曇天⑦「君のいまの身体にも、痛みはあるのか?」
海里は椅子に拘束されているディスを見下ろす。
ディスは太いロープで椅子に縛り付けられている。以前、海里が着せられた拘束服を誰かが持ち出してきたが、久檀が止めた。あんな袋につめて締めあげたら、身体がばらばらになってしまうと息を吐く。だがそれでも、何の拘束も行わないわけにもいかず、折衷案でこうなっている。
人間なら身じろぎひとつできない状態に置かれたら小一時間で根を上げそうだが、ディスは半日以上何の不平も漏らさず椅子の一部になったように微動だにしなかった。
初めての動作は、侵入者が海里と気がついたから。
海里はディスの身体からむき出しになったケーブルが床にたれているのを見て眉根を寄せる。椅子の下には内部から漏れた液体が小さな水たまりを作っていた。同じ機械知性体同士だから理解できる。漏れているのは冷却液だろう。このまま何の処置もしなければ、内部にたまった熱を処理することができず、機械類は致命的な損傷を受けて機能停止に陥るだろう。重症どころか致命傷だ。
「君のいまの身体にも、痛みはあるのか?」
問いかけに反応が遅れた。ディスは以前に海里の腕を引きちぎった際、痛みにもがく彼を見て驚愕した。
「ああ」短く応えると、「そうか」とうなずく。
「あんたを治したいが、設備と知識を持っている仲間はここにいない」
治せないと言っても、ディスの表情がそれ以上に曇ることはなかった。
「私は君の敵だ。それを治療しようというのか。何か利用価値があると考えているなら、やめた方がいい」
敵、その単語に海里はひるむ。ディスに脅威を覚えたのではない、逆だ。海里は眼前の存在に敵意を持っていなかった。むしろ激しい損傷を受けても平然としている様に、何かできることはないかと焦燥を覚えていた。
黙ってしまった海里にディスは質問を投げかける。
「他に兄弟は?」
ディスは海里を見ている。底の見えない眼差しが自分の横顔に注がれているのを感じた。
「ユニオンには他に、君のような小型の……人間形態のオリジネイターはいるのか?」
なぜか問いつめられる側になってしまっているが、彼自身、実を言えばなぜディスに会いに来たのかはっきりとした理由を見つけられないでいる。腕を引きちぎられた件については、それほど怒りは感じていない。身体を交換できることが前提の機械知性体にとって、手足の破壊はそこまで重要視する問題ではなかった。
では、彼らが行った数々の破壊や殺戮行為についてはどうか。
名前も読めない街が地図から消えた。家屋や車両が焼けて砕かれ、破片の間に転がるのは、かつて人間だった塊。
灰混じりの淀んだ景色に立ちつくす無力さを思い返すと、足元が抜けてしまうような虚脱感を覚えた。
イノベントの行為に憤りを覚えているのは確かだが、かといって、眼前の存在のアニマを引きずり出せば終わる話でないことくらいは海里にも理解できる。
個人的には怒りを覚える部分もあるが、組織的には益をもたらす可能性のある存在を前に、海里の中にあったのはもっと単純な仲間意識だった。
唐突な出現に加え、警戒や攻撃を考える前に相手の方がすでに戦闘不能な状態。
哀れみ、同情、そんな単語が胸中を占める。抵抗できないほど弱りきっている相手に対し、海里は振り上げかけたこぶしを中途半端に揺らめかせているだけ。
海里の動揺をよそに、相対するディスの視線にそれまでの無感動さがわずかに身をひそめていた。
「君だけしか、いないのか」
初めて記録外の言語が響く。これがディスの本音なのかもしれなかった。
しばらくの沈黙のあと、海里は淡々と返答する。
「……いない。第七世代は俺だけだ」
「かわいそうに」
ディスの声は静かに重く響いた。
海里は思わず身を引く。その言葉をかけられるのは二回目だった。ディスは半歩引いた海里を上目づかいに見た。静黙した眼差しは淀んだ沼のように底が見通せない。
ひどく落ち着かない心持になり、海里はうまく答えられず、言葉を探して迷う。
