遺されし事実②「てめえ、なんつーことしたんだ」
密談場所は、天条が乗ってきた車が置いてある駐車場の一角になった。外来用なので隊員の姿はない。他にも何台か車はあったが、敷地が広いのでぽつりぽつりと遠く離れて停められている。
彼らはフェンスを背に木陰に入る。九月末だが日差しはまだ真夏の名残を残している。それでも山間部なので吹き抜ける風は涼やかだ。
だが天条の頭上には曇天が浮かんでいた。久檀は彼が言いだすまで辛抱強く待つつもりだったが、言葉は予想以上に早く発せられた。
「……彼は……城崎カズマという人間は、存在しない」
いきなりの告白に、久檀は二の句が継げなくなる。
「存在しないって。ならあいつは、何者だって言うんだ」
天条はかぶりを振る。濃い影の下でうつむく顔色は悪い。
「彼はそこにいても、存在しない者として扱われていた」
謎かけのような言い回しに久檀が両手を掲げる。
「んだよ。もっと要領よく、要点だけ話せよ」
「彼は、出生証明書がない人間だったんだ。見た目は東洋人だが、育ててくれた女性は白人。父親は不明。生年月日がわからないので正確な年齢も知らないそうだ」
出生証明書とは出生の事実を証明するもので、日本の戸籍に相当する。ただ、出生証明書の重要度は国によって大きく異なる。文字通り、生まれた事実を記録する紙きれだったり、日本の戸籍と同じくらいに不可欠な扱いになる場合もある。どちらにしても、記録がない場合はあとにさまざまな面で本人に困難が降りかかってしまう。
「証明書がなかったので……私が用意した。彼自身の記録ではなく、まったく別人のものを提出した」
「っおい!」
久檀は弾かれたように顔を上げるが何も言葉が出ない。理解が追いつく前に天条が続きを語る。
「彼の出生証明書は、私が買って与えたものだ。彼は……城崎カズマではない」
呆然としていたが、数秒かかってようやく我に返ると久檀は天条につかみかかる。
「てめえ、なんつーことしたんだ」
それぞれの事情から、出生証明書を期限内に作成できないことはどの国でもよくある。だからこそ、申請期間を過ぎても多少手間は増えるがあとから作成することは可能だ。
だが偽造はどこの国でも違法になる。
「おまえがやったことが、どの程度やばいかわかってんのかよ……」
久檀は怒りか焦燥か、自身でも把握できない感情に身体を震わせる。だが天条は眉間にしわを寄せるだけで、無表情のまま続ける。
「彼は、身分を偽る必要があったのだ」
久檀は硬く鋭い表情を崩さない天条を前に嘆息する。この男の性質を思い出したのだ。
天条は常に正しくあろうとしている。
だが時折、正しさを守ろうとするあまり、常識という枠を飛び越えてしまう。
人命がかかっている場合は特に顕著だ。
天条が出生証明書を違法と知りつつ買い与えるなど、普段の彼を知っていれば気でも狂ったかと叫びたくなる所業だが、そこに、対象の命が危ない、という注釈がつけば、理解はできなくとも納得はできる。
あくまで、久檀が天条ユウシという人間の人となりを知っているからなのだが。
これは確かに隠したくなる秘密だな、と久檀は空を仰ぐ。そして自分だから話してくれたのだろうと思い、頭を切り替える。違法性や責任の所在を責めるのはあとだ。
「身分って。その頃、十代のガキだったやつがどんな事情があってそれまでの人生を捨てる羽目になるんだよ」
「子供だからこそ、即座に切り離す必要があったんだ」
日本でも昔から無戸籍児はいる。戸籍がないことによって生じる問題はさまざまだ。
健康保険に加入できず、病院にも行けない。婚姻届は受理されず、選挙権もない。運転免許やパスポートが取得できず銀行口座も作れない。ありとあらゆる場所で自分を証明する手段がないのだ。
義務教育も受けられず、世間からは透明な存在として素通りされてしまう。場合によっては親からも見放され、事故や病気で死んでも気づかれないことすらある。
まるで、最初からこの世に存在しなかったように。
一度はまりこんだ悪循環からは簡単には抜け出せない。濁流の中で溺れ、やがて多種多様な理由で社会に居場所を見つけられない者たちの中へと吸収されてしまう。
そこがさらなる沼だと気づかずに。
「彼は当時、オーストラリアにある組織の子飼いだった」
どの国の裏路地にも存在する薬物売買組織。城崎カズマになる前の少年は、まだ顔と名前も覚えてもらえない使い走りだった。オーストラリアではマリファナなどの違法薬物が割合簡単に手に入る。だが手に入りやすい分、警察も容赦はしない。そこで簡単に切れる「子供」が使われる。
学校にも行けず、かといって働こうにも子供だからと態よくあしらわれる。しかもそこに先天性の心臓疾患まで加われば役立たずとせせら笑う声しか届かない。
はまりこんだ沼の中でどれほどあがいても、誰も、何も、そこにいると気がついてもらえない。
「そこから抜け出すには、彼の過去を丸ごと書き換えるしかなかったんだ」
無茶だ、と久檀は頭を抱えたくなる。人命優先といえば聞こえはいいが、天条がやったことは一個人の領分としては出すぎている。それでも、この男ならやりかねないという確信があったので久檀は幾分か冷静さを取り戻す。
「出生証明書が他人のものなら、年齢も何もかも嘘っぱちかよ。あいつ、若そうだったけどよ、いまいくつなんだ」
「……記録上は今年で三十歳になるはずだが、実際はまだ二十代半ばのはずだ。なるべく、元の年齢や人種に近いものを用意してもらったからな」
