曇天①「……もう、一ヶ月になるのか」
曇天
世界の変容は、とどまるところを知らなかった。
ただ、あまりの異常性に、いま起こっている現象はすべてが真実だと叫び、電子網を駆使して訴えても、情報を受け取った誰もが眉根を寄せるか失笑する始末。
信じられない。もしくは、これは現実ではないと受け入れを拒否する。中には断片的な情報を組み合わせて推測し、かなり真実に近づいた者も少なからずいた。だが気づいた彼らが立ち上がっても、国家機密という便利な言葉の壁に阻まれてしまう。
真実はゆがめられ、発した声は政府機関、もしくは反体制組織によって速やかに削除された。
確かに存在している危機だというのに、現場のあせりとは裏腹に、支援を考える立場の者たちが本気で受け止めることはなかった。
もっとも、現場にいる者たちも、これは夢か幻だと目をふさぎたかったのかもしれない。
人体が結晶化する。
結晶と聞くと美しい、宝石のようなものを想像するが、その単語は現象の一部を表現しているにすぎない。
特に持病を患っていない者が高熱を出し、風邪かと思い医者にかかるも、医師も同じ判断を下す。だが熱は下がらない、それどころか上がり続ける。次第に体内から焼かれるようにしてその者は命を落とした。実際には他にも複数の要因が重なって心停止にいたるのだが。
そして、遺体の皮膚が高質化し、代謝のなくなった内臓器官が壊死し、ひび割れた身体から溶解した内臓や筋肉などの組織が流れ出る。
破壊されつくし、体液を失って空っぽになった内側から、人体を苗床にした結晶柱が生まれる。
当初は死者の身体からのみ発生するとされていたが、次第に人々は勘違いに気がつく。
死んでから結晶が生まれるのではなく、結晶によって生命活動が絶たれたあと、死者の殻を破って結晶柱が生えるのだということに。
冬虫夏草という植物がある。幼虫に寄生した菌が宿主の養分を利用して成長し、体表を破って生えるが、根元には幼虫の外観が保持されている。それが土中の幼虫ではなく、人体に起こったのだ。
人間の肉体を食らう結晶病は、ゆっくりと、だが、確実に広まっていた。
「不満そうだな」
箒と塵取りを持ち、作業着姿の海里に久檀は苦笑する。
「……清掃活動に問題はない」
くるりと振り返った背に、「掃除係」と書かれた白い布が安全ピンで留められているのを見つけた久檀は吹き出しそうになる。とっさに口元を押さえて耐えた。海里は気がつかなかったのか、そのまま出ていく。
「まあ、文句も言わずによくやってるよな」
ようやく笑いを収めた久檀は、やれやれと椅子に背を預ける。手を伸ばした先にあるグラスが空になっていることに気がつき、空いた手を所在なげに振った。
「最初は雑巾や掃除道具の方を破壊して、こっちの手間ばっか増やしてやがったってのに」
いまの海里の役職は、背中に書かれている通りだった。
トレトマンに日本へ置き去りにされた海里を、久檀は遊ばせておくつもりは毛頭なかった。部下の一人に何か仕事を覚えさせて使えと押しつけ、紆余曲折の結果、いまの立ち位置に落ち着いた。
最初は見た目はともかく中身は機械知性体という特殊な存在を遠巻きに眺めている者が多かったが、水入りバケツをひっくり返す、ゴミ袋を破くなど、あきれかえるほどの手際の悪さに見かねた者たちが手を貸し教え、どうにか様になってきている。あちこち回っているうちに顔見知りが増え、いまでは重いものを動かすときなど手が足りない際に呼ばれて走っている姿をよく見かけた。
当人はあの通り、無愛想で取っつき難い態度のままだが、それでも、ありがとうと声をかけられると、律儀に頭を下げていた。
鷹ノ巣山駐屯地の人間は軟禁生活という閉塞した環境に飽きている。少しでも刺激が欲しい。目新しいものがあれば砂糖に群がる蟻のように寄っていく。その砂糖が、海里だった。
「半分は遊ばれてんだろうけど、まあ、現状としては悪くはねえな」
背中の布に書かれた筆跡には見覚えがあったので、犯人はすぐにわかった。とはいえ、犯人探しはどうでもよかったので、久檀はすぐに考えを切り替える。
