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深海都市の巨神」


    深海都市の巨神(アトラス)



 満開の桜の下、海里は軽自動車形態になっているレックスの屋根に寝転がり、雪のように降る花弁を全身に受けていた。わずかな風に枝が揺れる度に、木漏れ日が複雑にきらめいて視界をまばゆく彩る。

 海里は無意識のうちに、花の向こうに透ける太陽に手を伸ばしていた。舞い散る花弁が彼の手を滑るようにして落ちる。胸に落ちた淡紅色の花弁を指先でつまみ、表裏と透かして眺めた。

 そこへ、海から山裾へと吹き上がった風が、彼らのいる広場を駆け抜け、周囲に降り積もった花弁を巻き込んで通り過ぎる。

 手の中からすり抜けた花弁を追いかけるようにして身を起こした海里は、眼前に広がる光景に目を奪われた。

 晴れ渡った空と、水平線。その境にある島々。視線を下せば山の急斜面から広がるわずかな平地に、みっしりと市街が広がっている。街は続き、砂浜で途切れ、海へと繋がって空へと昇る。

 微風を受けながら、海里は青空を見上げる。背をそらしすぎて屋根から落ちそうになり、もう一度倒れこんでしまったが。

 美しい景色だった。

 駐車場の件からわずか二週間。たったそれだけの期間で、硬く強張っていた植物は一気に成長して新しい芽を生み、花開いた。

 暖かい陽光の下、海里は何も言えずにただその変化を見続ける。地上の変わりようは、深海で生まれ育った海里には息苦しいほどめまぐるしく、興味を引きつけられた。

「ずいぶん楽しそうだね」

 レックスは忙しない兄弟の様子に、おかしそうな声を上げる。海里はからかわれていることにも気づかず、半ば呆然とつぶやいた。

「地上は、不思議だな」

 疑問は尽きない。海里にとって、雨に打たれることすら新鮮な経験だった。

 何もかもが暗く重い深海世界とは違い、地上は雑多で、未知なものがあふれている。

「そうだね。不思議で、面白いものがいっぱいだよ」

 レックスもまた、地上世界を大いに気に入っていた。二人で夜明け前の浜辺に向かい、日が昇るまでの間、言葉なく見つめ続けていたことも一度や二度ではない。

 地上世界は美しい。

 同時に、目をそむけたいほど醜いものをはらんでいる。

 アンバランスだが、すべてが一定のバランスを保ちつつ、調和している。それこそが世界。

 深海都市の、何もかもが管理され調整の施された空間が当たり前だったオリジネイターにとって、すべての認識が覆されるほどの衝撃がそこにはあふれていた。

「トラスト。もっともっと、この世界を見て行こうよ」



「わしは深海都市に帰るぞ」

 年長者の発言に、若者二人は思考と動作が停止する。彼らがよく隠れるのに使っている山間の広場に、春の風が吹き荒れた。

「トレトマン、また、ずいぶんと唐突だね」

「おまえさん達も一緒だぞ」

 言って、トレトマンは救急車からロボット形態に変形する。それにならってレックスも変形して立ち上がった。周囲は彼らの身長以上に樹木が背を伸ばし、下草もうんざりするほど生えている。地元の人間も山頂にある公園からそれた横道の奥で、彼らのような存在が潜んでいるなど想像もしないだろう。

 そんな中、唯一の人型形態である海里がトレトマンを見上げる。

「何でだ。まだイノベントの調査は終わっていないだろう」

「当たり前だ。そう簡単に終わるか。帰還理由は、まあ、情報をまとめたいのもあるが、トラスト、おまえさんが何度も何度も身体を壊すから、治療を施す為に戻るのだ」

 びしっと鋼鉄の指を突きつけられ、海里は渋面になる。

「ちゃんと処置はしたんだろう? 問題はないはずだ」

「いいや、大ありだ。確かにわしはおまえさんを治した。だが、それは壊れた個所を交換しただけ。全体には金属疲労が蓄積されとる。右腕も、早いところまともに動かせるようにしたい」

 海里の二度にわたって切断された右腕は、今もとりあえずは繋がっている。しかし神経は通っていない為、棒をぶら下げているような状態だった。

「おまえさんを完璧に治したい。そして、これまで仕入れた情報を解析し、改めてユニオンの総意を確認する。その為には一度、深海都市へ戻った方が都合がいいのだ」

「うーん……まあ、そうだよね」特に反論する意味がなかったので、レックスは同意する。

 意見のまとまった二人は、最年少者に向き直る。

 海里はあまり変わらない表情で見上げるが、唇をゆがめ、不満そうに視線をそらす。

「……不満そうだな。トラストよ、わしにはおまえさんの言いたいことがわかるぞ。一度戻った後、また地上に出てこられるのか心配なのだろう」

 どうだ、正解だろう、とトレトマンが巨体で迫るが、海里は眉間のしわを深くするだけ。

「ふふん、おまえさんがそんなに地上が大好きになるとはな。わしはうれしいぞ。だからこそ、おまえさんの心配は杞憂だ。わしはおまえさんが嫌がろうがわめこうが、身体が治れば何度でも地上に放り出してやるつもりだからな」

「それはいくらなんでも、ひどいよ……」

 手厳しい扱いに、レックスが不満を訴えるが、トレトマンは聞く耳持たない。

 一方通行なやり取りを眺めていた海里は、黙考の後、わかった、と短く応えて首肯する。

「決まりだな。では、帰るぞ」

 準備をするぞ、とトレトマンは意気揚々と宣言する。それこそ、今すぐにでも出かけそうな勢いだ。

「や、だから早いって! あのさ、帰ること、マイキには言ってもいいよね」

 レックスがいつも遊びに来る少年の名前を挙げると、トレトマンが妙にうれしそうに振り返る。

「あぁ、それだが……」

 言いかけた時、茂みが大きく揺れた。近づく気配に全員が向き直るが、そこに警戒の色はない。

「シン兄! レックス、トレトマン!」

 名前を呼びながら、マイキが茂みをかき分けて飛び出してくる。背にはリュックサックを背負い、水筒まで下げていた。

「よかった、間に合った」

 小さな身体に大きな荷物を背負い、肩で息をしている少年。海里とレックスは何をそんなに急ぐ必要があるのだろうと首をかしげたが、トレトマンの言葉に仰天する。

「ふむ、では、マイキ君も来て全員そろったことだし、出発するか」

 軽く告げられた内容に、二人は自分の耳を疑う。意味がわからずトレトマンに説明を求めたが、マイキの相手をするのに背を向けてしまっていた。

「ははっマイキ君、よくお姉さんが承諾してくれたな」

「最初はダメだって言ってたんだけど、春休みにどこにも連れて行ってくれないんだって言ったら、いいって!」

「お姉さんの方は来られないようだが、やはり、お仕事の方が忙しいのだろうか」

「うーん、休みが取れないみたい。あ、でも、写真をいっぱい撮ってきてって。あと、お土産も頼まれたよ」

「土産ねえ……若いお嬢さんが喜ぶような物が、はたして深海都市にあったかな」

 笑い合っている二人とは対照的に、海里達は真冬に戻ったような顔をしていた。

「あの……トレトマン、もしかして……」

 訊きたくはなかったが、確認しなければならないと、レックスはおずおずと口を開く。

「マイキも一緒に行くの? その、深海都市に」

「あぁ、そうだ」

 何を当たり前のことを、とばかりに言い切られる。

「や、そうじゃなくて、いいの? いや、連れて行くのが嫌なんじゃなくて、連れて行ったら、危なくは……ないだろうけど、ああっ、何て言ったらいいんだっ!」

 頭を抱えてしまったレックスに、トレトマンは腰に手を当て得意げに言う。

「大丈夫だ。マイキ君の保護者である、ユキヒ嬢の許可は得た」

「それはさっき言ってたけど……」

最高責任者(アトラス)の許可も取った。深海都市では今、初めて人間を受け入れる為の宿泊施設を鋭意建設中だ」

「……何もかも、根回し済みってわけですか……」

 早く行こう、と飛び回ってはしゃぐ少年と、人間好きの仲間の手際のよさに、レックスはそれ以上、何か言うのをあきらめた。



 深海都市への道中は、マイキの感想としてはあっけなさすぎるほど平坦に終わった。

 とはいえ、国籍、形式も不明な潜水艦が海を横ぎるのはかなり難しい。実際には、何度か他の潜水艦に見つかりそうになり、慌てて進路変更したり隠れたりと、艦を動かしているトレトマンは相応に苦労していた。

 当然、マイキは深海都市の場所を尋ねたのだが、トレトマンは「最高機密だ」と笑って教えなかった。少年もそう素直には納得せず、「日本海溝? マリアナ海溝? もしかして、バミューダ・トライアングル?」と、知っている限りの名称を並べたが、相手にされなかった。艦内モニターを見ても現在地すら理解できず、すぐ飽きてしまったマイキは、その後の航海中は海里やレックスと一緒に、人間にとっては広すぎる艦内で遊んでいた。

「……ここが、深海都市?」

 潜水艦から降りたマイキは、広大な空間を見上げる。高い天井、冷えた空気。地下水路に浮かぶ潜水艦は明かりの乏しいドック内では真っ黒い塊にしか見えず、船尾のあたりは闇に沈んでいる。

 走って行ったマイキに、トレトマンが追いつく。

「もちろんそうだ。ここは深海三八〇〇メートル付近にある建造物の中。間違っても、この水路から泳いで外へ出ようとは考えないことだ」

「息ができるね」

 マイキは早速、広いドック内を走る。周囲には整備用の小型機械が忙しなく動き回り、潜水艦に燃料などの補給や清掃作業を始めている。

「そりゃあ、人間の君が来るのだ。酸素濃度や他の成分も仲間には綿密に指示してある。都市内のどこへ行っても、呼吸困難に陥ることはないだろう。食事や寝る場所、もちろん排泄設備もぬかりなしだ」

 トレトマンは得意げに腕を組む。そのままお得意の長広舌が始まるところだったが、近づく足音に全員の視線がそちらに向いた。

 歩いて来るのは細身で背が高く、紺青が基調のオリジネイター。マイキは何となく、尖った鉛筆のようだと思った。

「おお、シリウス。戻ったぞ」

 トレトマンが手を掲げて気さくに挨拶する。シリウスと呼ばれたオリジネイターは会釈すると、二人で話し始めた。

「あ、シリウスだ」レックスと海里はマイキの側に並ぶ。

「戻った早々、面倒なのに会ったね……」

 声を潜め、海里に話しかける。彼は顔をしかめた。

「ね、あのオリジネイターは誰?」

「シリウスはね、第五世代だよ。深海都市内の警備員みたいな立場かな」

「世代って?」

「あぁ、言ってなかったっけ。僕達は生まれた周期ごとに世代分けされてるんだ。僕は第六世代、トラストは第七世代だよ」

「レックスとシリウスって、仲悪いの?」

 少年の率直な物言いに、レックスと海里は視線をそらす。

「悪いというか……。いや、悪くはないんだよ。険悪なのは、その、僕じゃあなくて……」

 紺青のオリジネイターがこちらを向いたので、ひそひそ話しは打ち切られた。シリウスは歩み寄って全員の顔を順に眺め、最後に海里とその後ろに隠れたマイキを見やる。

 声をかけられ、海里は顔を上げた。マイキにはシリウスが発した声は名前のように聞こえたが、覚えのない響きだった。

「ユーリ・ヘイス」もう一度、同じように声がかかる。

 しかし呼ばれた海里は返事もせず、押し黙る。彼の腕をつかんでいたマイキは、その拳が強く握られたことに気がついた。いぶかしんで見上げる。見えるのはいつもと同じ無愛想なむっつり顔だったが、それなりに付き合いの長くなってきたマイキには、微妙な変化がわかった。

 怒っているのかと思ったが、少し違う。内心の感情を押し殺そうとして逆に、いらだっている様子だった。

(……シン兄と、このオリジネイターって……ケンカしてるのかな?)

 オリジネイターは全員連帯感が強いものだと思いこんでいたマイキには、彼らの間に漂う異様な緊張感に居心地の悪さを覚える。

 奇妙な沈黙を破ったのは、トレトマンだった。

「おまえさん達、帰った早々何をにらみあっとるんだ。ケンカなら後にしろ、わしの見ていないところでな」

 行くぞ、と言いながら、すでにトレトマンは歩き出している。レックスは海里を呼び、目配せをするとそれだけで何かを了承した彼は、マイキを抱え上げた。

「え、わぁ!」急に視線が高くなり、マイキは驚いて海里にしがみつく。その彼を、レックスが抱えた。

「一緒に移動するよ。その方が早いからね」

 言って、レックスは悪戯っぽく笑うと腰を低くする。脚部から下りたホイールが回転し、レックスの身体は勢いよく床を滑走する。走り出した際の衝撃に、マイキはますます強く海里にしがみついたが、ドックを出る頃には歓声を上げていた。



 そこは通路の行き止まりで、目の前には閉じた扉があった。レックスの肩に乗ったマイキから見ても、かなりの高さがある。トレトマンのような五メートルを超えるオリジネイターと比べても、無駄に大きな気がした。

 トレトマンはその前で立ち止まり、振り返る。

「さぁて、心の準備はいいかね?」

「え、いいって……」何が、とマイキは問いかけたが、トレトマンは答えず、分厚い扉の脇にあったパネルを操作する。扉は両側にゆっくりと開き、白の巨体はさっさと向こう側へ入って行った。

 追ってレックスも黙ったまま動き出し、マイキは思わず、一緒に肩に乗っている海里にしがみついた。早くなる鼓動に、マイキは反射的に胸のペンダントを握る。ひやりとした石の感触に、ほんの少しだけ呼吸が落ち着いた。

 扉をくぐると、そこは暗い空間だった。だが、何かがいる。見えなくとも、大きな気配がそこかしこにあるのがわかった。それに、入口から漏れるわずかな明かりで、巨大な何かの輪郭がうっすらと浮かび上がっている。

 部屋の半ばあたりだろうか、トレトマンが足を止め、レックスも隣に並ぶ。

「さて、と。帰ったぞ」

 声を合図に、空間の各所に設置されている照明が強い光を発し、マイキは思わず目を細めた。

「すまんすまん、驚かせてしまったかね。まあ、驚かせたかったのだよ」

 トレトマンの声には、とっておきの悪戯を披露するような響きがあった。

 強烈な照明に目がきかなかったが、すぐに周りにあった巨大な物の正体に気がつき、マイキは声を上げそうになる。

 奥行きのある空間、その壁面に沿うようにして巨大な人型機械が並んでいる。ざっと数えただけでも、三十かそれ以上立っていた。色や形状、大きさは様々だったが、総じてトレトマンやレックスよりも大柄だった。マイキはようやく、ここの扉が妙に巨大だった理由に気がつく。他のオリジネイターに合わせての構造だったのだ。

