破壊の導火線①「私は久檀コウヘイではない。名前を貸してもらっただけでね」
破壊の導火線
七月も後半に入り、学生が夏休みを満喫する時期だったが、日本列島は灼熱の太陽の下で灰色にかすんでいた。
新型インフルエンザ。
それが、結晶病の感染拡大を見て見ぬふりできなくなった政府が初めて打ち出した作戦だった。明らかにねつ造された情報だったが、報道を受け取る一般市民は当然、何も知らない。隠された真実に気づいている者や、知っている者はごくわずかで、そんな極少な者達は過剰な報道の裏側で事態の収束を図っていた。
マスコミはさかんに新型インフルエンザの感染力の強さと症状の深刻さを声高に叫び、少しでも体調の異常を感じたら、最寄りの専門機関で診察を受けるよう何度も繰り返す。執拗な報道はサブリミナル効果のように人々の意識に刷りこまれ、彼らは気づかないうちに世間では恐ろしい伝染病が流行っていると思いこまされていた。間違ってはいないのだが、中身のない過剰な危機意識のあおりは、人心の不安もあおった。
町中のドラッグストアからマスクや消毒用アルコールが消え、電車の中では咳ひとつでにらまれる。マスクを着用していない者は変人扱いを受けた。
街の雰囲気は変わっていた。夏の暑さはそのままに、まるで真冬のように枯れてしまっている。海水浴場やプールは多数の人が集まるので感染の危険が高いと避けられ、稼ぎ時だというのに閑古鳥が鳴いていた。
だが暑いものは暑い、と狭山トシオは風量不足のエアコンを見上げる。どこの部署も節電対策で温度を規定以下にすることは厳禁だった。だが鉄筋コンクリートのビル内は西日の降り注ぐ夕方になると、まるで壁が発熱しているような錯覚を覚えるほど室内に熱気がこもる。
定時まであと二時間。もっとも、その定時はすでに忙しさの中で崩壊していたが、事務員の半分が帰ればその分、人口密度が減って多少は涼しくなる。
インフルエンザと自衛隊。まったく関係ないように思われる二つだが、新型インフルエンザ発症の一報から市民からの問い合わせが増えた。主にインフルエンザの症状や感染経路に関する問い合わせだったが、中には隣の誰それが感染しているかもしれないから捕まえてくれ、というような無茶な要求もあった。畑違いだと追い返すのは簡単だったが、不安に思う気持ちは誰もが同じなので、むげに追い返すこともできないでいる。
そして誰もが右往左往している中、狭山は多少、事情通だった。友人から伝え聞く、隠されている事実に恐恐としながらも、表面上は日々の雑務に精を出している。
狭山は山積みの書類の中で不意に顔を上げた。少々疲弊気味の事務員が、受けた電話を手にしたまま顔をこわばらせたのが見えた。
何かまた面倒な言いがかりをつけられているのか。一分ほどの押し問答の末、事務員は電話を保留にしてひと息つくと、狭山に向かって振り返る。よほど難問なのか、眉間にしわが寄っている。
事務員はためらいがちに告げた。
「あの、狭山さん。クダンと名乗る方からお電話です」
「っ、久檀だって?」
狭山は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、慌てて駆け出す。
「電話は隣で取る」
驚愕のまま、会議室の札がかかった部屋に飛び込む。誰もいない、机と椅子とホワイトボードだけの簡素な室内で深呼吸をする。そしておもむろに壁際に置かれた子機を取って保留ボタンを押した。
「もしもし、コウヘイか? おまえ、駐屯地が封鎖ってどういうこと……」
「失礼」狭山の言葉をさえぎって、落ち着いた男の声が届く。もちろん、久檀の声ではない。そして声の主もまた、即座に否定する。
「私は久檀コウヘイではない。名前を貸してもらっただけでね」
「え……」
相手の意図や正体が読めず、呆然としたままの狭山に声は淡々とした調子のまま続ける。
「狭山トシオさん、あなたに話がある」
再び日本の地を踏み、明けて翌日。海里達は放り出されていた。トレトマンは予想以上に滅茶苦茶になっている現状に関する情報を得ようと昨晩から動き続けている、その為、次の行動は延期となっていた。
