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晴れすぎた空の下で②「あの子が世界を滅ぼすって」


 その日、砂漠の街には女性で構成されたいくつもの集団が闊歩した。

 まるで華やかなパレードのように足並みをそろえて歩く姿は、遠目にはとても美しい光景だった。

 集団は、年齢や人種にばらつきはあったが、二十歳前後の若い娘が多く、皆が皆、少女期らしく、よく笑っていた。

 だが、近くで見ると、彼女達の笑顔は見えない手で無理やり皮を引っ張られているように引きつり、ある者は涙とよだれを流しながら悲鳴を上げていた。中には呆けてしまい、焦点の合わない目で空っぽな笑いだけを顔に貼りつけていたが。

 唯一の共通点は、全員、額に金属の眼がそろいの飾りのように輝いていたこと。

 そして行進が、必ずしも本心からではないと示すように、身をよじって逃げようと試みる少女も多かった。だが、足だけは機械仕掛けのように正確に前に進み続ける。

 彼女達を見つけた者達は、行進の異質さに、逃げる事も忘れて呆然としてしまう。

 と、そこに、一発の銃声が響いた。

 治安維持の為に出動した兵士の一人が、奇怪な行進が迫るのに耐えきれずに発砲したのだ。

 最初の銃弾は、少女の足元を穿っただけに終わった。

 だが、兵士は歩みを止めない少女の群れに恐怖し、青ざめた顔で再び彼女達に銃を向けた。

 途端、彼に並んで隣が、その隣もまた、銃を掲げる。

 一人が引き金を引いたのをきっかけに、銃撃が始まった。何十発もの破裂音が響き、音の数だけ少女達の身体に穴が開く。小さな穴から体液が噴き出し、着弾の衝撃で手足がでたらめに振り回され、奇怪なダンスが披露される。

 硝煙に視界が閉ざされ、兵士は一度、銃撃の手を止めた。今さらだが神に祈る者もいたが、直後に息を呑む。

 未だに濃い粉塵が漂っていたが、その向こうにある事実に気がつくと、誰もがおののき、現実から逃れようとするように後ずさった。

「あーぁ……あぁ……」

 誰かの声にならない声は、目の前の光景を代弁していた。

 言葉にできないのだ。

 撃たれた少女達は、未だに歩き続けていた。

 悲鳴と、涙と、血を撒き散らしながら。腕が千切れ、膝を砕かれ、顔面が醜くえぐれても、歩いて行く。

 たったひとつ残された、天使のような声だけが響く。歌詞も旋律もでたらめな、ひび割れた絶唱が。喉から血を吐き出すような叫びは、恐怖と苦痛に限界を越えてしまった精神が弾ける音だった。

