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深海の異邦人

深海の異邦人



 沖原ユキヒの目の前には、携帯電話に似た機械が置かれている。二つ折りで、液晶画面やボタンがあるところなど、本当によく似ている。だが、通話やメールにカメラ。もしくは音楽を聴くためには使えないだろう。

 もっとも、通話だけはある意味、今やっているのだが。

「我々オリジネイターのことは、理解してもらえただろうか」

 機械の向こうから、落ち着いた男性の声がする。だがユキヒには、何を訊かれているのかまるで頭に入ってこなかった。

 それもそうだろう、この声は「宇宙人」からの呼びかけなのだから。

(日本語、上手ねえ……勉強したのかしら?)

 人というものは、切迫した状況に置かれると精神の負荷を少しでも和らげるために、思考を別方向へ持っていこうとする。要するに、現実逃避だ。

 無理もない話だろう。彼女は実際、相当程度ストレスのかかった状態だった。

 住んでいる町が巨大ロボットに襲われた。

 ようやく復興の兆しが見えたと思ったら、弟が救急車にさらわれた。

 走り回ってようやく弟を見つけた先では、ロボット同士が戦闘を繰り広げていた。

 一体のロボットが放った閃光の衝撃波で、ユキヒ自身も吹き飛ばされた。

 そして現在。自宅に戻った後、ロボットから事情や正体を説明してもらっていたのだが、あまりのことに脳が与えられた情報の受け入れを拒絶してしまっていた。

 ユキヒは無言で眼鏡を外す。途端にフィルターがかかったように視界がぼやけ、はっきりとした輪郭を失った現実に、ほんの少しだけ安堵の息を吐く。

「ユキ(ねえ)……?」

 隣で袖が引かれる。だが、ユキヒは動かない。茫洋とした視線で遠くを見ているだけ。

「ユキ姉ってば!」

 声と同時に強く身体を揺さぶられ、ユキヒは顔を上げて瞬きをする。

「あ……」

「大丈夫?」

 弟のマイキが不安そうにこちらをのぞきこんでいた。

 そう、いくら現実を拒絶しても何も変わりはしないのだ。

 ユキヒは大きく息を吐いて吸いこむと、「平気よ」と日常的な声を発して笑ったつもりだったが、うまくいったかどうかはユキヒ自身にはわからなかった。

「ふむ、混乱するのも無理はないだろう」

 携帯電話もどきからの声は続いている。いや、これは携帯電話ではない。宇宙人が彼女たちとコミュニケーションを取りやすくするために渡した、一種の通信端末だった。宇宙人の本体は、自宅の前庭とガレージにそれぞれ一体ずついる。ロボット形態からクルマに変形した宇宙人は、ユキヒたち姉弟を自宅まで送り届けた後はそこに収まっていた。救急車になった白いロボットがあれこれと指示を出し、海浜公園の浜辺で砂まみれになって動けないでいるユキヒを、寒いからと自宅へ送ることを提案した。実際に送ってくれたのは救急車ではなく、黄色い軽自動車の方だったが。

 ユキヒは宇宙人が変形したクルマに乗って、ここまで戻ったのだ。

 変形といっても、内装や座席はきちんとしたものだった。ただ、ハンドルを握っても、こちらの意思通りには動かず、自宅への道のりを指示するマイキの声に合わせて右や左に走った。

 そこまでの経緯を思い出し、ユキヒは息を吐くと眼鏡をかけ直して顔を上げる。

 彼女たちがいるのは、二階まで吹き抜けになったリビングだった。目の前のテーブルには、端末とココアの入ったカップが二つ。クッキーやチョコレートもある。これらを用意したのは弟だった。ユキヒにはもう、動く気力がなかったのだ。

 ぼんやりと照明器具を眺めてから、右手にある掃き出し窓に顔を向ける。そこから見える庭には、黒いクルマが止まっていた。もともとは白の救急車だったのだが、目立つからと言って車体色を一瞬で変えてしまった。光学迷彩で、表面色を光の屈折率を変えて変化させていると言われたが、これまたユキヒには理解できない。もっとも、変えたのは色だけなので、赤色灯は残っている。

 救急車ロボットは、トレトマンと名乗った。端末でしゃべっているのも彼だ。ガレージにいる軽自動車はレックス。もう一人、ユキヒと同年代の青年トラストは、足を治療するため、トレトマンの車内にいる。トレトマンいわく、彼がいたところで説明なんて難しいことはできないから邪魔だそうだ。

(治療しながら話すなんて、器用ね。ロボットで宇宙人だから、それくらい簡単なのかもしれないわ)

 ユキヒは、妙なところで納得した。

「大丈夫かね、お嬢さん。突然にこのような話をされて、信じられないという心情は充分に理解できますよ」

 その器用なロボットに心配され、ユキヒは我に返った。息を吐きながらスカートのしわを伸ばして居住まいを正し、改めて端末に向き直る。

「そう、ですね。確かに途方もないお話です。あなた方が機械のエイリアンだということがまず驚きですが、その……人間が絶滅の危機だということにも……」

「絶滅、とは少々違うかもしれませんが、とにかく地球人類が狙われているのは間違いありませんよ」

 声は落ち着き、理路整然と話す。だが、録音された案内放送じみた平板さは感じられず、ユキヒ自身、ともすれば、人間の年配男性と話しているような錯覚を覚える。

「実をいえば、我々はその件について調査をするため、深海からこの地上世界へやってきたのですよ」

「人間を狙っているって……誰が、そんなことを?」

「イノベントと呼称する組織です」

 二秒ほど間が空いた後から続く言葉には、どこか苦いものが含まれていた。

「そんな馬鹿げたことを思いついたのは、我々と同じオリジネイターでね。我らの始祖オリジンは、地球に飛来してのちに自身の分身を創造した。生み出された子供たちは、深海に都市を形成して暮らしていたが……長い年月の間にそれぞれの派閥に分裂した。分派した者の一部が深海都市を出て、イノベントと名乗るようになったのですよ」