何もすることがなく、沖原家の車庫に固まっていた海里達にユキヒは爽やかに言った。
「じゃあ、ちょっとお使いをお願いしてもいいかしら。留守にする前に冷蔵庫を空っぽにしちゃったから食材が足りなくて。今日は山側のスーパーが卵の特売日なんです。牛乳も二本、あ、海里さんがいるならお米も持てるわよね。マイキ、他の細かいものはメモに書いたから」
よろしくね、と彼女はマイキにメモと財布を渡し、洗濯しなくちゃ、と小走りで立ち去った。
海里達は世界の命運を前に、まずは沖原家の食糧事情を回復させる為に動き出したのだった。
海里とマイキは軽自動車形態のレックスに乗りこむ。シリウスは沖原家の車庫に入れないので、昨日からそのまま鷹ノ巣山駐屯地に居座っている。
向かうのは沖原家からほど近い、山間の商業施設だ。以前にも一度訪れたことがあった。
「……前は大変だったよね」
買った物を後部に積んでいた海里は、レックスの独白めいた言葉に顔を上げる。太陽光に焼かれるアスファルトの駐車場は陽炎が立ち昇りそうなほど暑く、クルマを停めた者達は涼を求めて店舗へ急いでいるので、彼らの会話に気づく者は皆無だった。
「そうだな」海里は短く返す。
歌姫シャーリー・アレン。世界的に有名な歌手が彼らのいるショッピングモール近くの野外ホールでコンサートを行うことになっていた。
その場で起こった、今でも不可解な事件。
突如炸裂した、音の爆弾。そうとしか評することができない音波の炸裂により人々は混乱に陥る。そして海里は暴走したクルマを止める為に走った。
事件は、奇妙なままでは終わらなかった。それまで水面下でうごめいていた事態が、彼らの前に突きつけられる。
妖精の歌。世界を汚染する、少女達の声。
ある少女を海里達の前に放り出したシスは、少女達の持つ能力をそう呼んだ。
人為的に脳を加工された少女達。彼女達は薬物や暴力的な方法に頼らず、他者の意識に直接影響力を行使できる能力がある。そしてその力は、人だけでなく機械知性体までも惑わす。
だが、彼女達のほとんどは、その能力ゆえに悲惨な末路を迎えている。
雨の日に拾った少女、アルトゥンは再びイノベントに連れ去られた。
歌姫は視聴者の見ている前で、海里の同期接続した外装を模した存在に射殺された。
他にも、世界中の至る所で実験の被害者と思しき少女達が死んでいった。
少女達は無理やり消されていく。そこにはユニオン側に情報を与えまいとする姿勢があまりにも濃厚で、使い捨てられていく少女達の命はあまりにも軽かった。
能力の一端を見せながらも生存しているのは、天条ルミネだけ。幼い少女と両親は、何も知らずに日々を過ごしている。
ルミネだけが残酷な手から逃れ続けている理由はわからない。そして、連れ去られたアルトゥンの行方も不明なまま。生死の情報も入って来ない。
増え続ける少女達の死の報告に、彼らの間でアルトゥンや少女達の持つ能力に関する話は、自然と絶えて行った。
その禁忌を、レックスはあえて掘り返す。
「アルトゥンを、探しに行けないかな」
静かな声に、海里はわずかに首を動かした。
「探して、それで……その先に、どんな結末があったって、見ないふりをして、きっとどこかに無事でいるなんて甘い考えに浸るのは嫌なんだ」
彼らは口にはしないでも、少女を案じていた。どこにいるのだろうか、そう思っても、今までその先に想像を進めることはできなかった。
「……俺は、レックスがアウラのことを黙っていた気持ちも、あの時、止めてくれたことも、どちらも正しかったって思っている」
海里は軽く目を伏せ、レックスに囁いた。
「アルトゥンを探すのは、もう、間に合わなくても……遅くはないはずだ」
結果を出すことで、後悔や自己嫌悪に陥るだろう。なぜすぐ探しに行かなかったと空しく繰り返し、悔しさに胸をかきむしるのかもしれない。
そして、これから何をしてもどう取り繕っても、それらはすべて、自己満足の空回りに終わるだけだろう。
それでも探して、暗い所から引っ張り出してやりたい。見たくない真実から目をそむけ、逃げ続けるのはもうたくさんだった。
雨に濡れていた少女は、マイキ達と違い、ほんのわずかな時間しか過ごしていなかったが、失ってもいいと切り捨てられる存在ではなかった。
