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白と黒の勇者

 白と黒の勇者



 呼吸が荒い。

 沖原(おきはら)マイキは息苦しさに胸を押さえ、溺れる人間のように喘ぐ。

 ほんの瞬きの間に、通い慣れた通学路の様子は一変していた。

 アスファルトは爆ぜ割れ、幾筋もの亀裂が走って下の土が露出していた。亀裂はそのまま周囲の家屋にまで走り、壁を砕いている。

 地震後のようだ。漠然と、そう思う。

 周囲の様は、ニュースで見た災害現場と酷似している。

 だが、これらは自然災害などではなかった。

 事態を招いたのは、単眼の化け物。

 化け物は、二階建ての家並みを軽く見下ろせるほどの巨体で、蜘蛛に似た先の尖った四つ足をしている。上半身は人のようで、頭部を模した丸い塊には赤い眼がひとつ、光っていた。

 単眼の化け物は突然、空から降ってきた。唖然とする人を尻目に化け物は手にした銃を構え、そこから放たれた熱線で、街は炎に包まれた。

 化け物は、機械だった。

 マイキの好きなテレビアニメ風に言えば、人型ロボット、とでも呼べそうな風貌をしている。

 そんなものがテレビの枠から飛び出し、市街を好き放題に蹂躙していた。適当に、目的もなく、ただ手にしている武器の威力を試しにきたとばかりに。

 実を言えば、マイキも化け物が放った熱線にやられていたはずだった。ちょうど、少年の脇でぶつぶつと音をたてて溶け崩れるアスファルトと同じように、真っ黒になって焼け死ぬところだったのだ。

「おい、しっかりしろ!」

 そうならなかったのは、マイキを助けた者がいたから。

 肩を揺すってくる、しっかりとした男の手。叫ぶ声には無反応なマイキに対しての苛立ちも含まれている。

「立て、立って走るんだ!」

 男は倒れた姿勢のまま、片腕で上半身を支え、残った腕でマイキを揺さぶっている。

「早く逃げろ!」

 マイキはゆるゆると顔を上げ、男を見た。男は二十歳くらいで髪は短い。きつくマイキを睨んでいるが、全体的にどこか幼さが残っている顔立ちだ。

 薄汚れた服。黒っぽい、身体に密着した生地。海に潜る際に着るスウェットスーツに似ている。

 そして、青年の足には、マイキの腕ほどの破片が突き刺さっていた。

 金属片。どこかの家屋で破砕した窓枠かもしれない。そんなものが矢のように左足に食いこんでいる。

 他にも青年は全身に、大なり小なりの傷を負っていたが、そこが一番ひどかった。黒いズボンにじんわりと濃い染みが広がっていく。

 揺さぶられても無反応なマイキに、青年は眉間にしわを寄せる。

 青年が苛立っているのはわかったが、認識はできてもマイキには、そこからどう行動すべきなのかわからない。ただ呆然と、目の前の光景を視界に入れているだけ。

 火の塊になった家屋。雨樋が熱に溶けて垂れ下がり、炎の勢いに負けて落ちた。炎は煙を生み、空に昇った煙は青空を白灰色に染めていく。

 と、動けないでいる二人を狙うように、化け物のキャノン砲がこちらを向く。充分に距離はあったが、あの重火器が一度火を噴けば、マイキたちを含む付近一帯が熱波で焼き尽くされるだろう。