 以前にレックスはオリジネイターの中ではかなり小柄な部類に入ると聞いていたが、どうやら事実らしい。

 瞬きも忘れてマイキは呆けていたが、中央から現れたオリジネイターの姿に、頭を精一杯上向かせた。

「ようこそ、地上世界からの客人よ」

 ゆっくりとした動作で近づいてくるのは、白銀の巨人。場にいるオリジネイターの中でもっとも巨大だった。大きさよりも目を引くのが、姿かたちそのものだ。

「きれい……」マイキは素直な感想を漏らす。

 白銀のオリジネイターは、他とは一線を画していた。トレトマン達は建機のように無骨だが、白い巨体は真逆の優美さを持っていた。曲線と装飾の多い外装に、マイキは西洋の甲冑を思い出す。

 近づいてくる巨体に、マイキはただ圧倒される。

 白銀の巨人はそれこそ、乙女に誓いを捧げる騎士のように膝を折り、マイキと少しでも視線を合わせようと前かがみになった。

「私はアトラス・〇二〇一(ファブリル・ヘイス)。この深海都市で、もっとも古いオリジネイターだ」

 深く静かな、知性のある声。決して冷たくは聞こえない。にじむような暖かさがある。

 声を聞いているだけで、さざ波のように穏やかな気持ちになり、緊張していたマイキの心身も自然とほぐれていった。

 何となく、許される気がしてマイキはアトラスに向かって手を伸ばす。レックスが、少年を前に出した。

 アトラスも手を出し、金属の指と生身の手が触れ合った。

「こ、こんにちは。あの……沖原マイキ、です」

 ぺこりと頭を下げると、アトラスは手を引きながら笑った、ようにマイキには見えた。

「マイキ君か。我々は君を歓迎する。なにぶん、深海都市に人間を受け入れるのは初めてなので、色々と至らない部分もあるだろうが楽しんでいってくれ。そして、地上の話を聞かせて欲しい」

 わかりました、とマイキは元気良く返事をした。



 アトラスが数人のオリジネイターを伴ってその場から立ち去った途端、マイキは多数の巨人に囲まれて困惑してしまう。

「ひゃあ、人間だ! ちっさいな、機械じゃないぞ?」

「俺、本物の人間見るの初めてだよ」

「人間って、男とか女とか、性別があるんだろ? 君はどっちなんだい?」

 オリジネイター達の様子を見れば、歓迎されているのはわかる。だが、あまりの勢いに気圧されたマイキは海里の腕にすがって隠れてしまう。途端、どっとオリジネイター達がはやし立てる。

「おい、トラスト。独り占めにするなよ」

「ちょっと抱かせてくれって。ほらおいで、落とさないからさ」

 差し出された手が、横合いから出た別の手に弾かれる。

「この、馬鹿どもがっ!」

 場を震わせる怒声に、わき起こっていた喚声がぴたりとやむ。跳ね跳んで興奮していた者が、そのまま倒れた。

「わらわら集まりよって。この子は見世物でも新しいオモチャでもない。わしの許可なく触るなっ!」

「や……それって、トレトマンが一番マイキをオモチャにしようとしてない?」

「わしはいいのだよ」

 その自信はどこから来るのだ、と場にいた全員が心の中で突っ込みを入れる。もちろん、誰も声に出しては言えない。言ったところで「わしだからだ」と、よくわからない理屈で押し切られるのが目に見えていた。



「ひゃー! 僕、びっくりしたよ」

 大勢のオリジネイターに囲まれたマイキは、通路に出た途端に空気が抜けるように身体の力を抜いた。

「あんなにたくさん仲間がいたんだね。しかもみんな大きいし!」

「ふむ、まあ、あそこにいるのが全員ではないがね。何人かはいないようだったが。しかし、巨躯なのは確かだ。平均的に見て、世代が古い者ほど大きい傾向がある。レックスは第六世代の〇六一〇(ユニ・デカ)、私は第三世代の〇三〇八(メルツ・オクトー)だ」

「でも、おっちゃんは上の方なのに、あんまり大きくないよね」

「私も、昔はもっともっと巨大だったぞ。だが、年をとって重い身体が動かしにくくなってな、小型化したのだ」

「へぇー、おっちゃん、器用なんだね」

「私はここにいるオリジネイター全員の外装設計を任されている。自分の身体を作り直すくらい、わけないぞ」

 自信あふれる物言いだったが、次の一言で自慢話が止まる

「じゃあ、アトラスのきれいな身体も?」

「……残念ながら、あれは私の仕事ではない。アトラスは最古のオリジネイターだからな。あやつの外装を作ったのは、始祖オリジンだ。本人の希望もあるが、なるべく原形を留めておこうという方針があってな、最低限しかいじっていない」

 マイキはよくわからず、「ふーん」と気のない相槌を打つ。そこを契機に、トレトマンが後ろをついて来ていた若者二人に向き直った。

「話はここまでにして、トラスト、おまえさんの治療にかかるぞ」

 来い、と首根っこどころか、巨大な手で逃げようとする海里をわしづかみにすると、トレトマンは笑声も高らかに歩き出す。

「レックス、マイキ君の面倒をちゃんと見るんだぞ!」

 背中越しに受けた指令に、レックスはおざなりに返事をする。

 通路には、海里の暴れる音と罵声がいつまでも響いていた。



「さて、どうしようか」

 脚部のホイールを使って低速で通路を走りながら、レックスは肩に乗っているマイキに話しかける。少年は滑らかに移動するこの方法に慣れ、たまに通路ですれ違うオリジネイターに手を振って笑っている。

「行きたいところって言っても、マイキはここには初めて来たんだし……」

「えっとね、面白いところがいいな!」

 あっさりと一番難しい注文をつけられ、レックスは考え込んでしまう。

 その間も、マイキは周りを眺めていた。そこで不意に気がつく。いや、最初から感じていた疑問を口に出す。

「……深海都市って、何かさびしいところだね」

 彼らが走っている通路は、他のオリジネイターが行き交うことを考慮してか、幅は広いし天井も高い。しかし、それだけだ。平らな床がどこまでも続き、ところどころにはみ出した配管やケーブルが見えたが、どこまで走っても基本的な景色は変わらない。窓もないので、マイキにしてみれば、ずっと同じ場所を回っている気がしてくる。

 深海都市と聞いてマイキが思い描いていたのは、もっとSF的に美しく整備された空間。見たこともない機械が宙を飛んだり、天井がガラス張りで魚が泳いでいる光景が見られる、そんな場所だった。確かに、オリジネイターは見たこともない存在だったが、彼らの住んでいる都市は、街と呼ぶよりも倉庫群のようだった。その無機質、変化のなさに、マイキは隙間風を受けているようなさびしさを覚える。

「そうだ!」突然、天井の配管を目で追っていたマイキを驚かせるような大声が上がる。

「すごい秘密を見せてあげるよ」

「秘密?」心を躍らせる単語に、マイキの目が輝く。

「僕とトラストだけの、秘密の場所に連れて行ってあげるよ」

「え、いいの? シン兄いないけど……」

「トラストも、マイキになら教えてもいいって言うよ」

 マイキを抱え直し、レックスは華麗にUターンすると速度を上げて走り出す。途中で何度も角を曲がり、他のオリジネイターがその早さに驚いて脇に避けるのも気にせず走行する。道中、よほどその秘密の場所を見せるのが楽しみなのか、何度も飛び跳ねるのにはさすがにマイキも閉口したが。

「ここだよ」

 ホイールが止まったのは、無骨な扉の前だった。赤茶けているが、錆びているわけではない。色の印象もあったが、その区画は全体的に、古めかしいようにマイキは感じた。

 レックスは周囲に誰もいないことを確認すると、扉を開け、中に入り込むと再び扉を閉めた。内部は真っ暗で、何も見えない。すぐにレックスが自身の肩あたりにあるライトを点け、あたりを照らす。内部は雑多に物が積み上げられた倉庫だった。

「レックス、ここが面白いところ?」

「この先だよ」

 楽しそうにレックスは笑っている。物を避けながら奥へと進むと、壁と壁の接点に隙間が開いていた。そこから、大量のパイプやケーブルがはみ出している。レックスはためらわず、その中に足を踏み入れる。

「わわっ、なに、何なの?」

「この深海都市も古いからね、何度も改修工事がされてるんだよ。で、再設計の都合上、こんな隙間があちこちにできちゃったんだ。でもね、他のオリジネイターには隙間でも、僕やトラストには十分な通路になるんだよ」

 言われてみれば、マイキにはちょっと細い廊下だが、特にあのアトラスのような巨体では、半身を潜り込ませることもできないだろう。

 先に何が待ち受けているのだろう。緊張に、鼓動が少しだけ早くなっていることに気がつく。

「ねえ、マイキ。もう少しでつくから、ここからは目を閉じていてよ」

「え……、うん。わかった」

 言って、マイキは請われるままに目を閉じ、代わりにもっと強くレックスの肩にしがみついた。

 しばらくの間、上下に揺れる振動と、レックスの手が垂れ下がるケーブルをかき分ける音だけが聞こえる。

 やがて、足音の響きが変わる。もっと大きな空間に出たようだ。いくらか歩くと、レックスは足を止めた。

「もういいよ」

 言われて目を開け、マイキは何度も瞬きした。レックスがライトを消していたので、最初はひどく暗く感じたが、すぐに目が慣れてくる。

 あたりはほの暗い闇に包まれていた。だが、完全な暗黒ではない。周囲にはいくつも淡く輝く光が瞬いている。光を追って目線を上げ、マイキは感嘆の声を上げる。

 見上げた先には、数えきれないほどの光があった。大きさや光の強さはどれも異なり、きらきらと細かい銀の粒が光をはらんで、まるで星のように浮遊している。

「すごい、プラネタリウムだ!」

 彼らがいるのは先ほど、オリジネイターが集合していた場所よりも広い空間のようだった。半球形の空間。マイキが校外学習で行った天文科学館のプラネタリウム、それの何十倍もの規模があった。

「あれ、でも、星座を映す機械はどこにあるの?」

 天井は無数の星が瞬き、美しい銀河が広がっている。しかし床の上には、マイキが見える範囲には何もない。

「ははっ、確かに星みたいだけど、あれは星座じゃあないんだ」

 いったい、何の光だろうとマイキが目を凝らしていると、光と光の間に、銀色の線が見えた。線と線は光の間を渡って繋がっている。

「えっと……空、じゃなくて、木なの?」

 光は、ガラス質の枝にぶら下がって瞬いている。ちょうど、収穫前の果実のように。天井は木を逆さにしたか、あるいは、根に実が生えたようになっていた。

 レックスが笑みを含ませた声で答える。

「ここにある光はね、僕らの命なんだ」

「え……いのち?」

「正確には、これから生まれる仲間のだけど」

 レックスはゆっくりと歩を進める。部屋の中央付近に来ると、降り注ぐ光はさらに強く感じられた。

「僕達オリジネイターは、この光を、アニマを持って生まれるんだ」

「アニマ……それって、オリジネイターの魂なんだよね」

「そうだよ。僕達は全員、アニマを機械の身体に宿して生きてるんだ。それは一番古いアトラスも、新しいトラストも同じなんだよ」

 さらに奥へと進むと、光の樹木から遠ざかり、少しずつ光が弱くなる。

「みんな同じ光を持っていて、同じように……アニマが滅びていく」

 ほとんど光が届かなくなった頃、ようやく奥の壁までたどり着く。いや、壁だとマイキが思っただけで、実際にはそこに何かがあった。

 驚かないでね、とレックスが前置きしてマイキを肩から下ろすとライトを点けた。

 強い光に、そこにあるものがはっきりと示される。

「あ……」マイキは立ったまま身体を固くする。

 壁に見えたものは、機械の山だった。

 整然と並べられているが、小さなマイキには小山のようだ。山は無秩序な金属塊ではなく、腕があり、足があり、頭もある。

 何体もの機械の巨人が、横たわっていた。

 しかしそこには、積み上がった廃車のような不気味な静けさが漂っている。

「……ここにいる、みんなは?」

「ずっと、ずっと……寝てるんだ。もう、ずいぶん長い間、このままなんだけどね」

「起きないの?」

「どうだろう。聞いた限りじゃあ、一度休眠に陥った仲間が起きて来たことはないみたい。でも、みんなあきらめきれないから、こうやって身体を残してるんだ。他の、アニマを宿してない機械は、故障すれば使える部品だけ取ったりするけど、最後に使われていた身体だけは、解体も再利用もしないでこうやってずっと、安置してる」

 淡々と続く語りの傍ら、ようやく硬直が解けたマイキはゆっくりと並べられた巨人の抜け殻の側を歩む。大きさや形状が様々な者達。先ほど、廃車のようだと感じたのは、眼に光がないからだと気がつく。

「眠り始めた時にはアニマが活動していても、やがて光が消えて……アニマは、ヒュムネ・ベルに変化するんだ」

「ベル……」マイキは胸元に下がっているペンダントをつかむ。ひやりとした石の感触が伝わってきた。

 レックスはその仕草に、何も言わずに少年の背にそっと触れた。

 マイキが持っているペンダントは、お守りだと姉のユキヒからもらったものだった。だがその蒼い石は、オリジネイターが活動を停止した際にアニマが結晶化することによって残される、一種の形見だった。

 石を分析したトレトマンは、ヒュムネ・ベルが命を持って輝いていた頃の存在を、行方不明になっている仲間のアウラだと断定した。

 その事実を知っているのは、ここにいる二人と、トレトマンだけ。仲間を探すことに一番執着している海里は、未だに知らされていない。

「マイキ、あのさ……僕はまだ、トラストにはアウラがもういないって、言えてないんだ。最近は何も言わなくなったけど、トラストはまだ、あきらめてなんかいない。だから……言えないんだ。言うのが、怖いんだ……」



 第八層四区にある機械整備室は、深海都市内で不具合を起こした機械類を一手に引き受けて修理する町工場のような場所だった。その一角に、トレトマンが占有している施設がある。

 オリジネイターすべての外装を造り出すそこは、同じ整備施設内でも別格扱いになっている。人間でいえば、そこは病院に該当するだろう。区画分けがされているのは、オリジネイターの身体は機械で構築されているが、アニマを持つ自身と、そうでない、例えば大型モーターといっしょくたになって修理されるのは不快だと感じる者が多いせいだった。

