ずっとそばにいて⑤「妖精の歌」
通りを歩くマイキの顔は、盛大なしかめっ面だった。
「うー……」
先ほどから発するのは、言葉にならないうめきだけ。
頭を振っても髪をかきむしっても、普段の快活さは戻って来ない。終いには、あきらめ混じりの息を吐く始末。
「……うぅ……」
自分のこの不愉快さが何に起因するのか、マイキにはわかっていた。だが、それを意識しようとすると自己嫌悪が先に押し寄せ、明確な言葉にして吐き出すには語彙が足らないのだ。
喉元までせり上がってくる不快感をかき消すように、マイキは道端の小石を蹴った。
地面にぶつかって不規則に跳ねて転がる石を目で追いながら、マイキはあきらめたように息を吐く。
「ユキ姉……シン兄……」
そして、名前を呼べないもう一人。
アルトゥンが沖原家に現れて数日が過ぎた。マイキは姉から、機械知性体達が雨の日に拾った少女を持て余したあげく、家につれて来たのだと聞かされた。
唐突な来訪者の存在に、沖原家は急に慌ただしくなってしまった。少女の存在は否応なしに生活リズムを崩し、ようやく落ち着く先を見つけられそうになった頃には黄金週間も残りあとわずか。
しかし、マイキの心中は鈍色だった。
原因はわかっている。
少女が沖原家に入りこんでから、マイキをかまう者がいなくなってしまった。いや、皆はそれなりに気にかけてくれているのだが、明らかに手と目が向く回数が減っている。
ユキヒはいつも通り、掃除だ洗濯だご飯の用意だと忙しなく動き回っているのだが、常なら合間にマイキに向かって宿題は終わったのか、今日はどこに遊びに行って何か面白い事はあったのかと尋ねてくるのだが、そんな当たり前のやり取りは消滅していた。
変わったのは、姉だけではない。
海里もマイキが遊びに行くと立ち上がれば、何も言わなくとも後を追ってきたというのに、今日は顔はこちらに向けたが、動き出す寸前に少女に腕を引かれて再び座ってしまった。
追ってくる気配がない事に気がつきながらも、マイキは振り返らずに家を出た。
もしも振り返って、少女と海里が一緒にいる光景をもう一度見てしまったら。それを想像するだけで泣きたい気分になる。少女の存在に、マイキは胸の奥が締めつけられるような感覚が襲ってきた。
わずかな間に当たり前のように居場所を作ってしまった少女と、彼女を囲む二人の光景を思い出し、マイキは眉をひそめた。
面白くない。漠然とした疎外感のようなものが、マイキの胸中に漂う。
あの雰囲気の中にいる事に耐えられなくなって外に出たが、友達の誰もが誘いに対してすげない返事ばかり。レックスは姉と出かけ、トレトマンも本来の任務が忙しいのか、連絡すらつかない。
そうやって、ひとりぼっちで当てもなく、足の赴くままにさまよい歩いていた少年に近づく者があった。
「……嫉妬、してるんだ」
空から降ってきた声に、マイキは顔を上げる。
「あ……」
「お久しぶり」
見つけた相手に、マイキは半歩引いた。
塀に腰かけている少女は、厚底ブーツの足先を揺らしながら笑う。
以前と同じ出会いにマイキは硬直した。そんな少年に、彼女は最上級の微笑みを投げかけると塀から飛び降りる。赤いワンピースの裾と枯れ葉色の髪が大きく広がった。
重い着地音に、マイキの肩が跳ねる。
「大丈夫よ、今日は誘拐したりしないわ」
こつこつとブーツのかかとでアスファルトを叩きながら少女はマイキの前に立つ。
安心してね、と悪戯っぽい微笑みを向けられ、マイキは困惑する。美少女に笑いかけられても、素直に喜べる心境ではなかった。
眼前の、マイキと大して年の変わらないように見える少女だが、あくまでそれは見せかけだけの話。
六番の少女。
彼女は人間ではない。海里と同じ、機械知性体。
そして最大の相違点は、彼女はユニオンから離反し、人類殲滅を掲げ、自らをイノベントと呼称する組織イノベントに属している個所だ。
マイキの誘拐事件はシスのお遊び的な側面が強く、大きな被害はなかった。だからといって、仲良くもできない相手だ。しかし、逃げたところで彼女がほんの少し本気を出せば、人間以上の膂力でやすやすと捕まってしまうだろう。
距離感を計りかねて戸惑うマイキにはかまわず、シスは勝手に話を続ける。
「あの子のおかげで、あなたの家族はあなたを見なくなった。だからふてくされて、一人でお出かけ。もしかすると、誰かが迎えに来てくれるかもしれないって、期待しながら歩き回ってるのね」
歌うように言葉を連ね、マイキの瞳をのぞきこむシス。
「な、に……」
「当たってるでしょう?」
きらきらと好奇心に輝く瞳が、不意に細められた。
「ふふっ、そんな真似をしたって、誰もあなたを探しになんて来ないわ」
少年を映す目の奥に、わずかな悪意のひとかけが閃く。ちくりと突き刺す毒針に、マイキの顔が紅潮する。
「……っさい……」
