妖精の歌
妖精の歌
城崎カズマにとって、その日は来日して初めての、まともな休日になる予定だった。
「城崎さぁ───ん」
玄関の向こうから聞こえる甲高い声に、目を覚ました城崎は休日が消えた事実を早々に悟る。
「……ルミネちゃん?」
声から、上官である天条の娘、ルミネだろうと見当をつける。もっとも、日本に来て間がない城崎には、名前を呼ばれるような知り合いは、まだあの親子しかいないのだが。
起き上がる間にも、玄関扉が激しく叩かれる。
「ちょっと待ってくれよ……」
聞こえていないと知りつつ、つぶやきを漏らす。と、立ち上がった彼の足元で携帯電話が鳴り始めた。
短い廊下を歩きながら、表示された名前を確かめずに通話ボタンを押す。こちらから名乗る前に聞こえた声は、これまたよく知る人物からだった。
『朝からすまないっ! ルミネがそっちに行ってないだろうか?』
半ば予想通り、天条からの電話だった。
ちょっと目を離したすきに出て行ってしまったと、電話越しでも慌てている様子がわかる。普段、職務上では絶対に見せないうろたえぶりだ。
「……来ていますよ」
肩で携帯電話を支えてチェーンロックを外しながら、扉の小窓をのぞく。下の方に、小さな姿が見えた。
『すぐ引き取りに行くから、外に出さないでくれ』
「でしたら、このまま一日預かりますよ」
電話の向こうで、ためらう間があった。城崎は天条が何かを言う前に続ける。
「大佐は今日、役所へ行く予定ですよね? 役所なんて遊ぶ場所もないところでは、ルミネちゃんも退屈するでしょう。自分は日用品の買い出しに行きますが、相手をするくらいはできますから」
『しかし……』
扉を開けると、待ってましたとばかりに小さな少女が足に飛びついて来た。
「おはよう城崎さん! ねえ、今日はお買い物に行くんでしょう? ルミネも一緒に行く!」
満面の笑みで見上げてこられては、城崎も白旗を上げるしかない。
「……それに、ルミネちゃんは最初からそのつもりのようですし」
娘の声が聞こえたのか、天条は「よろしく頼む」と、どこか消沈した声で告げると通話を終わらせた。
肩を落とすその様が目の前に見えるような気がして、城崎は息を吐く。しかし、親の心子知らず。ルミネは早く、と忙しなく急かしてくる。
「ルミネちゃん、お父様に黙って出て来たら駄目だろう」
半身を開けてルミネを中に招き入れる。少女は玄関で靴を脱ぐと、きちんとそろえてから廊下を走って行く。
「だって、パパってちっとも遊びに連れて行ってくれないんだもん」
「そりゃあ、大佐はお忙しいからね」
答えながらも城崎は着替えにかかる。着ていたものを脱ぎ、脇に放り出す。そうして手に取った服を見て、彼は渋面を作った。
手に持っていたのは、ブルーグレイの軍服。どうやら無意識に、着慣れた方を選んでしまったらしい。クロゼットの中にそれを戻して他の服を探しにかかるが、途端に手が止まってしまう。
軍服以外だと、どんな格好をすればいいのかわからないからだ。
本国から持って来た荷物は、スーツケースに収まる程度なので服も大した数はない。日本の気候が赴任時には冬だと聞いていたので、厚地のものを多めに持ち込み、あとは現地調達を考えていたからだ。
振り返ると、ルミネがパイプベッドの上に寝ころび、まだかと待っている。
城崎は渋面のまま、ジーンズと濃い色のシャツ、そしてスポーツブルゾンを羽織った。ファッションなんて考えていない、適当な組み合わせだ。
出かける前に、せめて顔だけでも洗おうと洗面所に向かう。鏡の中には黒髪に黒い瞳、東洋系の男がこちらを見ている。年齢は二十代後半だが、それより若く見られることの方が圧倒的に多い。特に職場は、男らしい男ばかりが集まる軍隊だ。城崎も鍛えてはいたが、それでもマッチョな巨漢の中では少年のように見えてしまう。
数秒間、鏡の中の自分を凝視し、城崎はあきらめて顔を洗った。いくらにらみつけたところで、そういきなり自身が変わるはずもない。
ポケットに自宅の鍵、携帯電話、財布を突っ込む。朝食がまだだったが、出先で何か食べればいいとする。
「行くよ、ルミネちゃん」
声をかけると、ルミネは勢いよく起き上がり、城崎を追い抜いて玄関に向かうと靴を履きにかかる。城崎も、隣で履き古したスニーカーに足を突っ込んだ。
マンションから出ると、ルミネは当たり前のように城崎の手をつかんで歩く。城崎も特に何も言わない。ただ、少女に合わせて歩く速度を緩めた。
最初は子供と手を繋ぐことに抵抗があった。しかしルミネの両親は娘と外を歩く時は、常にどちらかが手を繋いでいる。その習慣から、ルミネは両親が側にいない場合、自然と城崎の手や鞄、服の端をつかんでくるので今ではもう慣れてしまった。
それに、城崎は天条夫婦が子供から手と目を離したくない事情を知っている。
天条夫婦は事故で一人目の子供を失っている。その為、子供を外に出す時は、少々過敏なくらいに警戒していた。母親はともかく、父親の方は神経質すぎて見ている城崎の方が気疲れしてしまうほど。だからこそ、今朝の慌てぶりも手に取るようにわかる。しかしその大事な娘を部下とはいえ、子供に慣れているとは言えない人間に預けてしまえるあたりは少し首をかしげてしまう。
信用されていることに、悪い気はしない。それに、そこまで嫌々引き受けているわけでもなかった。ルミネがまだ幼い頃から時々こうして相手をしているおかげで、子供が苦手な城崎も、ルミネの扱いだけは心得ている。それは少女も同様で、城崎には他の大人よりも遠慮がない。とはいっても、両親のしつけのたまものか、多少わがままなところはあるが、基本的には扱いやすい子供だった。
二人並んで歩いているところは、親子かはたまた年の離れた兄妹か。
