを推したのは彼だからだ。

 もっとも、こちらも開示できる情報自体が限られている。機密の問題ではなく、単純に手持ちのカードがあまりにも少ないのだ。

 UEの出現から二ヶ月以上が経過していたが、最初の事件以降、彼らはGDOの警戒網に引っかかるような真似をしないので調査は行き詰まっていた。そこに、上層部の方から他部署にも現状を報告して情報を集めろという指示が来たので、ここにきて遅ればせながら公開の運びとなった。

 上官に目配せをしたが、彼は相変わらずだんまりだった。だが、目線で早く終わらせろと促してくる。

 副議長は締めの言葉を手短に述べると、足早に壇上から降りた。

 彼が歩く横で、早くも会議室内には多数の発言が飛び交う。

「ロボットか……日本人が好きそうじゃないか。彼らの作品では? 二足歩行なんて実用性のなさそうなデザイン、まさしく彼らの仕事だよ」

「自国の都市を破壊して、威力の宣伝でしょうかね」

「日本では自衛隊がある。彼らの新装備なのかもしれん」

「それより、あれが何らかの反社会的な集団だった場合、あの戦力は世界にとっても脅威になるのでは?」

「彼らはごく少数で動き回っているようです」

「ロボットなら、ほらあれだ、中に操縦者がいるはずだ。そのあたりの調査はどうなっているのだ」

「うまく隠れているようです。組織だった動きもなければ、拠点も発見できておりません」

「そもそも、あれらは何をしている。何の為に現れたのだ」

「恐らく日本での動きは、彼らにとって失敗だったと思われます」

「ううむ、どうにも彼らの考えがわからないな。どうにかしてコンタクトを取りたいものだ」

「呼びかけてみますか?」

「どうやって? 空に文字でも書くか? 新聞に暗号文を仕込んでも、どこのものを購読しているのやら……」

「向こうからの接触を待つしかないのか。何て気の長い話だよ」

「そもそも、意思は通じるのかね」

「おや、まるで相手が人間以外のような発言ですな。それこそ映画のように、機械の宇宙人が攻めて来たと?」

「人間か、それ以外かはどうでもいい。問題なのは、彼らが世界にとって敵となるかどうかだ」

「最初に現れたのは日本でしたね。支部増設計画リストに、あの島国もあったな。現地に派遣した者から何か報告は上がっているのか?」

「一度、件のロボットが現れたとありますが、コンタクトには失敗。その後の行方を現在まで追っていますが、足取りは未だにつかめておりません」

「合わせて二度の出現……では、日本が彼らのねぐらかもしれん。至急人員と装備を増やすようにしろ。早くあれの正体を知りたい」

「未知の敵、ねぇ……」

「彼らが敵かどうかはまだわかりません」

「しかし、敵か味方はともかく、異常な存在なのははっきりしている。あれらはプラモデルではないのだ。一個人でこんな機械を自由にできるということはありえない。あれほどのものを、どこで、いつ作る事ができ、どうやって秘密を保ちえるのかね」

「どこかの政府が、このような破壊的な機械を所有している、そう考えるのが妥当でしょうが……いかんせん、あの機械存在には国という枠が見受けられない」

「早くあのロボットを作った科学者でも操縦者でもいいから見つけて、話を聞く必要がある」

「日本へ派遣された者達は、二ヶ月もの間、何をやっているのかね」

「何分、派遣人員が二人では動きに限界があるかと」

「二人だと? 少なすぎるぞ。至急、一個小隊分ほど人員を見繕って派遣したまえ。何としても次の会議までに詳細情報を集めさせろ。必要な経費を見積もって、すぐに提出するんだ」

「わかりました」

 情報部管理課調査部部長は慇懃にうなずいたが、内心では焦燥に荒れ狂っていた。実は日本支部設立など端から無理だろうと適当に考えていたので、派遣人員や装備は最低限以下だったのだ。

「費用というなら、技術開発部を突くべきでしょう。近年の予算請求は桁が違いますよ」

「あぁ、例の第九」

 会議場内が、途端、奇妙な静寂が生まれる。喉元まで出かかった言葉を、言いたくて仕方がないのに無理やり飲みこんでしまった気まずい沈黙。

「……新設の非公式部署だったな。どんな兵器を開発しているのかね。いくらつついても、報告段階に達していないと逃げるばかりで、規模の概要すらつかめない不可思議なところだ」

 一人が舌打ちして見回す。その新設部署からは、今回の会議には誰ひとりとして派遣されていなかった。

 代わりに、その大本である技術開発部部長が大きく息を吐いて首をすくめる。

 当の非公開部署の人間がいないのをいいことに、盛大な愚痴り大会が始まる。

「作っているのも戦闘機なのか、化学兵器なのか、それすらも不明。しかし予算だけは金を捨てるように使い続けているときた。技術開発部の連中は、もう一度、世界大戦を始めるつもりですかね」

 会った事もない他者へ向かっての苦情はとめどなく続く。限られた予算を食いつぶされている不満がここで爆発していた。

「……日本への増員ですが」と、一人が割って入る。

 そこでようやく元の話を思い出し、口を止めた者達が居住まいを正す。

「あの国は憲法によって軍隊を持ちません。自衛隊は自国防衛の為、交戦権を持たないので、これ以上刺激するのは世論の問題もありますし……」

「それに、技術開発部からの要請で、現在作戦部から一部の部隊が出向の形で出払っております。抜けた分の補充要員確保が先かと」

 技術開発部長官に視線がいく。暗に、お前のところが予算を食い過ぎだ、と突っこまれ、彼は奥歯を噛んで唸る。そうして息を吐くと、肩を落として投げやりに手を振って見せる。

「わかった。借りている部隊は早めに戻すように指示を出す」

 謎の新設部署に不満を見せていた者達も、一応の溜飲が下がったのか、それ以上の攻撃はやめた。

 さて、と情報参謀本部部長が話を引き継ぐ。

「日本支部設立の計画はすでに動いております。基地設立候補地も何箇所か押さえてあるので、調査の延期ということで増員は可能でしょう」

「確か、候補地の中に例の地方都市に近い場所があったな。基地としての立地条件は下位だったが……この際、そこを第一候補にしてしまおう」

「あの埋立地は立地の都合上、都市内への道が橋しかありません。それに、自衛隊の駐屯地も移設される計画もありますが」

「我々が来るから、威圧の目的もあるんだろう。いっそ隣同士に基地を建ててしまえば、お互い面倒もなかろう。もっとも、合同訓練相手には、戦争をしない自衛隊では物足りないかもしれんがな」

