晴れすぎた空の下で⑦「レックス……アウラの、アニマがないんだ……」
アルトゥンに同調していた意識が遠ざかると同時に、眼前の現実……実際に、視覚がとらえているものが見えてくる。
海里は目を見開いた。
「目が覚めた?」
鼻先に触れるほど近くにシスの顔があった。彼女は海里の意識が戻ったのを確認すると、ぱっと顔をほころばせて離れた。
つま先立ちで器用にバックスステップを踏み、赤いワンピースの裾を大きく広げて回る。
「すごいでしょう。あれに飲みこまれると、人間なら自己意識が崩壊して暴れ回ったり、舌を噛むか喉をかきむしって死んじゃうらしいわ。あ、あたしは一応、彼女達の声がブロックできるような作りになってるの。新素材なんだって」
それでもきついけど、と笑う。
海里は未だにシスの姿がはっきりとは認識できないでいる。目の前に星が散っているようだ。ふらつく視点をどうにか制御しながら立ち上がった。腕の中の少女が、小さく不安そうな声を発する。
「……急に動かなくなったけど、大丈夫かい?」
そっとレックスが声をかけてくる。海里はうなずきながらもシスから視線を外さない。
シスはくすぐったい笑みを浮かべると、アルトゥンを指差す。
「あたし達、よく似てるでしょう? その子はあたしの外装モデルなの。もっと健康な頃の、だけど」
かわいかったでしょう、とどこか誇らしげに笑った。
「……これで、アルトゥンとイノベントの君が似ている理由に説明はついたね」
レックスはゆっくりと前に出る。
「似せて作られた君と、アルトゥンの間に何らかの……協力者やスパイの可能性は消えたわけだ」
「あら、この子にそこまでの勘ぐりを入れてたんだ」
疑り深いのね、とどこまでも楽しそうな様子を崩さない。
くるくると回りながらトラックの前に戻ると、ふわりと笑む。
「さて、お話はここまでにして、戦いましょう」
シスは優しい優しい顔で、彼らに微笑みかけた。
「トラスト」呼びかけに、海里はレックスに意識を向ける。
「多分、彼女は後ろのトラックと同期接続するつもりだ」
同期接続。機械の持つ固有振動数に同調し、構造を組み替えて自身の武装として再構築する能力。
現在、機械知性体の中でその力を持っていると確認できているのは、海里とシスだけだ。
手近な機械を戦闘用の身体に構築できる能力は、脆弱な身体しか持たない海里にとってかなり有益な手段になる。
しかし、近くに素材となる機械がある場合に限られてしまう。
海里は押し黙る。周囲はだだっ広いだけの空間で、使えそうな機械はシスの持ちこんだトラックしかない。
以前は自分が運転してきた車を使って同期接続を行ったが、今回はレックスと直接ここまで乗りこんでしまったので完全に手詰まりだ。
内心の迷いが見透かされたか、シスは薄く笑む。
「困ってるみたいね」
少女の微笑みが一変したのは、次の瞬間だった。
身体が地面に沈み、跳ねた。シスは地面を蹴って跳躍すると、小さな身体を弾丸のようにして飛び駆ける。
海里に向かって。
突然の行動に、彼らは戸惑う。てっきり、背後のトラックを使ってロボット的な巨体を構築してから攻撃すると思いこんでいたので、反応が遅れた。
「───くっ!」
反射的に、海里は身体をひねってアルトゥンをかばう。直後、シスの蹴りが右肩に直撃した。
軽く身体がかしぐ。小柄なシスの一撃は、海里にとって驚愕程度の衝撃にしかならない。互いに距離を取ると、彼はレックスの手の中にアルトゥンを入れた。
「ちょ、トラスト……」
「向こうの狙いは俺だ」
アルトゥンを頼む、と言い終わる前にはすでに走り出していた。レックスの制止の声は聞かなかった事にする。
単純な攻撃力なら、レックスに分がある。しかしシスは小柄な身体と、その軽さを生かした機動力で迫ってくるのだ。人が素手ではツバメを捕えることができないように、その素早さを侮っていてはあちらのペースに巻きこまれるだけ。
「トラスト!」叫ぶ声は、レックスのものではない。
振り返らず、目線で探すとトレトマンが猛烈な砂煙を上げながら、救急車の外装で走行してくるのが見えた。
並走する、無人のパトカーもある。どうやらトレトマンは車の自動走行システムに干渉し、遠隔操作でここまで運んできたらしい。
戦闘になると見越して。
