ずっとそばにいて④「……お母さんが、亡くなった場所なの……」
アルトゥンを見つけた雨の日から五日。
ようやく機械知性体も少女に慣れてきた。いや、扱い方がわかってきたのだ。
少女は積極的に何かをしようとはしない。ここに座れと示せば、次に立ち上がらせるまで置物のように動かないのだ。
ただ、ずっと側にいる海里にだけはわずかだが反応を見せるようになってきた。彼が呼ばれ、少女から離れようとすると、行くなとばかりに視線で追いかけ、その度に海里は苦いものを呑んだような顔ですぐに戻ると言い訳をしなければならない。長時間離れる時は、視線で追い回されるのがたまらないと、抱えて歩き回る始末。機械知性体の膂力だからこそ簡単にやってのけているが、まるでお気に入りのぬいぐるみを離さない幼児のような様子にユキヒは苦笑いだった。
沖原家に増えた居候に対し、ユキヒは最初こそ戸惑っていたが、自己表現が異常なまでに希薄な様と、額の金属に彼女自身が痛むような顔をして少女を抱いてやった。
マイキだけは、少女の側に寄りつこうとはしない。トレトマンも、自分を誘拐した存在と似た顔が側にいると落ち着かないのだろう、と言って、少年の好きなガイアスターの話を振って気をそらしてやる。
そうして世間一般的な黄金週間からかけはなれた状況に陥っている沖原家だが、ユキヒは朝からレックスと一緒に出かけてしまった。トレトマンは情報を集めると言って、昨晩から連絡が途絶えている。家の中には海里と少女の二人だけ。正確にはマイキも午前中は一緒にいたはずだが、昼食の後から姿が見えない。
テレビも沈黙しているので、リビングは時計の針の音が響くほど静まり返っている。
海里とアルトゥンは、柔らかな陽光が差しこむリビングのソファにいた。少女が座り、海里がその足元に寄り添う、いつの間にかできた指定席だ。
互いに会話はないが、沈黙でも気づまりはしないらしく、双方ともにぼんやりと視線をさまよわせていた。
そうして時間だけが過ぎ、海里は足元の影がずいぶんと動いている事に気がついて顔を上げた。
相変わらず、二人以外は誰もいないリビング。
ふと、海里はマイキの姿をずいぶん見ていないと思う。
昼食をとっている様子は記憶している。しかしその後があいまいだった。
「……マイキ」
いつの間にかいなくなった事に思い至り、即座に海里は探しに行こうと動いた。
と、立ち上がりかけた海里の服を、アルトゥンが引いた。
互いに無言で見つめ合う。いや、海里は理由を話そうとしたのだが、アルトゥンは察したのか、少し悲しそうな顔をする。
たったそれだけで、海里は情けなくもたじろいでしまう。
少女は相変わらずはっきりとした感情を見せる事はなかったが、それだけに、こうして見つめられるとまるでひどい悪事を働いているような気分になってくるのだ。
つかむ手が、重しになって行く手を阻む。
海里は、先ほどとは違う理由を考え始めた。
幸い、今日は天気もいいし、まだ昼間だ。
マイキを探すのは、もう少し後にしよう。
そう結論付けると、海里は再び少女の側に座りこむ。
海里の意識が自分に戻ってきた途端、アルトゥンは緊張していた表情を緩ませ、肩の力を抜いた。
服をつかんだままの手を彼が解いてやると、少女は小さな手を海里の手に重ねる。
両手を使っても、平均的な男性よりも大柄な海里の手を覆うことはできない。指先をつかんでくる力は弱々しく、簡単に振り払えそうで、逆に海里は動けなくなってしまう。
伝わるぬくもりに、海里は抗う意思を放棄した。
そうして再び窓外に視線を向けた頃には、海里はマイキがいない事実を忘れてしまう。
探しに行かない自分を、疑問にも思わないでいた。
レックスとユキヒがたどり着いた先は、市街地から小一時間ほど離れた山中だった。街の西から北に位置する山脈一帯は仁国山の名称で地元民からは親しまれている。古くから交通路や観光施設の開発が積極的におこなわれているので、年間を通して多くの観光客や登山客を集める名所だ。
