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背中合わせに立つ真実⑦(───絶対にやめる、帰ると言うな)

 マンションの専用駐車場は地下と地上にある。天条家が所有するクルマは、地下の方にあった。急な入居だったので空きスペースがなく、配置されたのは一番エレベーターから遠く、奥まった場所になってしまった。

 静まりかえった駐車場内に、城崎の軽くも重くもない足音がかすかに反響する。いつもなら、住人の一人か二人はすれ違うのだが、今日は誰もいない。そのことを特に疑問には思わなかった。

 城崎はゆっくりと歩を進めながら、最奥に停車してあるクルマを探す。エレベーターからコの字に折れた先、いつもの場所に停まっているクルマの脇に立つと、ポケットに入れている携帯機がクルマの鍵と反応し、自動的に解錠される。運転手を迎えるように、ハザードランプが数回点滅した。このクルマはキーレス式なので、実際に鍵を鍵穴に差しこむ必要はない。エンジンもハンドルに付いているボタンを押せば始動する。

 車内に入ろうとドアノブに手をかけた城崎は、不意に目線を上げた。何の気なしに取った行動だった。

 が、そこで瞠目する。

 地下のどこかぼやけた照明の中、影が立っていた。

 上から下まで黒い姿。面貌すらもヘルメットで覆われて見えない。ただ、ヘルメットの前部分は大きくひびが入り、一部は欠けている。まだ距離があるので内部はうかがえなかった。

 城崎は胡乱げに眉をひそめる。互いの距離は十メートルほど。仮面の男が何を目的に立ち止まっているのか判断がつかない。だが無視するにしても、ヘルメットの顔はこちらを向いている。

 城崎は懐疑と警戒を裡にしつつ、相手を注視しながらいくつか考える。

 服装から、バイク乗りと想定する。二輪車置き場はエレベーターのすぐ脇。場所を間違えたのではなく、こちらに話しかける用件としては、まず、割れたヘルメットが気になった。

 乗っていたバイクが転倒し、負傷したので救助を求めているのではないか。そんな予想を立てる。

 とはいえ、強盗の線も頭の隅に置いておく。城崎は日本の安全神話を欠片も信用していない。右手を腰の後ろにやって、そこに何の武器も収まっていなかったことに舌打ちしつつ、城崎は男に注意深く声をかけながら歩み寄る。

「どうかしましたか。何か、事故にでも……」

 次の瞬間、黒い身体が虚空を飛んだ。

 瞬きの間に距離がつまる。城崎にできたのは、隣の空きスペースに転がるだけだった。そのまま二転三転し、起き上がりつつも相手の姿を視界から外さない。

 黒仮面は飛来しつつ、腕を一閃した。一瞬、何か光るものが城崎の視界の端を射るが、襲撃者の手には何もない。

 だが、それまで城崎が立っていたアスファルトが大きくうがたれ、クルマの表面に削ったような傷が走る。

 空振りした一撃の風圧が、城崎の髪を揺らした。

 見えない攻撃に息を呑みながらも、城崎は跳ね起きて態勢を整える。上がった顔からは驚愕が拭いとられ、代わりに油断なく周囲を探る鋭さがあった。

 世界防衛機構軍情報部広報課という、戦闘からはもっとも縁遠い部署に配属されている城崎だが、既定の訓練はこなしている。非常事態に対する心構えやとっさの判断も、新人訓練キャンプにいた頃の上官から嫌がらせのように叩きこまれてきた。

 それでも一般人よりは戦闘状態への切り替えが速い程度で、彼より銃の扱いが上手い者や格闘に長けた者など、熟練者は上を見ればきりがない。

 だがその順応速度が生死をわける瞬間がある。

 誰が、なぜ、と思って足をすくませる場面でも、城崎は個人の倫理を抑制し、即座に戦闘行動を取れる。今回のような襲撃に対し、いちいち理由を考えたりはしない。まずは脅威を排除してから原因を探ればいいと、頭のどこかが冷静な判断を下す。

 初撃をかわされた黒仮面は、間延びした動きで立ち上がると、また先ほどと同じ急な軌道で跳躍する。地表すれすれを滑空するような動きで突進してきた。

 四角に囲まれた枠から、城崎は通路に飛び出す。だが黒仮面は着地した瞬間、横へ飛び、彼に覆いかぶさるようにして跳びかかってきた。

 互いにもつれながら転がったが、城崎の押し返す手は用意に阻まれてしまう。

 もがく城崎を、黒仮面は宙に持ち上げた。

 体格的にはほぼ拮抗している二人だが、膂力は黒仮面の方が桁違いに上だ。片手で襟首を締め上げられ、足は踊るように揺らめくだけ。

 が、その足が大きな軌跡を描き、膝が黒仮面のこめかみを打つする。

 大した威力はなかったが、身体をひねったことで互いのバランスが崩れて手が外れる。城崎は頭から落ちたが、寸前で腕を使って頭部を守った。そのまま転がり、起き上がりざまに黒仮面の足を攻撃したが、相手は小揺るぎもしない。

 舌打ちしつつ、反転。が、追いすがってきた黒仮面に蹴られ、横に吹っ飛ぶ。サッカーボールのように転がった城崎の身体は柱にぶつかって止まった。

「ぐっ……ぅ……」

 重い一撃だった。丸太で殴られたような衝撃に、呼吸が乱れる。視界に星が瞬き、頭がふらつく。

 無意識のうちに、何かを求めるように手が伸びる。

 震える手は、ここであきらめるわけにはいかないと、必死で主張していた。

(……まだ、止まるわけには……)