 青年は背後の様子に気がつき、さらに渋面を作る。

「っ、ちくしょうめ」

 悪態を吐きながら、青年は足に刺さった破片に手をかけた。獣のように低い唸り声を上げながら、金属片を一気に引き抜く。喉の奥からくぐもった呻き声が漏れた。

 見るからに痛々しい光景だったが、マイキは目をそらすことができなかった。

 ズボンの破れ目からのぞいているのは……

「見るな!」

 叩きつけられた激しい声に、マイキはびくりと肩を震わせた。

 青年は破片を無造作に捨てると、よろめきながらも立ち上がる。次に、脇に座りこんだままのマイキを肩に担いだ。傷が痛むのか、歯を食いしばっている。

「……動くなよ」

 言って、青年はぐっと身を縮めると、バネのように飛び上がった。

 一気に、二階の屋根まで。

「っ、わあああああっ!」

「うるさい、黙れ!」

 反射的に出た悲鳴を、青年は苛立ち混じりにさえぎる。

 その間にも、景色は流れて行く。とんでもない速さで。

 マイキは思わず青年の服をつかんで身体を支える。もっとも、そんなことをしなくとも、少年を支える腕は痛いほどに強く、何があっても外れそうになかった。

 強い力に息苦しさを覚えながら、どうにかしてマイキは顔を上げた。

 視点が変わったことで、街並みがよく見渡せるようになる。

 どこもかしこも焼け崩れていた。

 マイキは無意識にお守りのペンダントを握りしめる。革ひもの先についた、石の飾り。掌にひやりとした感触が伝わり、その冷たさにほんの少しだけ息を吐く。

 呼吸を落ち着けたところで、荷物のように青年の肩に乗せられ、上下に揺さぶられている状況は変わらなかったが。

 それでも、マイキは肩を震わせながら青年の足に視線を動かす。

 金属片の突き刺さっていた個所からは、液体が漏れて彼の行き過ぎた後に点々と散っている。

 傷口に目をやって、マイキは身体を強張らせた。

 先ほど目の当たりにした何かは、見間違いではなかった。

 青年の身体の内部は、機械だった。

 破れた皮膚の中から金属的な表面がのぞき、さらにその穴からケーブルの束がこぼれ、ぺらぺらと情けなく揺れている。流れる液体は赤かったが、血液とは性質が違うように思えた。

 マイキは顔を上げる。

 立ち上る黒煙と塵で、晴れていた空は墨のように濁り始めていた。

 なぜ、街がこんなことに。

 あの化け物は何なのか。

 この青年は何者なのか。

 疑問は後から後から溢れ出てくるが、街を焼く熱気にあおられたのか、頭の中がぼんやりと熱を持って思考がまとまらない。

 まるで、夢の世界に放りこまれたような気分だった。

 だが、少年の髪をなびかせる風や火薬の匂い。炎の赤さ。地を揺るがせて迫りくる化け物の足音。それらすべてがこれは紛れもない現実だと大合唱していた。



 マイキは青年に抱えられたまま、近くの海岸まで移動していた。道路脇にはクルマやパトカーが停車していたが、車中には誰もいない。

 道路と遊歩道の向こうは防波堤になっている。防波堤の先は、砂浜と海原。ただ、二月のこの時期は波が荒れているので砂浜まで降りる者は滅多にいないし、釣りができる場所は別にある。

 もっとも、今の状況では散歩も釣りも、やろうとする人間は皆無だったが。

 青年は防波堤から跳躍して砂浜に着地すると、その場にマイキを下ろして踵を返す。怪我のせいか、上体がふらついていたが、それでも足運びに迷いはない。垂直に近い防波堤を、階段まで戻るのが面倒だったのか壁面を三歩で駆け上がり、鉄柵を跳び越えて向かったのは……無人のパトカーだった。

 彼はマイキの存在など意に介さず、倒れる勢いでボンネットの上に両手をつく。

 途端、変化が起こった。

「あっ……」

 思わずマイキは声を上げた。青年が消えたのだ。正確には消えたのではなく、全身が光になってバラバラに分解したかと思うと、次の瞬間には跡形もなく消えていた。

 青年の変化に驚く暇もなく、今度は耳と身体を貫く甲高い音が海岸中に響き渡る。マイキは反射的に耳をふさぐが、凶暴な音声が波のように身体を打ち、よろめく。無機的な音の出所は、パトカーからだった。

 パトカーの周囲では音に加えて青白い光が弾け、強く明滅したかと思うと急に弾けた。音に次いで強烈な閃光を叩きつけられ、マイキは顔を覆うのが間に合わず後ろに倒れてしまう。

 突然の強い光でおかしくなった目を瞬かせ、どうにかして視力を取り戻すと身を起こす。砂まみれになった服を叩くこともせず、マイキは口と目を丸くしたまま硬直した。

 パトカーはまだその場にあった。だが、それはもうパトカーではなかった。何かがあるのは間違いないのだが、もうパトカーには見えない。

 マイキの目の前で、パトカーの車体が外側に向かって展開する。箱の中身をぶちまけるように内部構造を露出させ、次々と構造を組み換えて変形していく。裏返った車体は別の形になってもう一度、折り畳まれた。

