六番の少女
六番の少女
マイキは自身の頭上高くを飛び越えた影に、歓声を上げた。
「う、わぁっ!」
影を身体全体で追いかけた結果、枯れた雑草の上に背中から倒れ込んだが、そんな事は気にもならない。
太陽の中に入った影は、大きく手足を伸ばして身体をひねり、着地。両足が地面に着いた瞬間、重く鈍い音が響く。だが、音に反して軽い動きで駆け出した。
走っているのは長身の青年。短く刈った黒髪に、赤褐色の瞳。際立った美形ではないが、顔立ちはそこそこ整っている。それが海里シンタロウの外見だった。
「シン兄すごいや!」
無邪気にはしゃぐマイキ。服に枯れ草や土がついたが、はらう事もせずに起き上がり、海里の後を追う。
マイキ達がいるのは、千鳥ヶ丘市を眼下に望む山中だった。山といっても、標高でいえば一〇〇メートルもない。道も整備されているので、九歳のマイキでも散歩のレベルで登れるほどだ。
それでも、頂上の公園へと続く石段を外れてしまえば、鬱蒼とした木々が生い茂っている。
彼らはその、道を外れた先にいた。地元民のマイキも知らなかったのだが、林の中を進むと、ぽっかりと開けた空間があった。元は伐採した木々を一時的に保管する場所だったのだろう。草に埋もれてわかりにくいが、麓まで続く道が残されていた。
舗装もされていない道の上に、真新しいタイヤ痕が見える。その先にある広場には、二台のクルマが停車していた。
一台は、丸いフォルムに鮮やかな黄色の軽自動車。もう一台は、角ばった車体が特徴的な救急車。
どちらも新車同然に見えたが、軽自動車の車種はスバル360。現在では見かける事はほとんどない車種だった。救急車も、かなり以前のモデルになる。
そんな古い車の間を、海里は駆け抜けて行く。
「待ってよ、シン兄ちゃん!」
マイキはかなり遅れて彼を追いかける。それに続いて今度は「僕も行く」と、どこからか声が聞こえた。
声に振り返ったマイキは、今しがた通り過ぎた軽自動車が動き出すのを見た。
しかし、この場にいるのはマイキと海里の二人だけ。軽自動車の運転席には誰も乗っていない。
スバル360は、エンジンの低い駆動音を響かせながらライトを点灯させる。そうやって車体を一度大きく震わせると、一気にばらばらになった。
車体が外側に展開し、機械部分が露出する。現れた部品は互いを連動させながら形を組み替え、再び内部へ折りたたむと立ち上がった。
クルマは瞬きの間に二本足で直立する。
手足に、胴体の上には頭がある。おおむね人に近いシルエットをしたそれは、目を丸くしているマイキに向かって手を振った。
「やぁ、マイキ」
響く声はまだ若い。聞きようによっては少年にも取れる声をしている。
そこに立っているのは、一般的にはロボットと呼称される存在だった。先ほどの軽自動車は人間社会に溶け込む為の擬態で、今の形態が本来の姿なのだ。
彼らは自らをこう呼称する。
機械知性体オリジネイターと。
ある目的を持って地上世界に現れた彼らだったが、今、マイキに向けている態度には、任務を抜きにした親しみがあふれていた。
「レックス!」
マイキは歓声を上げて金属の足に飛びつく。呼ばれた黄色のオリジネイターは、少年を落とさないよう注意深く歩き、先で足を止めている海里の元へ向かう。
「トラストも駆け回ってばかりいないで、マイキの相手をしてあげなよ」
トラスト、そう呼ばれた海里は顔を上げる。二十歳ほどの青年だが、そのあたりの年代にある浮ついた雰囲気は微塵もない。
そして、名前が異なっている事にはもちろん、理由がある。トラストが海里の本名で、便宜上、相対する者にはマイキが考案した方の名前を使っている。
名前を変えたのは、その方がより人間らしいという発想からだった。
もっとも、この愛想のなさの為、名前をもらって半月あまりになるが、未だに名乗る機会は訪れていない。
海里はあまり変わらない表情のまま、軽く首をかしげる。
「どうやって遊ぶんだ」顔と同じく、どこか平板な声音。
「うーんと、そうだね……」問いかけに、レックスは腕を組んで考え込んでしまう。
唸るレックスと、無言の海里にはさまれたマイキは、ぱっと解決策を提案する。
「じゃあ、シン兄とレックスは、いつもどうやって遊んでるの?」
「僕達?」レックスと海里は互いに顔を見合わせる。
「そうだよ。深海都市にいた時は、何してたの?」
期待を込めた眼差しで見上げて来る少年に、レックスは逡巡の後、よし、と気合を込めて拳を振り上げる。
「久しぶりに、やってみようか」
それだけで意味が通じたのか、海里は首肯するとレックスに向き直る。黄色のオリジネイターは、マイキに離れていろと促した。
「え? なに? 何するの?」
言われたとおり、近くにあったブナの木に隠れたマイキは、顔だけをのぞかせる。
説明の代わりに、重い踏み出しの音が響いた。
海里とレックスは互いに向かって走り出す。巨体のオリジネイターが一歩踏み出すたびに土が盛大にえぐれて散り、振動がマイキのいる場所まで届いてブナの木を揺らした。
互いに肉薄し、衝突するかに見えた瞬間、海里は地面を蹴って跳躍。滞空。身体をひねってレックスの肩に落ちると、腕で全身を持ち上げてさらに飛ぶ。
そこへ鋼鉄の腕が迫る。海里はぎりぎりのところで腕をくぐり抜けるが、姿勢が崩れた状態で着地してしまう。
海里はよろめき、たたらを踏んだ。
その隙に、レックスの両腕が海里をつかもうと大きく振り下ろされる。しかし彼はその場を動かず、腕を限界まで引きつけ、身体が包囲される寸前に相手の腕をつかむと、上に乗り上げた。不安定な腕を足場にして駆け抜け、一直線に頭部まで走る。そこにレックスの腕が再び伸びたが、鋼鉄の身体を蹴って跳躍し、回避する。
海里はレックスの頭上で一回転すると踵を振り下ろした。首筋めがけて踵落としが鋭く食い込む。
重い衝突音。しかし、鋼鉄の巨体はまったく揺らがなかった。逆に足蹴りを放った海里の方が、顔を歪ませる。レックスは海里の動きが止まった瞬間に肩に乗っている彼をつかみ、無造作に投げ捨てた。
