晴れすぎた空の下で⑤「……つか、あのクルマ、運転手がいなかったような……」
「逃げられた……」
アスファルトの上に倒れこみ、久檀は息を吐く。遠巻きに見つめる人の視線を感じたが、どうでもいいと意識の外に追いやった。
気になる事があった。先ほどの光景に違和感を覚え、大の字に寝そべったまま首をかしげて考えこむ。
「……つか、あのクルマ、運転手がいなかったような……」
青年は運転席側に乗りこもうとしていた。しかも、彼が車内に身を収める前に、軽自動車は発進している。久檀をぶちのめした特徴的な前開きの扉。その向こうには、誰の姿もなかったはずだ。
「最近の自動走行システムのAIってのは、あそこまでの無人走行が可能だったか?」
はて、と思いながらも久檀が次に取った行動は、起き上がるのではなく懐から携帯電話を取り出し、ある番号を呼び出すことだった。電話の相手は、いつの間にか置いて行ってしまった城崎だ。
数コール後に出た城崎に、久檀はまず謝罪する。
「あー……悪ぃ、逃げられた……」
すまねぇ、と謝りながら起き上がると、久檀は軽自動車が去った方向を見定める。
「いや、まだ追う。逃げた先の目星は付いてる。天条も呼べ、一気に追いこんでやる」
どこへ、と問われ、久檀は視線を一方へと向ける。
その先に見えるのは、青空に美しく映える赤い大橋。
「やつは海側へ逃げやがった。あの赤い橋の向こうだ」
姉弟を乗せた黒色の救急車は、ほどなくアルトゥンを見つける事ができた。
別のものも見つけてしまったが。
「あら、もう来たの」
枯れ葉色の髪に赤いワンピースの少女が笑う。
自身と同じ大きさの荷物を抱えて。
「イノベントの、シス……」
トレトマンはうめく。彼女が小脇に抱えているのはアルトゥンだった。
彼らは自宅から数ブロック先で対峙する。住宅街のど真ん中で機械知性体同士が遭遇している状況に、トレトマンはロボット形態なら皮肉めいた笑いでも表現してやりたくなったが。
どうやら、沖原家の庭から飛び出した少女は、ほどなくして捕らわれたようだ。意識がないのか、身を折ったまま動く気配がない。
車内の姉弟が息をのむ気配が伝わってくる。トレトマンは、出ないでくれ、と念押ししてから会話を続けた。
「その子をどうするつもりだ」
さぁ、とシスは小首をかしげる。はぐらかしている場合か、と怒鳴られてもくすぐったそうに笑うだけ。
「……人家の側だから、私が何もできないと侮ってもらっては困るぞ」
「別に、あなたを軽んじたりなんかしないわ。本当に知らないの。でも、残念だけど、見つかったからって引き渡すつもりはないのよ。この子は黙って持って来ちゃったから、返さないといけないの。その後にどうなるかは……あたしには、わからない部分なだけ」
「それはそれは、さぞや管理責任者が怒り狂っている事だろう」
でしょうね、と朗らかに笑うシス。
「本当はこっそりやりたかったの。けど、あたしがやったなんて、向こうにはとっくにばれてるはずよ」
「ほぅ、ではイノベントである君が、自らの立場を危うくしてまで我々に情報を与えるメリットとは何なのだ」
問われ、シスは何か頬に柔らかいものを含んでいるように笑った。
「早く戦いたいからよ」はしゃいだ声を上げるシス。
トレトマンは相槌も返さずに沈黙する。
「そっちは調査。あたしは検査と実験と改良。毎日が退屈な繰り返しばかりで、もう、飽きたの。だから、少しでも状況を早回しにして戦争を起こしたいのよ」
とろけるような笑顔に向けて、トレトマンは針を含む声で言った。
「これはこれは、ずいぶんと好戦的な性質のようだね」
驚いたよ、と平板な声音で言った。
「そうよ、一日でも早く戦いたいわ。でも、さすがにこれ以上情報を与えると、あたしも怒られるだけじゃあすまないから、さっさと帰るわ」
「手荷物は没収させてもらうがね」
いやよ、と笑ってシスは跳ねた。硬く重い音をたてながら、塀から屋根に跳び移る。ユキヒが悲鳴じみた声を上げ、少女を助ける為に動こうとしたが、トレトマンはドアをすべてロックして姉弟を車内に閉じこめる。
非常に不利な状況だった。車両形態のままで追いかけることは可能だったが、連れ去った相手が同じ機械知性体となれば、こちらも相応の対処を取る必要が出てくる。
特に、あの少女は海里と同じ同期接続能力を有している。もしもシスが何も考えずに今すぐ戦うと言い出せば、それこそ千鳥ヶ丘市は数ヶ月前の災害を繰り返してしまう。
「追って来ないんだ。意外と冷静なのね」
シスは透き通った瞳をトレトマンへ向けて言った。
「じゃあ、ひとつだけ、あなたの罪悪感が薄まることを教えてあげる。この子はね、もう手遅れなの。能力が拡張しすぎて、額の装置でも制御できない。近いうちに、暴走した能力で精神が惑乱し、狂ってしまうわ」
シスとトレトマンの距離は、通常の会話をするにはかなり離れている。互いに集音装置で声を拾っている状態だ。彼は姉弟に話が聞こえていない事に安堵する。
「でも、この子はね、誰かを支配しようなんて、これっぽっちも考えてないわ。ただ、こうありたいと望むだけ。優しくしてくれる人が欲しいだけなの」
シスは最後にひとつ、言い残すと屋根伝いに走り去った。
トレトマンは姿が見えなくなるまでシスの姿を追い、車内の姉弟に状況を説明すると、アルトゥンを追う為に二人を下ろして走り出した。
自身の失態をレックスに知らせて間もなく、彼が海里を見つけて追っていると報告が入る。
