背中合わせに立つ真実②「これからでも、俺は間に合うだろうか?」
天条家を取り仕切っている妻のケイが、現在もっとも力を注いでいるのはルーフバルコニーの改築だった。無機質なコンクリートの床と味気ない囲いだけのバルコニーには木製の床材が敷かれ、同じ雰囲気の木柵がぐるりと囲う。この改造で殺風景だったバルコニーは消え失せ、今は大小の花壇がそこに咲き誇る予定の花を待っている。
海里を木製のベンチに座るように促し、天条はデッキチェアを広げる。この二日ほど雨は降っていないので、バルコニーは乾いていた。それでも、油断するなとばかりに暮れた空には雲がたれこめ、星は見えない。
上着を脱いで脇に置き、ようやく蒸し暑さから解放されて天条はひと息つく。しかし、相対する青年は無表情に床の一点を見つめているだけ。厚地のつなぎを着ているが、不平不満を聞いた覚えはなかった。
(相変わらずか)
海里と会話をしてみようと何度か水を向けてみたが、ほとんど口を開こうとしない。簡単な返事も首を振るかうなずくだけで、声を発することはなかった。
怪我のせいで声帯に支障が出ている可能性を最初は疑ったが、格納庫で黄色い身体の仲間に対し、ぽつりぽつりだが何か漏らしているのを聞いたことがある。
仲間が消えて、彼の言葉も消えた。
海里シンタロウという存在に出会ってから、気がつけば一ヶ月を越えてしまった。いつの間にか季節も動き、梅雨の重い雨から、夏の暑さへと変わりつつある。それこそもう一ヶ月もすれば、雨の方がよかったと空を呪いたくなるような晴天が続くだろう。
時間は過ぎたが、最初の出会いを思い返すと、未だに天条は鉄鎚で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
人工島に立ち昇る黒煙、燃えさかる金属塊。そこから引きずり出された彼の身体もまた、無残な有様だった。
生きているとはとうてい思えなかった。そもそも、この場にいる彼らの存在をどう定義づけていいのかもわからない状況に、混乱は深まるばかり。事態が錯綜している中、焼け焦げた彼の指先が動き、弱々しい声が漏れる。
何を言ったのかは、離れていた天条には聞こえなかった。
だが周りにいた彼の仲間は、その一言で何か悟ったのだろう。全員、動きを止めてしまった。
水に沈んだような重い沈黙。その中、様子をうかがっていた天条はずっと彼を見ていた。
焼け焦げた人体と、露出する金属部分とが奇妙なコントラストを描いている。血がない分、現実感が失われた身体。それでも隣の城崎は恐怖と嫌悪感が隠しきれず、反射的に目をそらしていたが。
天条は逆だった。青年のかすかに震える身体が、伸ばした手のぎこちない動きが、すがりつくものを探しているように見えたのだ。
助けを求めている。
言葉にならない言葉を発する口から、悲痛な叫びが聞こえてきそうだった。
天条の内面が、彼の魂が砕ける音を聞いた気がして、足の裏が鉄板の上で焼かれているような焦燥と苛立ちを覚えた。
救え、根拠はないが、救え。
衝動に突き動かされ、天条は彼の元へと駆け寄った。まともに見えているはずがないとわかっていても、声をかけずにはいられなかったのだ。
『……君が、カイリ・シンタロウか?』
任務も個人的な感情も投げ打って、本能のままに天条は彼に手を伸ばす。城崎の制止の声も、走る彼に動き出したロボット達の姿も視界には入らなかった。
振り返ってみれば、助けよう、などとずいぶん傲慢な考えを持ったものだ、と天条は自嘲する。
(……一人救えば、それで後悔が消えるとでも?)
