淀みなき水面の冷たさ①「どうしてもっとたくさんの人が死ななかったんだろう。僕が神様だったら、もっともっと殺してやるのに」
淀みなき水面の冷たさ
彼の足元には、壊れたヘルメットが転がっていた。
シェード部分は脱落。全体的に傷つき、歪んでしまっている。もう頭部の保護には意味を成さない物体となっていたが、放り出した当人にもすでに関心はないらしい。
夜になり、雨はやんだ。代わりに熱気と湿度を含んだねっとりとした風が、ようやく表に出た彼の髪をそよがせる。
眼下には街並みが斜面にそって広がり、海へと至る。どうということもない街明かりを見つめる瞳は不思議な色をしていた。光の強さや角度で万華鏡のように色彩を変える瞳は、まるで彼の内心のうつろいを示しているようだ。
「あー見つけた!」
跳ねるような声に、彼は振り返る。近づいてくるのは枯れ葉色の長い髪に、赤いワンピースの少女だ。
「ディスが言ってた、新しいオリジネイターってあなたね。えぇっと、連番だから、あたしの次……じゃあ、おかしいのよね……うーんと……」
喜色を浮かべる顔を見て、彼もまた表情を緩ませる。そうしてほんの少しだけ考えこむような間の後、言った。
「ハルだよ」
「ハル?」
「Spring has come.」流暢な発音だった。
「それが、あなたの名前なの」
「というか、僕を見つけた人間の一人がそう呼んだんだ。アヴリルが四月で、そこから生まれた僕は、ハルなんだってさ。もっとも、あの端末体はフレイヤと一緒に土砂の下敷きだけどね」
ハルなんだ、と少女は笑う。
「私はシス。ただの六番よ」
よろしく、とハルは笑いかける。長い髪と服の裾をなびかせながら、自分の周囲をまとわりつく少女の動きにつられて半身を返すと、後ろに複数の人影があった。
影の中から歩み出たのは、曇天のような顔をした男だ。
「フレイヤはあのままでいいだろう。もう人間達に預けておいても、彼らは得た技術を使いこなす水準にまで達していない」
「やっと見つけた! 目覚めたなら、大人しくしてなさい。ふらふら動き回って、探すのに骨が折れたわ」
最後に出て来た無言の男も含めて、三人現れる。ハルは全員の顔を見渡し、友好的な笑みを浮かべた。
「あぁ、初めまして、でいいのかな」
曇天顔の男がうなずきを返し、それぞれに名乗る。
「ディス・コード・サウス」
濃いブラウンの髪に、黒服。夜陰よりも物寂しい雰囲気を漂わせている男だ。
「エルフ・オリオン」
女はディスとは対照的に、長い金髪を大きく結い上げ、艶やかな邪さを秘めた笑みを浮かべている。
「ヴァン・ディシス」
彼は場にいる誰よりも背が高く、鍛え上がられた肉体。アッシュブロンドの髪を後ろに流し、大きめのバイザーで目元を覆っているので表情はうかがえない。
「えーっと、君は、ただのシスでいいのかな?」
「それで構わないわ」
シスはハルの腕を取って後ろに回る。そうしてこっそり耳打ちした。
「エルフがね、あたしがヨルドの名前を出すのが気にくわないのよ」
「なんだい、これで始まりの四人がせっかくそろうのに」
「あたしはイレギュラーなのよ。いっつも仲間外れよ」
「そうか、じゃあ、僕と仲良くしよう」
握手、と傍から見ると能天気極まりない様だった。少女を適当に振り回すと、ハルはさて、と話題を変えてきた。
「ここにいる全員が、フレイヤの子供達。つまるところ、イノベントのオリジネイターでいいのかな」
「我々の定義をどう考えるかは、君に任せる。だが、我々はこれだけしか手駒が存在していないのは事実だ」
ハルは首を右に左にひねりながら腕を組む。
「ここにいるオリジネイターだけで世界征服か。ちょっとたよりないよね」
ぱっと顔を上げると、ハルはにこやかに言った。
「ていうか、君達はこの数百年、何してたのさ。疫病を流行らせたり、戦争を起こしたりしたけど、人間の数は大して減ってないよ。むしろ、様々な危機のおかげで医療技術や経済が発展したりで、むしろ人間は増えすぎて飽和状態だ。もう、地球上で人類が到達してないのは、ユニオンがいる深海くらいのもんだよ」
気負うことなく容赦のない指摘を行うハル。エルフがあからさまに憮然とするが、他の三人は表面上は落ち着き払ったまま聞いている。