 兵士達は誰も動かない。誰もしゃべらない。事態に理解が追いついていないのだ。

 歌声の合間を縫って、軽い銃声が響く。

「あ……」

 呆けている兵士は、胸から流れる血と、隣の仲間を交互に見た。彼は信じられないと目を見開き、絶命する。

 どさりと重い音を響かせて、男は倒れてそれっきり動かなくなった。彼を撃った兵士は、仲間の死体を踏み越え、仲間の命を奪った銃を、さらに隣にいる者に向けて掲げる。

 そこまで見ていても、兵達は仲間が仲間を撃った現実が理解できずにいたのだ。

 だが、彼は止まらない。まっすぐに、仲間の方へと歩みを進めて、そして伏せていた顔を上げる。

 笑っていた。

 少女達と同じ、晴れすぎた空のような笑みを浮かべながら引き金を引く。

 一人が、二人が、三人が倒れ、ようやく事態の異常さに気がついた兵達が動くが、すでに手遅れだった。

 同じようにして、笑いながら仲間に銃を向ける者達が他にも現れ、場は一気に混乱する。

 隊列も戦術も、瞬く間に消えうせた。誰もが混乱し、でたらめに撃っては逃げ、倒れて踏まれて転がる。

 全員の顔が引きつけを起こしたように歪み、狂気に取り憑かれた者は考えなしに集団の中で手榴弾のピンを引き抜いて適当に放り投げ、爆発で何人かまとめて吹っ飛ぶ。

 無秩序な混乱に支配された通りに、少女達はただ突っこんで来るだけ。

 散弾銃が少女達を薙ぎ払う。行進は続いていたが、すでに半数以上が肉塊になっていた。

 何十発もの鉛玉を受けた身体は熟れた石榴のように弾け、真っ赤な内部をさらしている。

 残った少女達は、腕や肩の肉が千切れても、腹の中身を引きずっても、削れ落ちた肉を踏みしめて歩き続ける。

 同じようにして狂った兵士を従えて。

 と、一人の兵士が、意味不明な唸り声を上げながら掲げたのは、対戦車ロケット弾だった。

 男はすでに正常な判断力を失っているのだろう。表情を痙攣させながら、少女達にロケット弾を向けて発射レバーを引いた。

 爆発を伴いながら、高々と火炎が噴き上がる。その衝撃で、近くにいた兵士が何人もがなぎ倒された。紅蓮の炎が少女達を飲みこみ、高温の衝撃波が荒れ狂う。

 爆煙が晴れると、そこにあったのは破壊。

 壊れた家屋と同じように、少女達も粉砕されてしまった。

 千切れた足は、靴と足の指が行方不明だ。腕の先にあった手は弾け飛び、首のない上半身と下半身は、かろうじて背中の皮一枚で繋がっているだけ。皮膚がぶすぶすとくすぶり、焦げた髪が異様な臭気を発する。炎の中で肉塊が焼け、筋肉が収縮し、骨が折れて崩れた。

 少女の行進は止まった。同時に、男は気がつく。

 自分以外に、誰も動く者がいない。

 少女に取りこまれて狂った者、逃げようとした者、少女に立ち向かおうとした者。

 いっさいがっさい吹き飛ばしてしまったのだ。

 一人だけ生き残ってしまった男は、虚ろな笑い声を上げて空を仰ぐ。

 硝煙でにごっていたが、空は青く広がっている。

 やがて疲れたのか、笑いは途切れがちになり、男は焦点の合わない目で空を見上げながら、持っていたナイフで自分の喉を突いた。

 ごぼごぼと血の泡を吐きながら倒れ、地面に大きな染みが広がる。

 それで、終いだった。

 たくさんの肉の欠片が転がった石畳の上。薬莢と血と金属の破片と。抜け殻のように転がった靴の片方に、撃ち抜かれた家族の写真。

 この街で人を殺したのは、確かに人だった。

 だが、ここにあるものは災害。

 誰にも、何に対しても平等な破壊だけが存在していた。



 姉弟と少女、そして機械知性体という、奇妙な組み合わせの共同生活は続いていた。

 朝食の席で、ユキヒはアルトゥンの隣に座り、口元についたパンくずを取ってやっている。困ったわね、と笑う様子はとても楽しげで、幸せそうだ。今朝の食卓は三人だけで、海里の姿はない。彼は人間の食物は摂取できないので、食事の席に座る事は少ないのだ。早々にガレージの方へ出て、トレトマン達と何か話している様子だった。

 マイキは黙々とトーストを口に運び、牛乳で流しこむ。食べるというより、作業じみた単調な動きだった。目線は姉の方に向いているが、表情は寝起きのように力なく、半眼でどんよりとしている。

 何度か何か言いたげに口元が動いたが、姉の、決してこちらに向けられない微笑みに阻まれて飲みこんでしまう。

 マイキはどことなく遠い眼差しで彼女らを眺める。そこにあったのは実際の距離ではなく、精神的な疎外感だった。

「……ごちそうさま」

 マイキは苦いものを飲みこむようにして皿を空にすると立ち上がる。ユキヒは、お皿は流しにね、といつもの調子で声をかけたが、視線は弟に向いていない。

 その様を横目で見ながらマイキは足早にリビングから遠ざかり、歯を磨いて顔を洗うとガレージへと向かった。



 ガレージ内には黒色の救急車が鎮座していた。色は違えど中身はトレトマンだ。さすがに、一般家庭の敷地に救急搬送用車両があると目立つので、沖原家に来る際は車体色だけ変えている。