 城崎は兵士として特に優れているわけではない。天条の紹介で防衛軍の新人訓練キャンプに入った当初は、教官には真っ先に脱落するだろう、と顔合わせの段階で宣言されたくらいだ。

 若く将来性がある人間を集め、最初から防衛軍という組織に適応するように育てることが目的のキャンプだったので、集められた人材の年齢はほぼ横並びだった。だというのに、体格面で城崎は二回りは小さく、他の訓練生からは女が混じっていると揶揄されたほどだ。

 当然、厳しすぎる訓練について行けるはずもなく、二〇キロの背嚢を背負ったまま力尽き、密林で瀕死状態になったところを回収されたこともある。

 それでも城崎がキャンプに居続けたのは、天条の言葉と、彼の事情があったから。

(───絶対にやめる、帰ると言うな)

 城崎を送り出す際、天条から強く言い含められた言葉だ。彼も城崎がキャンプの訓練について行けるとは考えていなかった。だが、どうしてもオーストラリアを離れなければならない事情があったので、キャンプから放り出されるまでかじりついたのだ。

 そして、容赦のない選抜の結果、失格の烙印を押されて放り出される寸前、彼にひとつの幸運が舞いこむ。

 キャンプの指導教官は反抗期達をまとめ、教え、導くのは有能だが、非常におおらかな性格でもあった。特に事務処理に関してはどんぶり勘定。専属の事務員がキャンプの環境にストライキを起こしたあげくに辞めてしまった後は、備品のボールペンの発注もままならない有様。そこを、たまたま通りかかった城崎が、見た目が繊細そうだから、というどうでもいい理由で抜擢され、訓練のほとんどを免除する代わりにキャンプの事務を代行する羽目になった。

 最初は訓練に脱落し、それでもキャンプから立ち去ろうとしない城崎を、同じ訓練生はあからさまな嘲笑をぶつけてきた。だが、キャンプの部材管理や発注を一手に任されている彼と仲良くなっておけば、本国から娯楽品や嗜好品を輸入できると踏んだ一部の人間からは、妙な親切を受けたが。

 そうして二〇時間密林を駆け回る訓練から解放された分、城崎は地道なトレーニングを己に課した。傍から見れば部活動のような生ぬるい成果しか上げられなかったが、地味な鍛錬でも少しずつ積み重ねを経た結果、一年を越える頃には彼も後輩に混じって訓練に参加できるまでの体力を身につけられたのだ。

 ようやくスタートラインに立てた城崎を、教官は特にほめもしなかった。かじりつくようにして立ち上がって来る彼に呆れ混じりに、これがブシドーか、と肩をすくめただけ。

 彼は軍人として特に誇れる部分はない。

 ただ走り続ける必要があって、最後まで立ち止まらなかっただけ。

(絶対にやめる、帰ると言うな)

 その記憶、言葉がいつも、彼をひと押しする。

「……くっ!」

 城崎が支えに手をついたのは、赤い金属の箱。

 とっさに鉄箱の扉に手をかけた。中からもぎ取るようにして引っ張り出したのは、同色の消火器だ。

 立ち上がり、エレベーターホールに背を向けながら城崎は消火器を構える。黒仮面の立ち位置は、駐車場の奥だ。

 上部の黄色い栓を引き抜き、ホースを黒仮面に向け、タンクのレバーを握った。薬剤が放出され、視界が擬似的な濃霧に包まれる。

 十数秒で薬剤が尽き、駐車場内は白煙に飲みこまれた。

 軽く咳こみながら、城崎はエレベーターホールに向かって走る。消火器は持ったままだ。徐々に白煙が広がり、煙の密度は薄まるが、視界は壊滅的に悪かった。

 と、不意に背後で空気が一筋動いた。

 何も見えなかったが、全身を走る悪寒に押されるようにして、城崎は持っていた消火器を大きく振るった。

 がつん、と妙に硬い衝撃音がして、すぐ脇に迫っていた黒仮面が肩を打たれて半身が傾く。

「───こ、のぉ!」

 城崎は消火器を振り上げ、黒仮面を殴り倒す。

 一撃、二撃。膂力を総動員した猛烈な打撃に、ヘルメットが砕けて一部が剥離する。よろめいた黒仮面を容赦なく蹴り飛ばし、相手の重さと硬さに顔をしかめた。

 ついに膝をついたのは襲撃者の方だった。城崎は動きを止めた相手を見て後退する。こちらに決定打がない以上、一度態勢を立て直す必要があった。

 その隙を許さず、片膝をついたまま、黒仮面が右手を振り上げる。

 城崎は反射的に、消火器を前に突き出す格好で構えた。ほぼ無意識の行動だった。

 周囲の白煙が渦を巻く。

 同時に、不可視の刃が鉄製の消火器をソーセージのように分断し、その向こうにいた城崎の身体も切り裂いた。

 血の尾を引きながら城崎は背中から倒れる。背後のエレベーターホールへと通じる仕切りガラスに背中を強打し、ガラスは派手な音を立ててたわんだ。

 透明なガラスがべっとりした赤で彩られるが、すぐに迫っていた白煙で隠されてしまう。

 ここにきて、ようやく火災報知機が消火器の煙を感知したらしく、大仰な警報音が地下駐車場に鳴り響く。

 黒仮面は動かなくなった城崎を一瞥すると立ち上がる。その拍子に、ヘルメットのシールド部分が脱落した。

 落ちた部品には目もくれず、黒仮面は歩き出す。向かったのはエレベーターホールではなく、駐車場の出入り口だった。


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

こちらは5巻収録分です。

https://mutsugami123zero.booth.pm/


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