「では、日本支部設立計画は進行する方向で」

「調査班の派遣はあくまで予備だ、日本政府側に我々がきちんと仕事をしていると見せつける為のポーズだよ」

 当然のように言いきると、高官は議長に目配せを送る。それを受けた彼は、大まかな方針を述べる。

 日本支部は作る。

 UEの正体を暴き、脅威とみなせば潰す。

 これで会議は終了となった。



 方針が決定されると、集っていた高官達は次々と退席する。オンラインで繋がっていたモニタには交信終了の文字が表示された。

 残っているのは議長と副議長のみになった。彼らは世界防衛機構軍情報部参謀本部のトップと次席。つまり、軍が抱えている情報のすべては、彼らを通さない限りは公式とみなされない。当然、審議の過程で秘匿されたものも多数ある。

 議長はミネラルウォーターを飲み干すと、天井を仰いだ。

「ほぼ予想通りの動きになったな」

 副議長は書類をそろえながらうなずきを返す。

「むしろここからが始まりかと。UEの目的も正体も未だに不明なまま、大がかりな軍事行動だけが動き出すのですから」

「……彼らの目的は何だろうな」

 副議長はちらりと目線だけを上げると、一拍の間を置いてから告げる。

「私個人は、少なくとも日本での最初の事件は先ほど言ったように、彼らの失策だったと考えます。この件がなければ、彼らはその存在を未だに我々の目に触れないところに隠しておけたでしょう」

「───アヴリルを取り返しに来たのかもしれないな」

 議長の発言に、副議長が目をむく。あわてて立ち上がると後ろを振り返り、誰も残っていない事をしつこいくらいに確認する。

 部下の過剰な反応に、彼は大丈夫だと身振りで示す。

「ここの盗聴に関しては、あと……そうだな、二十分はもつ。終了宣言の段階で、会話の録音も停止する」

 それでも、副議長は上官の発言に落ち着かず、身じろぎして視線をさまよわせる。

四月の落し物(アヴリル)ですか……」

 副議長は息をのむ。議長は緊張にこわばる部下を見て、笑いそうになるのをどうにか押さえる。

 自分にも、こうやってちょっとしたことで青くなるような若い頃もあったな、と思い返しながら。

「百年前の拾得物だ。私も現物は一度だけ見たが、あれは……完全に異質なテクノロジーだ。人類の発想枠を飛び越えている。だからこそ……科学者達はこぞって未知の技術を今日に至るまで研究し続け、GDOは解明された知識の一端を兵器に転用し、その力を使って戦争を調整するのだから」

「未確認の敵……機械知性体オリジネイター」

 副議長は重々しく彼らの名を口にする。情報部はとっくの昔に地球に存在する、人類以外の知性体の存在を把握していた。

 だが、知っているだけで、未だに誰もコンタクトには成功していない。

「彼らの目的は不明だ。だが、この世界に存在しているのは確かなんだ」

「……機械の巨人、そんなものが人間社会に現れたら、すぐにわかりそうなものですが」

「ネット中毒の人間にはいいネタだろうに。しかし彼らはなかなかどうしてかくれんぼがうまい。百年経っても未だに見つからないでいるのだからな」

「人間にでも化けているのでは? 彼らの技術なら、それも可能でしょう」

「笑えない冗談だな。では我々の社会はすでに機械のエイリアンが入りこんでいると? どこの誇大妄想だか」

 議長は肩をすくめ、雑談はここで終わりだと告げて立ち上がった。

 彼らは情報部のトップには間違いなかったが、その立場でも知らない事はある。

 城崎が提出した報告書は、いくつもの過程を経る間に抜粋され、本部の会議に回り彼らの眼に触れる頃には千鳥ヶ丘市の大規模小売店舗の駐車場でロボットが現れたという概要しか残っていなかった。

 ロボットの側にいた人間、海里シンタロウに関しては、そのずっと前に不要な情報として削除されていた。

 そもそも報告書には最初から、海里の腕が切断された件や、その腕が機械で構築されていたという記載すらなかったのだ。



 GDOが予算を割いて捜している存在は、日本の地方都市、千鳥ヶ丘市に潜伏していた。

 とはいっても、自動車に擬態している二人はともかく、海里の場合はマイキと一緒に市街地を平気で歩き回っているので、潜んでいるとは言い難い状態ではあったが。

 今日の千鳥ヶ丘市は、前夜からの雨が降り続いていた。

 鈍色によどんだ空から重い雨がとめどなく落ちてくる。誰もが傘の中で縮こまって足早に過ぎ去るか、家の中で曇天を眺めているかするほどの豪雨の中、海里はいた。

 軽自動車形態に擬態している仲間、レックスの上に座って海を眺めている。

 灰色に煙る風景。打ち寄せる波は荒く砂浜を削っては引き、また叩きつけてくる。弾ける波の滴を割るのは、激しく降りつける雨。

 雨は滴を通り越し、水塊のような威力で落ちてくる。

 それを見つめる海里には、もう乾いた部分はどこにもないほど濡れそぼっていた。だというのに、彼は雨が頬を伝って顎から滴り落ちてもかまわず、瞬きもしないで軽自動車の屋根に腰を下ろしている。

 身じろぎもせず、彫像のように微動だにしない。

 遠くを見ている視線は彼方へ据えられ、逆にどこも見ていないように焦点が合っていない。

 変化のない単調な雨音は、周囲の音をかき消して擬似的な静寂を生み出す。

 ひときわ大きな波が弾けて散ったが、その音すら海里には届いていない。

「───行こうよ」

 控えめにかけられた声に、彼はようやく視線だけを動かした。鮮やかな黄色の車体から発せられた声には、常の騒々しさはない。

「ここで待っていても……アウラは来ないよ」

 雨音にかき消されそうなほど絞られた声には苦痛の色さえにじんでいた。海里は言葉に刺されたように眉根を寄せると、黙ってレックスの上から飛び降りた。

 ゆっくりと数歩進みながら、指先でレックスの、今は鈍色に濡れた表面をなでると、指を追うようにして海里は顔を伏せた。

「……わかってる」

 レックスにしか聞こえない声だった。あまりにも弱々しい、だが、押し殺した感情がはちきれそうに震えていた。

 アウラは今もどこかで生きているのだという、祈りにも似た叫び。

 彼らが地上に出て、最初の上陸地点に日本の千鳥ヶ丘市を選んだのは、ただの偶然ではない。

 彼らの前に、調査に出た仲間がいた。

 アウラ・〇六〇九(ユニ・エンネア)

 調査中に行方をくらませ、消息を絶った仲間を追って、彼らは日本へやってきた。

 千鳥ヶ丘海浜公園。彼らがいる地点が、過去にアウラが上陸した場所なのだ。

 しかし地上に出て三ヶ月になるが、未だに手がかりすら見つけられないでいる。

 正確にいえば、手がかりの一端だけはつかんでいるのだ。

 マイキが持っているペンダントの蒼い石。それは機械知性体の魂とも呼べるエネルギーが結晶化したものだった。

 始まりと終わりの旋律(ヒュムネ・ベル)

