弱者の正義⑦「そんなことをして何の意味がある。彼女はおまえたちと同じ人間なんだぞ」
烏守市に出現した鋼鉄の巨人の一件は、夕方にはひとまずの収束を見た。
とはいえ、報道される新規の情報が少なくなっただけで、事態はいまも動いているのだろう。
ユキヒは帰って来ない弟に一抹の不安を覚える。同時に、海里たちが側にいれば、無理に帰宅しようと動くより安全なことも理解していた。
「問題は、こっちよね……」
真夏とあって、日が暮れるのは遅い。それでも七時を過ぎたのでユキヒは二階の自室を出て他の部屋のカーテンを閉めて回り、照明をつけようと窓際に近寄る。
眼下に集まる小さな集団を見つけ、反射的に窓から離れる。父親ほどの年齢の男たちが三名ほど、眉間にしわを寄せて話していた。
彼らの一人がこちらを見上げて来た、ように思えたのだ。
ユキヒは背筋を冷たいものがはい上って来るような不安に、照明はつけずに再び二階へ戻り、自室の窓から外の様子をうかがう。
沖原家を取り囲むようにして、いくつか同じような集団が見受けられた。
(なに、何なの……)
焦燥に肌が泡立つ。特に気にするような問題ではないのかもしれない。朝の事件のせいで過敏になり情報交換のために立ち話をしているだけと思う方が自然だ。
だが、彼らの嫌悪感のにじみ出る表情に、何か言いようのない畏怖を覚えた。
集団の中には近所の主婦もいた。うわさ好きの彼女なら、彼らが何の話をしているのかを詳細に、かつ過剰に説明してくれるだろうがいま玄関を開けて井戸端会議に混ざるには彼らの空気は少しばかり重く見えた。
気にしすぎだ、ユキヒは頭を振る。
誰も、海里たちと自分たちをつなげて考えるような真似はしないだろう。
ユキヒもネットニュースのリンクをたどるうちに、海里の同期接続した姿を撮影したサイトを見つけた。歌姫殺害、市街の破壊、いくつかの考察はあったがどれも矛盾と穴だらけ。とにかく陰謀説を繰り返す書き方は読み手の不快感をあおり、たとえ海里や機械知性体の存在を知らなくとも信じるに足る内容ではなかった。
だが、記事内にはひとつだけ、不穏なものがあった。
ロボットの仲間が、日本の某都市に潜入している。
最新の更新で、その姿をとらえたとあった。
次のリンク先を押すと、表示された画像の中にいたのは、間違いなく人間の形態を取った海里だった。
埠頭に立つ男性。
かなり遠くからの撮影だったので、拡大された顔は表情がぼやけていた。特徴的にはどこにでもいる平均的な日本人の若者にしか見えないだろう。
それでも海里を実際に近くで見た者なら、もしかすると、と気がつく可能性はある。
画像の青年が近頃、沖原家に出入りしていることも。
「……お父さん、こんなときにいないなんて」
タカフミは日本の友人に会って来る、といって午前中からいない。一応、夕食は自宅で食べるつもりらしいので、そろそろ帰って来るだろう。
もう少し早く周辺の様子に気がついていれば、と悔やむ。せめてマイキから電話があった時点でこちらから迎えに行くといって出かけていればよかった。電話を切ったあとで烏守市の事件が気になり、自室で様々なネットニュースを読み、事態の推移に危惧を覚えて立ち上がったときにはこの状態。さすがに何食わぬ顔で出ていくことはできない。
ユキヒがなおも自分の行動に後悔の念を募らせていたとき、玄関のチャイムが屋内に鳴り響く。
いつも通りのはずなのに、奇妙に大きく聞こえたチャイムにユキヒの肩が跳ねる。ひとつ息を吐くと、ユキヒは階段を下りて壁に設置された画面から玄関のカメラの映像を見る。
カメラの映像には、壮年の男性が中の様子をうかがうようにしていた。やがて二度目のチャイムのスイッチを押して、その顔がカメラの方を向き、笑った。どこか取り繕うような笑顔に、ユキヒは寒気を覚えて後ずさる。口元を押さえ、どうにか声は出さないように努めた。このカメラはチャイムと同時に外のマイクが繋がるので、ここでユキヒが叫べば向こうに音声が筒抜けになる。
