失踪と結晶①「人間に、何が起こってんだ……」
失踪と結晶
「……何なんだよ」
梅雨も終わりに近づいていた。太陽の光は強く、落ちる影は濃い。久檀コウヘイの首筋を、夏を目前にした陽光が焼く。
じりじりと皮膚が焦げるような痛みを感じながら、久檀は暑さからとは違う汗をかく。
「人間に、何が起こってんだ……」
口元は笑っていたが、目は焦点が合っていない。
彼は先ほど目の当たりにした光景を思い返し、暑さの中で身を震わせた。
機械知性体の襲撃から早くも数日が経過していた。陸上自衛隊鷹ノ巣山駐屯地内は依然として騒然とした状況が続いている。もっとも、状況が特殊な為、動ける者がかなり限定されていた。外部の助力を請うことができない為、非常事態にも関わらず広い敷地内の人口密度はむしろ普段よりも大幅に下がっている。
部下に呼ばれた久檀が訪れたのは、無愛想な灰色の建物だった。そこは内側から窓という窓に目張りが施され、外光が遮断されている。出入り口には衝立があり、人員不足の最中にも関わらず常に二名の隊員が脇に立ち、扉が開いた隙に中をのぞく程度の行為も許さない厳重な警戒体勢がとられていた。
衝立の奥、倉庫の内部には物がなかった。ただ広いだけの空間。その床には、整然とあるものが並べられている。緑色のレジャーシートのような素材でできた袋が何列もあった。すべて収納済みで、大きく膨れている。
それらは遺体を収める納体袋だ。
ひとつを前に、久檀は言葉を失っていた。
大量にある袋に納められているのは、彼と同じ自衛官の一人。襲撃のあった日に死亡が確認された後、ひとまず納体袋に収容され他の遺体同様この倉庫に安置された。
つい先ほど、部下から報告を受けた久檀は聞かされた内容に驚愕しながらも確認に訪れ、絶句する羽目に陥る。
遺体は、変化していた。
腐敗するならまだわかる。倉庫内の空調はフル稼働させているが、広い内部を完璧に冷やすには夏場の時期もあってかなり力不足だ。
外気温よりは涼しい。だが寒くはない。
そこで久檀は冷汗をかいている。
「これは、何だ……」
緑色の袋は半ばまで開けられ、内部が見えるようになっている。中の遺体は表面が硬質化していた。陶器に似た光沢を持ち、水晶に酷似した結晶が皮膚の内側から突き出し林のように伸びている。部下も納体袋を突き破って生えるこの結晶を発見し、彼を呼びに走ったのだ。
死蝋化。その単語が脳裏をよぎる。
死後、遺体がある条件に置かれることで腐敗を免れ、体内の脂肪が蝋化する現象。
うろ覚えの知識を引っ張り出してきた久檀は、すぐにその考えを却下する。
これは違う。もっと違う何かだと、彼の中で警鐘が鳴っている。
「……空木はどこだ」
久檀の部下だった空木という男は、襲撃の際に倉庫の崩壊に巻き込まれて命を落とした。男は鷹ノ巣山駐屯地の所属ではなかったが、事件性を考慮して遺体は同じ倉庫内に安置されている。
久檀の様子に気圧されながらも、こちらです、と隊員は彼を案内する。同じ自衛隊員でも部隊の異なる空木は外れた場所に安置されていた。
大股で久檀は納体袋に近づきしゃがみこむ。
ためらいなくファスナーを開けた。
無言で確認すると、表情を変えずにもう一度ファスナーを閉めて立ち上がる。
同じ倉庫内にいる空木は、結晶化していなかった。
久檀は視線をめぐらせる。同じように結晶化した遺体がいくつも見受けられた。進行の度合いは様々だったが、中には身体の半分が別の物質に置き換わったような遺体まであった。報告によれば、結晶の浸食は時間ごとに進行しているらしい。
「何なんだ……」
同じ問いを繰り返しながら、久檀は足早に倉庫から出る。急に明るい場所に出たので目を細めながら、懐から携帯電話を取り出した。
城崎カズマが消えた。
その事実を知った時、天条ユウシは真っ先に自分の携帯電話をつかんだ。だが、番号を呼び出そうとしたところで、通り魔事件の際に城崎の携帯電話は破損し、そのままになっていたことを思い出す。
たとえ持っていたとしても、繋がらなかっただろう。
冷静に考え直した後、天条はそう結論付ける。
失踪の連絡は、城崎が入院している病院側から伝えられた。起床時間にベッドにいなかったことが確認された後、上官である天条に連絡が来たのだ。
書き置きや伝言の類もなかったらしい。
焦燥を覚え、城崎が立ち寄りそうな先を考えたが、天条の自宅くらいしか思い当たらなかった。妻からは、彼は来ていない、という答えが返った。
翌日、無駄と知りつつ天条は防衛機構軍の本部に連絡を取る。だが、意外なことに返信があった。
それは城崎の転属を知らせるメールだった。
城崎が病院から姿を消した日付で発行された命令書。
天条は司令部から送られてきたメッセージを何度も読み返した。だがどれだけ解釈をねじ曲げても、城崎が日本支部の任務を解除され、別の部署へ転属になったという内容がそこに記されているだけ。
液晶画面を見つめたまま数分間、身じろぎもできなかった。
城崎の転属先は空欄だった。記入漏れではなく、天条の立場では知る権限がないのだろう。
わかったのは、防衛機構軍のどこかに城崎は未だに所属している事実。しかし、その行方を天条が知ることは決してできないという現実。
「……第九」
口を衝いて出たのは、防衛軍内にあるとされる非公開部署。その名前の通り、公式書類からは一切の存在が抹消されている。都市伝説のように防衛軍内部で語り継がれているが、真相は不明。
一説によれば、新技術の開発を行う為に機密の漏洩を警戒して情報規制が敷かれている。または、非人道的な実験を行っているので表に出られない。
