弱者の正義③「てめえ、この事態も全部わかってたのかよ」
その巨大な存在は、荒れ狂う波浪に翻弄されながらも自らの身体をある水域へ運ぼうとしていた。
台風のもたらす激しいうねりと、十メートルを越える高波が崩れる瞬間の渦をまくような水の動きは普段なら何の支障もないが、いまは違っていた。
巨体は一部が損傷していた。
全体的な質量から見ればわずかな欠落だったが、それは致命的な破壊だった。
巨体は指示されていた方向に向かっていたはずだったが方向は大きくずれていた。外洋の周回コースを外れていつの間にか陸地へ向かっている。水深が徐々に浅くなっていたが、センサーが陸地が近づいていることを捉えても、それを伝達する回路が失われていたのだ。
岸へ岸へと押し寄せるうねりは、ある方向へ向かっていた。その先は、海面から十メートルあまりの高さでそそり立っている防波堤だった。おびただしい量の海水が防波堤の切れ間から浜に向かって流れこみ、あるいは壁にぶつかって轟音としぶきをまきちらしている。
巨体は潮の流れに乗って吸いこまれるようにして防波堤の切れ目から湾内へと侵入する。だが荒れ狂う波にもまれた巨体はバランスを崩し、肩部が防波堤に激突してしまう。船舶並の質量の衝突に堤防が震える。だが崩れはしなかった。巨体の四肢は力なくたれ、何度も堤防にぶつかった。押し寄せる水の力で不自然に漂い衝突を繰り返していたが、やがてわずかに残っていた姿勢制御システムが再起動を計る。ゆっくりと足が曲がり、海底を踏んだ。
巨体が波間を割って頭部が露出する。丸い頭部にはぐるりと周回する単眼があった。赤い眼が周囲を見渡す。細い首が蛇のようにうごめき周辺の探査を開始する。
巨体はようやく、本来の周回軌道から大きく外れ、どこかの海岸沿いに漂着したことを理解した。位置情報の再確認、そして本来の軌道へ戻るための最適なルートを計算する。
だが、センサー類の故障した巨体は、外洋に向かって引き返すのではなく陸地へ向かって歩を進めてしまう。
巨体の出した最短ルートは、背後の海に戻ることではなく、前進し陸地を横断する方法だった。
ディスはゆっくりと目を開けた。
本来、機械の身体は角膜を乾燥や光から保護する必要はないのでこの動作も無用だったが、人間を観察し、身体を何度も改修する間に機能のひとつとして採用している。
そして音のした方に顔を向ける動きも、本来は不必要な動作だが、これも繰り返すうちに挙動パターンのひとつに組みこんでいた。
接近に対し待機していると、廊下の向こうから存在を隠そうともしない足音が近づき、罵声と同時に扉が開く。
「っおい、あれはてめえが呼んだのか?」
即座にディスが否定すると、久檀は何かを言いかけたがひとつ息を吐いてから机をはさんで彼の真正面にある椅子に腰かける。
古く座面の一部が破れたパイプ椅子を音を出して揺らし、久檀はディスをねめつけた。
「内容も聞かずに否定したってことは、何が来たのかてめえはわかってんだな」
「人型の巨大な機械存在。我々がゴーストと呼称している機動兵器だ」
すらすらと語る硬質な声に、久檀は大きく息を吐いてわずかに力を抜く。
「……午前六時八分、烏守市にある烏守消防署大見分署から救援要請が入った。烏守港内に巨人が現れ港湾施設や船舶を破壊しながら上陸、市街地へ向けて進行しているとのことだ」
その日は台風明けの日曜日ということもあって漁は休みだった。港には前夜の台風の影響を確認しに来た漁師と釣り人が少数いたが、彼らは全員防波堤の影から現れた巨体を前に呆然としていた。
丸い頭部、二本の腕。下半身は海面下にあるが、人に近いシルエットと、そのあまりの巨大さにスケール感を失った者たちは、まるで自分たちが異世界に放りこまれてしまった錯覚に陥り思考停止してしまう。
だが巨体がゆっくりと動き出し、その挙動で港内に大きな波が立ち係留されていた船が岸壁に打ちつけられる音に我に返った。
通報しろ、と叫び港湾施設内の電話に飛びつく者、乗ってきた軽トラックを駆ってすぐ隣の消防署へ走る者、ただ逃げる者、自分の船を動かそうとするが、入り江の出入り口は巨人が立ちふさがっていることに気づいて歯がみする者と動きはばらばらだったがどうにか最寄りの警察に連絡が入った。
とはいえ、その場に駆けつけた警官隊と消防隊の面々も同じような反応で、呆然と巨人を見上げているだけ。
彼らは何もしなかったわけではない、いま手元にある拳銃や放水設備では何の役にも立たないことを即座に理解したからだ。
警官隊は港湾施設内に残っていた市民の誘導を最優先に行い、ひとりが無線に向かって叫ぶ。
「機動隊を! 陸自の出動も要請してください!」
消防隊も同じく市民を誘導し、烏守市の消防団へ協力を呼びかける。本来の消防団の活動範囲からは外れていたが、誰もがすでにそんな平常業務の枠を飛び越えた事態に陥っていると痛感していた。
年明けに隣市の千鳥ヶ丘市で起こった巨人の襲撃、そして空港での爆発。新型感染症。心理的な警戒レベルが跳ね上がっていたところで再び現れた巨人を前に、出動した警察官や消防隊員が恐慌をきたさないでいられたのは、ただの意地だった。
「早く、早く陸自を……いや、空自に海自もだ! あんなやつ……戦車か巡航ミサイルでも使うしかない!」