相変わらずの手回しと判断の素早さに、海里は感心する。
「よそ見、しないでよ」
シスのつま先が肩に触れる。海里は即座に反転して捕まえようとしたが、振り上げた腕は空振りする。
するりと追う手から逃れて身をひるがえすと、枯れ葉色の髪が激しい軌道に合わせて大きく広がる。
「……まったく、曲芸で遊んでいる場合か」
トレトマンは持ちこんだパトカーを走らせ、そのまま海里の側まで送りこもうとする。少女とトラックの距離は離れていた。たとえ彼女が同じようにクルマを動かせても、速さはこちらが上だろう。
海里が同期接続する隙を稼ごうと、トレトマンは背中の装甲を展開して中からライフルを取り出す。
構えて狙いを定める。二人の、傍から見れば踊っているような攻防は続いていた。と、そこでトレトマンは少女の動きに不審な点を見つける。
(あれは……)
腕や足、顔の振り。動作は流水のように滑らかで、無駄がない。トレトマンは技術者として、彼女の外装を構築した者の技術に感嘆する。
そして、作り出すものだからこそ、見えた違和感。
シスは海里を蹴って直上に飛ぶ。支えるものがない場所で不安定に揺らぐ身体を、海里は落ちてくるまで悠長に構えたりしない。
宙を舞う少女の髪が、扇状に広がる。
腰より下に落ちる長髪が、不意に、落下の軌道を無視して動いた。いくつもの束に別れた髪が、細く寄りあわされて槍のように尖る。
先端は、すべて海里に向かっていた。
「っ、しまった。トラスト、避けろ!」
気づいた海里は目を見開いて半身を引いたが、遅かった。判断に迷った分、まともにシスの身体を受け止める格好になってしまい、少女の膝蹴りを胸にくらってそのまま後方に転倒する。
重量のある身体が地面に沈む。ごうん、と鈍い音があたりに響いた。互いが生身の人間なら、ありえない音だ。
土煙りの中、シスの笑声だけが海里の耳に届く。
「あ……、……」
海里の身体は、幾本もの髪の毛の槍で貫かれていた。きわどいところで避けた槍が、顔のすぐ側の地面に突き立っているのを見て、ぞっとする。
全身を打ちつけた衝撃に、すぐには負傷個所の痛みがどこかわからなかった。
「……痛い?」
まるでそれを確認しろとばかりに、シスは肩や腕、足につきたてた槍を動かす。途端、海里の口から苦鳴が漏れる。
「あは、本当に痛覚があるんだ」
朗らかに笑う少女に、他者を傷つけた罪悪感はみじんもない。
「そんなもの、なくしちゃえばいいのに。あたし達は機械なんだから、腕がもげても、上半身と下半身が分断されても死なないわ。人間なら、数分で絶命して終わる痛みを味わい続けるなんて、あたしは嫌よ。シンも、このままじゃあ、精神や頭脳が過剰な苦痛に耐えかねて焼ききれてしまうわ」
「……っさい……」
倒れたままシスをねめつける。痛覚の除去は、海里も以前からトレトマンに訴えてきた。だが、その度にすげなくあしらわれるだけ。
彼いわく。痛みを知らなければ、いずれ深刻な問題を見落としてしまうからだ、と。
「……シンも、痛いのは嫌でしょう?」
小さな手が伸ばされる。柔らかい皮膚で覆われ、桜貝のような爪がついている。同じ機械同士でも、海里の無骨な身体つきとはまったく違う印象を持った手だった。
ねぇ、と笑うシスの身体が、爆発音とほぼ同時に横に吹っ飛んだ。髪の槍は錨にもならず、あっさり抜けてしまう。
衝撃波が、海里の短い髪を揺らした。
「…………な……」
海里は面食らう。起き上がっていいものかわからずに放心していると声がかかった。
「トラスト!」ライフルを掲げたトレトマンが声を張り上げる。彼が狙撃したのだと気がついた海里は、身を起こしながらシスの行方を捜す。
少女は、十数メートルも離れた場所まで吹き飛ばされていた。
本来なら、同等サイズの機械知性体との戦闘を想定して装備している重火器は、威嚇用の小口径でも十分な威力を発した。
シスの右腕は、肩口から引きちぎられたようになって転がっている。ねじれた腕は、銃弾によって砕かれ半分ほどの長さになっていた。
「あーあぁ……壊れちゃった……」
ばさりと長い髪をうっとおしそうに跳ね上げながら、シスは立ち上がる。片腕を失ってバランスがとりにくいのか、多少ふらついたが、苦痛を感じている様子は見受けられない。
「すべてを壊されたくなかったら、そろそろ降伏すべきだろうな」