放り出された海里は猫のように空中で身をひねって着地し、すぐさま横に跳ぶ。
彼らは再び対峙する。だが……
「この、馬鹿者どもがっ!」
怒声と同時に今度は救急車が変形を始め、黄色のロボットよりもさらに大きな体躯へと変わる。
「あ……トレトマン」
レックスは、しまったと叫んで頭を抱える。海里も厳しい顔つきのまま黙り込んでしまった。そこはかとなく、焦っているようにも見える。
救急車もまた、レックスと同じオリジネイターだ。
ずしゅん、と足音を響かせながら、トレトマンはうなだれている海里達に迫ると、腰に手を当てて仁王立ちになる。
「マイキ君と遊ぶな、とまでは言わん。だがあまり派手に動くな。まだ日が高いんだぞ」
周囲は彼らの背丈以上に木々が生い茂っている。下草もうんざりするほど生えているので、少々の好奇心程度では、まずのぞきに来る者はいないだろう。
それでも自ら、ここに来て下さいと言わんばかりの轟音を立てて他者の興味を惹く必要はない。
当たり前の注意に、レックスと海里は白旗を掲げる。大人しくなった様子に満足したのか、トレトマンは踵を返すと元いた位置に戻る。
が、くるりと振り返った。
「あと、少しは情報収集もしろ」
釘を刺しつつ、救急車の形態へと戻った。
「はーい……」レックスもまた、軽自動車に変形する。
そこまでのやり取りを傍で見ていたマイキは、ブナの木の後ろから出て来ると、海里の隣に立つ。
「シン兄、大迫力だったけど、あれが遊びなの?」
海里はマイキに顔は向けたが、答えたのはトレトマンだった。
「じゃれとるだけだ。本気ではないよ」
「僕達オリジネイターが全力をぶつけたら、このあたりの地形が変わっちゃうよ」
レックスは軽い笑声を上げる。ロボット形態なら、得意げに胸を張っただろう。
「へーすごいんだ、シン兄」
「……俺は、そこまでは無理だ」
言って、ふいと背を向けると、レックスの側まで行って金属の表面に触れる。
「ははっ、またいじけてるな」笑声を上げるレックス。声に合わせて車体も揺れた。
「え?」マイキも同じようにしてレックスにもたれた。金属の車体は冷たかったが、しゃべるたびに揺れるのが面白くて、少年はよくひっついている。
「どういう事?」
少年の疑問に、笑いながらレックスは答える。
「ほら、トラストって、僕達に比べたら小さいだろ。それを気にしてるんだ」
「シン兄ちゃん、大きいよ」
同年代の中でも小柄なマイキは、海里の胸までしか届かない。姉からはそのうち伸びると言われているが、身長はコンプレックスのひとつだ。
「トラストの外装は、人間の平均身長から言えば、大柄な部類に入るだろう」
だが、とトレトマンが続ける。
「あくまで、人間から見れば、の話だ。我々オリジネイターの基準で言えば、レックスはかなり小柄な部類に入る。しかし、トラストはさらに小さい。そう、人の中に混じっても、違和感がないほどにな」
マイキは海里を見上げる。その彼もまた、車に擬態している存在と同じ、オリジネイターだった。しかし見た目だけで言えば、そのあたりを歩いている人間と何ら変わりはない。
それでも、マイキは彼の内部が機械で構成されているのを知っている。
「マイキ君、君はトラストとレックスが同じ種族だと聞いて、素直に信じられたかい?」
「う……。でも、兄ちゃん達、すっごく仲がよかったし……」
突っ込まれると、確かにいろいろとおかしな部分はある。だがしかし、出会いが出会いだっただけに、そんな疑問が生まれる余裕はなかった。
トレトマンは軽く笑う。
「そりゃあそうだろう。レックスはトラストが生まれた頃からあやつの面倒を見ていたからな。トラスト、おまえさんも外見なんぞ気にするな」
「や……気にするなって方が、無理だと思うよ?」
レックスの言葉を無視し、トレトマンは車両の屋根を展開する。そこからアンテナが突き出した。
「何するの?」即座にマイキが訊ねると、トレトマンは常のように軽い調子で答えてくる。
「近くにある軍事施設から、ちょっと、ある情報をもらおうと思ってね」
「ちょっとって……いいの?」
「よくはないな。もちろん、マイキ君は真似をしないように」
言われたところで、興味もなかった。それより軍と聞いて、引っかかるものがあった。
「……情報って、自衛隊の? 今、町にも来てるよね」
千鳥ヶ丘市は、半月前に起こった大規模な災害の為、現在も復旧作業が行われている。そこに、災害支援として自衛隊が派遣されていた。
「僕も、ここに来る前に給水車を見たよ」
「ふむ、自衛隊ね。確かに、見つかると厄介だな。ごまかす事は造作もないが、面倒は起こさないに限る」
おまえさん達もだぞ、とトレトマンは念押しする。
「わかってるよ。でもさ、その情報収集が終わらないと、僕達も動きようがないんだよ」
「急かすな。自衛隊の情報なんぞ、すでに不正会計から今日の夕飯の献立までわかっている。わしが知りたいのはもうひとつの方だ」
「え? 日本って、自衛隊以外にも軍隊があるの?」
レックスの疑問は、場にいる全員を代弁していた。
三人の、特に同族であるオリジネイター達二人の知識不足に、トレトマンは半ば呆れ気味に答えを教えてくれる。
「そもそも、自衛隊は軍隊ではないぞ。わしが言っているのは、GDOの方だ」
「防衛軍?」その略称はマイキにも聞き覚えがあった。ニュースで時折、報道されているのを見た事がある。
「うむ、正確には世界防衛機構軍と呼称する団体だ。武力による平和維持活動を目的とし、主な活動内容は、紛争地帯への軍事介入による鎮静化とある」
「いいの? 余所の国のいざこざに介入しても?」
「そのあたりは微妙なところだが、防衛軍は立ち位置としてはどこの国にも属さない事になっている。軍隊というより、遊撃部隊的な存在だろう」
「その防衛軍が、どうかしたの?」
マイキはよくわからず、ただ疑問符を返す。
「我々の動き、特に、イノベント側に関して何かつかんでいないかと思ったのだが……予想よりもガードが堅い。独立自治というのも、案外当たっているのかもしれんな」
