ハル、来たる③「シン兄……なの?」
その後、彼らはいくつか重大な用件を話し合ったが、ややあって、スターが顔を上げる。
「……技師が多いようですが」
白衣の研究員が機材のモニタをにらんでいるが、その傍らで作業着姿の者も何人か見受けられる。先ほど会釈して行った測量士が、巨人の前に三脚を立てていた。
あぁ、とマクミランは返す。
「この神殿を地上に移築する計画が、技術開発部の方で本決まりになったそうだ。今日は、上層部に予算案を提出する為の事前測量らしい」
「前に聞きましたが、本気なのですか? こういった施設は、現状のような地下に隠しておいた方が露見しにくいと思うのですが」
「私もそのつもりで反対票を入れるつもりなのだが、技術開発部の連中は本格的にあの女神を分析するつもりらしい。その為には、地下では施設の拡張性に乏しい、というのが彼らの主張だ」
ついとマクミランは人工物で覆われた天井を示す。
「穴を開けて、周辺の土砂や岩盤を取り除く。そうしてこの場に新たな技術研究施設を作るのだよ」
「当事者である女神と巫女は、了承したのですか」
視線をアヴリルに向け、マクミランは肩をすくめた。
「フレイヤはあの通りだ。アヴリルは少々自閉気味でね。どうも我々とは会話したくないようだ。カレンとは、母娘か姉妹のように仲が良かったらしい。彼女が亡くなってからは誰のコンタクトも受け付けないで、基本的にはだんまりだ。彼女は子供は好きだが、我々のような厳つい人種は好みではないらしい」
あるいは君のような美男子なら振り向くかもしれんな、と言いかけてやめた。さすがに冗談にしては面白くない。
戻ろうか、そう言いかけたが、スターが何かに意識を向けていることに気がつく。どうしたのかと問いかけようとして、マクミランも彼と同じものを見て驚愕する。
アヴリルが、立ち上がっていた。
銀の髪がさらりと流れる。優美な仕草に、髪と背の間から、今にも薄い羽根が生まれて、ふわりと舞い上がりそうに見えた。
錯覚の羽根を見ていた彼らに、妖精は告げる。
「───逃げて下さい」
呆気にとられている彼らに向かって、彼女は微笑みかけた。
薄氷の儚さをたたえた笑顔だった。
あっ、と声が上がる。彼らが何事かと叫んだ研究員に尋ねる前に、周辺の計器類が一斉に悲鳴を上げた。
安っぽいブザーとアラームの音が重なって狂騒曲を奏でる。計器の針が折れ飛ぶほどに傾き、数値が急速に跳ね上がり、あるいは限りなくゼロを示す。
ぞっとするようなサイレンの音が、広大な空間に鳴り響いた。
「これは……」
何かが起こっている。何なのかはわからない。それでも、マクミランは全員に退避の命令を出す。
目を血走らせてモニタに表示される情報を読み取ろうとしている研究員の白衣をつかみ、無理やり引きずって立たせる。事態が飲みこめないのか、三脚を抱えてうろうろと出口を探す測量士に怒声を飛ばす。
どうにか全員が出口を目指して動き始めた瞬間、鈍い振動が周囲を襲った。
地面が沈下した、ような気がする。
それでもマクミランは足を止めない。足の遅い者を叱咤し、走れ走れと促す。
「───…っ!」
背後で何かが光るのを、反射的に手でひさしを作って振り返り、確認する。
光の中でマクミランは、黒い直方体が外側に向けて展開しようとしているのを目撃する。
直後、猛烈な光があふれ、次に起こった爆風に、場にいた人間は全員吹き飛ばされ、土砂と一緒に押し出されて行った。
歌姫が消えてから、一ヶ月。
同時に、機械知性体オリジネイターという存在からの、一方的な宣戦布告から一ヶ月。
───我々は、機械知性体オリジネイター。
───人類はこれから、適正数まで調整される。
───まずは、半分に減ってもらおう。