出生証明書の偽造に薬物取引。話が一気に違法性を増し、久壇もさすがにいつもの人を小馬鹿にしたような笑みが消える。
「初めて会った時、彼は一四歳だと言っていた。いや、もしかするともっと幼かった可能性もある」
「おいおい、いったいどんな出会い方したんだよ」
「言っただろう、薬物売買組織の子飼いだと。彼は私を観光客だと思い、薬を売りつけにきたんだ」
それはまた、と久檀は額を手で押さえる。
「あいつも見る目がねえなあ」
どこから見れば、この男が海外旅行のテンションに負けて薬物に手を出しそうに思えるのか。
とにかくそこが天条と少年の出会いだった。そして天条がその場にいたのは観光でも何でもなく、ある作戦の下調べ中だったから。
スラム街に侵入してきた薬物売買組織を一掃するため、州警察は劇薬を投入することを決める。
防衛軍という大火力を放りこんだのだ。
実態は防衛軍の新人研修も兼ねた大掛かりな演習だったのだが、踏みこまれた側はいきなり根城の倉庫街を焼き払われて散々な目に遭った。
そして天条は混乱の中、逃げ惑う者たちの中から顔見知りの少年を見つけて無理やり町から引きずり出したあげく、用意した偽造の出生証明書で少年の過去を書き換え、別の人間として再出発させた。防衛軍の親組織であるアップルゲイト財団には貧困により教育や医療を受けられない子供を保護する機関がある。そこへ預け、まずは病気の治療と療養に専念させた。町から切り離し、追手から目をそらす目的もあった。
そして術後、順調に回復し体力もついた上に一般の学校へ通えるほど学業レベルも追いついてきた少年に、天条はさらに過酷な提案をする。
当時、防衛軍は新たな幹部候補を自らの組織で教育しようという動きがあった。新人訓練キャンプの場所は非公開。そして訓練期間中はほとんど外部と連絡を取ることができない。そこに行け、と天条は病み上がりの少年につきつけたのだ。
すでに一年以上、故郷から離れていたが、組織というのは存外根深い。まだ追って来る可能性がある。完全に断ち切るにはあと数年をどうにかしてごまかす必要があった。
非情で無謀なやり方だったが、ここで逃げきれば相手の方があきらめる。薬物組織自体はあの作戦でほぼ壊滅した。今さら使いっ走りの少年の行方を追うなんて非効率的な真似はしないだろう。
意味がわからず震える少年に書類をつきつけてサインを書かせ、絶対にやめる、帰ると言うなと無理やり言い聞かせて放り出したのだ。
無茶な計画は成功し、さらに追加効果もあった。二年ぶりに顔を合わせた少年は、その面影を色濃く残しつつも成人男性の風格を得た姿になっていた。もう路地裏をはいずって逃げる子供はどこにもいない。
少年は、城崎カズマとなったのだ。
ただ肝心の新人キャンプでの成績はかんばしくなく、落第寸前だったところをキャンプの指導教官に拾われ、どうにか追い出されることなく乗りきったのだが。
その後は指導教官の補佐として各地のキャンプや基地を点々としていたので、年に一度か二度会えるかどうかというところだった。
数年後、指導教官が退職し、城崎はオーストラリア本部勤めになり天条と同じ情報部の所属になる。ただ部署は違ったのであまり顔を合わせる機会はなかったが。
天条としてはこのまま知り合い程度の関係でいることを望んでいた。いくら少年のためだったとはいえ強引すぎたことは自覚している。それに城崎カズマとして歩き出した道に過去を知る天条が介在するのは彼の未来をさまたげることになりかねない。
だが天条の思いをよそに、日本支部設立の話が持ちあがる。窓口に日本人がいた方が話が通りやすいだろうという安直な理由で天条が選ばれ、そして同じ条件で日本語ができる城崎にも転属指令が下った。まったくの偶然で、天条自身の意見は反映されていない。配属される人員のリストを見て初めて知ったくらいだった。
「私は彼を助けたかった。だから、新しい名前と身分を与えた。それで終わりのはずだったよ。まさか日本へ一緒に来る羽目になるとは思わなかった。それまでは同じ防衛軍に所属はしていたが部署は違っていた。顔を合わす機会もさほどなかった。もう、彼の人生は彼のもの。私は関わらない方がいいと思っていたよ」
言って、天条は自らが抱えこんでいた秘密を締めくくる。
「……奇妙な縁だな」
「ほぼ私が強引に巻きこんだようなものだがね」
違いねえ、と久檀は頭をかき回す。
「カズマとおまえの関係性はわかった。だが……結晶病に関するつながりが見つからねえ」
確かに、と天条は渋面になる。
天条が少年に与えたものは彼を生き延びさせた。だが、その裏で人体実験の被験者となっていたことまではさすがの久檀も想像の外だった。
手術内容は、機械知性体の魂となるアニマのかけらの移植。結果の予測もつかない実験だったが、歳月を経て城崎の身体にはある特殊性が生まれていた。アニマが彼の神経網と融合したことで人間と機械知性体の融合個体となったのだ。
現状の特殊性は、結晶化しないというところだが、その奇妙な変異を果たした人間を見つけたハルが連れ出し、世界中を動き回っている。
そしてハルが動く先では柱が生まれる。
ただ助けたい。その思いだけで差し出した手が届かない先でそのような事態に陥っているのを、彼らは気づくよしもなかった。
冊子版はピクシブのBOOTHで頒布しております。
こちらは8巻収録分です。
https://mutsugami123zero.booth.pm
pixiv ID 2358418
「六神屋」でイベントに出てます。
関西コミティア、文学フリマに出没します。