相変わらず、トレトマンの話はマイキにはわからない事が多い。くるくる回るアンテナを眺めていると、ポケットに入れていた携帯電話が振動する。盛大なかけ声とともに、爆発音が響いた。
「あ、メールだ」何度も同じ台詞を繰り返す携帯電話を取り出し、マイキは内容を確認する。
「その着信音は何だね?」
「ガイアスターの必殺技、スターダストバスターだよ。おっちゃんみたいな機械を使って敵を倒すんだ」
「ほう……私のレールガンと似た武器ね。興味深い」
トレトマンの肩書は医者だが、その割に強力な武器開発が趣味という側面も持ち合わせている。そのあたりをよく知っているオリジネイター二人は、不気味に笑っている仲間に寒々しい視線を向けた。
「あ、ユキ姉だ」メールの文面は簡潔に、そろそろ夕飯ができるから帰って来なさい、とあった。
「もう帰って来いって」
「じきに日が暮れる。お姉さんの言うとおり、帰った方がいいだろう」
「うん、そうする」ポケットにもう一度携帯電話をしまうと、マイキはオリジネイター達に向き直る。
「でもさ、シン兄達は来ないの?」
彼らは出会った当初はマイキの家にいた。だがそれも、最初のうちだけで、今はこうして人目につかない空き地を転々としている。
「我々はこれ以上、君の家に厄介になるわけにはいかないよ」
「えー。今なら父さんはいないし、大丈夫だよ」
「ふぅむ、潜伏場所を提供してもらえるのはありがたいが、丁重にお断りさせてもらうよ」
「何で?」マイキにしてみれば、せっかくできた風変わりな友人と離れている事が面白くなかった。
「父親はいなくとも、君のお姉さんがいるだろう。若い娘さんがいる家庭に、男が転がりこむのはまずい」
「……え? 男ってシン兄の事?」マイキの質問に、トレトマンはそのとおりだと発する。
その発言に、沈黙していた海里が口をはさむ。
「俺は人間じゃあない……」
「バカモン! 中身じゃなくて見た目の話だ。おまえさんの外装設定は、人間男性の二十歳前後にしてあるのだからな」
「それが、何か問題でも?」
海里の表情に、疑問が浮かぶという事はなかったにせよ、意味を考え込んだのは間違いないところだった。
「トレトマン。トラストは本気で言ってるよ」
「……外装よりも、こやつの知識の方が問題だな」
やれやれ、とトレトマンは愚痴を漏らす。
「わしとしては、ガサツなガキどもより、若く美しい娘さんと一緒に暮らしたいのだがね」
「それって、トレトマンが人間を観察したいだけじゃあ?」
レックスの言葉を、トレトマンは黙殺した。
じゃあね、と手を振ってマイキは歩き出したが、すぐに海里が前に回り込んできた。
マイキは何も言わず、がさがさと派手な音をたてながら下草や藪をかき分けるその後をついて行く。
ゆっくりと歩くマイキの右膝外側あたりには、大きな絆創膏が貼られていた。その下にある裂傷はほとんどふさがっていたが、ユキヒが傷を保護する為に毎日貼り替えている。
そして、怪我をしたマイキを送り届けるのが、ここ最近の海里の日課になっていた。
この広場に通うようになって数日後、マイキは藪の中で木の根に足を取られ、派手に転倒してしまう。しかも尖った枝に足を引っかけてしまい、裂けた傷口からあっという間に血があふれ出た。
これまで、血が多量に流れるほど大きな怪我をした事のなかったマイキは、痛みよりもまずその赤さに驚愕し、後から考えると赤面ものだったが……思わず、泣き出してしまったのだ。
声に異変を察知し、すぐさま海里がやって来たが、彼もまた、泣いているマイキと傷を前にどうする事もできずに呆然としてしまう。
トレトマンやレックスも同様だった。地上生活を始めたばかりのオリジネイター達は、人間に関してわからない事が多すぎたのだ。
先に動いたのは、海里だった。
海里はマイキを抱えたまま少年の自宅まで駆け、玄関を壊す勢いで室内になだれ込むと、驚愕に硬直する姉のユキヒにマイキを突きつける。
事情の説明などする余裕はなかったが、ユキヒは泣いているマイキとその怪我、そして明らかに狼狽している様子の海里を見て得心がいったらしく、オリジネイターより何倍も速やかに治療を始めたのだった。
幸い、切れた範囲は広かったが、縫うほどではなかった。翌日には、白い包帯が痛々しかったが、元気に現れた少年に、オリジネイター達は力を抜いて笑った。
そして、ユキヒはマイキがこの広場に訪れる事を特に問題視もせず、代わりに海里が自発的にマイキを自宅まで送り届けるようになって現在に至る。
「ねぇ、シン兄」
帰りの道程で、マイキは海里にたくさんの質問をぶつける。それこそ、好奇心の赴くままに。
海里自身は、放っておけばいつまでもしゃべっているトレトマンとは違い、弁が立つ方ではない。話しかけても会話と呼ぶにはそっけない反応しかなかったが、マイキはそれでもよかった。
ただ、その少ない言葉を使って毎日のようにマイキの怪我を気づかい、「痛くないか」「大丈夫か」と尋ねてくるのには辟易したが。
「……怪我は、もういいのか?」
今日も今日とて、二人は同じやり取りを繰り返す。
声に出しては言えないが、マイキはそろそろ飽きていたし、実際、傷はもうほとんど痛まない。
「僕はもう大丈夫だよ」
足を引きずったりはしない、と通りの先まで駆け、また戻って来ると、海里の手を取って振り回す。
青年は黙ってされるがままになっている。それでも、視線はマイキの足に注がれていた。
「だから、平気だって」
笑ってアピールしたが、海里は眉間にしわを寄せてそっぽを向いてしまう。
「シン兄だって、足の怪我はもう治ったんでしょう?」
出会った当初、海里は逃げ遅れたマイキをかばって左足に大怪我を負った。それがきっかけでマイキはオリジネイターという存在と知り合う事になったのだ。
「俺も……」ややあってから、海里はぽつりと漏らす。
「……俺も……オリジネイターにも、痛覚はある。怪我をすれば、痛い」
そりゃあそうだろう、とマイキはうなずく。負傷した海里はしばらくの間、足を引きずっていた。