 トレトマンの話に、姉弟は口をはさむこともせず、息をつめて聞きいる。

「対立の原因は、思想の相違というやつでね。当時の地上はすでに人類の歴史が始まっていたが、あやつらは人類社会への進出を目論んだ。数を増やしつつある人間を排除し、自分たちが地球上を席巻しようと思い立った。我々は、かつての同胞の暴挙を止めなければならない。人類を滅ぼすという、悪夢のような行為を」

 ユキヒはじっと端末を見た。説明された途端に、また次のわからないことが出てくる。

「滅ぼすって、どうやって? この前のロボットを使うんですか?」

 三日前に現れたロボットは、瞬く間に千鳥ヶ丘市の一部を完全な廃墟にしてしまった。窓外にはまだ薄くたなびく煙が見える。

「いや、それは違うだろう。ゴーストはイノベントが作った兵器には違いないが、目的のための先兵にすぎないはず。人類社会に混乱を投じる小石でしかない」

「小石って……あんなものが?」

 ユキヒは思わず口元を押さえ、息をのむ。たった一体の攻撃で、どれだけの被害を被ったのか。こうしている間にも、死者は増え続けているというのに。

「もっと大きな石は、すでに投げ入れられていると我々は考えている。だが、規模が大きいのと、石自体が透明なため、何をしようとしているのか把握できていないのが現状でね。先日の件は、君たちにとっては不幸なことだったが、あやつらにとってもミスだったのだろう。あの暴走行為のせいで、ユニオンはイノベント側の悪意を完全に認識した」

「……もっと大きな石って、何をするんです?」

 聞きたくはなかったが、尋ねずにはいられなかった。

 端末は、ほんの少しの間、沈黙していた。

 返ってきたのは、少々心もとない声。

「さて、それを探るために我々が偵察にきたのだ。イノベントがどうやって人類を地上から消し去ろうとしているのか、その計画をね」

 表情はもちろん見えなかったが、淡々とした声を届ける端末を、ユキヒは呆然と見つめていた。まるで患者に病状を説明する医者のようだ、と、まるで関係ない感想が浮かんだ。

 同時に、ユキヒの中に頭上からミサイルが飛来するという妄想が浮かび、思わず身震いする。

 地球上では現在も紛争は絶えないが、世界大戦と呼ばれる大規模なものは、もう百年ほど起こっていない。ユキヒの妄想も、戦争映画や昔の映像から想像したにすぎなかった。

 だが、どうやらその想像がある意味、現実になろうとしているらしい。

(そんな……戦争が、起こるの? 機械のエイリアンと人間が戦うの?)

 それこそ、ハリウッド映画ではあるまいし、と思った。

 ユキヒの混乱は、弟の声で中断される。

「あ、兄ちゃんだ」

 窓外には治療が終わったのか、救急車の後部から青年が出てくるところだった。

 左足の着衣は破れたままだったが、そこからのぞく皮膚はきれいに治っている。

 トラストと呼ばれる青年は、日本人、というか、東洋系の顔立ちで二十歳ほどに見える。こちらに視線を向けたが、愛想笑いのひとつもする様子はない。眉間にしわを寄せ、黙りこんだままだ。

 トレトマンの話によれば、彼もまた、オリジネイターという機械エイリアンらしい。

(見た目だけじゃ、全然わからないわね)

 ユキヒ自身、青年の内部が機械で構成されているのを見ていなければ、とても信じられなかった。

 外はすでに日が傾き始めている。今日は雨も降っていたので、室内と外との気温差で窓が曇りはじめていた。トラストは身を縮めるような寒さの中、立っているだけで室内に入ってくる様子はない。

 それどころか、無言のまま踵を返す。

「あ、待ってよ!」

 前庭を横切って出て行こうとするトラストを見て、マイキが慌てて立ち上がる。コートとマフラーをひっつかみ、ついでに食べさしのチョコレートもポケットにつめている。

 ユキヒはその光景を、黙って見ていた。弟を止めるべきだろうとは思ったが……思っただけで、現実には声を出すこともしなかった。

「マイキ君、端末を……私も連れて行ってくれ」

 端末からの声が、出て行こうとするマイキに呼びかける。弟が機械をつかみ、走って出て行くのをユキヒはただ見送った。



 冬の日暮れは早い。まだ四時を回ったばかりというのに、すでに日が落ちかけていた。しかも降り続いていた雨が熱を奪い、気温まで一気に下がっていく。

「……兄ちゃん、どこ行ったんだろう」

 マイキは指先をこすり合わせながらつぶやく。残念ながら、コートのポケットに手袋は入っていなかった。

「そう遠くへは行かんだろう。まだそのあたりをほっつき歩いとるよ」

 手袋の代わりにポケットに入れた端末からは、トレトマンの声がする。

 と、今度は別の声が割って入った。

「トラスト、一人で行かせてよかったの?」

 トレトマンと同じく、沖原家で待機しているレックスからだった。

「あやつも、ようやく足が治って自由に動けるようになったから、色々と見て回りたいのだろう。調整も兼ねて動いた方がいい」

 マイキはオリジネイター同士のやり取りを何となく聞きながら、あたりを見回す。通りには、マイキ以外に誰も歩いていない。このあたりの地域はロボット襲撃の直接的な被害はなかったが、停電や断水は続いている。薄暗くなっているのに明かりの点かない区画がいくつもあった。

