破壊の導火線⑤「私は、人類との対話を望んでいる」
世界防衛機構軍オーストラリア本部内の統合司令室は緊張に包まれていた。冷房は涼しすぎるほどだというのに、汗をぬぐっている者もいる。
高い天井。壁いっぱいのディスプレイ。暗号コードや通信、監視カメラからの映像情報がリアルタイムで更新され、広い室内は常ににぎやかだ。
だが普段なら、点滅と音声表示以外に通常の会話。日常的な冗談の言い合いもあったが現在は死滅している。
二分前、広域警戒レーダーが警告を発した。
それまで鼻歌混じりだった軍曹は、モニタに表示された光点を前に息をのんだ。いっそ、そのまま呼吸が止まりそうだった。
正体を確認できないデータがモニタに映っている。それも、ひとつではない。十を超える光点がレーダーの範囲内にいきなり現れた。しかもその数は時間を追うごとに増えて行っている。
軍曹は息を吐くと立ち上がり、当直指揮官に報告を行う。指揮官は胡乱気な眼差しを見せたが、これです、と示されたモニタを前に表情を消した。
数呼吸の後、指揮官は決然とした顔を上げる。
「すべての監視モニタ、各種センサをこの海域に回せ」
広い司令室内に声を響かせ、当直指揮官は再びモニタに向き直る。
「鯨の群れか」
「いいえ、これらは金属反応を示しています」
少なくとも、鯨やイルカが電磁波か何かに狂って浜を目指して特攻をかけているわけではないらしい。
わずかな間に、光点の数は二十に達した。相手の速度は変わらず、このまま進めば、五分後には基地の端、滑走路に乗り上げてくるだろう。
当直指揮官が無指向性マイクに向かい、接近する何者かに警告の言葉を発する。
「未確認機に告げる。貴機は防衛軍の軍事海域にいる。ただちに敵味方識別信号を送信し、当海域から離脱せよ。次の警告はない。こちらには実力で貴機を排除する用意がある」
二秒の沈黙の後、応答があった。ひどいノイズ混じりで聞きとれなかったが、次第にチューニングが合って来たのか、瞬間、司令室内に澄んだ声が響く。
『私は、敵ではない』
落ち着いた男性の声に、司令室内は首をかしげる者や息を吐く者、あるいは怒りを見せる者に分かれる。
敵ではないという者が、味方だった試しはない。だが即座にミサイルの雨を浴びせるには、声は深く静かで思慮深さを感じさせた。
『どうか怖がらないで欲しい。我々は人間を傷つけるつもりはない。話がしたい』
軍曹が当直指揮官を見上げる。光点はすぐそこまで迫っていた。謎の存在の進行は速く、海中を滑るように進んでくる。迎撃体勢を取るには、もう一刻の猶予もなかった。
「───来ます!」
迎撃を、と言いかけた当直指揮官が硬直する。急に彫像のように固まってしまった男に、何事かと全員の視線が集まる。彼はイヤホンに触れ、深く息を吐くと先ほど言いかけた指示を撤回した。
「攻撃は、するな」
現状維持、探査と情報収集だけは怠るな。それだけを言い置いて、当直指揮官は椅子を蹴って走り出した。
司令室を飛び出し、イヤホンを投げ捨てた男は笑っていた。いや、にやけそうになる口元を、必死で抑えていた。気を抜けば緩みそうになる表情筋を叱咤しながら、内心では逃げたのではない、モニタ越しではなく迫る存在をこの目で確認したかったからだ、と言い訳する。
男の言い分は職務上の義務よりも好奇心が勝っていたが、今回の件に関しては正解だった。
攻撃中止。
イヤホン越しからの通達だった。告げたのは彼の上官ではなく、階級を聞いただけで背筋を伸ばすような上層部からの直通だった。
叩き壊す勢いで屋上へ通じる扉を跳ね開ける。彼より先に来ていた者がいて驚いた。そこには二重の驚愕があった。相手の階級を見て、現場放棄した当直指揮官は目を見開く。
「……マクミラン少将」
情報部長官ハワード・マクミラン少将。
技術開発部、作戦部、情報部。三つに分かれる組織のひとつ、情報部のトップに立つ男は、まるでねだっていた玩具が手に入った少年のように眼を輝かせている。
当直指揮官はためらいがちにマクミランの近くに立った。そこから滑走路と海原が一望できる。
マクミランの視線は海から離れない。
「来たっ!」
興奮気味に叫んだのは、マクミランだった。
彼らが見ている前で海が逆立つ。白く鋭い波が高く上がり、海面を切り開いた。いくつもの鋭い軌跡が走って海面が立ち上がり、そして、海が割れた。
大量の海水を押しのけ、海の底から静かに現れる存在。
まず見えたのは、手だった。金属で構成されているが、遠目でも五指そろっているのが確認できる。海水をかきわけて次に顔を出したのは、同じく金属の頭部だった。