カメラに見える限り、男の背後にもう二人ほど人影が見える。少しこもった声で「留守か」「いないみたいだ」とやり取りする声が聞こえた。
ユキヒは息を吐く。このまま居留守を使い、少なくともタカフミが帰って来るまで静かにしていればやり過ごせるかもしれない。父親が出てくると、別件でややこしくなりそうだが、ひとりで懊悩しているよりはましだ。
ざわめく男性の中に、女性の声が混じった。
「え、でもユキちゃん昼間に会いましたよ。夕食にはお父さんが好きな野菜餃子作るって言ってましたし」
何の罪悪感もない軽い声にユキヒは打ちのめされる。例のうわさ好き主婦の声だ。
確かに買い物帰りに声をかけられた。好奇心と詮索好きな彼女に袋の中身を聞かれ、当たり障りなく答えて帰宅した。彼女とのこうしたやり取りはいつものことなので、ユキヒも適当に流すようにしていた。
「やっぱりいるんじゃないか」「居留守か!」
男たちの声のトーンが上がる。三度、四度とチャイムが連続で押され、それでも反応がないとなると門扉を叩きはじめた。
ユキヒは慌てふためいた。玄関の鍵はかかっているので踏みこまれる恐れはない。
息を吐いたそのとき、
「リビングの窓、開けっ放しだわ」
掃き出し窓を網戸にし、一応、防犯用のロックはかけてあるが蹴りのひとつも入れて網を破ってしまえばたやすく侵入できる。
せめてガラス戸を閉じなければ、そう思い動いたユキヒは、掃き出し窓の向こうにある生垣からこちらをのぞいていた男と目が合った。
互いに驚き、目を見開いたが、ユキヒが立ち直るよりも速く男が叫んだ。
「おい、やっぱりいるぞ!」
ユキヒは肩で息をした。蚊の鳴くような声が口からこぼれ出て、自分でも何を言っているのかわからなかった。
それでもどうにかして窓を閉めて走り、外からはのぞけない位置に身をひそめる。五度目のチャイムに頭を抱えてしゃがみこんだ。
わぁ、と周囲からサッカー選手がゴールを決めたような声が上がる。あまりの声量にユキヒは頭を抱えた。
どれだけ時間が過ぎたのだろうか。不意に、ユキヒはいつまでたってもドアや窓を叩く音が聞こえないことに気がつく。実際にはほんの一二分だったが、立ち上がったユキヒは全身に汗をかくほど緊張していた。
恐る恐る顔を上げて耳をすませると、喧騒が移動していることに気がつく。ゆっくりとした歩みで玄関に近づくにつれ、騒ぎが聞こえてきた。
怒声が何事か叫んでいる。玄関扉に貼りつくようにしてドアスコープから外を見ると、門扉の向こうに人だかりができており、その中心にいる人物を見て息を呑む。
「か、海里さん?」
思わず飛び出そうとしたが、殺気立った空気にユキヒは鍵を開ける手前で躊躇する。だが一呼吸のあと、意を決して玄関を開け放つと野次馬をかきわけて輪の中に突入する。
「海里さんっ!」
彼は男たちにつめ寄られていた。非常に緊迫した状況なのは、張りつめた空気によって肌で感じられた。男たちは海里をにらみつけ、手で小突いたりしている。
海里はまだユキヒの存在に気づいておらず、男たちの視線を避けるようにして道路の一点を見つめていた。
「見ろ、こいつはロボットだ!」
男の甲高い声が鼓膜を震わせる。ユキヒは息を呑んで硬直した。男が何を示し、叫んでいるのか気がついたから。
海里のシャツが裂けて胸元があらわになっている。その下は、赤く脈打つ血肉ではなく、冷たい機械がのぞいていた。野次馬たちの誰もが、口を開けっぱなしにして、または力強く引き結んで黙りこむ。
「そいつは俺たちを襲ったロボットだ。みんなを殺して回るんだ!」
男の言葉は悪性の病原菌のように集団に浸透していく。
「危険な存在なんだ。このままだと俺たちみんな殺されるぞ!」
周囲の空気が凍りつき、ユキヒは肌を焼くような痛みを感じた。最悪な事態になってしまった。恐れていたことが現実化してしまった。
「ちょ、ちょっと、待って」
場を収めようとしたが、歯の間を空気が通るような声しか出ない。
「お願い、話しを……」
海里は確かに人間ではない。
だが人間の敵ではない。