 結晶が示す波動を、トレトマンはアウラのものだと告げた。

 機械知性体の魂、アニマと呼ばれるエネルギーは、活動を停止すると性質が変化して物質化する。

 それが存在する意味は、仲間の生存をあきらめること。

 トレトマンは行方不明になった仲間の死を確信したが、その場に海里がいなかった事と、彼のアウラに対する執着を考慮してマイキとレックスに口止めした。

 その為、未だに海里だけはこの事実を知らないまま街をさまよい歩いているのだった。



 ずぶ濡れを通り越し、水を運んでいるのかと言われそうなほど水分をふくんだ海里を押しこんだクルマは、道路と側溝の区別もつかないような降りの中、低速で走っていた。レックスが擬態している軽自動車は今となっては現存しているものが少ないスバル360だったが、海岸沿いの道路は他に行き交うクルマもなく、珍しいと振り返る歩行者もいない。

 屋根を打つ雨音によって、車内は微かなエンジン音さえかき消された無音になる。

 と、走っていたスバル360が緩やかに停車する。

 どうかしたのかと海里が問う前に、特徴的な前開きの扉が開いた。

「ねぇ、トラスト。ちょっと、降りて前を見て欲しいんだ。何かがある」

 言われて車外に出た途端、再び容赦のない雨が海里を襲う。しかしそれにはかまわずに歩を進め、ヘッドライトに照らしだされる塊の前で足を止めると、海里は端的な感想を漏らす。

「……人間だ」

 言って、道路の真ん中で丸まっている塊を抱え上げてみせる。解けた塊から、細い手足が飛び出した。

「そうだね。大きな分類は合ってるけど、せめて子供とか、女の子とか言いなよ」

 抱え直した海里の腕に収まっているのは、レックスの言う通り、人間の少女だった。

 痩せた小柄な体躯に、粗末な衣装を引っかけるようにして着ている。衣服というより、穴を開けた布袋から手足を出しているような代物だ。

 少女は海里同様ずぶ濡れで、細い手足や服の裾から蛇口のように水が滴り落ちる。長い髪が濡れて肌に貼りつき、顔はうかがえない。

「迷子かなぁ……困ったな、早く親元に帰さないと」

 誰かに相談しようにも、彼らは人間ではないので公共の場に出る事が難しい。日本ではこういう場合、警察に任せるのが妥当だとすでに学んでいたが、ずぶ濡れの少女を派出所の前に放り出して逃げるのは後味が悪いし、後々に疑われてまた別の問題が起きる懸念もある。

 唯一彼らの正体を知っている姉弟に相談するか、とレックスが案を出した時、海里が少女を示した。

「レックス、人間にも目が三つあるのがいるのか?」

「へ? 何を言って……」

 海里が少女の濡れた髪をかき上げてみせる。あらわになった表情は、眠っているのか気を失っているのかまぶたを閉じたまま動かないでいる。

 その少女の額を、海里は指し示す。

「え……これって……」

 確かに、海里の言う通り、少女の額には目があった。

 何かの飾りのように丸い金属が埋めこまれ、まるで第三の目のようにライトの光を反射して鈍く輝いた。



 エアコンのきいた監視車両内。車内照明は非常灯のみで、代わりに壁面に据え置かれたモニタが瞬く。複数のモニタには、そのすべてに闇に沈む町の映像が映し出されていた。

 赤茶けた岩山に囲まれている町は、周囲の景観とは対照的な真っ白い壁をした家屋が並んでいる。路地の奥には商店も見え、モスクの優雅な尖塔が、紺色の空に向かって伸びていた。

 夜の街は喧騒に満ちていた。それは、人々が生活する上で起こる、雑多な活気ではない。

 町のいたるところで炎が唐突に上がり、そこから弾き出されるようにして逃げる人が、車が、家畜が無秩序に混じり合って動き回っていた。

 すべてが、混乱の渦中にある。

 それらを映すモニタに、音はない。

 だが、そこには悲劇があった。

 あふれるほど人を載せたトラックが、町の出口まで来たところで、地雷によって吹き飛んだ。

 爆発に悲鳴を上げながら逃げる男性が、後ろに引っ張られるようにして倒れた。撃たれたのだ。

 家屋の影から出て来たのは小さな人物。ライフルの重さによろめきながら歩いているのは、年端もいかない少女。

 少女がふらつきながら通りの真ん中まで歩を進めた時、頭が半分吹き飛んだ。

 血と脳症にまみれたライフルを拾い上げた老人は、地面に顔をうずめるようにして死んでいる少女には一瞥もくれず走り出す。

 映像はどれもこれも似たような状態だった。破壊、破壊、そして、フェードアウトしていく人間。そのうち、町中に設置されている監視カメラが破壊され、いくつかのモニタが沈黙する。その数が増えても、見ている彼らの表情は動かない。

 車内は監視用の機材と、その隙間に埋もれるようにして五人の男女がひしめいていた。

 彼らは何を見ても淡々とした報告を背後の指揮官に飛ばし、戻ってきた指示を現場の人間に返すだけ。

「フィールド内の生存者、四割を切りました」

「境界越えを許すな。抵抗者は排除しろ。そうだ、捕虜は不要、一般被験者はすべて処分だ」

 一人、監視モニタではなく、ラップトップPCの液晶画面を見つめている女がいた。ケーブルで車両内の機材と直結されているパソコンは、置き場がないので座った女の膝に置かれている。

 彼女の名はマーガレット・レヴィ。

 まだ若い彼女の顔には、照明の悪さを差し引いても疲労が濃くにじみ、実際の年齢より五歳は老けこんで見えた。壁面のモニタを見ていない彼女が、今作戦の指揮官だ。

 液晶画面には簡略化された街の地図が表示され、状況に応じて町を占める色の割合とアイコンの位置が変わる。

 レヴィはついと視線を動かす。画面の右下にある「No.18」と表示されているアイコンを目で追ってから、顔も上げずに告げる。

「18号の回収を急ぎなさい」

 同じ指示を、オペレーターの男性がインカムを通して現場運用主任に飛ばす。

 数分経過した後、返ってきたのは「否定(ネガティブ)」の一言だけ。

「駄目です、18号は一般被験者に包囲されています」

 レヴィはうなずきもしない。元より、手元のラップトップを見れば、18号のアイコンからかなり距離を開けて、彼女が指揮する部隊が展開しているのがわかる。

 一拍の間を置いてから、無感動な声で告げる。

「回収作業中断。すべてを消去しなさい」

 瞬間、それまで能面のように無表情だった者達の間に、微かな緊張が走る。息を飲む音はわずかだったが、全員分の吐息は意外なほど大きく響き、一人が反射的に口元を押さえた。

