晴れすぎた空の下で⑧「……君が、カイリ・シンタロウか?」
タクシーの運転手が、この先は通行止めになっていると言ってUターンしかけたところをさえぎり、久檀は強制的に下車した。
何かあったらすぐに呼んでくれ、と人の良さそうな男は名刺の裏に自分の携帯番号を書いてよこす。
久檀はへらへら笑って手を振り、名刺をポケットにしまうと周囲の様子をうかがう。
人工島内は、不気味な静けさに包まれていた。
いくら開発が途絶した区域もあるとはいえ、本土に近い地域には多くのマンションや商業施設が立ち並び、大学も広大な敷地を存分に確保している。
久檀は今、片側二車線道路の真ん中に立っていた。しかし、上りも下りも通るクルマの姿はなく、慌ただしい感じに停車された車が数台見えるだけ。
島内をぐるりと一周するモノレールは駅で停車し、電光掲示板には緊急事態の為に運行を停止します、と表示されている。
「緊急事態宣言、ねぇ。いったい何を警戒しての事やら」
言って、久檀は歩き出す。赤い連絡橋を背に、つまり、人工島の奥へと突き進んでいく。
ほんの一時間前、人工島は外界と切断されてしまった。多くの住民や、学生、買い物に来ていた者達は、わけもわからず自衛隊や警察の手によって追い出されたのだ。避難を促す自衛隊員に食ってかかる者も多かったが、人工島の端、空港建設がとん挫した地域から立ち上る黒煙に、次第に人々の口数が少なくなっていった。
千鳥ヶ丘市に住まう者達の中に、未だに強烈な記憶として焼きついている光景。
空から降ってきた単眼の化け物が、都市を蹂躙する。
わずか三ヶ月前の出来事と、人工島ゆえの交通の不便さに、島内に取り残されてはかなわないと、人々は大挙して逃げ出したのだ。
久檀は逆に、津波のように押し寄せてくる人にまぎれながら、警戒網を突破してここに至る。彼も自衛官だが、今は非番でこれは仕事ではないのだからと、喜々とした表情で走る。
耳に鋭い音が届き、久檀は足を止めて空を見上げた。
紺青の飛行機が、音を追い越す速度で住宅街の直情を通過して行った。周囲のマンションの窓ガラスが震えるほどの低空飛行に、久檀は目を丸くする。
「……って、今のは戦闘機だったよな。ありゃあ、F15か? 編隊も組まずに、単機かよ。どこの基地から飛んできたんだ」
いくら低空で飛んでいても、音速で飛行する戦闘機の識別マークを読み取ることはできなかった。わかったのは、不明機の行く先が久檀と同じ方向な点だけ。
はっ、と笑って息を吐くと、久檀は走り出す。
「ずいぶんと、面白そうな事になってんじゃねぇか」
人工島の突端から上がる黒煙に、夕暮れの空はにごり始めていた。
「天条達は、この先まで行けるかねぇ」
急にテレビの声が途切れ、映像も消えた。
ユキヒはソファに座って項垂れていたが、突然の沈黙に顔を上げる。テレビの電源を確認する前に画面は復活した。
しかし、そこに映っているのは別の風景だった。
どこかの街並みのようだったが、ひどく破壊されている。いや、今も破壊は続いていた。
音声は切られているらしい。だが画面の向こうでは、大量の爆発が連鎖し、轟々と火炎と爆煙を噴き上げた。
「……何、これ……映画なの?」
ユキヒは呆然とつぶやく。
映像の中では大量の人間が恐怖に顔をひきつらせ、逃げ惑っている。
都市を、そこに住まう人々の生命を、財産を、尊厳を、未来のすべてを無慈悲に奪っていくのは。
人間だった。
仮面をかぶったように同じ表情で笑う者達が横一列に並び、通りに飛び出してきた他の人間を容赦なくつかんで引きずり、殴り、あるいは切り刻む。
小さな悲鳴を上げ、ユキヒは口元を押さえる。小刻みに震えながらもリモコンを探し、適当にチャンネルを変える。だがどの放送局も、同じ内容を……おぞましい殺戮劇を流していた。電源に指をかけたところで、彼女は弟の姿を探す。リビングにはいない。トレトマンと別れて自宅に戻ってから部屋にこもったままだ。弟が残忍な映像を見ていない事にわずかに安堵の息を漏らす。
と、映像の様子が変わってきていた。
虐殺の行進が途絶え、代わりに、様々な人種で構成された少女達が歩いている様子が映されていた。
彼女達は笑っている。
中心に立つ、ひときわ美しい女性に目が向く。その顔を、ユキヒは知っていた。