そんなことを思いながら、城崎は駅までの通りをゆっくりと歩く。三月も半ばに入ってから急速に気温が上がり、薄いブルゾン一枚でも特に寒さは感じなくなった。
いつの間にか、日本へ来て一カ月近くになる。枯れ木のようだった桜には、枝の端に薄桃色の花が咲き始めた。もっとも、四季の移ろいに想いを馳せるほど、城崎は感傷的な性分ではない。ルミネのように花だ虫だと騒ぎたてるような真似もせず、少女が突然走り出さないように気を使いながらも考えるのは仕事のこと。
彼は世界防衛機構軍に所属する軍人だ。階級は少尉だが、今回の任務にあたって特務大尉へ昇進した。階級は確かに上がったが、特例処置という形なので特に権限が増えたわけではない。給料に少し色がついた程度だ。天条の副官として共に日本へ派遣される際、城崎の階級が上官との間に隔たりが大きかったので、体裁を整える為に繰り上がっただけ。城崎が選ばれたのも、天条の後押しもあったが、東洋人で日本語が堪能。現在、特に重要な任務についていない人間という条件に該当するのが彼しかいなかっただけ。
そんな適当な選抜で、城崎は天条と共に世界防衛機構軍日本支部設立の準備を進める為に日本へやってきたのだ。
(……しかし、仕事が進まないな……)
温い暖かさの中ではどうしても、思考は散漫になってしまう。緩やかな睡魔が城崎を襲う。慣れない土地での生活は、一晩ゆっくり眠ったところで早々なくなるものではなかった。
もちろん一カ月の間、無休だったわけではない。その間も交代で休みは取っていたが、完全なオフになるのは初めてだった。それも、唐突に決まった。昨日、役所から小学校へ入学するルミネの転入手続きに必要な書類の一部が未提出だと連絡が入り、天条が急きょ、直接役所へ赴くことになった。その際、どうせなら、と二人そろって休みにしてしまったのだ。
どちらにしても、たった二人しかいない部署。本部から電話がかかって来ることもないだろうし、メールチェックだけすませておけば、そう緊急性のある問題も起こらないだろうという、何ともアバウトな上司の判断だった。
こんな時にあの監査官が現れたら、間違いなく査定にマイナスの棒が書かれるだろう。しかし、サウスからの連絡は最初の邂逅以降、一度もない。
つまるところ、世界防衛機構軍日本支部設立の準備は遅れるばかりだった。
(いや、謎の工作員を探す方が先か)
城崎はサウス監査官の話を思い出し、渋面になる。彼が持ち込んだ情報によると、この千鳥ヶ丘市付近に未知の新兵器を持ったテロ集団が隠れ潜んでいる、らしい。
(そう言われても、東洋系で二十歳くらいの男性なんて、この日本で探し出すのは不可能だろう……)
現に、その条件だと城崎も当てはまってしまう。嘆息し、そこでまだ、工作員の写真を見ていないことに思いいたる。日々の雑務に追われ、すっかり忘れていた。
明日にでも書類を見よう、と思い顔を上げると、ちょうど駅に着いた。
駅から出ているバスで十分、下車した先には山を切り開いて建造された、複合商業施設が展開している。
大型スーパーや、そこから連なる多数の小売り店舗が顧客の集客を呼び、特に週末の昼間は好天候もあってか、駐車場はみっしりとクルマで埋まっている。
当然、店内も相応に客がいる。城崎はルミネの手を離さないように注意しながら、目的の日用品を買い求める。が、しかし、連れているのは六歳の少女。好奇心旺盛というより、好奇心が手足を持って暴れているような存在。すぐに、あっちだこっちだこれかわいい、と城崎を引っ張り、買い物はなかなか進まない。
ようやく大まかな買い物をすませた城崎は、書店に入って地図を購入しようとレジに並ぶ。絵本コーナーに釘づけになっているルミネを視界の端に入れながら、彼は小さく息を吐く。
(一度、どこかで休憩するか……)
確か、施設内に本国でもよく見かけるファーストフードの店があったはずだと見当づける。
少女の勢いに、いい大人が、しかも、厳ついやたくましいの代名詞にもなる軍人が振り回されている状況に、皮肉のひとつでも言いたくなる。特に、ルミネの周りを巻き込む様は、もはや一種の才能なのではないかと疑いたくなる瞬間がある。それは昔から、常々思っていたことだ。
オーストラリアにある天条の住まいには、よく彼の部下が集まっていた。もちろん、城崎もその一人。分厚い筋肉と見上げるような巨躯の男達が多数出入りする環境でルミネは育ったのだが、少女は彼らにおびえる様子も見せず、むしろ新しい遊び相手が来たとばかりにはしゃいで男達を振り回した。
一度、通りで五人ほど非番の同僚に会い、何事かと思っていると、足元には幼い少女がいた。スーパーに菓子を買いに行くのについて来てもらったと、笑顔で言う。囲む男達も、いつもなら岩のように厳しい顔つきをしているというのに、その時はずいぶんとしまりのない顔で幼女を女王のように扱っていた。
自分もその一人なのかと思うと、いささか情けない心持になる。
日本に来て、確実に増えている溜息をもう一度吐きながら、会計を終えた城崎は振り返る。
「ルミネちゃん、終わったよ……」
だがしかし、絵本コーナーに少女の姿はなかった。
本屋を一周したが、ルミネはいなかった。
英語で少女を呼ぶ城崎を、周りの人間は怪訝な目で見てきたが、構ってはいられない。非常時には、日本語よりも慣れている英語の方が早いからだ。
ここにはいないと判断し、城崎は小走りに店から出る。途端にあふれる人波に足を取られたが、どうにかその合間をぬって少女の小さな姿を探した。
そうやって、足元ばかり気していた城崎に、彼と同じ高さで声がかかった。
「あ、城崎さんだ」
ヤッホー、と軽い声に顔を上げると、自分の腰ほどしかない少女となぜか視線が合った。
