心なき涙⑤「マイキ君の命は、おまえさんが預かるほど軽くはない」
千鳥ヶ丘市の海に広がる人工島。その第二期開発地区。要の空港開発が途絶した地域に進出した組織は、世界防衛機構軍。今はまだ仮設だったが、年が変われば本格的な工事が開始される予定になっている。現在は、倒産したタクシー会社の本社ビルが仮の運営場所になる。
そこに数台のクルマが停まっていた。正面から見えない位置、倉庫の中に隠れるようにして戦闘機も一機いる。
ある、ではなく、いると表するのは、彼らはただの無機物の塊ではなく、個別の意識があるから。
機械知性体オリジネイター。彼らは再び日本の地を訪れていた。
自動車形態になっているレックスから降りた海里は、迎えてくれた男に頭を下げる。
「よく、帰って来てくれた」
天条ユウシ大佐。世界防衛機構軍に所属する軍人だが、彼らが偶然の出会いから天条へ救援を求めた経緯から、組織とは関係のない繋がりができていた。
天条は駆け寄り、海里の顔を正面から見据えた。次いで、ひどく驚いた様子で肩や腕に触れてくる。
「ひどい怪我をしたと聞いていたが、大丈夫なのかね?」
邂逅時、すでに海里の身体は多大な損傷を受けていた。彼は天条が言っているのは、その後、ハルに受けた負傷と推測し、問題ないと首を振る。
「外装を全交換した」
端的な説明に、天条は目をみはる。
「あ、あぁ、そうか。そうなのか……」
「今の身体は、微細機械細胞っていう、何かすごいものでできてるらしいよ」
戸惑う天条にレックスが補足するが、あまり気のきいた説明ではなかった。案の定、理解が及ばなかった天条は視線をさまよわせ、そこで車内にまだ数名、人がいることに気がついた。沖原一家三人が、天条に向かって頭を下げる。マイキだけ慌てた様子で下車すると、海里に半ば隠れるようにして天条を見上げてきた。
「どうかしたのか」訊ねる海里にマイキは「別に」と答えながらも彼から離れようとしない。その様に、天条はまぶしいものを見るように眼を細めた。
「彼らは?」天条の問いかけに、レックスが「友達だよ」と、これまた説明になっていない解説をする。
「地上世界での貴重な協力者だ。あなた方同様、世話になっている」
さすがに説明不足だと、トレトマンが割って入った。
「では、彼らが沖原さん達ですか」
合点が行ったとばかりに天条はうなずく。以前に話だけはトレトマンから聞いていたが、実際に会ったことはなかった。逆に、天条や防衛軍に関して何の説明も受けていないマイキ達は、どう反応していいのかわからない様子だ。
「彼らとの出会いについても語りたいが、今は我々が地上から離れていた期間に何が起こったかを知りたい」
潜水艦を使って一足早く地上へ戻った彼らは、真っ先にこの第二期地区を訪れた。トレトマンはレックスに、沖原一家を自宅へ送り届けるように指示する。
「僕達はこの人の話を聞かなくていいの?」
「マイキ君には難しい話ばかりだからな。それより疲れただろう、一度帰って休んだ方がいい」
マイキはトレトマンの当たり障りない言葉に不満を見せる。彼の言には事態の中心から沖原一家を締め出そうとしている意図が明白だったからだ。
嫌だとばかりに海里の服の裾をつかんで離さない様に、さすがのトレトマンも無理強いできずに困惑する。
「マイキ、帰るわよ」車内からユキヒが手招きするが、マイキは聞きたくないとばかりに顔を伏せてしまう。
「マイキ……?」さすがに海里も少年の態度に不審に感じ、戸惑った顔になる。
だって、と何度か口中で小さくつぶやいた後、マイキは言った。
「いまシン兄と離れたら、もうシン兄達はうちに来ないんでしょ?」
率直な言葉には力があった。言葉を弄することを好むトレトマンですら、とっさには何も言い返せずに沈黙する。彼は埋め立て地の向こう、水平線の彼方へ視線を移す。
