淀みなき水面の冷たさ④「ウィル、殺人鬼探しとは何だ」
医者と看護婦が朝の検診にやってきた。彼らは城崎がすこぶる健康で傷の治りも早いので、予定を繰り上げて退院できそうだと告げた。
医者達が去ってから五分ほどすると、防衛軍の面々が病室に顔を出してくる。
「カズっ!」
ハントが両手を広げ涙目ですっ飛んでくるのを、城崎は無感動な眼差しで迎えた。
「……来るな」
城崎は、手近にあった雑誌を投げた。紙の束はハントの顔面に命中し、彼は通路の真ん中で何が起こったのかわからないような顔で急停止する。
「俺は怪我人だ。それも、全身に切り傷を負っている。まだ抜糸も済んでないんだぞ。寄るな、触るな」
「ひでえな、せっかく様子を見に来たってのに! ほら、見舞いの品だって持って来てんだぞ」
ベッドの上に、ビニル袋に包まれた雑誌が数冊放り出される。どの表紙も、水着や布地の少ない格好をした女性が身体をくねらせている。
「これは儂からだ」
フリーマンも大事そうに抱えていた物をベッドに置く。
鮭をくわえた熊の彫像だった。
「日本人の家には、たいていある飾りらしい。守り神のようなものだろう」
俺は日本人じゃない、と城崎は反射的に言いかけたが、フリーマンの、儂が作った、の言葉に、喉まで出かかったものを呑みこむ。褐色肌の老人は無表情の中にもどことなく、誇るような雰囲気があった。
「すっげーだろザックのジジイ! 何か日本っぽい飾り知らねーかって聞くから、ネットで画像検索したわけ。で、その写真を見ながらその辺の流木で彫ったんだよ!」
確かに、荒々しい削りの熊には、よく見ればまだ削った端が残り、シーツの上には木屑が散っている。
そうか、と城崎は、少なくとも年長者であるフリーマンには失礼にならない程度に礼をすると、見舞いの品を脇に置いて表情を改める。
「……報告を」
「っと、だな」
ハントもひとまず笑いを収める。彼は城崎が入院した後の経緯を簡潔に説明する。城崎の軍人としての立場と、通り魔事件の被害者という点もあって、彼には個室が与えられている。機密漏洩に関しては、それほど気を使う必要はない。
ただ、城崎としては日本の警察にあれこれ聞かれるのには辟易していたが。
「カズをそんなにした犯人、まだ捕まってねーんだろ。日本の警察は何やってんだよ」
城崎は視線をそらす。彼は現状では、通り魔事件唯一の生存者だ。当然、警察も彼の目撃証言にかなりの重点を置いている。血液を多量に失い、意識がおぼつかない間も何度も質問され、刑事が医者に叩き出される場面もあった。彼らは彼らなりに、必死に捜査を続けているのだ。
だが、と城崎は首をひねる。
(見つけたところで、あんな存在……どうやって捕える)
城崎は軍人として大した能力は持っていない。それでも、民間人と比較すれば話は別だ。日本にも武道の達人はいるだろう。それでも、オーストラリアで軍隊経験者とすれ違うよりは確率が低いだろう。
その経験者をねじ伏せる、圧倒的な力。腕力だけではない、何か、得体のしれないものが、彼の生命を両断しようとしていたのだ。
仮に警察官がダース単位で通り魔を包囲したとしても、あの見えない刃を防ぐことは不可能だろう。消火器のように真っ二つになるのが落ちだ。
もちろん彼も、警察に可能な限り当時の状況を説明した。しかし凶器に関しては、誰も関心をはらわなかった。彼がオーストラリア国籍であるというだけで、日本語が不自由だと決めつけて来たのだ。公式発表では、通り魔の武器はメスのように鋭く刃渡りのある刃物、となっている。
城崎は先ほど投げて床に落ちたままの週刊誌に視線を向ける。表紙には、日本に切り裂きジャック現れる、と何のひねりもない見出しが躍っていた。
中の記事には通り魔の想像図があった。大振りの刃物を死神の鎌のように振るう姿がコミカルに描かれている。
そんな奇妙な快楽殺人者に切り裂かれた城崎は、こうして仲間の益体もない話を延々と聞かされていた。
「基地には、何か本部のどっかから派遣されてきたねーちゃんが来て、ちょっとした騒ぎだったぜ。割と美人なんだけどよ、こう……近づいたら呪われそうな雰囲気でさ。どうやって声をかけたもんだか」
ハントは大仰に肩をすくめる。
「殺人鬼を探しに来たらしいぜ。そんな物騒なものより、俺と一緒に日本の夜景を見に行って欲しいぜ」
「そうか。無理だな」
同僚の軽口を一刀両断してから、城崎はたずねる。
「ウィル、殺人鬼探しとは何だ」
「ん? カズもマーガレットちゃんのことが知りたいか」
知りたいが、おまえとは違う意味でだ、と前置きしたが、彼は聞いていなかった。
マーガレット・レヴィ曹長。防衛軍の技術開発部所属。ある存在を捕獲する為、非公式に日本へやってきた。
しかし捕獲対象を追いつめるも失敗し、部下を失って現在は日本支部の一室に待機中。
ハントの主観が混じった話を要約すると、以上になる。
「非公式部隊が、日本支部にいるのか」
「んー、まぁ、何せ非公式だからな。重火器類を持った軍人が日本にいたらまずいだろうってことで保護はしたけどよ、大佐としてはかなりのストレスだろうぜ」
それは当然だろう、と城崎は天条の苦悩を思い、嘆息する。
「あとよ、俺の予想だけど。カズをやった犯人、その殺人鬼じゃねーのかな」