「だが、その痛みは、人間のそれとは大きく異なっているらしい」トレトマンが言っていた、と仏頂面で付け加える。
「だから、その……怖いんだ」
え、とマイキは思わず海里を振り仰ぐ。意外な言葉を聞いた気がした。
マイキから見れば、海里は十分に大人だ。身体も大きくて、強くて、その上クルマと合体できる。そんな、言ってしまえば憧れを抱く存在が、弱音を吐いている。
まるで難問をぶつけられたように必死になって言葉を探している様に、マイキは口をはさむ事ができずにいた。
何度か迷うようなそぶりを見せた後、海里は言った。
「俺には、マイキの痛みが理解できない。怪我をしたマイキを見ても、それがどれだけ痛いのか、軽傷なのか重症なのか、何をすれば痛みが治まるのか……本当に、わからないんだ」
口調は変わらず淡々としていたが、うなだれた顔は、どうしようもないほど途方に暮れているように見えた。
彼よりも小さいマイキだから、うつむいたその表情に気がつく事ができた。
何となくだが、マイキは理解する。
目の前の存在はとても強くて格好良いが、完璧ではないのだと。
海里シンタロウ。本名はトラスト。機械知性体オリジネイターの一人で、外見は二十歳ほどの青年。説明だけを聞くと、とんでもない存在に思えるが、その実体にはいろいろと問題があった。
彼はとにかく言葉が足りず、無愛想だ。表情や動作も乏しく、感情が読みにくい。
だが、決して冷徹ではない。
それどころか、必死なくらいに頑張っている。あの日、自宅まで全力疾走したのも、マイキが痛がったから。
後に海里が突撃した玄関扉のへこみに、姉弟は唖然としたものだ。扉を開けるという基本も忘れるほど、マイキを助けようと一生懸命だったのだろう。
マイキは上手く説明できずに困惑している青年の様に、急に胸のつかえがとれたような感覚が押し寄せる。
自然と漏れ出す笑みを乗せ、マイキはことさら力強く言った。
「大丈夫だよ」
マイキは、握っている手に力を込めた。
「……退屈だわ」
だだっぴろい格納庫の中、少女の声が響く。
そこにはイノベントが保有する主力兵器のほとんどが、ずらりと並んでいる。先だって千鳥ヶ丘市に現れたゴーストを始め、輸送ヘリや戦闘機まで場にはそろっていた。
少女はコンテナの上に腰かけ、足をぷらぷらさせている。厚底ブーツの踵で鋼鉄の箱を叩きながら、整備中のゴーストを何となく眺めていた。
装甲を外された灰色のゴーストは、機械部分を露出させた状態で固定されている。内部機関は見つめているとめまいがしそうなほど複雑に入り組み、様々な色や太さのケーブルやパネルが繋がっている。少女にわかるのは、胸部の奥に核と呼んでいる内燃機関が存在している事くらい。
「ゴースト……」つぶやきに、大した意味はなかった。
そのまま座っていると、奥から検査機材をひと山抱えた男が出てくる。
「あ」少女の顔に喜色が浮かぶ。ようやく面白い物を見つけたとばかりに、足を振ってコンテナから飛び降りる。赤いワンピースと枯れ葉色の髪が大きくなびいた。
「ねぇねぇ、ゴーストの整備はまだ終わらないの? あたし、退屈なの」
くるくる回って男を追いかけるが、ゴーストの整備と管理を一手に引き受けている男は少女には見向きもしない。華奢な身体を蹴り飛ばさないよう器用に避けつつ、ゴーストの足下まで来ると検査機材を広げにかかる。
「終わらないし、遊ぶつもりもない」
「つまんないの」ぷぅっと頬を膨らませ、上目使いに睨んでみたが、男は顔も向けない。
「遊びたいなら、外で遊んで来い」
「一人で?」少女は頭をめぐらす。場にはよりどりみどりとばかりに兵器が並んでいる。
「そうだ。それと、ゴーストは持っていくな。作戦前だからな」
「……はぁい」
マイキは学校から自宅へ向かって歩いていた。
二月の災害以来休校だった小学校は、今週に入ってようやく再開した。それ自体はうれしかったが、学校側が給食を用意できない為に授業は午前中で終了。残りは自習と言われてプリントの束を渡されるだけ。学校に通う楽しみが半減してしまい、マイキとしては面白くない。それでも、学校で級友と会って話すだけでも十分に楽しかった。
しかし、まだ体育館に残っている避難者達を見ていると、マイキの中に言葉にできない不安の種が芽を出す。
まだ終わっていない、まだ何かあるのではないのか。
そんな思いがよぎる。
「───こんにちは」
かけられた声に顔を上げると、塀の上に少女が腰かけていた。赤いワンピースに、腰まで届く枯れ葉色の髪。マイキは自分の学年では見ない顔だと思った。
「……誰?」見かけないが、同じ小学校の誰かだろうと見当をつける。
塀の上の少女は、にっこり笑ってそこから飛び降りる。着地の際、厚底ブーツが大きな音を立てた。
少女はそのままマイキに寄り添うと、腕を取る。
「あたしと一緒に来て欲しいの」
「え……やだよ」
反射的に少女の腕をはらおうとしたマイキだったが、すぐに困惑する。
軽くからませているだけに思えた腕が、外れないのだ。
「来てもらうわね」
腕を引っ張ってもがくマイキに、少女は美しく微笑む。華奢な腕は緩まず、少年の身体を容赦なく引きずって行く。マイキも足を踏ん張ったが、抵抗にもならないほどの力だった。
と、少女が歩く先の角から、トラックが侵入してくる。
ゆっくりとした速度で迫ってるクルマ。道をふさいでいる事に気づいたマイキは顔を上げ、目を見開く。
「……あ……」
真正面から見た運転席には、誰も乗っていなかった。
「マイキが帰って来ないんです!」
唐突に、だが切羽つまった様子で現れたユキヒを、オリジネイター全員が注視する。
そこは先日マイキが海里達と遊んでいた広場だった。そして、二台のクルマと海里もそろっている。その間をユキヒは落ち着きなく歩き回っていた。
「学校はお昼には終わるのに、三時になっても帰って来ないなんて……」
「お嬢さん、落ち着いて。マイキ君の行き先に、心当たりはないのかね?」
「仲のいい友達の家に片っ端から電話をしましたが、寄り道をしている様子はありませんでした」
トレトマンの質問にユキヒは答えるが、書いてあるものを読み上げているだけのような平板さだった。