怒りに身を震わせるマイキを、シスはどこか冷めた瞳で見つめる。
「事実よ。今、あなたの周りにいる者達は、あの子を最優先に考えてるのよ。今夜、あなたが家に帰って来なくても、誰も気にしてくれないわ」
シスはふわりと笑いながら、マイキが無意識に考えないようにしなかった部分まで言葉にして投げつけてくる。
まごつくマイキに、シスは屈託のない笑みを向けた。
笑って、とんでもないことを口にする。
「あの子を、シンの前に放り投げたのは、あたしよ」
びくりとマイキは身を震わせる。驚愕に、言葉を失った。
「……君が……?」
愕然として顔を上げたが、焦りが先に立って何も言えなくなる。そんなマイキに、シスは変わらない笑顔のままで説明をしてくれる。
「あたし達がどうやって人類を滅ぼそうとしているのか、教えてあげようと思って」
だって、彼らの調査は遅いから、と清々しく毒を吐く。
「え……そんな、……あの子が、人間に何かするの?」
マイキから見ても少女はひどく弱々しい存在で、他者の保護を必要としているように思えた。
「正確には、あの子を中心にしたすべてが狂う。あれの存在は、その場にいるだけで、世界を汚染してしまうの」
「汚染……汚すってこと?」
「まぁ、あの現象を汚れと呼ぶなら、の話だけど」
「よくわからない……」
そうよね、とシスはうなずきを返す。
「あたしは妖精の開発に関わってないから、理屈はよくわからないわ。話だけは聞いてたけど、そんな大層なものだとも思わなかった」
でも、とシスは視線を流す。
「彼女を研究施設から連れ出して、日本へ連れてくるまでの間によくわかったわ。あの能力がとてもとても、危険なものなんだってね」
シスが見上げる空は、この場の重い雰囲気を嘲笑うような晴天だった。
「妖精の歌」
蒼穹に向かって、シスはぽつりと漏らす。
「あの力は、そう呼ばれてるわ。人を……いえ、あたし達もおかまいなしに惑わせる歌。力の効力を知り、防衛策も持っていたあたしだって、意識を保つのが大変だったわ。隙を見せれば、即座に浸食しようとかかってくる。油断すれば取りこまれて、あとはもう、何も考えることなんてできなくなるわ。いいえ、自己意識は確かにあるの、でも、意識すらできない奥底で歪められてしまう。自分自身が、なくなってしまうの。あの子の力は、もう額の装置でも、抑えきれないほどに拡張してるみたい」
シスの独り言に近い話を、マイキはほとんど理解できていなかった。だが、子供だからこそ、難しく考えずに受け止めた印象をそのまま返す。
「……ユキ姉もシン兄も、あの子に操られてるの?」
さえぎるようにかかった声に、シスは目だけをマイキに向けた。
「簡単に言えば、そうでしょうね」
確証のない返事は、シス自身も明確な答えを持っていないから。
「あなたはあの子の意識から外れてるみたいだから、今のところはそう強い影響は受けてないみたいね。だけど、このまま一緒にいれば、同じように汚染されてしまうわ。そうやって、彼女に近づく存在は、彼女にとって都合よく改変されて行くの」
「そんな……」
かすれた声でマイキはうめく。
「これが、イノベントのエルフが考案した妖精計画よ。人が人を狂わせ、世界を汚染させて行くの」
聞いたこともない単語が頻発する話はさらに続いていたが、マイキの耳には届いていなかった。
「トラスト、お嬢さん、マイキ君はどうした」
端末から前置きなしに発せられた声に、二人は顔を見合わせた。
沖原家のリビングで、互いにアルトゥンを挟んで座っている状態だった。海里は何もせず少女の傍らに座し、ユキヒは髪ゴムとブラシを持って少女の髪をすいている最中。
「え……マイキ、ですか?」
「そう言えば、ユキヒが帰った時にはいなかったよね」
割り込んだレックスの声に、あぁ、とユキヒは息を吐く。下山した後すぐ自宅へ戻り、そのまま日常の雑務に追われていたのだ。夕方になってようやくひと息つき、自分の髪飾りで少女の髪を結ってやろうと思ってソファに座った矢先の事だった。
ようやく、彼女は事態に気づいて目を瞬かせる。
「……ずっと、見ていないわ。海里さんは?」
問いかけると、海里は無言で頭を振った。ユキヒがあわてて時刻を確認すると、すでに五時を回っている。日が長くなっているのでこの時間でも外はまだ昼間のように明るいが、あと一時間もすれば完全に闇に沈む。
弟を半日近く見失っている事実に気がついたユキヒは、途端に落ちつかなげに視線をさまよわす。
「トラスト、探して来なさい」
「───あぁ」
すでに海里は、トレトマンの指示が出る前に立ち上がっていた。
だが、少女に腕を引かれ、そこで足が止まってしまう。
「あ……」
すがりついてくる子犬のような眼差しに、海里ははっきりと戸惑いの色を浮かべる。
「行くんだ」
強いトレトマンの口調に、海里は叩かれたように顔を上げる。