「君のお姉さん、かなりショックを受けていたようだね」

 まっすぐに歩いていると、トレトマンがマイキに言った。

「そりゃあ……いきなり人類が滅びるって言われたら、無理ないよ」

「君は、驚かないのかね?」

 えっ、とマイキは声を漏らす。答える言葉に迷った。

「うーん……難しいことはよくわかんないけど、兄ちゃんたちが人間とは違うっていうのはわかる。だから……何となく、わかった気がする」

 九歳のマイキには、世界や人類の滅亡などテレビアニメや映画の向こうにある話で、まるで現実味がわかない。いくら考えてもそれがどれほどの危機なのか、理解はできなかった。

 それでも、人間とは異なる者たちがやって来て、「人類が狙われている」と目の前で言われた今は、テレビとは違う何かが現実に起こっていることだけはわかった。

「君はいい子だ」

 声にはにじむような笑いがあった。

「我々の話を真剣に考えてくれているのだね。地上に出てすぐ、君のような人間に会えてよかった」

 トレトマンの、静かに言葉を繋げる話し方は会った当初から変わらないが、マイキは何となく、相手の口調から角が取れたような気がした。もしかすると、今までは何かと気を張っていたのかもしれない。

「これならトラストも、少しはやる気になるかもしれん」

 次に出た言葉は、半ば独り言のようだった。事実マイキが「兄ちゃん、やる気ないの?」と突っこむと、端末の向こうからの声が少々泳いだ。

「うむ……まあ、不真面目なやつではないんだが……」

 そう前置きをしつつ、トレトマンは続ける。

「トラストは、今回の調査に乗り気ではないのだよ。有り体に言えば、あやつは人間嫌いでな。地上に出ることも、別の目的がなければ了承しなかっただろう」

 マイキは驚いた。そして、衝撃を受けた自身にも驚愕する。それだけ、意外な事実だった。

「……兄ちゃん、何で人間が嫌いなの?」

 テレビアニメや特撮の主人公たちは、地球や人類を悪の手から守ろうと戦っていた。だからというわけではないが、マイキも無意識のうちに、トラストもまた、使命感に満ちてやってきたのだと考えていたのだ。

 マイキが衝撃を受けていることがわかったのだろう、トレトマンの声も自然と渋くなる。

「マイキ君、地上の偵察にやってきたオリジネイターは、我々が初めてではないのだよ。もう何度か調査隊を派遣しているし、地上世界の情勢を知るために、様々な手段を使って情報を集めてきた。だが、調査は観光旅行とは違って危険も伴う。前回の調査では、地上に出たオリジネイターからの連絡が途絶えてしまったのだ。今のトラストは行方不明の仲間を探すことしか頭にないのだよ」

 マイキは黙って次を待つ。今の話では、人間嫌いの原因には繋がらない。トレトマンも淡々と話を続ける。

「トラストは行方不明者を探すため、深海都市に保存してある膨大な資料をあさって地上世界のことを調べた。そうしているうちに、気づいてしまったのだよ。地上世界にあふれる争いの多さに。同じ種族同士が肌の色や言語、文化の違いから互いを差別し、命を奪いあうという現実に」

 戦争、マイキは口中でつぶやき、反射的に胸に下げてあるペンダントをつかんだ。

「……人と人が戦うから、兄ちゃんは人間が嫌いなの?」

「オリジネイターは……少なくとも、深海都市にいる連中は争わないからな。だからあやつは、小競り合い程度は目にしても、戦いというものを知らないのだ」

 もっとも、深海都市は狭すぎる世界だから争いようもないのだが、とトレトマンは独白する。

「だが、今は状況が違う。同胞を止めるという建前はあるが、現実問題、戦いは避けられない。近い将来、オリジネイター同士の戦争は始まってしまうだろう」

 これから、戦争が起こる。

 改めてそう聞かされて、マイキは落ち着かない気分になった。この数日で二度もロボット同士の戦いを目の当たりにしたが、この前置きは、何となく重い。

「だからこそ、トラストが偏った思想にとらわれたままでは任務に支障をきたす恐れがあるのだよ。それに、あやつが見ているのは人間のほんの一部だ。本質ではない」

 トレトマンはぼやいたが、それには耳を貸さずにマイキは不安に揺れる声をこぼす。

「……兄ちゃん、僕を助けてくれたけど……本当は僕のことが嫌いなの?」

 声は、わずかに震えていた。

「人間がそういうひどいことをするのは知ってるよ。でも、だからって、人間全部を嫌いになるなんて……」

 マイキにも、差別や争いの意味はわかる。少年の前にも多かれ少なかれ、そういった壁が立ちはだかる時があるからだ。

 たとえば、流行りのゲームを持っていないことや、クラスで一番背が低いこと。そんな些細なことでも子供たちは集団になって少数側を攻撃する。もちろん、本当の戦争と異なることはわかっていたが、マイキには日常に起こるそれらの方が、はるかに強く「戦争」を実感できた。

「君の言う通りだよ!」

 跳ねるような声がする。それまで沈黙していたレックスだ。

「特定の誰かが嫌いなんじゃなくて、人間だから嫌いだなんて、そんなのおかしいよ」

 差別だ、心が狭い、と端末の向こう側の声は騒がしい。

 トレトマンは静かにしろと一喝してから言う。

「そう、おかしい。だからあやつは馬鹿なのだ。もっともっと、様々な事を学ぶ必要がある。マイキ君、トラストは馬鹿で小心者なのだよ」

 だが、とトレトマンは一度そこで言葉を切る。

「言いかえれば、愚かしいほどにまっすぐだとも言える。都合のいい頼みだとは承知しているが、あやつとは気長に付き合ってやってはくれんか。勝手ばかりするやつだが、我々の兄弟で、大事な仲間なのだ」