「マイキ君は携帯電話を持っていたようだが、連絡はつかないのだろうか」
「何度もかけているんですが、出ないんです。それで、またこちらにお邪魔して、遊んでいるのかと思って……」
微かな期待を込めて見上げてきた瞳に対し、返答は無情なものだった。
「残念だが、今日はまだ来ていないよ」
「そう、そうですか……」再びうろうろと歩き出すユキヒに、トレトマンは彼女を止める為に声をかける。
「我々も探すのを手伝おう」
「……あ、その、ありがとうございます」
足を止めてユキヒは振り返る。と、彼女の握っている携帯電話から、爆音と叫ぶ声が響いた。マイキと同じ、ガイアスターの着ボイスだった。
「っ、マイキ!」ユキヒは慌てて二つ折り携帯電話を開く。だが、着信ボタンは押さない。電話ではなくメールのようだった。
ユキヒは無言で画面を凝視して、そのまま硬直する。
「……お嬢さん?」
不審に思ったトレトマンが声をかけると、ユキヒはかなりぎこちない動きで振り返った。
「マイキが……」
彼女の手から、携帯電話が滑り落ちる。
動かなくなったユキヒの側に海里は歩み寄ると、携帯電話を拾い上げる。一応、持ち主をうかがったが、まったく反応を示さない。
「勝手に見るのはマナー違反だが、場合が場合だ」
確認してくれ、とトレトマンに促され、海里は画面に視線を走らせる。すぐにユキヒと同じく動きが止まる。
「……トレトマン」
だがユキヒと違い、海里はすぐさま振り返ると、後ろのオリジネイター達に携帯電話の画面を見せる。
「そんなっ!」レックスが悲鳴じみた声を上げる。トレトマンは無言だったが、動揺する気配があった。
メールは文面がなく、写真だけが添付されていた。
画像に映っているのはマイキだった。何か、クルマのようなものに閉じ込められているらしく、必死に窓ガラスを叩いていた。
「マイキが誘拐された!」
レックスの言葉は端的だが、それ以外に説明のつかない状況だった。
動揺したレックスは車両形態からロボット形態へと変形して頭を抱える。
「ど、どうしよう。この写真だけじゃあ居場所もわかんないよ」
レックスが慌てるのも道理だった。画像はマイキの顔がアップになり、背景はわからない。
「待て。数字が打ち込まれているぞ」
トレトマンの言うとおり、件名部分に数字が表示されていた。
「え……何これ? 暗号?」海里とレックスはそろってまるで意味がわからないと首をかしげる。
答えたのは、半ば呆れ気味のトレトマンだった。
「馬鹿者。これは緯度と経度だ。おそらく、この数字が示す場所に、マイキ君がいるのだろう」
そこまで告げた時、ユキヒがふらりと動き出す。
「……マイキの居場所、わかるんですか?」
「あぁ、わかったよ。ここからそう遠くはない」
「誰がマイキを……」
「おそらく、イノベントだろう」
トレトマンの言葉に、全員が救急車に向き直る。
全員の視線を受けても、トレトマンはまったく意に介さず普段どおりにしゃべりだす。
「やり方が稚拙だが、間違いないだろう。それに誘拐した者が人間なら、わざわざ緯度経度なんてまどろっこしいやり方で居場所を知らせては来んよ。これは、地上世界の地理がよくわかっていない、我々ユニオンに理解させる為だ。この方法なら、住所や目印を言われるよりも、ある意味わかりやすい」
「そんな……」
ユキヒの身体は、小刻みに震えていた。彼女も多少はオリジネイターの事情に通じている。だからこそ、イノベントがオリジネイターの組織であるユニオンから離反した一派だと理解していた。
わかっているからこそ、ユキヒの心痛は増すばかり。
相手は……人間ではないのだから。
「落ち着きなさい。私の予想だが、マイキ君に危害が加えられる事はないだろう」
いっそ状況を理解していないのかと疑いたくなるほど穏やかな物言いに、ユキヒは挑むように感情を爆発させる。
「っ、どうして……どうしてそう言い切れるんですか。イノベントって、人類を滅ぼすつもりなんでしょう? そんなのに誘拐されて、安全だなんて……信じられませんっ!」
「最終目的はそこかもしれん。だが、仮にそうだとすれば、逆に今は計画の障害になるような真似は起こさないだろう。もし万が一、マイキ君に何かしてみろ、我々ユニオン側は全力をもってあやつらを殲滅にかかる。そうなっては、今までイノベントが水面下で行ってきたであろう準備がすべて無駄になってしまうからな。それは向こうにとって得策ではないはず」
じり、とユキヒは後退すると、不安定な瞳でオリジネイター達を見つめる。
極限の状況下で、誰を、何を信じていいのかわからず、心が揺れているのだ。
つつけばぽきりと折れてしまいそうなほどもろくなっている様に、トレトマンは強い調子で言った。
「我々は何としてもマイキ君を助け出し、お嬢さんの元へ送り届ける」
「あ、もちろん僕も頑張るからっ!」
場の気迫に口をはさめなかったレックスも声を張り上げる。海里も無表情だったが、むっとわずかに眉を寄せた。
「……マイキは、俺達の事情には関係ない」
「そうだな、関係ない。だからこそ、我々は責任を取らなければならないのだよ」
救急車のエンジンが唸りを上げる。同じく再び車両形態に戻ったレックスもまた、タイヤをきしませて方向転換した。
海里も踵を返す。しかし、後ろから伸びた手が彼の腕をつかんだ。
「私も行きます」
青白い顔で、それでも何かの意思を秘めた声でユキヒは言った。
誰も、何も答えない。低いエンジン音だけが響く場に、不意に「レックス。乗せてあげなさい」と、トレトマンがはっきり言った。でも、と言いかけたレックスを救急車がさえぎる。
「お嬢さんの心中を考えてみろ。それに、置いて行った後でついて来られても危険だ。それなら、おまえさんがしっかり守ってやればいい」
言って、今度は海里に言葉を向ける。
「トラストは、あれで先に行くんだ」
ユキヒも今、気がついたが、広場には救急車と軽自動車以外にもクルマがあった。白と黒の塗り分けが特徴的な車両が、広場の隅にぽつりと置いてある。
