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弱者の正義②「……ったく、おまえら、何で人間を滅ぼそうなんて思ったんだよ」

 新型インフルエンザにご注意ください。

 夏の日差しに焼かれたポスターが色を失いかけたころ、事態はようやく表層に現れた。それまでぎりぎりのラインを保っていたコップから水があふれた途端、一気に流れ落ちるように。

 日本のある都市で、激しく咳こんでいた男性が歩道橋の階段から足を踏み外し、転落した。

 危ない、と叫んで駆け寄った者の顔に散ったのは、妙に粘度のある血液と、血に混じった塊。

 三十段ほどの階段から転がり落ちる間に、男の身体は小さくなっていった。広がっていた紙を丸めるようにして、首は身体の中に押しこまれ、腕と足が関節とは違う方向に曲がり、骨が皮膚と肉を突き破って内容物をばらまく。

 コンクリートに叩きつけられた身体は、熟しすぎた果実が枝から落ちたように爆ぜ割れ、甘い果肉の代わりに血と内臓をぶちまけた。

 誰もが動けなかった。道路を走る車だけが奇妙なまでに現実だった。

 流れ出た血が側溝へ落ちるほどの間をあけてから、なぜか離れた場所から悲鳴が上がり、そこで初めて一番近距離で血と内臓と皮膚の混じったものを浴びた者たちが我に返って叫び走り出す。

 狂騒の始まりだった。

 救急車と消防車とパトカーと、ありとあらゆる種類の緊急車両が集まったが、彼らの誰もが困惑する。

 救助すべき対象は死亡があきらかで、犯罪を疑おうにも何をどうすれば被害者をミキサーにかけたような肉塊にできるのかわからない。そして火災は発生していないので、なぜか一緒になって出動した消防車と梯子車は行き場をなくし、無意味に道路をふさいでいた。

 遺体の回収後、封鎖と洗浄が行われたが、情報操作の初動に関してはすでに後手に回っていた。

 携帯端末の普及により、日本人は右手がカメラになっていると揶揄されるほど自然に写真や動画を撮影する。そして、小さな端末に収めたデータをインターネット上にばらまくことに何の躊躇もない。自分の日記をつけるより気軽に送信ボタンを押してしまう。しかも人は刺激的で目新しい情報ほど拡散し共有したがる。こうして現場の凄惨な状況は瞬く間にSNSを駆使して広まり、数時間もたたずに検証サイトができあがった。

 主題は、新型インフルエンザに隠されていた真実。

 結晶病、という名称が日本へばらまかれた。

 情報をまとめたサイトマスターは思いつきで拾い集めた情報の断片を繋げて考えただけなのかもしれないが、サイトを閲覧していた者たちが推論を補足する情報を集め、瞬く間に隙間を埋めて大きな地図を作ってしまう。

 誰かが、海外サイトから結晶病に関する記述を見つけて訳を掲載した。

 誰かが、死亡した日本人男性と同じようにして亡くなった事件を海外サイトから見つけてリンクを繋ぐ。

 感染経路や発生原因について考察をまとめるスレッドもあれば、ひたすら宇宙人説を繰り返すサイトもある。

 殺害された歌姫シャーリー・アレンは宇宙人の先兵。

 歌姫を殺した白と黒のロボットが宇宙人、もしくは彼らが開発した兵器だ。

 中には結晶から歌が聴こえた、結晶病で死んだはずの親類が夢で呼びかけてきた、といったオカルトじみた記事も表層に現れ、一気に混沌の様相を呈しはじめる。

 そこからはもう、爆発大破崩壊、どんな単語も生ぬるいほどの勢いで情報網は日本海外問わずに広まる。

 昼すぎに起こった事件は、夕方のニュースが伝えるよりも先に日本中へ広がっていた。

 ほどなくして考察サイトがひとつの結論を打ち出す。

 日本は、否、世界はいま危機に陥っている。

 人体が結晶化する奇病が人類をむしばんでいるのだ。

 即座にサーバーに規制がかかり、ネット上の画像は消去され、検索ワードにも制限がかけられたが、人の記憶に焼きついた痕跡までは消せない。アップされた画像や記事が消されても、それらを保存していた者が次々と別サーバー上にばらまく。いくら対策を講じようとも、インターネットという巨大な網目の一部を断ったところで即座に他の糸が別の通路を構築してしまう。一度ばらまかれた情報は、網の流れの中を永遠に漂い続ける。

 午後十時を回ったころ、いきなり厚生労働大臣の緊急報告会見が開かれた。

 表題は、新型の感染症について。

 いかにも官僚らしいスーツを着た大臣が、手にした紙を破る勢いで話し始めた。

 感染症の初期症状としては、発熱や関節の痛みなど風邪に似た病状から始まる。

 微熱が続き、一度治癒したようになるが病状は第二段階へと進む。

 皮膚の硬質化と内臓機能の低下が始まり、連動して他のウイルスに感染しやすくなる。そしていくつかの要素が重なって重症化し、心肺機能が停止し死にいたる。

 潜伏期間や感染経路、症状にはまだ不明な点が多い。

 国立感染症研究センターが検査している。

 すでに対策本部が設置され、原因究明のために動いている。追加の情報がわかり次第発表するので、くれぐれもデマや憶測に惑わされず慎重に行動して欲しい。

 厚生労働大臣の口調は語るうちに落ち着き、わからないことはわからない、言えないことはなぜ言えないのかを丁寧に説明した。最後に、本日の質問は調べて返事することを約束し、会見は終了する。