 言い方は悪いが、それでもトレトマンやレックスの声音から、彼らがどれほどトラストのことを思っているのか理解できた。

 だから、マイキは自然とうなずいていた。

「うん、わかった」

 頼まれたからではなく、マイキは自分から彼らと友達になりたいと思った。

 気温はますます下降していたが、胸の中は熱くなっていて、マイキはふっと肩の力を抜いた。端末の向こう側の相手も気が抜けたのか、笑声が聞こえる。

 互いに屈託ない声で、しばらくの間、笑いあった。

 ほんの数分前まで、まるで世界の終わりがきたように重苦しい雰囲気だったことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 そこでふと、マイキは気づいたことを尋ねる。

「兄弟って、おっちゃんと兄ちゃんは兄弟なの?」

「そうだとも。レックスも兄弟だよ」

「似てないね」

 率直な感想だった。トレトマンとレックスは兄弟と言われても納得はできるが、トラストは人間にしか見えない。

「まあ、兄弟と言っても、人間とは少々意味合いが違うがね」

 端末を出してくれ、と、トレトマンに言われてマイキはポケットから機械を取り出す。ぱっと明るくなった液晶画面には、人体の骨格標本に似た図面が映し出される。だが、図面のものは人間よりも人工的な雰囲気があった。それもよく似たものが二体分、同じ大きさで並んでいる。

「これは?」

 マイキはよくわからずに首を傾げる。

「右がトラスト、左がレックスの中身だ」

 けろりとした声が告げる。

 マイキの方は驚愕の声を上げた。

「え? これってロボットじゃんか!」

「そう、君の知識にあるロボットのようだろう。それに、その二体の構造は、よく似ていると思わんかね」

 言われて、マイキはうなずく。

「トラストも外見は人間同様だが、人工皮膚をはがせば内部構造は私たちと同じ、機械だよ。今の外装は、私が地上任務のために作ったものにすぎない」

「兄ちゃん、本当にロボットなんだ……」

 確かに、傷を負った足の内部からはケーブルや金属がのぞいていた。そのことは心の隅に引っかかっていたが、特に意識はしていなかった。改めて青年は機械でできていると告げられ、胸の鼓動が少しだけ高まっていることにマイキは気づいた。

「ロボットと言っても、オリジネイター全員が機械知性体というだけの話だよ。人間の肉や骨などが金属でできている、その程度の違いだ」

 トレトマンの話はマイキにとって未知の知識で、寒さも忘れて聞き入った。それに、ひとつの疑問が晴れると次の質問が出てくる。

「おっちゃんは、兄ちゃんみたいに人間っぽくはならないの?」

 トレトマンもまた、知識を披露することが楽しいのか、話す声もテンポがいい。

「いい質問だ。結論からいえば、私やレックスはトラストのような人間形態の外装は持っていない。今の救急車が地上世界で行動するための擬態で、ロボット形態が本当の姿だよ」

「じゃあ、兄ちゃんも本当の姿はロボットなの?」

 マイキの頭の中に、パトカーと合体したトラストの姿が浮かぶ。

「それも好ましい質問だ。だが、この答えは少々難しい。トラストは我々オリジネイターには違いないが、特殊でね。あの人間形態が本当の姿でもあり、擬態でもある。君が見たロボット形態は、変形や偽装ではなく、武装に近いだろう。あやつは機械の持つ固有振動数と同調して構造を変え、自身の手足として動かせる能力がある。私はその力を、同期接続(リアクト)と呼んでいる」

「兄ちゃん、すごいんだ」

 マイキは素直に感嘆する。トレトマンの話す能力がどの程度強力で稀少なのかはまるで見当がつかなかったが。

「能力の差や姿が違っても、我々は同じオリジネイターだよ。私もトラストも、同じアニマを持っている」

「アニマ?」

 またもやマイキにはわからない単語だった。

「魂と呼ぶべきもの。我々の生命の根源。この機械の身体は、人間でいえば服と同じなのだよ。傷ついたり壊れたら交換はできるが、アニマはそうもいかん。アニマを失うということは、死ぬことと同じだ」

「へぇ……」

 マイキは熱い息を吐く。

「ここからは、私の個人的な考えなのだが……」

 トレトマンは周囲をはばかるように、少し声を抑える。

「我々は仲間の暴挙を止めるためにきた。それが第一の任務であることに変わりはない。だが、トラストには任務と同時に人間としての生活もさせたいのだ。あやつが人に似た外装を持っているのは、地上世界にいても不自然に思われないためのものだが、逆にいえば、それだけ人に近ければ、人に混じって暮らすことも可能だ。あやつには深海都市では得られないことを、この任務を通じて学んで欲しいのだよ」

 トレトマンは常々トラストに勉強しろと言い続けているが、表面上の意味だけではなかったのだ。

「オリジネイター同士の戦争の結果はともかくとして、我々の存在はいずれ人間に認知されるだろう。そうなった時、居場所が必要になる。外装が人に近いトラストなら、受け入れてくれる場所もあるだろう。君のように親しくしてくれる人間は、他にもいるはずだからね」