 何も見ず、レヴィは部下からの復唱すら待たずにラップトップからケーブルを引き抜くと、機械を脇に抱えて立ち上がる。軍用ブーツが重く床を叩く音に、一人がようやく動き出し、マイクの向こうに指示を出した。

 十数秒後、監視車両が微かに震えた。

 指示を出した男が回線の向こうにいる者と短いやり取りをした後、顔を上げる。

「18号が捕獲されていたビルの爆破、完了しました」

 レヴィは小さく息を吐くと、前だけを見て、そのくせ何も見ていないような茫洋とした眼差しで口を開く。

「最初の手はず通りに後処理を。完了後、監視用の一個小隊だけを残して全部隊を撤退させなさい」

 息を吐く間もなく次々と新しい指示を与え、加えて次席に権限を預けると、彼女は交代と休憩を宣言した。



 監視車両を出ると、途端にエアコンの恩恵が遠ざかる。寒暖の差が激しい地域なので、昼夜の気温差は倍以上になるが、それでも残る猛烈な熱気にめまいがする。砂混じりの風が、鳥の巣のように適当に結ってあるブルネットをとどめとばかりに乱す。

 休憩用に占拠してある空き屋まで、歩いて一分もかからないが、その間にも汗が噴き出す。頭皮から流れ落ちてくるそれをぬぐいもせず、レヴィは代わりに舌打ちする。

 眉間にしわを寄せて歯を食いしばり、表情を隠すように顔を伏せる。そうやって、足元を見るように背を丸めて歩く姿は弱々しくふらついていた。背後にある監視車両の頑強な装甲とは対局の貧弱さだ。都市迷彩の戦闘服に装備類は付属していなかったが、厚地の服にすら押し負けている様子だった。唯一の所持品であるラップトップすら、抱えているだけで重さによろめく始末。仕事に必要がなければそのまま砂地に放り出していただろう。

 実際、彼女は軍籍に身を置いているが、銃撃戦などもってのほかの、デスクワーク派の人間だ。そもそも、現場対応班は作戦部の所有する部隊。レヴィは技術開発部の所属なので、完全に別系統の扱いになる。彼女も普段は、研究員、あるいは分析官と呼ばれている立場で、既定の訓練はこなしているが、銃よりも試験管やボールペンを握っている時間の方が圧倒的に多い。

 今回は任務の性質上、指揮権を与えられてはいるが、とてもではないが何十キロもある装備を背負って酷熱の大地を走るような真似はできない。現場運用主任からも、リスク回避の為にもそれはやめてくれと最初に言われている。もちろん、言われなくとも現地に出るつもりは皆無だったが。

 彼女は実験場になっている町から遠く離れた場所へ引っこみ、厳重な警戒網の張られた、ベースと呼んでいる狭いエリア内で監視用モニタを見ながら、インカムを通して指示を飛ばすだけ。

 町の中は銃弾が飛び交い、汗と硝煙、血と砂が散っている。今現在も爆撃のただなかにいる現場運用主任は、安全で安定した環境に身を置いている自分のことをさぞや苦々しく思っているだろうが、それはこちらも同じだった。

 彼女はあくまで、提供された資料を元に思考するタイプで、いわゆるドンパチとは縁がない。屈強な男達をまとめ上げて屈服させるような真似は、早々にあきらめた。現場運用主任とその部下も、突然現れた畑違いの指揮官を完全に舐めきっている。蔑んでいるとさえ言えるだろう。エアコンのきいた実験室で、パソコンと実験動物しか相手にしたことがないような研究員。しかも女を指揮官に掲げて尊敬しろだなんて無理な話だ。彼女がもし同じ立場に置かれたら、あからさまに侮蔑の言葉を吐いただろう。邂逅時に舌打ち程度ですんだのなら、あの連中はレヴィよりもはるかに行儀がいい部類の人間に入る。

 前任者が体調不良を理由に辞職しなければ、それこそ今頃は、エアコンがきいて涼しすぎるくらいの実験室で研究を続けていられたはずだった。

 上司の辞職。急な配置転換。繰り上がった計画。

 リノリウムの床に立っていた足は、今は熱砂を踏んでいる。

 もちろん、気がつけば、なんて甘い事を言うほど状況に流されてはいない。何が起こったのかは明白だ。

 前任者は彼女が徹夜明けに休憩室で不味いコーヒーを飲んでから戻ってくると、いなかった。一身上の都合で辞職したと、次席の彼女が主任に繰り上がった二週間後に聞かされた。同時に、中東の、名前を聞いても地図上のどこにあるのかまるでわからない町で、前々から急かされていた実験をしろと、上から命令がきた。

 そして現在、一応は実験を終了させた。様々な問題は残されているが、報告書さえうまく書けば消してしまえる程度の誤差だろう。

 ひと段落ついた今、彼女の中にこみ上げて来たのは苛立ちと怒りだった。

 実験内容の非人道的な部分は、あえて見ないふりをして、つれつれと思考を遊ばせる。

 なぜ、わざわざ現場の部隊と険悪な関係になって胃痛と頭痛に悩まされなければならなかったのか。

 そして、いつもの日課で、顔も見えない上層部の連中を、想像で何度も締め上げてやった。

 顔のない上の連中を袋叩きにしながら、もう半分は冷静に、なぜ彼女という人間を送りこまなければならなかったかその理由を考える。

 今回の作戦は、この一箇所だけではない。準備段階も含めれば、世界各地に十箇所以上の実験場がある。人手はいくらあっても足りないほどで、わざわざ彼女を費用と時間をかけて現地まで運ばなくとも、衛星回線で現地スタッフとの通信はほぼリアルタイムで行うことが可能だ。

 だが、現場で働くのは人間なのだ。現実の問題にさらされている者達は、モニタの向こうであれこれ指示を出すだけの指揮官など、いくらその指示が的確でも……いや、正しければ正しいほどに反発を覚え、心理的に離れて行ってしまう。

 そうならない為には、面倒で不快な思いや多額の経費をかけても、現場で直接相手の目を見て、呼吸や熱を伝え、互いの存在を感じながら話さなければならないのだ。

 とはいえ、彼女は部隊が後処理を済ませ、安全だと……この町に、生き物が自分達以外にいないと判断するまで立ち入ることは許可されないのだが。

 手厚い保護に、子供の遠足扱いかと自嘲したくなる。

 本当に、ここにいる意味がわからない。

 考える価値もない。答えを見出したところで報いもない。無益な疑問をレヴィは心中で繰り返す。

 緩んだ思考で、自分がここにいる効果を無理やり挙げてみる。

 とりあえず、走って行けばライフルで撃ち殺せる距離に指揮官がいるのは利点ではないだろうか。

 他の実験場では、現地へ行くのを嫌がった指揮官に腹を立てた部隊の不平が高まり、データ収拾どころか実験の痕跡を残さないようにするのが精いっぱいだったところもある。

「……人間って、面倒くさい生き物よね」

 どうでもいい疑問に、無意味な答えを無理やりくっつけたところで思考を中断した。

 ようやく基地にしている空き屋にたどり着く。この地域独特の石造りの民家は長方形で窓が小さい。周囲には似たような雰囲気の家屋が並んでいるが、どれにも共通しているのは、砂に埋もれているところだった。彼女がいるのは遺棄された集落。風に削られた家屋の群れが、放置された時間の長さを物語っていた。