 新しい形状には丸いタイヤがない代わりに、脚があり、腕があり、頭までがある。

 マイキは自分の見ているものが理解できなかった。現実として起っていることだと認識できなかった。

「……ロボット」

 かろうじて、その言葉だけを発する。しかし、目の前の存在を現わすのに、それ以上に最適な言葉を見つけられなかった。

 立ち上がったそれは、パトカー独特の白と黒の配色はそのままだったが、車とは似ても似つかない代物になっていた。全体的なシルエットは人に酷似している。腕と足が二本ずつ胴体から突き出し、頭もひとつ付いている。

 ロボットは関節部分を確かめるように軽く手足や頭部を動かした後、猛然と走り出す。踏み出した際の衝撃で大地が揺れ、街路樹が大きくたわんだ。

 砂浜にいたマイキは、また後ろに倒れてしまう。

 ロボットの起こした揺れもあったが、どちらかと言えば、精神的な衝撃の方が大きく、立っていられない。

「ロボット……ロボットだ……」

 マイキは消し炭色に染まった空に向かって、繰り返し繰り返しつぶやいた。



 停車した車を器用に避けながら、白黒のロボットは海岸沿いの国道を疾走する。だが、どれだけうまく障害物を避けながら走っても、巨体の重量はどうにもできない。クルマは大きく揺れ、ロボットが駆け抜けた後のアスファルトは爆ぜ割れた。

 白黒のロボット。正確に言えば、その中心となっている青年には当然、名前があった。トラストだ。しかしマイキにはわからないことだし、パトカーを使って変形した青年も、あえて名乗りはしなかった。

 それよりも、目的がある。あのひとつ目の怪物をどうにかする方が先だった。

(初めて地上世界の車両と同期接続(リアクト)してみたが……)

 トラストは機体の具合を確かめてみた。素体に用いた車両の状態もよくスキャンせずに合体したため、機体との連結や装甲に不安はあったが、手足はまるで自身の延長のように自然に動く。ただ、負傷した左足の感覚は鈍かったが。

 いける。計算ではなく、人間風に言えば直感でトラストは悟る。

 この機体に重火器類の武装はないが、戦闘行動を取ることは充分に可能だ。

 トラストは機体を大きく前傾させる。さらに加速をつけ、白黒の機体は矢のように住宅とビルの間を駆け抜け、障害物を飛び越えて一気に敵機との距離を詰めた。

「ゴーストだか何だか知らねえが、すぐに片づけてやる!」

 ひとつ目のロボット……トラストの組織ではゴーストと呼称されている機体は、迫ってくる存在に気づいて上半身を回転させ、白黒の機体に向き直る。だがトラストはまったく躊躇せず、道路を陥没させる勢いで踏みこみ、跳躍して上空に舞い上がった。飛距離がありすぎて、ゴーストを飛び越えてしまったほどだ。

 勢いのまま、ゴーストの背後にあったマンションの屋上に着地……というか、そのまま上階部分を踏み砕き、蹴ってゴーストの背後に着地する。トラストはすぐさま敵機の脚を肩に担ぎ上げると、全身を使ってひとつ目の巨体を投げ飛ばす。

 ゴーストは無人の道路に落下。転がりながら一緒に道路標識も引きちぎり、砕けたアスファルトと共に路上を弾む。そのまま転がり続け、防波堤から砂浜へと頭から落下した。

 衝撃に砂が舞い上がり、周囲が仮初めの砂嵐のように白くなる。

 逆さまになったゴーストは、複数の脚をぎちぎちと動かして姿勢を戻そうとする。

 だが、トラストの方が早かった。再びゴーストの足下まで走りこむと、同じようにして担ぎ、今度は海に放りこむ。そうやって、相手の着水と同時にトラストも海中へ飛びこんだ。