「うん、そうだよ。僕だったらおっちゃんみたいな友達ができたら自慢するよ!」

 早く学校が再開しないかとマイキは思った。そうなれば、この不思議で素敵な友達のことをクラスの皆に紹介できるというのに。

「学校ね。それも興味深いが、我々は一応、秘密任務できているので、残念だが辞退させてもらうよ」

 あっさり言って、トレトマンは笑った。

「そっか、秘密ならしょうがないよね」

 マイキも笑い返す。

「いずれ、しかるべき時がくれば我々の存在は表に出るだろう。しかしその前には障害がいくつもあってね。オリジネイターが地上ではなく深海を居住空間に選んだのは、君のいうロボット的な巨体も原因のひとつだ。マイキ君も見ただろう、ゴーストが暴れるのを。イノベントの兵器だが、機械の巨人という点だけを見ればオリジネイターと変わらん。そんなのが地上をうろうろしてみろ、邪魔で仕方がなかろう」

「恐竜と人間が一緒に暮らしてるような感じ?」

「それが一番近いな」

 ただし、恐竜より頭はいいぞ、と付け加えるのは忘れない。

「それだけ違えば、いきなりお互いに手を取り合って仲良くとはいかんよ」

「そう……そうなのかな? だって、おっちゃんは僕と仲良くしてるよ」

「君は私の話を真摯に聞いてくれた。だからこそお互いの間に共感と理解が生まれたのだ。だが、悲しいことに人間すべてが君と同じ考えではないのだよ。それに、オリジネイターもまた、全員が人間と共にありたいとは思っとらん」

 それも、マイキにしてみれば意外な言葉だった。人間も一人一人考え方は違うものだが、オリジネイターという種族もまた、そのあたりはどうも人間的らしい。

「ユニオンの総意ではないにしろ、イノベントが地上世界に台頭することだけは止めなければならんのだ。あやつらがどうやって人類社会を抹殺しようとしているのかは未だにわからん。だが、そこを調べんことには始まらんからな。対話か全面戦争かは、それからの話だ」

 言って、トレトマンは解説を締めくくった。

 トレトマンの話は、マイキを呆然とさせるものだった。一度に大量の説明を突きつけられ、頭の中はすでに飽和状態だったが、それでもマイキは間を繋げるように尋ねた。

「オリジネイターって……深海に住んでるんだよね」

 マイキは顔を上げる。話しながらも歩みは止めていなかった。左手側、坂の向こうへ視線を向けると、曇天の下に水平線が見えた。

「そう。深海三八〇〇メートル付近の海溝に、我々の深海都市がある。光の届かない、暗黒の世界だよ」

「僕も行けるかな?」

「君が望むなら、連れて行こう」

「ほんと?」

 マイキは目を見開いて驚きをあらわにする。

「ただし、君のお姉さんの許しをもらってからだがね」

「そんなー」

 喜び一転、しょぼくれたマイキをトレトマンが笑う。

「そう言えば、君たちのご両親の姿が見えなかったが」

 自身の家族のことを突かれ、マイキは渋面を作る。少年の家庭は一般とは少々違うので、話すのは苦手だった。

「父さんは仕事で海外。母さんは……僕が生まれてすぐに死んじゃった」

 簡単に、最低限のことだけを言ってマイキは胸のペンダントを握る。

「……その飾りだが、何かあるのかね?」

 何度も繰り返す動作がトレトマンの興味を惹いたらしい。今さらだが、端末にはカメラがあって、こちらが見えているようだ。

「え? これ? ユキ姉がお守りだから持ってろって」

「よく見せてくれんか」

 言われるままにマイキは液晶画面の上にペンダントをかざす。端末から光が照射され、蒼い石は複雑にきらめく。

「ふむ……そうか」

 解析が終わり、光も消える。

「マイキ君、これはお姉さんにもらったものなのだね」

「そうだよ。でも、これって何なの?」

 マイキは言ったように、姉からは、お守りだからなくすな、としか聞いていない。

「ヒュムネ・ベルだ」

「ベル?」

 今日は一体、何度質問する羽目になるのだろう、マイキはうなった。

「オリジネイターは、アニマが滅びるとそれまで放出されていたエネルギーが収束し……要するに、魂が肉眼で見える形になる。それがこの、始まりと終わりの旋律だよ」

「これが……」

 マイキは蒼い石を眼前に掲げる。石は半透明で、内部には星のような輝きがいくつも見えた。

「どうやら、欠けているようだがね」

「じゃあ、これがおっちゃんたちの魂ってこと?」

「命が潰えた後の、残りものだよ。人間でいえば、形見に当たるだろう」

「トレトマン。ベルって、もしかして……」

 狼狽した声が端末から発せられる。

 落ち着け、と言ってから続けるトレトマンの口調は、ひどく平板なものだった。

「かすかだが、アウラの波長が残っている。そして、ヒュムネ・ベルがあるということは、アウラはすでに……」

「そんな、何かの間違いだよ!」

 レックスは語気を強める。苛立ちを隠そうともしない様子だった。突然の変化にマイキは戸惑う。何か、彼らにとって尋常でないことが起こったことは理解できたが、何も言えない。