過去に天条は、子供を事故で亡くしている。当時、自衛隊員として任務に就いていた彼は、特殊な職業上、即座に駆けつけることができなかった。もっとも、事件事態もかなりこみいっていた為、どれだけ速く動いたとしても、間に合う可能性などなかったが。
それでも、子供の遺体を前に、呆然と立ち尽くすことしかできなかった無様さを、彼は未だに忘れることができないでいる。
(……彼を助けたところで、何も変わらない)
それでも、あの時、彼に手を伸ばしたのは間違いではないと断じることはできる。
だが彼に対してできることの少なさに、疲労を覚えているのも事実だった。
「……どうかしたのか」
かかった声に、天条はうつむいていた自分に初めて気がつく。そして、声が聞こえたことにも驚愕した。
顔を上げて視界に入ったのは、どこか不機嫌そうに眉をひそめる海里。だが声に嫌味なところはなく、むしろどう話しかけたものか迷っているのか、どこか落ち着かないそぶりだ。
「話しがあるんだろう?」
「あ、あぁ……。少しぼんやりしていた」
慌てて居住まいを正す天条を、海里は片方だけの目で静かに見返す。
「とはいっても、大したことはない。ちょっと、雑談でもしようと思っただけでね」
「……すみません」
ぽつりと漏れた声。反射や場当たり的な謝罪ではなく、誠実な響きがあった。
迷うような間の後、海里は続ける。
「気を使ってもらっているのは、理解できる」
現実問題、トレトマンに日本へ置き去りにされた海里は身の置き所がなかった。天条が保護してくれなかったら、早々に粗大ゴミの仲間入りだったろう。
それでも、と海里は暗い顔を上げる。
「ずっと世話になり続けることはできない。だから、俺はここを出ようと思う」
海里の言葉に天条は腰を浮かせる。しかし海里は今すぐに出て行くつもりはない、と視線で示す。
「そう焦らなくとも、いずれ君の仲間が迎えに来てくれるはずだ。今は身体のことで問題も多いだろうが、妻なら理解できると思う。私もそろそろ、彼女には話そうと思うのだが」
海里は首を振った。
「話すのは構わない。俺もその方がいいと思う。けど、その件と俺がどうするかは、違うことだ」
淡々と、だがはっきりと話す海里には皮肉も諦念もない。事実だけを告げる声に、天条は呆気にとられてしまう。
だが、無感動と言うほど感情が枯渇している様子もない。目には、自身の考えを告げる一方で、どこか思い迷うような色が揺れている。
それがこの一ヶ月、ひたすら外部との交流を拒絶し続けて考えた彼なりの答えなのだろう。時間をかけ、ようやく話せるようになるまで煮つめ続けたのだ。
当初は、それこそ支えがなければそのまま折れてしまいそうなほどに疲弊していた。不安と恐怖に揺れる顔を、どうにかして前に向けようと何度も天条が手を伸ばしても、かたくなに拒絶されるばかりだった。だが、この変わりようはどうしたものか。一体、何が彼を変えたのか。
いや、と天条はかぶりを振る。
きっと、最初から彼は変わり続けていたのだ。ただその変化が、内にこもりすぎて傍から見れば何も動いていないように思えただけなのだ。
他者に内心を吐露せず、誤解と不信を招いてもすべてを自身の内側に抱えこんでいた彼の苦悩と焦燥を想像し、天条は目を見張る思いがする。
結局、自分にできたことは、彼に屋根のある居場所を提供しただけ。やはり、助けようなんて傲慢で尊大な考えだった、と強く反省した。
「そうか、では、私は君を止めはしないよ。ただ朝起きて、気がついたらいない、というのは勘弁してくれよ」
わかった、と海里は約束する。
次いで、わずかに気まずい沈黙が生じた後、海里は漏らす。
「……俺は、もう何もしたくない、考えたくないって思っていたんだ。でも、そうしたくても、俺が生きている限り……忘れられない……」
何に対しての悔恨なのかは天条には見当もつかない。それでも共感できる部分はあった。