 マイキは前庭のレックスに挨拶をしながら通り過ぎ、ガレージのトレトマンに向き合って何か話している海里を呼ぶ。

「シン兄!」

 声と近づく足音に振り返った海里は、少年の名を小さく漏らす。次いで、何の用かと問いかけようとしたが、口を開く前に、走ってきたマイキが彼の腹にぶつかってきた。

「……マイキ?」

 海里はふらつきこそしなかったが、わずかに目を見開く。

「何か、あったのか?」

 返事もせず、マイキは彼の腹あたりに頭を埋め、すがるように身体に腕を回してきた。

 強く頭を振る必死な様に、機械知性体達はいぶかしむ。

「どうしたのだ、マイキ君……」

「シン兄、トレトマン、レックス! 僕と行こう、このままだと……危ないんだ!」

 トレトマンの声をさえぎり、マイキは叫ぶ。

「危険なんだって! みんなが、ユキ姉も、おかしくなるんだよっ!」

 漠然とした危機を必死に訴えてくる少年に、全員、意味がわからずに呆然とする。

「マイキ、何を言ってるんだ?」

 少年の真意を誰も理解はできなかったが、機械知性体達は、子供だからと意見を一蹴する事はしない。落ち着いて話してくれとトレトマンが言い、海里はマイキの肩に手を置くと、温かい子供の身体を緩く抱いてやる。

「早くっ!」

 しかしマイキは感情の方が先走ってしまい、理路整然とした説明ができないでいる。ただ、早く早くと急かし、海里の腕を引く。だが彼らは動きようがない。次第に、マイキは伝わらないもどかしさに苛立ち、目の端に涙が浮かんでくる。

「お願いだよ、シン兄……」

「マイキ。ちゃんと聞くから、話してくれないか」

 そんなマイキをなだめるように、海里は静かに首を振ってゆっくりとつぶやいた。

「……あ…………」

 ようやく、マイキは全員の視線と関心が自分に向いている事に気がつく。黙ってうなずきを返す海里を見上げ、車両形態の彼らが、わずかに車体を自分に向ける様子に肩を落とす。

 大きく息を吸って、吐き出す。顔をこすって涙を消すと、マイキは問いかける。

「シン兄、みんな、大丈夫なの?」

 どういう意味だろうか、とトレトマンは緊迫感の欠片もない声で尋ねる。

「我々の健康状態は問題ない。定期検査の結果が知りたいなら、懇切丁寧に説明するがね」

 それはいいよ、とマイキは微かに笑う。

「……もしかすると、マイキ君は別の不調に気づいているのではないだろうか」

 海里とレックスは、トレトマンの発言に驚愕した様子で向き直る。視線で続きを促され、トレトマンは焦るな、と若者二人を押さえる。

「先だってから感じている、説明のつかない違和感……マイキ君、何か知っているのなら、教えてくれないだろうか」

 頼む、と真摯な訴えに、マイキは決意すらこめた目を見せる。ひとつ、ふたつ、深く息を吸いこんで吐き出し、マイキは顔を上げた。

「みんなが連れて来たあの子が一緒だと、シン兄達が……ユキ姉も、危険なんだって! よく、わからないけど、みんな操られてるんだよ」

 マイキが叫んだ言葉に、誰も、何も言わなかった。

 視線は彼方に向けられる。それは少年の言葉を笑うのではなく、皆、思い当たる節があり、それを確認する為の沈黙だった。

「……なぜ、そんな事にも気がつかなかったのだろうな」

 トレトマンが、苦笑と自嘲混じりに言った。

「マイキ君の一言で、我々の中にわだかまっていた違和感に説明がついてしまった」

「トレトマン、本当なのか?」海里が眉根を寄せる。

 さてね、とトレトマンは苦笑のこもった声を返す。

「何が起きているのか、推測はできるが、証明はできんよ。だが、それですべてに答えが出るのだ。彼女との出会い、そこから始まった事態に、それらしい説明をつける事ができてしまう」

 笑みを含んだ声音に、海里とレックスは早くしろとつめ寄るが無視される。トレトマンは自身の中に生まれた考えの整理の方が楽しいのか、しばらくは何も答えずにいた。

「トレトマン、いったい、何が起こってるのさ」

 我慢できずにレックスが尋ねる。

「簡単な事だったのだ」そう前置きをしてから続ける。「彼女を見つけた事が仕組まれたものであったとしても、それからの行動は、我々の自由意思だったはずだ。しかし、ここ数日は、どうにも、らしさ、が欠けていたように思える」