ユキヒはそのことを彼らに伝えようとした。
「てめえ、何か言えよっ!」
男の一人が声を荒げた。どのような流れで海里が傷を負い、内部を露出させるような事態になったのかはわからない。だが周りの者たちは機械の身体を見て、男が妄言を吐いているわけではないことを悟った。そしてついに一線を越えて取り囲み、声を荒げ手を振り上げはじめたのだ。
「黙ってないで何か言えよ! この身体は何なんだ。おまえは、あのロボットの仲間か!」
肯定も否定もしない海里。仲間と言えば同族だが、イノベントとユニオンは思想的な相違で対立している。
そんな細かい事情を話して納得してもらえるような余裕はない。そしてユキヒもまた困惑していた。
男の一人が腕を振り上げた。あっと声を上げる間もなく、海里の頬にこぶしが叩きこまれる。
だが、痛みに声を上げたのは殴った方だった。
「か、かてぇ……こいつ、本当に人間じゃねぇ!」
誰もが殺気立った視線を海里に向けていた。一斉に彼を罵りはじめる。あまりの罵声にユキヒは耳をふさぎたくなったが、震える足を叱咤して踏みとどまる。糾弾の矢面に立たされているのは海里であって自分ではない。彼女は周囲を見回して、マイキの姿がないのを見て息を吐く。
海里は恐らく、自分のために戻って来たのだ。
罵声の羅列を聞いているだけで涙が出そうなほど怖かったが、単語を拾い集めると、ここに集まっているのはイノベントによって、家族や住む場所を失った者たちらしい。つもりつもった様々な感情はわかりやすいはけ口を求め、海里に向かって殺到する。
何も言わない海里を、先ほど殴った男が仕返しとばかりに蹴りを入れた。それでも揺らがないとなると、後ろにいた男が体当たりをする。わずかに身体が傾いたところを狙って三人がかりで膝をつかされた。そこによってたかって蹴りが入り、殴る蹴る踏みつけるといった暴行が加えられる。
これは私刑だ。
いや、単なる憂さ晴らしにすぎない。
「やめ、やめてぇっ!」
ユキヒはとっさに男の一人にしがみつく。
「うるさい! 邪魔をするな!」
突き飛ばされて尻もちをつく。そこに別の者がユキヒを指さしてわめいた。
「いつもこいつと一緒にいた女だ。この女もロボットかもしれない」
ざわり、と男たちの間でユキヒを見る目が変わる。不意に、彼女の周囲の気温が下がった。気のせいだろうが、確かにユキヒはそう感じた。気づけば、見知った顔と知らない顔が声もなく彼女を囲む。異質な沈黙の重みに耐えかねたユキヒは息をつまらせる。ゆっくりと、何かが壊れる音を彼女は耳にし、立ち上がることができなかった。
男たちはさざ波のように言い合う。
「だからこいつをかばうのか」
「そうだ、仲間に違いない」
腰を打った痛みに瞳をうるませていたユキヒは、彼らの言葉に身を切り裂かれる思いだった。
「違う、私は……」
黙れ、と男がユキヒの頭を叩く。
聞く耳もたないとはこのことだ。助けを求めて視線を走らせたが、彼女の居留守を指摘した主婦が背を向けて逃げていくのが見えただけ。
そんなものだろう、とユキヒは奇妙に冴えた頭で納得する。周囲の窓やドアの隙間から、こちらの様子をうかがう気配は感じたが、誰も彼女に手を差し伸べようとはしない。
当然だ、こんなふうに頭に血が上ってしまった集団の前に立ちはだかるのは無謀だ。ユキヒは海里が理不尽な暴力にさらされるのが我慢できずに飛び出してしまったが、他人にそんな義理はない。
何もできはしなかったが、それでもユキヒは目尻にたまった涙をぬぐい、眼鏡をかけ直す。
そうしてまっすぐに男のひとりに視線を合わせてにらみつけた。さらに怒りを買う恐れはあったが、おびえて縮こまっていても誰も助けてはくれないのだ。
と、男はユキヒの眼差しに視線をそらす。おや、と思い同じように隣の男を見据えると、これもまた同じように顔をそむけた。
不意に、得心がいく。彼らが余裕を失って大挙して来たのは恐れているから。再び自分たちの前に理不尽の権化が現れ、蹂躙されることが怖くなって海里にはけ口を求めているだけなのだ。