 扉を抜けると、ひやりとした空気が彼女を包む。外観は風と砂に朽ちかけている廃屋だが、内部は相応に整えられている。人工の冷気に流れた汗が一気に止まり、思わず身震いした。

 入口で立ち止まった彼女に、奥で控えていた男が、ちょうどよかった、と言った様子で口を開いた。

「レヴィ少佐。お電話です」

「あ、そう」

 誰からとも聞かずに、出て行けと手で示す。副官は机上の携帯電話を目で指してから、態度だけは完璧な礼をして、扉から通路へと抜け出していった。

 彼女は緩慢な動作で机上に、持ち帰ったラップトップを置く。携帯電話からコネクターを伸ばし、側面のソケットに差しこんだ。そのまま電話に出てもよかったが、もう携帯電話を握っているのも億劫だった。

 それに、自分の疲労しきった顔を回線の向こうの誰かに見せつければ、もしかすると、何らかの危機感を覚えて交代の人員を回してくれるかもしれない。

 肩を落として座りこみ、そんな、どうしようもない考えをめぐらせている間に回線が繋がる。荒い画像の向こうに現れたのは、金髪に眼鏡の女性だった。

「ごきげんよう、レヴィ曹長」

 呼びかけられても、レヴィは気だるく敬礼を返しただけ。本当に形式だけのものでしかなかった。向こうも礼儀作法には大してうるさくはないのだから、この程度で十分だと、短くはない付き合いで理解していた。

 エルフ・オリオン。

 レヴィの上官ではないが、計画の初期案と資料、それらの実行に必要な経費や人材を調達した人物だ。もちろん、用意された人材にはレヴィも含まれる。

 もっとも、女自身についてレヴィはほとんど知らない。どういった経緯で技術開発部に件の計画を持ちこんだのか、資金の調達経路は、彼女がどこの組織に所属する人間なのか。

 ただ、前任者からは、彼女はレヴィが所属する組織の母体となる団体から来た、とだけ聞かされた事がある。

 女の正体は、霧に包まれたように見えない。だが、彼女が日々、想像で締め上げている上層部よりも上にいるのは間違いないだろう。

 でなければ、レヴィが所属する組織に黙って町をひとつ潰しました、なんて真似はできないはずだ。

「メグ。そちらはどう? 順調に虐殺は進んでいる?」

 謎の存在は、レヴィをマーガレットの愛称であるメグと気軽に呼びかけてくる。その気安さが最初は不愉快だったが、女の性格を知った今ではどうでもよくなった。

「えぇ、とはいっても。今日は人口が千人にも満たない集落ですからね。百億の人類を削ったうちには入りませんよ。もう面倒なんで、この地域一帯に核でも落としましょう」

 そうすれば、いくら都市部よりも人口密度が低い地域とはいえ万単位の死者が出るはずだ、とレヴィは疲れて半眼のまま、さらりととんでもないことを口にする。

 画面の向こうにいる相手は完璧な笑みを崩さず、レヴィの話に乗ってきた。

「資金に余裕があれば、そうしたいわね。でも、さすがに目立ちすぎるわ。後始末も大変よ。生物を根こそぎ滅ぼしたとしても、後々の環境の悪化は困るわ。汚染物質の除去には長い時間と労力がかかるし」

「ちまちま殺して、その死体を片付けたり偽装したりするのもかなり手間なんですが」

 今頃、現場の部隊は陰鬱な顔で死体を集めて運び、虐殺の痕跡を消して別の原因を上書きしようと奮闘している事だろう。今回の偽装工作は、町で死亡率の高い感染症が蔓延し、住人は死亡するか、隔離施設へ移送されたことになる。

 もちろん、生きて移送される者は誰もいないのだが。

 我ながら雑な偽装だとは思ったが、実験場になった町は、立地と、町ができた理由の二つがそれを可能にした。

 まず町は都市部から離れている。それどころか周囲に点在する小さな集落とも距離を置いていた。町は元々、砂漠の緑化計画推進事業の為に集まった技術者やその労働者が住む、いや、計画の為に自然発生的に生まれた集落だった。

 砂漠の縁に小さく存在する町は、外部からは物資や郵便物の運搬がある程度で、地域に昔からある村とは基本的に交流はない。

 それでも、明日の朝、物資を届けに来た者達は、人間どころか家畜すらいなくなった町に呆然とするだろう。

 あるいは、死体を運んでいる光景を目撃したあげく、自分もそのトラックの荷物になるのかもしれない。

「……データさえ取れば、後は放置してかまわないわ」

 女の声で、レヴィは我に返る。疲労で重くなった頭は、気を抜くと違う方向に思考を持って行ってしまう。

「人間は、プラスチックと違って腐って土に還るもの」

 こともなげな女の口調に、疲労に麻痺しかけていた感情がざわつく。レヴィは顔をしかめ、話題を変えた。そもそも、こんな物騒な世間話をする為に会話をしている暇はなかった。

「……18号の回収は失敗しました」

「そう」

 もちろん、女は最初から知っていて通信をしてきたのだろう。レヴィのラップトップにあった情報は、強力な暗号化をかけられた後、女の元へ転送されている。

「18号の親と、他数名が彼女を連れて逃亡を計った為、面倒なんで、全部爆破処理しました」

「あら、素敵ね」

 簡潔を通り越して適当な報告に、女は口元に手を当てて微笑する。

「数値を見る限り、18号は活動停止寸前まで今までにないほど激しく歌っているわね」

「恐らく、能力の向上ではなく、状況に追いつめられたことによる一時的なものでしょう。活動が暴走し、18号自身がショック状態を引き起こしたものとみられます。影響範囲は、かなり広域にまで広がっていた模様です」

「文字通り、死ぬまで歌い続けたのね」

 レヴィはどんよりと重くなる頭をどうにかして引き上げ、こちらを見ている女の目をにらみつける。女の瞳には曇りもなく、迷いも戸惑いもない。ただひとつの確信を持ち、それを実行することに無上の喜びを覚えて輝く。

