背中合わせに立つ真実⑦「おい、カズマ、カズマっ!」
警報音はマンション居住区すべてに響き渡った。
「……火事か?」
久檀は顔を上げ、焦げ臭いか、と鼻を鳴らす。
「とにかく非難するか。ここの非常階段は常時開放されてんのか?」
「あぁ、出てすぐの階段でそのまま一階まで降りられる」
「ただ、ここは十一階なんだよな」
飲むんじゃなかった、と狭山は半ばまで減った缶を置く。
「久檀と狭山は先に行ってくれ。私は妻と子供を連れて、後から向かう」
「あぁ、そうか……」
ケイとルミネは風呂に入ったまま、まだ出て来た様子はない。ここで妻子を待つのも部外者の二人は気まずかったので、天条の言に従う。
玄関から出てすぐ、狭山が足を止める。
「……コウヘイ、おまえは先に下に降りろ」
非常階段前で久檀は肩をつつかれる。
「あれ、見ろよ」
マンションの住人が次々に玄関から顔を出して来るが、誰も警報の意味が理解できないらしく、首をひねっているだけで動く気配がない。
「まったく、警報が鳴ったら理由は後回しにしてとにかく逃げるんだ!」
狭山は廊下に出ている住人に片っ端から避難を促しにかかる。
「俺はあっちの端にある非常階段から降りる。コウヘイは下に降りながら、住人に声をかけてくれると助かる」
「あー……わかった」
このマンションは世帯数が多いので、棟の両端に非常階段が設置されている。久檀は適当に手を振って、階下へ向かって一気に駆け下りた。
と、その途中で、駐車場が、という単語を耳にする。
「……火元は地下か」
天条の自家用車が地下駐車場に停めてあったことを思い出す。同時に、そこへ城崎が向かったことも。
まさかな、そう思いながらも久檀の足は真っ直ぐに地下駐車場へと向かっていた。
一足飛びに一階まで駆け下り、地下へと通じる鉄扉を開ける。狭い階段を飛び降りて先の扉を開け放った久檀は、かすむ視界に口元を押さえた。だがすぐに、火災の煙ではないことに気がつく。
「……誰かが消火器を爆発させたか?」
使用期限が過ぎ、錆ついて耐久性に問題のある消火器は、ささいな衝撃で容器が割れて薬剤が噴出する事故が起こる。そして、火災報知機は火災の煙と消火器の薬剤を区別できない。警報機が作動したのは、この白煙のせいだろうと結論付ける。
密閉された地下空間では煙も排出されにくいので、周囲は白濁して視界は悪い。久檀は内部に人の気配がないことを確認しながら、慎重に歩を進めた。天条のクルマがある場所は聞いていた。城崎が出発したのかそうでないのか、それだけ確認したら戻ろうと考える。
すぐに、エレベーターホールが見えた。
そこを曲がって奥だ、と足を速めた久檀は、急制動をかける。
「……おいおい……」
声と表情に、焦りの色が生まれる。
エレベーターホールの仕切りガラスの前に、城崎が倒れていた。ぐったりと頭が垂れ、白煙と薄暗い照明のもとでも鮮やかな赤に染まっている。
駆け寄りたい衝動をこらえ、久檀は油断なく周囲に気を配りながら、彼の側に膝を折る。白煙はかなり薄れ、視界は確保できるようになっている。見える範囲で彼らを襲うような人影は見受けられなかった。
「おい、カズマ、カズマっ!」
呼びかけ、呼吸と脈を確認する。
生きている。
となれば、急ぐ必要があった。久檀は天条の携帯電話にかけ、手早く状況を説明して救急車の手配を要請する。さすがに相手も軍人なので、声に動揺の色はあったが応対は努めて冷静だった。
「……さて、と」
救急車が到着するまで十分弱。その間、呆然と見ているほど久檀は素人ではない。知っている限りの応急処置の方法を総動員する。
頭を支えながらゆっくりと寝かせ、傷を確認する。何か、刃物のように鋭いもので切り裂かれたらしく、妙に切り口がすっぱりとした傷が多数見受けられた。
久檀は自分のシャツを持っていた折り畳み式のナイフで裂いて即席の包帯を作ると、傷口に巻いて直接圧迫して止血にかかる。肩の傷を見る為に城崎のシャツも裂くと、首元にあった無骨なステンレス製の認識票が落ちる。チェーンが切れたらしい。それを拾って汚れた表面を指でぬぐい、血液型を確認した。
「久檀っ!」