それは城崎も考えていた。むしろ共通点が多すぎる。
犯人像も、日本にたまたまいた狂人より、実験施設から逃亡した存在、もしくは開発途中の武器を持った技術者の方がしっくりくる。
「……技術開発部の連中は、何を逃がしたんだ」
もしも本当に、犯人が防衛軍関係者なら、城崎もここに寝転がっている場合ではなくなる。日本政府の知るところになれば、日本支部設立が白紙になるどころではない、防衛軍という組織の根幹が揺さぶられる事態になる可能性も高い。
「俺も知りたいところだけどよ、マーガレットちゃんに声をかけようとしただけで、鉄板入りのブーツで蹴られそうになった。ありゃあ男に免疫がない乾燥した女の反応だ。まぁ、そこがまたいいんだが」
壁が厚いぜ、とハントは事の重大性など無関心そうに笑っている。
軽薄な笑声に、城崎もさすがに苛立ちがつのってくる。痛み止めを飲むより、こいつを追い出した方が気分的には楽になれるだろう、と判断する。
実行に移そうと怒鳴り散らす為に息を吸う、そこで見つめる視線に気がついた。影のようにだんまりを続けているフリーマンが、じっと彼を見つめている。
「……フリーマン曹長?」
一向に黙して答えなかったが、彼は深い色の瞳を上げる。
「おまえは、今までのおまえか?」
静かな面持ちで告げる声音は、神託のように重く響いた。
「何を……」
「んだよ、ジジイお得意の、機械の声が聞こえるってやつか。んな幻聴より、フェリシアちゃんやマーガレットちゃんの胸の内を聞いてくれよ」
ハントはフリーマンの肩に腕を回すと、回れ右をして手を上げる。
「んじゃ、俺らそろそろ帰るわ。近いうちに大佐も顔出すって言ってたぞ」
「わかった。こちらも早めに退院できそうだと伝えてくれ」
軽い笑声が廊下の向こうに消えるのを、城崎は黙って見送った。
耳に押し当てた携帯電話の向こうから、久檀の快活な声が響く。
『この間の、調査官の秘書だか補佐官だかわかんねーヤツが電話してきたんだけどよ、最後に、まだあの連中はこの基地にいるのかって、びくびくしながら聞いてきたぞ』
わはは、と無責任に明るい声に、天条の表情も緩む。
『だから俺は、後ろにいるから代わるか、って言ってやったわけだ』
速攻切れた、とその時のことを思い出して転げ回っているのか雑音が混じる。
「そうか。その件は、世話になった。これから、君にはさらに面倒をかけることになる。私にできることがあったら何でも言ってくれ」
『ユウシ、そうやってすぐに何でもしますって言うのはやめとけよ。本当に無理難題ふっかけるぞ』
例えばそうだなぁ、とわずかに考えこむような間があった後、久檀は言った。
『……カズマの胸の傷、あれは訓練でついたもんじゃあねえだろ。手術の痕跡だ』
何を持ち出されるのかと身構えていた天条だったが、軽く息を吐く。彼にしてみれば、特に重要とも思えない事柄だった。
「あぁ、そうだ。よく気がついたな。昔の手術跡だ。彼は心臓に先天性の疾患を持っていてね、重篤な状態に陥っていたから手術に踏み切った。傷跡はその時のものだ」
『手術台に放り出したのは、ユウシ、おまえだろ』
「察しがいいな。彼を捕まえるのは骨だったよ」
『しっかし、そんな病弱で薄幸そうには見えねえけどな』
「手術が成功し、すっかり健康体になったからな。手術を請け負ってくれたアップルゲイト財団には感謝しているよ」
『財団ねえ……確か、そこが防衛軍の親組織だろ。けどよ、主目的は戦争で焼けちまった国の自然や文化遺産を守るっていう話だろ。人間は文化的保護の対象になるのかよ』
「戦争で荒廃するのは国土だけではない。人民も疲弊する。財団は、そうした地域への医療活動も積極的に行っているよ。特に、貧困や飢えは、戦争が終わった後の発展を妨げる大きな要因のひとつだ。戦争で肉親を失い、国家の庇護もなくした子供達は大人よりも悲惨な境遇に陥ってしまうからな」
『あー、なるほど、子供は国家の宝ってことか』
「そうだ。だからこそ、財団は戦災孤児や、経済的な理由で医者にかかれない子供に対する保護にも力を注いでいる。医療だけでなく、戦争によって両親を失った児童の教育や、適切な労働環境の提供も行っている」
『至れり尽くせりな財団だな。金持ちってヤツは、金が余りすぎると道楽で世界平和始めちまうのかよ』
「道楽でも何でも、財団の行為によって救われる命があるのは事実だ。私は、彼らの奉仕活動に異を唱えるつもりはないよ」
『そうかい。カズマもその保護を受けたから、今はユウシの片腕ってわけか』
「彼がいないと、事務仕事が片付かなくて困るよ」
『カズマ、早く退院できるといいな』
「部下の報告では、予定よりは早まるらしい。退院の日が決まったら、また連絡する」
『おう、待ってるぜ。つか見舞いにも行きてえから、病院も教えろよ』
天条は市内にある病院の名前を伝え、もう少し会話を続けてから電話を切った。実際、城崎が抜けてからの穴は大きく、彼は部下の見舞いにも行けないどころか連日の残業が続いていた。
今日も行けそうにない。回り続ける時計と未処理の書類の山を見て、天条は罪悪感のこもった息を吐いた。
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