(生きている限り忘れられない)
例え年月が過ぎようとも、一度ついた傷は消えない。表面上はふさがっても、何かの拍子にまたえぐれ、鮮血が滴り落ちる。
ただ、やりすごす方法を身につけ、そつなく受け流せるようになるだけだ。
むしろ海里のように嫌なことから逃げたい、忘れてしまいたいと思うのは自然な反応だろう。しかも彼の場合、未だに血が流れている状態だ。受けた痛みに傷つき、立ち上がろうにも、もう一度、襲ってくる苦痛に耐えるだけの気力が摩耗してしまっていた。
「逃げた俺は、トレトマンに見捨てられた。当然だ。いるだけ邪魔なんだ」
それは違う、と天条は言いかけてやめた。トレトマンの本心は彼にはわからないし、海里が置き去りにされた件は事実だ。
「このままじゃあいけないことはわかってる。けど、どうすればいいのかわからないんだ」
一瞬、海里はためらいを見せた。けれど意を決したように天条を見上げる。相手を突き放そうとするような、助けを求めるような。警戒と拒絶と疑問とがないまぜになった色が、海里の瞳にあった。
「そうか……」
恐らく、彼の中ではすでにその先に至る答えは出ているはずだ。
道は見えているのに、その先に待っているものを勝手に想像して臆病になっている。暗闇にオバケを見る子供のように萎縮しているのだ。
彼はもう、目標に向かって立ち上がっている。後は手を引っ張って、オバケなんかいないと背中を押してやるだけ。
天条は海里の弱さを欠点とは感じなかった。むしろあちこちさまよう様は、微笑ましくさえ思えた。彼は自分で考えて答えは出せても、その答えを堂々と表現できるだけの経験が不足していた。
だから、ほんの少しだけ、経験者の自分が忠告する。
「もう一度、彼らと会うんだ。会って、自分から謝ればいい。それでたいていは上手くいくものだ。自分から行動を起こすことが大事なのだよ」
声をかけると海里は視線を落とし、口を引き結ぶ。
天条はゆっくり立ち上がると、彼の前にしゃがみこみ、両肩に手を置いた。
触れられた海里は、驚いた表情で天条を見返す。
「大丈夫だ、君はまだ全部を失ったわけではない。今は何もないように見えて不安だろうが、本当に大切なものは、例え捨ててしまったように思えても、必ず戻ってくる。君が今までしてきたこと、辛いことや悲しいこと、努力も喜びもすべてひっくるめて、君の元へと帰ってくるだろう。一度は力が及ばずにあきらめたことや、つらかったことも、手放した時に受けた傷よりも大きな幸せになって戻ってくるのだよ」
天条の言葉は、長い年月を経て来た者が持つ重さを持っていた。
「戻って、くる……?」
海里も、時間だけなら今この世界で生きている人類の誰よりも長く存在しているが、人生スパンが大きく異なっている人間と機械知性体では、百年以上生きたところで見た目通りの若造でしかない。だから、天条の言葉を、その言葉を発した彼が今まで歩んで来た道のりも実感が伴わない。想像が追いつかない海里には、天条の語る内容はひどく曖昧で、つかみどころのない夢物語だ。特に強い感銘も衝撃も受けなかったが、戻ってくるという言葉は、海里の中でどこか温かく感じられた。
『あなたは、どんな大人になるのかしら』
昼間、ケイから言われた言葉が、海里の中に不意によみがえる。
彼女が重ねた海里の手は今、傷だらけでほとんど機能していない。何も受け止められない。自分自身も支えられない、ぼろ屑のような身体だ。
だが、それでも、何もできないということを認めるのもまた、必要な行為ではないのか。
海里は動かない手を見ながら言った。
「……俺は、何もできなかった」
支えられている肩が熱い。人間の手は、どうしてこれほどの熱量を持てるのだろうか。身体が熱いから、かけられる言葉も暖かいと感じるのか。
だからその温かさに、すがってみたくなった。
「これからでも、俺は間に合うだろうか?」