ユキヒは軽自動車形態になったレックスに運転を任せ、山裾から海に向かって広がる千鳥ヶ丘市を眺めている。緩やかな登りのドライブウェイを進む軽自動車は、レトロな外見とは裏腹に軽快な走りで山道を走破する。行き交う車の運転手が、その鮮やかな黄色の軽自動車を視界に入れた途端、目を見開く事が何度もあった。その度に、ユキヒは苦笑してしまう。格好としては彼女が運転手だが、実際の運転は機械知性体任せで、たまにハンドルを握るふりだけしてみせれば、後は動くリビング状態の快適さで運んでもらえるのだから。
ここで止めて、と短く告げられると、レックスは後方を確認しつつ路肩に停車する。特徴的な前開きの扉が開き、ユキヒは車外に降りた。
「あー……やっと着いた。レックス君、ご苦労様です」
ユキヒは軽く伸びをしてから、軽自動車の表面をなでて労をねぎらう。ついと上げた視線の先はパノラマに視界が開け、高い空から降り注ぐ陽光が、山の新芽を照らして輝く線となって見えた。
ユキヒは機嫌よさそうに軽くステップを踏みながら歩を進める。路肩の先はガードレールで、さらに向こうはさえぎるものがない崖だ。
「ユキヒ、どうしてこんなところに来たのさ」
暇な時は沖原家の自家用車代わりになっているレックスは、ユキヒに請われてここまで来た。てっきり買い物だとばかり思っていたのだが、到着場所は山の中。天気は上々なのでドライブ日和だったが、車中のユキヒは笑顔は絶やさなかったが終始言葉が少なく、目的はここに至るまでだんまりを通した。
振り返ったユキヒは、朗らかに笑う。しかし、陽がかげるように表情が曇ってしまう。
「……昨日ね、やっと父さんと連絡が取れたの」
え、とレックスは小さく声を上げる。沖原家の父親は長らく不在で、彼らも未だに会った事はなかった。
「南米かどこかのジャングルでゲリラに追いかけられて、無線もまともに使えなかったらしくて。でも、元気だから、いつとは約束できないけど、ちゃんと生きて帰るって」
「……ユキヒ達のお父さんって、何をしてる人なの?」
人間世界の常識に疎い機械知性体でも、ずいぶんと物騒な話なのは理解できた。
当然の疑問に、ユキヒは平然と答えを返す。
「測量士よ」
「へ……測量……って、街の中で三脚を持ってうろうろしてる人間みたいなのかい?」
崩壊した市街でレックスも何度か見かけた事があった。作業着にヘルメットの人間が、三脚に付けた装置をのぞきこみ、手元のボードに数値を書きこんでいるのを不思議に思った記憶がある。
「そう、測量士なの。地図を作る為に、緯度、経度、高度なんかを地道に計るお仕事なの」
「あの……何でそんな地味な職種でゲリラなんて出てくるのさ……」
少なくとも、千鳥ヶ丘市内で測量をしていた者達がゲリラに追い回されるような日は、一生をかけてもないだろう。
その一生に一度もなかなかないような貴重な体験をしているらしい父親に、娘は困ったものよ、と笑う。
「父さん、仕事を選ばないのよ。そのせいで海外出張が多くて。一年の半分は国外にいて、発展途上国みたいにまともな道もない場所に高速道路を作るんだって息まいて、三脚抱えて走り回ってるらしいわ」
そして、熱意のままに治安の悪い地域に踏み入ったあげく、宗教や水源等で争っている場所でゲリラや盗賊に遭遇してしまうのだ。
「た、大変だけど、いいお仕事だね」
そう言うしかないレックスだった。ユキヒの方はそんな反応には慣れっこらしく、溜息をつく様子もあきらめと呆れがにじんでいた。
「正確な地図を作る為には、どんな山道も暑さも寒さも乗り越えちゃうの。あの勢いだけは尊敬に値するわ」
でも、とユキヒは笑う。
「出ずっぱりの父親だけど、私達の事は大事に思ってくれてるのよ。帰るとそりゃあうるさいんだから。家族の思い出を作るぞ、って叫んで山登りよ。朝から何事かと思ったら、山の三角点を見るんだって」
あの時はマイキと一緒に呆れたわ、と苦笑する。
「大きな地震が起こる度に、あそこの山の三角点がずれたんじゃないかって大騒ぎするような仕事馬鹿なのよ」
仕事馬鹿、の部分からにじむ温かさと、ユキヒの陽だまりの猫のように緩んだ表情に、レックスも苦笑する。