人体実験。その単語を脳裏に浮かべ、そこに城崎の存在を重ねた天条は身震いした。
鷹ノ巣山駐屯地で起こった事態を、機械知性体の面々はそれぞれに受け止めていた。
居候になっている彼らは演習場の隅に集まっている。事件前までは好奇心旺盛な隊員達が代わる代わる訪ねてきたが、今は廃車置き場のようにひっそりとしていた。
トレトマンが口火を切る。
「事態の進行に対応が追いつかない。すべてが後手に回っている。これが、我々の現状だ」
黄色の軽自動車形態のレックスは不安そうな声を出す。
「人間が結晶になったって聞いたけどさ、ここで何が起こってるんだろう。基地の人達も忙しそうだから、あんまり詳しくは聞けないし……」
「イノベントの策略だろう。あのハルとかいう小さい奴の仕業だ」
落ち着かない様子でライトが点滅しているレックス同様、身体が半ば欠損したシリウスの口調はどこか冷静さを欠いたものだった。とはいえ、人間に見られた際を考慮し、全体をブルーシートに覆われていたので、どんな様子なのかはいまひとつ伝わらなかったが。
焦燥のあまりに判断能力の低下を示している若い同胞を前に、トレトマンは何も見えていないかのように落ち着きはらって続ける。
「ハルが何らかの引き金を引いたのは間違いないだろう。だが問題は、何が起こっているのか、我々はまるで理解できていないというところだ」
駐屯地内で起こった怪事件に、機械知性体はほとんど何の助力も出せず、直接調べることもままならなかった。元から秘密裏の存在だったので、こうして車両形態のまま敷地の奥に隠れ潜むことしかできないでいる。その日の出来事は久檀が随時報告してくれるが、直に調査できない分、歯がゆい思いを味わっていた。
「やはり久檀陸佐にもう一度、我々が調査に加われるように提案してみるか」
あのさ、とレックスがトレトマンの考えに割って入る。
「トレトマン。人間に起こってることも重大だけど、トラストはどうなってるのさ」
ハルの攻撃を受けた海里は、元から重症だったところをさらに追い打ちをかけられ、傷ついていた身体は激しい損傷を負った。完全な機能停止にまではいたらなかったが、ハルが去った後に昏倒してしまった。
現在はトレトマンの内部で治療中だったが、彼は決して救急車の扉を開こうとはしない。
「面会謝絶だ」
「そればっかりだし!」
ひどい、という叫びを、いつものように聞かなかったことにするトレトマンだった。
「会ってどうする。どうせ、話しかけても返事もできん状態なんだぞ」
「そんなに重症なの?」
「邪魔だから、今は信号を与えて意識レベルを下げ、容態を安定させているところだ」
邪魔って、とレックスはトレトマンを責めるが、彼はまるで相手にしない。
「今は夢を見ているような状態だ。痛みは感じていないだろう」
「新しい身体を構築するのか」
シリウスの率直な質問に、トレトマンはそうなるだろうな、と軽くも重くもなく答えた。
「あやつの外装は、もう使い物にならん。アニマを別の身体に移植しなければ、再起動したところでまともな活動はできんだろう」
二人には何も伝えていなかったが、救急車内部にいる海里は、すでに外装のほとんどをはがされてしまっていた。もう無用のガラクタになってしまった手足も落とされ、内燃機関と中枢のアニマ、それに付随する部品だけの塊になっている。人間に例えれば、脳と神経、わずかな内臓のみの状態で生かされていた。
いくら高エネルギーのアニマが本体となる機械知性体とはいえ、見た者が衝撃を受ける有様だった。
「では、深海都市に戻るのか?」
「ふぅむ、確かにあちらの方が設備は充実している。しかし、アトラスの方も地上に出る準備が整いつつあるようだ。今から帰還したところで、入れ違いになる可能性の方が高い。地上の件も気になる」
とはいえ、とトレトマンは視線を泳がせる。
「トラストとシリウス。さすがに二人を治すには、機材も何もかもが不足しているな……」
「あの! 調査なら僕が引き継ぐから、だから、トラストとシリウスを優先してよ」
「何だ、レックス。一緒に帰ってトラストの側にいたいと叫び出しそうな奴が何を言っている」
「そりゃあ側にいたいさ。けど、トラストは眠ってる。治せるのはトレトマンだけだ」
的確な指摘にトレトマンは一度口を閉じる。
レックスの言ったことは正鵠を射ている。トラストを抱え込み、シリウスの外装を再構築する機材が足りていない状況では、彼らはまったく身動きが取れない。
ここでいつ起こるかわからない事態に待機しているよりも、その不測の状況にいつでも対応できるように体勢を整える方が先決だろう。
数秒の間に、彼は思考をまとめてから言った。
「ならば、深海都市へ帰るか」
あっさりとトレトマンは先ほどの発言を撤回する。
「え? 帰るの?」
「あぁ。もちろん、レックスもだ。全員、一度戻って体勢を立て直す」
そこまで言ってから、トレトマンはひとつだけ疑問を浮かべる。
誰に言っておくか、それとも、誰にも言わずに帰るかと考え、すぐに思考の方向を変える。
(連絡だけでなく、誰を連れて行くかを考えなければならんな)
トレトマンの中で、地上世界で知り合った者達の顔が浮かぶ。
彼らの誰に声をかけるかは、また優先順位を考えることにし、トレトマンは鮮やかに晴れ渡った空を見上げる。
「さて……。帰るのはいいが、戻った時に世界はどうなっているのやら」
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