 マイキが気圧されて黙りこんだのを見て、トレトマンはすぐに場を取り繕う。

「すまんのう、マイキ君。いきなりのことで驚いただろう」

「え……うん、ちょっと……」

「先ほど、調査に出た仲間が行方不明になったと言っただろう。そやつがアウラというのだよ」

「トラストも僕も、ずっとアウラを探していたんだ。トラストなんて怪我をした足を引きずってね」

 だから神経構造が断裂して、予備回路も死んでしまい、さっきは散々だったとぼやく。

「どうやら、あやつはベルが発するわずかな波動を頼りにアウラを探していたのだろう」

 マイキは、やっとわかったというように目を見開いた。

「だから、兄ちゃんは何度も僕の近くにきたんだ。助けてくれた時も、学校にも」

 出会いも再会も、偶然ではなく必然だった。すべてはこの蒼い石が導いてくれた。

「ねえ、探してた仲間って、本当に死んじゃったの?」

 端末が沈黙する。だが、大した間も置かずに「恐らくな」とトレトマンが告げた。レックスからは何の応答もない。

「兄ちゃんにも、言うの?」

 足が動かなくなっても探し続けた仲間。その相手がすでに生きていないとわかった時、あの青年はどんな顔をするのだろう。

 再び端末の向こう側が沈黙する。今度は先ほどよりも長く無音が続いた後、ぽつりと声が漏れた。

「……すまないが、この件はトラストには黙っていてくれないかね。今すぐではないが、いずれ、あやつには私から話すよ」



 日が傾くにつれ、雨雲は去って行ったらしい。雲間から弱々しい赤光がのぞき、街並みをうっすらと彩った。

 照らし出されたのは、瓦礫に沈む荒地。

 崩れた壁。むき出しで倒れている鉄骨。半分に折れ曲がった街灯。

 真っ黒に焦げた車から漂う臭気に、マイキは顔を歪めて足早に通り過ぎる。

 あたりはマイキのこれまで過ごしてきた日常とは別世界だった。一歩進むごとに足下で何かが壊れる音がする。しだいに足場は悪くなり、崩れたレンガ壁やブロックが行く手をふさぐようになってきた。端末からトレトマンが、怪我をするから引き返そう、と言ってくる。

 それでも、マイキは衝かれたように、いや、何も考えずに進んだ。

 トレトマンからの話が、マイキの中で重くのしかかっていた。

 世界や人類の運命も、もちろん大事だったが、マイキの中を占めているのは「嘘をつく」という一点だった。

 青年に対し、とても重要な事実を隠す行為は、まだまだ幼い少年にとって、それは未来を憂うよりも重いことだった。

(兄ちゃん、ごめん)

 マイキは頭の中で謝罪した。

 そうやって悶々としながら歩き続け、壊れた家屋が山になって道らしいものが消えかけた頃、マイキたちはトラストの姿を見つけることができた。

 だが、少々意外なことになっていたのだ。

 青年は、瓦礫と人の中にいた。

 何人もの男性が瓦礫に群がり、コンクリートブロックを抱え、鉄骨を動かしていく。その中に、トラストがいた。どうやら撤去作業を手伝っている様子だった。

「……何をやっとるんだ、あやつは」

 トレトマンの声には、呆れたような響きがあった。

「兄ちゃん!」

 声をかけると、トラストはすぐにこちらに気づいて顔を上げた。逡巡するようなそぶりを見せたが、周りの何人かが彼を押し出す。家族が迎えにきたとでも思ったのかもしれない。

 倒壊した家屋が巨岩のように群れている上を、トラストは危なげのない足取りで進み、マイキの前に立つ。

「……なんだ?」

 青年は全身ほこりまみれで、黒服は鼠色になっている。誰かからもらったのか、付けている軍手も泥まみれだ。

「あ、服が破れてる」

 その指摘に、トラストは自分の姿を見下ろす。背中や腕の生地が裂けて地肌がのぞいていた。

「鉄骨に引っかけた」

 何でもないような口調で言う。

「まったく、トラスト。おまえさん、こんなところで何をしとったんだ」

 声に、トラストはマイキが手にした端末に顔を向ける。そのまま少し間があった後、彼はそっぽを向いた。横顔はどこか落ち着きのない、憮然とした表情になる。

「……手伝ってくれって、言われた」

「だから、手を貸していたと」

 肯定の返事はなかったが、あの場面を見れば一目瞭然だった。

「トラスト」

 辛抱強い声で、トレトマンは告げる。

「力を貸すのはいいことだ。だが、おまえさんの膂力は人間とは比較にならん。ちょっとした重機並みだ。気をつけなさい」

 トラストは無言で通り過ぎる。その背を見送りかけて、マイキは我に返った。手にした端末に向かって声を張り上げる。

「ちょ、おっちゃん。何で兄ちゃんを怒るんだよ!」

「いや、私は別に怒ってなんか……」

「怒ってるよ。兄ちゃん頑張ったのに、ひどいや!」

「あの……」

 控え目な声に顔を上げると、十二歳前後の少女が近づいてくるところだった。少女はトラストの前に立つと、ぺこりと頭を下げる。そうやってから、手に下げていた袋を差し出した。

 トラストはどう応対していいのかまったくわからない様子だったが、少女が重たい袋を精一杯背伸びをして目の前に掲げている様に、とりあえずといった感じで手を出して袋を持つ。

 やってきたマイキがトラストの手元をのぞきこむ。袋の中には缶詰やジュースなどが大量に入っていた。

「これは?」

 マイキが尋ねる。トラストは待っていてもしゃべりそうもないし、トレトマンも沈黙してしまったからだ。

 少女が言うには、トラストが掘り返した桐箪笥は、祖母の嫁入り道具だった。誰もが回収をあきらめていたそれを、トラストは老婆の話を聞いた途端、迷うことなく瓦礫の山へと入って行った。