 浜辺に残っていたマイキは、きわどいところを通り過ぎて行った二体のロボットを目の当たりにし、再び言葉を失う。丸く開いた口の中に砂が入っても頓着しなかった。

 立て続けに起った事柄に、マイキの頭の中は洪水のように荒れ狂っていた。

 ひとつ目のロボットが市街を蹂躙した。これは大事件だ。

 今度は別のロボットが現れ、戦った挙句に二体とも海中に没した。

 いや、そもそも、あの白黒の方は……

「……兄ちゃんが、ロボットに変身した?」

 マイキの目には、あの青年がパトカーを使って巨大ロボットに変身したように見えた。

 ぐるぐると疑問の渦に巻きこまれていると、今度は海が渦を巻く。ちょうど、ロボットが落下したあたりの海域に現れた渦の中心が、火山の噴火のように海水を高く吹き上げる。

 海中で何かが爆発したのだ。

 その何かの正体は、考えるまでもなかったが。

 マイキは砂まみれの上、海水のシャワーまで浴びながらも立ち上がる。砂浜をよろめきながらも歩いて横切り、打ち寄せる波に足を止めた。

「兄ちゃん……」

 想像だが、あのロボット同士の戦いに決着がついたのだ。どちらが勝ったのかはわからなかったが。

 勝利の行方よりも、マイキは海中に没したままの青年が気がかりだった。あんなに重そうな身体では、きっと沈んだまま浮いてこられない。

 と、水を叩く音がした。爆発した場所からやや離れた水面に、人の頭が浮き上がっている。

 海水をかきわけ、浜辺に戻ってきたのは例の青年だった。パトカーでもロボットでもない、そのあたりを歩いている人間と遜色ない姿だ。

(でも、あの足……)

 マイキははっきりと、青年の内部が異質なもの、金属的な何かで構築されているのを見た。

 青年は穏やかさを取り戻した海から重そうに身体を引きずってはい上がってくる。左足の動きが鈍い。マイキは彼が怪我をしていたことを思い出し、反射的に駆け出した。

「に、兄ちゃん!」

 マイキは声をかけたが、青年は砂浜にたどり着いた途端に倒れ、そのまま動かなくなる。うつぶせに横たわり、下半身は水に浸かったままだ。

「だ、大丈夫……?」

 側に寄ったが、触れてもいいものかどうか判断がつかず、伸ばした手が宙をさまよう。とはいっても、マイキには話しかける以外に何もできなかった。海から引き上げようにも、少年一人の力だけでは動かすことも難しい。

 助けを呼ぼうと思い、周囲に誰かいないか探したが、あいにくと、この浜辺一帯は無人だった。

 青年がわずかに目を開け、呻き声を漏らす。そうやって、指先が何かを求めるように伸ばされた。

 マイキに向かって伸びた指先は、少年にはかすりもせずに落下し、最後に彼が漏らした言葉はマイキには聞き取れなかった。






 遠く、遠くから音楽が聞こえる。

 いや、曲と呼べるほど洗練されたものではなかったが、それでも、その音はとても美しかった。

 硝子を爪で弾いたような、澄んだ音色。音程や波長が異なるそれぞれの音が絡み合い、しゃらしゃらと音が光り輝いて響き渡る。

(ああ……)

 トラストは感嘆の声を漏らす。

 美しい旋律に、溶けそうなほどの眠気を誘われる。

 これはベルの音。始まりと終わりの旋律(ヒュムネ・ベル)

 我々の命そのものが奏でる歌。

 遠い音楽は続く。

 手を伸ばしても届かない、音の向こうにいるのは、彼がもう一度逢いたいと切に願う相手。

 遠い遠い昔に去った、大切な存在。

 いつだって、この瞬間だって、追いつけないと理解しても走り出したい衝動を抱えていた。

(待って……)

 あの日も、必死で追いかけた。どこにも行って欲しくなかった。もっと名前を呼んで欲しい、もっともっと一緒にいて、もっともっともっと強く愛されたい。

 ただ、それだけだった。

(待って……待ってよ)

 どれだけわめいても、すがっても、大好きな「あのひと」は、自分よりも大きな歩幅で行ってしまう。

(行かないで……アウラ!)



 彼の変化に気づいたのは、マイキだった。

「あ、目が開いた」

 言葉通り、青年は目を開けていた。瞬きを繰り返した後、首を左右に動かして周囲の様子を確認している。

 場所は先ほどと同じ海岸。ただし、防波堤の側まで移動している。彼の下には、波打ち際からここまで引きずってきた際の跡がくっきりと残っていた。

「ユキ姉! 兄ちゃんが起きたよ!」

 声に、少し先にいたマイキの姉、ユキヒが慌てた様子で駆け戻ってくる。

「あの、大丈夫ですか?」

 走ってずれた眼鏡を直しながら、ユキヒはおずおずと声をかける。

 だがしかし、青年から返ってきたのは沈黙。さらに、不審者を見るような痛い眼差しを向けられ、ユキヒはたじろぐ。青年は、特別に人相が悪いわけでもなかったが、それでも黙ってにらまれていれば誰だって怖いだろう。

 だがしかし、しゃべってもらわなければ色々と……気まずい。弟の頼みで波打ち際で気を失っていた彼を二人がかりでここまで引きずってきた身としては、このまま放り出すのも後味が悪かった。

