破壊の導火線②「そうだ、彼女は痛かった。痛みを知ったのだ」
複合商業施設から歩いてすぐの場所に展望台はあった。切り立った先から千鳥ヶ丘市と海が一望できる。施設ができる以前から存在していたのだが、山間部の開発が進んだことで逆に付近住民の足は遠ざかり、忘れ去られてしまった場所。東屋もベンチも雑草に埋もれ、展望台を囲う手すりには赤く錆びが浮き、同じ高さの草が生えている。
朽ちかけた展望台の隅。奇跡的に雑草がなく、ぽっかりとした空間に少女が一人座りこんでいた。
十二歳前後。半袖のセーラー服に、チェックのプリーツスカート。どこかの学校の夏服だった。少女は落下防止用の手すりに背中を預けるように座っている。その顔はうつむいている為、表情はうかがえない。
だが時折、肩が震え、鼻を鳴らす音がする。
少女を見つけた海里は、静かに近づく。声が届くぎりぎりの範囲で一度、立ち止まった。
「───悲しいのか?」
海里の声に肩が跳ねたが、顔は伏せたままだ。むしろ、どこかに行けとばかりにますます身体がこわばってしまう。数メートルの距離を挟んで彼は逡巡する。
しばらく待っても立ち去らない気配に、少女はおずおずといった様子で腕の間から目だけをのぞかせる。大きな瞳が瞬きすると、透明な滴がいくつも目の端から滑り落ちた。
「……別に、何でもない、です……」
少女は笑って見せたが、海里は笑わなかった。
震える唇を噛み、無理やり口の端をつり上げて頬を歪ませる。そんなボロボロの笑みを見て、そうですか、と踵を返せるほど海里は器用にはできていない。しかし、対応策を考えつかない程度には無知で機転がきかなかった。
互いの間に奇妙な沈黙が横たわる。
先に我慢できなくなったのは少女だった。彼女は憤慨した様子で立ち上がると、嗚咽を漏らしながら言った。
「私は……大丈夫。だから、他人なんかに、同情されたくないんです」
ぶるぶる震えながら、精いっぱいの力をこめてにらみつけてくる少女を前に、海里は肩を落とす。
かなり長い間を置いた後、海里は自信なく言った。
「……キリダンス……」
少女は驚愕と戸惑いの混ざった顔を上げた。未だに止まらない涙で濡れ、瞼は赤く腫れていたが、興奮気味に目を見開いている。涙の膜を指でぬぐい取り、少女は改めておせっかいな他人の顔をまじまじと眺め、近づいてくる。
「え……もしかして……」
少女の疑問に、海里は首肯する。
「俺も、確証はなかった」
彼らは少なくとも、初めて会った者同士ではなかった。
五ヶ月ほど前、千鳥ヶ丘市は鋼鉄の巨人の襲撃を受けた。その際、市街は焼かれ、多数の家屋が瓦礫の山になる。
暴風のような災害の後、少女は海里に声をかけた。
祖母の桐箪笥を掘り返して欲しい、と。
別に、彼でなくともよかった。だが道行く者達は誰もが自分と家族のことで精いっぱい。誰も少女の声に足を止める者はいなかった。
振り返った誰かが、海里だった。
「あの頃は、人間の顔の区別がつけられなかった」
「あはっ、まるで、お兄さんが人間じゃないみたいな言い方するのね」
少女は初めて自然に笑う。海里は自身の正体を明かす必要も感じられなかったし、少女もまた、ようやく緊張が解けたのか、目の端の涙をぬぐって深呼吸する。
「あの時は、本当にありがとうございます!」
言って、深々と腰を折った。
「あのタンス、中の着物は焦げ臭くなってたから処分されちゃったけど、ちゃんと仮設住宅に持って行ったんですよ」
転校した、これは新しい学校の制服だ、と少女は久方ぶりに出会えた恩人に向かって笑顔を振りまく。
「けど、よくわかりましたよねー。私は全然わからなかったのに」
海里はそっと手を上げた。少女の、まだ赤い眼の端に伸ばした手は届かないまま引き戻される。
「泣いていたから、気になった」
それだけだった。最初は追いかけようとは思わなかったが、不意に、もしかして、と閃いたのだ。
「あー……それでか……」