 だがしかし、その医療施設に巣食っているのは、目的の崇高さをすっかり忘れ、趣味と仕事の比率が大きく駄目な方へ傾いているオリジネイター、トレトマンだった。

 外装構築全般を引き受けるトレトマンは、当然、修復作業も受け持つ。特に一番若い海里の外装はその特殊性の為に今のところ、彼しか扱える者がいない。

 その海里の身体はスタンドに固定され、様々なケーブルに繋がれていた。右腕は肩から外されている。トレトマンは別の作業台で、彼に取りつける新しい腕の調整にかかっていた。

 整備室にいるのは彼らだけで、互いの間に言葉はない。トレトマンは普段は聞いている者が顔をしかめるくらいに多弁だが、作業中は音声を切っているのかと思うほど、何もしゃべらない。

 海里としては身体を固定され、分解中の逃げ場がない時にまで、長ったらしい話を聞きたくはないのでその点は助かっている。

 身体の各所を拘束されたまま、海里は軽く身じろぎをする。全力を込めればベルトはちぎれるが、壊した後がうるさいのでひとまずは大人しくしていた。全身の検査は一通りすんだようだが、固定されたまま放り出されている。何度か拘束を解けと言ったが、聞き入れてはもらえなかった。腕が出来上がった後、また呼び戻すのが面倒らしい。

 暇なので、海里はメイン・コンピュータに接続しているケーブルが自身にも繋がっているのが見えたので、自分の眼を監視カメラに切り替える。

 セキュリティの甘い部分なら、海里でも軽く突破できる。そうやって、彼は次々と都市中の監視カメラの中を意識だけ渡り歩いた。探しているのは、レックスとマイキ。しかし彼は知らないことだが、二人はその頃、監視カメラが設置されていない部分に入り込んでいた。

 しばらくそうやって、二人を探していた海里だったが、彼の力でのぞける監視カメラの範囲にいないので、仕方なく意識を戻す。

 最後に、整備室内のカメラから室内を見下ろした。

 整備室のスタンドに固定された「人間」いや、「人間のよう」に見える存在がいた。

 それが今の自分自身だという事実に、海里の中にかすかな暗い色が浮かぶ。

 海里は、いや、機械知性体のトラストは、自身のアニマが収まっているこの身体が嫌いだった。柔らかい表面も、小さすぎる身体も、何もかもが気にいらない。こんな身体を与えたトレトマンを恨んでさえいた。

 自分に技術があれば、この身体を捨てて前の身体に戻りたいとすら考えている。彼の身体は、今のもので二代目だ。

 目覚めた当初に与えられた身体は、大きさこそ大差はなかったが、今よりもずっと「ロボットらしい」外見だった。軽金属の筺体は間接稼働の自由度が低かったが、それよりも、自由に動き回れる喜びの方が大きかった。

 しかし改修作業は、トラストの知らない間に進められていた。

 本格的なオーバーホールをするから眠っていろ、と意識を遮断された。再起動の信号が来て目を覚ましたトラストは、愕然とする。

 それまで資料でしか見たことのなかったものの中に自分の意識が収まっている衝撃は、どんな言葉でも表現できないほどの痛苦だった。

 新しい外装は、地上世界で繁栄する『人間』。

 起き上がり、まだ意識と身体の連携が取れずにふらつきながらも向かったのは、こちらを見下ろすトレトマン。

 殴った、思いつく限りの言葉で罵った。

 叫び続けていたが、思考回路の混乱から安全装置が働いたのか、やがてトラストは意識を失った。

 がくん、と急に動き、トラストは……海里は、さまよっていた意識を元の身体に戻す。

 顔を上げると、トレトマンがスタンドの向きを変えたところだった。

「そのまま寝ていろ。腕をつけるからな、まだしばらくかかるぞ」

 海里の右肩に新しい腕をあてがうトレトマン。脇の工具箱から迷いなくドライバーを取り出し、内部の繊細な機械構造を次々と繋いでいく。

 わざわざ技師自身が工具を使って自分の手を動かさなくとも、施設内には三次元工作機が設置されている。数値を入力してスイッチを押せば、後は機械が指定通りに仕上げてくれる。しかしトレトマンは、人間の職人のように、自身が実際に触れ、工具を手にするのを好んだ。海里の身体が今までの規格に合わないので、工作機では微妙な調節がきかないという問題もあったが。

 黙々と作業を続ける姿は、普段のつかみどころのない雰囲気が消え、まるで自分自身が一個の工具になってしまったような真剣さがあった。

「……終わったぞ。どうだ」

 言われて、海里は右手を動かしてみる。指先が軽く曲がり、そして五本の指すべてが彼の意思に従って動く。肘を軽く曲げ、振った。

「大丈夫だ。動く」

「動くのは当たり前だ」

 あきれたように言いながら、トレトマンは最後に人工皮膚を繋ぎ、切った跡がわからないように細工をする。

「やれやれ、疲れたぞ。こんな大手術を助手もなしというのはつらいな」

 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、スタンドの拘束を外す。床に降りた海里は、肩関節から新しくなった右腕を掲げる。当たり前だが、見た目は以前と何も変わらない。

「その腕はまだ慣らしの状態だからな、何か違和感を感じたらすぐに言うんだぞ。あと、検査の結果、いくつか問題があった。また明日にでも治すからな。逃げるなよ」

 釘を刺され、海里は不承不承うなずいた。



「すごい秘密だったね」

 レックスの肩に乗って移動しながら、マイキは感嘆の息を吐く。平らな通路をホイールで滑るように走行し、彼らは元いた階層まで戻って来ていた。

「うん、秘密だから、誰にも言っちゃダメだよ。本当は、あの部屋には、普段は入ったらいけないんだ」

 え、とマイキはレックスの顔をのぞき込む。人間の顔を四角と直線で書き直したような鉄の顔に、表情はほとんどなかったが、それでもわずかな仕草で感情は現される。新緑のように輝く眼は、いつもより光がない。

「あそこは、星霜の間って名前があるんだって。トレトマンがつけたんだけど、星は一年で空をひとめぐりするし、霜は毎年降るから、年月や過ぎ去った歳月を現す言葉なんだって。語源はよく知らないけど、日本語らしいよ」

 それまで名前のなかった部屋に、その単語を仕入れて来たトレトマンがそう呼び始め、いつの間にか定着した。とはいえ、普段の会話には部屋の特殊性もあって、ほとんど口に上ることはなかったが。

「空が見えない深海都市で、僕達はあの命の輝きを星のように思って見上げていたんだ。それこそ、幾星霜と呼べるほど長い年月の間を。あの部屋はね、星が落ちて命になるか、誰かのアニマが消えて、残った身体を運び込む時だけ、扉を開けるんだ。僕達は昔、たまたまあの通路を見つけてから、こっそり通ってるけどね」

「あんなにきれいなのに……」

「きれいだけど、言ったら、お墓だからね」

「あ、そうか」

 そろそろ通路に仲間の姿が増えて来た為、レックスはその話題を打ち切った。

 特に目的もなく、ゆったり走っていると、正面から海里と、後ろからトレトマンが歩いてくるのが見えた。

「あ、シン兄!」マイキが手を振ると、トレトマンが手を掲げて応える。

 互いに通路の真ん中で再会する。レックスの肩から降りたマイキは、海里の格好を見て興奮した声を上げる。

「あ、シン兄の服が変わった!」

 別れるまで、海里は地上の服を着ていたが、今はがらりと変わっていた。最初に会った際に着用していた黒のスウェットスーツが基本だが、上着やズボンと言った構造に分かれている。地上を歩き回れば奇妙な目を向けられるだろうが、SF的なシルエットは以前よりもずっと、服らしい印象があった。

「格好いい! ガイアスターみたいだよ」

 マイキは気に入りのアニメ、流星の勇者ガイアスターを引き合いに出して喜ぶ。

「ふふ、私も地上に出て、人間の服飾を少しは学んだからな」

 それにしても、とトレトマンは勝手に話題を変える。

「流星の勇者ガイアスターだったか、あれは大変に興味深い内容だった。本当に人間の創作なのだろうか……。製作者の中に、我々の存在に気がついている者がいるのではないかと驚いたよ」

 うむ、としきりに感心したようにうなずくが、残念なことに誰も聞いていなかった。

 聞いていてもいなくとも、トレトマンはそのアニメがいかに素晴らしいかを熱っぽく語り続けていたが。







 深海都市に来てまだ一日も経っていなかったが、マイキは都市内のオリジネイターとすっかり打ち解けてしまっていた。何にでも好奇心を示し、巨体の機械群の中でも恐れを見せない警戒心のなさが、彼らの気分を和ませるのだろう。

 もちろん、中には歓迎しない者もいる。しかしここでわざとらしく嫌がらせを仕掛けるほど程度の低い者は、さすがにいない。内心はどうあれ、少年はトップのアトラスが認めた客人だ。仮に手を出せば、叱責程度ではすまないだろう。

 嫌人間派は黙って奥に潜んでいた。

 しかし、他の考えを持つ者を排除し、彼らの中だけで通用する常識をわめき続けた結果、とんでもない暴走を引き起こす羽目に陥る。



「ユーリ・ヘイス」

 呼ばれ、海里は無視しようとしたが二秒であきらめる。

 振り返ると、シリウスがこちらを見下ろしていた。

「……何か用か」

 ここにトレトマンがいれば、年長者に対する口のきき方がなっていない、と怒鳴っただろうが、あいにくと一人だ。先ほどまではレックスと連れだって走り回っていたのだが、気がつけば置いて行かれてしまっていた。トレトマンとマイキも一緒にいるはずだが、こうして追いかけているのに一向に見つからない。

 さて、どうしようか、と次の行動を考えていた矢先のことだった。

 シリウスは無言で立っている。紺青の身体と同じ青い眼が何か言いたげに見えた。しかし、考えている何かを言われたところで、まともな会話にならずに終わってしまうことの方が圧倒的に多い。

 このオリジネイターは何が気に食わないのか、ことあるごとに海里に絡んでくる。地上へ出るのも、一番最後まで反対の姿勢を示していた。

 まともな付き合い方をしてこなかったので、海里の中にはシリウスに対する苦手意識が強い。特に、こうして一対一で相対しているのは苦痛だった。

 少し待ってみたが、シリウスが何も言わないので海里は再びマイキ達を探そうと、彼の前を通り過ぎようとする。しかし、巨体に先回りされて通路をふさがれてしまった。こうされると、海里には対抗手段がない。

 小さな身体に強い劣等感を覚えるのは、こんな時だった。海里はわき起こる怒りのまま、シリウスをにらみつける。

「ユーリ・ヘイス。おまえは、地上に出る必要はない」

 端的に叩きつけられた言葉に、海里は眉間にしわを寄せる。

「また、その話か」いらだちが募る。

「おまえは弱いんだ。地上探査の任務は他の者に任せ、都市で大人しくしていろ」

 いつまで同じ話を蒸し返すつもりなのだろうか。海里は相手に返す言葉を探したが、シリウスには彼の中の少ない語彙はすでに使い尽くしている。言ったところでまた言い返され、互いに不毛な罵り合い合戦になる。それで後々までささくれ立った気分になるくらいなら、と海里は近頃、よく取っている手段を実行する。

 無視する、だった。

 何も言わずに通り過ぎてしまえば、追いかけ、捕まえてまで話をするつもりはないらしい。

 ゆっくりと、それでも十分に警戒しながら海里は歩き出す。

「お、シリウス。ちょうどよかった、皆集まっているぞ……って、あ!」

 角から現れた別のオリジネイターが、足元にいた海里を見つけ、大仰に避ける。

「何だ、まだ捕まえてなかったのかよ」

「……何を」

 海里が言い終わる前に、鋼鉄の手が大きく開きながら降ってきた。



 トレトマンの極秘コレクションは、世界各国の戦艦や潜水艦、飛行機が山ほどあった。広大な倉庫は、古い乗り物の見本市のようになっている。

「うっわー! すごい、これ全部おっちゃんが集めたの? どうしたの、買ったの?」

 素朴な疑問に、トレトマンはあっさりと「海中で拾った」と答える。

「ほとんどが、世界大戦中に海難事故や戦闘で海中に没したものだ。私達が乗ってきた潜水艦も、元はどこかの国が開発途中で資金が尽き、そのまま遺棄された物を拾って改造したものなのだよ」

 マイキはすごいすごいと叫んで興奮しているが、後ろで聞いているレックスは、素直に称賛できなかった。

「……一見聞こえはいいけど、ようするに、どさくさにまぎれて盗ってるだけなんだよね……」

 しかもそのコレクションが、近頃は他の倉庫にまで侵食を始めて来たので、オリジネイターの中では問題のひとつになっている。

「ふふふ……あのまま海中で錆びつき、深海魚の巣になるのはもったいなかったからね。これらは戦う為の物だが、それを差し引いても、人間が考え出した機能美は素晴らしいと私は考えるよ」

 うっとりと自説に浸っているトレトマンだった。

 マイキは戦闘機の間を走り回り、レックスが少年を追いかけていた。座席が残っているものは、内部に入って操縦桿を握ってみたりもした。一周して戻って来ると、トレトマンは壁面のモニターを見ながら何かチェックしていたが、彼らの姿を認めると振り返る。

「そう言えば、レックス、トラストはどうした」

「あれ? まだ来てないの?」

 あたりを見回すが、青年の姿は広い倉庫内のどこにもいない。

「倉庫に入る前からいなかったんだ。僕が走るスピードを上げすぎて、途中で振りきっちゃってさ。追いかけて来ると思ったんだけど……もしかして、迷子になってるのかな」

「ふぅむ。それはそれとして、レックス。おまえさん、わしの荷物を潜水艦から下ろしたか? 地上から持ち込んだ車両や機材一式が艦内からなくなっているのだが」

 トレトマンはモニターに向き直り、画面をスクロールさせる。

「えー、トレトマンの物なんて怖くて勝手に触らないよ。整備ロボットが倉庫に持って行ったんじゃないの?」

「いや、そう思って履歴を調べたのだが、運び出した形跡も、倉庫のリストにも載っとらんのだ」

 おかしいな、と二人は首をかしげる。

「ねえ、シン兄を探しに行こうよ」

 少年の提案に、レックスがうなずく。トレトマンは返事もせず、何か別の考えに没頭していた。

「そうだね、ついでに潜水艦ドックに行って、貨物室を見てみようよ。もしかすると荷物はどこか別の場所に運ばれてるかもしれないし」

 肩にマイキを乗せたところで、トレトマンが「マイキ君」と引き止めた。

「どうしたの、おっちゃん」

「……あまり、仲間の恥をさらすのは気が進まないが、この深海都市には人間を歓迎しない者もいる。一人では出歩かないようにしてくれ」

「え……そうなの?」マイキの顔が曇る。

「あぁ。私達が戻ってきたことが引き金になって、何か騒ぎが起こらなければいいのだが……」

 そこで言葉を切ると、トレトマンは足早に歩を進める。

「荷物はいい。先にトラストを探すぞ」



 乱雑に放り出された海里は、床に落ちる寸前に身をひねり、片膝を立てた格好で着地する。すぐさま周囲の状況を確認した。そこは他の部屋と同様、飾り気のない場所。ただ、広さと高さだけはあった。壁面近くには数人のオリジネイターがひと塊りになってこちらを見ている。