おびえきった彼らは、顔をそむけながらも数人でユキヒに迫る。
男たちによって、両手をひねり上げられた。顔をしかめるが、それは痛みだけが原因ではなかった。
(どうして……)
海里はイノベントではない。
戦った。傷ついた。それなのに。
どうしてわかってもらえない。
いや、彼らは知らないのだ。知る機会さえあれば、こんなことにはならなかったはずだ。
女であるユキヒは直接的に殴られたり蹴られたりはしなかったが、海里はひどかった。うずくまる彼を取り囲んだ男たちが好き放題に暴力を加える。最初は遠巻きに見て戸惑っていた者たちも、場の熱狂的な雰囲気にあおられ、自分の降り下ろす拳の熱に浮かされ、無抵抗の海里に対する暴力をエスカレートさせていった。
「やめてぇっ!」
泣きながらユキヒは懇願するが、聞き入れられない。
「黙れ、人殺しの仲間がっ!」
頬にかっと熱が灯った。口内に鉄錆のような吐き気をもよおす味が広がる。殴られたのだ。
足元を見ると、眼鏡が落ちているのが見えた。気がつかないうちに跳ね跳んでいたらしい。
ユキヒの瞳から、透明な滴があとからあとからこぼれ落ちる。じんわりとした熱さが痛みに変わっていくが、身体の苦痛よりもこの理不尽な状況をどうすることもできないもどかしさが胸を突く。
「……何をした……」
血と汗と熱に踊っていた大気が凍りついた。
石のように丸まり、じっとしていた海里が唸るような声を上げたのだ。
笑声を上げていた者たちの顔が引きつけを起こしたように硬直し、息を呑む。足を上げていた者はバランスを崩して尻もちをつく。異様な圧力を覚えた集団は急に迷子になったように視線をさまよわせた。
異常の中心になっている海里は、幽鬼のように立ち上がる。
この動作だけで彼を取り囲んでいた者たちは慌てて後退し、後ろの輪にいた者にぶつかってしまう。
海里の両の瞳は炯々と輝き、あたりを睥睨する。私刑に加わっていた者たちだけでなく、野次馬まで気押されたように押し黙った。
そこにいたのは、無抵抗に殴られ続けた青年ではなかった。もっと別種の、自分たちとは相容れない何かがそこにいる。
「海里……さん?」
ユキヒはつかまれていた腕の力が緩んだすきに振り払う。頬を押さえながら、震える声で海里に呼びかける。だが手を伸ばして触れるのはためらわれた。触れた途端、電気が走りそうなほど彼の意識が張りつめているのがわかったからだ。
そこで緊張の糸が千切れてしまったのか、男の一人が海里に向かって殴りかかった。虚勢を張っている相手に先手を打ったつもりだったのだろう。あるいは再び暴力に訴えて黙らせようと思ったのか。
しかし海里は威勢のあるふりをしているわけではなかった。初めから軌跡がわかっていたかのようにこぶしを軽やかによける。
海里はたたらを踏んで無様に転がった男には目もくれず、次の行動が取れずに横並びになっている者たちを一瞥した。発した声は、集団の中へと深く静かに浸透する。
「そんなことをして何の意味がある。彼女はおまえたちと同じ人間なんだぞ」
まなじりをつり上げ憤る様に、ユキヒまでも肩を震わせる。普段あまり感情を表に出さず、とつとつとした語り方をする海里がここまで怒りをあらわにするのを初めて見た。強い不満や怒りをさらけ出し、射るように糾弾する眼差しで襲撃者たち全員の顔を眺め渡す。それだけで、半数近くがあからさまに戦意を喪失した。
見かけは二十歳そこそこの、どこにでもいるような青年の一喝に、猛り狂っていた者たちは畏怖に喉を震わせた。
彼らはようやく、眼前の存在からのぞく違和感に気がついたのだ。
ここにいるのは人間ではない。もっと別種の何かだと。
怒りに表情をゆがめる海里が一歩踏み出す。集団から小さな悲鳴がいくつも上がった。
「なぜだ、同じ人間同士だろう。よってたかって傷つけて、おまえたちに痛みはないのか」
機械知性体にも痛覚はある。だがそれは人間とは大きく異なっている。だから海里はユキヒの痛みを理解できない。