少女は頭上を見上げ、何かを答えようとしていったん口を閉じた。だがその表情のまま、硬直してしまう。次いで、耐えきれなくなったとばかりに、再び眼の端から涙が滑り落ちた。
「おばあちゃん、亡くなったんです」
泣いた顔のまま笑う少女の様に、海里は胸の奥をつかまれたような気分になる。言葉をさしはさめずにいると、少女は簡単に事情を説明してくれた。
祖母と少女の一家は自宅が全壊し、仮設住宅へ居を移した。だが、祖母は環境の違いになじめず体調を崩し入院する。そして先月、夏風邪をこじらせてあっという間に亡くなってしまった。
ようやく家庭内が落ち着き、四十九日までは特にすることもなくなった今日、事件が起こった。
「あのタンス、家に帰ったら、なかった……」
少女は言葉をつまらせる。彼女は夏休みの間、補習で家を空けていることが多かった。災害で休学していた分、他の生徒よりも授業内容が遅れているからだ。
いつものように、そっけない作りの仮設住宅に帰宅した途端、ぽっかりと開いた空間が彼女を出迎えた。
「捨てられちゃった……」
笑顔の裏に隠されていた慟哭が、唐突に炸裂する。
「うっ、く……どうして、何で、捨てなきゃいけないの? わっ、私は、あのタンスがずっと欲しかった! 引き出しの金具の模様が好きなの! 薄い引き出しなんか、着物を持ってないなら使い道ないって言われたけど、あの形が、不思議でよかった、だけなのに!」
窒息寸前で水から飛び出してきたように、肺いっぱいに空気を吸い込み、ぜいぜいと肩で息をしながら彼女は言いたかったことを、言えずにここまで貯め込んでしまったものを力いっぱいぶちまける。
子供じみた鬱憤を、海里は黙って受け止めていた。聞き流してなどいない。だが少女の言っている内容を理解するには、彼はまだ人間世界について知らないことが多すぎる。着物用の底浅の引き出し、と言われても想像がつかないし、特に、思春期の少女という特殊な存在とはまともに会話したこともなかった。
「捨てるなんて、私は、あれがよかったのに!」
少女の細く華奢な手が、海里の胸板を叩く。何度も何度も執拗に。当たりは軽く、彼は特に痛いとも不愉快だとも思わなかった。
もっと強く、引き裂かれた心の悲鳴が叩きつけられる。
「っな、何で、何で……おばあちゃんを、いなかったみたいにするのよ!」
不意に少女は上体を起こし、つられて海里も身体を動かす。互いの位置がずれ、振り下ろした拳が偶然、海里の額を打った。かすかに海里の身体が揺らぎ、感触の違いに少女は顔を上げる。
ようやく自分がしたことに気がつき、少女はこぼれ落ちそうなほど目を見開く。
「あ……」
自身の手と、何も言わない海里の顔を交互に見る。少女の身体は、寒さに震えるように小刻みに震えていた。
ふらふらと後退する少女は、くしゃりと顔を歪ませて膝から崩れ落ちる。折れた身体を海里は抱きとめた。くったりと力を失った身体を支えてやるが、少女は立つことを忘れたのか、呆けたようにつぶやく。
「っ、いたい、痛いよぉ……」
「痛むのか?」
海里を殴った拳を隠すようにして泣いている少女を抱え、彼は首をかしげる。彼は少女に殴られたことを、少しも気にしていなかった。
今、彼のうちを占めているのは、少女が自分の、人とは異なる強度を持つ身体を打った手を、痛めてしまったのではないかという焦燥。
焦った海里は、少女を抱き上げて振り返る。
「───トレトマン」
展望台の入口に、救急車が停止していた。
情報収集に走り回り、ようやく戻って来たトレトマンは、見つけた海里にいきなり使われて少々不機嫌だった。
「特に、骨や筋を痛めている様子はないな」
救急車の内部、トレトマンの内側に運び込まれた少女は、姿がないのに聞こえてくる声に、先ほどとは違う驚愕に目を見開いていた。
「トラスト、ちょっと外に出ろ」
一通り少女を診察し終えたトレトマンは、そう言って海里を車外に放り出す。
有無を言わさない勢いに困惑する海里に、トレトマンは後部扉を閉めてから言った。