思わず、往来で急停止してしまう。
疑問はすぐに解消した。
ルミネは、誰かの背中に乗っているのだ。
家電コーナー。ディスプレイ用のテレビ前に立っている誰かの背におぶさり、少女は笑っている。
「……ルミネちゃん?」
状況が飲み込めないでいると、ルミネを背負っている人物が振り返った。
相手は城崎よりも若い青年だった。彼はあまり感情の読めない顔をして、無言でこちらを見ている。不機嫌そうに眉根を寄せているが、どちらかといえば、少女にまとわりつかれて困惑している方が強そうだった。
「城崎さん、このお兄ちゃん、城崎さんに似てる人だよ」
明るく笑いながら少女は告げる。そこで城崎は、青年と会ったことを思い出す。
日本に来て間がなかった頃、今のようにルミネは迷子になり、城崎が見つけた際、この青年と一緒にいたのだ。
「あぁ、あの時の……」
ようやく日本語で話すことを思い出した城崎は、改めて青年に向き直る。
相手の年齢は二十歳ほど。短く刈った黒髪。赤褐色の瞳が珍しいと思ったが、それ以外は特に際立った美形というわけではない。他に特徴らしいものといえば、右腕を負傷しているのか、三角巾で吊っている点くらい。
ルミネはしきりに城崎と彼が似ていると言うが、二人並んでも兄弟には見えないだろう。
(背格好は近いが、他は東洋系くらしか共通点はないと思うけど……)
少女の目に自分達はどう映っているのだろうか、とそのあたりの認識が気になる城崎だった。
それはそれとして、どうやらルミネは本屋の外で青年を見つけ、その背に飛びついたらしい。笑いながら肩に腕を回し、リュックサックのようにぶら下がっている。少女の予測できない行動の連続に、城崎はルミネの行動をとがめるのも忘れ、本日何度目かもわからない息を吐く。
「ねー。お兄ちゃん、何してるの?」
無邪気な問いかけに、青年は「テレビを見ていた」と、そっけなく答える。
つられて城崎も顔を向けると、展示品の大型テレビではニュース番組をやっていた。報じられている内容に、城崎は眉根を寄せる。
それは先だって、防衛軍が参戦した中東地域紛争の続報だった。レポーターは事態の概要を説明する。
中東のある国では、宗教的な思想の対立により、現政権と反政府ゲリラが十数年以上も小競り合いを繰り広げていた。そしてついにゲリラ側が大規模な攻撃を仕掛けたことにより、現政権は自国の軍隊だけでは対応が困難だと判断し、世界防衛機構軍への内戦加入を依頼した。
防衛軍の武力介入により、反政府ゲリラの部隊は大打撃を受けて後退する。
ここで一度、ゲリラ側は体勢を立て直す為に銃を下すだろうと、大半の、特に武器を持たない一般市民やテレビの向こうにいた者達は思った。
しかし、話はそうきれいにはまとまらなかった。
弱体化したゲリラ側に政府は停戦交渉を持ちかけたが、その作戦は失敗に終わる。
政府側の代表が、政府軍と防衛軍の混成部隊とゲリラ残党部隊との交戦中、ゲリラによって殺害され、混乱は一気に泥沼化してしまったのだ。
画面には爆破され、黒煙を上げるホテルの映像が映っている。代表殺害の方法は、至ってシンプルなもので、ホテルに宿泊中を狙っての爆破テロだった。地下駐車場に仕掛けられた爆弾はホテルの基礎部分を破壊し、巨大な建築物は自分の重さを支えきれず、駐車場に埋もれるようにして崩壊した。
停戦に向かって見えていたはずの光は、何も関係のない一般宿泊客や、ホテルの従業員も多数巻き添えになる悲惨な事態によって消えた。
現場では国際救助隊が現地で作業する者達と協力しながら、昼夜を問わず瓦礫の撤去と救出作業が続いている。
レポーターが、防衛軍の参戦によりこの混乱が一刻も早く収まって欲しい、と締めくくって終わった。
城崎は報道番組が伝える内容に、ますます眉間のしわを深くする。情報として紛争悪化は知っていたが、こうして公の番組で取り上げられているのを見ると、胸が重くなる。城崎の在籍する部署は、紛争鎮圧に向かった部隊と直接の繋がりはない。それでも、同じ世界防衛機構軍に属する者として、紛争が長引く現状を憂えていた。
そこへ、ぽんと言葉が飛んでくる。
「防衛軍は、どうして戦うんだ」
青年の独り言に、城崎は弾かれたように顔を上げる。
「何を……」
考えに沈んでいたこともあって、過剰に反応してしまった自身を叱咤する。それでも、青年の言葉を城崎は無視できなかった。青年は背中を凝視する城崎には気づかず、別の内容に移った画面を見つめている。
独白は続く。
「戦って、人が死んで、それでも……戦うんだな、おまえ達は」
「───なっ……」
城崎は自分が軍人だと気づかれたのかと焦る。そこでようやく、休日だからと緩んでいた神経が張りつめ、同時に上官から示された任務を思い出す。
人型の巨大な兵器を日本に持ち込んだ、謎のテロ組織の捜索。
メンバーには東洋系で、二十歳ほどの青年がいる。
目の前の人物は、話に聞いていたメンバーの特徴と合致する。
他の雑務が忙しいと、そんな大雑把な任務を持ち込んだ監査官への反発もあって、資料に目を通していなかった自身の怠惰を悔やむ。
そこで城崎も動揺などおくびにも出さず、ただマニュアル的に、防衛軍は武力を持って平和維持活動を続ける組織だからだ、とでも言って場を取り繕い、改めて青年の素性を探ればよかった。
いや、言いかけて口を開いたのだが、振り返った青年を前にして、言葉を飲み込む。
青年はかすかに首をかしげ、無心の顔つきでこちらを見ていた。
その眼に見られて、城崎はなぜか焦った。あまりにも真っ直ぐな視線には、逆にこちらがそらすことをためらうような強さがある。
城崎は息をのむ。そうして、未だに少女が青年の背に乗っていたと思い出す。