 らしさ、にめいめい首をかしげる。レックスは困惑を示すようにライトを点滅させた。

「……うん、そうだよね。トレトマンがあの子を手元に置くって言うなんて、考えれば変だよ」

 いつもなら、問答無用で放り出すのに、と真剣な声が上がり、さすがに投げ捨てたりはせん、とむっとした返事が来る。

「ユキ姉も、変だよ。いっつも優しいけど、何だかあの子には、変に優しすぎるっていうか」

「……俺は……」

 海里は自分の胸にすがりつく子供を見下ろす。

「俺は、マイキがいない事を、側にいない事を、疑問にも思わなかった」

 言って、目を瞬かせる。マイキは自失する海里を見上げ、大丈夫だよというように、手を強く握った。

「マイキ、俺はどうしていたんだろう」

 少女の保護を強く訴え、少年の存在を軽視し、歪む思考に引きずられるようにして何も見えなくなっていた。

 疑問が解消した途端、雪が溶けるようにして次々と、目隠しされていた事実が見えてくるようになる。

 彼らは互いの情けない顔を見やった。

「して、マイキ君。君の話しぶりだと、自分で思いついたというより、誰かの知恵を借りたようだが」

 トレトマンの突っこみに、マイキは嘆息を漏らす。

「イノベントの子に教えてもらったんだ」

 全員が、思わず声を上げる。マイキはあわてて何にもなかったよ、と言い訳した。

「前に僕を誘拐した、シスって子だよ。どうやって世界を滅ぼすのか、教えたいって。あの子を連れて来たのも自分だって言ってた」

「なんだと?」トレトマンがわずかに車体を前に出す。

「あの子が世界を滅ぼすって。よくわからないけど……汚染するんだって」

 少年の言葉をトレトマンは注意深く拾い上げ、吟味する。

「……意識操作、ねぇ」

「洗脳ってやつ? でも、あの子は僕達に何も命令したりしなかったよ」

「そうだろうな。彼女は、何もしなかった」

 強く含みのある調子のトレトマン。

「彼女は、そう、薬物や暴力的な方法に頼らず、他者の意識に直接影響力を行使できる能力があるのだろう」

「そんな魔法みたいな力、本当にあるの?」

 懐疑的な声を上げるレックス。海里もうなずく。

 あわてず騒がず、トレトマンは言った。

「実際、すでに似たような事例はあったのだよ」

 思ってもみない発言に、全員が間抜けな声を漏らす。

「トラスト。おまえさんが腕をなくした件、覚えているな」

 海里は黙し、視線で返す。彼が右腕を損傷したのは、イノベントの手によるものだった。しかしその後、応急処置を施した腕を再び失う事態が起こる。

 暴走車を押さえこもうとして、車の前に飛び出して轢かれたのだ。

「なぜ、走る自動車に、膂力ではかなわないと知りながらも向かって行ったのか。おまえさんは後でこう答えた。助けて欲しいと言われた、と」

「それは、あたりまえじゃあないの? 緊急事態だったし、トラストには助けられる力があったし。……かなりの無茶だった事は否定しないけど」

 レックスの弁をさえぎり、トレトマンはさらに、と付け加える。

「あの声を聞いたら、何か動かなければならない気になった、とも言った。起こった事だけを見れば、トラストが無謀な行為を仕掛けて自滅しただけの、いつも通りの展開だろうな」

 いつも通り、の点にトレトマンは力をこめ、暴走しがちな若者をたしなめるのも忘れない。渋面になった海里を置いて続ける。

「だがひとつひとつを別に考えて行くと、違和感が生まれる。そもそも、なぜ自動車は暴走したのか。後で調べたが、最初に奇妙な音が発生したのが始まりだったようだ。音は人間の聴覚を強く刺激した。暴走車の運転手も、後に病院で体調不良を訴えたらしい。そして暴走の原因だが、運転ミスに加えて、自動走行システムの誤作動もあったのだ。音波によってAIにバグが生まれたのだよ」

「音……音が、原因なの?」

「もっと正確に言えば、人間の声を介して伝播する何か、だ。マイキ君の表現は、ある意味的を射ているのだろう。汚染されているのだ。人も我々も気づかない間に入りこむ、見えない毒によってね」