「早く行きなさい」
「……わかってる……」
一瞬、海里は自分が何をすべきなのかわからなくなったのか、呆然とした顔を見せる。一度頭を振ってから、ゆっくりとアルトゥンの小さな手を解く。
少女の悲しそうな顔は見ないままで。
「あの、海里さん、マイキを探してくれるんですか?」
じゃあ、アルちゃんは私が見ています、とユキヒは力なく笑う。
「行ってくる」
すがるような視線を背に感じながら、海里は少年を探す為に家を出た。
ようやく、動く事ができた。
近所の公園に足を向ける海里に、通信機からトレトマンが声をかけてくる。
「……おかしな事になっているな」
何がだ、と海里は前を向いたまま答える。
話好きの仲間にしては珍しく、次の言葉まで迷うような間があった。
「……トレトマン……?」
長い沈黙に、海里は普段とは違う仲間の気配を察し、声をかける。どうやって話せばいいものか、判断に苦しんでいるようだ。
さらに間を挟んでから、トレトマンは低く漏らす。
「どうやら、わしらは全員、あの少女に振り回されている」
声音からにじむ疲弊した様子に、海里は何かただならないものを感じ、歩みは止めないまま意識を傾ける。
「思えば、最初から何か違和感があったのだ。例え彼女の正体や背景が何であれ、人の子を我々の側に置いておくべきではなかったのだ」
機械知性体は人間ではない。少女の世話が満足にできないことは、最初からわかりきっていた。保護した段階で、非情とそしられようとも即座に放り出すべきだったのだ。だというのに、沖原姉弟を巻きこんで、さらに問題を拡張させている始末。
「お嬢さんも、もっと反発があるものだと考えていた。だがどうだ、一日とかからずあの少女の面倒を、むしろ率先して見るようになってしまった。おまえさんもだ。あれほどマイキ君にべったりだったというのに、今は彼が家を出ても気にも留めないではないか」
「それは……」
突かれると痛い個所だった。
トレトマンの言う通りだ。考えてみれば、あの少女を雨の中、腕に抱えた瞬間から、何かがおかしくなっている。
海里は地上に来るまで、人間嫌いを公言するほどだった。今はそれを恥じ入るほどには精神的に成長したが、苦手意識は未だに残っている。
だというのに、アルトゥンにはむしろ、自分から接触を計っている。
「もちろん、おまえさんだけではない。皆が皆、少しずつ少女を中心に何かがずれていっているのだよ」
トレトマンは彼らの中では一番、物事の判断にはシビアだ。たとえ本心がどうあれ、不要だと判断すれば、即座に実行できる程度の冷静さを持ち合わせている。
そのトレトマンですら、こと彼女に関してはどうにも煮え切らない態度を取り続けていた。
「だが、この狂ったピースを直す術が見つからない……いや、故意に修復を考えないように仕向けられているような気さえしてくるのだよ……」
だから、とトレトマンは続ける。
「わしは少女から距離を置くことで、違和感に気がつく事だけはできたのだ。しかし、これ以上はどうにもならん。一番の良策は、今すぐにでも彼女を、適当な交番の前にでも放置して、縁を切ってしまうことだろう。仮に少女の背景にイノベントに関する情報が転がっていたとしても、このままでは我々自身の活動に支障が出てしまうのだ」
それでは本末転倒だ、と語るトレトマンの声には苦渋と焦燥がにじんでいる。
「……アルトゥンは、どうなるんだ」
「その先を、考えてはならないのだよ」
もう関わるな、と海里の懊悩を断ち切るようにトレトマンは言った。
「とにかく、おまえさんはマイキ君を探しに行きなさい」
海里が言いかけるのを、トレトマンは、この間に少女を捨ててきたりはせん、とさえぎった。
「わしは……ちょいと出かけてくる」
言って、通信は切れた。
ほどなくして、海里はマイキを見つける事ができた。
少年がいたのは、以前にサッカーボールで野球をやった公園。数少ない遊具に隠れるようにしているマイキに向かって海里は呼びかけた。
すぐには反応がなく、不思議に思ってもう一度声をかけようとした直後、マイキは顔を上げる。
「シン兄……」
ひどく、弱々しい声音だった。声だけではない。全身が脱水したようにしおれてしまっている。ブランコの支柱を支えにしなければ今にも倒れそうな様を見て、海里は慌てて走り寄った。
「……どうかしたのか」
「シン兄、探しに来てくれたの?」
海里の質問には答えず、マイキはおずおずと彼を見上げてくる。
当然だと海里がうなずきを返すが、マイキはなぜか重い息を吐くと顔を伏せ、そのまま走り出してしまう。
「マイキ!」
呼んで、追いかけ、追いついても、マイキは一度も彼の方を振り向こうとはしなかった。
【ずっとそばにいて 終】
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