「あ……パトカーですか?」
確かに緊急事態だが、海里は警察官ではない。そこで初めてユキヒは、そういえば警察への連絡はどうしようか、と疑問に思った。
「そう、パトカーだ。もちろん、先日のノーマル仕様ではない。あのままだと武器がないのでな、水没して故障した個所を直すついでに改造した」
妙に得意げな様子のトレトマンだった。しかも、さらに情報を追加してくる。
「警察のデータも盗難車扱いになっていたからな、ついでに書き換えた。このクルマは盗難後に発見、大破していた為に廃棄とした。どのみち、完全に水没したから引き揚げたところで使い物にならんかっただろうがね」
堂々とクルマを盗んできたと言い切る様に、ユキヒは弟の窮状も忘れて呆然としてしまう。
「改造って……トレトマン、いつの間に」
「おまえさん達が遊んでいる間にだ」
ふふん、と笑うトレトマンに、ユキヒがおずおずと挙手する。
「あの……盗難車だというのはもう、その……よくはないですが、別にいいです。それより、これを海里さんが運転していたら、いろいろと問題があるのでは?」
「だろうな。だが、私達はオリジネイターだ。擬態にかけては自然界の昆虫にも引けを取らんよ」
やってみせろ、とトレトマンに促され、海里は歩み出てパトカーのボンネットに手をついた。そうやってクルマの情報を読み取り、同時に、これまで見て記憶した車種の中から、このパトカーに近い重量や形状のものを選んでデータを走らせる。
途端、パトカーの表面が波打った。パトライトは内部へ格納され、塗装も全体が白に統一される。それだけの変化で、もう目の前のクルマは普通車だった。
「ふふふ、これなら大丈夫だろう」
なぜか自分の手柄のように自慢しているトレトマンを無視し、海里はクルマに乗り込んでエンジンをかけた。
「……海里さん、運転できるんですか? 」
ユキヒの素朴な疑問に、答えるのはやはりトレトマン。
「できるとも。そこらの人間より上手いぞ。トラストの能力は、何もクルマを使って変形するだけじゃあない。車両に搭載されている、自動操縦装置に同調くらい簡単な芸当だよ」
「そうなんですか……」もはや何がどうすごいのか、ユキヒにはまったく見当がつかなかった。
自動操縦装置は名前のとおり、車両に搭載されている電子頭脳が、走行速度や車間距離を判断して自走する為のシステムだった。十年ほど前に搭載が義務付けられたが、実際に完全自動で稼働できるのは、まだ一部の高速道路だけだった。
他の機能として、飛び出してくる歩行者やその他の障害物を判断して急ブレーキやエンジンを停止させる事もできる。
海里はどうやら、そのシステムに干渉してクルマを動かしているらしい。
「さぁ、我々も行くぞ」
トレトマンに促され、ユキヒはレックスの車内へ乗り込んだ。
マイキは閉じ込められていた。
車両には違いないが、運転席がひどく狭い。座席がひとつしかない上に、ハンドルやレバーが所狭しと並んでいる。窓外をのぞけば、巨大な黄色い腕が後部から伸びているのが見えた。腕の先には、爪のある手が地面に向かってうなだれている。
その黄色い車両は、一般的にパワーショベルと呼ばれる建設機械だった。
さらに窓の向こうには、ブルドーザーやダンプトラックがずらりと並んでいるのも確認できる。
ドアが開かない事に、マイキはため息をつく。懐に手をやっても携帯電話はなかった。あきらめて顔を上げる。
折りたたんだアームの上に、少女が腰かけていた。
アーム上の不安定な場所で足を揺らす少女は、マイキの視線に気がつき、ふわりと微笑みかけてくる。
「閉じ込めてごめんね。でも、外にいるよりは暖かいと思うの」
寒風に少女の髪と服が大きくはためく。赤いワンピースからのぞくむき出しの肩がいかにも寒そうだったが、少女が気にする様子はない。
柔らかい笑みを絶やさないまま、少女は続ける。
「人質を取るなんて、お粗末な作戦よね。昨日のガイアスターと同じだわ」
え、とマイキは顔を上げる。まさかここで耳にするとは思ってもみない単語だった。
「ガイアスター、観てるんだ」
「毎週欠かさずね」
「へぇ……」
同じ番組を見ているという事で、マイキの中で少女に対する心理的な距離が近づく。
だがそれは、警戒を完全に解いた事にはならない。
先ほど、少女は無人のトラックを操り、しかもマイキを片手でつかんで荷台に放りこんだのだ。
自身と大して年齢の変わらない子供にできる芸当ではない。
しかしそのおかげで、マイキは少女の正体を薄々察していた。
「お姉ちゃんは、シン兄の仲間なの?」
「シン? あなたと一緒にいたオリジネイターの事?」
マイキが首肯すると、少女は笑った。
「ずぅっと昔はね」
何がそんなにおかしいのか、くつくつと肩を揺らす。
「シン兄達が言ってたよ、オリジネイターはユニオンと……もうひとつに別れたって」
「イノベントよ。あたしがそう。だから、ユニオンとは敵同士になるわね」
「敵って……戦うの?」
次々にマイキは質問を繰り出すが、少女は邪険にはせず、むしろうれしそうに答えてくる。
「そうね、戦うわ。どちらかが滅びるまで。もちろん、人間もたくさん死ぬわね」
まるでゲームを始めるような気軽さで物騒な内容を口にする少女に、マイキは何も言えなくなる。
漠然とだが、マイキは少女に対して「何か」を感じていた。
はっきりとした言葉にはならなかったが、マイキの中で初めて、人間とオリジネイターの差異を認識する。
マイキは気温とは関係ない寒気を覚え、お守りのペンダントを握った。
「あら」黙ってしまったマイキを見て、少女は小首をかしげて笑う。
「大丈夫よ。今ここで、あなたを殺したりなんかしないわ。だって、大事な人質ですもの」
急に無口になったマイキを、恐怖に襲われたのだと勘違いした少女は、にこやかに大丈夫と繰り返す。
「だって、正義の味方は必ず来るわ」
ほら、と言って顔を上げる。
砂利山の向こうからエンジン音が轟き、砂煙が上がった。