鉄扉がはね飛ばされる勢いで開き、天条が走り出てくる。
おお、と久檀は背中で答える。横に膝をついた天条が持ってきた救急キットを広げた。
「……何があった」
天条は城崎の様を見て狼狽する。
「さてね。俺が来た時にはもう、ぶっ倒れてた」
それより、と久檀は駐車場出口を指で示す。
「救急車をここまで先導して来てくれよ」
天条の住むマンションは二〇〇世帯を超えているので、その敷地も広い。到着した救急車が迷子になると困ると説明すると、天条は名残惜しそうな顔をしながらも、頼むぞ、とだけ言い置いて再び走り出した。
「……やっぱ、どんだけ冷静な男でも、身内がこんなになれば焦るわな」
久檀から見ても、天条が城崎を部下という枠を越えて大事にしているのはよくわかった。とはいえ、家族的に甘やかしたり、ひいきにしている様子はない。彼らの関係性や過去についてはまた聞き出すことにして、素早く意識を切り替える。
傍らの救急キットから、新品の包帯を広げる。常備薬よりも外傷を手当てするものが多い点は、さすが軍人の家庭にある救急箱だなと感心した。
「救急車、まだかよ」
つぶやき、まだ何かできることはないかと周囲を探る。輪切りになった消火器、いつの間にかやんだ警報音。
こんなんで犯人なんかわかるかよ、とかぶりを振って、もう一度、城崎の状態を確認する。
血の気を失った顔、首には絞められたような跡がある。ふと気がついたのは、胸の真ん中を走る傷があったこと。ずいぶん前に治療された跡だった。他にも古傷らしいものはいくつも見受けられる。
「ったく、カズマ、起きろカズマ!」
頬を何度か軽く叩くと、城崎はうっすらと目を開いた。何かを伝えるように口元が動いたので、久檀はさらに呼び続けた。
城崎のまぶたが開き、どんよりとした目の焦点がゆっくりと合わされてゆく。城崎は目を動かし、久檀を、そして周囲を見た。そして咳きこむような音を立て、喉を押さえようと手を動かしたが、久檀はやんわりと止める。
何度かつっかえるような呼吸を繰り返し、やっとつぶやきを漏らす。
「久檀、陸佐……」
「……生きてるな」
どうやら状況確認ができる程度には落ち着いているようだと判断し、久檀は話しかける。
「ユウシは救急車を呼びに行った。動くなよ、かなり深い裂傷を何個所にも負ってる。骨折もあるかもしれねぇ」
城崎は小さくうなずいた。
「誰にやられたのか、わかるか?」
返答までに、迷うような間があった。
「……わかりません。顔は、ヘルメットをかぶっていて見えなかった。男性のようでしたが、ここは暗いし、相手も黒っぽい格好だったので、詳細は不明です」
そうか、と言って、これ以上話すのをやめさせる。
「ったく、犯人は最近このあたりに出没する通り魔かもな」
救急車が来るまで適当な話題を繋げるつもりだったが、城崎は何か思うところがあるのか言葉を止めない。
「どうでしょうか。犯人は、あいつの……仲間のような気がする……」
それでも体力の限界だったらしく、襲いかかる苦痛に脂汗が浮き、失血のショックから身体が震え始める。
「おい、しっかりしろよ。くそ、救急車まだかよ!」
後半は恐らく今も懸命にこちらへと向かっている救急隊員に向かっての罵りだった。
「あ、あ、あいつ……!」
城崎が熱に浮かされたように叫ぶ。真っ青な顔をして、二つの瞳が忙しなく動く。久檀は起き上がろうともがく身体を、傷に触れないようにして押さえこむ。
「動くなって、いいから落ちつけよっ!」
「俺もあいつも、代わりなんだっ!」
泣き出しそうな声と、腕をつかんできた手のあまりの強さに、久檀は逆に冷静さを取り戻す。彼の腕にすがりつくようにして崩れてしまった城崎の顔は、先ほどとは違う意味で蒼白だった。
言葉の意味がわかるまで、久檀の頭がふっと空白になった。すぐに積み重ねた記憶や経験から、様々な情報があふれ出し、ひとつの結論を導き出す。
「カズマ、おまえ……」
直感がそのまま言葉になる。口を開いたことさえ意識しなかった。自分の声が、他人の声のように遠くに聞こえた。
「……海里に、ユウシを取られたって思ってんのかよ」
傷の痛みで錯乱しかけていた意識がようやく戻ったのか、城崎が呆けた顔を上げる。