なぜ、哀れみを向けられるのかわからない。
驚嘆と不信を織り交ぜた視線を向けるが、ディスは元の平板で感情の起伏が見えない顔に戻っている。立ちつくしたままの海里は、ディスの言葉のひとつひとつが心の中心にある何かを微妙に刺激するのを感じた。
「ディス・コード・サウス」
男の声に、いつの間にかうつむいていた顔が上がる。
「サウス、オリオン、ディシス、ヨルド」
記号のようにするりと出た単語には聞き覚えがあった。それらは機械知性体なら誰でも知っている名前だ。
フレイヤと共に深海都市をあとにしたオリジネイター。かつての仲間たちであり、いまは人類を滅ぼそうと画策する組織イノベントを構築した。
そのはずだった。
「この名前を持つ者は、核を受け継いでいる」
どういうことだ、と奇妙に感じながらも海里は男に視線でたずねた。彼は諦念に似た表情で答えてくれる。
「我々イノベントの数はあまりにも少ない。だが、他についてくる仲間もなければ、新しい命が生まれることもない」
星霜の間。そう呼ばれる区画が深海都市に存在する。その部屋に輝く星は命の輝き。金属の大樹に宿る光は星のように瞬き、そして流れ落ちる。
星が堕ちるとき、新しい命が誕生する。
機械知性体の本体は、機械仕掛けの身体に納められたエネルギー塊であるアニマ。
アニマという星がなければ、機械の身体はただの鉄塊のまま。星を持たないイノベントはどうやってもそれ以上、種族として数を増やすことはない。
当時のユニオンが彼らを追わなかったのも、それがひとつの要因だった。
フレイヤと、彼の者の思想に追随した者が四人。
たったそれだけで何ができる。
地上に出たところでせいぜい、自分たちのように人の領域から外れた場所にひそむだけ。そう考えていたユニオンの油断が現在、世界に結晶病をばらまいている。
手勢の少ないイノベントがなぜ、こうまで世界中に網目のように自身の手を伸ばしているのか、それも謎のひとつだった。
深海の底の会議では誰も出せなかった難問に対する回答を、ディスはあっさりと言ってのけた。
「計画のためには多くの駒が必要だ。だから我々は……分かれることにした」
海里は激しく動揺し、同時に混乱していた。この男の話を聞きたくなかったが、聴覚を閉ざすことも、部屋から出ていくこともできない。
いや、言い訳をいくつも用意したところで、海里はディスの言葉を聞きたいのだ。
「四人のオリジネイターには四つのアニマがある。それを細かく分裂させれば、仲間は増えなくとも駒は増える」
海里は驚愕に意識が震えながらもディスの言葉を反芻し、その意味を考えた。だが考えなければならないという意識だけが先走り、逆に思考は白くなる。
「危険なのは承知の上だった。だが綱渡りをした分、成果はあった。最大で、二十を越える駒ができあがった」
乾いた声に海里は表情をひきつらせる。彼は性格と、そして機械知性体の性質上あまり表面に情動が出ない。その分、内心は台風並に荒れ狂っていた。
六番、十番、十一番、二十番。名前として使用するには無愛想な文字列をディスは口にする。
「おまえたちが、駒だと」
返答の代わりに、ディスは言葉を続ける。
「さすがに無理な処置だった。分裂化した存在は、長くはもたない。百年と過ぎるうちに半数が消滅、現状では恐らく、私とヴァンだけだ」
絶望も悲観もない。ただ事実をありのままに告げているだけ。その様が何よりも恐ろしかった。自己を駒と言いきるディスには己の境遇を憂える様子も自虐の笑みすらなかった。
まるで悪夢を見ているようだ。
海里は自身のうちにあるアニマを意識する。位置は個々の身体の構成により若干異なるが、おおむね人間の心臓と同じ位置、胸部の中心に配置される。海里は胸中のアニマがざわめいている気配を感じた。
アニマはひとりにひとつ。心臓がふたつある生物がいないように、そこに例外はない。
だが海里はすでにその例外を見ている。
───我々が見たのは欠片だけ。では、残りはどこだ
