偽り家族の正しさ⑥「せっかくパパが新しいお兄ちゃんを連れて来てくれたんだし、写真を撮りましょう!」
天条の住居は、マンションの最上階にある。千鳥ヶ丘市の中心街からはやや離れているが、利便性よりも治安や、春から小学校に通い始めた娘のことを考えて選んだ場所なので、夫婦ともにおおむね満足している。ただ一点の問題は、彼の職場が現在、中心街をさらに突き抜けた人工島の突端に移動してしまったので、通勤時間が以前の倍ほどかかってしまうところだった。
その一家族が余裕を持って暮らせる3LDKのマンションに、本日は二人の客人があった。
リビングでは、娘のルミネがその客人を相手にはしゃいでいる。
「ねぇねぇ、城崎さん! ルミネね、学校で絵を描いたの」
見て見てと突き出される画用紙は、画面すべてが白い部分を残さず色で埋め尽くされている。城崎はぎこちない動作で四つ切り画用紙を受け取って見つめた。
「……。これは、学校かな」
「うん、そうなの。これ、一年生広場のアザラシ!」
「へぇ、赤色がきれいだね……」
アザラシ、らしい赤い塊が画面の真ん中にどんと描かれ、背後には、校舎と思しき窓の多い建物が描かれている。
「先週、校内で写生大会があったのよ。ルミネがカズマ君に見せるってきかなくって」
陽だまりの猫のように緩んだ笑みを浮かべる母親と、来客に興奮したのか、うれしそうに跳ねまわっている娘に挟まれ、城崎の愛想笑いは限界だった。
反対側のソファに座っている海里は、ぼんやりと視線をさまよわせている。
絵と言えば、とケイはくるりと振り返る。
「引越しで荷物を片付けてたら、カズマ君の昔の写真が出て来たのよ。ルミネも一緒に写ってるわ」
画用紙の次に、写真を突きつけられる。そうこうしているうちに、ルミネが工作の時間に作った、とペットボトルに折り紙や毛糸が貼りついた物体を持ってくる。
「そうだわ!」
ぽんと手を叩き、今度はケイがカメラを持って取って返す。
「せっかくパパが新しいお兄ちゃんを連れて来てくれたんだし、写真を撮りましょう!」
「ルミネもやる!」
何がせっかくで、どのあたりが新しいお兄ちゃんなのだろうか、と城崎は脱力する。そのもう一人の兄認定された海里は、座ったソファから動く様子もない。こちらの会話を聞いているのかいないのか、視線は窓外を向いたままだった。
「さぁ、カズマ君はここに座って。ルミネちゃんは真ん中ね。終わったら、ママも一緒に撮るわ」
城崎は無理やり海里の隣に座らされ、その間にルミネが入りこんでくる。拒否権を発動する前に、少女に腕を引かれてしまい、彼は観念した。
この一家に、城崎は出会ってこのかた勝てたためしはない。むしろ最初から負けっぱなしで、近頃はこうして、さっさと抵抗を放棄し、引き分けに持ちこむのがせいぜいだ。
急きょ始まった撮影大会に城崎は悟りきった無表情で応じ、海里は、よくわからないまま硬直していた。
場の空気が臨界点寸前まで膨れ上がったところで、主人である天条がリビングに現れた。制服から部屋着に着替えた彼は室内を見渡すと、すかさず判断を下す。
「ケイさん、ルミネ。来て早々、そんなに振り回しては彼らも疲れるだろう」
「あらいけない。そうね、特にシン君は怪我人ですものね」
弛緩した声でふにゃふにゃ笑いながら、彼女は夕食の準備があるから、と台所に消えた。ルミネも、お手伝いする、とくっついて行く。
カウンターキッチンの向こうから、すぐに鼻歌が聞こえてくる。そうして台風が過ぎ去ったあとのリビングでは、残された三人が顔を突き合わせた。
「……大丈夫かね」
ぐったりとソファに沈みこんでいる二人に、天条は抑え気味に声をかける。
「相変わらず、二人ともお元気そうですね」
「日本に戻ったことで、少々羽目を外しすぎているきらいはある。今度、注意しておくよ」
それには及ばない、と城崎は首を振る。母娘の強引さには辟易しているが、拒絶するほど不快に感じていないのも事実だから。
「カズマ君の昔の写真、シン君も見てよ。今の真面目君と違って、本当に悪ガキそのものって感じだから」
カウンターの向こうから、ケイがテーブル上にある冊子を示す。
「……やめて下さい……」