「彼女が泣いている理由は、痛みからだろう」
中にいる少女には聞こえないよう、トレトマンは声を低くする。
「……そんなに痛かったのか」
「そうだ、彼女は痛かった。痛みを知ったのだ」
含みのある言い回しに、海里は顔を上げた。
「話は途中からだが聞いていた。彼女は大切にしていた家財道具を処分され、憤りを覚えていた。他者を攻撃したい衝動を抱えていたが、肉親に怒りを爆発させることをためらって飛び出してきたところ、たまたまおまえさんに出会い、怒りの矛先を向けた」
ちょうどよかったな、とトレトマンは笑う。何が適切だったのかは、海里は聞かないことにする。
「まあ、殴った相手が鋼鉄並の強度を持っていたのは想定外だったろう。だからこそ、彼女は苦痛を覚えた。同時に気がついた。自身にはね返って来た痛みはそのまま、他者も感じたであろうものだということ。その痛みを、親しい者へ向けてしまいそうになっていたことを。彼女は痛みを知り、初めて自身の抱えていた負の感情の恐ろしさを知ったのだ。他者を害することは同時に、自身もまた、深く傷つけてしまう」
もうひとつある、とトレトマンは長広舌を続ける。
「彼女はようやく、自分の中にある傷に気がついたのだ。目をそらしたままにしていた傷、心の傷だ。心の傷というのは厄介だ。なにせ目には見えないからな。見えないからこそ軽率に放置され、長期的な抑圧が大きな歪みへ発展する場合が多い。歪みはやがて限界を越え、下手をすれば現実と自分との折り合いがつけられなくなるほどの精神崩壊を起こしてしまう」
少女の激情に隠されていた深淵を示唆され、海里は何も言い返せなくなる。トレトマンの中にいる少女の様子が気になった。
「まあ、そう深刻にとらえるな」
対してトレトマンはあっけらかんと告げる。
「挫折や後悔は恥ではない。むしろ、これがわからなければ、自身が傷を負っても気づかない。他者を傷つけても、その痛みを想像することができなくなる。とはいえ、苦痛を拒絶する、回避したいというのは当然の心理だ。一度痛みを覚えることで、傷つけられることを恐れて臆病にもなるだろう。だが、知ることで見えてくるものもある。そうやって、足場が広がり世界が大きくなるのだ」
トレトマンの話は彼にはいつも抽象的すぎて、そこにどれだけの意味が含まれているのか理解が及ばないことがほとんどだった。
「軽い捻挫くらいはしたかもしれないが、この行為が彼女にとって、少しでも前に進む為の通過儀礼になればいいのだがな」
言って、トレトマンは後部扉を開け放った。
中の少女は、持っていたティッシュで鼻をかんでいたところを海里に目撃されてしまう。使い終わったティッシュを手の中に丸めると顔を真っ赤にした。
「あ……そのぅ、えっと……ごめんなさい。それと、ありがとう、です……」
どういたしまして、と答えたのはトレトマンだ。
「トラスト、駐車場でレックスとマイキ君が待ちくたびれているぞ」
海里はうなずきを返すと、少女に視線を移す。
そして、無愛想なまま黙って少女の顔を注視する。
「……こら、トラスト。そこは華麗に、お嬢さん、家まで送って行きますよ、くらい言わんか」
対応策に悩んでいた海里は、そういうものかと顔を上げる。そういうものだ、と返すトレトマンは、かなり情けなさそうだった。
再び、やや警戒気味の少女に向き直る海里だった。
「……家まで、送って……」
「ええい、もうおまえさんは黙っとれ!」
扉を動かして海里を跳ね飛ばすと、トレトマンは何やら叫んでいる少女を内部に抱え込み、そのまま走り出す。
数時間後、沖原家に戻って来たトレトマンは、少女を無事に家まで送り届けて来たことを告げた。
その間、かなり一方的に色々と話しをしたらしく、彼は非常に機嫌が良くなっていた。
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関西コミティア、文学フリマに出没します。