世界中のあるとあらゆるところで、彼女と同じ顔の写真やポスター、映像を見かけるからだ。
シャーリー・アレン。
妖精の声を持つ、稀代の歌姫。
それと同じ顔だった。
「な……」
ユキヒはもう、テレビを消すのも忘れ、画面を食い入るように見つめる。
歌姫は先月、緊急公演を企画して来日し、この千鳥ヶ丘市へ訪れていた。しかしそこで、かねてからの喉の不調が再発し、そのまま彼女の姿は表舞台から消えた。
ネット上に飛び交う噂話だと、故郷の、名前を聞いてもどこかもわからない街へと戻り、療養生活を送っているようだった。
その彼女が、笑いながら少女達をひきつれ、歩いている。まるでハーメルンの笛吹き男のように。
彼女達の周囲では、次々と人間が死んでいく。街が破壊されていく。
熱風になびく歌姫の髪。あらわになった額に、ユキヒは驚愕する。
「あれ……アルちゃんと同じ……」
金属の眼が、炎の照り返しを受けて鈍く輝いた。
歌う彼女達の周囲では、次々と人間が死んでいった。殺されるだけではない。互いの首を絞める、ガラス片で喉を裂く、飛び降りる。様々な方法で、人は死へ向かって突進していくのだ。
行進する少女達も例外ではなく、時折、誰かに撃たれて列から弾き出された。伏した少女の身体の下から、おびただしい量の血液が水たまりのように広がり、とどめとばかりに頭を撃ち抜かれて痙攣し、やがて動かなくなる。
「……何が起こっているの……」
ユキヒは答えを求めて画面をくまなく探す。と、一列で歩く少女達の背後、粉塵と灰が混じった風の向こうに誰かがいるのが見えた。
影は鋭敏なシルエットを持ち、すらりと立っている。
何者かが一歩踏み出すと、周囲のビルに申し訳程度に残っていた窓ガラスが震え、あるいは破片が散った。
ユキヒは目と口を丸くする。何か、とてつもない違和感を覚えたのだ。
奇妙な存在感を持つシルエットは、硝煙の向こうからゆっくりと姿を現した。
そんな、とユキヒは膝から崩れ落ちた。
立っていたのは、人間ではない。人間よりもはるかに大きい存在だ。
特徴的な白と黒の塗り分けを施された装甲。二本の脚で直立し、腕には巨大なライフルを携えている。無機物の両眼の奥底に流れる感情の色は、画面からはうかがえない。燃え上がる街並みを睥睨する視線に、敵を迎撃しようという様子はない。
それは、むしろ────
「やめて……」
巨大ロボットは、抱えていたライフルを自身の脚元へ動かす。
並んで歩く彼女達に、巨大な銃が大口を開けて迫った。
「いやぁ、やめて、やめて、やめてぇぇぇぇぇぇ!」
声はひび割れ、ユキヒ自身にも何を叫んでいるのかわからない。やめて、お願いします、と液晶画面をいくら殴っても、何も届かない、届くわけがない。
ライフルが火を噴き、牛乳瓶ほどの大きさもある弾丸が、次々に彼女達を血煙にする。
シャーリーは、美しい笑顔のまま、弾けてしまった。
瞬間、ユキヒは内臓を破るような絶叫を上げる。
液晶画面を叩き、リモコンや、置いていた小物が落ちるのもかまわず、彼女は叫ぶ。
画面の向こうにいる、ロボットに向かって。
「やめてください、海里さんっ!」
テレビ画面の向こうにいるロボットは、ユキヒも見慣れていた存在だった。
海里シンタロウが、地上のパトカーと同期接続した形状と、まったく同じだったのだ。
ユキヒの叫びが、混乱と破壊に満ちた映像を貫くように響く。
頭を抱えて叫んでいると、ぶつりと映像が途切れた。
涙でぐしゃぐしゃになったユキヒの前に現れたのは、灰色の、どこか陰気な雰囲気を放っている顔。直線と曲線で構成されたどこにも人間らしさはなかったが、人と同じ位置に眼鼻の配置がある。
それは、人間ではなかった。
ロボットは、低い声で言った。
「我々は、機械知性体オリジネイター。人類はこれから、適正数まで調整される。まずは、半分に減ってもらおう」
外装と同様の、無感動で平板な声音だった。
「すでに我々は人間社会に深く根を張っている。今、見せたもののように、人間自身を殺し合わせることも造作ない」
この映像は、日本の千鳥ヶ丘市だけではない。世界中の、どんなに小さな町や村でも放映されていた。
誰もがそれぞれの会話や仕事を中断し、テレビの画面に突然現れた機械エイリアンの顔を、驚きと恐怖の表情で見た。