 その視線に含まれるものに、海里は寒気を覚えた。

 見下ろす眼差しは、到底穏やかなものではなかった。軽蔑に近い無関心さが突き刺さる。敵意ではない。相手を自分よりも下等なものとして見下し、自身を絶対者とする傲慢なものだ。

 海里は黙って立ち上がった。出入り口はすでに閉ざされ、シリウスがそこに立ちはだかっている。

 場にいる全員の顔と名前はわかる。同時に、海里の中であまり会いたくない者達のリストとも一致した。

 ほとんどのオリジネイターは、外装が特殊な海里も仲間として認識し、接してくる。しかし中には激しい拒絶を見せる者もいた。どうやらここにいるのは、海里に対して悪意を持つ者ばかりのようだ。

 中の一人が前に歩み出る。身長は他のオリジネイターと大差なかったが、横幅が桁違いだった。胴体と脚部が大きく張り出し、腕は床につくほど長い。青黒い身体に、小さな頭部の赤い眼が光る。

 無骨な姿。フォートという名のオリジネイターは圧倒的な質量で歩み出ると、がっ、と床を蹴って疾走を始めた。見る間に間合いが急激に縮まる。空気を切り裂く音とともに、長い腕が頭上高くから思いきり振り下ろされた。

 海里は背を向けず、逆に走り出した勢いで前方に身を投げた。転がって反転し、膝をついたまま身体を起こす。海里がいた場所に、破砕機のような手がめり込んでいた。

 思わず、次の行動を取ることも忘れて呆然とする。

 今の攻撃は、捕まえるのではなく海里を破壊しようとしているのが明らかだった。

「フォート……」信じられない思いで海里は顔を上げる。

 仲間に攻撃を受けている事実に、傷はないのに切られたような痛みを覚え、顔をしかめた。

 床から手を抜いたフォートは、一緒になってはがしてしまった床の一部を脇に投げ捨てた。

「よく動けるいい身体じゃねぇか。それに、今の表情、いいね、まるで人間みたいだぞ」

 揶揄する言葉に、後ろにいた仲間がつられて笑う。

「どうした、いつもあの黄色いチビとじゃれて遊んでんだろ。俺達とも遊ぼうぜ」

 高く振り上げられた腕を、海里は他人事のように見上げる。次の攻撃は、最初から狙いを大きく外していた。激しい破壊音が足元からして、飛び散った床の破片が人工皮膚を傷つける。フォートのもう一方の腕が横薙ぎに振られ、反射的に両腕でかばったが、海里の身体は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

 全身に受けた衝撃に、動けなくなる。至るところが不調信号を送って来るが、襲いかかる痛みに意識がかき乱され、対処しきれない。

「ほら、まだ終わらねーぞ」

 ひょい、と猫の子をつまむように海里は再び誰かの手で部屋の中央に放り出される。

 床の上でもがく海里に、失笑が飛ぶ。

「弱いな、弱すぎんぞ。そんなんじゃあ……イノベントは倒せねぇなぁ!」

 迫る気配だけを頼りに、海里は床の上を転がって攻撃を避けた。が、床が破砕した衝撃に巻き込まれる。転がりながら勢いをつけ、どうにか立ち上がった。ふらつきながら、自分を叩きのめしている相手を見上げる。巨大な存在。この人間形態のままでは、殴り返すこともできない。

 破壊、続くのは、存在の消滅。

 その考えに至った海里は、氷塊の中に突き落とされたような気がして、震えた。

 滅びに対し、年若い海里は現実感が伴わなかった。彼が恐怖を覚えたのは、それが仲間の手によるものだということ。

 混乱で動けなくなった海里に、容赦なく鉄塊が降って来る。また彼の立つ、ぎりぎり脇に突きこまれた手は、床を爆砕させ、砕けた床板に打たれた海里は情けなく転倒する。

 今度は、すぐに起き上がれなかった。フォートは動きが鈍くなった海里には興味がないとばかりに、狙いを彼に絞った腕が振り下ろされた。

 高速回転するホイールが床にこすれる、耳障りな摩擦音が響く。音源に振り返る前に海里の身体はその場からすくい上げられ、直後に剛腕が床に穴を開けた。

 急旋回に身体を引っ張られながらも、海里は自分を抱えているのが鮮やかな黄色の腕だと気がつく。

「……レックス?」

 レックスは耳をつんざく音を響かせながらブレーキをかける。床との摩擦ですれたホイールから煙が上がった。

「みんなっ、何てことするんだよっ!」

 苛烈な叫び。レックスは燃えるような眼差しで海里を取り囲んでいたオリジネイター達をにらみ上げた。

「こんな、こんな真似……」

「弱い者いじめはやめろ、ってか?」

 獲物を奪われたフォートは、特に不機嫌な様子も見せずに振り返る。

「そいつが弱いから、何もできねぇから、それをわからそうとしただけだ」

 壁際でことの推移を眺めていたオリジネイター達も動き出す。全員、レックスよりも大柄だった。彼は腕の中の海里をかばうように抱きしめる。

「ほら、そうやって、いっつもおまえやアウラの後ろに隠れて、自分の身ひとつ守れやしねぇ。一人で立てねぇできそこないは、オリジネイターじゃあねぇんだよ」

 痛烈な言葉による攻撃に、海里の肩が揺れた。

「けどよ」フォートは半身をずらす。彼らの奥には、向こうへ続く扉があった。意を理解したオリジネイターが扉に手をかけ、開けた。

「さすがに不公平だと思ってな。持って来てやったぞ」

 扉の向こうはもう少し手狭な倉庫だった。そこにはずらりと、地上のクルマが並んでいた。普通自動車の他に、消防車などの緊急車両。中には珍しい、双腕式の油圧ショベルもあった。白と黒の塗り分けが特徴的なパトカーも一緒に並んでいる。

「これで全力が出せるだろ。同期接続して、俺と戦ってみせろよ」

 嘲笑が響く中、海里はレックスの腕を押して床に降り立つ。ふらついたが、支えに出された手を無視して歩き出す。

 パトカーのある方へ。

「ちょっ、トラスト、やめなって!」

 レックスが悲鳴じみた声を上げて止めに入るが、海里はかぶりを振って拒絶した。

「トラスト……」

 レックスは黙って行こうとする兄弟の背をじっと見つめる。

 海里は周囲の野次をものともせず、パトカーのボンネットに手をつく。すぐに変化が始まった。青白い光が弾け、青年の姿は粒子になってパトカーに吸い込まれる。直後、クルマが動き出す。扉や屋根が展開し、内部構造を露出させながら他の形に組み換わり、パトカーだったものは二足歩行形態へと滑らかに変形する。

 クルマと一体になった海里は、無駄のない動きで立ち上がると、フォートに向き直った。



「おお、やはり、あいつらが持ち出していたか」

 出入り口のシリウスを無視し、マイキを抱えたトレトマンが倉庫内へ入って来る。しかし、興奮に沸き立つ者達は誰も気がついていなかった。

「シリウス、これは面倒なことになったな」

 トレトマンの口調には、微塵も面倒さは感じられない。逆に、面白がっているような節がある。

「トレトマン……」

 私刑の場を押さえられたシリウスは動揺を見せるが、本来なら馬鹿げた行為を止める立場にあるはずの年長者は平然と同期接続したトラストを眺めている。

「ね、ねぇ、おっちゃん、止めないのっ?」

 焦って身を乗り出すマイキを軽く押さえ、トレトマンはさらりと言った。

「あやつらの中で、今までつもりにつもった不満が爆発したのだろう。放っておけ」

 止めない意を示したトレトマンに、マイキだけではない、シリウスも驚愕を見せた。

「トレトマン、それは……」

「もちろん、一方的に相手を嬲るようなやり方はよくない。しかし、どの道いつかはこうなっていたのだ。むしろ、イノベントと本格的にやり合う前に問題が露呈したのだ、こちらにとって損にはならないだろう」

 何の淀みもなく、トレトマンは冷酷とも言える言葉を吐き出し続ける。

「トラストは、試されているのだ。ここであやつが何らかの答えを皆に示さなければ、そこまでだ。フォートの言い分は乱暴だが、一理ある。弱いから、かわいそうだからという理由で危険から遠ざけていては、やがて何もできなくなる。いや、やって当たり前のことすらしなくなるだろう」

 それに、と言ってトレトマンは笑う。

「言ってわからないやつらには、まず殴ってでもこちらの言うことを聞かせるように仕向ける必要があるな」

 軽い笑声は、緊張感の漂う倉庫内ではことさら薄っぺらく響く。

「まあ、もちろんみんな仲良くが理想だが、現実には、オリジネイターの中にも差別はあるのだよ。世代や大きさの違いなど、細かく挙げればきりがない。その中でもトラストは、よりわかりやすい攻撃の対象になってしまっただけだ」

「そんな、みんな同じアニマを持ってるんでしょ? だから同じオリジネイターなんじゃないの?」

 マイキの泣きそうな訴えに、トレトマンはうなずきを返す。

「そうだな、同じだ。ただ当たり前の……生命同士だよ」

 二人の会話を、シリウスは隣でただ聞いていた。



 互いに向き合った両者が振りかざしたのは、内蔵の機関砲でもブレードでもなかった。

 指を内側に折って作った、原始的な武器。

 拳だ。

 鋼鉄の拳同士がぶつかり合い、衝撃が打ち寄せる波のように倉庫内の空気を振動させる。一撃ごとが、倉庫の壁面くらいはたやすく打ち抜けるほど重い。それらを海里とフォートは受け、流し、打ち返す。

 海里は同期接続後でも、フォートより小型だった。小さい分、全体の重量も軽い為、拳の軽さは打ち込む回数を増やし、受ける打撃の重さは軽快に避けることでダメージを軽減させた。

 海里は拳だけでなく、しゃがみこむと右足を軸に、左足を地面と水平に振ってフォートに強烈な蹴りを入れる。フォートは後ろによろめいたが、倒れはしない。それでも、相手の突進じみた勢いを殺すことはできた。

 わずかに後退したフォートは、海里をそれまでのようにはいかないと判断したのか一度攻撃の手を緩める。だらりと腕を下ろすと、関節を外した。さらに長くなった腕はいくつもの節に分かれ、振り上げられた腕は蛇のようにうねって海里に襲いかかる。リーチの差に接近戦に持ち込めなくなった海里は、顔と胴体をかばって腕を交差させてしのぐ。

 しかし防戦を許すような相手ではなかった。巨体の重量を生かし、フォートは伸びた左腕で海里を叩きながら、距離をつめて元に戻した右の拳で殴りつける。重さと勢いが乗った鉄塊に、なすすべもなく吹き飛ばされる。同期接続前と同じように海里は壁に叩きつけられ、床に倒れた。無様な様に、フォートはせせら笑う。

「どうした、その鎧でも軽すぎたみたいだな」

 即座に跳ね起きた海里は、その軽さを生かして跳躍する。フォートの腕は強力だったが、身軽に避けてすべて致命傷を外して動き回る。海里はその度に数発の拳をフォートの身体に打ち込んだ。鋼鉄の身体と身体がぶつかり合い、明かりの乏しい倉庫内には時折、まばゆい火花が散った。

「すごいやシン兄! やっちゃえ!」

 興奮したマイキが身を乗り出す。しかし少年を抱えているトレトマンは静かだった。

「トラストのやつ、ずいぶんと勢いこんでいるな。恐らく、そうはもたんだろう……」

 トレトマンの不吉な予言からさして経たないうちに、それは的中する。

 敏捷にフォートの腕をかいくぐってきた海里だったが、次第に動きが鈍くなってくる。攻撃を受けて立ち上がるまでの間が長くなる。足をつかまれ、振り回されて吹っ飛ぶ。倒れても立ち上がるが、マイキの目から見ても疲弊の色は明らかだった。

「……限界か」

「え? どう言うことなの?」

 トレトマンは殴り合いを続ける海里達から視線を外さないまま、冷淡ともいえる口調で答えた。

「トラストの同期接続は、長時間使えるものではないのだよ」

 初めて聞く話に、マイキは言葉を失う。

「私達がロボットと自動車の二つの姿を持っているのは、人間社会に入り込む為の擬態だ。トラストの人間形態もそれに該当する。だが、同期接続した際のロボット形態は戦う為の武装であって、通常稼働に適したものではないのだよ」

 マイキはよくわからない、と首を振る。話好きのオリジネイターは、かみ砕いた説明を付け加えてくれた。

「例えば、マイキ君は重い鎧をつけたまま、学校に通えるかね。風呂に入ったり、眠れるかね。銃や刃物を握ったままでは、食事もままならないだろう。それと同じだ。あやつには残念ながら、オリジネイターの平均的な巨体を支えるだけの力がないのだよ。一時的には可能でも、継続はできないのだ」

 トレトマンはそうだな、と軽くも重くもなく言い放つ。

「フォートに弱いと言われても、否定はできんな」

「そんな……」

 マイキは呆然とトレトマンを見上げ、海里に視線を移す。彼はもう、ほとんど動けなくなっていた。そこを蹴り上げられ、壁にぶつかって床に落ち、今度は起き上がっては来なかった。

 沈黙した白と黒のロボットから青白い火花が散り、腕や足が展開して折りたたまれる。光の塊になったロボットは、パトカーと海里に分離した。

「トラストっ!」

 レックスはとっさに、彼とフォートの間に割って入る。

「おっと、保護者の登場だ」

 フォートはレックスを見下ろす。レックスもにらみ返した。大きな手が降ってきたが、手首をつかんで止める。

「痛ぇな、離せよ」声には余裕がにじんでいる。

「嫌だね。この手を離したら、おまえはまたトラストを殴るつもりだろ」

「はっ、いい加減、おまえも弱っちぃ兄弟の面倒を見るのも飽きただろ。この辺で余計な荷物は捨てちまえよ」

「……僕は面倒だなんて思ってないよ。自分より後に生まれた者を保護し、世話をするのは年長者の義務だよ」

 義務ねえ、とフォートは笑う。

「そういや、こいつはアウラとおまえが面倒見てたんだよな」

 その名前が出た途端、レックスの肩が跳ねる。その反応に、フォートはますます饒舌になった。

「アウラも地上に出ちまったから、おまえは一人で苦労しながら兄弟の帰りを待ってたわけだ。けどよ、アウラもどうせ、イノベントの連中にやられて地上で滅んじまったんだろ。ベルが帰って来ないのは、第六世代最小らしい末路だよな」