「……二度と会わない、などと言うつもりはない。だが、もう一度戻ってくる保証はできないのだよ」
トレトマンも地上世界で沖原一家に受けた恩義をあだで返すつもりはない。彼らを良き隣人として信頼もしている。特に現状では、人類側の協力者は一人でも多く必要だった。
だが、沖原一家には彼らの生活があり、それを壊してまで協力を強いることはできなかった。むしろよく知っている相手の日常を続けて行く為、彼らはマイキ達との縁を切ろうとしていた。海里とレックスにはすでに深海都市を出る前に言い含めていたが、マイキは彼らの態度の違いを敏感に察していたらしい。
聡明な子供だ、とトレトマンは感嘆する。本来なら、強引な理屈をこねてでもマイキを説得する立場にあるのだが、今は人間という種が持つ可能性をまたひとつ目の当たりにし、静かな感動に打ち震えていた。
「マイキ君、我々は戦いに行く。必ず帰って来るという約束はできない。そして、そんな危険な場に、君を連れ回すような真似もしたくはないのだよ」
しぶしぶといった感じでマイキは顔を上げた。こちらを向いてくれたが、納得していないのは表情を見れば明らかだ。不安に歪む顔をどうにかして笑顔にしてやりたかったが、トレトマンは少年に適当な嘘を告げることをよしとしなかった。
「ここに残ってくれないだろうか」
トレトマンは静かに言い聞かせるが、マイキは首を振るだけ。たまらずユキヒが弟を海里から引きはがそうとしたが、その手は意外な人物の手で止められた。
「……海里さん?」ユキヒは眼鏡の奥の目を瞬かせる。
海里は軽々とマイキを抱え上げた。渡さないとばかりに高々と抱えられ、少年は反射的に彼の顔と肩に腕を回す。
「シン兄……?」
高くなった視点にマイキが思い出したのは、海里との出会い。巨大な人型の機械、ゴーストによって千鳥ヶ丘市は焼かれた。マイキもゴーストの放った熱線によって、焼け崩れたアスファルトと同じ運命をたどるはずだった。
崩壊する街並みからマイキを救い出してくれた青年は、何があったのか苛立った様子で、助けたマイキを荷物のように遠慮なく抱えて走っていた。
海里、そして機械知性体のオリジネイターであるトラストという存在を知った今だからわかる。当時の彼には状況に対してこまやかに配慮する精神的余裕はなかった。むしろ当時、マイキを助けたことの方が僥倖だろう。
そして、常に渋面だった彼は、半年にも満たない間に大きく変化する。表情は相変わらず乏しいが、今、マイキを抱えている腕には少年に対する気づかいがある。しっかりと支えながら、子猫を抱くような柔らかさがあった。
ほんの少し前まで、マイキを路傍の石程度の雑な扱いをしていた彼が、今はどこか必死な様子でいるのがマイキにはおかしく、同時に心地よかった。
「シン兄……」
マイキはますます海里に強くしがみつく。暖かくて柔らかい未知のものが胸を締めつけた。
海里はマイキを抱え、はっきりと告げる。
「俺はマイキと一緒にいたい」
トレトマンは海里と、目を丸くしているマイキやユキヒをしげしげと眺め渡す。と、救急車形態を解除して二足歩行で直立した。付近に部外者がいないことは確認済みだ。
「わしもマイキ君の存在を軽んじているわけではない。だが、マイキ君はまだ子供だ。保護者を必要とする存在を、保証のない旅路の道連れにするわけにはいかん」
腕を組み、トレトマンはひょいと上から海里をのぞきこむ。ロボット形態の身長は五メートルを越えている。
トレトマンは静かに、当たり前のように言った。
「マイキ君の命は、おまえさんが預かるほど軽くはない」
それこそ軽くも重くもない口調だった。だが海里は顔をしかめる。トレトマンは彼の表情を見もせずに天条の方へ向きを変えた。