(それに、この人……)

 ユキヒはわざと、青年のある部位からは目をそらしていた。

 青年の左足。

 膝から下の着衣には大きく穴が空き、その下の皮膚は無惨にえぐれ、さらに下には金属がのぞいていた。

(あれって、機械……よね。身体がかなり重かったし、義足だと思うけど……)

 医療関係の知識に乏しいユキヒでは、今の技術で表面上は健常者の足と変わらない義足を作れるのかどうかはわからない。

 弟は意識のない青年を前に、この傷口を指さしてしきりに興奮していた。彼女が、これは義足だと言っても耳を貸さない。少年が好きなアニメの主人公のようだと言ってきかなかった。

「この兄ちゃんは、絶対に星野流星だよ。地球を守る勇者なんだって!」

 弟が顔を真っ赤にして叫ぶ名前は、〈流星の勇者ガイアスター〉という番組の主人公だ。

 星野流星は普段は人間と同じ姿だが、地球侵略を目論む組織ダークマターが現れた際には、自動車と合体して敵を倒す。

 らしい、すべて弟からの受け売りだ。

 ユキヒはひとつ息を吐くと、興奮しすぎて倒れそうな弟をたしなめる。

「落ち着きなさい、マイキ」

 他者からは、おっとりやぼんやりという表現をされる彼女だったが、多少は姉らしく、ぴしりと言った。

 言ったのだが、愛すべき弟は、姉の言うことなどまるで聞いていなかった。

「だって、ユキ姉。この兄ちゃんすごいんだ。暴れてたひとつ目のロボットをやっつけちゃったんだよ!」

「え……?」

 ユキヒは思わず弟と青年の顔を見比べた。弟が突拍子もないことを言い出すのは常のことだったが、場合が場合だった。

 市街にひとつ目の化け物……ロボットのような、金属製の何かが暴れたのはユキヒもよく知っている。ニュースの映像に燃えさかる見知った町並みと、黒々とした巨体が映し出された時には血の気が引いた。どうにかして職場からここまで戻り、自宅近くで弟を見つけられたのは僥倖だった。

 感動の再会に浸る間もなく、弟は半泣きで姉に助けを求めた。

 海岸に人が倒れていると言う。

 そして、倒れていた人物を弟は、まるで正義の味方かヒーローのように目を輝かせて見つめていた。

「あそこにあったパトカーと合体して、兄ちゃんもロボットになって戦ったんだよ!」

 そうだよね、と青年に対してマイキは同意を求める。話の矛先を向けられても、彼は沈黙していた。特に不機嫌そうな様子は見受けられなかったが、ユキヒは慌ててロボットの活躍を語る弟を押さえる。

「ちょっと、マイキ。いくらなんでも……」

「じゃあ、ユキ姉はあの白黒ロボットを見なかったの?」

「見たけど……」

 突然出現したカーキ色のロボット。市街を蹂躙する巨体に成す術なかった人々の前に今度は別のロボットが現れ、瞬く間に海の方へと投げ飛ばしてしまった。

 そのおかげで市街の破壊は食い止められ、ユキヒは弟を探し出すことができたのだが、その弟と一緒にいる青年が、例の白黒ロボットの関係者だという。

 いや、白黒ロボットに変身したらしい。

 ユキヒは眉間にしわを寄せながら、とりあえずは当たり障りないことを弟に尋ねる。

「その白黒ロボットは、どこに行ったの?」

「海に落ちた。で、海から出てきたのは兄ちゃんだけだった」

 マイキが指さす先には、むっつり顔の青年。こちらの話は聞いているようだがまるで反応がない。

 その表情が動いたのは、近づいてくるエンジン音を聞いた時だった。発生源であるクルマが彼らの頭上、防波堤の向こうにある道路に停車する。

 目の覚めるような黄色い軽自動車だった。丸みを帯びた卵形の車体はどことなくレトロな印象を持っている。

「うわぁ! スバル360だ!」

 軽自動車を見た途端、マイキは声を上げてはしゃぐ。そのスバル360というのがこのクルマの名称なのだろう、そう彼女は納得する。ユキヒはマイキほど車種に詳しくないので、そのクルマが半世紀以上前に製造された初の国産量産型自動車で、現存するものはまれだということなど知るよしもなかった。