 人類を、殲滅する。

 お伽噺を語るような陶酔した眼差しで聞かされた話を、最初、レヴィは冷笑で返した。

 だが、二度三度を通り越し、何度繰り返しても自信に満ちたその眼差しは光を失わなかった。狂気ではない。あくまで正気の範疇で女は狂っていた。

 エアコンの冷気とは異なる寒気が背筋を駆け上がる。画面の向こうにいる相手には気取られないよう、腕を押さえてこらえた。

 女は、これからについていくつか確認をしてから、報告書を楽しみにしていると言って、通信は途切れた。

 ブラックアウトした画面を、レヴィは数呼吸の間、無言で見つめていたが、やがて大きく息を吐くとラップトップからケーブルを引き抜き、携帯電話を握ったまま椅子に背を預けて天井を見上げた。

 薄汚れた部屋だ。乾燥しているので、あまり不潔だとは思わなかったが、何に触れても指先に砂がつく。

 彼女の精神も汚れた指先のようにざらついていた。

 何も考えずに、レヴィはつぶやく。

「これが、世界防衛機構軍……世界を守る、正義の軍隊がやることなのね……」

 マーガレット・レヴィ。

 階級は曹長。彼女が所属する技術開発部、その親元になる組織は、世界の紛争を武力介入によって強制鎮圧させるという矛盾した思想を持つ軍隊だった。

 そして、女が所属する母体団体はアップルゲイト財団。世界防衛機構軍の基礎を構築した組織だ。表向きの活動は、紛争によって荒廃する発展途上国の文化と自然の保護。

 だが、今やっている事は何だ。

 実験場、被験者、18号、殲滅、処理。

 彼女の一声で、何人の人間が死んだ。現場を見ず、モニタに表示された地図の色だけが変わって行く。その変化の裏側にある意味は、何だ。

 もちろん、今回の件だけではない。研究施設では現在進行形で、非人道と罵られて当然の実験が非公式に続けられている。彼女が属する、新設の第九研究室はそういった、世間では人権や倫理観から反発を受けるような行為を扱う部署だからだ。

 後処理を済ませて報告書を提出すれば、彼女は再び清潔な実験室に戻り、非道な行為を再開するだろう。

 奥歯を噛み、眉間にしわを寄せる。

 レヴィは科学者だ。そこに証明すべき問題と、実現できる手段があれば、例え法に触れることだろうとも実行の誘惑は断ち切れない。

 それでも、疲れているはずなのに眠れないほどの重さが圧しかかっている時には、不意に考えてしまうのだ。

 何をやっているのだろう。

 それは、本当に正しい事なのか。

 間違ってはいるのだろう、だが、どうしろというのだ。

 居心地の悪さに、レヴィはかぶりを振った。

「あぁ、面倒だわ。もう何もかもが面倒くさい……」

 前任者はこの重圧から逃げる為にすべてを放り出したのだろう。では、自分はいつ逃げてやろうか。

 もう考える気力もない脳は、それでも休むことだけは頑なに拒否して活動を続けていた。



 年度が変わり、四年生になったマイキの日常は、これまでとは少しだけ変わった。

 普段の沖原家は、父親が不在でユキヒも日中は働きに出ているので、マイキの面倒を見る者がいない。昨年までは学校近くの児童館で預かってもらっていたが、年明けの事件で学童自体が中断されたまま春になってしまった。そして、千鳥ヶ丘市では学童保育で預かる児童は三年生までという決まりがある。

 それまで児童館という枠の中で遊んでいたマイキは、そこでできた友達と、今度は外で遊んでいる。

 もっとも、近頃の子供は遊びと言えば携帯ゲームばかり。それに数ヶ月前の災害後、まず親が子供を外に出したがらなくなった。初めは外遊びに誘ってもうなずく者は誰もいなかったが、次第にその人数は一人が来れば誰かを誘うネズミ算方式に増えて行った。

「シン兄っ! こっちこっち!」

 マイキは海里に向かって大きく手を振る。遊具のほとんどない公園はただ広いだけの空間だった。その分、何をするにも発想だけが頼りになる。

 公園内は彼ら二人以外にも、多くの小学生が群がっていた。街の惨事により、一時は避難者があふれていた公園も、今は元の姿を取り戻しつつあった。

 海里は無言で、真剣というよりは単に無愛想な顔で足元にあるサッカーボールを蹴る。前日までの雨で公園内はまだぬかるんでいる個所が多く、彼の足元でも大きく泥が跳ねた。

 まっすぐに飛来するボールを、マイキは手にしたバットで打った。

 サッカーボールを、バットでだ。

 ぼん、と鈍い音を立てて転がったボールを追って、二三人が一緒にくっついて走る。その間にマイキはバットを投げ捨て、走った。空き缶で適当に累を定めたマウンドを駆け抜け、一塁、二塁と抜ける。三塁に至る間に、ボールを拾った少年はかけ声と共にボールをマイキに投げつけ、背中に当たる。

「アウトぉ!」

 審判役の、帽子のつばを後ろ向きにかぶった少年が高らかに宣言し、攻守交代とあいなる。

「ちぇーやられた」

 誰も、サッカーボールをドッチボールのように投げていることに突っこみを入れない。そして、攻守交代しても、ピッチャーは海里のままだった。彼も含め、場にいる全員、それが暗黙の了解になっている。理由は簡単。ボールを正確にバッターに向かってまっすぐ飛ばせるのが海里しかいなかったからだ。

「兄ちゃんーいいよー」

 海里もバッティングマシン扱いされている事には不満も見せず、合図に軽くうなずくと足元に戻って来たボールを次のバッターに向けて蹴りはなった。

 それを目撃したユキヒは、公園の入口付近でしばらくは声もかけられず呆然と立ちつくしていたが。



「……何してたの?」

 夕刻、仕事帰りに奇妙な遊びを目撃したユキヒは、並んで歩く弟に最適な突っこみを入れる。

「野球だよ」

「ボールがなくなったの?」

「違うよ」

 一人が、このゲームでは役に立たなかったグラブとボールを持って帰りながらマイキに向かって手を振り、少年もまた明日、と返す。

「サッカーと野球、どっちもしたかったけど、タイチが塾あるって言うから時間なくて、両方やった」

 仲間の一人が抜ける前に、両方やってしまおうと折衷案を取った結果、こんな奇妙なゲームが出来上がったらしい。

 しかも、それを最初に発案したのは海里だった。

「海里さんが考えたんですか……?」

 恐る恐る顔を上げると、傍らの青年は黙ってうなずく。

「いけないのか?」

「……遊びだから、問題はないと思いますよ」

 それぞれのスポーツに関するルールどころか、その違いもよく認識できない海里は、発想が柔軟というか、どこかぶっとんだ考え方をする。

 子供の奔放な想像力に近いものがあるのだろう、とユキヒは勝手に納得して息を吐いた。

(だから、子供達と仲良くできるのかしら)

 最初は少年達も、大柄で無愛想な海里を遠巻きに眺めているだけだったが、マイキが彼を引きずりまわしているのを見て害がないと察したのか、次第に輪の中に入るようになった。