「天条大佐。久檀陸佐にも話を聞きたいのだが、彼のいる基地へ同行してもらうのは可能だろうか」
天条はトレトマンと、渋面のまま沈黙してしまった海里を交互に見た。眉をひそめた後、実は、と切り出す。
「その件ですが、残念な報告があります」
天条はトレトマン達に鷹ノ巣山駐屯地閉鎖と、その原因となった人体の結晶化について述べる。彼らの留守中に状況はさらに悪化し、現在では生者も結晶に侵されるようになっていた。
ばつが悪そうな顔で言い終えた天条に対し、トレトマンはふむ、と顎に手をやる。
「そうか。やはり、日本を離れている間に厄介なことになったな」
淡白な反応だったが、抑揚のない声音の裏で、思考がフル回転しているのは明白だった。海里達はマイキの件が保留になった上、人体の結晶化という奇病に困惑を隠せないでいる。
「結晶化について、もっと詳しく調べたい。おそらくそれが、ハルが残して行った手がかりだ。ひとつでもとりこぼせば、謎は解けずに終わってしまうだろう」
「ハル、とは?」天条の問いに、トレトマンは思索は止めずに短く返答する。
「我々の同族で、トラストと同じ人間形態をした存在だ。あやつはどうも、ユニオンやイノベントとは違う、独自の思考で動いているようだ」
また長い説明に入りそうになったが、トレトマンは珍しく自分で話を止めた。いかんな、とかぶりを振る。
「先にお互いの情報交換を行わねば説明が重複して面倒だ。ハルやイノベント、いや、機械知性体という存在について、もっと詳しい説明を行いたい。それに……天条大佐には他に、とても厄介な頼みごとがある」
面倒だ、ともう一度繰り返したトレトマンは、怪訝そうな顔をする天条の顔をのぞきこむ。
「駐屯地封鎖とは厄介だな。組織というものは個人で立ち向かっても門前払いが関の山。だが我々なら、少なくとも追い返したりはしないはず。私は直接、駐屯地へ乗りこむことにする。天条大佐、あなたはどうする」
さらりと出された提案に、天条どころか全員が驚愕する。彼らの驚きが見えないとばかりに、トレトマンは早口で続ける。
「そうだ。大佐と一緒にいた部下はどうなった。久檀陸佐から負傷して入院したと聞いたが、退院できたかね?」
矢継ぎ早に質問を重ねられ、内容を頭に入れるのが精いっぱいだったところに出た話題に、天条は虚をつかれた顔をした後で嘆息する。
「城崎特務大尉は、転属しました」
はて、とトレトマンは小首をかしげる。天条は首を振った。聞かないで欲しいと拒否しているような態度にトレトマンは話題の矛先を変える。
「どうやら、問題は他にもあるようだな」
「久檀には私も会いたいのですが、こちらにも立場がある。うかつに顔を出しては後でどんな障害になって立ちはだかるかわからない。それに……彼女の件もあります」
新たに出て来た人物にトレトマンは思い至らず、天条に先を促す。
「駐屯地内には、防衛軍の人間も軟禁されています。彼女の部隊が日本へ非公式に潜入していたところを保護したのですが、目を離した隙に脱走。鷹ノ巣山駐屯地で久檀に発見され、そのまま拘束されています」
トレトマンは腕を組んで少し思案する態で黙りこんだ後、あの時の女性か、と言った。
鷹ノ巣山駐屯地に海里達が居候していた際、ハルとゴーストの襲撃に遭った。その際、ハルを撃った狙撃手、その隣にいた女性をトレトマンはようやく思い出す。直後に駐屯地を出て深海都市へと戻っていたので、彼女のことは言われるまで忘れていた。
「そうか、あのまま駐屯地内に拘束されているのか」
「レヴィ曹長……。彼女も出してやりたいのですが、なにぶん非公式に日本を訪れている上に、駐屯地内での騒ぎもあって、なかなか手続きが進んでいません」
「我々が押しかけて返せと言えば、渡してくれるだろう」