「お父さんの事、大好きなんだね」
「大……まで付けるかどうかは微妙だけど、面白い人よ。お母さんも言ってた。お父さんは仕事が好きすぎて、結婚なんてできないって本気で考えてたそうなの。だからお母さん、かわいそうになって結婚してあげたんだって……」
不意に、言葉が途切れた。ユキヒは口元だけに笑みを留めたまま、瞳が曇る。
「……ユキヒ?」
気まずい沈黙が、互いの間にわだかまる。
やがて、何度か息を吐いたユキヒは唇を噛んだ。
「……ここはね……」
ユキヒはつぶやくように言葉を紡いだ。
「……お母さんが、亡くなった場所なの……」
言って、脱力したようにガードレールに軽く半身を預ける。そのまま後ろに倒れこめば、崖下までまっさかさまだ。
レックスは焦りを覚え、いつでもロボット形態に戻れるように意識を尖らせる。
しかしユキヒはわずかに動いたタイヤでレックスの危惧を察し、大丈夫とばかりに微笑んで見せた。
「ここで、お母さんの乗っていた車が……カーブを曲がりきれずに崖下に落ちた……そう聞いたわ。警察は運転ミスだろうって片付けたけど……おかしかったの」
レックスは尋ねる事もできず、ユキヒは相槌など不要とばかりに続けた。
「あの時、お母さんはうちのクルマには乗らずに出かけた。でも、自動車事故が起こった。調べたけど、レンタカーを借りた形跡はなかったから、誰か他の人の車だったはずなの。でも、事故車の持ち主はいつまでたっても名乗り出なかったわ……」
恐らく、彼女は母親の件を誰かに話して聞かせるような行為は控えていたのだろう。自身の中に抱えこみ、忘れてしまいたいと切望する記憶を無理やり掘り起こして形にしようとする彼女は、何度も言葉をつまらせ、苦しげに唇を噛む。
「他人のクルマに乗って、お母さんは何をしていたのかしら……。いったい、誰と会おうとしていたのか、誰かと一緒だったのかも……わからなかったわ……」
警察の説明では、付近一帯を捜索したが同乗者は発見できなかった。事故の衝撃で母親は車外に投げ出された為、誰が運転していたのかも不明なままに終わってしまったのだ。
「私もマイキも子供だったから、何もできなかった。その代わり、お父さんは何度も何度も事故現場に通ったわ。私達には何も言わなかったけど、出かける度に、写真や記録が増えてたから」
こっそり部屋に忍びこんで調べた、とユキヒはそこだけ微かに笑んだ。
それと、と付け加える。
「マイキが持っているお守りも、ここで拾ったんだって」
「あの……蒼い石だね……」
少年が身につけているペンダントの話が出ると、レックスは複雑な心境になる。
ユキヒは知らない事実だが、マイキがペンダントにして身につけている石は、機械知性体にはとても重要なものなのだ。
始まりと終わりの旋律。
機械知性体は鋼鉄の身体に魂と呼ぶべき高エネルギー体を抱えている。アニマと呼ばれる核は死亡時に結晶化し、石のようになって残される。
いわば、機械知性体にとっては形見のようなものだ。
(ここに……アウラのベルがあった……)
マイキが持っていた石は、行方不明になった仲間の波長を示していた。
その発見場所が、彼らと縁がある姉弟の母親が亡くなった場所と聞いて、レックスは奇妙な偶然に興奮を覚える。
「お父さんがくれたの。きれいな石だから、あげるって。でもあれは……きっと、お母さんのなのよ。アクセサリーかストラップか、もっと別のものだったのかはわからないけど」
だから姉は、母親が弟を守ってくれるようにと祈りをこめて、ペンダントにして渡した。
思いがけない告白の連続に、レックスの思考はめまぐるしく動く。熱くなってきた身体を、吹き抜ける風がなでるようにして冷やしてくれた。
そこでわずかに冷静になったレックスは、蒼穹に目を向ける。
(アウラ……もしかして、ここにいたのは君なのかい?)
問いかけても、誰も答えは返さない。
ただ、ここに海里がいなくてよかった、とレックスはそこだけは安堵した。
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