落ち着いた声で、トレトマンがライフルを掲げる。放った弾丸が直撃すれば、シスの小さな身体は細かな部品にまで分解されてしまうだろう。
レックスもまた、無言で銃口をシスに向ける。
ぐるりとあたりを見回し、シスは面白そうに笑う。
「三対一。しかもあたしは、こんなかよわい外装だけ。これじゃあ、どっちが正義の味方かわからないわね」
「ふん、私もそんなむずがゆいものになるつもりはないぞ。それに、オリジネイター同士の戦争は、正義と悪なんて単純なぶつかりあいではすまないだろう。我々は、それぞれの正義を掲げて戦うだけだ」
そうね、とシスは小首をかしげる。
「あたしは、戦いたいだけ」
だから、とシスは笑いながら歩き出した。
彼らに向かって。
馬鹿な真似を、とトレトマンが漏らし、誰も何も答えなかったが、心中は同じだった。彼女の行為は、無謀な特攻にしか見えない。
「うふふ……あはははははは、あははははははははっ!」
甲高い笑声が、緋色の空に響き渡る。
ゆっくりとを歩を進めながら、シスは残った左腕を水平に掲げた。まっすぐに歩くシスの腕あたりの空間が、不自然な歪みを見せる。
シスの腕を起点に、銀色の渦が巻いて残照を反射する。一度強く輝くと、彼女の手に重量のある機関銃が握られていた。銃の全長は、少女とほぼ同等。通常なら、三脚を使って固定する重量武器を軽快に振り回す。
弾薬ベルトをリボンのようにひらめかせながら、シスは彼らの懐に向かって切りこんでいく。
機関銃が火を噴いた。猛烈な勢いで吐き出される弾丸の嵐とめまぐるしい動きに海里達は驚愕する。一瞬の間に、シス自身が動く砲台へと変貌したのだ。
フルオート射撃で吐き出される弾丸が雑草を千切り、土をえぐる。
「レックス、その子を連れて後退しろ。トラストは、えぇい、さっさとリアクトせんかっ!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすトレトマン。若い二人は直ちに動き出した。
「あのトラックに近づけるな。向こうにリアクトされてはたまらん、何としてもあのまま押さえこめ」
笑う少女は、左腕の機関銃の重さなど関係ないとばかりに駆け回る。トレトマンの銃撃がきわどいところをかすり、土砂がつぶてとなって襲っても小揺るぎもしない。
(耐久性の高さと反射速度は、さすがに同じ機械知性体なだけはあるな)
感心しながらも、トレトマンは銃撃の手を止めない。彼もイノベントに関しての対応が後手後手に回っている事に苛立ちを感じ始めていた。シリウスが見た、異常な行動を示す少女達の一件もある。だからこそ、多少の無理を押し通してでも、ここで彼女を捕獲し、情報を引き出す必要があったのだ。
常の沈着さがわずかにかげり、かかる負荷に弾道が乱れがちになった。
ふっ、とシスが口元に小さく嘲りを浮かべる。
彼女は大きく身体をひるがえすと、一瞬で機関銃を消してしまう。周囲を取り巻く銀色の粉が、発光と同時にまったく別のものを構築した。
背中と、失われた右腕が輝く。
瞬く間に、シスの背には銀色の翼が幾重にも展開し、右腕には長大で巨大な銃が生まれていた。
装備の総重量は、先ほどの機関銃の何倍もある。シス自身の体重も上回っているだろう。そんなものを細い肢体で支えながら、危なげのない動きで長銃を掲げた。
銀の翼が輝き、銃身の内部に光と火花が散る。トレトマンはライフルでの狙撃を中止し、大きく横に飛んだ。
直後、長銃の砲身から、純粋な光が一直線に走った。射撃の反動に足首まで地面にめりこみ。少女の身体がのけぞる。
地面を舐める閃光。足元の地面が割れ、土砂が舞う。
衝撃波がトレトマンの白い装甲を横なぐりにする。身体がよろめき、制御できない小刻みの振動に揺らぐ。
「……何て威力だ……」
トレトマンは感嘆の声を漏らした。そうして衝撃にふらつきながらも彼は的確な分析を披露する。
「身体の部分的な性質変異。物理法則を無視した質量変換。それに、そんな小さな身体では、発砲時の反動で一緒に吹っ飛ばされるか、衝撃に破損してもおかしくはないだろう」
ライフルを背に収め、代わりに持ち出したのは、シスのそれよりも巨大な銃。まるで電柱のようなそれを肩に担ぎ、トレトマンは警戒レベルを最大にまで上げる。