青年の発言は気になったが、ルミネを守る方が優先だ。
「……おいで、ルミネちゃん」
二人の男に挟まれ、きょとんとしているルミネに手を差し出した。青年はもう一度背を向け、城崎に少女を渡す。
ルミネを抱えて一歩距離を取った城崎は、青年への対応を考える。
「あ、シン兄ここにいた!」
警戒する城崎を叩くような声がして、電気屋から少年が小走りに出て来た。
「急にいなくなるから探したよ」
袋を振り回しながら、少年は青年の服を引っ張る。青年は心なしか肩を落とした様子だった。
と、少年が城崎に気がつく。この人は、と青年に問いかけるが、彼は黙って首を振った。
「買い物は終わったのか」
「うん、全部買ったよ」
それだけ聞けば十分だと、青年は城崎には視線を向けることもせず、少年に向き直ると一緒に歩き出す。
「待て」城崎は、反射的に呼び止めた。
青年は律儀に足を止めると、振り返る。黙ってまた、強く真っ直ぐな眼を向けてきた。その視線にためらいを覚えながらも、城崎は言葉を発する。
「君は、何者だ」
問いかけに、青年はまた、先ほどのように首を少し曲げて考え込むような仕草をした後、何かを思いついたのか、ぽつりと告げる。
「……海里シンタロウ」
発せられた内容が城崎に届き、それが名前だと彼が認識するまで少しの間が必要になる。ややあって、城崎は質問の意図が広すぎたと気がついて我に返った。
「そ、そうじゃない。君は……」
「城崎さん、顔、怖いよー」
ルミネの手が頬に触れ、一瞬注意がそれた間に、青年は方向転換し、少年と歩いて行く。城崎は青年を追いかけようとしたが、腕の中の少女の存在を思い出して足を止めた。
「カイリ、シンタロウ……?」
城崎は日本語の響きを持つ名前を反芻する。
短いやり取りだったが、それは海里が少年からもらった名前を人間相手に示す、初めての行為だった。
が、当然、城崎の関知するところではなかった。
「シン兄、何で名前を言ったの?」
「……あの対応は、間違いだったか?」
逆に問い返され、マイキはうーんと首をひねる。
違うと言えば違うだろうが、特に問題があったようには思えない。「大丈夫だよ」と、言って、マイキは先ほどのやり取りを忘れて先を急ぐ。
「レックスが待ってるから、早く行こうよ」
「そうだな」
駐車場に待たせている仲間の名前が出ると、海里の足も速くなる。
海里もまた、少女と男性との会話を、特に重要視していなかった。以前に会っていたことは記憶に残っていたし、少女にいきなり飛びかかって来られた時は驚いたが。
そして、相手を警戒させた独り言だが、海里が示した「おまえ達」は、城崎が防衛軍の人間だと気がついての発言ではない。海里が思い返していたのは、深海都市に保存されている膨大な資料にあった、人の歴史。常に争いに満ちている在り方に、当時は憤りさえ覚えていた。
それは、不意に思い返し、口を突いて出た言葉だった。
───それでも……戦うんだな、おまえ達は
人間は争う。同時に、機械知性体もまた、騒乱の種を抱えて地上に出現していることも、事実だった。
マイキと一緒に歩き出した海里だったが、人の流れが増していることに気がつく。
「……ずいぶん人が多いな」
「シャーリーが歌うんだよ」
さらりと言われたが、海里は意味がわからず首をかしげる。と、それを見たマイキは、あれだよ、と看板を指で示した。駐車場出入り口の脇には、巨大な看板が設置されている。そこには金髪で青い眼の美しい女性が微笑んでいた。だがその静謐な笑みを書き消すような勢いで「稀代の歌姫シャーリー緊急来日」「被災地に癒しの歌声が響く」など、派手な文字が躍っていた。
「シャーリー・アレン。すっごくきれいな声で歌うから、妖精の歌声だってユキ姉が言ってた」
海里は周りを見回す。よく見れば、アーケードのあちこちに同じポスターが貼られ、人波は通りの向こうにある野外ステージへ向かっているようだった。
「街が燃えちゃったから、シャーリーがみんなを元気づける為に来たんだって」
あの歌だよ、とマイキは看板と逆方向を指さす。
人通りの多い歩道に面して、小さなCDショップがあった。店舗の前に出してあるワゴン。ぐるりと囲むようにシャーリーのポスターが貼ってある。ワゴン内にはCDとCDラジカセが置いてあった。
歌は、そこから流れていた。
静かだが、押し迫る波のような声量の歌が流れてくる。その旋律は海里にも聞き覚えがあった。最近、マイキの姉のユキヒが家でよくこの歌のCDをかけている。
ワゴンには簡単に、シャーリーの略歴が書かれたポップも立ててあった。
歌姫シャーリー・アレン。
独特の高音域の声は、妖精の歌声と呼ばれている。
災害復興支援の為、世界コンサートの合間に緊急来日。
「……怪我をして、引退するとユキヒは言っていたな」
海里はポップの内容を目で追いながら、思い出したことをマイキに尋ねる。
「うん、何か喉の調子が悪いんだって。ユキ姉、最近ずっとこの話ばっかりだよ」
金管楽器のように響く声は、人間世界の楽曲に詳しくない海里にも素直に美しいと思えた。
「帰ろう」しかし、彼の中に野次馬根性という単語はない。だからシャーリーの歌を聴きに行きたいとは思わなかったので、野外ホールに流れる人波から外れる。
「そうだね」マイキも素直に従って歩き出す。
と、駐車場へ歩き出した彼らの耳に、CDショップとは違う方向から、さらに大音量の音楽が届く。顔を上げると、野外ホールの方で演奏が始まっていた。しかしすぐに途切れ、また流れる。その度に音の調子が変わっているように海里の聴覚には聞こえた。
「あ、リハーサルやってるんだよ」
「リハーサル」と、海里は繰り返して顔を上げる。
練習だと言葉の意味はわかっても、何をやっているのか具体的な想像は海里の知識ではできなかった。