「え、えぇ? ちょっと待ってよ、毒ってのも気になるけどさ、駐車場にいた女の子は、アルトゥンとは違う子だったよ!」

「アルトゥンだけじゃない、他にも、そんな能力を持った人間がいるのか……」

 予期しない事態に、海里達は動揺する。

「確認できただけでは、先日の一件後に引退宣言をして隠居した歌姫と、駐車場にいた幼女、そして我々の前に捨てられた少女」

 そこで一度切ると、まだ驚愕から抜け出せない彼らに、トレトマンは意を決して口を開く。

「他にもいる。まだ、おまえさん達には言ってなかったが……」

「海里さん」

 涼やかな気配の侵入者に、全員がおののいた。

 ユキヒは場に張りつめる緊張感を洗い流すような笑顔で歩いてくる。

 アルトゥンの手を引いて。

 少女はユキヒの服を着て、大きめのサンダルに足を取られながら歩いてくる。

 子犬のように真っ黒な瞳が上目使いに彼らを見上げた。

 口元に手を当て、ユキヒに寄り添うようにしている様は、弱々しく、他者の庇護欲をそそる姿だった。この少女が世界の敵と言われたところで、理屈では納得できても感情が即座に否定しようとする。

「ねぇ、買い物に行きましょうよ。アルちゃんも外に出たがってるし」

「わかる、のか?」

「えぇ。言葉はわからないけど、ずっと一緒にいるからかしら、何となくこの子の言いたいことがわかるようになってきたの」

 全員の中に、ざわりとした不安感が圧しかかる。マイキは穏やかに笑う姉を、幽霊に遭遇したように目を丸くし、海里に身を寄せてしまう。

「あ……」

 アルトゥンは細い声を発し、硬直している海里に走り寄って腕を取った。いくつかの単語を口にしたが、彼らには理解できない言語だ。

「そうしてると、兄妹みたいですね」

 ユキヒがくすぐったい笑みを浮かべる。彼女の言葉は、普段なら微笑ましいものと受け止められただろう。機械知性体が持ちこむ面倒事を、笑って許容する彼女に親愛と尊敬の眼差しを向けて接したはずだ。

 しかし、彼らは気づいてしまった。

 傍らの少女が、当人の意思かは別として、彼らから正常な判断力と意思を奪い去って行く存在だと。

 動かない海里にアルトゥンはきょとんとした顔を上げたが、場の異様な空気を察して表情を曇らせる。おびえたように視線をさまよわせ、さらに強く海里の腕を引いた。

 早くこんな嫌な場所から連れ出して欲しいと、懸命に訴えかけてくる。

 言葉は理解できなかったが、ユキヒの言うように、海里にはわかってしまうのだ。

 少女が望む、最適な行動が。

「アル、トゥン……」

 海里はぎりぎりと音がしそうなほど固い動きで首を回し、アルトゥンに顔を向ける。彼の様子に不審なものを感じたのか、少女の細い肩が震え、黒い瞳は不安に揺れた。

 助けて欲しいと、もう一度手が引かれる。小さな手だった。彼の大きな手にくるまれてしまうほどで、手の先から続く腕も細く、身体も薄っぺらい。どこにも危険なものはない。むしろ、自らが率先して彼女を危険から遠ざけてやらなければならない、そんな使命感さえ湧いてくる。

 守らなければならない。

 何を犠牲にしても。

(……守る、俺が……)

 海里の身体が、大きく揺らいだ。

「シン兄っ!」

「トラスト、しっかりしろっ!」

 悲鳴じみた声にも、海里は虚ろな視線を空に向けたままだった。

「シン兄、起きて、目を覚ましてよっ!」

 少女とマイキが彼の手を左右から引いたが、されるがままに頭が揺れる。混乱はしているが、意識はあるのか、口元が苦痛をこらえるように歪む。

「……っう……あぁ…………」

 マイキが海里の腕にぶら下がるほど強く力をこめる。上体が揺らぎ、反射的に踏ん張った海里の目にわずかに意思が戻る。

「……マ、イキ……」

「シン兄っ! こっちを見てよ!」

 怒鳴る声に海里は瞠目した。だが、すぐに苦しそうに顔を伏せる。彼を見上げてくる少年と少女。彼らの手を握る左右の手は小刻みに震えていた。

 共にありたいと、ささやかな願いを思うほどに心を許した存在。

(……マイキ……アルトゥン……)

 いったい、どちらだったのか。

 迷うほどに、深い闇の中に転げ落ちて行くような感覚に囚われ、海里は自身の身体を支える力を失う。

 ぐらり、と大きく身体が傾いだが、寸前で海里は踏みとどまった。

「っ、あ、あぁ───っ!」

 少年と少女、どちらの手を取ることもなく。頭を抱えた海里は二人の腕を振り払って飛び出した。

 背中にかかった叫びを置き去りにして。


冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。

これは4巻収録分。

https://mutsugami123zero.booth.pm/

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