「っさい、うるさいっ! おまえには関係ないだろうっ!」

 レックスが吼える。その後ろで、倒れたままの海里は手を伸ばした。虚空をさまよう腕がつかむものが何かは、誰にもわからない。



 フォートとレックスが口論しているさなか、海里はもがいていた。身体は動かない、何も聞こえない。だが、何も感じていないわけではなかった。彼の中では激しい焦燥と悔しさが渦を巻いている。

 全身を震わせるほどの思いはひとつだけ。

(───勝つんだ)

 このままでは終われなかった。今まで散々馬鹿にされ続け、悔しい思いを呑みこんできたが、もう限界だった。

 いや、我慢を続けている自分自身に嫌気がさしてきたのだ。

 何を耐える必要がある。からかわれているのを受け流し、見ないふりをしたとしても、それは、相手をさらに増長させるだけ。

(ここで、決別してやる)

 弱いことが悪い、小さいのが気に食わないと言って、こちらを無視すらしない者を相手にするのはもうたくさんだ。だから、ここで拒絶する。言葉で相手を屈服させることができないのなら、殴ってでもこちらの言い分を通すのだ。

 だが、この脆弱な身体だけでは戦えない。他の機械と接続しても、まだ足りない。もっともっと、大きな質量を取り込む必要がある。

 できるのかなんて考えない。やらなければならないのだ。

 海里は、手を伸ばす。



 海里が倒れ、同期接続が解除されてもトレトマンは動かなかった。マイキを守るように抱えたまま、その少年が聞いてもいないことを話す。

「オリジネイターの身体は、世代を経るごとに小型化する傾向があるのだよ。それは根本となるアニマの力が弱まっているからだ。私はアニマが生まれると、まずは持っている力を計測する。新しい同胞がどれほどの質量を支えられるのか計算してから、それに合わせて身体を造るのだよ。そう、トラストはそれまでの平均的なオリジネイターの水準を大きく下回るほどの力しか、なかった。それこそ、身体を得て動くことが可能かどうか危ぶんだほどにね」

 語りながら、トレトマンは過去に思いを馳せる。当時、第六世代のレックスとアウラが生まれてから、次世代の誕生は途絶えてしまった。誰もが漠然と、種としての存続をあきらめかけていた頃、不意に生まれたのがトラストだった。

 だがその誕生は、喜びよりも困惑と同情を招く。

「シリウスがトラストを、ユーリ・ヘイスと呼んだことは覚えているかね? あれはあやつを識別するものだが、名前ではない。製造番号のようなものだ。名前の後につく、長ったらしい文句がこれだよ」

 私の〇三〇八がそれだ、と付け加える。

「こちらを呼ばれるのは、たいていのオリジネイターは好まんよ」

「……何で、それで呼ばれると嫌なの?」

 少年の声は、話に興味がある、というより、目の前の現実を直視したくないような乾いたものだった。

「マイキ君にも沖原マイキという名前があるのに、味気ない番号で呼ばれては面白くないだろう」

「……そうだね」

「とはいえ、人と違って我々は製造番号の方がある意味、本名とも言える。生まれるとまず、順番に沿って番号が与えられ、そして改めて名前が考案される。トラストの場合は初めての七世代目ということもあって、名前が決まるまでにずいぶんと時間がかかってしまった。その間に使われていたのが、〇七〇一(ユーリ・ヘイス)というわけだ」

 マイキは理解が及んでいないのだろうが、それでもうなずく。トレトマンは口論を始めたレックスとフォートを見やる。左目のカバーが光を弾いた。

「……馬鹿どもが」声には嘆きと呆れがあった。

 トレトマンは周囲に視線を走らせる。オリジネイター達はよほどこの見世物が楽しいのか、誰も彼と少年の存在に気がついていないようだ。隣のシリウスだけは時折、様子をうかがってはくるが、黙って直立していた。

 まだ自分の出番は先だろう、むしろ、何もしたくないと考え、トレトマンは自分の考えを語る作業を再開する。

「以前にマイキ君は、私達に人間の外装はないのかと尋ねたね」

 出会った当初、マイキは同じ種族内であまりにもかけ離れた姿かたちをしている彼らに、先ほどの質問をぶつけた経緯がある。

「結論からいえば、私やレックスは人間形態にならないのではなく、なれないのだよ。造ったところで、アニマが小さな身体に適応できないのだ。私が最初に生まれたアニマの力を計測するのは、それぞれに最適化した身体を作り上げる為。言いかえれば、トラストくらいに脆弱でなければ、人間の外装は持てないのだよ」

 マイキの、戸惑いを露わにした息づかいが聞こえた。トレトマンは少年に対し、変に優しいだけで中身のない話はしない。その代わりに、小細工なしの事実だけを語る。

「しかし、トラストが弱いと言っても、それはオリジネイターの中での話だ。当然、人間の膂力とは比較にならんよ。それに、私はあやつの身体が小さいことがマイナスになっているとは考えていない。それを補ってあまりある、別の力があるからな。それが同期接続だ。トラストは他の機械の固有振動数と同調し、構造を組み変えて自身の新しい手足として動かせる。これはユニオンでは、あやつしか持ちえない能力なのだよ」

「イノベントの女の子も、パワーショベルと合体したよ」

 ようやくマイキは、不安そうに震えた声音でそれだけを口にする。

「そのようだ。イノベント側にいる、人間形態オリジネイターの存在はとても興味深いが、今は情報が少なすぎるな」

 中東地域へ赴いた際、彼らの前に現れた四人のオリジネイター。それぞれ年齢や性別は様々だったが、人間に酷似した外装構造は共通していた。

 イノベント側の組織内部は、未だにほとんどわからない。トレトマンも憶測だけなら何パターンも推測したし、現在も考え続けている。

 しかし今は、ひとまずその時ではないと中断し、そろそろか、と思って話をやめる。

「トラストは我々の中では失われた可能性なのかもしれんな。……いつも、予想外の事態ばかりを引き起こす」



 口論を続けていたレックスとフォート。勢いを鈍らせたのは、フォートが先だった。巨体の視線がレックスの背後に注がれる。

「……トラスト?」

 振り返ると、レックスの後ろに倒れていたはずの海里はどこにもいない。視線をめぐらせると、兄弟の姿はすぐに見つかった。

 奥の倉庫、そこに並んでいる地上世界の車両の前に立っている。

 何てことはない、見慣れたいつもの背中。他のオリジネイターから見れば小さな存在だが、レックスにとっては身体の大きさなど個性のひとつでしかない、瑣末な差異だ。

 だが今は、湧き上がる恐怖を抑えられなかった。

 海里が何を始めようとしているのかはわからない、いや、その先を想像しようとすると、足を押さえ込まれたようにすくみ上がり、動けなくなった。

「駄目だ、トラストっ!」

 悲鳴じみた情けない声に、海里は振り返った。刃を返すように鋭くにらみつけられ、レックスは思わず肩を揺らす。

 海里は黙ったままレックスを見つめている。そこに言葉はなく、うなずくといった意思表示もなかった。元来オリジネイターは、感情の起伏はあっても表情の変化は乏しい。機械の身体に人間ほど微細な表現を求めることが無理な話で、その分、もっと感覚的に相手の情動を知覚する。

 レックスは兄弟が言いたいことも、やろうとしていることも、はっきりとしたものは何もわからなかったが、ただ、理解する。

「……わかったよ」言って、肩をすくめた。

 鋼鉄の信念と強靭な意思をみなぎらせた海里の眼差しに、レックスは折れた。

 フォートも海里の様子に何か感じ取ったのか、罵りばかりが出る口を閉ざす。

 他のオリジネイターが怪訝に思ったその時、海里はすうっと顔を上げた。

 赤褐色の瞳には、怒りも焦燥もなかった。冷徹な意思と、静かな自信。そうした何かを伴って、彼は前へと踏み出す。

 車両が並ぶ中に足を踏み入れると、彼を取り巻くように青白い火花が散る。それらは瞬く間に周囲の車両へと伝染していく。数々のクルマと海里の間が、光の糸で繋がれていった。

 すべての車両が唸りを上げる。エンジンが始動し、ヘッドライトがまばゆい光芒を放つ。脇に放り出されていたパトカーも再び息を吹き返した。

 クルマの心臓であるエンジンが鼓動し、振動に空気が揺らぐ。揺らぎに増幅されたように光が勢いを増し、彼と彼の周りにある、車両を含んだ空間がぐらりと歪んだ。

 歪曲する場の中、弾ける光。白光に包まれた海里とクルマは変形を始めた。

 海里の身体は光の粒子になって分解し、すぐ後ろまで迫っていたパトカーと同化する。が、先ほどとは変形の過程が異なっていた。車両から手足は伸びず、逆に折りたたまれる。代わりに、進み出た消防車の赤い車体が大きく分解してパトカーを取り巻き、接続されていく。足りないパーツを補うようにして、双腕式油圧ショベルや他の車両もばらけて別の形へと組み換わっていった。

 ひと際まばゆい光芒に、マイキは両手で顔を覆う。オリジネイターも光量調節がきかなくなるほどの強い光だった。

 光の中に生まれた影は、力を蓄えるように片膝を折って身をかがめている。やがて光が弱まると、膝を上げて重たげに立ち上がった。

 鋭い二つの眼が一瞬、輝く。機体のあちこちから、変形時に発した熱を逃がす為に白い蒸気が噴き出した。周辺はかりそめの濃霧が立ち込め、その中で影は直立する。

 海里は、いや、機械知性体のトラストは、新しい手足の具合を確かめてみた。重いしバランスも悪かったが、力がみなぎっている。自分の中から力が堰を切ったようにあふれ出してくるのを感じた。

 足元を見ると、地面が遠い。それどころか、周囲のすべてを見下ろしていた。

 変形したトラストの全長は、十二メートルを超えている。最古のオリジネイターであるアトラスすらも凌駕していた。

 見物していたオリジネイター達は本能的に跳び退り、青白いスパークを放つ巨体から距離を取る。

 新しく構築された関節が少しずつ動き出し、巨大な手足の末端まで電子の神経が通う。

 巨大な鋼鉄の腕が、足が、動く。

 呆然とした沈黙に包まれた倉庫内に、傲然とした足音が轟いた。

「……すごいや」

 その瞬間、言葉を発することができたのは、マイキだけだった。

「シン兄、カッコいいよ」

 新しく組み上がったトラストの身体は、パトカーを軸に消防車が分割して手足になり、補う形で双腕式油圧ショベルや車両が組み込まれている。全体的に不格好で、変形時にうまく組み込めなかった余剰パーツが、特に、油圧ショベルのアームが背中から垂れ下がったりと、バランスは悪い。

 それでも、巨体が生み出すパワーは本物だ。

 トラストは一歩、足を踏み出す。フォートは突然現れたその巨体にも畏怖する様子は微塵も見せず、正面に向き直り、両者は同時に突進し、激突した。

 鋼鉄のぶつかる音。弾き飛ばされたのは、フォートの方だった。倒れこみ、平らな床が大きく陥没して端がめくれ上がる。それでも反転して起き上がると、再びフォートはトラストへと迫った。

 蛇腹に伸びたフォートの両腕をとらえたのは、不格好な飾りのように背中で揺れていた双腕だった。トラストはアームを動かして、相手の腕の関節をねじって折る。間を置かず、ずたずたになった腕を引き寄せ、倒れこんで来たフォートの上体、その頭部に容赦なく拳を叩きこんだ。

 フォートの、巨体に比べれば小さな頭部は反対側に引っ張られるように折れ、頸部に裂け目ができる。露わになったそこから、ちぎれたケーブルの端がいくつものぞいた。

 腕を解いたトラストは、ぐらりとかしいだフォートの膝に、横から強烈な蹴りを入れる。大きな上半身は一度バランスを失うと、呆気なく倒れた。

 巨体が床に沈み、大きく震える。

 そこで終わりだった。フォートはちぎれかけた頸部から火花を散らし、沈黙する。

 不意に訪れた静寂に、誰もが何も言えずに硬直した。

「……やれやれ、どこまでいっても拳で殴り合いなんて、おまえさん達は馬鹿か」

 トレトマンはさもあきれたとばかりに肩をすくめる。

「もっとも、どちらかが重火器類を取り出したら、さすがに止めたがね」

 新しく開発した小口径徹甲弾があるぞ、とおススメを語ったが、誰も聞く余裕はなかった。



 巨大な機械構造が、組み上がった工程を逆再生するようにして分解し、再構築されていく。

 その過程で分離した青白い光が青年の姿を取る。

 前のめりになり、一歩踏み出した足で倒れそうになる身体を止めると、海里は顔を上げた。

「兄ちゃんっ!」

 感極まった、ほとんど泣き出しそうな声と同時に彼の足にマイキが飛びついて来た。

「すごい、すごいよっ!」

 喜色を浮かべた顔、それ以上は言葉にならないと、マイキは身振り手振りで自身の興奮を伝えようとする。海里も膝を折って目線を合わせると、少年の話にうなずく。

「トラスト、身体は何ともないのか」

 トレトマンに声をかけられ、海里は頭だけをそちらに向けて答える。

「……少し疲れた」

 言って、手を握って拳を作り、また開く。トレトマンは、少しなのか、と首をかしげた。

 不思議に思っているのは、トレトマンだけではない。海里自身も驚いていた。これまで同期接続を行うとかなりの疲労を感じ、下手をすればそのまま意識がなくなることさえあった。だというのに、今はどうだ。最初こそ、足元がおぼつかなかったが、それは巨大な身体から元の大きさにもどり、感覚がつかめずによろけただけ。意識を失うどころか、むしろ、いつもよりはっきりしているくらいだ。