 そして、瓦礫をどけて箪笥を見つけたのだ。

「本当にありがとうございます。お母さんは、あのタンスは古いし大きくて邪魔だから、この際に処分しようって言ってたけど……私は、そんなの嫌だったから」

 缶詰やジュースはお礼に受け取って欲しいと、手を貸してくれてうれしかったと、少女はつたない言葉で言った。

 少女は何度も振り返り、頭を下げながら去って行った。

「トラスト。おまえさん、何て言われたんだ?」

 少女の姿が見えなくなると、再びトレトマンが口を開く。

「別に。ただ、大事なものだから、どうしても見つけたかったらしい」

「それだけか?」

「それだけだ」

 むっつり顔に口をへの字に曲げる。人から見れば無愛想、不機嫌と取られる顔だ。

「おまえさん、やっぱり馬鹿だな」

 心底呆れたと言わんばかりの声。しかもそこに、レックスの大爆笑が重なっている。トラストの眉間のしわがますます深くなった。

「……何がおかしい」

「いや、何もおかしくはないぞ、トラスト。誰かのために何かができる。それは、人もオリジネイターも関係ないのだよ」

 さっきは言いすぎた、とトレトマンは言った。それでもトラストの顔から不機嫌の色は消えず、事態について行けないマイキの前までくると、袋を突き出す。

「やる」

「え、でも」

「俺は、人間の食物は摂取できない」

 迫力に負けてマイキは袋を受け取ったが、途端に腕が落ちる。両手で持ってもつらい重量だった。

 しかも、トラストはさっさと歩き始めている。重たい荷物を抱えて途方に暮れたマイキに、トレトマンが助け船を出した。

「トラスト。おまえさん、どこに行くつもりだ。こんな子供に荷物を持たせた挙句に放り出すのか? もう日も暮れるというのに」

 トラストはすぐに戻ってくると、マイキの手から袋を奪い取った。



 まばらに点いた街灯の下を、二人は歩いていた。

 トラストの方が歩幅が広いので、マイキはどうしても小走りになった。だが、遅れがちになるマイキにトラストが気づいてからは、普通に歩けるようになったが。

 マイキは半歩遅れながらトラストの後を追う。青年は荷物を持っているのに足取りにはまるで揺らぎがない。

 ふと、マイキはトラストの手を見た。白地の軍手は泥まみれで、指先には穴も空いている。

(……兄ちゃん、本当に人間が嫌いなのかな?)

 自分なら、好意を持っていない相手のために手を貸したりするのは気が進まない。

 見ず知らずの他人の一言で、あそこまで一生懸命な彼は本当に人が嫌いなのだろうか。

 オリジネイターと人間。

 機械知性体が自分とはどう違うのか、マイキにはよくわからない。それでも、瓦礫を堀り返したり、怪我をした足を引きずって仲間を探す行為は、人間と何も変わりはしないのではないか。

『アウラは、すでに……』

 トレトマンの言葉が脳裏をよぎる。

 探そうとしていた仲間は、すでに亡くなっている。

 言えないもどかしさから、マイキは思わずトラストの手をとった。

 トラストが驚いた顔で振り返るが、マイキはさらに強く腕を引く。青年は意外そうな顔は崩さなかったが、手を振りほどかれることはなかった。

「……世界中が、こんな風になっちゃうのかな」

 消し炭色になった街並みを眺め、マイキはぽつりと言った。

「そうさせないために、我々がきたのだよ」

 トレトマンの言葉を聞きながら、マイキは青年の横顔を見上げる。

「兄ちゃんは、正義の味方なの?」

 マイキはゆっくりと青年の手を握った。彼の手は、自分の手を包むほどに大きい。

「俺は……」

 トラストは一度、口ごもる。

「俺は、違う」

「そっか」

 思うほど落胆はしなかった。代わりにマイキは繋いだ手を大きく振って前に出る。

「兄ちゃん、もっとこの町にいてよ。僕、まだ兄ちゃんの名前を考えてないし!」

 早く帰ろう。そう言って、マイキはトラストの手を引いて走り出した。



 玄関までたどり着いた途端、マイキはユキヒの消沈を思い出して入るのをためらったが、結論からいえば問題はなかった。

 エプロン姿のユキヒは玄関に仁王立ちになり、もうじき夕食だから手を洗ってきなさいと、ぴしりと告げた。

 そうやって弟を追い払ったユキヒだったが、トラストの有様を目の当たりにして渋面を作る。泥まみれで玄関ポーチに立っている姿に溜息をついた後、風呂場に行けと指さした。

「水なら、出ますから」

 その後、マイキがトラストにシャワーの使い方を教える声と、なぜか悲鳴が聞こえた。

「お嬢さん、トラストに服をありがとう」

 声にユキヒはあたりを見回し、食卓テーブルに置かれた端末に気がつく。

「あ、いえ……父のですが」

 青年の着衣が破れていたので、ユキヒは下着も含めてひとそろい替えの服を用意した。父親よりも身長のある相手なので、彼女は悩んだ挙句にジャージを持ち出した。安いからと買ったはいいが、父親にはズボンの丈があまると不評でそのまましまいこんだものだ。

「さすがに、あの格好じゃあ目立ちますし」

 ウェットスーツに似ているが、いくら海が近いこの街でも、あの服装は怪しすぎる。

 ユキヒは息を吐いて台所へ戻る。ガスは止まっていたが、電気調理器や卓上ガスコンロを使って料理はできた。

「お嬢さんは、どうして我々を受け入れてくれる気になったのかね」

 ユキヒはシチューの鍋をかき回しながら、答える。

「正直、未だに信じられません」

 こうして話している今も、まるでペテンにかけられているような気分になる。

 ユキヒが見たロボットは特撮か何かで、クルマもただの自動車。そして、この端末の向こうには、声にふさわしい年配の男性が、マイクに向かってしゃべっているのだという、そんな考えが消えない。