 会見自体は小一時間程度。後半は最初に言ったことがらを繰り返すだけ。

 マスコミも視聴者も、当初は厚生労働大臣の足を引っ張りささいな失言を見逃すまいとしていたが、断片的だが隙のない情報公開と、不明なものを曖昧にして流さない姿勢に拍子抜けしてしまう。

 結局、どこを糾弾していいのかわからないまま会見は終了した。視聴者は不満をあらわにしながらも怒りを向ける矛先を見失い、とりあえずマスクと手洗い用の除菌ソープを買いに行くか、と立ち上がる。

 厚生労働大臣は一言も、安全です、と言わず、口先だけのごまかしがいっさい出なかったことで暴走しかけた市民の感情は一度、鎮静化する。それでも静かにはい上って来るような不安に震えた市民は幽霊を見たような蒼白な顔のまま眠りにつく羽目となった。

 気持ちを切り替えるために眠る市民の裏側で、危機管理センターの電話はマスコミからの問い合わせで一晩中鳴り続けたが。

 翌朝、一時の混乱から多少立ち直ったニュースで記者会見の模様がまとめられたが、ニュースキャスターも情報を受け取る市民も改めて首をかしげる。

 人体が結晶化する病気なんて、どうやって防ぐのだ。

 折しも先だってからの新型インフルエンザ流行中のうわさで大抵の市民は鞄にひとつはマスクや除菌グッズの類を入れている。

 真夏の空の下、半袖のサラリーマンがマスクをしている姿は妙に寒々しさを漂わせ、市民は口にしないまでも常に寄り添う影のような暗さを覚えていた。



 日本にも結晶病の被害が表ざたになり、奇妙なざわつきに浮ついている中、ディスに対する尋問は続けられていた。

 だが劇的に状況が進展したかというと、実際はそうでもなかった。進まないというよりは、必要な情報を引き出そうにも相対する人間側に機械知性体に関する知識が不足し、適切な質問を提示できないでいた。

 久檀は今日もまた、余白ばかりのメモを見て息を吐く。

「……ったく、おまえら、何で人間を滅ぼそうなんて思ったんだよ。世界征服したって威張りたいのかよ」

 俺は面倒くさいからごめんだ、といって久檀はペンを放り出して椅子に背を預ける。

「我々にあるのは目的だけ。そこにいたった原因は知らない。あるいは、不要だと削除したのかもしれない」

「つまり、おまえらはエコや地球環境を考えたり、俺たち人間をゴキブリをみたいに無条件に嫌ったりもしていない。主義や思想なんかはなくて、ただ滅ぼせって命令があったからやってるだけかよ」

 そうだ、とディスはいった。傷ついた身体のまま放置されて消耗しているはずだが、当初以上の陰りは増えない。相対している久檀の方が根負けし、頭を抱える。マジかよ、と悪態を吐く表情はひどく力がない。

「命令だからやってるって、そんな悪の組織あるかよ。悪の美学とかねえのか。いやでも、手下なんてそんなもんか……」

 口中で愚痴をこぼしてから久檀はディスに向き直る。だがもう疲弊しきった様を隠そうともしない。机上に腕を置き、そこに顎を乗せる。

「んじゃあ、その命令を下したボスはどこにいるんだ。俺が直接話し合う。戦争だって、最終的には国益のためにやめるんだ。俺はてめえらとつぶし合ったあげくに共倒れなんて真似はごめんだね」

「我々にその指示を出したであろう個体はすでに存在していない」

「死んだってことか」

「サウス、ディシス、ヨルド、オリオン。この中の誰かが、人間を滅ぼそうと決めた。全員が追従したのか、反対者が出たのかは不明だが、最終的に計画は実行に移され、フレイヤは眠りについた」

「フレイヤってのは?」

「イノベントを統括する者」

「そいつも、死んじまってんのか?」

「存在している」

 久檀は顔をしかめた。会話を続けるのは好きだが、こうも要領を得ない相手だと反応の鈍さにいらだって来る。もう少し、相手の意図をくんで話を組み立てて欲しいものだといらだちを覚えた。

 そして相変わらず、たずねられたこと以上は何も答えない機械知性体は久檀が質問をやめたので沈黙する。

 大きく息を吐き、久檀はパイプ椅子に背を預ける。持久戦も場合によっては好みだが、一対一で人外の存在と相対することまでは人生設計の中になかった。

「そのフレイヤは、まあ、とりあえずは生きてんだな。なら、どこにいるんだ。眠ってるとか言ったな。俺が起こしに行ってやるよ」

 ついでにこんな扱いにくい部下を残した上司に説教のひとつもくらわせてやる、と怒りの矛先を想像上の悪のボスへと向けた。


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

こちらは7巻収録分です。

https://mutsugami123zero.booth.pm

pixiv ID 2358418

「六神屋」でイベントに出てます。

関西コミティア、文学フリマに出没します。

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