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ずっとそばにいて①「お前も大概だよな……」

ずっとそばにいて



 今晩のメニューをどうしよう、と世間一般の主婦が常に頭を抱えている問題に、スーパーの一角でユキヒもぶち当たっていた。

 基本的に姉弟しかいない沖原家だったが、食べざかりの小学生の腹を満たす為に食事の量は多めに用意される。日中働いているユキヒの手間を減らせるように、残った分は翌日に使いまわされる仕様だ。

 ユキヒは昨日作ったポトフがまだ残っている事を考え、メインのおかずを一品作り足せばすむと結論づける。これなら大して買い物をしなくてもよさそうだ。

(今日は、足がないのよね……)

 ほぅ、と小さく息を吐く。沖原家に出入りする機械知性体の一人を、ユキヒは自家用車として存分に活用している。しかし昨日のうちに買い物に付き合って欲しいと頼むのを忘れたので、今朝のガレージは空のまま。弟はその機械知性体のところに遊びに行くと走って行ってしまい、ユキヒは仕方なく一人で買い物に来ていた。

 足も手も足りないので、お手軽に炒め物にしようと思い立ち、必要な食材と冷蔵庫の中身を計算していると、人が近づいてくる気配に彼女は振り返った。

「お姉ちゃん」

 ユキヒが顔を向けると、傍らに小さな少女が立っていた。

 ふわふわとした髪を左右に結い上げ、愛らしい顔立ちをしている。今は精いっぱいに背伸びをし、小さな手を棚に向かって伸ばしている。

 あれ、と指差す先には今月の特売品とポップが貼られた蜂蜜のボトルがあった。

「あれ取って!」

「これ?」

 ひとつを取って手渡すと、少女は満面の笑みで「ありがとう!」と答えた。思わずこちらまで口元がほころぶような可愛らしい笑みだった。

「あったの、ルミネちゃん」

 カートを押しながら、女性が近づいてくる。笑っている雰囲気が少女と似ているので、すぐに母親だとわかった。

「あ、ママ!」

 少女は駆け戻ると「これあった」「取ってもらった」と矢継ぎ早に話しかけ、母親は相槌を打っている。そうやって娘の手から蜂蜜を受け取って買い物かごに入れ、ユキヒに軽く会釈をするとカートを押して行った。



 駐車場脇に設置されたベンチに天条(てんじょう)は座っていた。

 近所のスーパーに荷物持ちとして参加したはいいが、妻からは本当に荷物ができるまでは用なしとばかりに追いやられてしまったのだ。

 オーストラリアから家財道具一式と共にやってきた妻は娘の入学式を滞りなくすませ、荷物の解体も終えると次に着手したのは、新居を彼女好みに作り直すことだった。

 まずやったのは、家中のチェックだった。彼女は人からはおっとりしていると評される笑みを浮かべながら隅の隅まで確認し、天条は鼻歌まじりの妻の後ろで冷汗をかいていた。

 長年の経験で、彼女の微笑みにも種類があると理解しているからだ。

 陽だまりのような笑みを浮かべたまま、彼女は家中を磨き上げ、家具の配置を変え、適切な場所に衣類や小物を放りこんでいく。

 その中でも特に熱心だったのが、冷蔵庫だ。

 さすがに引越し当初は慌ただしさからできあいの物を買ってきたり、近所に食べに出ていたが、そればかり続けるわけにもいかない。

 ようやく天条の休みもできた週末、彼女は決意すらこめて冷蔵庫の乏しい食材を入念にチェックし、所在なく突っ立っている夫に向けてきれいな微笑を見せた。

 冷蔵庫の扉を閉めて振り返った妻の顔を見た途端、天条は何を言われても逆らってはいけないと瞬時に悟る。

 彼女は日本に先行していた親子の食料事情の劣悪さに、静かに怒りを溜めていたのだ。

 夫の同窓会が夜からあると知りながらもその首根っこをつかんでスーパーに走り、荷物持ちを駐車場に放り出すと今度は娘と手を繋いでカートを押して行った。

 去って行く後ろ姿に、天条は盛大な溜息を吐いてしまう。

 娘の食生活には相応に気を使っていたつもりだったが、主婦から見ると「まだまだ」らしい。

 もっとも、彼女も久方ぶりの日本での買い物を楽しんでいる部分もあるのだろう。

 その為に同窓会の待ち合わせ場所が、駅前ではなくこのスーパーになってしまったが。

 来る相手は気心が知れているので、待ち合わせ場所変更の連絡も即座に了承が来た。

 天条は友人が来るのを待つ間、今朝がた部下の城崎から送られたメールを確認する。

 来週からは事務所も移転になり、人員も大幅に増える事になったので雑多な事務処理が積み重なっていた。しかし概要は城崎がまとめてくれたので、あとは天条の確認と承認待ちがほとんどだ。

