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ハル、来たる④「どうして、というか、この人は誰なの?」

 マーガレット・レヴィ曹長は輸送機の後部座席で難しい顔をしていた。膝の上には、いつも抱えているラップトップがふたを閉めたまま載っている。

「あれは、どうやって日本へ?」

 独白くらいなら、飛行時の爆音がかき消してくれる。それに、彼女の周囲には誰もいない。慢性的に女性が不足している軍隊だが、声をかけた途端に呪われそうなほど禍々しい空気を放っている相手に携帯番号を聞き出すような猛者は存在しなかった。他の乗組員は全員、彼女を脱出用パラシュート並に、用があるとき以外は完璧に無視していた。

 そんな気づかいというか、気苦労など知らずに、彼女は自身の考えに没頭する。

 もっとも、頭を抱えなくとも手段の結果は明確に残されていたのだが。

 日本の領海ぎりぎりに、彼女の組織が所有する潜水艦が乗り捨てられていた。内部を調査した結果、残存者はなかった。もとよりそれは実験機で、無人のままドックに繋がれていたのだ。

 次世代型AIを搭載していた潜水艦は、例えば緊急事態で艦内の人間ほとんどが操艦できない状況に陥っても、ある程度の自律行動が可能な設計だった。

 AIの記録をたどると、何者かがネットワークを経由してシステムに介入し、艦を操った形跡があった。

「……たった、一人で……」

 そう、オーストラリア本部の潜水艦ドックに係留されていた実験機を持ち去ったのは犯人は一人。潜水艦を乗っ取り、そして外洋へと去った。さらに、散々乗り回した後は用済みだとばかりに三六〇度海に囲まれた場所に乗り捨てて行ったのだ。

「不可能よ……」

 いくら自律行動が可能なAIでも、艦のすべてを完全に制御することはできない。燃料の供給や、潜水深度、その他の調整すべてを機械まかせにできるほど、AIは便利な存在ではない。必ずどこかで、調整してやる人間の手が必要になってくる。

 もしもそんな離れ業を可能にしたというなら、その人物は、たった一人で何十人分もの頭脳を持っていることになるだろう。

 技術開発部のレヴィにお鉢が回ってきたのは、その人物が、彼女の所属する部署が極秘裏に調査していた場所から何かを盗み出したらしい、ということからだった。

 その某場所は、現在地下空洞が崩壊して大規模な地盤沈下が起こった。

 生き残った者の証言から、そこから立ち去る何者かが確認されている。

 貴重な実験機を持ち去った犯人は、その何者かと推測されていた。

「……面倒くさいわね……」

 レヴィは適当に結い上げてあるブルネットの髪をかき回す。目の下には濃い隈が浮き、厚地の都市迷彩服が華奢な身体をさらに貧相に見せていた。

「どうでもいい、面倒くさい、えぇ、面倒だわ……」

 なぜ、また自分なのか。

 前回の実験では相応の成果を上げたはずだ。散々な目に遭ったが、報告書を提出した瞬間は、これで二年ぶりに休暇がもらえると息を弾ませたものだ。

 だというのに、なぜ、こうして座り心地の悪い輸送機の座席に収まっているのか。

 上司は彼女の顔を見ずに、君が適任だ、と意味がわからないことを言って、そのまま逃げ出した。

 あの時、呆然とせずに男を追いかけ、硬いブーツの靴裏で蹴り倒しておけばよかったと後悔する。

 レヴィは想像で上司を血だまりに沈めた後、鉛のような息を吐く。

 どんなに暴れたとしても、レヴィは地下施設から逃亡した者の襟首を捕まえなければ帰れないのだ。

「絶対に、見つけてやる……」

 暗い笑みを浮かべ、レヴィは対象が逃げこんだとされる極東の島国はまだかと窓外をのぞいたが、あいにく天気はよろしくなかった。まるで今の気分と同じ鉛色の雲に視界は覆われ、彼女はさらに重い息を吐く。

「……捕まえたら、蹴りで鼻っ柱をへし折ってやる……」

 レヴィも、そして、彼女に厄介な命令を出した者も、さらには現場にいた誰もが、ある間違いを犯していた。

 機密は持ち出されたのではない。

 そこから立ち去った者が機密そのものだということに気がついていなかった。



 ただいま、と帰ってきた弟の声に、ユキヒは我に返る。夕飯の支度をしなければと立ち上がった彼女は、中腰のまま硬直する。

 え、と口と目を開いたまま、弟の背後を凝視した。

「えー……っと……」

 姉の視線の行き先と、彼女の心中はマイキも察したが、どうすることもできずにその間で右往左往するしかない。

「ごめん、ユキ姉……」

 それだけしか言えない。

 マイキの後ろには、海浜公園で出会った仮面の男が立っていた。

「海里……さん?」

 ううん、とユキヒは自身の発言を否定する。

「……じゃあ、ないわね」

「うん……」そこは、マイキも同意した。

 ユキヒは弟を手招きで寄せる。リビングへの出入り口に立っている存在に、ある疑念がわいたからだ。

 マイキの肩を押さえ、きゅっと息をつまらせる。

(もしかして、この人が海里さんの偽物?)