「すべてを、おまえさんの小さな身体のどこで補っているのかと思ったが……。そうか、この世界そのものが、おまえさんの武器となりえるのだな」
シスは、笑ったまま何も答えない。だが話を聞くつもりなのか、長銃は沈黙する。
トレトマンはひとつ間を置くと、
「ナノマシン」
ぽつりと漏らした。
「恐らく、おまえさんの身体を構成する金属は、電気量の調節により金属と非金属、両方の形態を取れるのだろう」
それに、と周囲を示す。
「この人工島には、大量のナノマシン群体があらかじめ、散布されている。それらを制御して、大口径の武器を構築する。そして、力場を作って銃撃にかかる負荷を軽減しているのだな」
少し遠くで、アルトゥンを抱えているので戦闘に参加できないでいるレックスが、何の話だ、と首をかしげている。
二人だけの会話は続く。
「正解よ、多分。残念だけど、あたしは難しい話はできないの。でも、あなたが言った通り、この身体は微細機械で組まれてるから、分解も再構築もたやすいわ。それに、この人工島には建設段階から、ナノマシンがばらまかれてるわ」
「つまり最初から、我々はおまえさんのフィールドに誘いこまれていたのか」
「単に、人目を避けたかったってところもあるけどね」
小さく笑うと、シスは再び銃を銀色の光に分解する。長銃はライフルに変化した。
大口径の弾丸が吐き出されたその先は、シスが持ちこんだトラックだった。
ライフル弾を受けたトラックは大きく震え、煙を噴き出すと爆発した。車体が吹き飛び、コンテナが横転する。
瞬間的にライフルを消したシスは、火を噴くトラックに向けて猛然と走り出していた。
シスに対してトレトマンは、腕部に仕込んでいた小銃を使って連続で射撃する。たて続けに発砲したが、飛び駆ける少女をとらえきれない。
彼女は燃えさかるトラックとコンテナの前に立つと、肩越しに振り返って笑った。
今までになく毒気のある微笑みだ。
「あたし……あなた達にぴったりの素材を用意したの」
彼らの前で、コンテナは巨大な卵のように砕け、内部から何かが生まれようとしていた。
一本の脚が突き出した。二本目と、さらに両腕。そのシルエットは、燃えさかるトラックを背景に伸び上がる。
黒煙にまぎれ、姿は判然としない。
「……他の機械知性体か?」
トレトマンはいぶかしむ。相手がロボットのような四肢をもった存在なのは認識できたが、それ以上はここからでは確認できない。
巨大な姿は、ぎこちない動きでこちらを向いた。
胸部に大きな破損があった。まともに動くのか疑わしいくらいにえぐれ、部分的に向こう側が見えている。全体的に傷つき、部品が脱落している個所が多くあった。
しかし、コンテナが転倒しただけでここまでの損傷は与えられないだろう。この巨体はコンテナに運び入れられる前からすでに、壊れていたのだ。
海風に黒煙が吹き流され、夕刻の人工島に巨体があらわになる。
夕日よりも赤い身体。鋭く、力強いシルエット。全体的に流線型で構成され、素早そうな印象があった。
もっとも、動ければ、の話だったが。
赤い身体は、コンテナに半ば埋もれたままの格好で沈黙する。淡い緑の眼は輝きを失い、何秒待ってもそれは変わらない。
レックスがうめく。同じ眼の色をした存在を前に、はっきりとうろたえていた。
「……アウラだ……」絶望的な声音だった。
見たものを否定したいとばかりに大きく頭を振って後退するが、脇に立つ海里の視線を受けて硬直する。
海里もまた、信じられないと目を見開いていた。
何も言わない口が「頼むから、嘘だと言ってくれ」と必死で訴えかけてくる。
彼の心中の叫びが、レックスには手に取るようにわかってしまう。理解できるからこそ、沈黙しか返せないのだ。
アウラ・〇六〇九。
地上へ調査に出た後、消息を絶った同胞。ユニオン内ではほとんどの者が、仲間の生存をあきらめていた。しかしその中で、海里だけは半ば盲信的に信じ続けていたのだ。
仲間の変わり果てた姿に、海里は同期接続する事も忘れて立ちつくす。
「アウラ……」
ふらりと歩き出す海里に、レックスはあわてて行く先をさえぎる。
「落ち着いて、トラスト!」
半ば悲鳴じみた声に海里は顔を上げる。目を開けてはいたが、ひどく暗く、何も見えていない空洞のようだった。