それ以上、歌姫への関心を示さずに海里は歩き出す。
瞬間、『何か』が破裂した。
危険な破片や炎、閃光も一切出ない。ただその代わりに、叩きつけるような圧力が周囲の全員に襲いかかった。
「───っ!」海里は圧しかかる何かに耐えながら、それ
の正体を探る。
爆発があったのは、野外ホールのある方向。振り仰ぎ、自身の中で下した判断に疑問符を浮かべる。
「……音、なのか?」
これほどまでに高音で、突き刺さるような旋律は聞いた覚えがない。これでは歌ではなく凶器だ。
海里はとっさに身をかがめ、マイキを抱え込む。放たれたものの詳細は不明だが、今の音は危険だと判断する。
音は発生と同様、唐突にやんだ。
「耳が痛い……」
マイキは両手で耳を押さえる。周囲の人間も似たような状態に陥っていた。頭を抱える、しゃがみこむ。和やかだった午後の光景は、一瞬で奇妙な惨状と化した。
「何だったの……?」
尋ねられても、海里には答えられなかった。ここにトレトマンがいれば、すぐさま分析して結果を示してみせただろうが、あいにくと別行動中。それでも機械知性体である海里は、人間がとらえきれない別の音を拾っていた。
(……この音は、おかしい)そう判断を下す。
厳密な分析はできなかったが、地上世界へ出て様々な人間に出会い、地上の世界に繁栄する種族について、彼なりに理解できたことは多い。
その知識が、先ほど発信された音に含まれる音域は、人間のそれとは微妙に異なっていると訴える。
「シン兄……」袖を引かれ、海里は我に返った。詳細な分析はそれが好きな者に任せるとして、今は先にやるべきことがある。
「レックスのところへ戻ろう」
他の人間も気になったが、意識を失う様な者は出ていないらしく、立ち上がっては事態に呆然としたり、彼らのようにクルマへ戻ろうとしていた。
と、どうにか混乱から立ち上がりかけた人達に、別の危機が迫る。
エンジンの唸る音と悲鳴に海里が向き直ると、迫る光景に目を見開く。
一台のクルマが、駐車場出口とは反対方向、海里達がいる歩道に向かって直進してくる。運転手が音の破裂に驚き、反射的にハンドルを切ってしまったのか、クルマは勢いを殺すことなく突進を続ける。
海里の目が、車内で慌てふためく運転手の姿をとらえる。そこまで距離が迫ってから、ようやくクルマは悲鳴じみたブレーキ音を奏でるが、完全停車するまでにはまだ距離が必要になる。
歩道を滑って行く鉄塊の前には、無数の人間が呆然と、あるいは恐怖に顔をゆがめていた。
誰もが最悪の結末を想像し、小さな悲鳴を上げる。
「───いやぁっ! ダメっ!」
間近で聞こえた叫声。振り返ると、城崎に押さえ込まれながら叫ぶルミネがいた。
少女は甲高い声を上げ、必死になって手足を振り回す。小さな手の先には、今にも動く凶器に跳ね飛ばされようとしている人がいる。
「誰か、誰か助けてぇ!」
その言葉に、海里は理由もなく全身を打ちのめされたような気がした。
必死の声に、反射的に身体が動く。
まるで、何かに命じられたような強制力によって、海里は何も考えず、空っぽの頭で走り出した。
いや、海里の中には「助けて」という言葉だけが強く強く響いている。
その為にはどうすればいいのか、何をすればいいのか。
何を『使う』のが早道か。
思考は瞬時に計算を完了させる。
海里はクルマの前に走り込むと、近くの人間を暴走車の進路上から突き飛ばす。そのまま海里自身が横に跳べば終わりだったが、クルマは未だに走行を続けている。その先にも、他の避難客の姿があった。
ためらいなく海里は迫るクルマに向かって前かがみになると、肩をボンネットに向かって突き出した。
次の瞬間、激しい衝撃に全身が震える。暴走車の加速が乗った重さに押されて大きく後退し、身体がよじれたが、左腕でクルマを押さえ、両足を地面に突き刺す勢いで踏ん張る。バンパーが大きくへこみ、クルマは急激に速度を落とすが、それでもまだ止まらない。
全身を襲う衝撃と激痛に顔をゆがめながらも、海里はクルマを押さえ込み続ける。せめて右腕が使えれば、と悔やんだが、もうどうにもならなかった。
バランスを崩した海里は倒れ、転がり、最後の力で走り込んで来たクルマの下に巻き込まれた。
ようやく停車したクルマ。だが、周囲に集まっている人の間から、大きな悲鳴が上がる。
「……なんてことだ」
城崎は呆然とつぶやく。
飛び出した青年がクルマの前にいた人を突き飛ばし、さらに止めようとして体当たりしたが、勢いに負けてクルマの下敷きになってしまった。
いや、正確には地面と車体の間に挟まれた格好になっているのだろう。
場を取り巻く者達の誰もが混乱していた。携帯電話で救急車を呼ぼうと焦っている者もいたが、誰も青年がどうなったか確かめようとはしない。
遠巻きに眺めている者達の様に、城崎は軽く息を吐く。本心を言えば、城崎も同じように傍観者になって立ち去りたかった。
それでも職業意識とでも言うべきだろうか、とにかく無視はできない。それに自分なら、簡単な応急処置程度は下手なやぶ医者よりも多く知っている。
「ルミネちゃん、ここにいて。動かないでね」
傍らの少女に強く言い聞かせ、自分の代わりに街灯につかまらせると城崎は駆け出す。
「大丈夫か?」
そんな生易しい言葉ですむ状況でないことは、見ただけでわかる。車内の運転手は、中年の男性だった。ハンドルに顔をうずめるようにして震えている。エンジンがかかっていないことを確認してから、城崎はクルマの側にかがみこんだ。
すぐ脇に、腕が見える。包帯が巻かれた右腕だった。城崎は青年が腕を三角巾で吊っていたことを思い出す。クルマの下から早く出してやりたかったが、怪我をしている腕をつかむのは気が引けた。