わからないから、彼女がどれほどの苦痛に耐えているのか想像することしかできず、恐怖と焦燥を覚え、黙って足蹴にされている状況を壊したのだ。
そして自分が動かなかったことで、結果としてユキヒを傷つけてしまったことを恥じた。これでは何のためにここまでやって来たのかわからない。
海里の中に暴力的な怒りが満ち、あふれ出しそうになる。感情の堤防が決壊寸前だった。
「おお、修羅場だねぇ」
特ダネだ、と上がった軽い声に、何人かが振り返る。人波を割って入って来たのは小型のハンディカメラをかまえた男だ。脱色した長めの髪にへらへらと笑う顔は、声と同じ軽薄そうな印象を振りまく。
第三者の登場に場が一気に混乱する。誰もが先ほどの勢いと怒りを失い、向けられるカメラのレンズから遠ざかるように視線をさまよわせる。
「あ、自分はフリーライターの秋庭っていいます」
近くにいた男に名刺を手渡し、秋庭と名乗った男は人波を割って堂々と海里の前に立つ。
「混乱が見せる人心の荒廃。やーいい絵面ですね、今日の地元のひとコマとしてどこの局に売ろうかな」
にかっと笑い、ささ続きをどうぞ、と男たちにうながすが、この状況下で海里を再び踏みつけるような猛者はいなかった。
集団心理というものは、暴走するとやっかいだが一度崩れてしまうと人は一気に冷静になり、我に返る。中にはまだ暴言を吐いている者もいたが、自分がカメラにズームされていることに気がつくと、訴えてやるぞ、と捨て台詞を吐きながら立ち去った。
「はっはー。こちとらそんな枠にはめたようなセリフは聞きあきてんだよ。弁護士もいいけどネタくれよ」
手近にいた者たちに名刺をババ抜きのように突き出すが、誰も受け取らずに踵を返す。全員がいなくなったことを確認すると、秋庭はカメラをしまって振り返った。
「あんたが海里シンタロウかい」
手を差し伸べられたが、海里は秋庭に無言で疑惑の混ざった眼差しを向ける。
「俺は秋庭マサオミ。今日は……」
「ユ、キ、ヒぃぃぃぃぃぃ!」
秋庭の自己紹介をさえぎる絶叫が通りの向こうから響き、叫びながら走って来る男の姿にユキヒは目を丸くした。
「あ、お父さん」
「ユキヒ! 無事か、いや無事じゃないだろ! 助けに入らなかった父を許すな。殴れ、殴ってくれっ!」
泣きわめきながら娘にすがりつくタカフミにユキヒはどうしたものかと戸惑う。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている父親をまさか本当に殴るわけにもいかない。それにこの状況にも色々たずねたいことがある。
だがタカフミは自分こそ殴られたように泣きわめき、地団太を踏んで暴れて手がつけられない。
「父さんは、父さんは本当はあいつら全員を八つ裂きにしたかったんだ。けど、秋庭が止めるから仕方なく……」
「……八つ裂きは、まずいと思うわ」
それでも親馬鹿を通り越して馬鹿親のタカフミが、愛する娘が殴られている様によく踏みとどまったものだとユキヒは感心する。訊けば彼らが現場に到着したのは終盤戦で、状況を理解してどう飛びこむか算段を付けている間にユキヒが殴られたらしい。
「やー、だって放り出したらタカフミさん、あいつらを殺しかねなかったし」
「殺す……今度会ったら絶対に殺す……」
怒りと自責に身体を震わせて顔を紅潮させているタカフミを見て、ユキヒも幾分か冷静さを取り戻す。
「お父さん、過剰な暴力はダメよ。目には目を、くらいにしといてね」
とりあえずここで押さえておかなければ、いまからでも追撃しかねないのでユキヒは父の手綱を引っ張る。
「わかった。父の拳が壊れても、俺はユキヒの無念を晴らしてみせるからな」
あまりわかっていない様子だったが、ひとまず走り出すのは止められた。
ユキヒは胸中の空気を全部吐き出すほどの息を吐くと、まずは上がってください、といって秋庭をうながす。
海里はユキヒの眼鏡を拾って手渡してくれたが、その表情は重かった。
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