「ちょっと、気長にやりすぎたよね。いくら僕らの時間は人間よりは多くとも、無限ってわけにはいかないんだ。もっと効率よくいかないと。北極の氷の上まで立錐の余地ないくらい人間が増えてからじゃあ遅いよ」
心底困ったように両手を掲げるハルに、感情を含まない声がかかる。ディスが変わらない表情で言った。
「その有限の時間を有効活用する為に、君という存在が現れたと私は考えている」
「えー。フレイヤが僕にどんな理想を託したかは知らないけど、僕は僕のやりたいようにやらせてもらうだけだって。まぁでも、手始めに、君達がいま進めてる計画は、全面的にストップだ」
よろしく、と手を振る軽薄な提言に、エルフが我慢できずに苛立った声を上げる。
「ちょっと待ちなさい。私の妖精計画は、第三世代に入ったわ。あとは、あの妖精を使えば……」
「ダメ、没、却下!」
屈託なく微笑みながらハルは言った。エルフが屈辱に震える様を、さも愉快そうに眺めてさらに笑みを深める。
「妖精計画ねえ……。防衛軍っていう枠組みに集めた人間に、健康診断や治療を装って因子をばらまく。そうして生まれた子供の何割かが、特殊な意識領域を持つようになる。人も機械も操る、ハーメルンの笛のように。魔性の歌を謳う少女達か。いや、笛吹きは男だから、セイレーンかな」
ハルは苦笑して肩をすくめた。
「君の計画は面白いけど、ちょっと夢見がちというか、まだるっこしいよ。あと百年も待てば成果が出るだろうけど、偶発的な要因が大きすぎる。遺伝子なんて複雑なものを科学がそう簡単に作り変えられるとは思えない。生物には常に、平均回帰の法則ってヤツが働く。自然が修正を働かせるんだよ」
「私の計画が失敗だとでも?」
「発想は面白いと思うよ。何より、少女達が狂う様は、十分なくらい人間に恐怖を与えられた。デモンストレーションとしては最高のショーだったと思うよ」
計画を否定され、自身も貶められたと感じているのか、エルフが怨念じみた視線を突き刺す。
が、ハルは涼しい顔で続ける。
「僕はフレイヤの中でずっと、まどろみながら世界を見続けて来た。それで、思ったんだ。病気も戦争も、世界人口に大した影響は与えなかったなって」
歩み出す先に広がるのは、星空をかすませるほどの夜景。
「つまらない」
限りなく透明な面貌のまま、ハルは笑う。
「どうしてもっとたくさんの人が死ななかったんだろう。僕が神様だったら、もっともっと殺してやるのに」
声音や表情に毒はない。そこには当たり前のことを、当たり前だと言い放つ響きがあった。
何かあれば即座に反論しようとしていたエルフが、気押されたように押し黙る。
「何か、手立てはあるのか?」
ディスは何の感銘も受けた様子はない。抜け殻のような相槌を返されても、ハルのにこやかな表情も変わらなかったが。
「生き物は誰だって、死に向かって全力疾走だ。それが永遠に訪れない方法を提示してやれば、少なくとも、人間の何割かはなびくはずさ。特に、今みたいに世界情勢が不安定な時は、人はあっさりと、ありもしない希望にすがる。宗教と同じだ」
ハルは苛立ったように腕を組むエルフを見る。
「エルフの実験が、僕に別の可能性を見せてくれた」
陶然と溜息をつき、ハルは眼下の街並みを見渡す。瞳が街の明かりを受け、色が複雑に変わる。
「人を、僕らと同じように変えてしまえばいいんだよ」
悠然とした仕草で腕を振るう。次の瞬間、横薙ぎの動作の先にあったヘルメットが真っ二つになる。続く動作でハルは手を振り上げ、そして振り下ろす。
ヘルメットは粉微塵に砕かれ、破片は雑草にまぎれた。
不可視の刃を繰り出した右手を掲げる。
「微細機械細胞。僕の身体を構成するすべては、元を正せば同じものだ。これは与えられる情報によって耳や目、手や足や神経細胞まで模倣する。やろうと思えば、人間丸ごとだって作ることは可能だ」
「人間の細胞を、機械に置き換えるというのか」
「もし、明日にはもう死んでしまう病人がいて、医者が患者の枕元で、脳から何から何まで人工細胞に置き換わるけど、それでも元の人間として生きられると囁けば……寝返りひとつ打てない末期患者はどんな反応を示すだろうね」
「不可能よ」エルフが眉をひそめて言う。
「できなくもないだろ。君達のおかげで、世界中に微細機械細胞の散布は行われてる。あとは、人の意識領域を電気的な刺激に変換し、人格情報をデータとしてストックするシステムさえ確立してしまえば、これで索引はできる」