親しみをもって接してくれるのはうれしいが、その反面、過去を知られているのは、時に非常にやりづらいこともある。
「……帰ります」
言って、城崎は溜息と一緒に立ち上がる。しかし即座に天条が止めた。
「待ちなさい、もう少し時間はかかるが、夕食を一緒にどうかね」
「いえ、自分は彼をここに送り届けるのに着いてきただけですので」
「妻は君が食べて行くと考えているようだが」
パスタらしい、と天条は視線で台所を示す。食べ物につられたわけではないが、城崎はもう一度腰を下ろした。そうして、天条の顔を真正面から見据える。
「……大佐、先ほども訊きましたが、彼のことはご家族にはどう説明するつもりですか。まさか、食べもしない飲みもしない人間を、何日も留め置く気でいるのですか?」
正体を知っている彼らは、海里が通常の人間と同じ食物を必要としないことはすでに周知の事実だ。だが、何の事情も知らない者から見れば、食事をしない彼は奇異に思えるだろう。当然、生理現象もないので、この状況下で居候を許せば、一日もかからずに不審の眼差しを向けられるのは間違いない。
「あの人は勘が鋭い。ほんのささいな情報からでも、真実に近い場所まで推測する可能性は大いにあります」
「……君の言うことはよくわかった。ひとまず、彼の分の夕食に関しては、言い訳をしておくよ」
言って、天条は立ち上がると台所へと向かった。
海里は明日の早朝から病院での検査が控えているので、夕食と明日の朝食は不要。
お粗末な言い訳だったが、ひとまずケイは納得したらしい。飲み物も駄目なのかしら、という問いかけに、天条は水のボトルを海里に渡した。もちろん、飲めないのはわかっている。後で洗面所に中身を捨てるように指示する。
料理が次々と台所から運ばれてくる。テーブルの上はすぐ皿でいっぱいになり、食欲をそそる匂いが立ちこめる。
「でも、お腹が空いてる人の前で食べるのは、気がひけるわね」
グラスを並べながら、ケイは緩んだ表情のまま、どうしましょう、と口だけは困ったようなことを漏らす。
「そうだ、シン君!」
呼ぶと、海里は顔を上げる。
「今のうちにお風呂に入ってらっしゃいな。怪我をしていても、顔や手足を洗うだけで気持ちいいわよ。あ、パジャマも用意しないとね!」
恐らく、言われていることが理解できないのか困惑の表情を浮かべる海里をケイは立たせ、浴室に向かって彼を押し出す。天条が手伝おうか、と言ってついて行こうとしたが城崎はそれを制す。
「彼も他者に『裸』を見られるのは、嫌がるでしょう」
リビングから出た海里と、城崎の冷淡な突っこみに、天条はしばらく迷った後、後者を取った。
「城崎さーん! これ見て、見てっ!」
また城崎に見せる何かを部屋に物色に行っていたルミネが、匂いを嗅ぎつけたのか、どたばたと再び登場する。
皿が並ぶと全員が席に着き、食事が始まる。
「お兄ちゃんは食べないの?」
ルミネの問いに、城崎は怪我をしているからね、とそっけなく答える。
「カズマ君は、二人分食べてもいいのよ」
おかわりあるからね、とまだ半分も減っていない皿を示される。ありがとうございます、と城崎は言いながら視線を流した。
「美味しいです」
よかった、とケイは微笑む。
「ミートソース、日本の物を使うの久しぶりだったから、味付けがよくわからなくて」
「ママ、美味しいよ!」
口の周りがトマト色になっている娘の様に、ケイはのんびりと笑いながらウェットティッシュに手を伸ばす。
美味しい、と城崎は素直にそう思っていた。オーストラリアでも日本でも、ケイの作る料理は普段の食生活が貧相な彼にはどれも贅沢品だった。
「やっぱり、男の人はよく食べるわね。シン君も、明日は一緒に食べられるかしら」
独白に、彼らは何も答えずにパスタを口に入れる。
明日も明後日も、彼はケイの手料理を食べることはないだろう。
胃袋を満たすことで、一時忘れていた苛立ちが、城崎の中によみがえる。
食事が終われば、そのまま海里を浴室から引っ張り出して、この平和な家庭から連れ出してしまいたかった。
五分後、浴室から大きな物音がしても、彼は片眉をわずかに上げただけだった。
【偽り家族の正しさ 終】
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