 海里は立ち上がると、後ろを見た。彼が同期接続に使った車両や建設機械が元の形状になって並んでいた。

「トラスト。おまえさんも気がついているだろうが、リアクトした機械総重量の最高記録を軽く更新したぞ」

 そこは海里自身も驚愕していた。しかも、あれほどの力を使ったのに、以前のような体力の消耗がない。疲労感はあったが、むしろ適度な運動後のように心地よい。

「怒りにあてられ、力を引き出したか。……まったく、おまえさんはなっとらんな。新しい技や合体は、仲間のピンチに生み出すものが相場と決まっているぞ」

 ロボット物のお約束をトレトマンは語ってみせるが、当然、海里の知識にはないし、律儀にそんなものを実行するつもりはなかった。

 無愛想に無視されたトレトマンは、気落ちした様子もなく話を変える。

「フォートは災難だったな」

 振り返った先にいるオリジネイターは、火花を散らしたまま起き上がる気配もない。

「……死んじゃったの?」

 マイキは不安そうな声を上げる。

「ふん、あの程度で滅びるほど、あやつは脆弱じゃあない。今から治せば、明日にはまたトラストに突っかかってくるだろう」

「や……もうケンカは嫌だよ……」

 レックスは頭を抱えるが、トレトマンは逆に喜々としている。

「いや、怒りから力を得られるなら、もう少し殴られてみたらどうだ」

 と、軽くとんでもないことを言う。

 そこを狙ったように、ひどく耳障りな音が爆発した。

 壁際にいたオリジネイターの一人が、こちらに迫っていた。何か叫んでいるが、よほど興奮しているのか音声はひどく耳障りな雑音になっている。

 その巨大な鉄の手が上から振ってきた。とっさに海里がマイキをかばうが、その分、後退が遅れる。レックスも身を乗り出したが、ほんの少し届かない。

 迫る鋼鉄の拳を、海里は全身を使って受け流す。自分が避ける為ではなく、後ろにいるマイキを守る為に。

 床と水平に海里の身体は吹っ飛び、遅れたレックスがマイキを両腕の中に抱え込むようにしてすくい上げた。トレトマンが両者の間に入り、海里は壁面に叩きつけられ、床に落ちた。

「……不意打ちとはな」

 卑怯者め、と罵りながら、トレトマンは背中の収納を開けてライフルを取り出し、狙いを定める。

 オリジネイターは床に突き刺さった太い指を抜いて上体を起こす。トレトマンの構えるライフルに注意を払い、動きが止まった。

 しかし、トレトマンは引き金にかけていた指を離すと、ライフルを肩に担ぐようにして銃口をそらしてしまう。

 肩をすくめ、トレトマンはあきれたように言った。

「しかしだ。不意打ちには、不意打ちだ」

 我を失っているオリジネイターがトレトマンの言葉の真意に気がつく前に、相手の側頭部の装甲が大きく陥没した。

 ぐらりとかしいだオリジネイター。その後ろに立っていたのは、紺青のオリジネイター、シリウスだった。

 シリウスは殴られて動きが止まったオリジネイターに容赦なく蹴りを入れ、壁に叩きつけた。衝撃で壁面は大きくへこみ、一部が剥離する。やられた相手はねじれた姿勢で倒れ、動かなくなった。

 海里も似たような格好で倒れたまま、なぜ、と疑問を浮かべてシリウスを見上げる。

 仲間であるオリジネイターを殴りつけたシリウスに、残っていた者達が口々に罵りの声を上げる。あまりにも品のない野次が飛んだ為、トレトマンがライフルの銃口を向けて黙らせる。

「静かにしていろ」

 レックスはトレトマンが、「撃ちたい、こいつら撃たせろ……」と毒を吐いていたので、慌ててマイキを抱えて射線上から退避した。

 シリウスは倒れたまま動けないでいる海里をねめつける。だが我慢ができなくなったのか、彼は唐突に激高した。

「おまえは、ここにいればいいんだ。おまえは人間なんかじゃない、オリジネイターだろうがっ!」

 いきなりの発言。しかも叩きつけるような怒声に、海里は伏したまま指先すら動かせなかったが、どうにか眼だけを上げる。

「……シリウス?」

「重い身体が動かせないほど虚弱だから、軽い人間形態にする。理にかなっているようだが、トレトマンのやりたいことはようするに、おまえを使って自分の技術を試したいのと、地上世界の情報を得たいだけだ。いい加減に気がつけ、おまえは実験材料扱いされているんだぞ!」

 シリウスの悲鳴じみた叫びに、トレトマンは反抗的な態度を取っていたオリジネイターにライフルの台座を振り上げていたが、その手を止めて肩をすくめる。「ずいぶんな言われようだな」とこぼすが、まったく意に介した様子はない。すぐに興味を失うと、騒ぎを引き起こしたオリジネイター達を壁に並べて立たせ、説教を開始する。

「…………そんなこと……」

 海里はふらつきながら、どうにかして立ち上がった。全身が悲鳴を上げていたが、機能停止に陥るような重大な損傷はなさそうだった。彼は自分を見下ろす、怒りに燃えた眼を見上げる。

「……そんなこと、言われなくてもわかってる。今まで、散々な目に遭わされてきたからな。俺だって、こんな脆弱な外装より、鋼鉄の身体がよかったよ」

 全身を包む人工皮膚は衝撃に反応して硬化し、内部構造を保護する。しかし何度も壁や床に叩きつけられたダメージすべてを受け止めきれず、一部が裂けてそこから循環液が漏れていた。色は赤。その色彩は、人間の血液を模倣した物。

 人間から見て、皮膚が裂けて血を流していると思わせる為の偽装だった。

 どこまでも「人間らしく」が前提に設計されている自分の身体を海里は見下ろす。

「……こんな身体を与えたトレトマンを、俺は憎んでいた」

 その言葉は、海里自身も意外に思うほど、するりと口を突いて出て来た。だが吐き出した毒とは裏腹に、彼の中に重いものはなく、むしろ逆にすがすがしいくらいの気持ちで得意の長広舌をぶっているトレトマンの背中をちらりと見た。

 それまで自身の中でわだかまっていた。複雑に入り乱れた感情に出口が見えた気がする。

「今でも、この身体には違和感がある。正直、好きにはなれない。でも、これでいいと思う時もあるんだ」

 一度顔を伏せ、再び上げた海里は笑う。

「……ユーリ・ヘイス……」

 それを見たシリウスは背を向けて歩き出す。向かったのは説教から逸脱した自慢話を聞かされている同胞のところだった。

 シリウスが近づくのに気がつき、トレトマンは話を止めて振り返った。その間にシリウスは割って入ると、短く告げる。

「もう、あいつに手を出すのはやめろ」

 簡潔な物言いに、それまで表面上は神妙にしていたオリジネイター達が怒りの声を上げる。

「ふざけるな。今回の件はおまえも乗り気だったじゃないか」

「ここで点数稼ぎして、自分だけ逃げるつもりかよ」

「わかっている。俺も間違いなく共犯だ。おまえ達を止めなかったという点ではな。だが、経緯はどうあれ、あいつは俺達のやり方にも屈しなかった。だからもう、終わらせよう」

 振り返り、黙している海里を視線で示す。

「ここにいるのは、トラスト・〇七〇一。機械知性体オリジネイターだ」

 裏切るのか、と罵声が上がるが、シリウスは気にも留めず、彼らに背を向けると、海里を見下ろす。

「地上に出て、わずかな時間だったが、おまえは変わったな。いい眼をするようになった」

 静かで深い、慈しみのある声音だった。それまで見せていた、いらだたしさや激しさはきれいに拭い去られ、その変わりように海里は理解が追いつかず、立ち尽くす。何も言えず、だが、苦悩するように眉間にしわを刻んだ海里はこらえきれずにうつむいて、拳を震わせた。

 少々、と呼ぶには長めの間を置いてから、海里は切れ切れに声を漏らす。

「……俺はシリウスに、その……うとまれていると、思っていたんだ……」

 シリウスが海里に向かって一歩踏み出す。そして膝をつき、頭を下げた。

「すまなかった。ずっと、今までおまえを傷つけ続けて来

た。─── 許して欲しい」

 怖いくらいに真剣な眼が、海里の視線をしっかりととらえる。

「……俺は…………」

 それ以上は言葉にならず、海里は顔を伏せる。

 許す、と言えるほど、海里の心境は単純なものではなかった。長い間、うとまれ、避けられ、傷つけ合い、罵り合ってきた。積み上げて来たいさかいの数々は、たった一言で解消できるほど軽いものではない。

 今までのやり取りの中、勘違いにすれ違いもあれば、それに気づいても認めようとしなかった、意固地で愚かな部分もあったはずだ。

 結局、海里にできたのは、何も言わずに背を向け、レックスの元へ向かっただけだった。

 マイキを抱き上げた海里を、シリウスは黙って見ていた。その背に声がかかる。

「ま、おまえさんもそう落ち込むなよ。トラストも頭では理解しとるが、感情がそれに追いついとらんのだ。少し時間を置いてやればいい」

 トレトマンは説教第二弾が始まるから、おまえさんも付き合えと言って、シリウスを引きずって行った。







 昼夜関係ない深海都市だが、それでも夜は訪れる。グリニッジ標準時に合わせて、非常照明をのぞいた都市内部の明かりは少しずつ消えていく。地上世界に時間を合わせてどうなる、という意見もあったが、一日に区切りは必要と押し切られて採用された。

 その設定された日付が変わる頃になると、都市内部は闇と同時に静けさが漂う。ほとんどのオリジネイターは自室で休むか、あるいは気の合う仲間とくつろいでいた。

 トレトマンはそのどちらにも当てはまらない。すでにほぼ自室になっている整備室で、多数のスクリーンを同時起動させ、膨大な量の数式や図を閲覧していた。

「大変そうだな」

 不意に声が聞こえて、トレトマンは音声のした方に身体ごと向き直る。

 出入り口の脇に、アトラスが巨体を感じさせない静けさで立っている。入って来るように促すと、無言で歩を進めて適当な場所に落ち着く。オリジネイター専用の整備室は天井や奥行きにかなりの広さがあったが、種族内でもっとも巨大なアトラスにはそれでも少々窮屈そうだった。

 作業の手を止め、トレトマンはアトラスを見上げる。

「そうだな、大変だよ。まとめることが多くてどこから手を付けたらいいのかわからんほどにな」

 トラストにレックスも、遊びほうけて報告書が未提出だと、あきれて肩を揺らす。

「地上世界で得られた情報は多い。しかし、イノベントが何をしようとしているのかは、未だにつかめん。どこまで人類社会へ進出しているのか、どうやって人類を滅ぼそうとしているのか。妙な話はいくつも仕入れたが、どれもこれも整合性や信憑性に欠けている。議題に出したところで他のやつらを納得させることはできんだろう」

 トレトマンが語るのをやめると、場にはかすかな機械の駆動音だけが響く。

 沈黙しているアトラスを横目に、トレトマンは話の方向を変えた。

「アウラの生存は、あきらめた方がいいだろう。地上でヒュムネ・ベルを見つけた」

 端的で残酷な報告に、アトラスは「そうか」と答えただけ。特別無愛想な声音ではない。ただお互い、今の今まで言葉にして確認はしなかっただけで、すでに結論の出ている問題だったからだ。

「アトラス、何か言いたいことか、聞きたい話があるのだろう?」

 水を向けると、アトラスは身じろぎする。トレトマンは歯切れの悪い仲間の様子に焦れてきた。

「トラストなら、心配には及ばんよ」

 どうせ言葉にしなくとも、アトラスの聞きたいことはよくわかっている。最年長のオリジネイターは、最年少の存在が気になってしょうがないのだ。立場上、特に大勢の見ている前で特定の誰かを気にかけていては公正さが保てないので、表に出すことはめったにない。それでもトレトマンの前では長すぎる付き合いもあって、最古のオリジネイターも感情を吐露する。

「……そうか」

 口では納得するそぶりは見せるが、立ち去らないのがその証拠だ。恐らく、今日の事件も関係者全員に緘口令は敷いたが、どこからか漏れ聞いたのだろう。

 もっとも、トレトマンはアトラスには話すつもりでいた。他のオリジネイターが海里を私刑にかけようとしていたことは二の次で、本件はその過程で生まれた力についてだが。

「あやつはまだまだ若い。知識も経験も足らん。忍耐も根性も努力も、何もかもが不足しとる」

 だが、と言葉を切る。思わず周りを確認した。近くを通る者が誰もいないことを確かめる。これから言うことは、アトラス以外にはひどく言いにくかったし、当人が目の前にいた場合、絶対に口にしない類のものだからだ。

「……いい子だよ。少なくとも、誰かを気づかう優しさを持ち合わせとる」

 トレトマンは振り返る。視線の先には治療台があった。

「そうでなければ、自身を破壊してまで他者を救おうとはしないだろう。いくら身体は交換できるとはいえ、痛みは本物なのだからな」

 地上に出るまでは人間嫌いを隠そうともしなかった海里だったが、わずかな間にその心理は大きく変化した。それでも、元来の性質や欠点すべてが克服されるにはまだ遠い。すぐ目の前にある問題にとらわれ、与えられた任務を放り出してしまうのは、彼自身の甘さや弱さなのかもしれない。だが、トレトマンは海里は周りに振り回されすぎなくらいがちょうどいいと考えていた。

 そうやって、ちょっとしたことにつまずいて、転んで、どうやって立ち上がればいいのかを、必死になって考えればいい。出した答えが何であれ、そこに至るまでの過程は決して無駄にはならないのだから。

「大丈夫だよ、アトラス。おまえさんが心配する必要なんかない。あやつなら、まあ、問題は山積みだが……わしらが考えるほど、深刻なものなんて何もないぞ」

 傍らのアトラスの雰囲気が、かすかに緩んだ。

「おまえにはいつも、助けられているな。憎まれ役ばかり買ってもらっている」

「ふふん、うとまれるのは慣れとるよ」

「おまえのやり方にも問題はあるがな。今の外装にアニマを移す際、トラストに説明を省いただろう」

「どうせ何を言っても反発される。わしも、言われたところで止める気もなかったからな、結果が同じなら、面倒事は減らしたい」

「それでずっと、勘違いをされたまま恨まれていては意味がないと思うがな」

 トレトマンは何も言わず、スクリーンに向き直る。

「トラストの外装だが」

 アトラスはぽつりと、誰に聞かせるでもなく漏らす。

「人間形態を見た時、私は素直に美しいと思ったよ。オリジネイターや人間の差など関係なしにね」

「あの外装にはずいぶんと気を使ったからな。基本は東洋系の成人男子。しかし、様々な人種の部位も参考にしたからな。最終的には、ありそうでない設定になったよ」

「人間の美醜はよくわからないが……そうだな、眼がいい」

 アトラスは自分の言葉に感心したようにうなずく。

「眼、ねぇ……あれは、わしの技術よりも、トラスト自身の性質だろうな」

 トレトマンは何も、自分の好みだけで海里の外装を構築したわけではない。アニマの波動を読み取り、彼なりに、新しく生まれるオリジネイターに相応しいものを考えたつもりだった。

