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手と手紙、旅立ちにて①「迷ったら、トシオに頼れ」

   手と手紙、旅立ちにて



「えっ……シン兄、行っちゃうの?」

 そうだ、と海里は短く応えた。

 恐慌状態に陥った者たちが押し寄せてから二日。そのまま沖原家に泊りこんでいた海里は朝になって起きて来たマイキに向かってそう告げた。

 彼の前に回りこみ、どうして、とたずねてくる少年の目はまっすぐに海里と視線を合わせてくる。

「防衛軍の本部へ行って、トレトマンたちと合流する必要がある」

 ディスからもたらされた情報をトレトマンに送ったところ、彼からこちらへ来るようにという返信がきた。なるべく早く、シリウスと共にオーストラリアにいるトレトマンたちと合流し、次の行動を起こさなければならない。

 まずはフレイヤを探す。それがトレトマンの結論だった。

「フレイヤを見つけさえすれば、自動的にハルの行方もつかめるはずだ」

 根拠の説明はなかった。トレトマン自身も方針をこうと決めただけで、その先はまだ思案中なのだろう。

 とにかく動き出す必要に迫られているのは確かだった。

 実際問題、事態はひっ迫してきている。結晶病罹患者の増大、世界各国で人心の不安からクーデターが起こり、人道危機のレベルが跳ね上がっている。地域によっては数百万単位の人間が、食料や医療品不足で飢餓状態に陥っていた。

 もうひとつ、単純に海里が日本に居づらくなったという、どうにもならない理由もあったが。

 ひとまず二日前の襲撃以降、周囲では特に目立った動きはない。あきらめたと考えるのは時期尚早だったが、家族の安全に関しては家長のタカフミがいますぐ戦争を始めそうなほどはりきっている。場合によっては引っ越しも視野に入れているらしい。それに、そもそもの元凶である海里が居続ける方が問題だろう。

 無言でマイキが海里の手を取る。

 視線をやってたずねても、少年は何も答えない。早朝の日差しがリビングに射しこみ、よく晴れた空が今日も暑くなることを宣言している。

 海里は真正面からマイキと向き合う。少し不安げな眼差しに対し、人間のようにうまく笑って相手の精神を安定させることができない自身が歯がゆかった。

「マイキは、連れて行けない」

 静かに、だが訊き間違えないようにはっきり告げる。

 なぜどうして、とつめ寄るマイキに海里はかぶりを振る。

「ここにいてくれ」

 やりきれない気持ちが胸中に重く沈む。どうしてもっとうまく説明できないのだろうか。トレトマンのように理路整然と私情をはさまず相手を納得させるような話術と語彙が欲しかった。

 決して邪魔だと邪険に扱うわけではないと伝えたかったが、泣き出す寸前のような、いっそ何も考えていないような表情で呆けてしまった少年を前に、海里は逆に何も言えなくなる。

 本当にこの選択でよかったのか。いまからでも取り消して、一緒に行ってくれと手を取った方がよかったのでは。 海里の決心など、水面に浮かぶ空き缶よりもたやすく揺れ動いてしまう。だが機械知性体である彼は、身体の構成素材が変わろうとも相変わらず微細な感情表現を表に出す行為は苦手だった。傍から見れば、鋼鉄の身体にふさわしい鉄仮面でしかない。

「……僕は平気だよ」

 ややあってから、マイキはまっすぐ迷いのない眼差しを向け、そう告げてくれる。

 俺は平気じゃない。反射的に口をついて出そうになった言葉をマイキの笑顔が押しとどめた。

「僕、シン兄のそういうところ好きだよ」

 海里はようやく、本当に少しだけだが笑った。どうにもぎこちなく、情けない笑みだったが。



 日本防衛の要に会いに行くぞ、と銀雪が上官に引っ張られてたどりついたのは、ファミリー向けレストランの奥まったボックス席だった。

 真夏の昼時とあって、店内は涼を求める親子連れが多い。そういえば世間は夏休みだったな、と銀雪は目の前でドリンクを盛大にぶちまけて謝罪もなく逃走する子供の群れを見て息を吐く。

 広がったメロンソーダの水たまりを避けて着席すると、テーブルをはさんで向かいに座っていた男が会釈する。どう名乗るべきか一瞬、考えて間があき、その隙に男は隣の上官、久檀に半眼を向ける。

「やっと出てきたのか。いや、いっそ、もっと閉じこめられていればよかったのにな」

 その方が世間のためだ、と男は何ら悪びれた様子もなく言いきり、コーヒーをすすっている。白髪混じりの頭に眼鏡、量産品の個性のない服装。冴えない中年男性という形容詞がぴったりの男だ。

