心なき涙④「涙? これが? 僕は泣いてるのか?」
倒れたシスを見つけたのは、ハルだった。
「見当たらないと思ったら、こんなところで何をしてるんだい」
何と問われても、すでにシスに答える余力は残されていなかった。
「んー……」ハルはしゃがんでシスの身体を検分する。
床の上に広がる粘度のある液体を指先ですくい上げ、捨てた。
「もうダメだね」こともなげにハルは言い放つ。
彼の眼前に倒れている存在は、すでに少女の形をしていなかった。いや、骨格などは残っているが、皮膚は半ば溶け崩れ、髪やワンピースも一緒になって色水に沈んでいる。
崩壊は徐々に、だが確実に少女の身体をむしばんでいた。
ハルは虚空を見上げてから、再び意識を少女に移す。
「えっと、解説させてもらうと、君の微細機械細胞の構成プログラムは初期段階なんだ。これは知ってるよね。で、当初は今の僕みたいに丸ごと同じ素材で構築するのは難しかったみたいで、微細機械細胞を定着させる基幹部分に既存の機械部品を使ったんだ。つまり、君を構成している芯の部分は他の機械知性体と同じなわけだ。それで、エルフが君に打ちこんだのは、微細機械細胞にノイズを与え、強制的に構成分解を促すプログラムだよ。しかも一度離れた微細機械細胞は死滅してしまうという恐ろしい代物だ。君は今、基幹部分と微細機械細胞が離れたショックで再構成ができずにいる」
にこやかに、ハルは形を失っていく少女に説明を続ける。
「で、何でこんな真似をしたのがエルフだってわかったのかっていうと、そんな恐ろしいプログラムを開発したのは気づいてたからね、使う為に持ち出したらアラーム鳴るように仕掛けといたんだ」
ついでに、一回コピーしたら元データが消えるようにも設定した、と付け加える。
「てっきり僕に使うのかなって構えてたんだけど、待っても来ないから、もしかしてって思ったんだ」
遅かったね、とハルは眉尻を下げた。
「あとでエルフにはきっついお仕置きをしておくよ」
言って、ハルは崩れかけている身体をそれ以上傷めないよう、そっと少女の頭をなでた。
反応はなかった。こちらの声が届いているのか、まだ意識があるのかもわからない。
ハルはわずかに黙した後、あきらめたように言った。
「あのさぁ、正直、こういう行為の重要性はよくわからないんだけど……」
ハルの輪郭がぶれ、一瞬、透けるように分解した後、別人の姿を再構築した。
黒髪に赤褐色の瞳をした青年が、先ほどのハルと同じ格好で膝をついてシスを見下ろす。
「シス……いや、『アウラ』?」
声も変わっている。だがさすがに仕草までは真似できないらしく、困ったように笑う顔は普段の海里を知る者が見れば、すぐに違和感を覚えただろう。
待っても動きがないので、もう聞こえていないのかとハルが落胆を覚えて身を引こうとした時、腕がゆっくりとだが持ち上がった。頭も動き、眼球がこちらをとらえる。
「……会いに、来てくれた」
音は途切れ途切れで、ハルには意味を拾い上げるのが精いっぱいだ。
「来たよ。けど、遅かったんだ」
「…………救って……くれ、た……」
もうほとんど形のわからなくなっている顔は、それでも笑ったように見えた。ハルは瞠目する。
「救え……たのか?」
こんな行為が滅びに瀕している彼女の精神にとって、何かの足しになっているのだろうか。ハルは首をかしげる。少女の真意などハルには測れない。こちらの意図を汲んでだまされてくれているだけという可能性もある。
「……無意味だ。やるんじゃなかったよ」
自身の行動を悔いていると、シスは言った。
「救おうと、してくれた」
ほら、やはり彼女はこちらが仕掛けた嘘に気がついている。無駄に気を引かず、静かに逝かせるべきだった。
偽物の顔に伸びた手が落ち、床に触れる前に蒸発を始める。ついに崩壊した微細機械細胞が死滅し始めたのだ。
崩れて行く身体から蒸気が上がり、熱に焼かれるようにして溶けた身体は縮小していく。
消えて行く少女を見つめるハルは、すでに元の容姿に戻っていた。そして、彼の眼前にはわずかな金属と、小さな欠片が残る。蒼い石だ。