冗談にしては物騒なことをさらりと言ってのけるトレトマンに、レックスが我慢の限界だとばかりに叫ぶ。
「待ってよトレトマン! 人間に手を出したら駄目だって!」
「そうだな。そんな低レベルな真似をすれば、自衛隊と機械知性体との間に軋轢が生まれる。いや、日本という国家を敵に回すかもしれんな」
「だったらやめようよ。もっと平和的に行こうって!」
当惑するレックスを、トレトマンは涼しげに流す。
「細かく手を回すのも疲れて来た。たまにはこの巨体の威力を行使してもいいだろう」
やめて、とトレトマンの暴挙を止めにかかるレックスだった。
「……シン兄」
放り出される格好になっていた海里は、マイキに軽く肩を叩かれてようやく我に返る。下ろそうとして、少年に制止された。そっと、耳にひそめた声が届く。
「僕もシン兄と一緒に行きたいよ。でも……僕、何にもできないよ?」
海里は顔を上げてマイキを見て、一瞬困惑の色を浮かべた後、表情を緩めた。
「マイキは、俺よりも物事を知っている」
「でも僕、どうしていいのかわからないんだ。一緒に行くのが遊びに行くのとは違うっていうのはわかるんだけど、その、世界が大変とか僕も危険だとか、そんなのは……」
マイキが無我夢中で話し出しそうになるのを制するように、海里は口を引き結んで頭を振った。
「俺も、マイキと同じことがわからないんだ」
それ以上かもしれない、と自嘲気味にうつむく顔に、マイキは締めつけられるような痛みを覚える。
「マイキ、もう迷惑になるからやめなさい」
後ろからユキヒにつつかれ、マイキはまた海里にしがみつく。ここで離れたら、それこそもう二度と会えないのではないかと、わけもなく不安な気持ちになっていた。
「迷惑をかけるっていうのは、ちょっと違うと思うぞ」
タカフミも下車し、マイキの隣に立つ。てっきり自分を引きはがしに来たのかと思って身構えていたマイキだったが、父親の表情は存外楽しげだった。
「オレはな、問題が起こるから、面倒くさいからって何か始めるのを萎縮するのはどうかって思う。大事なのは、やりたいことの前に立ちはだかる壁を、どうやって解決するかだ。そりゃあ、前に進んでいれば、誰かの邪魔になる場面も出てくる。迷惑かけないようにって気を使ったところで他人や物事にはぶつかるもんだからな」
タカフミは穏やかな笑みを浮かべた。
「マイキ。おまえの決断が、自分自身を責める時もあるだろうが、その後悔もいずれは役に立つ時が来るはずだ。もし本当に彼らと一緒に行きたいなら、オレやユキヒには遠慮せずに行って来なさい」
「お父さん、それ以上マイキをたきつけないで」
怒り顔の娘につめ寄られ、タカフミは降参だと手を掲げる。沖原家の最高権力者はユキヒなのだ。
「オレだって、危険で難易度の高い旅路に息子を放り出すのは嫌だ。だが今は夏休み。子供が世の中を見て回るのに一番最適な季節だ。一ヶ月半冒険し放題だぞ」
ユキヒは口元を曲げ、不満をあらわにする。そのまま親子の舌戦が開始された。その後ろでは、客人が全員下車したので二足歩行形態になったレックスもまた、トレトマンと言い争いをはじめてしまう。
五分ほどで片はついたが、敗者は双方ともに非常に疲弊した有様だった。
「……マイキ、夏休みの宿題は終わらせるのよ」
「穏便に、まずは話し合いだよ……ていうか、話し合い以外はダメだからね……」
勝者は腕を組み、胸をそらす。
「ははっ、土産話を楽しみにしてるぞ!」
「話すのはわしの得意分野だ」
勝ち誇っていたトレトマンは、くるりと海里とマイキの方へ振り返る。
「日本にいる間は好きにしろ。その間によく考えることだ」
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