 アトラスは話しているうちに、声が軽くなる。

「トラストの美しさは、他者を圧倒するような強烈な美ではないよ。そうだな、人の視線を集める存在感、だろうね」

「人間の中での美形とは、また違うからな。しかし、あやつの成長には驚かされるよ。どうやらトラストは、我々のような古い世代にはない可能性を持っているらしい」

 思い返すのは、トラストが初めて同期接続を行った時のこと。原因は覚えていないが、いつものようにシリウスが突っかかってきた際、我慢の限界だったトラストは、唐突に近くにあった掘削用ロボットと合体した。

 その際は、トラスト自身も怒りに我を忘れていた状態だった為、元に戻るまでがひと苦労だったのだが。

 後でトレトマンは、起こった現象について話を聞いたのだが、トラストはかなり長い間悩んだ末、「もっと大きな手足があれば、シリウスを殴れると思った」と答えただけ。

 驚いたことに、トラストは同期接続を行う過程を、歩くのとほとんど同じ感覚でやってのけたのだ。

 機械の構造を読んで同調するまでに、たった数秒。しかも、違う機械を用いても同じように人型の巨体を構築してみせた。

 読み取った機械と、そして自身の構造を分解し、再構築。さらにまた同じ工程を逆回しにできる。医者であり科学者でもあるトレトマンから見れば、その能力は高等な技術と呼ぶよりも、荒唐無稽な魔法だった。

 だからこそ、とトレトマンは思う。

「あやつなら、何かしてくれるのではないかと、期待してしまうのだよ」

 言って、笑った。



 翌日もマイキは興奮していた。昨晩はあまり眠れなかったが、睡眠不足もどこへやら。身体の奥から湧き出す活力に、後ろから突き飛ばされるような勢いだった。

 海里に抱えられてレックスの肩に乗り、深海都市内を疾走する。脚部ホイールでの走行は滑らかで、凹凸の少ない都市内部では、場合によってはマイキが目を開けていられないほどの速度になり、後で危険すぎるとトレトマンに叱られた。

 出会うオリジネイターの面々は誰もが親切で、マイキを歓迎した。むしろ向こうの方が興味津々で寄って来る。地上の話をせがまれ、あまりの質問攻めに頭が熱くなってくるほどしゃべった。

 昨日に起こった事件はマイキの中で、かすかに尾を引いていた。それでも、今そこにある楽しいものを堪能することにマイキは一生懸命だった。

 途中、トレトマンが会議だ、と言って抜けて行ったが、レックスと海里は変わらずマイキの側にいたので、少年は次々と現れるオリジネイターの顔と名前を一致させるのにひと苦労。トレトマンの足取りが、普段より重かったことには気がついていなかった。



 大会議室には緊張した空気がつまっていた。

 集まっているのは各世代の代表者数名。総勢で十五名ほど。椅子やテーブルなどはなく、彼らはスクリーンに表示される情報と、それを補足説明するトレトマンの言葉を黙って聞いていた。

 人間の世界情勢や、経済、宗教、様々な問題や特徴が羅列される。ここにレックスと海里がいれば、この短期間にそこまでの情報をどうやってかき集めたのかと驚愕しただろう。

 報告内容は、肝心のイノベント側の動向に移る。しかし特に目新しい情報はなく、集まっている者達の間から不満の声が上がる。

 人型のオリジネイターが、確認できただけでも四人いることには衝撃が走ったが。

「彼らの全容は、未だに把握しきれん。むしろ未だにその糸口すらつかめていない状況だ。我々三人だけでは、もっと具体的な行動を起こすにしても限界があるしな。……以上だ」

 えんえんと説明し、最終的には「もっと誰かよこせ」と自分の主張も忘れずトレトマンは報告を締めくくった。

 途端、会議場内がざわめく。特に若い世代の激高した声が目立った。古い世代は不満そうな様子を見せているが、もう少し慎重にことの推移をうかがっている。

 アトラスは輪から一歩離れた場所で、沈黙を守っている。

 文句と意見の微妙な境にある発言を、トレトマンは辛抱強く聞いていた。いちいち反応していてはきりがない為、言いたいように言わせている。オリジネイターも基本的には階級社会なのだが、あくまで制度として存在しているだけで、若い世代だからと意見が一蹴されはしない。それでも、若いということは、それだけ物を知らないことにもなるので、どうしても現実性を欠いた意見が多くなる。そのせいで、最終的には外されてしまう場合も多いのだが。

 並べられる発言は、大きく分けて三つに分類される。

 イノベントの目的を阻止し、人類の滅亡を防ぐ。

 イノベントを叩く為に、人類存亡は二の次。

 完全無視。

 若い世代は大体が前二つの意見になり、古い世代の中には人間やイノベントも関係なく、深海都市での生活を続けたいという者が多い。

(……変わらんな)トレトマンは思う。

 彼らが地上世界に出る前にも、同じ議題の会議を何度も行った。しかし意見は繰り返されるだけで、すり合わせも、まとまろうという意思もない。

 そのあたりに嫌気がさしたトレトマンは、一部の意見をほとんど独断で推し進め、地上世界への調査に出たのだ。

 こうして反発を覚悟して情報を持ち帰ったが、結果としては何も変わらない。むしろ、イノベントを危険視する意見と、ひきこもりの派との対立がますます深まっただけ。

 もう少し調査期間を長く取り、せめてイノベントの組織形態、目的の片鱗だけでもつかみたかったが、海里の身体の損傷もあって、どうしても一時帰還する必要があった。仲間の負傷を調査不足の言い訳に使うつもりはなかったが、それでも、ここまであからさまに不満を見せられると、トレトマンも愚痴のひとつくらい言いたくなる。

 会議の発言もまとめずに放り出していると、終いには、物が飛び交いそうなほど険悪な雰囲気になる。こういう時、平等な意見の場というものは厄介だな、とトレトマンは肩をすくめてみせた。

 もう一度アトラスを見たが、巨体は完全に存在感を失い、壁の飾りのようになっている。

 さて、とトレトマンはあたりを見回した。

(そろそろ、やるか)

 どうせ待っていたところで何もまとまらないし、進まない。いくら長命のオリジネイターでも時間は有限ではないのだから、無駄は省くべきだというのが彼の持論だった。

 ちょうど折よく、都合のいい攻撃相手が現れた。トレトマンと同じ第三世代、ソリッドが、吐き出すように告げる。

「人間なんて放っておけばいい。滅ぼされるというなら、それが人類という種の限界なだけだ」

 次々に賛同者が連なり、同調する。それらの主張を聞き流し、トレトマンは割って入った。

「馬鹿どもが。そうやって同胞の勝手を許した後、イノベントはユニオンを無視したままでいると思うか? わしなら、人類を滅ぼした後、その勢いに乗ってかつての同胞もついでに滅ぼすがね」

 トレトマンの発言に、全体がざわつく。取りようによっては危険極まりない言葉に、非難の声と軽蔑の視線が突き刺さる。しかしトレトマンは腕組をして、むしろ傲然とした様子で胸をそらす。

「深海都市に残りたい者は、残って錆びついてろ。だが、戦いたい者達もよく考えるんだ。地上に展開する人間社会は、人口の莫大な増加や環境問題、政治や宗教、言語に習慣に肌の色と、とにかく様々な要因が複雑に絡み合いすぎて、単純に武器を振り回して目の前に現れる敵を倒せばいいという話ではなくなっているのだよ。その為、その枠組に侵入したイノベントのみを弾きだすことは、不可能に近いだろう。しかし、これだけは確かだ。もはや、放っておいてもオリジネイター同士の戦争は遠からず始まってしまうだろう。我々にできるのは、戦争を止めることでも、まして終わらせることでもない。適切な方法で事態を収束に導く為に働くだけだ。そう、自然災害は予告も宣言もなく唐突に起こるが、戦争を始めるタイミングは、ある程度はこちらの意思でコントロールできる。もちろん、犠牲は人類、オリジネイター問わず大量に出るだろう。ここで忘れてはならないのは、どうやっても犠牲は出るという事実からは、決して目をそらしてはならないのだという点だ。沈黙して殻に閉じこもっていたとしても、いずれ戦火はこの深海都市にも及ぶのは確実だ。この現実を踏まえてから、居残りするか、戦うか、どちらかを選択しなければならない事態にまで陥っているのだよ」

 犠牲は出るのだ、もう一度、繰り返す。必要であれば百でも千でも、トレトマンは同じ言葉を説き続けるつもりでいる。

「もちろん、人類も捨ててはおけない。人間など脆弱で愚かだと見下すのは簡単だ。だが、彼らはたくさんいる、世界人口はなんと、百億に達したそうだ。対する我々オリジネイターはどうだ、百もいないだろう? もしも我々が何も考慮せず、悪戯に戦端を切ってイノベントに戦いを挑み、その結果、オリジネイターすべてが人類の敵とみなされた場合、最終的に殲滅されるのは、いったいどちらだろうな。人間の作る兵器は恐ろしいぞ。都市ひとつを丸ごと破壊できる爆弾もあれば、我々の装甲を貫く弾丸も存在する。我々は人類から見れば強大だが、現在の科学技術の前では、決して倒せない敵ではないのだよ」

 一同は沈黙に支配された。全員の考えを代弁したのは、ソリッドだった。

「人間に取り入れと?」

 こちらの思惑の裏を疑い、探りを入れているのが明らかな態度にも、トレトマンは動じない。むしろ、存分にこちらの考えを読めとばかりに開けっぴろげに答える。

「別に、媚を売れと言っているわけではない。敵意を持たれるよりは、先にこちらから正体を明かし、人間の中に我々に対する仲間意識を植え付けるのだよ。人間は確かに、異なる存在に対しては狭量な部分もある。だからといって、こちらから歩み寄りを否定していては始まらんよ。一丸となって、とまでは言わないが、少なくとも利害関係だけは一致させておくべきだ。そうでなければ、イノベントを叩く前に、ユニオンが人間に後ろから撃たれる羽目に陥るぞ」

 人間の方が後に脅威になるかもしれない可能性を示唆され、ソリッドは考えをまとめる為か、一度引く。代わりに、四世代目のリブルが出てくる。彼はソリッドよりも落ち着いた様子で、臆することなく前に出て発言した。

「人間側にオリジネイターの存在を示すとして、その方法はどうする?」

 リブルは現在活動しているオリジネイターの代表とでも言うべき存在の為、自然と他の者は彼の発言と、それに対応するトレトマンの答えを聞く為に口を閉ざす。

「ふぅむ、いきなり全世界のネットやテレビに中継してもいいが、先にどこか、大きな組織に認めてもらい、そこから情報を発信してもらう方がいいだろう。その組織は、なるべき思想的に中立的な存在がいい」

「目星はついているのか?」

 むしろ、それくらい考えているのが当然だろうと決めつけて来るような厳しい言い方だった。

 もちろん、トレトマンは相手の質問に対しての準備は怠っていない。

世界防衛機構軍(GDO)が適当だろう。世界紛争の阻止というお題目を掲げて戦争をしている集団だ、少なくとも、世界平和の為と言えば、話くらいは聞いてくれるだろう」

 地上世界の実態に詳しくないオリジネイターでも、そんな奇妙な目的を持って運営されている組織くらいは聞き及んでいる者が多い。会議場内がざわめく。

 彼らの懸念は、ひとつ。

「その組織は、安全なのか?」

 リブルが代表して尋ねる。トレトマンは短くうなずくと、肩を揺らして笑った。

「ふん、安全どころか、防衛軍の実態は真っ黒だな。確証はないが、オリジネイターの技術が一部の兵器に転用されている。恐らく、イノベントが組織運営の一部か……あるいはすべてに噛んでいるのだろう」

 会議場内に荒々しい怒声が響く。他のオリジネイター達の抗議と罵声だ。リブルはあたりを見回し、あえて止めるような真似はせず、むしろこれが答えだとばかりに示す。

「そんな組織に、ユニオンの実態を明かすと? 逆にイノベントに我々の行動が筒抜けになる恐れがある。あまりにもリスクが高すぎる。その提案は許容できない」

 怒声はひとまず収まったが、全員がトレトマンを敵のようににらみつけている。平然と眺めているのはアトラスだけだった。

「まあ、おまえさん達の言い分はもっともだ。わしも情報の漏えいは気になるところだよ。しかし、防衛軍側に我々の技術があるということは、我々の存在を感知している人間も多いはずだ。何も、組織と言っても、すべてが一枚岩ではない。どこにだって入り込む余地はある。要は使いようだ。うまくすれば、逆にユニオン側の行動を伏せ、イノベントの情報をすべていただくことだって可能だろう」

 トレトマンは身を乗り出した。リブルは身じろぎもしない。だが、無機物でできた目の奥では、感情が揺れている。オリジネイターの顔に表情はないが、腕や肩のちょっとした上げ下げで、心情の変化はうかがえる。そしてそれらを読み取るのも隠すのも、適切に演じるのも、経験豊富な年長者の方が上だった。

 トレトマンはユニオンが取るべき行動と、人間世界の危うさ。そして、それらをうまく使いこなした時に得られるであろう最良の結果をエサとして彼らの前に吊るしてみせた。もちろん、最悪の結果も十二分に想定はしてある。それらは自分の思う通りに行動が起こせるようになった時、少しずつばらまいて行けばいいのだから。

 戦争は始めるタイミングが大事なのであって、始めた以上はもう、止められないのだ。一度走り出してしまえば、どれだけ彼らがわめいて不満を並べ立てようともう遅い。

 全員がそれぞれの打算を始め、これまでとは違って焦りから言葉がなくなる。

「……意見は出そろったようだな」

 静かな声。それまで何も発言せず、彫像のように黙していたアトラスが言った。

 場が静まり返る。全員が背筋に金属棒でも差し込んだように直立した。

「では、私の意見を述べさせてもらおう。まず、調査は続行する。地上の調査要員は増やそう。その選別は、トレトマンに一任する。そしてイノベントだが、戦いはもう避けられないだろう。私は、犠牲と変化を恐れて大局を見誤るような愚行だけは止めたい」

 アトラスは一同を見回した。誰も反論する者はいなかった。不平すら飲み込む、圧倒的な存在感。それは他者を威圧するのではなく、厳しいが、どこか包み込むような暖かさがある。

「我々はオリジンの名の下に集う同士だ。たとえこの争いの結果、オリジネイターの種としての存続が危うくなったとしても、ユニオンはかつての仲間の暴挙を止めなければならない。これは種族全体に課せられた責務なのだ」

 誰も何も言わない。長い年月の間に、階級間の絶対性は薄れつつあるが、それでも、最古のオリジネイターに対する、畏怖に近い敬意だけは失われていない。

「君達の中には、人間に守る価値があるのかと疑問に思う者もいるだろう。しかし、これは我々オリジネイターの問題。誇りを賭けたものなのだ。他種族を力によって制圧することなどたやすい。だが、ユニオンはそういった方法を望まなかった。だから、これからもそうある為にも、イノベントの目的遂行を阻止するのだ」