 姉弟は日本の裏側で市街を蹂躙した存在は、自分達が知っている海里の犯行ではない、とかなり早い段階で結論付けていた。

 理由は単純に、姉弟が彼らと別れてから、テレビの中継まで半日もかかっていない。どれだけ高速な移動手段を持っていても世界の裏側までたどり着けはしないだろう。

 あとは、そんなことをしでかす理由がない、だった。

 彼という存在を知らない者からは、根拠がないと却下されそうな意見だが、姉弟の中ではそれで納得できている。

 海里シンタロウは、いや、機械知性体のトラストは無意味に人間を殺戮するような性質ではない。

 となると、誰が何の為にやったか、という話になる。

(イノベント……)

 海里達ユニオンから反発した一派イノベント。組織構成など不明な点は多いが、かの組織は人類を殲滅するという遠大かつ恐ろしい計画を実行しようとしている。その暴挙を阻止する為に、海里達が深海都市からこの地上へとやって来たのだ。

 あれはイノベントが海里達の立場を貶める為にやったことだろう、とユキヒは考えていた。

(じゃあ、彼があれをやった……)

 思い出すだけで手足が震え、泣きわめきたくなるような光景だった。凄惨な、という言葉さえ生ぬるい。ただ殺す為だけの、作業のように無機的な動作の先で人が死んで行ったのだ。

 あっけない終わりへの怒りが、彼女の中でぶり返す。マイキの肩をつかむ手に、力がこもる。弟が彼女を見上げてきたが、いつものように微笑み、大丈夫よ、と声をかける余裕はすでに失われていた。

 鋭くとがった意識が爆発する寸前、一点に集中していた視覚が動くものをとらえる。

 彼はその場から微動だにしていない。

 彼から滴り落ちる水滴が、床の上で弾けて小さな染みを作っていた。

「あー……」

 ユキヒはぼたぼたと落ちる滴と床に広がる小さな水たまりを見て、急に意識が現実に、つまるところ日常の感覚がよみがえる。

 彼は海からやってきた。濡れている。だから床も濡れる。ついでに言えば、砂浜を歩いてきた際に付着した砂もそのまま。しかも彼は土足だ。

 見なくとも、玄関から廊下の惨状が容易に想像できてしまい、ユキヒは反射的に額を押さえる。

 先ほどまで煮えたぎっていた怒りが冷めて行くのを感じる。もう一度彼の顔を見たが、急速に冷えた感情は待っても復活しそうにない。

 警戒心のすべてが氷解したわけではないが、少なくともここに来るまでマイキは無事だった。彼の思惑がどこにあるのか推し量ることはできなかったが、人間すべてを害するつもりなら、とっくにやっているだろう。それに、目の前の存在を前にして、見えたものもある。

 海里達は消えてしまった。もう誰も頼れない。このまま、見えない敵におびえて毎日をすごさなければならないのだろうか。

 いや、早急に対策を考えなければならない。自分には弟を守る義務があるのだから。

 その為に、行動するのだ。

 何の根拠もなく、本能的な何かに突き動かされるようにして、彼女の思考は急速に回転した。

 考えようによっては、これは好機だと判断する。

 彼らの持つ力を、力が生み出す破壊力をユキヒはよく知っている。あんなものがひとたびふるわれたら、ただの人間でしかない姉弟など一瞬で肉片か一握りの塵になるだろう。

 彼女もまた、現状を打破する為の手がかりを手に入れたかった。鬱屈した状況に溺れて窒息しかけていたところに投げこまれた板きれは、はたして救いになるのかさらなる絶望に突き落とすのか。

 数呼吸の後、ユキヒは決然とした顔を上げて告げる。

「マイキ、お風呂場からバスタオルを持って来てちょうだい」

 言って、自分は雑巾を取りに台所へ向かった。



 そして、場は最初に機械知性体と邂逅した時と同じ様相を呈していた。マイキが飲み物と茶菓子を用意し、全員が着席したところで話が始まる。

 ソファの間に小さなガラステーブルを挟み、姉弟と男は対峙する格好になった。

「どうして、というか、この人は誰なの?」

 姉の質問に、マイキは男と出会った経緯を手短に話す。長くしても、海から上がってきた、としか説明できないのだが。

「この人、シン兄とは違うけど、似てる気がしたから……」

「連れて帰って来たのね」

 ユキヒは重い息を吐く。これが犬や猫なら、毅然として元のところに置いてきなさい、と言えるのだが。

「……困ったわね……」頬に手を当て、首をかしげる。

 件の男は、マイキに伴われてソファに大人しく腰かけている。まだ身体が湿っているので、ソファの上にはバスタオルが敷かれていた。彼は何をする様子もなく、ただ座っているだけ。

 ユキヒは不躾ながらも男を観察する。背格好だけを見れば、海里にとてもよく似ているように思えた。だが肝心の顔は、頭部全体を覆うヘルメットをかぶっているので判別がつかない。全身は黒い、ゴムのようなスーツを身につけている。これがまた、出会った当初の海里を連想させた。

「あのぅ……」ユキヒはおずおずと話しかける。

 男はわずかに頭を向けたが、ヘルメットのシェードは濃い黒になっているので、内部を見透かすことはできない。つるりとした表面に、困惑気味の彼女の顔が映るだけだ。

「いきなりで失礼ですが、そのヘルメットを取ってもらえないでしょうか」

 顔が見えないと何となく怖いから、という理由は飲みこみ、ユキヒは男に頼む。

 しかし男は無言のまま、少しだけ首を傾ける。どうやらこちらの意図が上手く伝わっていないらしい。

 ユキヒは口中で唸ると、クッキーを頬張っている弟に顔を寄せる。

「どうしよう、マイキ。この人、外国の人なのかしら……」

「父さんだったら、英語が話せるのにね」

 姉弟そろって、どこか見当違いの方向に頭を悩ませていた。


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

こちらは5巻収録分です。

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