「……仕方ないか」
逡巡の後、城崎は青年の右腕をつかむ。迷っている猶予はないと判断し、一気に力を込める。相手は自分と同じくらいの体格をしていた。城崎一人でも、引きずり出すことはできるだろう。
「───え?」
だが、青年の体格から判断して加えた力は、大きく空振りした。腕は予想外に軽い力で車体から抜け、その手ごたえのなさに、城崎は尻もちをつく。
「な……」
何が起こったのかわからず、城崎はつかんだ手の先を目で追う。そして驚愕し、言葉を失った。
手は、肘から断裂していた。
その向こうにあるはずの身体は、ついていない。
周囲が息をのむ音が聞こえる。次いで、悲鳴が上がった。混乱はさらに深まり、逃げまどう人同士が互いを突き飛ばし、転倒する。
だが、城崎には周囲の喧騒が遠くに聞こえた。
城崎はこれでも軍人だ。非常時や災害現場での対応は、民間人よりも慣れている。しかしその感覚が、この状況は何かが違う、おかしいと訴えるのだ。
違和感と疑問は、すぐに解消する
「そうか……血だ」
切断された腕からは、わずかに赤黒い液体が染み出すばかり。身体の一部分が切り離された場合、体内をめぐる血液が大量にあふれ出る。それに、腕そのものが妙に重い気がした。
恐る恐る切断面をのぞき込み、城崎は小さく悲鳴を上げた。反射的に、腕を取り落としそうになる。荒くなる呼吸をどうにか押さえ、城崎はもう一度、見た。
「この腕……」
思わず息をのむ。信じられない、とかぶりを振ったが、目の前にあるものは幻覚ではなさそうだった。
「機械、だと?」
青年の腕は、生身のものではなかった。内部構造は人体に似ているようだが、そのすべてが金属部品で構成されている。
「何だ、これ……義手か?」
城崎は青年の救出も忘れ、不可思議なものに気を取られる。
と、そこに、ごうんと低い駆動音が響いた。
顔を上げた城崎は、再び驚愕で硬直してしまう。日頃、心身は同年代の者に比べれば格段に鍛えていると自負していたが、それでも、動けないほどの衝撃が目の前にあった。
救急車と、黄色の軽自動車が近づいて来る。
そこまでは、何も問題がなかった。
問題が起こったのはその先で、唐突に軽自動車が立ち上がったのだ。
目の覚めるような鮮やかな色の車体は細かく分解しながら展開し、箱を閉じるようにして別の形に組み上がって直立する。
手足と胴体、そして頭部と、人間を模した構造。人型の機械に変形した軽自動車は、駐車場内をゆっくりと歩いて横ぎってくる。それを目の当たりにした周囲のほとんどは、ただ立ち尽くすだけ。認識しても、理解が追いつかないのだろう。
『えー……』
救急車から、男の低い声が漏れる。城崎がいる位置からでは、運転席は見えない。
『我々は自衛隊の災害派遣特殊チームです。事故の一報を受け、負傷者救助にやってまいりました』
スピーカーから響くのは、妙に音割れした声。音量の大きさに顔をしかめていると、救急車がバックで暴走車に横づけして停車し、後部扉が開く。
『皆様、緊急事態ですので落ち着いて下さい』
わざとか、と思いたくなるほどの大音量は続く。
黄色の人型機械が二足歩行で近づいて来る姿に、暴走車の運転手が悲鳴を上げながらドアを開け、走って逃げて行った。
城崎もここまで来てようやく、自分も何か行動を起こさなければ、と気づいたが、抱えた腕の重さにふらついた間に人型機械がすぐ側まで近づいてきたので、また動けなくなる。
人型機械は城崎の存在は無視し、暴走車の屋根に手をかけると持ち上げ、すぐ脇に下ろす。クルマの下敷きになっていた青年が現れた。アスファルトですれた身体は汚れ、ひどい有様だ。断裂した右腕から漏れた液体が、小さな水たまりになっている。
力を失っていた身体、左手の指先が動いてアスファルトをひっかく。青年は肘をついてゆっくりと上半身を起こした。
汚れた顔が動き、城崎の方に向けられる。
赤い眼が、彼をとらえた。
思わず、情けないことだが、城崎は座り込んだままの格好で半身を引いてしまう。
先ほど彼の姿を見た時、髪と眼の色の組み合わせが珍しいと思った。あとは、どこにでもいそうな青年、それだけの印象だった。
しかし今、目の前にいる存在は、まるで別の何かに置き換わってしまったように見える。どこかぎこちない動きは彼が抱える腕と同じ、機械的なものに見えた。
空虚な動作に加え、眼は金属的な赤みが増している。
「何なんだ……」城崎はうめいた。
青年の肘のあたりでちぎれた腕が、三角巾と一緒に頼りなく揺れる。
目で青年を追っていると、急に眼前が暗くなった。
恐る恐る顔を上げると、頭の上に巨大な手が突き出されていた。
「っな……!」
手を出されて思わず後ずさったが、人型機械はそれ以上は動こうとはせず、ただじっと、何か待ち構えている様子だった。そこで城崎は、相手の目当てが抱えている腕だと知って、放り出すようにして渡す。
人型機械は青年と腕を救急車に収容すると、再び最初の軽自動車形態に戻り、そこで走ってきた少年を一人乗せる。救急車はサイレンの音も高らかに駐車場から、軽自動車も一緒に走り去って行った。
広大な駐車場内にいた者達は、先ほどの音の爆発以上の精神的衝撃に、誰もが彫像のように硬直してしまう。
「……自衛隊、だと?」
城崎は独りごちる。ようやく立ち上がれたが、頭のどこかがふわふわとして、気を抜けば倒れそうになる。
「あ、あんなものが……日本の軍隊には配備されているのか?」
ここで城崎は、大きな勘違いを犯していた。
ひとつは、自衛隊は軍隊ではない。
そして、もうひとつ。ここに現れたのは、自衛隊の所有する車両ではなく、もっと別種の存在だった。
彼らは意思ある機械存在。
呼称は、機械知性体オリジネイター。