あの日、鋼鉄の巨人は言いたいことだけ言って、姿を消した。そこから最初の一週間、世界中は盆と正月どころかクリスマスとハロウィンも一緒くたになったような大騒ぎだった。
だが、次第に人々は落ち着きを取り戻して行く。
肝心の巨人が、それ以降何の動きもなかったことが大きかった。混乱後の世界は、祭りが終わり、翌日からの日常へ帰るようにして、渦を巻いていた熱気は急速に収束して行った。
いや、すべてを見ないようにしていたのだ。
最初は災害特番ばかり組んでいたテレビも、いつの間にか通常の番組が戻り、コマーシャルも流されるようになってきた。ニュースでも、災害現場の酷い光景は映らなくなり、日本の自衛隊を海外に災害派遣として出すか、この異常事態だからこそ国防を強化する必要がある、という論争に発展して行った。
そうして毎日毎日、様々な肩書を持った人間が、同じような議論を繰り返している。
肝心なところには誰も触れない。
誰も、あの鋼鉄の巨人が何なのか、と問いかけない。
テロでも、陰謀説でも、宇宙人襲来説でも、ここぞとばかりに叫び出しそうな人種が、こんな時に限って誰も名乗りを上げないのだ。
混乱が与えた世界経済への打撃について泡を飛ばす者達は、そもそもの原因となった存在を口にするのは禁忌とばかりにだんまりを通す。せいぜい、テロ組織による大規模な犯罪だ、と妙にぼかした話で矛先を濁す程度。
巨人だけではない、なぜ、療養していたはずの歌姫があんな場所で、あんな死に方をしなければならなかったのか。
一緒に血煙になった少女達は、どうしてあんな酷い目に遭わなければならなかったのか。
巨人と歌姫と少女が通った後の市街では、彼女達以上の流血があったというのに、それをどうして無視するのか。
(何で、誰もそこを考えないの?)
ユキヒは息を吐き、肩越しに振り返る。
彼女の背後に、答えを出してくれる者は誰もいない。
いや、こんな時、真っ先に訊ねたい者達はいる。だが、彼女と弟の前に現れた、人類以外の知性体達は姿を消してしまった。
彼らが沖原家の生活に入りこんでいた痕跡は、改めて見るとほとんど残っていなかった。せいぜい、脱ぎ捨てられたジャケットが落ちていたり、庭に車の輪だちが残っていたり。しかしそんなものは洗濯をして片付けて、雨が降って土がぬかるめば消えてしまう。
あれほど存在感があったはずなのに、いざ消えてしまうと、どうやって彼らと時間の一部を共有し、共に暮らしていたのかどうしても思い出せない。
だが、元を正せば、彼らがいない方が日常なのだ。そうして、今こそが本当の意味での沖原家なのだ。
父親が不在がちで、母親が早くに亡くなった。その為に、長女のユキヒが仕事と家事に忙殺されながらも、まだ小学生の弟の面倒を見ている。
それが当たり前。
(でも、何か、違う……)
そんな表層上だけの平和が、ユキヒにはどこか、薄っぺらい虚構に思えた。
仕事をして、スーパーで買い物をして、食事をして掃除をして。
一日が終わって次の朝が来る。目覚めて朝のニュースを見る度に、天気予報や占いを見ている自分に吐き気を覚えた。
政府が安全だと声高に宣言する度に、言いようのない不安が重しになって圧しかかってくる。
テレビの向こうにいる者達は、世界は変わってなどない。恒常的な安定は、今日から明日へと滞りなく受け継がれて行くと言った。
彼女の中に、それは違う、と強い否定が沸き起こる。
根拠はまったくなかったが、彼女の中の彼女が、今、目の前に存在しているはずの安全や平和は、そう見えるだけの虚構なのだと囁き続けている。
囁きには、多分に毒が含まれていたが。
静かに雨が降り、風が枝葉を揺らしていた。
マイキは傘を手に、防波堤の上からぼんやりと海を眺めていた。
「シン兄……」
つぶやく声は、防波堤に打ちつける波にかき消される。