 いや、子供達の輪の中に、いつの間にか海里が入りこんでいたのだ。

 子供達は海里の正体を気にしない。名前もよく知らない子供もいるようで、「マイキの兄ちゃん」「シン」と、適当に呼んでいる。

 深く追求して来ないのは助かっている。ご近所の詮索好きなご婦人方には、最近、沖原家を出入りしている若い男の存在が気になるらしく、中には露骨な詮索心むき出しで尋ねてくる者までいた。

 母親が早くに亡くなり、父親は海外出張で一年の半分は家にいない。年頃の姉と小学生の弟だけの家庭に入りこんでいる男性とくれば、好奇心をそそるのだろう。

(そんなんじゃあ、ないのに……)

 妄想がどこまで発展しているのかは、何となく想像がつく。しかし、ひとつだけ確信できるのは、誰ひとりとして正解にたどり着く者はいないだろうという点だった。

 彼と、そしてこの場にいない仲間は、簡単に言うと人間ではないからだ。

 何かが起こるにしても、それは誰の想像も超えたものだろう。

 そう、例えば、千鳥ヶ丘市を襲った災厄のような。

 街で機械の巨人が暴走し、一角が焦土と化した。三ヶ月ほどたって生活が落ち着いてしまうと、日常の方が忙しくてユキヒは事件を忘れそうになる瞬間が何度もあった。

 封鎖された区域は、瓦礫の撤去が進んでいる。すでに更地になってしまった場所は、あの日起こった事のすべてをなかったことにしようとしているようだ。

 何もなくなりはしないというのに。

 むしろぽっかりと空いた空間が、逆に得体のしれない恐怖を呼びこんでいる気がして、ユキヒはいつも早足でそこを通りぬけてしまう。

 ぼんやりとした不安はあるが、それでも、こうして買い物袋を提げ、弟の他愛ない話を聞いていると、忘れそうになる。

 機械知性体という存在の一部が、地上世界から人間を排除しようとしているなど。

 会話が途切れ、ユキヒは何となく隣を歩く海里の横顔を盗み見た。

 思わず、足を止めそうになる。

 夕刻の街並みをただ眺めているだけだったが、鋭い眼差しはどこか気高いように思えた。

 強い意志の現れた精悍な表情と、心の奥底まで見通すような深い赤褐色の瞳。

 この年頃の青年なら残ってそうなあどけなさがまったくない。隙のない表情だが、顔立ちは意外にも繊細で端正だ。

 普段、マイキと一緒に遊んでいる姿はどこにでもいそうな青年に思えた。しかし時折、不意に突かれたように魅せられる瞬間があった。

 それは彼の負う任務の重さから来るのか、それとも。

「ねぇ、シン兄! ガイアスターの必殺技やってよ!」

「……また、やるのか?」

 とはいえ、弟にせがまれて不器用そうに技名を叫んでいる姿は、どこの家庭にもある光景だったが。

 ガイアスターも次のシリーズに入り、マイキは必殺技を覚えるのに忙しい。海里と並んで録画を繰り返し飽きずに観ている。もっとも、海里はただ眺めているだけで、内容について語り合うのはもっぱらトレトマンの方だった。だが残念な事に、トレトマンは沖原家のリビングには入れないほど巨大なので、実際は携帯電話に似た端末のマイクから声だけ発している。

 考えてみれば、奇妙な状況だった。

 あの日、彼らと出会ってからこうして少しずつ生活の中に機械エイリアンという存在が入りこみ、いつの間にか受け入れている。

 しかしそこには空白の場所を通り過ぎるような不安はなく、むしろどこか温かなものをユキヒは感じていた。



「バッカも───ん!」

 怒声に海里とレックスは大仰に身構える。

 しかし、飛んできたのは声だけで、巨大な鉄拳は振るわれなかった。

 彼らはマイキ達を自宅まで送り届けた後、千鳥ヶ丘市で隠れ潜むのに使っている山間の広場に戻ったのだが、日の落ちた草むらで待ち構えていたのはレトロなデザインの救急車が一台。

 救急車は一声叫ぶと車体を震わせる。

 途端、クルマの外装に亀裂が走り、箱の中身をぶちまけるようにして金属の部品が外側に向けて展開される。大きく広がった金属と歯車は互いの位置を変えながら別の形を構築し、瞬く間に組み換わって行く。

「まったく、いつまで遊び呆けているのだ。わしは早く帰って来いと念を押しただろう」

 鋼鉄の身体から怒りを漲らせながら、白い救急車だった存在は二本の足で立ち上がり、金属の指を海里達に突きつける。

「ご、ごめん、トレトマン……」

「遊ぶな、とまでは言わん。だが、わしはおまえさん達がいない間、あの娘の面倒を見ていたのだぞ」

 正論で迫られ、二人はいたたまれなさに頭を下げる。

「その分だと、少女の情報など何も得られなかったのだろうな」

 その通りだったので、ますます小さくなるしかない。

 と、そこでレックスは少女の姿が見えない事に気がつく。

「あ、そうだ。あの子は? トレトマンの中で寝かせてたはず……」

 しかし車両からロボット形態に変形すれば、当然、車両としての装備も内部に格納されてしまう。

 嫌な予感に、レックスは軽自動車からロボット形態に戻ると、後ろに引いた。

「もしかして……変形に巻きこんだ……」

「馬鹿な事をぬかすな。さっき意識を取り戻してな、自力で親元に戻るかと思ったから、外に出した」

 ほら、と示す先、積まれた木材の元に少女が膝を抱えて座っていた。伐採されたまま忘れられ、苔むし半ば朽ちかけている木々に同化するようにして場の情景に溶けこんでいた。少女は他に何をするでもなく、じっと、真っ黒な目でこちらを見上げてくる。

 湖水のように静かな瞳で。

「……何か、逆に落ち着かないんだけど……」

 あまりにも動きのない様子にレックスはトレトマンに助けを求めたが、彼は腰に手を当て肩をすくめる。

「ふん、どうせならわしを見て、おびえて一直線に走って逃げてくれたら楽だったものを。先ほどからああして動かないのだ」

 レックスがおいでよ、と手招きしたが、視線も動かさない。彼女の周囲だけ時間が止まってしまったかのように変化がなかった。このまま放り出しておけば、背中の木のように朽ちるまで座っているのではないかと思えるほどに。

 仕方がない、とトレトマンはひとまず少女の存在を脇に置いて話し始める。

「肝心の彼女の保護者だが、探し出すのは難しそうだ」

「いないの?」

「どこかに存在はしているのかもしれんが、少なくとも、この付近での行方不明者リストの中に彼女に該当する人物はいなかった」

「じゃあ、もっと遠くから来たのかな?」

「あの子はマイキ君と同い年くらいだろう。そんな子供が誰の手も借りず、遠方まで移動できるとは考えにくい。見たところ、大きな怪我もない。これは自力で移動したというより、誰かに運ばれて放置された可能性が高いな」