枯れ葉色の髪と赤いワンピースの少女は、砕けたアニマを有し、破壊と笑顔をふりまいて存在を主張していた。
海里の中で、硝子玉が割れる音を聞く。
砂と灰に埋もれた街で会った四人が、その砕けた欠片を胸に宿し、存在していたのだ。
彼らをオリジネイターと呼んでいいのかためらう。だが海里はディスを仲間として認識しているのは確かだ。
「我々のように、どうにか稼働までこぎつけた個体もあれば、失敗例もある。それらはすべて別用途として再利用された」
ディスは静かな表情で海里を見返す。
「ゴースト、と君たちが呼称している兵器だ」
海里は言葉を見つけられず。かといって、ディスを真正面からにらみつける気概も持てずにうつむく。
「個として意識が覚醒しなかったアニマの欠片を使用した兵器だ。自律行動はできない。現状で開発されている人工知能よりはマシ程度の性能だ」
ゴースト、とディスは口中で繰り返す。
「生きていない存在。あのユニオンの発想はなかなか興味深かったので、以後こちらでも使用させてもらっている」
ユニオンと聞いて、まさかと思ったが言葉が出ない。
失踪する直前にアウラがよこした通信のひとつに、ゴーストという単語が残されている。
イノベントが作った兵器を指し、あれはゴーストだ、と記述してあったが他に説明がなく、以後の連絡が途絶えたために結局、どういった意図があってその単語を用いたのかはわからずじまいだった。
ゴーストに、そんな意味があったのか。
恐らく、アウラは兵器の内側に収められているものの正体に気がついたのだ。
海里は首を振った。身体が熱くなるのを感じた。もちろん、機械仕掛けの身体に高温は厳禁だ。これはもっと別の場所からあふれる熱。アニマが鼓動しているのだ。
「……アウラは、どこだ」
明かされた真実に絶望的になりながらも、心の片隅に安堵している思いがあるのも事実だった。
相対する存在は、アウラの、ついてはシスの行方を知っているかもしれない。同時に、ディスを気にかけていたのは何のことはない、個人的な欲求からの問題だったと気がついた。方向性が見えた途端、海里は男へまっすぐに視線を向ける。
熱のこもった視線を受けても、ディスにはどんな感情も見あたらなかった。いたって冷静に、記録されたパターンだけを繰り返す操作説明機械に戻る。
「あの個体か。滅びた」
何の熱もない、平坦な調子に海里は男の言葉を意味として拾うのにかなりの時間を要した。理解できなかったと察した男は説明を付け加えてくれる。
「君の言うアウラ。ユニオンのオリジネイターだが、我々を調査していることに気づいて捕獲しようとゴーストを差し向けた。だが、やはり半自立行動の機体程度ではうまく追いきれなかったらしい。追跡中にトラブルがあり、双方ともに谷底へ落ちて爆発、四散。残ったアニマを回収後、わずかに反応があった欠片を試作の筺体へ入れたところ覚醒した」
ディスの言葉は、絶望をさざ波のように広げていった。
「あれは自身を、シス……六番だと呼称した」
六番、その意味を海里はようやく理解する。ユニオンのオリジネイターは、生まれた時期でおおまかに世代分けされている。海里は第七世代、そしてアウラとレックスは第六世代だ。
だから少女は、六番と名乗った。
その名前を聞いて、何も考えなかった自身を呪うが、後悔にさいなまれている間にもディスの話は続いている、
「シスは、イノベントのエルフが、方法は不明だが手を下した。すでに滅びた」
抑揚のない声が響く中、海里は言葉が出なかった。止められない説明は続く。
「エルフはハルが施設の一部もろとも破壊した。その混乱に乗じ、人間側の反対勢力が蜂起。組織構造は消滅。残った我々だけでは人間を止めることができず、完全に施設は人間側に制圧された。現状、イノベントを動かしているのは人間だ」
ディスの声は淡々と積み重ねるだけで、責任転嫁もなければ状況の変化に戸惑う様子も見受けられない。
そのまましばらく続けていたが、ようやくこちらの声が届いていないことに気がついたディスは垂れ流していた言葉を止める。