「あらあら、大変なことになったわね」
言葉とは裏腹に、街路樹の側に立っていた金髪の女性は面白そうな顔をする。細いフレームの眼鏡をかけ、その奥にある瞳は好奇心に輝いている。
駐車場内には救急車などの緊急車両が乗り入れ、物々しい雰囲気になっていた。そんな中、女は長い金髪を指に絡ませながら、ついと視線を動かす。先にあるのは野外ホール。場外アナウンスが、予定されていたコンサートは中止になったと繰り返し放送していた。
「中止というか、あれじゃあもう歌えないわね」
野外ホールの裏手から、先ほど一台のクルマが静かに走り去って行った。そこに乗っている人物のこれからを想像し、女はさらに笑みを深くする。
「悪いけど、壊れた妖精さんにはもう用がないの。これからは、羨望ではなく同情を集めることね」
「……妖精計画第二世代最終ロットか」
街路樹を挟んで隣に、男が現れる。曇天じみた陰気さを背負った男は、何にも興味がないような、熱のない口調でそう言った。女は男を見て「ディス、来たの」と適当に声をかける。男はうなずきすら返さない。そんな愛想のなさなど慣れていると、彼女は話を向ける。
「彼女はとても優秀だったわ。個人的にはあの歌声も好きだったけど、頑張りすぎたみたいね。喉を壊したわ。治療に専念すれば、まだ復帰も見込めたのに……無理に公演を追加して、しかも日本へ行くなんて言い出すから、症状が一気に悪化したみたいね」
女は肩を揺らして笑う。その様を、ディスはただ見ていたが、それがしばらく止まらないのを見て、「エルフ」と小さく呼びかけて遮った。
「あの最後の声、今までにない高い数値が計測された。周辺の電子機械にまで影響が及んでいる。クルマの暴走も、自動操縦装置が誤作動を起こしたのだろう」
エルフは、先ほどよりも笑みを深くする。整った細面は確かに笑っているのだが、その微笑はどこか心ない空々しさがあった。
「だから、妖精の歌声よ。人も機械もみんな惑わすわ」
「……我々にも、突き刺さるがな」
「そうみたいね。さっきも面白いものが見られたわ。多分、さっきの女の子は第三世代よ。隣にいた、例の人間形態オリジネイターを操ってた。もっとも、彼女はそんなことは意識せずにやったみたいだけど」
「第三世代、か。まだ能力としては不完全なようだな」
「そうね。彼が動いたのは、人間よりも耳がよすぎただけよ。それに、平時ならあそこまで簡単にはいかないはずよ」
「周囲に自身の意識を伝播させ、支配する力か。意識して行うことができれば、被支配者達は、言われるがまま、右や左に向き、走り、感情も制御される」
「生死もね」
エルフは顔を上げる。視線の先には、小さなCDショップがあった。混乱の中にも、店先のワゴンはそのまま置かれていた。ワゴン内のCDラジカセは、繰り返し同じ歌を流し続けている。
美しい旋律の歌声が終わると、エルフは嫣然と微笑む。
「あの生まれたばかりの女王、欲しいわ」
「バッカも───んっ!」
怒声と一緒に救急車から放り出された海里の身体は一直線に吹っ飛び、茂みに頭から突っ込んだ。足だけがのぞくその前に、黄色の軽自動車が割り込む。
「わぁぁぁっ! 兄ちゃん兄ちゃんっ!」
軽自動車からマイキが飛び出し、茂みに埋もれた海里の元へ走る。そして車中に人がいなくなったクルマは分解するようにして展開し、人型機械に変形して立ち上がる。元軽自動車のレックスは、悲鳴じみた声で抗議する。
「ちょ、ちょっと、トレトマンやめてよ!」
救急車に向かって叫ぶと、向こうもまた同じようにして変形し、立ち上がると腕組をして肩をすくめてみせる。妙に人間くさい仕草だが、金属で構成された身体のどこにも人間らしさはない。
トレトマンは、いらだたしげに言う。
「どうせ治療するのはわしだ。もう少し損傷個所が増えたところで一緒に治せば問題はない」
「あるよ、ありまくりだって!」
レックスは茂みから海里を引っ張り出そうと奮闘しているマイキの元へ急ぐ。海里も他のオリジネイターと同じく身体は機械なので、同程度の体格をした人間と比べて二倍以上の重量がある。片腕がない分を差し引いても、子供一人でどうにかなる重さではない。レックスは引っ張り出した海里を地面に下ろし、膝をついてのぞき込む。
「大丈夫かい、トラスト」
レックスは海里を本名で呼びかける。海里シンタロウという名前は、人間世界で違和感がないようにとマイキが考案した偽名だった。
「……大丈夫だ」
無愛想に言い放つが、海里はレックスに支えられて立ち上がるだけで精一杯だった。
「シン兄……腕が……」
おびえた声に振り返ると、マイキが青ざめた顔で海里を見ている。少年が注視するものに気がつき、彼は半身を引いたがもう遅い。
「これは……」
腕の損傷は前からだ、と言いかけて海里は口をつぐむ。右腕が切断されたのは、先だって中東に赴いた際の負傷だった。彼らユニオンと対立する同じ機械知性体の組織、イノベントの一人によって破壊された。切断された右腕は、トレトマンの手持ちの部品や機材では完全に治すことが難しかった為、応急処置として見た目だけでも繋がっているように見せかけていただけだった。
元々、少年に不安を与えない為の応急処置だったなど、今さら言っても仕方がないことだ。
「まったく、おまえさんはどれだけ騒ぎを起こせば気がすむんだっ!」
今は、それ以上に厄介な相手が目の前にいるのだから。海里の表情は人間から見れば変化に乏しかったが、それでもうんざりした顔をする。面倒事を引き起こした自覚はあったが、すでに起こったことに対しえんえんと愚痴が降って来るのはごめんだった。文句など聞きたくもなかったが、兄弟として信頼しているレックスまでしょぼくれた様子を見せた為、海里はますます逃げられなくなってしまう。
