ハル、来たる⑤「Spring has come.」
その頃、姉弟の父親である沖原タカフミは日本へ帰っていた。
久しぶりの我が家へと急ぐ足取りは、雨などものともしないほどに軽い。鼻歌まで出ている。
たとえ日本を遠く離れ、剣林弾雨をくぐり抜けて泥の中に倒れたとしても、帰る場所があると思えば何度でも立ち上がれる。
とはいえ、さすがに今回はくじけそうになったな、と曇天を見上げ、目の端に浮かんだ涙をなかったことにした。
そう、先日、仕事が終わった後に受けたアルバイトでは酷い目にあった。あやうく厚い岩盤の下に生き埋めになるところだった。こうして生きている事実は、奇跡なんて言葉では生ぬるいだろう。
適当な鼻歌に、スキップまでしている彼の足元で、焼け焦げた建材がばきりと音を立てて砕けた。
街の至るところで大規模な火災でも起こったのか、焼け落ちて空白になっている区域があった。爆撃はさすがに日本ではありえないだろうから、タカフミは飛行機でも墜落したのかと軽く思った。
そう、よくあることだ。航空機なんて大量の発火物を積んだ爆弾のようなもの。墜落後に燃料に火がつけば、街の一帯は火の海にもなるだろう。
アスファルトが大きく陥没している。不発弾でも爆発したのか。それにしては被害が小さい割に穴が多い。こんな街中に対人用地雷が埋まっていたのかと冷汗をかいたが、すぐにここが、内戦で荒みきった東南アジアではなく、日本なのだと思い直す。
ここは、平和と水が常に手に入る国なのだ。
はやる気持ちのまま、傘を振り回してタカフミは沖原と表札のかかった玄関ポーチにたどり着く。
と、そこで、自宅の玄関扉に大きなへこみを見つける。息子のマイキがサッカーボールでもぶつけたのかと思い、苦笑した。
元気なものだ。扉をへこませるくらい可愛いものだ。これが弾痕なら気分も荒むが、子供が活発な証拠と思えば気分も弾む。
タカフミはしまりのない顔のまま、これだけはなくすまいと首から下げていた鍵で玄関扉を開ける。
しょっちゅう物をなくすタカフミだが、自宅の鍵だけは絶対に手放さない。これが彼にとって、無事に帰る為のお守りだからだ。
「たっだいまー!」
うかれていた父は、空港に着いた段階で家に連絡を入れるのを忘れていたな、と今さら気がつく。だがそれこそ、今さらな話だ。空港でちゃんと、どこかの地方名産の饅頭を土産に買ったので、娘のユキヒは怒らないでくれるだろう、と適当に自己完結する。
ぱったぱたと忙しなくスリッパの音を響かせながら、タカフミは家族の集まるリビングに走りこんだ。
開放的な吹き抜け。日差しをたっぷり独占できる、大きな窓。選びに選び抜いたソファには、愛すべき家族が座って笑いかけてくれる。
そのはずだった。
彼の大切な家族は、まるで親類全部が死に絶えたような顔でソファに沈みこんでいた。
見知らぬ、というか、ヘルメットで顔が見えない者だけが、タカフミを見返してくる。
鏡面のようなバイザーに、タカフミの日焼けしているが痩せた顔が映し出される。そして、驚愕の表情も正確に写し取ってくれた。
タカフミは息を飲むと、自分の虚像に向かって指を突きつける。
「っだ、誰だね君は!」
至極当然の反応だったろう。
しかし仮面男にとっても、タカフミが見知らぬ人間と言う点では同じだった。先ほどのように、首をかしげて見せる。
「お、お父さん?」「父さんだ!」そこに、二重の叫びが上がった。
それまでどんよりと沈んでいたユキヒが、ばね仕掛けのような勢いで立ち上がる。
「お父さん、いつ帰って来たの?」
「ついさっきだな」
タカフミは、走り寄って来たユキヒに菓子折りを渡す。しかしユキヒは土産には目もくれずにつめ寄る。
「ちょうどよかった、この人なんだけど……」
言いかけて、止まった。そのまま、まじまじと父親の顔を凝視する。くしゃりとその顔が歪んだ。
「お父さん、また痩せたんじゃないの?」
八の字に眉を下げた娘の表情に、タカフミは居心地悪く無精ひげの浮かんだ顎を数回なでる。
「そう、だな……。痩せたかもな。ジャングルで二十日間、飲まず食わずだったからな。その後の仕事でも、散々な目にあったし……痩せて汚かったから、空港でパスポートの写真と顔が違うって拘束されかけたよ……」
「あら、大変。今晩から栄養のあるものを作るわね」
「父さん、父さん! あの人、日本語が通じないみたいなんだよ!」
娘と息子に迫られ、タカフミとしては悪い気はしなかった。留守にしていても、自分の存在はちゃんと家族に認識されているのだと、強く実感できる瞬間だった。
笑み崩れ、英語しゃべって、と可愛らしいおねだりをして来る息子を抱き上げ、またステップを踏むタカフミ。
「そういえば、腹が減ったなぁ。ユキヒの作ったご飯が食べたいよ!」