 停車したスバル360は、車種の特徴でもある前開きのドアを開放する。

 途端、それまで身動きひとつしなかった青年は、文字通り弾かれたように起き上がり、勢いよく走り出すと防波堤の壁面を駆け上った。

 彼はそのまま手すりを飛び越え、クルマの中に滑りこむ。

 スバル360は、ドアが閉まる間も惜しみながら走り去った。

 浜辺には、姉弟二人が取り残される。

「兄ちゃん、行っちゃったね」

「そうね……」

 弟の落胆した様子を前に、ユキヒは上の空だった。

「あの車……」

 光の加減だったのかもしれない。いや、恐らく見間違いだろう。そんなこと、あるはずがない。

 ユキヒはそう思いながらも、ある疑問を口にする。

「運転席に、誰も乗ってなかった?」



 千鳥ヶ丘市を一望できる高台に、彼らは集まっていた。

 数は四人。それぞれが話をするにはやや適当な位置に立ち、町を見下ろしていた。

 日暮れが迫る刻限。水平線の彼方へ落ちこんでいく大陽が最後の光を投げかける。影が濃く長く伸び、光と闇が同居する不思議な空間が生まれる。

 だが今日の千鳥ヶ丘市は普段のそれとは様子が違った。市街の真ん中を縦横に黒と赤の筋が走っている。煙と炎だ。黒煙の立ち上っている中、消防車、救急車、パトカーのサイレンが多重奏のように響き渡り、さらには上空を旋回するヘリのローター音が混じる。

 彼らの直上をヘリが通過し、高台の公園に風が渦を巻く。

「うるさいわね、もっと高く飛べないのかしら」

 女は乱れた髪を押さえ、飛び去ったヘリをにらみつける。

「放っておけ、報道の自由というやつだ。もっとも、このヘリの音で、瓦礫の下に埋まっている生存者の声もかき消されるだろうがな」

「あらあら、残酷な自由ねぇ」

 指先を口元に当て、くつくつと女は笑う。

「ゴーストの処理はどうする」

 影の中から巨体が歩み出た。低く重い声に、男が応じる。

「もちろん、回収する。ただ、今は人目がある。深夜から明け方にかけて動いた方がいいだろう」

 巨躯の男は返事もせず、再び影の中に沈みこむようにして立ち去った。

「あ、あたしも行く!」

 ぱっと小さな影が大きな影を追って走る。まるでクマを追いかけるウサギのように、華奢で細い肢体をしていた。

 クマとウサギのコンビを見送ることもせず、男は眼下の町並みを睥睨する。

「今回の件、どう思う?」

「ずいぶんと抽象的な質問ね。それはゴーストが市街で暴れたこと? それとも、そのゴーストが倒されたこと?」

「両方だ。まだ、地上世界でゴーストを出すのは早すぎる。いくら情報操作を行っても、もみ消すことは難しいだろう」

「幸運だったのは、暴走したゴーストを倒してくれた正義の味方がいたことね。我々だけではゴーストを止めるまでに、この町すべてが焦土になっていたわ」

 もっとも、焼け落ちたところで一向に構わないけれど、と女は婉然と微笑む。

 男の方は女の物騒な言葉を無視して続ける。

「正義の味方か。あの白い機体は恐らく、ユニオンの連中だろう」

 その言葉に、女は軽く目を見開く。

「あら、まだ生きてたの。とっくの昔に海の底で錆びついて、深海魚の巣になっていると思ってたわ」

「彼らは存在している。同時に、地上を監視していた。そして、我々イノベントの存在が危険だと判断したからこそ出てきたのだろう」

「もう遅いわ」

「そうだな。彼らは遅すぎた」

 男は一度、言葉を切る。見上げた空には星も見えない。立ち上った黒煙が空を覆っているからだ。

「人類という種は、近いうちに絶滅する。イノベントの計画通りにな」



 町外れの高台。もちろん、とある四人組がいたのとは別の場所で、トラストは陽が落ちた今でもくすぶった煙を上げている町を見下ろしていた。

 クルマの屋根に寝転がって。

 ただ、クルマといっても相手は軽自動車。車体が小さいため、屋根から両足が大きくはみ出している。もっとも、彼も好きこのんでこんな不自由な場所に寝ているのではない。最初は車中のシートに座っていたのだが、狭苦しさに嫌気がさして出てきたのだ。しかし周囲は膝丈の雑草に覆われていたので仕方なく屋根の上に避難した。