そして、告げた。
「最後にひとつ、たずねたい。君は、誰のアニマを受け継いでいる?」
渦巻く感情に飲まれていた海里はようやく水面に顔を出す。どういう意味か、と眼差しだけで問う。
「考えたことはなかったか。巨体ばかりの中、どうして自分だけこんなに力が弱いのかと」
ディスはアニマの分割について、簡潔に説明する。
ひとつをふたつにすれば、動かせる身体の大きさは半分になってしまうということ。
細かく分かれるほど、稼働時間は減少し、収める器も小さく、人間サイズにまで縮小する必要が出てくる。
「我々は目的のために生み出された。だが、君はそうではなかったはずだ。哀れむという行為は、君にとっては不本意だろう。しかし私は自身のような存在が手段として生み出されるのを好ましくは思わない」
─── かわいそうに
折に触れ、海里に向かってディスはそう囁き続けた。
「私のアニマはじきに燃え尽きる。幸いなことに、イノベント側にはもう分割できるアニマはない。これ以上、我々は増えない」
ただ、とディスは視線を揺らめかせる。
「フレイヤは別だ。彼のアニマだけは手をつけられていない。フレイヤを起こし、利用しようとする人間は止めなければならない」
ディスはかすかに身じろぎするが、ひじの上でまかれた縄が二の腕の行動を抑制していた。だが戒めを解いたとしても、この機械仕掛けの身体が再び立ち上がることはないだろう。床の水たまりは、短い会話の間にも広がっている。
生物なら瀕死を通り越してすでに息絶えていてもおかしくない状態だが、身体は交換可能な服と同義な機械知性体なら、無理に動かなければ十分に生存の可能性がある。
それでも海里は、ある種の兆候を感じていた。
滅びへ向かう足音。
エネルギーの残量が目に見えるわけではない。だが海里はディスに残された時間がもうわずかしかないことを、にじみ出る気配を通して悟る。
不意に、なぜ彼らと敵対していたのかわからなくなってしまう。
イノベントが行った行為は許し難いが、眼前で終わりに向かっている存在はあまりにも儚く弱かった。自身を駒と断じ、自己を殺し目的のためだけに歩き続けているだけ。
どこにもディスという個人はなかった。
そして、このままでかまわないと、あきらめや後悔もなく滅びを迎えようとしている。
否、思い残していることならあった。
「フレイヤを守らなければならない。そして、世界中に広がる……人間が結晶病と呼ぶ現象を止めなければ、人類どころか地球上の生物すべてが滅亡しかねない」
滅びを前にしてもなお、意識するのは死に対する恐怖ではなく、自身が目的を果たせないことに対する悔しさ。
ディスの思いはどこまでも純粋で、そして哀れだった。
あるいはそれは、目的のために生み出された存在であるが故にこそ。
彼らの行動で生を奪われた者からすれば、殺しても飽き足らない存在だろうが、いまの海里には彼を責めるべき理由が見つけられなかった。彼らはただ与えられた目的を存在理由としていただけのこと。他に選択肢はなく、選択肢がないということすら理解できていなかった。
動くのをあきらめたディスに海里は向き直る。
あの焼け落ちた風景を、こみ上げてきた衝動を忘れることはできないだろう。それでも、同じアニマを有する存在が滅びに瀕している。海里にはディスの願いを無碍にするような真似はできなかった。
「俺があんたたちと同じかそうでないかはわからない。ただ、あんたも仲間だ。同じオリジネイターだ。だから、あんたの言うことを、俺は無視できない」
冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。
こちらは7巻収録分です。
https://mutsugami123zero.booth.pm
pixiv ID 2358418
「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