そして自身の失言に顔を歪めた。
まるで泣き出しそうな顔に、久檀は居心地の悪さを覚え、頭をかく。
聞かなかったことにして、城崎を殴って気絶させてしまおうかとも思ったが、久檀はあえて話を続ける。
「あー……あのなぁ、ユウシがおまえを亡くした子供の代わりに世話を焼いてるのは確かだろうな。けどよ、あいつはそんな考え方を恥じる男だ。思いついた端から、んな考えは愚かだって捨て去って行くタイプだよ」
そっぽを向いて黙ってしまった城崎に、久檀は息を吐く。
「なら、救急車が来るまで昔話をしてやるよ。ただし、おまえが意識を失わないように、かなりきつい話だがよ」
返事はなかったが、肩がかすかに動いた。好奇心はあったが、聞きたくないという相反する心理状態だろう。
耳をふさいで逃げられない状況で強行する自分はよほどの悪人だろうな、と久檀は自嘲した。
「ユウシが子供を亡くした経緯を知ってるか」
「……交通事故と訊いています」
「大筋じゃあ、当たりだ。けど、真実はもっと容赦ねぇ」
わざと言葉を切って耳を澄ます。この瞬間にサイレンの音が届かないかと願ったが、三秒待っても祈りは通じなかった。
神頼みなんてそんなものだろう、と鼻を鳴らして続ける。
「最初は、行方不明から始まった。遊びに出た子供が日が暮れても帰らない。よくある話だ。けど、夕飯の時間になっても戻らない。近所を探し回っても見つからない。クラスメイトの家に片っ端から電話をかけても知らないの一点張りに、焦った母親は警察に捜索願を出した。けどよ……その時にはもう、何もかも遅かったんだ」
久檀は、ふっと表情を緩めた。
「子供は数日後、崖下で遺体になって発見された」
顔をそむけていた城崎の肩が、ぴくりと跳ねる。表情は大体想像がついたが、こちらを向けなどと無粋なことは言わないでおく。
「ユウシが昔住んでた場所の近くに、魔のカーブって呼ばれる場所があったんだよ。トンネルを出たすぐがカーブになって、見通しが悪い。事故が多発する。その日も、たまたま別の車がガードレールを突き破って崖下に転落した。かろうじて意識のあった運転手が救急車を呼んだが、そこからが大騒動だ。その落下地点から、わずか五メートルの範囲で複数の遺体が発見された」
語るうちに、久檀の声は平板になって行く。感情がすり減った声音に比例して、城崎の心中は夕立の雨雲のように嫌な予感が沸き起こっているだろう。
「どうやらそこは、捨て場として利用されていたらしい。会社帰りに行方不明になったOL、施設に入ったはずのばあさん、そんで、天条の子供だ。ばあさんは老衰だったが、残る二人には、クルマの塗料や破片なんかがべっとりと付着していた。明らかに、車にはねられた跡があった。その証拠から、子供をはねた犯人はすぐに判明したよ。近所に住む、中学生の二人組だ」
息をする為に言葉を止める。もうサイレンの音を期待することはなかった。
「親のクルマを持ち出し、調子に乗って車を乗り回したあげくに、通りを歩いていた子供をはねちまった。が、最悪なのはその後だ。子供は救急車を呼ばれることなく、荷物みたいに運ばれて崖下に投げ捨てられた。しかも、それをやったのは事故車の持ち主、父親だよ。両親は自分の子供が何をやったのかはっきり自覚しながら、保身の為に事故を隠蔽し、クルマはきれいに修理されちまった」
久檀のその言葉に、城崎の身体がこわばる。語る彼もまた、胃が収縮し、中身を吐き出しそうになるほどの不快感を覚えた。
「嫌なネタはまだあるぜ。検死解剖の報告だと、遺体には、崖に投げ落とされた際にできた傷には生活反応があったそうだ。つまり、はねられた直後は、まだ子供は生きていたんだ」
まだ、息のある子供を、手当てをすれば時間はかかっても元のように走り回れる可能性を、彼らは幼稚な判断で踏みつぶしてしまった。
久檀はコンクリートと配管がむき出しの天井を見上げ、大きく息を吐いた。
「まぁ、事件の概要はざっとこんなところだ。ついでだが、OLを跳ねた犯人は別で、ばあさんのは、老衰で死亡したが、息子が年金欲しさに死んだことを隠そうとした。けど、腐敗臭に耐えきれなくなって捨てたらしい。まったく、日本人の倫理観ってヤツは、どうなってんだろうね」
