淀みなき水面の冷たさ⑤「何って言われても……少なくとも、人間じゃあないね」
久檀が天条と連絡を取り合っている周囲には、本当に機械知性体が存在していた。
倉庫の表には、軽自動車形態のレックス。そこにもたれて座る海里。開け放った倉庫の鉄扉の奥には、戦闘機形態のシリウスがいる。トレトマンは最奥で沈黙していた。
大破したアウラの身体は、すでになかった。昨日やってきた大型輸送ヘリにネジ一本残さず積みこまれ、そのまま運び去られてしまったのだ。
機械知性体は、その光景を黙って見ていた。正確には、人間の前から隠れて様子をうかがってはいたが。
そうしてほぼ空になった倉庫を、彼らは占有している。調査官の訪問から、演習場一帯は民間人どころか基地隊員すらも近づけないようになってしまったので、彼らは割と大っぴらに演習場内で動き回っている。人気がなければ、元の形態に戻っている場合もあった。
「……眠っているのか」
シリウスが言った。主語のない問いかけだったが、レックスはすぐに理解して返事する。
「そうだよ。かなり深く眠ってるみたいだから、ちょっとつついたくらいじゃ起きないと思うよ」
軽自動車の車体に背を預けている海里は、目を閉じて腕をだらりと落としている。
「身体の損傷が激しいから、立って歩くだけでも疲れるんだと思う」
恐らく、消耗分を補うのと、さらに疲弊しない為に睡眠の欲求が高まっているのだろう、とレックスは推測する。
その疲労が、昨日、アウラの身体を搬出することを黙認した、精神的なものが多分に占めていることは、あえて考えないようにしていた。レックスも人間に仲間の身体を渡してしまうのは、本心では納得できていない。しかしここで抵抗すれば、人間側に機械知性体に対する忌避感が高まる恐れがあった。これからも様々な壁を越えて行く必要があるのに、その第一歩からつまづくわけにはいかないのだ。
「ユーリ・ヘイスは、深海都市へ戻るべきだ」
シリウスの言葉に、レックスは二つの意味で落胆する。
「まだ言ってるのさ。トラストが地上に出たのは、最初はともかく、今は自分の意思でここにいるんだよ」
それに、とレックスは意識を深淵に落としている海里を横目に言った。
「いい加減、名前で呼んであげなよ。〇七〇一なんて、そんな調子じゃいつまでたっても警戒されたままだって」
機械知性体は、生まれた順番に番号が振られる。その後に正式な名前が贈られるが、海里は名前が決まるまでの期間が長かった為、一部の者は彼を番号で呼ぶ。
「アウラを探す目的は達したんだ。それに負傷の度合いはおまえもわかっているだろう。一度戻って休ませるべきだ」
「そこは僕も同意するけどさ、多分……そんな悠長なことをやってる時間は、もうないんだよ」
「このまま残して、地上で戦わせるのか。まだ若いんだ。無理に最前線に押し出す必要もないだろう」
「経験不足は誰だって一緒だよ。僕達の誰も、それこそ、アトラスだって、同じ機械知性体と戦ったことなんてないんだ」
事実を、それもかなり深く痛烈な指摘にシリウスは押し黙る。沈黙の痛さを感じながら、それでもレックスは続けた。
「トラストが決めたことだよ。今さら帰れって言っても聞かないって。それに僕らがあれこれ心配するほど子供じゃあないよ」
まだ納得できていない様子のシリウスに、レックスは努めて明るい声で言った。
「守るだけじゃあなくて、一緒に立ち向かおうよ」
病院の清潔な個室は、就寝時間を過ぎて明かりが落とされ、代わりに窓から射す月明かりがうっすらと中を照らしている。
城崎は不意に目を開けた。全身がじくじくと痛み、傷が熱を持っている。怪我をしてからは朝まで眠れる日はなく、こうして一晩に何度も目を覚ましてしまう。
しかし今日の覚醒は違っているように思えた。頬を叩かれたような、急激な目覚めだった。
月明かりが途切れ、屋内がさらに深い闇に落ちる。その暗がりの最奥に人の気配を感じ、城崎は首をめぐらせた。
「……誰だ?」
ドアが開閉した音はなかった。看護婦の見回りかと思ったが、それなら声をかけた段階で返事があるはずだ。
ひどい痛みに頭痛を覚えながら、それでも緩慢な動作で起き上がる。左手に繋がっている点滴チューブとスタンドが動きに合わせて揺らいだ。
「無理に起き上がる必要はないよ」
男の声がした。苦痛に身体を折りながら、それでも顔を上げる。大して広くもない部屋に、彼以外の存在があった。
「やぁ、こんばんは」
背丈の割に、どこか幼い印象のある顔がこちらに親しげな笑みを見せている。もちろん、知らない顔だった。
「誰だ」
もう一度、鋭く誰何の声を上げる。
「……まぁ、わからなくて当然か……」
そうこぼすと、青年は手近にあった雑誌で顔を隠してしまう。
雑誌の向こうから、笑いをかみ殺した声が届く。
「君を切り刻んだ殺人鬼だよ」
切り裂きジャック現れる、という文字の向こうで青年は言った。
唖然とした城崎は、内容が理解に及んだ瞬間、眉間に深いしわを刻む。
「っ、あの時の……!」
城崎は舌打ちし、室内にある物品に目を走らせた。