生気のない顔が、次の瞬間、くしゃりと歪む。
「レックス……アウラの、アニマがないんだ……」
弱々しく、泣き出す寸前の子供のような声だった。
機械知性体の内部には、エネルギー結晶体であるアニマが存在する。それは機械知性体にとって、魂であり、生命の根源。機械の身体は、身を守る衣服のようなもの。身体がどれだけ損傷しても、極端な話、アニマさえ無事なら蘇生は可能だ。
しかし目の前の巨体は、空虚な胸部をさらしている。
ここにあるのは、仲間の命が収まっていた抜け殻だけだった。
「トラスト……。だって、アウラのアニマは、もう……」
言いかけて、レックスは言葉を呑みこむ。しかしその不審な間に、海里は弾かれたように顔を上げる。
「レックス……もしかして、知っていたのか?」
きつくにらまれ、レックスは巨体を縮こまらせる。だがそんな事をしても、ここには逃げこむ穴もない。
海里は奥歯を噛み、苦いものを吐き出すようにして続ける。
「アウラが、もういないって」
砂を蹴って近づく海里に、レックスはあわてて手を振る。
「トラスト、トラストっ、頼むから僕の話を聞いてくれ」
「質問をしているのは俺だっ!」
怒声にレックスはますます小さくなる。
(さ、最悪だ……)
そうとしか言いようのないタイミングで、隠していた秘密が露呈してしまった。
トレトマンとレックスはかなり早い段階で、アウラの生存を断念していた。
彼らが出会った少年マイキが、アウラの波長を持った蒼い石を持っていたからだ。
欠けた石が示すのは、そこに宿っていた生命が失われた事実。
しかし当時の海里は人間嫌いが今よりも顕著で、地上でのイノベント調査も、仲間の捜索という餌がなければ承諾しなかったほどだ。彼が目的を見失った際にどうなるか目に見えていた二人は、折りを見て、とアウラの件を先延ばしにしていたのだ。
問題を先送りにしていたつけは、より大きな障害となって立ちはだかる。
「トレトマンも……知っていたのか……」
海里の中で、アウラの死と、それを隠していた仲間に対する疑惑で荒れていた。ささくれ立った気配に、レックスは何もできずにうろたえてしまう。
「あぁ、知っていたとも」
だからどうした、とトレトマンは無愛想な声を投げつけてくる。
「おまえさんが事実を知った時、そうやって荒れるのがわかっていたから黙っていただけだ」
「っ、トレトマンっ!」
「トラスト、アウラがっ!」
海里の怒声と、レックスの悲鳴が重なる。
彼らがわめいている間に、シスは次への準備を滞りなくすませていた。
小さな身体は赤い巨体の膝に乗り、傷だらけの装甲板を愛おしげになで上げる。
「壊れてるけど、ちゃんと使えるわよ」
振り返ったシスは意味深長な笑みを浮かべ、機械に触れた。
「駄目だ……やめてくれ……」
彼女の意図に気づいた海里が制止しようとするが、すでに遅かった。
シスの身体が光になって分解し、損壊した巨体と同化する。直後、沈黙していた四肢が大きく震えた。
装甲板が展開し、内部部品が組み換わる。欠損していた部分を補うようにして互いに繋がり、穿たれた穴をふさいでいく。
巨体はゆっくりと立ち上がった。基本的なシルエットは以前とよく似ている。色もそのままだ。
だが、彼らにとって、それは何の救いにもならない。
「アウラ……」
海里は膝をつき、前に手を投げ出した。
「違う、あれはアウラじゃない! トラスト、リアクトするんだ!」
虚ろな目をしたままうずくまっている海里に、レックスが叫ぶ。彼のすぐ傍らには、トレトマンがここまで運んできたパトカーがあった。
「動くんだ! 戦って……いや、逃げるんだっ!」
叫ぶ声に、海里は何の反応も見せなかった。いや、聞こえていても、届いていないのだ。
「ちくしょう! あいつ、何て真似をしてくれるんだっ!」
何とか兄弟を逃そうとレックスは懸命になったが、抱えているアルトゥンのせいで大きな軌道が取れない。
動かない海里に業を煮やし、レックスは彼も一緒に抱えて後退しようとする。だが、伸ばされた鋼鉄の手は海里をつかめず空振りした。
「トラスト?」
ふらりと立ち上がった海里は、レックスの手から逃れて歩き出す。
「……ラ……アウラ……アウラ…………」
その名前だけを繰り返し、瞬きを忘れた無表情で、赤い巨体の足元へと進む。