猛烈な粉塵を撒き上げながら砂利山を昇り切ったクルマは、止まる事なく跳躍する。不安定な斜面を跳ねて着地し、大きくバウンドした車体は速度は緩めず走行を続け、石混じりの砂を派手に撒き散らしながら停車する。片側のタイヤが浮き上がるほどの勢いだった。
運転席から現れた海里を見て、マイキが悲鳴じみた声を上げる。
「シン兄っ!」
クルマの方はドアが閉まると同時に、外装が白から特徴的な白黒の塗り分けに変わり、赤いライトが現れる。
海里は声に向かって顔を上げ、パワーショベルの運転席に閉じ込められているマイキを認め、渋面を作る。
何か言いかけた海里をさえぎって、「こんにちは」とのんきな声がかかった。
アームに腰かけていた少女は飛び降り、パワーショベル上に着地した。厚底靴が重い音を立てる。
マイキを背後に、海里と少女は対峙した。
最初に口火を切ったのは、少女の方からだった。
「あたしは、イノベントのシスよ」
まだ幼く、少し舌っ足らずの声が響く。
「……六番?」名前と呼ぶには、愛想のない響き。
海里の反応に、シスと名乗った少女はうれしそうに微笑む。
「そう、ただの六番。イノベントのオリジネイターにはね、名前なんてないの。全員が目的の為に動く駒だから、個人を識別するものは邪魔なの、ユニオンとは違ってね」
いぶかしむ海里に、軽い調子で語り続ける。
「あなたが、シン?」
問いかけに、海里は沈黙する。
身構える様に、シスは呆れたように苦笑した。
「この子を放さない限り、こっちの話は聞いてくれなさそうね」
言い終わると、ばん、と勢いよくパワーショベルの運転席が開く。
「え……?」
マイキは突然の解放に戸惑うが、少女と青年は動かない。仕方なく、そろそろと移動を開始する。ちらりと横目で少女をうかがいながら運転席から出ると、さらにそこから地面までどうやって降りるのか迷った挙句、車体横に着いていた梯子を見つけて安堵の息を吐く。
「シン兄!」
マイキは海里の側まで駆け寄る。海里は少女から視線を外さないまま、短く「向こうに行け。トレトマン達が来ている」と言った。
マイキは振り返りながら、一歩、また一歩と踏み出す。三歩目からは前を向いて走り出した。どの方向に行けばトレトマンがいるかなど、わかるはずもない。だが、マイキは走った。
漠然と、ここにいては邪魔になるのだろうと感じたから。
海里は遠ざかる足音を聴覚で拾いながらも、少女から意識をそらさず、改めて相手を観察する。
人間の顔の美醜は未だに判断がつかなかったが、単純にバランスだけを見れば、少女は整った顔立ちをしている。
だがどこか、嘘のある美だった。
他にも異質な点を掲げればいくつもあったが、海里はそんなものを抜きにして確信する。目の前にいるのは人間ではない。海里自身と同じ存在なのだと。
「待ってたわ」
優しげな目で、シスは海里を見つめる。
「あなたを連れて帰るわ。だって、あたし達はユニオンが深海から出て来るのを、ずぅっと待ってたのよ」
それにね、とシスは瞳をきらめかせる。
「今のあたしはね、イノベントの中でやる事がなくてとっても退屈してたの。だから、ユニオンが来てくれて本当に助かったわ」
こつこつと金属の表面をつま先で叩きながら、少女は続ける。海里の反応があってもなくても構わず。
「組織の中で特に役割がないって、とっても居心地が悪い事よ。来る日も来る日も、何か仕事はないのかってうろうろするだけ。本当に、退屈だったわ」
でも、と区切り、シスは大きく腕を振った。赤いワンピースが動きに合わせて広がり、少女は手を空に掲げる。
「やっと戦える」
喜色と気高さの相まった表情で、一歩踏み出す。冷やかな金属音が始まりを告げた。
「残念だけど、あたしはおしゃべりよりも戦う方が好きなの。人質は返したんだから、戦いましょう。さぁ、早く早くっ!」
興奮した様子でまくし立てる少女と同調するように、パワーショベルのエンジンが唸りを上げた。
大きく振動を始めた巨体を目前に、海里は初めて少女に向けて言葉を発する。
「……イノベントは、何をしようとしている」
意図の広い問いかけには、同じ類の答えが返ってきた。
「悪い事に決まってるわ」
シスはパワーショベルの上をゆったりと歩く。
「だから、あなた達が出て来た」
それが答えのすべてだと、少女は奇妙なまでに余裕のある表情を浮かべる。
「でもね、ユニオンとイノベントが話し合っても、あなた達が何もせずに傍観していても、オリジネイター同士の戦争は、もう止められないわ」
端までたどり着くと、シスは全身で跳ねて振り返る。
「結果が変わらないなら、あたしは戦う!」
ぱりぱりと、乾いた音がシスの周囲で光と共に爆ぜる。青白い火花の中で少女は穏やかで、けれどどこか遠い微笑みを見せる。
「ユニオンとイノベントは絶対にわかりあえない。互いの正義を掲げて戦うだけよ」
光が弾け、閃光の中で少女とパワーショベルの輪郭が崩れていく。一度ばらばらになったお互いは、別のものへ組み換わって立ち上がる。
巨大な腕が近くにあったトラックに突き刺さり、引き抜かれた威力で車両は横倒しになって爆発した。
燃え盛る炎を背景に、影が振り返る。
人の背丈を軽く見下ろすその影は、パワーショベルのアームを背負った人型機械に変化していた。色は元の建設機械のまま、黄色が基本になっている。
赤い光を放つ目に見据えられながら、海里は驚愕と共につぶやく。
「同期接続した、だと……?」
そうとしか思えなかった。
同期接続は機械の固有振動数と同調し、自身も含むすべての構造を変化させて武装する能力。
トレトマンやレックス、他の深海にいる仲間も備わっていない。それは海里だけが持つものだった。
そう、聞かされていた。
「あなたも、後ろのパトカーを使って同期接続したら?」
機械の巨人から、少女の声がする。しかし海里は目を見開いたまま立ちつくすだけ。
「驚いてるみたいね。この能力がユニオンだけのものだなんて思ったら駄目よ。ユニオンがゴーストを知ってるように、イノベントも、あなた達の事をよく知ってるんだから」
高みから見下ろし、シスは始まりを告げる。
「さぁ、戦いましょう」