「人間を機械にするの?」
何が楽しいの、とシスは首をかしげる。ハルは無邪気な指摘に微笑み返すと、不意に表情を消した。
「僕は目覚めてから、何人も人間を殺したよ。だけど労力がかかるばかりで、ちっとも充足感がない。死んだ人間には申し訳ないけど、本当に無駄死にだったね」
「それと、私達の労力も無駄だったわ。あなたを探す為に、人間の部隊まで送りこんだのよ」
ハルはエルフの愚痴などまるで聞いている様子はない。
「僕が命を奪った人間は弱かった。腕力じゃなくて、精神性の問題だよ。弱いから、他者を貶めずにはいられないし、自分を守りたいから誰かを傷つける」
その声には今までの溌剌とした響きは失せ、虚脱した感情の抜け殻だけが残されていた。
「人を殺して半狂乱になってる女がいた。男も、同じような有様だった。だからってわけじゃあないけど、二人とも僕が殺した。あそこまで感情が衰弱してると、すぐに肉体も疲弊するし、他の人間まで迷惑を被る可能性もある」
ハルは目を眇め、街明かりに背を向ける。
「調べてみたけど、彼らの間に起こった殺人は単純な行き違いだったんだ。男のところに、妹が家出して転がりこんでくる。様子のおかしい男の側に女の気配を感じた彼女が浮気だと勘違いして激高したあげく、妹を殺してしまうんだ。本当にこんな簡単に殺人って起こるのかって驚いたよ」
淡々と語るが、周囲の反応も同様に薄い。場にいる全員、人間特有の情緒に疎かった。
「その二人だけじゃあない、前にも後にも、何人も殺したよ。一般的にクズって呼ばれるような人間ばっかり選んだつもりだったけど、そんな彼らも、違う意味で被害者だったんだ。当然だよね、生まれた瞬間から、刃物を持って他者を害する人間はいない。誰かが、何かが、彼らをそうさせるんだ」
死のような沈黙と停滞した空気の中、ハルの声だけが緩やかに響く。
「そのとき、僕は思ったんだ。殺人は、何て罪深い行為なんだって。ささいな行き違いから殺意に発展することも、僕みたいに力があって、人間世界の法則に縛られないからって殺し回っていいわけない。だって、人間だってこの地球上の資源だ。無駄に消費されるなんてもったいないよ」
上げた顔には、力があった。熱い勢いを取り戻してハルは続ける。
「彼らはもっと、自分達の価値を認識する必要がある。人間はとても弱い。世界の残酷さに耐えきれずに傷つき、自分達を保護してくれるはずの社会からは幸福を得られず、結果として、個人の充足度は下がる一方。もう、そんな理不尽な世界を維持し続ける必要なんてないんだ」
断じる声と表情には、自身の考えに陶然としているようで、どことなく芝居がかった大げさな口調でもあった。
「僕達がすべきことは、ただ闇雲に人を殺すことじゃない。もっと根本から、彼らの生きる定義を壊してしまうのさ。僕達はその方法を人類の前に示し、彼らに自分達で命のあり方を決めさせるんだ。そうでもしないと、僕は後どれだけ、殺意に染まった人間を殺せばいいのやら」
わからない、とハルは首を振って締めくくった。
そこに、場違いに明るい声が届く。
「ねぇねぇ。人間なんて弱いわ。もっと強い相手と戦いましょうよ」
無邪気に少女は言った。腕を引かれ、ハルは微笑み返す。
「そんなのいるのかい」
「いるわ。シンっていうの、あなたと同じよ。今はちょっと怪我をしてるけど、彼と戦えばきっと楽しいわ」
「そりゃあ楽しみだ」
茶色の髪をなでると、シスは猫のように眼を細める。
黙って話を聞いていたディスは、厳かな真顔で問う。
「では、ハル。君の考える計画の詳細を話してもらおう」
「そうだね。あと、エルフがやってた妖精計画の資料も見せてよ。そうそう、宣戦布告した時に使ったハリボテ、急ごしらえの割にはよくできてたよね」
「ゴーストに装甲を追加しただけだ。あの時は、ユニオンを表に出してでも、我々の存在を隠す必要があった」
「シス、あなたが余計な行動を取るからこうなったのよ」
「えーっ、でも、隠れてるのはもう嫌よ」
彼らは歩き出す。
向かうのは、どこまでも暗く、そしてすべての色が混じり合った闇。
当たり前の街の一角にある公園で、人類はまた別の危機にさらされることが決定された。
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