「何でそんな真似を……」

 そこまで黙って話を聞いていた海里は、ゆっくりと少女に歩み寄る。彼女はおびえた様子もなく、近づいてくる存在に焦点を合わせて見上げてきた。

 目の前に片膝をついてしゃがみこむ海里の無愛想な表情に、少女が無感動な目を向ける。

「俺は、海里シンタロウだ」

 あっちはレックスとトレトマンだ、と海里は簡単すぎる自己紹介をするが、少女は無反応。

「君の家は? 名前は?」

 根気よく尋ねるが、いくつか質問を重ねても、やはり反応はない。

「その程度の質問なら、さっき、わしもしたぞ」

「……聞こえてないのかな?」

「可能性はあるが、そもそも我々が話す言語が理解できんのかもしれん」

 どういうこと、と首をかしげるレックスに、トレトマンは鋼鉄の指を立ててみせる。

「ここは日本だ。だからわしらは日本語でその子に語りかけているが、もしかすると別の言語を主体に会話する人種なのかもな」

「英語とか、中国語とか?」

 そこまでならさっきやった、とトレトマンがあっさり失敗した事を告げる。

「もし、もっと少数の民族が使う限定された言語の場合、わしでも対応できんぞ」

 そんなぁ、とレックスが情けない声を上げる。最低限のコミュニケーションがとれなければ、次の対応が決められない。どうする、と全員が迷い始めた時、少女が小さく口を開いた。

「…………アル、トゥン……」

 漏れる呼気のような声に、誰もが始め、それが声だとわからなかった。

 それ以上は何も答えず、再び少女は沈黙する。若干の間を置いて、ようやくそれが少女の名前らしいと気がつく。

「……名前……アルトゥン?」

 海里は聞いたばかりの単語を繰り返す。今まで耳にした日本人の名前とは音がかなり異なっていると感じた。正確に発音できたか自信はなかったが、少女は合っているとばかりに小さくうなずきを返す。

 やれやれ、とトレトマンが漏らす。

「一歩前進か。しかし新たな謎も増えたな。名前からすると、彼女は明らかに日本人ではない。となると彼女に関する情報を集めるのは……どれほどの労力がかかるのやら」

「でも、きれいな響きの名前だね」

「ふぅむ、検索によると、金色、という意味があるな。主に中央アジアの少数民族内で、女性に用いる名前のようだ」

「やった! そこまで絞れたら、すぐに他の事もわかるよ」

「簡単に言うな。その、他が大変なのだ」

 名前程度ならネットで検索すれば候補はすぐに出る。しかし残念ながらそれ以上の情報は、ネットという膨大な大海上の表面には浮いていない。

 もっともっと、それこそ彼らの深海都市がある付近にまで潜らなければ引っかからないだろう。

 トレトマンは名前や彼女の外見的特徴からの検索をいったん中止する。

 もっと、気になる個所があるからだ。

(普通の行方不明者なら、根気よくリストを潰して行けばいつか探し出せるだろう)

 大量の情報を系統立てて整理するのは、科学者であり医者でもあるトレトマンにはある意味、得意分野だ。

(しかし、普通でなかった場合……)

 面倒以上の問題が付随するだろう、とトレトマンは言葉にはせず胸中で苦い思いを噛みしめる。

 彼の懸念はそこにあった。

 海里とレックスは純粋に少女の身を案じている。だが彼らよりも長く生きている彼はもっと、別の側面から今回の一件を見ていた。

「ねぇ、トレトマン。気になってたんだけど、あの子の頭に付いているものは何だろう?」

 少女の額に存在する、金属の眼。その奇妙な飾りから何か情報を得られないかとレックスは問うが、もちろんその点もトレトマンはぬかりなく調査をしていた。

 ふむ、と思考を止める。自身の考えを整理する意味もあるので、トレトマンは得た情報を公開する。

「簡単にスキャンしただけだから、あの金属が彼女にどんな影響を与えているのかまではわからん。だが、少なくともあれは表面に貼りついているものではないな。何かの装置が埋めこまれ、頭がい骨の一部を削って脳にまで達している」

「脳って! 大丈夫なの?」

「痛みを感じている様子はない。きちんとした施術で、後処理も完璧だ。かなり高度な医療機関で手術されたのだろう」

「……あの子、病気なのかな?」

「人間の疾患はまだよくわからんが、あんな風に頭を削ってしまうような治療は、わしが主治医なら勧めんよ」

 そこで言葉を切る。トレトマンも少女の額にある奇妙な装置は気になっていた。もっと詳しく調べたかったが、脳に直結しているような部品を分解するわけにもいかず、手をこまねいているのが現実だった。

 簡単に内部形状を調べてわかったのは、何らかの受信機のような役割を持っているということ。

 外部からの刺激を脳に伝達する機械、それがトレトマンの見解だった。

 何を与え、それが幼い少女にどんな影響をもたらすのか。

 何者がこんな狂気じみた装置を埋めこんだのか。

 考えるだけで気が重くなってくる。

 影のように後をついてくるような不安感を覚え、トレトマンは少女から視線を外した。

 少女、アルトゥンは、相変わらず海里に問いかけられても無心の眼差しで見つめ返すだけだった。

「面倒な事になってきたな。彼女の正体も謎だが、このままわしらと一緒にいるわけにもいかん」

「マイキ達に相談してみようよ」

「駄目だ」

 レックスの提案を、トレトマンは瞬時に却下宣言する。

「わしも通常の迷子なら、お嬢さんを頼るところだ。だがこれはどうにも、違う気がする」

「違うって……」

「わしは勘なんて言い方は好かんが、彼女の出現は、どうにも……仕組まれているようでな」

「仕組まれたって、もしかしてトレトマンは、あの子が僕達の前に、わざと放り出されたって言うの?」

 トレトマンは若い仲間から視線を外す。すでに日は落ち、広場には闇が落ちていた。夜目のきく機械知性体にとって、闇は必ずしも不便なものではない。

 それでも頼りなさを覚えるところは、人も機械知性体も変わらなかった。

「大雨の日に、道路の真ん中に倒れていたと言ったな。一般的な車両なら……運転手が人間なら、雨の中、視界の悪さに彼女を視認できずにそのまま轢いてしまった可能性が高い。機械知性体のレックスやトラストだから発見できた。そうも考えられる」

 海岸沿いの道路など、雨で波も高い日にわざわざ通ろうという人間は少ない。

 トレトマンの指摘に、レックスは今さらながら不安そうにあたりを落ち着かなく見回す。

「あの……何か、不安になってきたんだけど……」

「かといって、今さら放り出すわけにもいかんだろう」

 面倒な事になってしまった、とトレトマンは同じ事をもう一度漏らした。


【はじまりの予感 終】


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

これは4巻収録分。

https://mutsugami123zero.booth.pm/

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