いくつもの人工的な顔が海に浮かび、次いで、肩が現れ上半身が続く。どれも違う形だったが、どれにも共通しているのは、すべてが金属的な直線と曲線で構成されていても、基本的には人体を模していた。頭があり、腕が二本と脚が二本。そして、人間をはるかに見越す巨体。
二十を超える巨人の行進に海が荒れ、逆巻く海水が敷地内に流入する。滑走路が瞬く間に川になり、進路上に存在する航空機や車両は慌てて非難する羽目に陥った。
鋼鉄の巨人の群れは、機械類や人間が慌てふためく様を前に、青空を背景に傲然と立ち上がる。
まるで現実感を欠いた光景に、見張りの兵は口と目を丸くし、手にしたマシンガンを取り落としそうになった。
あまりにも大きすぎて、かなり距離を置いているマクミランや当直指揮官は巨体を人型だと判別できたが、近くで戦闘機を牽引している兵は、背後に迫る存在が何かを理解できないまま焦っていた。
海水に濡れた巨人は、鈍い音をたてながら敷地内に足を踏み入れる。境界のフェンスは紙クズのようになぎ倒され、破壊的な自重でアスファルトがひび割れる。
彼らは全員、整然と歩み進める。ただ歩いているだけだったが、動けないで伏している人間は器用に避け、滑走路に残っている戦闘機も壊さないように脇を通過する。その動きには、自動化された機械にはない、確かな意思を感じさせた。
全員が海中から出て地面に足を乗せる。たったそれだけで滑走路は水浸しになり、アスファルトは滅茶苦茶に破壊されてしまったが、その被害を気にする余裕のある人間はこの場にはいなかった。
驚愕に硬直する人間を前に、先頭に立つ一体、特に巨大で、優美な曲線と装飾の施されている巨人が前に歩み出る。陽光を受けた装甲が輝き、華奢なようで力強い輪郭には、畏怖よりも神像のような神々しさがあった。
白銀の巨人は胸の前に手をやると、最初に告げたのと同じ、落ち着いた声で言った。
「私はアトラス・〇二〇一。機械知性体ユニオンの最高責任者だ」
堂々と、光り輝く巨人は告げる。
「私は、人類との対話を望んでいる」
足元に転がって来たボールを、ルミネは拾い上げた。
昼下がりの公園で、少女は麦わら帽子の下で首をかしげる。赤いボールだ。何のイラストも描かれていないそれを手の中でくるくる回していると、声をかけられた。
振り返ると、青年が手を振っている。ルミネは相手の髪の色にわずかに目を見開いたが、彼は笑いながら少女の手にあるボールを指差す。
「これ?」
差し出すと、青年はありがとう、そう言って破顔する。ルミネも笑い返した。手渡したところで母親に呼ばれ、少女はばいばい、と手を振って別れた。青年も手を振ってくれたかもしれないが、見ていなかった。
それだけの出会い。
ルミネは母親の手を取った瞬間、青年の顔を忘れた。すでに少女は今日見たことを報告するのに忙しく、夕飯の内容を気にすることで頭がいっぱいだ。
親子が手を取り合って公園から出て行くまで、彼は見送っていた。
「平和そのものって感じだよね」
言って、ボールを手の中で跳ね上げる。ぽんぽんとリズミカルに放り投げていたが、その手が止まる。
「こんな小道具ひとつで、人間は簡単に警戒を解く」
子供が集まる公園には不釣り合いな、ピンク色の髪をした青年を人は奇妙に見るが、公園でボールという組み合わせに、どこかに幼い兄弟がいるのだなと勝手に納得し、それぞれの日常へと帰って行く。
「けど、僕はそれを壊すんだ」
指先でボールを回す。つい、と指先で弾いた瞬間に、赤い球体は霧散した。
すでに見えない親子の姿に、青年は口の端をつり上げる。
「本当はあの子をさらって、痛い注射をいっぱい打って、頭の中をいじくり回さなければならないんだ。ん? あぁ、やらないって、そんなひどいことはしたくないんだ。苦しませて殺すのは本意じゃあない」
本当だよ、と彼はようやく遊具の影から出て来た何者かに笑いかけた。相手の不機嫌さを察知しつつ、むしろ楽しげに笑みは深まる。
「そういう必死さ、僕は好きだよ。あぁ、大丈夫だって、妖精計画は止まった。あとはサンプルが何体かと資料が残ってるくらいだ。他の人間が何か始めたそうにはしてるけど、少なくとも今までより活動は縮小される」
よかったね、と彼は笑う。
「彼女はきっと、世界が終わるまで笑っていられる」
行こうか、踵を返した彼の後を、何者かは不満そうな顔つきのまま追った。
【破壊の導火線 終】
冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。
こちらは6巻収録分です。
https://mutsugami123zero.booth.pm
pixiv ID 2358418
「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