まるで親へと向かう幼児のような光景に、赤い巨体は彼を抱き上げるのではなく、コンテナ内から取り出したガトリング砲を構えることを返答とする。
六つの銃口が海里に向けられる。巨大な弾丸が一発でも命中すれば、いくら機械知性体の強固な身体でも簡単につぶされてしまう。
「行くんじゃない、トラスト!」
もう一度、レックスは手を伸ばす。
「───アウラァァァァァッ<」
海里の絶叫にガトリング砲の回る音が重なる。放たれた砲弾が足元に着弾し、弾けて土砂と爆炎を撒き散らす。
霧よりも濃い粉塵が、海里の姿を隠してしまう。レックスはとっさに動けず、手の中のアルトゥンをかばう。
次第に土煙りが風にすくわれて薄らいでいく。そして、灰にかすんだ向こうに浮かぶ、人間に酷似したシルエット。
白と黒の塗り分けが特徴的なロボットが姿を現し、動作を確認するように、ゆっくりと立ち上がった。
白と黒、そして赤の巨体が、爆煙を挟んで対峙する。
「やめるんだ、トラストっ!」
生身の少女を抱えているレックスは、彼らに近づく事ができない。困惑する彼に、冷やかな声が割って入る。
「レックス、こっちにもお客さんだ」
示す先、人工島の向こうに広がる海から、多数のロボットがこちらに向かってくるのがレックスにも確認できた。
赤いひとつ眼の巨人が、群れを成している。
「……ゴースト……」
「どうやら、包囲されたのはわしらのようだな」
先手必勝だ、とトレトマンは肩に乗せている巨大な砲身を迫るゴーストの群れに向ける。金属製の円柱が半分に割れ、内部機関が獰猛な唸り声を上げはじめた。内部には雷のような光が幾条もほとばしり、砲身内部に配置された数百の電磁石に大電流が送りこまれていく。
「って、いきなりレールガンを使わないでよっ!」
ばたばたとあわててレックスがトレトマンの側から離れる。生身の少女に超破壊兵器の余波をくらわせるわけにはいかない。彼が十分に距離を取った直後、砲身から鋼鉄の飛翔体が音速で打ち出される。極小物質に加速の威力を上乗せすることで、極大の破壊力を得る兵器、それがレールガンだ。
直線上に光の帯が走り、フェンスを吹き飛ばしてさらに海上を突き抜ける。
猛烈な勢いで加速する光条。瞬時に蒸発した海水が濃い煙になって噴き上がる。
白く、直視できないほどまばゆい光が海上を包み、消えた後、ゴーストの姿は消滅していた。
「……ふん、まぁまぁか」
自身の開発した兵器の威力に、口調とは裏腹に満足そうな様子でうなずくと、トレトマンはレールガンの砲身を背中にしまい、代わりにライフルを取り出す。
「あれ、ゴーストは消し飛んだんじゃないの?」
「馬鹿もの。排除できたのは、一部だけだ。すぐ後方に別の部隊が控えている」
そのとき、どこからかヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてきた。はて、と思いレックスは空を見上げたが、航空機の姿はない。しかし確実に、大気を叩くローター音と、低く唸るようなエンジン音が近づいてくる。
「ねぇ、トレトマン。何か来るみたいなんだけど」
見えないんだ、と言っている間に、ヘリコプターの音がいっそう激しくなり、広場の土が舞い上がる。
「何が……」
「レックス、上だ! いるぞ!」
端的な声にもう一度空を見たが、やはり、何も見えない。 いや、微かに大気の揺らぎを確認できた。そう思った時、空から何か、小さい塊が飛び出してくる。
え、と呆気にとられるレックスを、空から突如、降ってきた存在は文字通り、嘲笑った。
空中で器用にバランスを取ると、金の髪をすくう余裕さえ見せながら、女がレックスの黄色い身体に着地する。足元は華奢なデザインのハイヒールで、服装もこんな無茶な曲芸には向かない、見た目優先の華美なものだ。
女は銀縁眼鏡の向こうの眼を細める。
「返してもらうわね」
愛を囁くような声音で告げると、無慈悲に腕を伸ばしてレックスの手の中からアルトゥンをさらった。
「っ、え、えぇっ?」
予想外の連続に、レックスの反応が遅れる。その隙をついて、女は軽やかに身をひるがえすとそのまま走り出す。
驚愕から立ち直れないレックスの頭上で、インクが染みだすようにして空中に大型ヘリが姿を現す。二門の機関砲が彼に狙いを定めていた。