 簡潔に要点が羅列された文章を読み、疑問点を抜き出して返信する。事務処理に秀でた優秀な部下の為、天条の作業は十五分もかからなかった。だが、妻はまだ戻らない。

 肩をほぐしながら顔を上げると、ちょうど店から出てきた客の姿が目に留まる。兄弟らしい二人組だった。

 弟は手に持っていた菓子を店から出た途端に開封し、中に入っていたカードを見て喜色を浮かべる。荷物を持っている兄の腕を引き、しきりにうれしそうにはしゃいでいた。よほど、欲しかったものが当たったのだろう。相手をしている兄も同じように笑いながら、荷物を持っていない手で弟の頭を軽く小突く。

 彼らの他愛ないやり取りを見て、天条は目をすがめる。

 胸のポケットに手を当て、そこに収まっているものを取り出しそうになって反射的に頭を振った。湧き上がる考えを捨てる。

(それは、駄目だ……)

 死んだ子供の年を数えるのはよくない。そう言われたし、その通りだとも思う。

 それでも、やはり考えてしまう。

 天条の中にいる子供は永遠に六歳のままあり続ける。だが、街を歩いていると、不意に思う事がある。

 すれ違った子供を目線で追いかけ、生きていれば、ちょうどあのくらいだろうか、と。

 どうしようもないことはわかっている。

 考えずにはいられない自分を弱いと思う。それでも、止められない。やめようと何度も思い、これっきりだと振り払っても気がつけば同じ行為を繰り返していた。

 これからも、繰り返し続けるのだろう。

「遅くなってすまない」

 かかった声に、天条は思考に沈んでいた顔を上げる。

 小走りに近づいてくるのは四〇過ぎの男性だ。中肉中背で眼鏡をかけ、髪は白いものが多く混じっている。

 天条は相手を見とめ、表情を柔らかくする。

 狭山(さやま)トシオ、彼とは防衛大での同期だ。

 名前を呼びながら、天条は立ち上がって手を振った。

「よくすぐにわかったな」

「駐車場脇のベンチに座っているとメールでよこしただろう。それにユウシ、君は昔から目立つんだよ」

「そうか?」

「体格もだが、特に姿勢が良すぎるんだよ。座っていても、気真面目さが表現されている」

 軽く笑いながら、狭山はベンチに腰かけ天条もそれに倣う。隣同士に座ると、平均的な体格の狭山が小柄に見えるほど、天条は日本人の中では大柄だった。

 互いにひとつ息を吐くと、天条の方から口を開く。

「すまないな、こんなところへ呼び出して」

「いいさ、駅からはバスも出ていたし。奥さんもようやく日本へ戻ってきたから買い物くらいしたいだろう。それより、奥さんの帰国が予定通りでよかったな、もし間に合わなかったら、居酒屋に娘さんを連れて行く羽目になっていたぞ」