 アトラスはゆっくりと、まるで眠りから覚めるような柔らかな動作で一同を見渡した。

 場に集うオリジネイター達は、それぞれに異なった考え方を持つ個体だ。しかし今は全員、白銀の巨人の声を聴き、降臨した神に相対したように、声もなく歓喜に満ち満ちた眼をしていた。

 そこに、オルゴール調の曲が滑りこむ。次いで、澄んだ歌声が旋律に絡むようにして響いた。音源は、トレトマンからだ。

「歌姫シャーリー・アレン最大のヒット曲「静かの海」だ。美しい歌だろう。癒しの効果があるらしいぞ」

 飄飄と答える様に、何人かが不快そうな様子を見せたり、あきれて肩を上下させる。馬鹿らしい、と怒声も上がった。

 緊張が途切れたところで、会議は内容をまとめてお開きになった。

 調査は続行。同時に、ユニオン全体も戦争に向けての準備にかかる必要があるという結論に達する。

 会議室から出たオリジネイターの足取りは、重い者もいれば、忙しなく走り去る者もいた。

 残ったのは、トレトマンとアトラスだけ。

「ふん、ようやく動き出したか。時代遅れの馬鹿どもが。海に放り出して深海魚の巣にした方が利用価値があるだろうに」

「本音を言えば、戦うことに関しては、私は今も反対だよ」

「おまえさんはそうだろうな。しかしわしは、反抗もせずに滅ぼされるのは性に合わんのでな。精一杯、悪あがきしてみせるよ。……もちろん、何の犠牲もないのが一番だが……現実的には、不可能なのだよ。必ず誰かが何らかの弊害をこうむる。そしてその被害は今も、確実に広がっているのだからな」








「さて、日本へ向かうぞ」

 会議から戻ったトレトマンは、開口一番にそう告げた。

「えーもう?」

 オリジネイターのオモチャかマスコットキャラクターになっていたマイキは鋼鉄の手の中で不満の声を上げる。もっとも、文句を言うのは少年だけではなく、他のオリジネイターもこぞって声を上げる。

「ふふふ、楽しい時間は早くすぎるというものだ。そろそろ帰還しなければ、春休みが終わってしまうぞ」

「あのさ、トレトマン、その前にトラストをちゃんと診てやってよ」

 おずおずと挙手しながらレックスが言う。

「おお、そう言えばフォートにかかりっきりで、あやつにまで手が回っていなかったな」

 どこだ、と見回したが、室内やオリジネイターの足元にも海里の姿はない。

「トラストはどうした。逃げたか?」

 周りに尋ねても、皆、首をかしげるだけ。レックスとマイキも、そう言えば、と顔を見合わせる。

「またか……。レックス、トラストを探して整備室まで連れて来い。あやつの身体の調整が終わり次第、地上へ出るからな、そのつもりでおまえさんも準備しておけ」

「そんなぁ、帰ってきたばっかりなのに!」

 不満を黙殺したトレトマンは、整備室を案内すると言ってマイキをかっさらい、レックスには早く行け、と蹴りを入れた。



 一方、その頃の海里は一人で星霜の間にいた。

 トレトマンが来たから逃げ出したわけではない。もっと前からここへ来て、部屋の中央に寝転がって星のように瞬く命の輝きを見上げ、その光を受けていた。

 何も言わずに抜け出してきたことに、罪悪感は感じている。まだ深海都市へ戻ってから、一度もここへ来ていないこともあって、時間もあるうちにと思ったのだ。

 建前は、そこだった。

 本音はというと、彼自身にもはっきりとした言葉にはできず、ただ胸中に曇天のような重苦しさを覚え、マイキを囲んで楽しそうにしている仲間の輪から消えるようにしてここへ足を向けていた。

 無言で腕を掲げ、以前に桜へ手を伸ばしたようにして光に指をかざす。半身に痛みが走り、海里は顔をしかめた。

 昨日の行為は、同期接続に関しては特に大きな支障はなかったが、それまでに受けたダメージは今も残っている。裂けた人工皮膚はふさがっても、傷が見えなくなっただけで何も治癒していない。

 海里は腕を下ろし、眼を閉じた。

 まぶたの裏に、淡く青白い光が残るだけの闇になる。

 星霜の間は、レックスもマイキに語ったが、生命誕生の場ではあるが、オリジネイターの墓場でもある。その両極端な性質から、ここを忌むべき場所とする者も多い。

 海里がここへ足を運ぶのは、滅びた仲間達を悼んで……というわけでは、残念ながらなかった。その気持ちが皆無ではないのだが、何より海里は、ここに運び込まれた仲間が完全に滅びているとは思えなかった。

 ここにいると、歌が聴こえる。

 命が潰えた後も、最後の身体に残されたアニマが放つかすかな波。始まりと終わりの旋律は、遺された者を労わるように、穏やかな波長が子守唄のように届いていた。優しく、どこまでも高く澄んでいるそれに耳を澄ませていると、地上で見た蒼穹を思い出した。

 今まで深海世界しか知らなかった海里が、自然と地上世界の情景と、さざ波のように届く旋律を重ね合わせていることに、彼自身はまだ気がついていない。

 身じろぎもせずに光を浴びている海里に近づく者がいた。行方の知れない海里を探すレックスだ。

「……やっぱり、ここにいた」

 いくら静かに動いても、巨体が出す音や気配までは到底消せるものではない。海里もずいぶん前からレックスの存在に気がついていたが、声をかけられてから初めて眼を開ける。

「昔から、ここにいるのが好きだよね」

 片膝を突き、レックスが上からのぞき込む。そこにはいつも通りの仏頂面があった。

「どうかしたのかい?」

「……別に」

 無愛想な上に不機嫌さも加わっている様子に、レックスは肩を落とす。

「何も言わずにいなくならないでよ。……昨日のこともあるし」

 レックスの一言に、海里は弾かれたように顔を上げる。

 心配をかけていたことにようやく気がつき、そこで不意に、ここへ足が向いた理由が閃いた。

 昨日の件が引っかかっていたのだ。

 あの私刑を契機に、海里はそれまでよりも質量のある機械との同期接続に成功した。しかも変形の工程にもこつをつかんだのか疲労度は確実に軽減したし、それまで海里を毛嫌いしていた同胞にも驚愕を与えられた。何もかもがいいことずくめの結果に終わった。

 しかし、海里の中に重く残っていたのは、私刑の件ではなかった。海里が新しい力を手に入れ、フォートを殴り飛ばしたことで彼に対する仲間の不満は収まったが、彼にはひとつの区切り程度にしか思えない。もっと簡潔に言えば、「だからどうした」と毒づきたくなる。

 もうひとつ、彼を悩ませているものがある。

『───おまえは人間なんかじゃない、オリジネイターだ

ろうがっ!』

 シリウス。ずっとずっと、嫌われていると思っていた。相手の言葉足らずもあったが、幼い、いや、幼稚だった海里が相手の真意に気づけなかった部分もある。

 だからこそ、あの瞬間、その言葉を受けた海里は確かに歓喜し、そんな自分に驚愕する。

 同時に、シリウスの叫びこそが、自分にとって一番欲しかったものだと気づいた。

 だからといって、それまでの遺恨をなかったことにしてシリウスの存在を受け入れられるかというと、それとこれとは別問題。仲間として認められたのはうれしいが、シリウスのことを考えると頭が重くなる。

 相反する気持ちに決着をつけられなかったのが、ここで寝転がっていた理由なのだろう。

 海里は勢いをつけて起き上がると、レックスを見上げた。オリジネイターの中では小柄だが、彼にとっては大きな兄弟だった。新緑色に輝く眼を見ながら、海里ははっきりと告げる。

「ごめん、レックス。もう黙っていなくならないよ」

 それはマイキの前ではあまり見せない、『弟』としての顔だった。それを認めたレックスは、表情こそ動かなかったが、笑った。

「いいんだよ。僕もちょっと神経質になりすぎてたところもあるし。僕は君の保護者だけど、監視するつもりはないからね」

 レックスも海里をずっと気にかけてはいた。彼が何も言わずに部屋から出たのは察していたが、すぐ探しに行こうとしなかったことは伏せる。レックスなりの意趣返しだ。

「行こう。マイキは今、一人なのか?」

「トレトマンと一緒にいるよ。あ、君を整備室に連れて行くように言われてるんだ」

 途端、海里の不機嫌さに拍車がかかる。走って逃げ出すような真似はしなかったが、足が重くなった。

「まあ、君が医者嫌いになる気持ちはわかるけど、今回はちょっと急ぐんだ」

 出発の時間が迫ってる、と言って、レックスは海里をつまみ上げて肩に乗せて歩き出す。海里は落ちないようにしがみつく。

「一緒に行こうよ」

 海里は黙ってうなずいた。



 海里と、そしてレックスも一緒になって調整を受け、終了と同時に潜水艦ドックへ集合となった。

 見送りは、到着と違ってずいぶんと賑やかなものになる。すっかりマイキはオリジネイター内で人気者になり、全員がかわるがわる挨拶をしてなかなか終わらない。トレトマンが怒鳴り散らすまでそれは続いた。

 賑やかな輪から外れた場所に、シリウスが立っていた。一部の者が引き起こした騒ぎを知る者は、そう多くはいない。それでも、何かいつもと違う雰囲気を察してか、彼の周りには誰もいなかった。

 そこへ、遅れてレックスと海里が到着する。海里はドック内に入るとレックスの肩から降りて自分で走り出した。潜水艦の前ではトレトマンが早く来い、と叫んでいる。

 先をレックスが走り、追って海里も続き、シリウスの横を駆け抜ける。

 過ぎて、立ち止まり、海里は振り返った。

 真っ直ぐな、にらみつけるほど強い眼差しでシリウスを見上げる。

 シリウスはわずかに動揺のそぶりを見せたが、何も言わずに立ち尽くす。

「───シリウス」

 呼びかけ、海里は手を伸ばした。もちろん、その手はどこにも届きはしない。

 それでもシリウスは、何かを受け取ったようにうなずいた。続く言葉が熱を持つ。

「共に戦おう」

 海里もうなずいて応じると、再び背を向けて走り去った。












「カイリ・シンタロウという名前の人間は、千鳥ヶ丘市に……いや、この日本には戸籍がないようだ」

 手に入れた資料を見ながら、天条は簡単に結果を城崎に告げる。

 例の駐車場での一件から、すでに半月以上が経過していた。しかし、それだけの時間をかけた割には調査の結果は芳しくなかった。相変わらず殺風景な事務室には、溜息の漏れる音すらない。二人とも、そんなものだろうと初めからわかっていたから落胆の色もなかった。

「まあ、そのあたりは期待していませんでしたが。それに、名乗ったからといって、それが本名とは限りませんし」

 部下の仏頂面を見て、天条は「そうだな」と軽く相槌を打つ。返事をしながらも、ちらりと相手の様子をうかがう。

 城崎は先日の一件から、妙に機嫌が悪い。もちろん、感情のままに仕事が乱れるような愚行を犯す性質ではないので、天条もそのあたりはまったく心配していなかった。むしろ人探しなど興味がなかったはずなのに、逆に意欲的ですらある。仕事に対して熱意を見せるのはいいことだと思うが、天条は彼には何か、自分に隠しごとがあるように見えた。長年の付き合いもあって、ある程度の思考は読めるつもりでいたが、今回の不機嫌さは考えてもわからないままだ。

 それもそのはず。城崎の怒りの矛先は、天条の予測とはまったく違っていたからだ。

 城崎は大して目新しい情報もない報告書を読むふりをしつつ、内心では別のことを考えていた。

(あの男が人間の見かけをしたロボットだなんて、言えるか。言えば、俺は正気を疑われてしまう)

 二足歩行のロボットが駐車場に現れたという話も、事前に天条がその情報を得ていなければ、一笑に付されて終わりだったろう。

 天条は怒りの気迫をにじませている部下を気づかわしげに見ながら、今度は彼個人のルートから得た情報を伝える。

「もうひとつ、軽自動車から変形するロボットだが……自衛隊に在籍する友人に問い合わせたが、そんなものはいない、だそうだ」

「……でしょうね」

 城崎は自分の机に戻ると、パソコンに保存してある動画ファイルを開いた。画質の荒い映像の中、飛び込んで来たクルマが二足歩行形態へと変化する様が映っている。

「その友人も、今回の件にはとても強い興味を持っている。千鳥ヶ丘市に近い駐屯地への転属願を出したそうだ。直接会えれば、もっと詳しい話も聞けるだろう」

 紹介するぞ、と天条は言ったが、その割には渋い顔をしている。どうにも気が進まない様子だった。

「あの、大佐……」

「……その友人は、久檀(くだん)だよ」

 一言で、城崎はすべてを察した。彼自身は相手との面識はなかったが、天条がまだ日本の自衛隊にいた頃の仲間で、色々と、機密に触れない程度の話は聞き及んでいる。

 天条から聞いた話の中では、かなり印象深い人物になっていた。

「彼、ですか」

「彼だよ。まあ、少々、羽目を外しやすい男だが……信用はできるぞ」

 自分自身に言い聞かせるような焦った物言いは気になったが、城崎は素直に礼を言った。

 そこで仕事の話はいったん中止になり、天条は表情を緩める。

「妻も来週には日本に来られるようだ。やれやれ、娘の入学式にはどうにか間に合いそうだよ」

 すっかり父親の顔になった天条に、城崎も肩の力を抜いて向き直る。

「ルミネちゃん、自分にも式に出て欲しいと言っていました。よほど日本の学校に通えるのが楽しみなのでしょう」

「君も来るかね?」

 笑みを含んだ口調で尋ねられたが、城崎は丁寧に辞退する。

 断るのは、親子の間に他者である自分が割って入ることへの抵抗が強かったのが一番の理由だった。二番目として、ルミネに入学式へ来る際の条件に、軍服を着て欲しい、とあったからだ。

 オーストラリア本部勤務だった頃は、城崎も軍服のままよく近くの街へ出向いていた。その為、軍服で出歩くことに関して抵抗はない。しかし日本では奇異の目を向けられることが多く、ひどく落ち着かないのだ。

「仕事が山積みですので、遠慮します」

 そんな理由を父親には説明できなかったので、城崎は当たり障りなくその話題を終わらせると、言葉通り山積みの仕事に向き直った。


【深海都市の巨神 終】



ピクシブのBOOTHで冊子版を販売しております。

(この話は3巻収録)

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