始まりと終わりの旋律。
彼女の存在は、たった今、終焉を迎えたのだ。
ハルは指先でそれを拾い上げ、天井の照明に透かしてみる。蒼い石は内部に星のような金の輝きをいくつもはらんでいた。
「……シス。君は、こんな形で終わっていい存在じゃあなかったはずだ。君は君が好きな戦いに身を投じ、もっと派手に華々しく散って行くのが相応しいんだよ」
当然、欠片は何も答えない。表面に反射した光が、床に青い色をばらまいた。
「こんな誰も観客がいない廊下で、仲間が感情を暴走させたあげくに八つ当たりで消えて行くなんて、本当につまらない幕引きだよ。きちんとした舞台の上でないと、君の抱えている悲劇を披露する意味がなくなるじゃないか」
そうそう、とハルは面倒くさそうに続ける。
「シス、君が気にしていた過去を調べたよ。君のなくしものは、アウラ・〇六〇九。君はただの六番じゃあなかった。ユニオンの第六世代オリジネイターだったんだよ」
ハルは不意に、声を上げて笑う。それはある種の狂気と恍惚を含んだものだった。
「ははっ、君は地上世界での調査活動の際、イノベントの連中に見つかり、一度は存在が滅びた。けど、わずかに残ったアニマは別の個体として再生された。そうして生まれたのが、六番の少女……君だ。過去を失ってよみがえった、そんな君がかつての仲間であるユニオンと戦い、その中で暴かれる残酷な真実……最高の悲劇じゃあないか!」
だがその展開は、ハルの独りよがりな妄想で終わった。彼は小さな石を握りしめる。何かを答えようとし、いったん口を閉じた。それから改めて言った。
「……僕は彼に、君の最後をどうやって伝えればいい。いや、伝える機会なんかないよ」
そのまま両腕をだらりと下げ、ハルは弛緩した格好のまま座りこんでしまう。
「ごめん、やっぱり、僕は遅かったみたいだ」
どれほどそうしていたのか。何者かがハルを発見し、驚愕した顔で走り寄って来るまで彼の石化は続いた。
「ーーーハル」
ヴァンは驚いたようにハルを見つめている。うろたえている様子が傍からでもわかった。
「ヴァンか、ちょうどよかった。シスが壊されてしまったんだ。彼女のアニマの欠片、まだ残ってないかな? もしあれば、もう一度彼女を復活させようよ」
無理だ、とヴァンは即答する。
「あのユニオンは捕獲時の抵抗で、すでにアニマが砕けて滅びかけていた。俺にはなぜ、一度滅びたはずのアニマがわずかな欠片だけとはいえ生き残ったのかわからない」
そしてヴァンはわずかな生命活動を示した欠片を実験素材に移植し、そこから誕生したのがイノベントの機械知性体、シスだった。
「彼女の存在は、奇跡と偶然の産物ってわけか」
生命なんてそんなものか、とハルは独りごちる。
と、ヴァンの戸惑いの視線が向けられたままなことに気がつき、胡乱気な眼差しを返す。
「……どうかしたのかい」
やっと動き出したハルに、それはこちらの言い分だとばかりにヴァンは顔だ、と指差す。
「え……」
触れて、初めてハルは頬が濡れていることに気がつく。水分の筋を追って行くと、目にたどり着いた。
「あれ、これ何?」
指先でぬぐい、心底不思議なものを見るように濡れた手のひらを眺めるハルに、ヴァンは言った。
「おそらく、涙だ」
「涙? これが? 僕は泣いてるのか?」
ハルは疑念のこもった表情を示す。
「この身体は……涙を流すことができるっていうの? そんなの……人間みたいじゃあないか」
困惑するハルに、ヴァンは瞳をすがめた。
「おまえの身体のことは、俺にはわからない。だが、人間のように見えるのは間違いない」
「あはは、僕が、涙ね」
似合わない、と指に残った滴を振り捨て立ち上がる。
「そんな人間らしい情動、僕には必要ないよ」
冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。
こちらは6巻収録分です。
https://mutsugami123zero.booth.pm/