「今日はごちそうにするわね」
「ううぅ……軍用レーションなんて人間の食べ物じゃあないぞ……」
涙をぬぐう腕はかなり痩せ細っていた。だが、真っ黒に日焼けしているせいか不健康そうには見えない。
「父さん、あの人っ!」
息子にぐいぐい引っ張られ、タカフミは我に返る。
「そうだユキヒ、あの人はお客さんかい?」
「お客……といえば、お客様なんだけど……」
ユキヒは苦笑を顔に広げ、眉根を寄せる。
改めて、タカフミは男に向き直る。帰宅したことで興奮し、お花畑になっていた思考を現実に引き戻す。
怪しい、とてつもなく怪しげな存在が、大事な家族の前に立ちはだかっている。
排除すべきか、それとも、と男の姿を上から下まで眺める。
そして、目を見開いた。
「っ、あ、あ───っ?」
タカフミは絶叫すると、無精で伸びた長髪をかきむしる。突然放り出されたマイキは、父親の狂乱ぶりにわけがわからず、床に座りこんでしまう。
「おま、これ……ってか……」
ぶつぶつとつぶやく。自分でも気がつかないうちに、英語と日本語がごちゃ混ぜになり、子供達が困惑している。
しかし、混乱したいのはこちらも同じだった。
タカフミは、震えながら男を指差す。
呆然となりながら、半ば無意識のうちに言った。
「Spring has come.」
かろうじて意味が理解できたユキヒだけが、ハル、と漏らして頬に手を当てた。
曇天が続いている。天気予報士は連日のように、念の為に傘などの雨具をお持ち下さい、と言い続けていた。
今日は昨夜からの雨が朝になっても降り続き、視界は灰色に煙っていた。降り続く雨に気温は下がる一方で、六月の昼間だというのに、その日は半袖では震えが来るほどの冷えこみだった。
千鳥ヶ丘市には海上を埋め立てた人工島が存在している。第一期地区には住宅や多くの商業施設、港湾施設と倉庫や大学などが敷地を占有し、それなりににぎやかだ。だが、好景気の勢いで計画された第二期地区は、要の空港建設がとん挫してしまい、膨大な敷地がほぼそのまま、手つかずの状態で放置されていた。
莫大な予算をつぎこんだ手前、千鳥ヶ丘市も敷地を海鳥の巣にするのはかなわないと、様々な手段で施設を誘致しようと計画しているが、現在のところ進展はない。しかも一ヶ月前の爆発事故で、開発に着手する業者はさらに遠のくだろう、と誰もが息を吐いていた。
その第二期地区の一角に、ぽつりとコンクリートがむき出しの建物があった。
フェンスで囲まれた敷地内には、急造らしいプレハブの建物や、波板屋根の倉庫も設置されている。だが敷地内のアスファルトの舗装はひび割れ、割れ目から雑草が生えているような有様だ。
元々はかなり広大な駐車場が展開していたが、今はほとんどが空き地で、代わりに長雨でできた水たまりが我が物顔で敷地を占拠している。
大型の重機なども運びこまれているが、いかにもこれから作ります、と言った態で、敷地の大部分は現在も雑草に埋もれている。
それでも、網のフェンスに張りめぐらされている鉄条網が、内部施設の重要さを物語っていた。
重い鉄製のスライド式門扉の脇に、そこだけは真新しい看板が吊り下げられていた。
いずれ、建造物が完成した際には、きちんとした壁に取り付けられるであろう看板には、こう書かれている。
Global Defense Organization Japan Section
世界防衛機構軍日本支部の、今はまだささやかすぎる施設前で、看板は梅雨に濡れていた。
元々はタクシーの配車施設だったそこは、倒産の後に長い間、放置の憂き目に遭っていた。今、世界に名をはせる組織の仮住まいとして再び息を吹き返している。
もっとも、正式な本部施設が作られた後、現状残っている建物はすべて取り壊される予定になっていたが。
本社ビルだったそこは三階建てで、海風によって表面はひび割れて剥離していた。損傷は相当程度深刻で、今日のような長雨だと、天井に雨の染みが浮き出てくる。
そんなボロ屋の屋上へと続く扉は、常から開放されていた。他にさえぎる建物がないので、大した高さではないそこからでも、第一期地区や本土へ至る赤い連絡橋が見通せた。
しかし今日はあいにくの天気。わざわざ雨で煙った景色を見る為に出てくる者はいない。
それでも、出入り口のわずかなひさしの下に隠れるようにして座っている人影があった。
濃緑色のつなぎを着た青年は、空虚な眼差しで座りこんでいた。顔の右半分は包帯で覆われ、左目だけで雨で煙る屋上の風景を視界に入れていた。負傷は顔だけではない。衣服に隠れている部分は軒並み同じような状態で、左手はぶらりと垂れ下がったまま、指先は雨に当たっても動く気配はなかった。