「ここにいる者が、人類の敵だ」
画像が切り替わり、海里の同期接続した姿が大写しにされる。中には、千鳥ヶ丘市で撮影されたと思しきものもあった。
「ここに示したのは、我々の力のほんの一部だ。抵抗は否定しないが、生存できる半数に入りたければ……静かに待つべきだろう」
言いたいことだけ言って、画面は暗転した。
テレビの向こうで虐殺を繰り広げていた海里は、日本の千鳥ヶ丘市で炎に呑まれていた。
爆弾による破壊は深刻で、各機関がダメージ計算を放り投げてしまうほど。今の海里は巨大な手足を操って移動することは困難だった。外部装甲が次々と脱落し、内部を構成するパーツも焼けて弾け飛ぶ。
もう、巨大な身体は何の役にも立たない鉄塊だった。
がらがらと崩れ落ちる鉄塊の中からはい出てきた手は、人間の手だった。同期接続を解き、人間形態に戻った海里が炎の中で掲げた手は、硬く握りしめられている。
しかし、そこまでが限界だったか、腕に続く身体は現れない。
高温にさらされた人工皮膚はすぐに焼け焦げ、くすぶった煙を上げて融解を始めた。
「トラスト、トラストっ!」
半狂乱の叫びを上げ、レックスは炎の中に飛びこむと、装甲板をかき分け、大型の部品を放り出す。
「トラスト、しっかりしてっ!」
引きずり出された海里の身体は、無残な有様だった。耐熱限界を越えた人工皮膚が融解してはがれ、冷却用循環液も能力値を越えてしまって熱湯になっている。内部機関が熱を持ち、駆動系が悲鳴を上げていた。
炎の中から救い出された海里は、雑草の上に横たえられる。レックスとしては水でもかけて冷やしてやりたかったが、外装のいたるところが破損して内部機関をさらしている。むき出しの電子部品に水をかけてショートすれば、それこそ大惨事だ。
「トラスト……?……」
レックスは握ったままの拳に気がつく。何かを握りこんでいるらしいが、中身自体も熱を持っているらしく、そこから人工皮膚が焼け焦げて薄く煙が上がっている。
「何を握ってるのさ」
離しなよ、と意識があるのかもわからない海里に声をかけ、鋼鉄の指先でそっとゆすった。
「……っ、う……」
それが刺激となったのか、海里はわずかに身じろぎをした後、うっすらと目を開いた。何かを探すように首をめぐらせた後、心配そうに見下ろすレックスに気がついて呼んだ。
「レッ……クス……」
唇からようやく漏れてくるような、弱々しい声。
「……アウラが……いないんだ……」
何か決定的な部分がひび割れてしまったような響きに、レックスは激しい焦燥を覚えた。
恐らく、どれほどレックスが呼びかけても、今の彼には何も届かないだろう。
「どこにも……いないんだ……」
名前を呼びながら、海里は閉じていた手を開く。
溶けた人工皮膚と一緒になって貼りついている、小さな小さな部品。
海里は祈るようにその手を空に掲げ、そして、落ちた。
何が起こったのか、否、何が起ころうとしているのか。
駆けつけた天条の中にあったのは、嵐が逆巻く海のような感情。
人工島の突端で、キャンプファイヤーのように何か大きな塊が焼けている。
その周囲にいる存在は、十二分に天条を驚かせた。
白と黄色、二体の巨人が、じっと、天条と、背後に控えている城崎を睥睨していた。先に到着していたらしい久檀も、手を掲げて挨拶してくるが、彼も状況が飲みこめないのか、困った顔をしている。
追い打ちで、直上から現れた戦闘機が空中で変形し、ロボット形態になって地面に着地した。巨体の重量が生む、地震のような揺れにふらついたが、天条の視線は揺るがない。
三体に増えた彼らが囲んでいる存在に、天条の意識が吸い寄せられる。
それは、人にして人あらざるもの。
五体のつくりは人間。しかしそこかしこが焼け、ただれ、失われ、その内側から金属の肌が見える。
内面をさらけ出してあおむけに倒れている青年を、天条は知っていた。顔の右半分が焼け焦げていても、その特徴はすでに記憶している。
何もかもが焼け崩れた場所に、天条は踏み出す。城崎の制止も、警戒して肩を動かすロボット達にもかまわず、興奮した面持ちで告げる。
「……君が、カイリ・シンタロウか?」
【晴れすぎた空の下で 終】
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