 信じられないと、信じたくない。

 そんな振り子の間を行ったりきたりしながら、弟たちが出て行った後の数時間、彼女はずっと考えこんでいた。

 結論の出ないまま、不意に時計を見た途端、彼女は反射的に動き出した。夕食を作らなければならない。冷蔵庫にあるものや、備蓄の食糧で何ができるだろうか。しかも水道局員が来て、水が出るようにはなったが、最初は赤い水が出るかもしれないから気をつけろ等々、言われた。

 そうやって、日常のあれこれに身を置いていると、不思議とユキヒの気持ちは落ち着いてきた。物事を冷静に考えられるようにもなってきた。すると、先ほどまであれほどはねつけたかった様々な事柄が、すっと浸透してきたのだ。

 続く声は、彼女自身が驚くほど穏やかだった。

「信じられないけど、この目で見たものは本物です」

 言って、ユキヒは笑った。

「やはり、マイキ君の姉だね。君は素敵な女性だよ」

 端末の向こうから届く声には、苦笑がにじんでいた。



 千鳥ヶ丘海浜公園での戦闘からちょうど四時間後。イノベント側では会議が開かれていた。

「それで?」

 場をまとめる役でもある男は、巨躯の男に発言を促す。

「ゴーストが、先日のものと合わせて四体大破した」

 感情のかけらもうかがえない、事実だけを告げる声。男の背後には隠れるように少女が立っている。この少女が出した指示でゴースト三体が失われる結果となったが、今はそのことについて叱責するつもりはなかった。

「四体か、してやられたな」

 告げる口調には、悔しさなどみじんもない。

「最初の一体は、警戒水域に侵入したユニオンを追っての暴走よ。調整がきいてないみたいね」

 女は艶やかに塗った爪を眺めた後、わざとらしく巨躯の男に視線を移す。男がゴーストの製造と管理を一手に引き受けていた。言外に男の管理責任をとがめたが、相手の方は岩のように微動だにしない。

 まとめ役が続ける。

「ゴーストがいくら破壊されようとも、大した痛手にはならない。問題は、我々の計画に横やりを入れるものが現れたということだ」

 そう、今回の会議の議題はそこだった。

 順調に進んでいた彼らの計画。そこに割りこんできた不穏分子。まだ規模としては大したことはなかったが、決して見過ごせなかった。

 現れたのは人間ではなく、彼らと同じオリジネイターなのだ。

「ユニオン……今さら、何をしにきたのかしら」

「我々イノベントの計画を阻止しにきたのは間違いないだろう。すぐに潰す……と言いたいところだが、向こうがどの程度、こちらの情報をつかんでいるのかが気になる」

 男の発言に、女が笑った。

「妖精計画はもう、第三世代まで進んでいるわ。あとはどのタイミングで立ち上げるか、それだけよ」

 もう手遅れ、そう言って、女はもう用がないとばかりに立ち上がった。



 トラストはじっと紙を見つめていた。

 鉛筆で文字の書かれた紙を指先でつまみあげ、ひっくり返す。裏面は何かの広告だった。

 紙を前にむっつり顔だが、今が特に不機嫌というわけではない。無愛想に見えるが、たいていこんな感じである。ただ、そこには少々の困惑が含まれていたが。

 掲げた紙には『海里(かいり)シンタロウ』と書かれていた。

 彼も日本語の知識はそれなりにあるので、一応は読めた。それに、紙を渡された際に、名前の考案者でもあるマイキから説明は受けている。

「これが、俺の名前らしい」

 自らの名前を海里シンタロウだと認識した青年の頭がわずかに動く。窓外に向いた視線だが、その先には特に目を惹くものはなく、彼もまた、庭のどこにも視線を据えてはいなかった。

 明けて翌日。

 トレトマンは町を見てくると言って走り出し、レックスはユキヒの足代わりになって営業を再開したスーパーに行ってしまった。どうやら、ユキヒは一晩の間に覚悟を決めたらしい。謎の機械宇宙人を、自家用車代わりに使いこなすこともいとわないほど割り切ってしまった。

 トレトマンいわく、女は地上最強の生き物、らしい。

 男性と女性の概念が今ひとつ理解できていない彼は、首を傾げるしかなかったが。

 そのトレトマンは、街中を走りながらも端末を使って彼と会話を続けている。

「海里シンタロウ。いい名前じゃないか。知っているか? 海里というのは距離の単位で、海面上の長さや航海、航空距離などを表すのに使われる。深海からきたオリジネイターであるおまえさんにぴったりだぞ」

「シンタロウは?」

「さて、タロウというのは日本人男子によく使われる名前と記憶しているが……シンはあてる漢字で色々と意味が変わるからな。まったく、最近の日本人は、欧米化かしらんが、名前に漢字をあてることが少なくなってしまった。漢字の、形と音という二重の意味を使わないとは、もったいないことだ」

「俺はこれから、海里シンタロウと名乗れば、特に問題はないんだな」

 トレトマンの解説に興味のない彼は、さっさと話題を切り替える。

「うむ、少なくとも、今の外見には合っとるよ」

「わかった」

 言って、彼は立ち上がった。

「どこに行くんだ、トラスト」

 彼は端末を振り返り、特に何の感想もない声で告げた。

「俺は、海里シンタロウだ」

「そうかい」

 通信はそこで終わった。

 二階にいたマイキが、大声で「シン兄ちゃん」と呼ぶ声がする。

 トラスト……海里シンタロウは、顔を上げて返事をした。

【深海の異邦人 終】



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