「……もう、一ヶ月になるのか」
カレンダーは八月になっていた。外は脳天を焼きこがす日差しが照りつけ、地面には濃い影が落ちている。
ひと月の間に起こった事象を書き出せば、実は大して何も起きていないような気はする。だが予定表の空欄を埋めたものは表面化した件だけで、水面下では、久檀がこうして麦茶のおかわりを冷蔵庫から出してくるのが面倒でだらけている間にも進行している。
隠されている中で最大の事件は、世界防衛機構軍オーストラリア本部に現れた、機械仕掛けの身体を持つ知的生命体の出現。
報道はされていない。いっさいの情報は秘匿され、関係者には厳重な緘口令が敷かれている。当初から彼らと関わりのあった天条はオーストラリア本部に呼び戻されてしまった。
情報源になる天条が不在のため、細かい状況はつかめない。それでも未だに情報公開の兆しが見えないので、ひとまず隠す方は成功しているらしい。海里にたずねたが、彼にも何も伝わっていないらしく、憮然とした顔つきで「知らない」と返された。
もうひとつ。結晶病は終息どころか感染パターンを徐々に変化させ、より凶悪になって世界中に広がり続けている。結晶病という名称も、公では使われていないが、ネット上ではすでにひとつのカテゴリとして成立し、いくらでも検索にひっかかる。
結晶は以前は死者の身体から出現していたが、ここ半月の間に、発熱が続くと受診した患者の内臓の溶解や皮膚の硬質化が見つかった。発症していた患者は間もなく死亡し、身体は結晶に埋め尽くされる。
未だに感染源や感染媒体も特定されていない。日本国内では大規模感染の報告はまだない。この一ヶ月間で病死した患者の何割が感染していたのかも確認は取れていなかった。日本は現在、遺体は死後数日のうちに火葬される。例え感染していたとしても、結晶が目に見える形に露出するころには遺体は骨になって墓の下に納められていた。死者全員を、見極めがすむまで一定期間火葬を禁じる等の処置が取れるほど、いまの日本政府は強硬な政策も情報開示もできないでいる。
それは日本以外の国でもほぼ同じだった。
世界保健機構はウイルスを特定しようと躍起になっているが、全人類の危機を前にしても、そこには国家機密という壁が立ちはだかっていた。
うまくいかないものだ、と久檀は事務椅子を揺らす。いくらか事情通の彼でさえ、いまは基地の敷地から出ることもできない。外部との交流も絶たれて久しい。
それでも伝手はある。方法はほかにもある。
久檀は隠し持っている携帯情報端末に視線を落とす。本来は機械知性体や結晶病の情報すべて、久檀には知るすべがない。軟禁時に携帯電話や情報端末は没収され、仕事用のパソコンはネットワーク機能が削除されたあと、返却された。基地内の電話は内線と基地司令が有する緊急回線以外は封鎖されている。
だがしかし、いまどき携帯電話ひとつを取り上げて連絡を絶てると思う方がナンセンスだ。ほかにも数名、同じようにして外部の情報を得ている者がいる。彼らを通じて情報の断片を組み合わせ、少しでも立体的に物事を判断しようと努めていた。
それでも、小さな端末から得られる情報には限りがある。
「そろそろ動きたいところだな」
言って、久檀は立ち上がる。
だが彼の手が取ったのは空のコップだった。コップを片手に向かったのは冷蔵庫。その途中、近くの窓から外を見て立ち止まる。相変わらず太陽の威力はすさまじく、見ているだけで汗が流れた。
「まあ、暑いから、もう一ヶ月先でもいいけどよ」
久檀は息を吐き、開けた冷蔵庫の冷気を楽しみながら、麦茶の入ったボトルを手に取った。
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こちらは7巻収録分です。
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「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