そこにあるのは、いくつかの医療器具と点滴セット。見舞いの品がいくつかあるだけで、武器になりそうなものは点滴の針くらいしかない。
「落ち着きなよ。殺し損ねたから、改めて息の根を止めに来た、なんて、殺し屋みたいな真似をしに来たわけじゃあないって」
なだめる声に、城崎はじっくりと相手を見つめてから、わずかに緊張を解いた。しかし警戒だけは怠らない。
「……何の用だ」
「まいた種の確認に来たんだよ」
落ち着き払った声に、城崎は憮然とする。
「君に植えられた種子が、十年越しでやっと芽生えた。いや、ただの実験が、途方もない結果を生み出したのかな」
「わかるように説明しろ」
青年は雑誌を元あった位置に戻すと、城崎の胸元あたりを指差す。
「君の心臓手術。治療の為の切開だったけど、担当医はついでに別のものも植え付けた。その正体は、僕ら機械知性体の魂の欠片だよ。いや、だった、っていうべきか。まぁ、とにかくその欠片は、そこにあるだけじゃあただのエネルギー塊だけど、器を与えれば形に合わせて神経の枝葉を広げて別の形質を構築する性質があるらしい。で、そんなよくわからないものを埋めこまれた君の中で欠片は年月をかけて増殖し続け、上手い具合に宿主と共存を続けた結果、君には二種類の神経が存在することになった。人間と、機械知性体のね」
返す言葉もないまま、城崎は相手をねめつける。いや、それだけしかできない。
「僕が君を見つけたのは、奇妙な反応があったからだ。僕らに似てるのに、君はどう見ても人間だったからね」
似てる。その単語を、短期間に何度か聞いた覚えがある。
「まだまだ融合が不完全みたいだけど、完成すれば、君は一体、どんな存在になるんだろう。人間と機械知性体の融合……生機融合体。人間なのか、機械知性体なのか。どちらのいいところも受け継ぐのか、あるいは、欠点だけが表面化して自滅するのか……楽しみだね」
言って、きれいに笑った。何の毒もない、蒼天のような顔で語られる聞き捨てならない違和感に、城崎は背筋を硬くする。
「ふざけるな、おまえ達は何なんだっ!」
持て余す苛立ちを吐き出した。全身を襲う苦痛に汗が浮いたが、かまう余裕は消し飛んでいた。獣のように低く唸る城崎の様に、青年は初めて驚いたような顔をする。
「何って言われても……少なくとも、人間じゃあないね」
青年は皮肉めかした笑いを口元に浮かべ、続ける。
「この身体のどこにも、人と同じものはない。外装は、人間社会を動くのに都合がいいからこれに設定してるだけで、いくらでも変えられるよ」
掲げた右手が、指先から消えた。消失は手首から肘まで続き、切断面は影のようなもやが薄く漂っている。
不意に、城崎の右手に重みがかかる。目前の青年に意識を向けたまま、視線を落とす。
城崎の手首を、肘までの腕がつかんでいた。
「…………っ?」
隠しようもないおびえに震え、それでも城崎は悲鳴だけは飲みこむ。
「気丈だね。もっと取り乱すかと思ったよ。さすがにこれは……痛いだろうけど」
握る手に力がこもった。直後、そこを起点に全身へ燃え上がるような衝撃が襲う。
腕が、足が、心臓が猛烈な痛みで悲鳴を上げ、四肢が跳ねた。激しい動きに点滴の針が抜け、血が滴ったが、激痛の炸裂に意識を沸騰させる城崎は気がつかない。
神経を直接やすりがけされるような責め苦は、痛みなどという表現すら生ぬるい。身体の内側から切り開かれ、焼かれ、すりつぶされる。
「まだ無理か……」
青年が腕を振るうと、城崎を拘束していた手が消え、元の位置に収まった。
途端、激痛の嵐が終わった。城崎は状況を理解できるだけの思考力をすぐには取り戻せず、白濁した意識のまま荒い息を吐く。
「神経の融合は始まってるみたいだけど、元が人間だから、思考の加速に付いて行けないんだね」
苦痛の残滓にもがきながら、それでも荒れ狂う嵐からはい出して城崎は青年をねめつける。
「その気概は大したものだね。じゃあ、今さらだけど僕がここに来た目的を話すよ。まず、君が僕の思うような存在。僕らのアニマとの同期を成功させた人間なのかどうか。そこは今、確認した」
微笑みを崩さないまま、青年は事務的に告げる。
「だから、実験適合体に認定された君は、これから人間にも僕らにも、その特殊性を狙われるだろう。このまま悠長に寝てるつもりなら、実験材料として使い潰されて最後は標本になるだけだ。そんな終わりが嫌だって思うなら、君はどう行動する?」
ようやく動けるようになる。汗が背中を滑り、点滴の針が抜けた個所から鮮血が筋になって落ちてシーツに染みを作った。
「……実験、適合体だと……?」
あちこち包帯を巻いた手足は、指先を動かすことも億劫なほど疲弊していたが、それでも城崎は意地だけで顎を上げる。
「……人間を、なめるな」
憔悴し、力の入らない身体だったが、城崎は凄絶な笑みを浮かべる。
そう、と青年はきれいに笑った。
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