 そんな男の毒気を上官は笑いで吹き飛ばす。

「正解だ。俺が出張るってことは、平和な世間様が乱れるときだからな」

 上官である久檀は、席に着くなりメニューを手に取る。そして限定夏野菜フェアーに視線を走らせながら、雑に冴えない男と銀雪を紹介してくれた。

「こいつは俺の同期、狭山トシオだ。トシオ、こいつは俺の部下の銀雪。使える男だぞ」

 とんでもなくざっくりとした説明だったが、狭山の方は慣れているのか、特に自分から経歴などを付け加える様子もない。銀雪にわかったのは、相手の名前と、どうやら同じ自衛官らしいということだけ。

 おまえも食え、とメニューを渡された銀雪は、適当に目についた夏野菜カレーに決めて、久檀の料理と一緒に注文する。

 店員が注文を繰り返して立ち去った途端、久檀は自分の頼んだネギトロ丼が来る前に机上にタブレットと書類の束を広げてしまう。

「じゃあ、始めるか」

 そこからは、銀雪が口をはさむ隙のない舌戦が展開される。結晶病の蔓延により、これから日本に起こるであろう暴動、災害。想定される被害、避難経路や指示系統の構築。各自治体の食料、医薬品の備蓄程度。

 料理が届けられてもかまわず話し続けているので、銀雪が慌てて書類を脇によけて場所をあける。つかんだ書類の束に持ち出し複写厳禁と書かれていて冷や汗が出た。間違ってもカレーの汁など飛ばしてはならないとあせったが、久檀の方はそれらを下敷きに丼を食べている始末。

 タブレットに表示されている組織図は自衛隊の枠を飛び越え、各省庁のトップから末端の窓口係まで並んでいる。どんな家系図よりも複雑で、細かな情報があった。

 銀雪にはわからない固有名詞や大量の役職名などが次々と出てくるが、狭山はその一人ひとりに詳細なコメントを付けた。こいつは融通が効かないから、こっちから話しを通せだの、聞いているだけでめまいがしそうな量の情報をよどみなく口にする。

 しかし狭山は特にメモなどは持っていない。それでも問いかけにはしっかりと答え、考える間はあっても悩むそぶりはまるでなかった。

 料理が片付き、それからドリンクバーでねばること二時間弱で日本防衛マニュアルの草稿は完成してしまう。

 店内は昼を過ぎても暑気から逃れようとしてきた人であふれていたが、その誰もが特に仕切りもないボックス席の一角で、日本の生き残りを決める会議が行われていたなど気づきもしなかった。

 とはいえ、久檀たちが作っていたのはいわゆる裏マニュアルだ。不測の事態の、さらに異常な状況に備えたものであり、実際の現場でこれらを正式な作戦として立案運用すれば正気を疑われるような内容だった。

 これらの作戦を一言で表せば、日本以外は関係ない、とにかく生き残れ、だろう。

 久檀はタブレットの表面を指先で叩く。

「まあ、こいつの出番はない方がいいんだろうが……恐らく、近いうちにどうしようもない混乱が起きるはずだ」

 起こって欲しくはねえけど、とつぶやく表情は笑っていたが。

 会議終了後、狭山とはレストランの出入り口で右と左に別れた。久檀たちは駐屯地へ戻るため、徒歩五分の最寄り駅へと向かって歩く。狭山は自家用車で来ていたが、送ってもらうのは遠慮してある。

「……混乱、ですか。隊長はその、本当にあんなことが起こると考えているのですか?」

「ああ。俺の予想じゃあ、これから人類の三割が死ぬ」

 久檀の考えた被害予測は凄惨を極めていた。近い将来、結晶病は何らかの手段で感染爆発を引き起こす。混乱による暴動、生産活動の停滞、ライフラインの寸断。それらが世界中、一時に起こる。

 そして最終的に、人類は多くの同胞を失う形になるだろう、と。

「ちなみに、三割ってのは最低だ。半分が失われてもおかしくはねえな」

 世界人口は百億に届こうとしている。そのうちの半分、つまり銀雪と久檀のどちらか一方が死ぬ。そんなことを来週のゴミ出し予定を決めるような気安さで口にする男を見ていると、上官でありその性質を知っていなければ騒乱罪で突き出したい衝動にかられる。

「被害を抑止し、踏みとどまる、なんて甘いこと言ってらんねぇぞ。恐らく、俺たちは選択を迫られる。全員を助けようなんて考えている間に、全員が死んじまう。だからとにかく、生き残れそうなヤツだけ助けるんだ」