 そうやって、何をするでもなくオレンジに染まる町を見つめているトラストに声がかかる。

「トラストー。地上の建物を壊すのはまずいよ。あの中には人間が住んでるんだから」

 声はクルマから発せられた。男性のようだが、若干幼い。

 そして、声はすれども車中には誰もいなかった。

 無人の車からの呼びかけに対し、トラストは憮然とした面持ちで答える。

「直前にスキャンして、内部に人や動物がいないことは確かめた」

「そうじゃなくてさ。あそこは人間の住処なの、そこを壊したら、住んでいた人が困るよ。クルマだって、海の中だし。あれも人間の持ち物なんだから、勝手に拝借するのはいけないよ」

「あの状況で、どうしろっていうんだ」

 トラストは苛立たしげに言った。もちろん、多分に八つ当たりが含まれていることはわかっている。自分の行動に穴が多いことを自覚しているからこそ、事実を指摘されると余計に腹が立った。

「まあ、相手はゴーストだからね。でもさ、僕が行くまで待ってられなかったのかい?」

「っ、説教ならたくさんだ!」

 トラストは右足でバックドアガラスを蹴った。衝撃で車体が揺れる。負傷している左足は膝から下が頼りなくふらついていた。

「ちょっと、傷つけないでよ」

 声はそこで、傷と言えば、と話を変える。

「トラストの方こそ、足の傷はどうなんだい? 痛そうだけど、大丈夫かい?」

「左足の神経接続は切った」

「……あのさ、それって痛みを感じてないだけで、何も解決してないって。それに、初めて地上のクルマとリアクトしたんだろ、影響が……」

「怪我なら大丈夫だ。そのうちふさがる」

 トラストの左足。傷のある個所はおざなりに布が巻いてあるだけだった。何も補修は行っていない。ただ、自身で言った通り、神経接続を切っているので苦痛はない。代わりに膝から下は感覚がなく、棒きれでもつけているようだ。

(自己修復機能で循環液の流出は抑えられているから、このまま行けば数日中には回復するはずだ)

 と、トラストの内心を見透かしたように声は続く。

「そのうちって、駄目だよ! 自己修復で何とかなるって思ってるのかもしれないけど、そんなの根本的な解決になってないって。破損個所を別の回路が補ってるだけだって。そのうち予備回路も死んじゃうよ。早いところトレトマンに診てもらった方がいいって」

「っ、あいつの治療なんてごめんだ! 大体、この身体が脆弱すぎるんだよ」

 トラストは上半身を起こして声を荒げる。

 言われなくとも、足の負傷は色々な意味で痛かった。傷が小さい割に破砕片は深く突き刺さり、貫通寸前だった。今も傷口から循環液が染み出し、内部はずたずただ。歩くことは可能でも、まともには走れないだろう。

 憮然として押し黙るトラストに返ってきた声には、あきらめと慣れが混じっていた。

「ったく、君の医者嫌いもわかるけど、僕じゃあ君の身体を診てやれないんだよ。最初から世話になるのはわかってたんだから、トレトマンの準備ができるまで待ってればよかったのに」

「レックス。おまえはどっちの味方なんだ」

「僕はいつだって、手がかかる、わがままでだだっ子で愚痴っぽい兄弟の味方だよ。まあ、もう少しかわいげがあればなおよろしいけど」

 レックスは、さもおかしそうに笑って車体を揺らす。トラストは思わず屋根をへこませたい衝動に駆られたが、ここで暴れたらそれこそ負けを認めたような気がしたので、代わりに別の話題を口にする。

「アニマの……ベルの音を聞いた。あれは、アウラの音だった」

 言葉が相手に浸透するのに、少しばかり間が必要だった。そして、レックスはトラストが半ば予想していた通り、信じられないと叫びを上げる。

「っそんな、ベルの音が聞こえたってことは……!」

 トラストはレックスの言葉を、軽く屋根を叩いて止める。

「言うな。俺だって信じたくはない」

 混乱したように、そんな、アウラが、と切れ切れの単語をつぶやくレックスの様に、トラストは堪えるように顔をしかめた。続く口調は自然と重くなる。

「俺は、信じないぞ」

 夕焼け色に染まった街を見下ろしながら、トラストは吐き出すように叫ぶ。

「たとえベルが鳴ろうが、俺は絶対にこの地上でアウラを探し出してみせる!」

【白と黒の勇者 終】


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