 そうだな、と天条は唸る。妻に予定を確認してから同窓会の日取りを決めたが、予定というものはいつ狂うかわからないものだ。

「ルミネ……娘は、いま、妻と買い物しているよ。戻ってきたら紹介する」

「そうか。じゃあ、こっちは実物じゃあなくて悪いが」

 懐から取り出した写真を狭山は手渡す。そこには彼と妻、そして三人の子供が映っていた。

「今年の正月に撮ったものだ」

 一人ひとり、名前と年齢を告げると、天条はその度に大きくうなずいて表情を緩ませる。

「娘さん、大きくなったな。とはいっても、前に会った時の顔が思い出せないのだが」

「ははっ、お前が日本を出て行って十年くらいになるからな。忘れても仕方ないし、子供なんてあっという間に大きくなるものさ……」

 そこで狭山はしまった、と言葉をつまらせる。

 同時に、自分の失言をうまく流せなかった事を激しく悔いた。

 天条は幼い子供を亡くしている。だが、それを気にかけるようなそぶりを見せてはいけないのだ。

 過去をなかった事にはできないし、当事者でもない人間が忘れてしまえと言い放てるようなものではない。

 それでも、せっかく表面上はふさがっているように見せかけている傷を、こちらの心ない態度でえぐるような愚行だけは避けたかった。

「あ……、……」

「私は日本に帰る事ができて、よかったと思っているよ」

 続く言葉に迷う狭山に、天条は穏やかに告げる。

「君や久檀(くだん)に迷惑をかけたあげく、詫びることもせず逃げるように離れて行ったというのに、またこうして三人そろって話ができる。それだけでも僥倖だ」

 顔を上げた天条は、透明な眼差しで遠くを見つめる。

「……ずいぶん、老けこんだ物言いだな」

「十年分、年はとったよ」

 違いない、と狭山は笑った。

 言っている内容に反して、彼はすべてをふりきったわけではないのだろう、と狭山は思う。むしろ年月を重ねるようにして、積み重なってゆくものもある。

 そこは、他人の狭山が踏みこめない領域なのだ。それに、今日はただ過去を懐かしむ為の集まりではない、現状を確認した後、前へ進む為の、いわゆる前夜祭になる予定だった。

 もっとも、そう思っているのは狭山だけだが。だが天条自身も日本に戻って真っ先に狭山に連絡を取ってきた以上、一度すべてを仕切り直して進もうとしているのだろう。

 そうだといいのにな、と狭山は内心で漏らす。

「俺もお前もコウヘイも、十年分老けたんだよなぁ」

 あっという間だったな、と言って、狭山は顔を上げた。と、そこであたりを見回し、携帯電話も確認する。

「で、コウヘイはどうしてるんだ?」

 本日の集まりは、彼らの他にもう一人いる。しかしどこにも最後の人物が見当たらない。

 疑問の答えは天条があっさり答える。

「ああ、言い忘れていたが、久檀は駅で私の部下と合流した後、先にこちらの頼みごとを済ませてから来るそうだ。恐らく、時間的に店に直接顔を出すことになりそうだな」

 さらりと明かされた内容に、狭山はあからさまに渋面を作る。

 嫌な予感が、それも、寒気がするような最悪な予想に狭山は次に尋ねる言葉に迷ったが、結局は、こう訊くしかなかった。

「……何を頼んだんだ?」

「人探しだ」

 告げられ、狭山は空気が抜けるような息を吐いて肩を落とす。

「また、あいつにぴったりの案件だな……。お前の部下を連れて行ったってことは、そっちの仕事関係なのか?」

「そうだ。公私混同なのは承知しているが、どうにも前に進まなくてね」

「……部下も気の毒だな。あいつに変なトラウマ植えつけられて、そのまま帰国するなんて言い出しかねないぞ」

「自重してくれとは言ったが……」

 無理だな、と狭山は一刀両断する。

「あいつがわきまえるなんて単語を理解していたら、俺達の防衛大ライフはもっと安泰だったはずだ。出席番号トリオなんて馬鹿にされたり、数少ない女子に遠巻きにされずにすんだはず……」

 狭山達は防衛大の卒業生だ。世間一般から見れば、その学歴だけで何か輝かしいものを感じるところだが、狭山にとっては輝きの裏側が強烈すぎて、未だに思い出話として語り合うには抵抗のある部分も多い。

 久檀、狭山、天条の三人は同じ学生隊に所属していた同期で、出会いについてはそれぞれ違うことを言っている。要するに、誰も正確なところは覚えていない。

 だが三人でよくつるんでいたのは事実だ。

 そして、狭山の人生観で唯一真実だと確信しているのは、久檀コウヘイに関わると、ロクな事がない、という一点。

「コウヘイめ……あいつのせいで俺は……俺は……」

 恨みの叫びを上げそうになった狭山は、ここが平和な街のスーパーであることを思い出し、咳払いのひとつで現実に戻ってくる。

「探し人の件だが、コウヘイのことだ、見つけるだけじゃあなくて、そのまま首根っこつかんで同窓会の席に連れて来るかもしれないぞ」

「それは困ったな。探し人は若い。まだ未成年かもしれないんだ」

 いきなり突きつけられた常識に、狭山は頭を抱えそうになる。

「お前も大概だよな……」

 つまるところ、久檀とまともに付き合えるということは、天条自身もどこか一本ずれている部分があるからに他ならない。昔から、その間になぜ自分が挟まれているのか疑問に思い続け、未だに答えを出せずにいる狭山だった。

 落ち着く為に息を吐き、狭山はずれた眼鏡を直しながらもらす。

「探し人がどんな機密を抱えているのかは訊かないが、コウヘイに頼んだ以上、騒ぎになるのは確実だぞ。あいつ、昔から勘が鋭くて失せ物なんかを探し当てるのが得意だったが、目的の為には手段を選ばないから周りも巻きこまれるんだよ」

「確かに、事を大きくしてしまうような事態もあったが、それは久檀が目標に向かって常に一直線に進むからだよ」

 一直線ね、と狭山はこぼす。

 と、そこで学生時代のあるエピソードを思い出した。

 先輩に国防に関して将来的にどんな理想と問題を考えていると問われた時、久檀は迷いなく、国防の為に命をかける所存です、その為の苦難を問題とは思いません、と声を張り上げ、その気真面目さぶりに失笑を買った。

 そこで終われば青春の美談だったが、久檀は同じ調子で、だから早く平和が乱れてください、全力で国民を助けますから、と言い放った。

 連帯責任で、久檀の所属する小隊は、天条と狭山も含む全員グラウンド五〇周走らされた。



4巻です。冊子版はピクシブのBOOTHで販売しております。

https://mutsugami123zero.booth.pm/

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