 命の取捨選択。その判断をたかが自衛隊員である自身が迫られる。そんな状況を想像しただけで銀雪は胃のあたりが冷えてくるのを感じた。夕方だというのに昼間と変わらない灼熱が背を焼いたが、いまは流れる汗も冷たい。

 久檀は足の鈍った銀雪を置いて、さっさと改札の向こうへ行ってしまう。小走りになって追いかけた彼を、時刻表を眺めていた久檀が肩越しに振り返った。

「迷ったら、トシオに頼れ」

 追いついた銀雪は呆けてまた足を止めてしまう。久檀の方は、目的の電車が来るホームの方向を見定めて歩き出した。

 狭山トシオ。久檀コウヘイの同期であり、現在は自衛隊地方協力本部の本部長を勤めている。階級は将補で、これは久檀の陸佐よりも格段に上位にあたる。

 確かに知識量は半端なかったが、冴えない風貌の男には久檀のような妙なカリスマ性は感じられなかった。所属は違えど上官としての敬意はあるが、頼れと言われて素直に狭山の指示に従えるかと言われるとまた別問題になる。

 ホームに立ち、久檀は銀雪の逡巡を見抜いたのか、話しを続ける。

「あいつは、とんでもないヤツだぞ。冴えない本部長ってあなどっていたやつらは大抵、気づかないうちに手玉に取られてるからな」

 すでに狭山をあなどっていた銀雪は言葉をつまらせる。

「あいつは俺みたいに妙なことをやらかして人をけむにまくような真似はしねえ。とにかく誠実に正確にがモットーだ。面白味のねえやり方に思えるだろうが、災害時の異常事態の中、ヤツの普通は逆に空恐ろしく思えるぞ」

 普通、常態の感覚。それらを持ち続けることがいかに困難かを銀雪は知っている。初めての災害派遣で目の当たりにした、悲惨という言葉すら生ぬるい情景は生涯忘れられないだろう。

 被災者の遺体を運んでいる最中、彼の胸中にあったのは死者への鎮魂や多くの死体を目の当たりにした恐怖ではなく、腕が千切れたら困るな、だった。

 あの状況下で、冷静というよりも座学のように物事を考えられるということは、それだけで驚嘆する能力だ。

「あいつは状況をボードゲームみてえに俯瞰して情報を分析し、適切に駒を動かすんだ。人命が万単位で失われても、やつにとってはデータのひとつで処理されちまう。そんな精緻な作戦を支えているのが、やつの頭脳だよ」

 久檀は指先で自身の頭を突く。

「よくあれだけの情報を暗記してるって思ってるだろ。あいつの頭の中は、書庫かってくらい知識がつめこまれてんだ。一度見聞きしたことは、どんなささいなものでも瞬時に記憶して、一生忘れねぇんだ。便利なんだか不便なんだかわかんねえ体質だよ。しかも、そのつめこんだ知識を実際の現場に即座に転用できる。やつは、目の前で仲間の頭が吹き飛んでも、損害一で数えられる。戦場と日常の切り替えが即座にできちまうんだ」

 日本の自衛隊は専守防衛が基本戦略になる。防衛上の必要があっても相手国に対して先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において、軍事力ではなく、あくまで防衛力をもって撃退する。

 それでも、戦いは戦い。

 方針故に、自衛官は弾丸飛び交う戦場ではなく、災害時の市街で民間人が瓦礫の中で悲鳴を上げている間を駆け抜ける必要がある。それはある意味、敵を殺して拠点を奪うよりも強い忍耐と技量が必要になってしまう戦場だった。

「情報が錯綜する現場で様々な状況判断をするにはあいつの頭が必要になるんだ。正規の指揮系統から外れるのはわかってるけどよ、保険なんて用意しておくことに意味があるんだ」

 ホームに電車の侵入を伝えるベルが鳴り響く。人々のざわめきと駅員の声が耳に届いた。

「日本を防衛するぞ」

 いつも通り、何の気負いもない言葉だ。

「世界を守るとか言ってみたかったけどよ、そんな大それたことは、まずこの島国を守りきって余裕があったら考えることにしようぜ」

 ホームに電車が滑りこみ、まき起こった風は暑気と電車の熱が混じってひどく熱かった。



冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

こちらは7巻収録分です。

https://mutsugami123zero.booth.pm

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「六神屋」でイベントに出てます。

関西コミティア、文学フリマに出没します。

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