六月に入り、街は連日の雨に濡れていた。雨の降らない日でも常に空は鈍色の雲がたれこめ、人々はどことなく重苦しい雰囲気に肩を押されてうつむき歩く。
千鳥ヶ丘海浜公園に、マイキは一人で訪れていた。
明け方から断続的な雨が続き、霧雨が周囲の景色をかすませる。暗くよどんだ空。海もまた、同じ色に染まってうねりを上げ、時折、白い飛沫が散る。
鬱屈した雰囲気を嫌ってか、浜辺や松林にはマイキの他に人の姿はない。
マイキは何をするでもなくただ立って、荒れる海を眺めている。正確に言えば、何もしていないわけではなかった。
少年は、待っていたのだ。
ほんの四ヶ月ほど前、マイキはここで海から上がってきた青年を見つけた。だから、ここにいればもう一度、彼を見つけられはしないかと思い、こうして時間の許す限り足を運んでいる。
真剣な眼差しで波間に目を凝らすが、海上を漂うものは板きれや、どこから流れて来たのか、サッカーボールが浮き沈みしているだけ。
今日も、昨日もその前も、同じだった。
雨が降っているか、晴れているか、曇っているか。その程度の差でしかない。
機械知性体の面々が、マイキ達の前から姿を消し、早くも一ヶ月になる。最後に彼らを見送った時、少年の中に別れの予兆はなかった。
海里は、彼らが連れ帰った少女の特殊な能力に翻弄され、混乱して飛び出した。
少女は海里を追ってか、同じく走り出す。
マイキ達もまた、海里と少女を追いかけた。
途中で姉弟は救急車形態になっていたトレトマンから下ろされ、家に帰るように促される。
そうして、連絡は途絶えてしまった。
同時に世界を震撼させる出来事が起こった。
海里が同期接続した際に見せる、巨大ロボット形態。そんなものが、日本からはるか遠くの都市で、無関係な市民めがけて銃火を浴びせた。
一晩は、マイキは不安になりながらもただ待った。これまでにも、何の予告もなしに彼らが消えることはままあったからだ。
二日、三日が過ぎ、トレトマンが置いて行った通信機からは相変わらず沈黙しか返って来ない。
マイキはそこで、彼らとはもう二度と会えないのではないか、という焦燥にかられる。
だが、気づいたところでもう遅い。彼らを探す手段は、今のマイキにはない。
少年にできるのは、ただ待つだけ。
こうして、彼らと出会った場所を日々回って、そこに何の痕跡も残されていないことに息を吐き、次を目指して歩くだけだった。
「……兄ちゃん……」
つぶやきが空しく滑る。
もう帰ろう、そう思って踵を返した時、背後で水を叩く音がした。雨をさえぎり、波を割るほどの勢いがあった。小魚程度に出せる音ではない。
「───っ!」
マイキは心臓を直接殴られたような衝撃を覚え、硬直する。
それでも、期待と不安に、おかしいような悲しいような、自分でも判別がつかない複雑な表情を浮かべる。そうして、ゆっくりと振り返った。
もし、何も見えなかったら。
いつものように、漂着したゴミだったら。
今度こそ、マイキの心は折れてしまうかもしれない。
「シン兄っ?」
振り返り、マイキは波間に漂う存在をはっきりと認識する。
海水をかきわけ近づいてきたのは、黒いウェットスーツのようなものを身につけた者だった。
体格からして男のようだが、顔はわからない。
「え……」
マイキは首をかしげる。
現れた存在は、黒い仮面で頭部全体を覆っていた。
「シン兄……なの?」
砂浜に立ち上がった者は、かけられた声に顔を向ける。
雨と海水に濡れた仮面の表面に、マイキの困惑した顔が映し出された。
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こちらは5巻収録分です。
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