「僕も、ばっちり見られたしね」
海里達のような機械知性体の存在は、まだ人類にその存在や正体は伏せたままにしている。先ほどのように大っぴらに出て行くような真似をしない為、普段は軽自動車や救急車といった車両に擬態しているのだ。今の、いわゆるロボット的な形態が、彼らの本来の姿だった。海里だけは人間世界に入り込みやすくする為、人間と酷似した形状を持っている。
「一応、撮影はされないように妨害電波は流しておいたが、気休め程度だろう」
機械知性体であるトレトマンには、溜息をつく、という行為はできない。だが多大な疲弊を感じる今のような気分の時は、人間のように息を吐いて肩を落としてみたかった。
後半だけを実行しながら、海里に向き直る。
「トラスト。今さらだが、なぜあんな危険な真似をした。人を助けるのは素晴らしい行為だが、あそこまで無茶をしてどうする。おまえさんの身体は人間よりもはるかに頑丈だが、走行する自動車に勝てるほどではないぞ」
激高を抑えた、静かに言い聞かせる口調。責めも怒りもなく、ただ疑問を解消しようと尋ねる仲間の言葉に、海里は顔を伏せて考え込む。
黙考したが、海里の中に浮かんだものは、ひとつだけだった。
「助けて欲しいと言われた」
「またそれか」トレトマンはあきれ声で肩をすくめる。
「あの声を聞いたら、何か、動かなければならない気になった」
ふぅむ、とトレトマンは顎に指をかける。「声、ね」と首をかしげた。
「その相手は、おまえさんの近くにいた、五歳前後の少女だろうか」
海里は首肯する。トレトマンは視線を外すと、腕を組んで胸をそらす。
「女性の頼みを引き受けるのは、男の義務だ。結果には少々問題があったが、あそこまで身体を張ったおまえさんの献身は称賛に値するだろう」
「俺は、人間じゃあない」
「オリジネイターにとっても、人間の女性は守るべき存在だ」
よくわからない、と海里は首をかしげる。そのあたりの認識の差を、人間好きのトレトマンとしては一晩かけても詳細に語りたかったが、そこは我慢する。途中で飽きられるか逃げられるか、結果は見えているからだ。
トレトマンは向き直ると話題を変える。
「さて、話はこのあたりにして、おまえさんの身体を治すとしよう。とはいっても、また応急処置になるな。そろそろ本格的に治したいところだ」
ぶちぶちと文句を漏らしながらも、トレトマンは年長者の権利で場を仕切る。レックスにマイキを自宅まで送って行けと追い出し、自身は救急車形態になって海里に中へ入れと指示する。
海里に治療を施す傍ら、トレトマンは思考をめぐらせる。
クルマと格闘した海里の身体の損傷具合は、想像よりは軽傷だった。もちろん、機械知性体だからこの程度ですんでいるだけの話だ。
(……ずいぶんと無茶をしたものだ)
いくら膂力が人間とは桁違いでも、走行する車を片手で押しとどめるほどの力は海里にはない。それは彼自身にも理解できるはずだった。だというのに、そんな捨て身の手段を取った仲間の行動には疑問が残る。
(あの少女に、何かあるのだろうか)
レックスから、商業施設内で異常な事態が起こっていると連絡を受けたトレトマンだったが、現場に駆け付けた頃には海里がクルマの下敷きになっていた。
奇怪な音のサンプルも拾えず、海里を突き動かした少女は遠目に見ただけ。
適当な推論を並べたくなくて、あの場は話題を変えてしまったが、トレトマンの中では今回の件が見過ごせない事態へ発展するのではないかという危惧があった。
夕刻、世界防衛機構軍日本支部設立準備室に現れた城崎を見て、天条は内心の仰天を押し隠すのに苦労した。
「……遅くなりました」
何があったのか、城崎は全身埃まみれになり、見れば細かい擦り傷も負っている。
疲弊しているようだが、目には力があった。
むしろ、何かにとらわれたようにぎらついている。
「パパっ! 大変なのっ!」
城崎の後ろから、彼の惨状からすれば奇跡なほど無傷の娘が走り出て来た。幼い少女は泣きそうに顔をゆがめている。
「城崎さんが痛いってー痛いのー」
父親に会ってこらえきれなくなったのか、目の端から透明なしずくがこぼれ落ち、泣き出したルミネはさらに興奮する。
殺風景な準備室に響く少女の泣き声に、天条は父親と上司と、どちらの顔を取っていいのか混乱する。まずはと娘を抱き上げ、切れ切れに何かを言っているその背をさすりながら、城崎に向き直る。
「城崎君、何があったんだ?」
「自分の怪我は軽傷です。お嬢さんは気がたかぶっている様子ですので、早めに連れて帰った方がいいと思います」
「そ、そうだが……」
正論に言い返せないでいる天条を後目に、城崎は部屋を横ぎってキャビネットを開け、そこから救急キットを出してくる。
「ご心配には及びません。自分の手当てくらいできます」
言って、傷の消毒を始める。天条が泣きじゃくる娘をあやしていると、城崎が振り返った。
「あの、ひとつよろしいでしょうか」
何だと促すと、城崎はぎらぎらした目を見せる。
「例の資料写真を見せて下さい」
天条は娘を抱えたまま、机の引き出しから封筒を取り出して手渡す。城崎は受け取ると中身を机上に出し、書類を繰っていく。ややあって、目的のページに達したのか、その手が止まる。彼は娘をあやしていた天条に駆け寄り、書類の、その中に添付されていた写真を取る。
「『彼』を見つけました」
城崎が示す写真の中にいたのは、海里だった。
【妖精の歌 終】
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今回の内容から3巻になります。
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