レックスは駐車場を改めて見渡す。
「結局さ、ここで起こったことってなんだったんだろう。歌姫の件だけじゃあなくて、他の事件も繋げて考えてみないと。トレトマンは何かわかったみたいだけど、教えてくれないし……というか、聞き忘れてたね」
駐車場の一件から間もなく、海里達はいったん深海都市へ帰還した。そこで起こった身内の事件もあり、彼らはますますこの施設で起こった奇怪な事件や少女達の能力について遠ざかっていた。
「今さらトレトマンに訊くのも怖いなぁ」
「言わない以上、まだトレトマンにも判断がつかないことなのかもしれない」
海里は軽くレックスに身体を預け、商業施設を見渡す。マイキはスーパーの買い物が終わった後、隣のドラッグストアで特売のトイレットペーパーを買う為に向かった。まだ戻って来る気配はない。
「あのさ」レックスはおずおずと言った。
「言わないから訊かないって、ちょっと、ずるい気がするんだ」
海里はレックスに意識を移す。彼の話は雑談の延長には聞こえなかった。
「僕達にできることって、確かに限られてる。知識も経験もないし、落ち着きだってないからトレトマンにはしょっちゅう怒られてるし……や、そうじゃなくてさ、僕達は今、イノベントと戦おうとしてる」
戦争。言葉にすれば一言だが、音にして出すのにためらいを覚える単語だった。
「思ったんだけど、この戦争って、多分、ミサイルとか刃物を使ったりするような、ある意味分かりやすい戦いにはならない、そんな気がするんだ。僕達がしてることって、中身のわからない宝探しみたいなものかもしれない。お互いに、何が大事なのか、本当に存在してるのかもわからないものを他の誰よりも先に見つけようとしてるだけ。探してるものが同じなのか、違うのか、目的も地図もない宝探しだ」
海里は、レックスの言葉をじっと聞いていた。
「先が見えない、相手も見えない、正解もわからない戦いって、地味ですごく消耗する。そんな面倒で、どうしようもない事態に陥ってるのに、言われたことや、与えられることだけこなしてたらダメなんだ。僕達はもっと、その先を考えないといけないんだよ」
つたなくも自身の考えを吐露するレックスに、海里は瞼を伏せて金属の表面に顔を寄せる。
「レックスは、強いな。俺が苦手なことや、考えたくないことを、ちゃんと教えてくれる」
「うーん、僕だって難しいことは嫌いだよ。けどさ、例えば、この戦いが終わったら何をするか、それを考えれば、先に何をすべきかって見えてこないかな」
「終わったら……」
海里は整理できない心持ちのまま顔を上げる。降り注ぐ陽光は焼けそうなほど熱を持っている。常にどこか湿っているような深海都市とは異なり、地上は時間と季節で様々な表情を見せた。
ほとんど考えることなく、次の言葉はするりと出る。
「俺は、これからも地上で暮らして行きたい」
それは切実と呼ぶほど強い望みではなかった。ただ、他に何かないのか、と問われて何も浮かばないのと、それは却下だ、と言われたら困るという思いがある。
「僕もだよ」レックスは笑う。
「もっと世界を見たい。トラストと一緒に、いろんなところに行きたいんだ」
一緒に行こう。互いに言葉にはしなかったが、彼らは十分に言いたいことと、叶えるべき願いを理解していた。
静かに彼らは充足した気分を味わう。
「ねえ、トラスト……」マイキ遅いね、と言いかけたレックスの声を、海里は聞いていなかった。
海里の視線は別方向に向けられている。
駐車場の外、施設外にはまだ山林が多く残っている。向こうの山が新しい住宅地予定として裸に削られているのが見えた。
「……レックス、ここでマイキを待っていてくれ」
「え、ちょ、トラスト?」
止める間もなく海里は走り出した。追いかけようにも、運転手がいない軽自動車が勝手に動き回るわけにもいかず、レックスは仕方なくマイキの帰りを待つことにした。
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「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