地を震わす鈍い音がして、車両内の無線に貼りついていた警官が港の方を振りあおぐ。巨体が海中から脱し、埠頭に足を踏み出していた。細長い二本の脚がコンクリートをしっかりとつかみ、後肢にあたるもう二本の脚が全身を持ち上げる。四足の巨人の自重でアスファルトに蜘蛛の巣状の亀裂が走り、流れ落ちた海水が雨となって降り注ぐ。
台風の名残の灰色をした雲の塊が上空を吹き抜ける風に乗って勢いよく流された。雲が切れて急に日が射し、金属の巨体が陽光の下にさらされる。
ゴースト。場にいる人間はその名称を知らない。
丸い頭部の単眼は落ち着きなく動き、細く長い四本の脚がしっかりと地面をかんでいる。
ゴーストはぐるりと周囲を見渡すと、身体から流れ落ちる海水が途切れる前に歩き出す。四本の脚を器用に動かし、鉄の塊とは思えない速度で巨体にとっては狭すぎる道路を進みはじめた。
ゴーストを目撃した市民から警察への通報は瞬く間に百件を越えた。事態を重く見た警察も県警へ通報はしているが、県警本部も市民からの通報が殺到し、状況は不明なままほとんどパニック状態に陥っている。
救急と消防も出動、パトカーも含めて数十台が現場に向かっているが、現場に到着したという続報すらない。
最初の一報から三十分後、状況は不明ながらも事態を重く見た県警本部から機動隊へ出動要請が入る。続いてようやく県庁に集まった職員たちは、朝食が途中だったと文句を言いながら現れた知事に向かって自衛隊の出動を、と壁に追いつめるように押し寄せた。
知事は県庁に来るまでの間に何もニュースを見なかったのか、まだ事態に意識が追いついていない様子だった。まだ寝ぼけているような表情に、ため息とともに全員が知事を放り出し、一人が、誰か自衛隊要請のマニュアル引っ張り出して簡潔明瞭な原稿作れ、と叫んだ。別の一人が、知事がいる横で、もう承認のサインもおまえが書いておけ、と知事を無視して言った。
午前七時、封鎖中の鷹ノ巣山駐屯地でも電話は鳴る。だが駐屯地司令は日替わりの病気を発動し、近頃は執務室の机の下どころか自室のベッドから出てこない。代わりに出た副司令は冷静に用件を聞き、簡単な質問をいくつか受けたあとに電話を切った。
そして、大きな息を吐いて内線をかける。電話の向こうにいた部下に一言。久檀を呼べ、と。
この一言で、電話の向こうの部下はすべてを悟った。
そしてディスにつめ寄った久檀だった。
「で、司令、副司令、他の幹部すっとばして俺にお鉢が回って来たんだ。俺が適任だってよ」
俺、この基地内じゃあ部外者だぞ、と悪態をつくが、その横顔には笑みが浮かんでいる。
久檀は机上に乗り出すとディスとまっすぐに視線を合わせてさらに笑いを深めた。
「俺たちがあのデカブツに勝てる方法を教えろ」
久檀の言葉を、突然の轟音がさえぎった。
音は遠い。だが振動が窓ガラスをかすかに震わせた。話しを止められた久檀の表情も普段の不遜な様子と変わりなかったが、机上に置かれたこぶしに力がこもる。
「手早く、確実にしとめられる方法。もしくは安全におかえりいただく呪文か何かないのかよ」
「あのゴーストはこの周辺の海域を巡回していた個体だ。何らかの障害が発生し、周回コースを外れてしまったのだろう。だが命令に従い、もう一度コースに戻ろうとしている」
「その通り道に街があったから、踏みつぶしてるだけってことかよ」
「恐らく、位置情報の認識がすでに狂っているはずだ。修正情報を流そうにも、受信装置自体が故障している可能性が高い」
「すると、あの巨人は海にも戻せねえから、止めたけりゃぶっ壊すしかねえってことか」
ディスは肯定する。久檀は椅子を蹴って立ち上がると身を乗り出す。
「てめえ、この事態も全部わかってたのかよ」
「予測しただけだ」
呼んだわけではない。同じことを繰り返す。
「以前にこの地域で我々が警戒すべき事態が起こったため、以降、重点的に監視されていた。その監視用の制御機構、もしくはゴースト側の受信装置が破壊されたため、命令を受諾できなくなったゴーストは次の行動が取れなくなった。そして陸地へ上がったところを見ると、磁場探知も狂い位置情報に誤差が生じている。あのゴーストは地上を破壊するために上陸したのではなく、正しいコースへ戻るために進んでいるにすぎない」
「巨人をいますぐ止めろ」
「通常なら機能停止のコードを送れば止まる。だが前述したように、受信装置が故障している可能性が高い。攻撃による停止を考えるなら、まず頭部のメインカメラを壊せば行動に制限ができる。次に胸部の制御ユニットを破壊すれば動力供給が滞り、動きは止まる」
「そんなまどろっこしい真似してられるか。やつはすでに港から市街地へ出ようとしてる、一分だって惜しいんだ。何か、自爆装置的なもんはねえのかよ」
ない、と否定したあと、ディスは沈黙する。だがそのだんまりにいままでと違い、思索する間を見つけた久檀は相手の出方を待つ。
三秒後、ディスは口を開いた。
「自爆装置はないが、ここにはゴーストを破壊できる存在が複数、即時対応できる状態にある」
冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。
こちらは7巻収録分です。
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「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