「今まで見えてなかったのに……って、で、電磁迷彩っ?」
完璧なステルス迷彩機能に感心する暇もなく、レックスに砲弾の雨が降り注ぐ。
「う。わ、わぁぁぁ!」
激しい音を立てて銃弾が装甲表面を跳ねる。貫通するほどの威力はなかったが、彼を足止めするには十分だった。
「じゃあね」と笑いながら、女はすぐ近くまで走ってきた軍用ジープに飛び乗ると手を振った。
運転席に座る、厳めしい顔つきの男はこちらを見ようともしない。
「あ……そんな……」
頭を抱えて銃撃に耐えながら、レックスは相手の手際の良さに唖然とする。
砲弾の雨がやみ、ヘリコプターは再び揺らぎの中に姿を消した。そのまま離脱したらしく、すぐにローター音も遠ざかって行く。
「……どうやら、ゴーストも囮だったようだな。わしらがあれに意識を向けている間に、少女を取り返す算段だったのだろう」
トレトマンの声に顔を上げると、海上に残っていたゴーストは、一定の距離を保ったままこちらに近づいてこようとしない。銃を抱えたまま、きれいに整列している。
「トレトマン……アルトゥンが……」
「わかっている。しかし、どうにもならん」
走り去ったジープは、すでに彼方だ。そして追う為にこの場を離れようとすれば、ゴーストの銃が容赦なく火を噴くだろう。
「してやられたな」トレトマンの声に怒気がこもる。許されるなら、地団駄を踏んで暴れ回りたい気分だった。
「先ほどの男女は、中東で見たイノベントの連中に間違いないだろう。彼らは既存の兵器と、ゴースト、人間形態である自身の小回りの良さを生かして不意打ちを仕掛け、目的を達した後は脇目もふらずに確保してあった退路に避難したのだ」
「うわぁ……策士というか……ちょっとずるい……」
「まったく、ちょこまかと動き回らず、悪役らしい口上のひとつも述べてから立ち去れ」
悪態に応える者は、誰もいなかった。
くつくつと、泡の弾けるような笑声が響く。
愛らしい少女の声が赤い機体から発せられていたが、海里はただ黙していた。
あたしは、とシスは謳うように告げる。
「人間を滅ぼすなんて、遠大な目的に興味なんかないわ。あたしは、全力で戦いたいだけ。だって、脆弱な人間相手に力だけを振り回す、一方的な殺戮なんて面白くないもの」
シスは、景気づけよ、と半壊したコンテナ内から野太く無骨な銃を取り出した。グレネード・ランチャーから発射された小型の爆弾が周囲に降り注ぎ、破壊の惨禍を振りまいた。オレンジの炎が弾けて消える。それらを回避しながら、海里は距離をつめていく。
「人間なんて……あたしが手を出さなくったって、勝手に死んでいくわ」
晴れやかに告げる。シスは打ちつくしたグレネード・ランチャーを脇に捨てると、向かってくる海里の懐に自ら飛びこんだ。
重量のある金属同士がぶつかる。重く響く音を立て、互いに組み合った。
接触し、シスは海里を見上げる。
「あたしは、あなた達が来るのを、ずっとずっと待ってたの。目覚めてからは、来る日も来る日も実験、実験、改造、交換、更新、削除。毎日毎日あたしの身体はいじくりまわされていく。それはとっても退屈で、面倒で、何もしていないのに疲れていくだけの日々だったわ」
穏やかな声に反して、互いの膂力に踏ん張る足が地面に足首まで埋まる。
長広舌の合間にも、何も答えない海里にシスはつまらない、と言う。
「怒ってるわね、シン。あたしの話なんて、全然聞いてないでしょう」
拳を振るって離れると、シスは頭部の機関銃をフルオートで撃った。白と黒の身体に弾丸が降り注ぎ、無数の火花が散った。だが海里はセンサー類をかばう様子もない。
「ふぅん、怒りに我を忘れて、ってとこかしら?」
殴りつけ、容赦なく足蹴りを加える。白と黒の巨体がずしゃりと転倒した。
シスは赤い脚で白い胸部を踏みつける。みしみしと装甲板が軋む音が聞こえてきたが、もっと響けとばかりに力をこめた。
「どうして戦おうとしないの? 仲間の身体だから、攻撃できないの? でも、そんな感傷は無意味よ。だって、この身体の中にはアニマは存在しない。ただの抜け殻なんだから」
蹴り飛ばすと、重量のある身体が反転し、うつ伏せになる。そのまま数秒待ったが、起き上がる気配はない。
「あーぁ……」つまらない、とシスは肩をすくめる。