自己都合の塊のような願いを、祈るように言葉にする。甘い肯定を返されることを期待しての問いかけに、天条は一瞬、どこかうれしそうに微笑んでから、黙ってうなずいてくれた。
ありがとう、と海里は内心で告げる。
ややあってから、再度口を開いた。
「俺はこの地上で、行方不明になった仲間をずっと探していた……」
アウラ、その名前を声に出すことはためらわれた。空いた不自然な間も、天条は待ってくれる。
「手がかりもなくて、他の仲間は皆、あきらめていたけど、俺だけはと思って捜索を続けていた。けど、もういなかったんだ。あの爆発の時、その事実を突きつけられた」
あぁ、と天条が声を漏らす。彼も爆発の原因を調査したので、何が起こったのか概要はわかっている。
強力な爆発物による破壊。中心には、機械知性体と思しきロボット形態の残骸が二体分あった。
一体は、トレトマンが海里が構築した外装だと説明してくれたが、もう一体に関しては何も答えてくれなかった。その時の天条達では残骸の回収や後始末をするだけの機材や人員が不足していたので、場に居合わせた久檀に応援を依頼した。自衛隊員である彼は、これも国家防衛の為だと笑いながら引き受けた。
(では、そのもう一体が、彼の探していた仲間だったのか)
正確には、中心核のアニマはすでに失われ、あの場で破壊されたのは抜け殻でしかない。だがそれは、機械知性体に関する知識の乏しい天条にはわからないことだ。
「けど、トレトマンは知っていたんだ。レックスもわかっていて、俺に隠していた。俺に言ったところで、聞きはしないだろうと考えて……」
眉根を引き絞り、苦悩する様を天条はどうすることもできないでいる。
ただ、わかっているのは海里は自らが逃げ出そうとしている様々なものに、もう一度向き合おうとしているのだということ。
「そうだ……。俺は……トレトマンの言うことを、認めなかった!」
突然感情を爆発させた海里は、ひどく怒っていた。ずっとずっと、溜めこんでいたものがついに我慢できなくなったように声を張り上げ、天条に挑むように激高する。
「トレトマンも、レックスも、俺に嘘をついていたんだ! 俺はそんなことにも気がつかないで、アウラを探し続けた。絶対に見つけてみせるって思っていた!」
それは本当に唐突な感情の発露で、何の事情もわからない天条は、少し呆然とする。
嘘をつかれた、だまされていた。
悲痛な叫びだったが、天条にはこう叫んでいるように聞こえた。
それでも仲間なのだ、と。
彼らが自分を思って秘密を持ったこともわかる。
理解はできるが、相反する感情が邪魔をし、物ごとを受け入れられないでいる。
仲間の行方と、仲間の死。
どちらも表裏一体で切り離せないものだが、真実とは常に、知りたくもない事実が裏側に潜んでいる。
すべてを知って傷つき、戸惑いながらも海里は未熟な自分自身の心を、精いっぱい奮い立たせて立ち上がろうとしている。その為にも、内側に溜まった泥を洗い流す豪雨のように叫んでいるのだ。
性根の真っ直ぐさ、その力強さに、天条はまぶしいものを見るような気持ちになる。
(彼はもう大丈夫だ)
ただ話すだけのつもりが、いつの間にか立場が逆転している。そんな状況に天条は、困ったような、それでいてうれしいようなくすぐったい気持ちになる。
赤褐色の瞳は、ようやく感情の吐き出す先を見つけ、燃え上がっていた。
落ち着けば、今までとは違う輝きを見せることだろう。研磨された原石が宝石のきらめきを得るように。
この眼がこんなにきれいだと思うのは、この眼が彼の裸だからだろう。不安定さも、誠実さもすべて表している。
「さぁ、まずは彼らと連絡を取ることから始めようか」
明るく告げられた声に、海里もようやく、かなりぎこちなくだが笑い返した。
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