蝶番がきしむ音がして、そろそろと鉄扉が開いた。細い隙間から、ブルーグレイの軍服を着た男が出てくる。
GDO日本支部設立の調査を担っている、つまり、この施設の現時点での責任者である天条ユウシ大佐だ。
四〇過ぎだが体格は日本人の平均値を大きく上回っている。背丈は一八〇センチを超えており、肩幅も広い。
だが今はその大きな背をかがめ、ためらいがちに青年に声をかけていた。
「……寒くないのかね」
かけられた声に、青年は赤褐色の瞳を向ける。だが、肩越しに振り返るだけで、口は一文字を結んだまま。
軽くかぶりを振ってから、天条は続ける。
「今日は冷える。中に入った方がいい」
いくらひさしの下に入っていても、実際はほとんど屋外にいるのと同じ。吹き抜ける風に飛んだ雨粒によって、膝はぐっしょりと濡れていた。湿って重い色に変わったつなぎに、天条はここ最近で癖づいていた溜息が出そうになったが、かろうじて堪える。
「……その、……」
呼びかけようとして、不意に思いとどまる。この青年には諸事情により名前が複数あった。彼の保護者を自称する者からは、どれでも好きに呼べばいいと言われていたが、仮にも相手を象徴するものだ、適当に決めるわけにもいかない。
「……海里君」
結局、天条はどちらかと言えば偽名に当たる、海里シンタロウの名前で青年を呼ぶ。本名であるトラストと呼ぶ方が正しいのだろうが、最初の報告書にあったのと、日本人に近い外見もあって、彼はこちらを使うようになっていた。
名前を呼んだわりには天条もそれ以上、何も言えずにいた。海里もまた、ただじっと、彼を見上げているだけ。痛いくらいの視線に天条が顔をしかめると、初めて青年は表情を和らげた。
それでも、言葉は出ない。
会話にならず、かといって、天条の手は彼に触れるでもなくさまよう。
ひさしの端から落ちた滴に、肩が濡れて染みが広がる。天条は悪循環に陥りそうな状況にかぶりを振って断ち切ると、着ていた上着を脱いで彼の肩にかけてやる。
「まだここにいるなら、それを着ていなさい」
海里は背中を覆う上着に視線を動かす。何も答えが返って来ないことは承知で、天条はそのまま踵を返した。
燃えさかる金属塊。立ち昇る黒煙に空が汚れ、塵が風に混じって容赦なく叩きつけてくる。
天条、城崎、そして久檀の前には鋼鉄の巨人が三体。そして、焼け焦げているものから救助されたと思しき青年。
だがその青年もまた、内部構造は機械だった。
当然、事態が飲みこめないでいる彼らの前に、白の巨人が進み出る。彼はトレトマンと名乗り、説明役を自ら買って出た。
黄色の巨人はレックス。濃紺の巨人はシリウス。
そして倒れている青年は、トラスト。
互いに名乗り合い、トレトマンは、天条や久檀の所属先を知ると、ふぅむ、と妙に人間くさい仕草で腕を組んだ後、言った。
───助けて欲しい。今の我々には、人の手が必要だ。
率直な申し出に、真っ先に動いたのは天条だった。
とはいえ、事情を尋ねようにも、まさかその場に車座になってお茶会をするわけにもいかない。
まずは彼らという存在を隠す方が先決だということになり、移動先として、仮住まいの手配が終わっていたこの施設が当面の隠れ家となった。
城崎は反対した。
隠蔽工作が、この先どんな難問になって返って来るか予想がつかないと反論したが、彼の決意は固かった。いっそ、意固地と呼べそうな頑迷さを振りかざした。
こうして、世界防衛機構軍に所属する彼らは、世間どころか本部にも重大な秘密を持つことになる。
もう一人、こちらは自衛隊所属の久檀はというと。
───こんな面白そうなネタ、コンクリートより硬い頭
の奴らに話すより、隠して後から見せびらかした方が楽しいに決まってる。
と、悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、まずは片付けだな、と言って、携帯電話を取り出した。
収容された機械存在達は、自らをこう呼称した。
機械知性体オリジネイター。
彼らが語る話は、天条達にとって驚愕の連続だった。
人類が、自身以外の知的種の存在を希求し続けて幾年月、彼らの目の前に存在するのはまぎれもなく、「人類以外の知的存在」だった。
鋼鉄の身体に、高エネルギーの魂を有する存在。
巨体を誇る彼らは、太古の昔、人類の歴史が始まる以前に地球へ訪れた始祖から発生した子孫達。だが、彼らは人類の活動に自らが干渉することをよしとせず、深海の底に居を移し、現在まで存在を隠匿してきたのだ。
そうして、今、人類と機械知性体は、互いの存在を認識した。
【ハル、来たる 終】
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