「これを使えば、仲間の抜け殻をもてあそばれて怒り狂ったシンが、思いっきり戦ってくれるかもって期待したのに……面白くないわ」
わがままな子供そのものな物言いで背を向け、地面を蹴る。石ころとは到底呼べないような巨石がごろりと動いた。
「じゃあ、この身体も壊してあげる」
ぱんと手を打ち鳴らすと、スキップしそうな勢いでシスはコンテナまで急ぎ戻る。取り出したのは、人の身の丈ほどもある円筒形の巨大な金属容器だ。
「これ、すっごく強力な爆弾なんだって。国際条約だと、一部では使用が禁止されるくらいで……」
何だったかな、と小首をかしげる仕草だけは、どこまでも人間くさくて愛らしい。
「そうそう、クラスター爆弾、だって」
金属容器に付随する電子機器が、軽い作動音を鳴らす。それは聞く者に、絶望的な響きを与える音だった。
「待て……」
海里は一時的に転倒した場から起き上がる。彼の知識に、その爆弾に関するものはなかったが、ざわついた不安感を覚えた。
「待たないわ」
シスは円柱をラグビーボールのように抱えこみ、手足を丸めた格好でうずくまった。そうして動かなくなった巨体の背から、小さな姿が現れた。
元の少女の形態に戻ったシスが、大きく手を振る。
「ほぅら、あと……五秒くらいで爆発するわよ」
多分ね、と笑いながら、赤い機体と分離したシスは巨体の肩から飛び降りた。
笑声を上げて走り去るのを、海里は見ていなかった。
背中を突き飛ばされるような勢いで走り、赤い巨体に向かって高速で突進する。
シスはすれ違う巨躯に、言葉を投げつけた。
「……次は、あたしだけを見てね」
爆発。猛烈な衝撃と爆風が人工島を舐めつくす。大型容器内に配置された小型爆弾が、容器の破壊に連鎖反応を起こして次々と炸裂する。周囲に火炎が大洪水のようにあふれ、金属の破片がばらまかれた。
あれほどおい茂っていた雑草は瞬時に細かな灰になり、フェンスは焼け崩れる。
上空に抜けた爆風と一緒に、かつては何かだったものの燃えかすが吹き散らかされて行った。
渦を巻く猛火と、どす黒い煙が上がる。
その中心に、存在するものがあった。
焼け焦げ、外骨格だけになった赤い巨体が埋もれている。爆発の衝撃で歪んだフレームに押されたか、右腕が苦悶に悶えるように空に伸ばされていた。外れたモーターがケーブルにぶら下がって揺れ、壊れた脚の一部が脱落する。
破壊されつくした巨体は、炎に焼かれてとうとう自身を支えきれなくなった。伸びた手は、何もつかめないまま根元からばきりと折れる。
炎の中にいたのは、赤い巨体だけではない、白と黒の巨体もまた、同じようにして焼かれ続けていた。ただこちらの損傷は、赤い方に比べたら軽微だった。
もっとも、手足と頭部が胴体に、かろうじてくっついているだけだったが。
海里は折れ、崩れ、破壊の中に沈んでいく巨体を追ってはい進み、互いにもつれるようにして崩壊の中に飛びこんだ。
「う、あぁ、ああぁぁぁぁ…………」
残っていた弾薬に引火し、小さな爆発が起こって火が噴き出す。海里の外装は表面の装甲がはげ落ち、ついに人型の金属塊になり、全身に火が回る。そんな状態にも関わらず、彼の手は瓦礫のように崩壊した機械の山をかき分ける。腕を動かす度に残っていた指が落ち、いくつもの部品が一緒になって脱落していく。
と、その手が止まった。
千切れかけた指の向こうには、奇跡のように原形をとどめた頭部が埋まっている。
だが、すでに眼の光は失われ、ここにあるのは抜け殻だと示していた。
いや、初めから、これはただの壊れた器でしかなかったのだ。それでも、認めたくないとあがく感情が、彼をここまで突き動かした。
「アウラ……アウラ……らぁ……」
呼びかける声が、かすれ、途切れる。
炎がさらに大きな炎を生み、ひときわ大きな爆発へと繋がる。
白い爆発の中、海里はアウラが光の中で砕かれ、形を失うのを見てしまう。
悲鳴とも、絶叫ともつかない声が、彼の身体から解き放たれた。
それは、まさに魂が破裂したような、断末魔のような響きだった。
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これは4巻収録分。
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