そうか、と返し、トレトマンはシスの伝言を伝えた。
「……赤い橋の向こうで待っているそうだ」
実験体を連れ出されたと知ったエルフの反応は、わずかに眉を跳ね上げただけだった。
「ふぅん、まぁ、あれはもう処分対象だったもの。無理に取り戻す必要はないけど、その辺に放置されるのはまずいわね」
あまり広くない室内の照明は落とされ、代わりに大小のモニタが明滅し、様々な情報を更新し続けている。
「監視だけは怠らないでね」
彼女は通信を切断し、椅子をくるりと回す。
背後の壁面に、モニタ光で青白く染まった男が立っていた。
曇天のような表情のディスは、平板な声で尋ねてくる。
「……シスと実験体は見つかったのか」
えぇ、とエルフはそっけなく答える。
「行き先は、日本の、例の地方都市よ。どうやらまた、あいつがユニオンの連中にちょっかいを出しに行ったみたいね。戻ったら、懲らしめる必要があるわ」
実験体を一体を失った事など瑣末な被害だ。むしろ研究施設にシスが押し入った際の後始末の方が頭が痛い。
目を閉じて額を押さえる。苛立たしげに柳眉が跳ねた。
「……あの六番、問題が多いわ」
爪の先で机を叩く。神経質な音が響くが、ディスは無機的な静けさを保ったままだ。
「どうして大人しく改良実験に専念しないのよ。あれはその為に生かしてるようなものじゃない」
「起動時から、奔放な性質はあったな。我々と違い、偶発的に生まれた個体だから、現在も未知数な部分が多い点は否めないだろう」
エルフはディスの話などまったく聞いていない。ささくれ立った感情を隠しもせず、大きくのけぞって椅子に背を預けた。
金色の髪が顔を滑るのすらうっとおしいとばかりに、エルフは美しい造形の顔を歪める
「ねぇ、本当にあれはこちら側の個体なの?」
ディスは答えない。答える必要などないとばかりに沈黙を続ける。話に乗って来ない男を、エルフは苦々しく思う。
「自分の考えは話したくないわけね。いいわ、だったら私が代弁してあげる」
上半身を起こし、エルフはディスをねめつける。
「あれは、信用できないものよ。仲間でも、同士でもない。本当ならとっくに廃棄していたものを、仕方なく再利用してるだけよ」
話す間に感情が高ぶってきたのか、甲高い声でエルフはまくし立てる。
「少なくとも、必要がある間は使い続けるべきだろう」
「そうやって、だましだましやっている間に、重大な欠陥を見落としそうな気がしてならないわ。だって、あれは、私達とは違うものよ!」
刃物のような視線を、エルフはここにいない者に向ける。
「私も、ヴァンもディスも、同じアニマから派生した。けど、あれは……あれだけが違うの。廃棄しようとしていたクズの中に残っていた、死にかけの欠片だったわ」
最初に見つけたのは、処理を担当したヴァンだった。彼はそれをすくい上げて彼らに示し、どうする、と問うた。
面白そうだから再生しましょう、そう言った事を、エルフは心底悔いている。
「六番……シス……そうよ、どうしてあれは六番なの? 他にも空いている番号はあったはずよ」
「そう名乗ったと、ヴァンから聞いている。空きナンバーだったので、そのまま使われる事になった」
「だから、おかしいのよ!」
事務的な口調で話し続けるディスに、エルフの苛立ちが最高潮に達する。
「十番、二十番。そして十一番。私達は今まで、連番だったわ。順当に考えれば、続きから始まるのが筋よ」
「当時、すでに私より前には誰もいなかった。君とヴァンの間もな。使用者が重複しないのなら、かまわないだろうと言って流したのは君だ」
「……そうだったような気もするわね」
ディスの記憶力の良さに歯がみする。と、不意にエルフは顔を上げた。
「もしかして、六番には起動以前の記憶があるのかもしれないわ」
「それは、完全にフォーマットされているとヴァンが診断を下した問題だ。シスの振る舞いが異質に見える点は、身体を構成する素材が我々とは違う材質で構築されているせいもあるのだろう。動作可動範囲や強度面の差異は大きい」
エルフは舌打ちする。ディスが話の矛先をそらそうとしているのが明白で、いらいらと毛先をもてあそぶ。
だが、あの六番は、使えるという点ではまだ利用価値があるのも確かだ。
ようやく少しだけ冷静さを取り戻す。
「例の、微細機械細胞とかいうものね。私も早く身体を造り変えたいわ。ヴァンもいつまでもテストなんて繰り返してないで、こっちにデータを回して欲しいものよ」
「そう急くな。まだ、量産段階に入れるほどの実用性はない素材だ」
ちらりとエルフは視線を上げる。そこには徹頭徹尾、表情を崩さない男がいるだけだった。
もはや、何もかもがどうでもよくなってきていた。そもそも、何をする為にここに座っていたのか、そこから思い出す必要性があるだろう。
もういい、とエルフは話を勝手に打ち切ってモニタに向き直る。
「新型もいいけど、コストがかかりすぎてたくさん作れないからって、あんな子供体型にされるのはごめんだわ」
「エルフ」
と、前置きなく通信回線から、低い男性の声が発せられる。
「ヴァン? どうかしたの」
格納庫を調べていてわかった、と回線の向こうにいる男は前置きする。
「シスが持ち出したものは、実験体だけではなかった」
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