城崎は何も答えない。震える肩に、久檀はそっと手を置き、コンクリートは冷たいから寒いよな、とわざと見当違いのことを言った。
「同じ場所から三人の遺体、しかも、そのうち一件の犯人は未成年。当然、マスコミの報道は過熱した。で、その結果、中坊の一人が首をつって死んだんだよ。それもあって、結局、誰が悪いだの社会の闇だの適当なこと言い合って、ただのなすりつけ合いになっちまった。肝心の、二人の中学生のうち、どっちが子供をはねたのかもわからずじまいだ。そんな状況で、ユウシはまともに働けるはずもねぇ。自衛隊に辞表出して、引きこもりだ」
無理もねぇ、と独りごちる。当時の天条は、憔悴しきっていた。拒絶や八つ当たりなどの暴言もなく、ただ静かに枯れ落ちて行くのを待つばかりの樹木のような有様が、逆に心中の複雑さを物語り、久檀と狭山はずいぶんと苦いものを呑んだ。
「そこからは、おまえが知ってる通りだ。日本を飛び出してGDOへ転職しちまったって寸法だよ」
何の話だったか、と久檀は唇の端をわずかに吊り上げるようにして笑顔を作った。そうすると、悪戯っ子のような顔になる。
「あいつが他人にやたら構いたがるのは、亡くした子供の背中を追いかけてる部分は少なからずあるはずだ。あと、これは俺の勝手な想像だが、あいつは誰かを助けることで、その先に繋がる誰かを助けようとしてんだろ」
初めて、城崎が動いた。こちらを見返す目には、疑問の色がある。
そしらぬ顔で、久檀は続ける。
「首をつった中坊の家庭環境は、御世辞にも素晴らしいとは言えなかったんだ。育ちがよろしくねぇから、無免許運転で暴走しても仕方ねえって、世間様はある意味納得するような荒れっぷりだったらしいぜ」
怒ったような顔をしてこちらを眺めている城崎を見返して、久檀は苦笑する。
「そんな事情を知った天条は……ここだけは、俺にはどうにも共感できねぇところなんだが……あいつは、ヤツらもまた犠牲者なんだって理解しようとした。俺にしてみりゃ、意味を考えるだけ無駄なんだが……そうやって、自分を追いこんでまでつきつめて出した結論は、犠牲者が出る前に助けるっていう、シンプルかつ途方もなく遠大な理想だったわけだ」
降参のポーズを取る久檀は、わずかに顔を動かす。少しずつ周囲が騒がしくなっていた。
辛気臭い話も終いだな、と久檀は小さく笑う。
「カズマ、おまえはユウシの手を借りたことを気にかける必要なんかねぇよ。あいつは、誰かがやればいいだろうって放り出されてる面倒事を片っ端から拾い上げて、自分がその誰かの代わりになろうとしてるだけだ。愚鈍で、無防備で、不器用なんだ」
「……友人とはいえ、言い過ぎではありませんか」
憮然とした物言いがまるですねた子供のようで、久檀は笑いだしそうになるのをどうにかして堪える。真っ直ぐに向けられる眼差しを、少し痛いような顔で受け止めながら言った。
「ははっ、まぁ、あいつは学生時代からお人好しで、能天気で、俺とまともに友人関係を築けるような変わり者だったぞ。だからよ、おまえに手を差し出したのも、打算や贖罪なんかじゃねえ。純粋に、できることをやろうとしただけだろうよ」
荒んだ状況を吹き飛ばすように久檀は笑う。
「あいつの内心に関しては、俺の想像だ。けどよ、事故の一件は、本当だからな」
言うなよ、と久檀は念を押した。
これで城崎の疑問が跡形もなく氷解するとは思えなかったが、ひとつの案を提示すれば、また違った面が見えてくるものだ。そうやって、ひとつひとつ問題を解消して行けばいいだろうと久檀は思う。
彼らは傍から見ている分には、立派な「親」と「子」なのだが、なかなかどうして互いの言葉を素直に受け止められないひねくれ者同士だ。
「あと、俺の持ってる秘密をばらしたんだ。今度、おまえの秘密も教えろよ?」
「……それは嫌です」
ようやく、サイレンの音が地下駐車場内に響き渡った。
【背中合わせに立つ真実 終】
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