無邪気な声と共に鋼鉄の足が一歩踏み出す。鈍い音と低い振動が周囲に走った。
海里は震える足下にようやく我に返る。眼前の巨躯から意識は外さず、背後を探った。幸い、乗って来たクルマと大した距離は開いていない。
駆け戻り、シスからは目を離さずに同期接続を開始する。車体情報は先ほど、偽装の際に読み込んでいたので変形が完了するまではものの数秒だった。
白と黒の車体が青白い電光を放ちながら組み換わり、海里を飲み込んで二足歩行のロボットが姿を現わした。
ロボット同士が対峙する。大きさは明らかにシスが勝っていた。お互いが基礎にした車両に差がありすぎるのだ。単純に重量だけでも、パワーショベルと普通自動車では十倍以上も異なる。さすがに全長は十倍も違わないが、それでも大人と子供ほどの体格差があった。
海里が使った車両は、トレトマンによって改造が施されているので、外見は一般的なパトカーだったが、内部構造はまったく別物に作りかえられていた。ナイフやライフル、機関砲が搭載されている。しかし相手の巨体の前ではこれらの火力では力不足だろう。機体を乗り換える必要があると判断し、センサーで周囲を探索する。幸い、ここは工事現場で建設機械が大量に置かれている。シスが同期接続したパワーショベルに引けを取らない大型のブルドーザーやロードローラーが。
先に動いたのは、シスだった。
海里に向かってではなく、彼女の背後に停車している建設機械に向き直り、アームを動かす。
トラックの一台にアームを突き刺して持ち上げ、そのまま水平に放り投げた。勢いのまま飛んだトラックは盛大に砂地を跳ね、それでも止まらず海里に向かって転がってくる。
きわどいところで海里の横を通り過ぎたトラックは、砂利山の腹に頭から突っ込んで止まった。燃料に引火したのか、すぐさま炎が上がる。
くすくすと、泡が弾けるような笑声が聞こえてくる。
「早く機体を乗り換えないと、全部潰しちゃうわよ」
どうやら、こちらの意図はすべてお見通しだったらしい。その証拠に、シスは次々とアームで建機を串刺しにしては海里に向かって投げつける。さすがに重量のある物を投げるので、狙いなどないも同然だったが、建機がひとつ破壊されるたびに、海里が同期接続できる車両が消えていくのだ。
シスはパワーショベルと重量がほとんど変わらないダンプトラックを抱え上げる。
「ほぅら、これあげるっ!」
もはや、ここに展開されているのは戦いと呼べるものではない。その場にあるものを適当に投げつけているだけの現状は、幼児の癇癪と大差なかった。ただ、投げてくる相手と物が、どうしようもなく巨大なのだ。
ダンプトラックが地面に叩きつけられた衝撃だけで、海里は大きくよろめく。さらに爆裂した車両の衝撃波と破片を受けて転倒。
転がりながらも、海里はショットガンを抜き放つと発砲する。
さすがに無理な体勢で撃ったせいで、直撃はしなかった。だが大きく広がった散弾の一部が、敵機の右肩に命中する。
シスの操る機体がのけぞる。
だが、それだけだった。肩の装甲が一部剥離しただけで、巨体は再び姿勢を立て直すと、建機の爆発によって立ちこめる黒煙をかき分け前へ出る。そうやってゆっくりと、未だに機体を起こせていない海里に向かって足が下ろされた。
しかしその時、装甲板の吹き飛んだ右肩が轟音と炎を撒き散らしながら爆ぜた。爆風にあおられ、海里は再び転倒して転がる。ばらばらと落下する金属片が装甲板を叩き、乾いた音が響く。
巨人の右腕部は、肩関節から半ば外れかけていた。
「あらあら……」
シスは大した動揺も見せず、センサーを走らせる。
砂利山の上に、大型ライフルを構えたトレトマンが仁王立ちになっていた。銃口はシスからそらさずにいる。
「せっかく楽しんでたのに、邪魔するなんて気が利かないわね」
返答の代わりに、さらに二発、三発と鋭い射撃が襲う。そのたびに、的だけはとにかく大きな機械の身体は削られていく。装甲板には穴が開き、次々と脱落する。むき出しになった内部構造に向けて、追撃の火線が走った。
舞い上がる砂埃。黒煙と炎。巨人の身体から、がらがらと部品が脱落していく。
さらに追い打ちとばかりに砲火が巨人の中心部に突き刺さる。途端、機体の胸部が大きく弾けた。外側に向かって猛烈な勢いで炎が上がる。一気に広がる濃密な黒煙に、砂利山一帯は急速に視界が悪くなった。
煙に隠れるながら、巨人の背中あたりから、小さな影が分離する。影はくるりと回転しながら斜面に降り立つと、跳ねるようにして砂利山を乗り越えていった。
そうやって影が山の向こうへ姿を隠した直後、機械の巨人は全面的な崩壊を始めた。積み木を崩すように、関節からばらばらになって分解し、金属片とオイルを撒き散らす。両腕とアームが脱落して大きく傾いた機体は股関節が砕けると上半身から折れて二つになり、自身の足だった塊に突っ込んで崩れる。
そこに残されたのはくず鉄の山だけになった。
唯一無傷だったアームだけが、鋼鉄の山上で旗のように突き立っていた。
積み上がった鉄塊にまみれた燃料が何かの拍子で引火し、瞬く間に炎と黒煙が上がる。
「やれやれ、ようやく止まったか」
トレトマンが肩に大型ライフルを担いだ格好で、砂利山の斜面を滑り降りてくる。
「しかし、イノベントは逃がしたようだな」
海里の隣に立つと、トレトマンはどす黒い煙を上げる小山の背後に視線を向ける。
砂利山の向こうには傾いた太陽がのぞくだけで、他に動く存在は何も見えなかった。
とっさに機体を捨てたシスは、その頃には工事現場から遠く離れた場所にいた。
山間の道路をひた走る。必死に逃亡しているという雰囲気は微塵もなく、両腕を大きく広げて駆け抜けるその様は、どこか優雅でさえあった。
しかし実際は、クルマと同程度の速度で走っていたのだが。
「じゃあね、正義の味方さん」
燃え上がるパワーショベルと同じ色のワンピースをひるがえし、少女は夕闇の中へと消えた。
【六番の少女 終】
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