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フリルを拾った話

 順当に読んでくださっている方には、タイトルで誰の話かわかってしまいますね。

 あたしと、彼の話をしよう。




 その日あたしが、洗濯するために川へ行くと、そこにはフリルが流れ着いていた。

 正確には、フリルだらけのドレスを着た綺麗な人だ。

 季節は冬。川は痛みを感じるほどに冷たい。

 好きで入ったわけじゃないだろう。


 最近のあたしは、悩み事のせいであまり眠れない。

 眠りに入っても、朝というには早すぎる時間に起きてしまう。

 だから最近は、他の奥様方もぐっすりと眠っているような時間に洗濯物を洗いに来ていた。


 そのせいで、あたしは真っ先にその人を見つけてしまったわけだ。




 あたしは王都の下町で、食堂を営んでいる。

 父が開業した店だが、三年ほど前に父が亡くなってからはあたしが店の主である。

 母についてはよく知らない。あたしが物心つく前からもういなかった。

 顔も名前も知りはしない。


 父親仕込みの料理の腕とそこそこにある看板娘力を武器に、あたしは店をそれなりに繁盛させていた。

 三ヶ月ほど前までは……。


 どういうわけか三ヶ月前からぱったりと客足が途絶えてしまい、今は店内に閑古鳥を買っている有様である。

 泣き声が煩くてたまらない状態だ。

 繁盛していた時の蓄えもこの三ヶ月でジリジリと減り、今は底を着きかけていた。

 ただ暮らすだけならもっと長く暮らせただろうが、毎日の食材の仕入れがあったので仕方がない。

 その上この王都においては、飲食店を含む商売を行う場合、毎月の商売許可料という物が発生する。

 今の王様に代わってその料金も少し下がったのだが……。

 それでも今の我が店の財政にとっては手痛い追い撃ちとなっていた。




 許可料の集金は、区画によって王都に住む貴族が王様の代理で行う事になっている。

 だから毎月、そのお貴族様の部下が徴収に訪れるわけなのだが。


「今月は払えないってか?」


 徴収に来た部下は、あたしを睨みつけた。

 貴族の部下と聞こえはいいが、この区画に訪れる徴収者はどう見てもゴロツキに毛が生えた程度の粗野な人間だ。

 そんな相手であっても、あたしは客と接するように丁寧な口調を心がける。


「はい。申し訳ありません……。だから、もう少し待っていただきたいのですけれど」

「いつまで待ったって払えねぇだろうが。客が来ねぇんだからよ!」


 貴族の部下は、怒鳴りつけると店の椅子を蹴り飛ばした。


「何とか、してみます」


 私が答えると、貴族の部下は鼻で笑う。

 できるもんか、と言うように。


「まぁ、どうしてもって言うなら待ってやってもいいんだぜ。男爵様は慈悲深い方だからなぁ。話せばわかってくださるだろうさ」

「え、本当ですか?」


 希望が見えた気がして、聞き返す。

 そんな私に貴族の部下はいやらしい笑みを向けた。


「ただ、むやみにお縋りするだけっていうのも人としていかんだろう? こういう時は誠意を見せる必要がある」

「誠意? それは……」

「お前だって女には違いない。そんな体でも女の穴はあるだろう。それで男爵様のお相手をすればいいのさ」


 そう言って、貴族の部下はあたしの体を眺めた。

 あたしの体は小柄で、子供の様だとよく言われる。

 そんな女としての魅力に乏しい体でも、許可料の支払いを待ってくれるくらいには価値があるらしい。


 ふざけるな。


「親父の残した店を潰してでも、テメェのちっぽけな貞操が大事かどうか、よく考えな」


 笑う貴族の部下を睨みつけてやる。

 そしてあたしは一度、店の奥へ入った。


「おい!」

「待ってろ!」


 声をかける貴族の部下へ怒鳴り返しながら、あたしは生活費用から許可料の分だけ硬貨を取る。

 正直、これだけ持っていかれると一日の食事を一回に切り詰めても厳しい。

 だけど、このまま屈するのは腹が立つ。


 あたしは貴族の部下の元へ戻ると、テーブルに硬貨を叩きつけた。


「もってけ!」


 その硬貨を見て、貴族の部下は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「徴収できりゃあ構わないけどな。まぁ、来月はどうなってるかな?」


 どうなっているんだろう……。

 不安はある。

 プライドを傷付けられるよりも貧困が辛いと感じるようになってしまえば、みっともなく縋り付いたかもしれない。

 でも今は、まだプライドが勝っていた。

 今はまだ、言いなりになりたくなかった。


「次に来る時が楽しみだぜ」


 そう言い残して貴族の部下は帰っていった。


 それが、あたしの悩み。

 切り詰めても切り詰めても、日に日に厳しくなっていく生活への苦悩。

 来月に待ち受けている自分の運命への嘆き。

 といった所だろう。


 今の所まだ人間的な生活を送れている。

 もし、来月後も生活費を削る事になれば、何日か水をおかずにしなければならないだろう。

 きっとあたしのプライドは、その時ぽっきりと折れる。

 一月の間を待たず、妾にしてくださいとお貴族様の屋敷へ向かっていそうだ。


 そしてそんな時、思いがけない状況が目の前に現れたわけだ。




 川岸に仰向けで倒れこんでいたのは、赤いフリフリしたドレスの綺麗な人だ。

 ほっそりとした体に、丸みのある胸。

 あたしにとっては垂涎の理想的スタイルだ。羨ましい事この上ない。

 肩までのツヤツヤ輝く黒髪もとっても綺麗だ。

 あたしはその人の首へ手を当てた。

 脈がある。体は冷えているが、生きているみたいだ。


「大丈夫ですか?」


 声をかける。返事が無い。

 意識は無いようだ。


 どうしよう。

 このまま見なかった事にして帰る事はできる。

 でもそんな事をすれば、この一件が気になって後々まで思い悩む性分であると、あたしは自分自身の事を熟知していた。


 溜息を一つ。


 肩を貸すようにして、流れてきたらしきその人物を店まで運んだ。

 この人が何者で、どういった経緯で川の中をたゆたっていたか。

 それはこの際、どうでもいい。

 あたしが始めに見つけ、それで置いていって死なれたら生涯後悔してしまいそうだ。




「えぇっ! 嘘だぁ!」


 と、素っ頓狂な声をあげてしまったのは、ベッドの上でその人のドレスを脱がせた時だ。

 胸元からポロリとリンゴが二つ落ちた時からおかしいとは思っていた。

 腹筋がありえないくらいに割れている所を見て疑念を強めた。

 そして脱がしきり、あたしはその人物が男性である事に気付いた。


 そう、この人は「男」である。


 自分の顔が火照るのを感じた。


 男の裸を見たのなんて、子供の頃に父親とお風呂に入っていた時以来だ。

 誰もあたしを女として相手にしないし、そもそも店が忙しくてあたしでもいいと言ってくれる奇特な人を探す事もできなかった。

 だから耐性がない。


「あ、いや、でも、なんてことないね、こんなもん。下着は脱がせてないものね。あはは」


 ちょっとばかり混乱する。

 しばらくして無理やり心を落ち着ける。

 混乱している間に、この人が死んでしまったら申し訳なさ過ぎる。


 しかし、いい体だ。

 細身の体は、全身が筋肉質だった。

 無駄を一切省いたような身体つきをしていて、柔らかそうな所が全く無い。

 同じ筋肉質な体でも、肉屋の親父さんとはまた違った体だ。

 あっちは横も縦も奥行きも大きいし。


 あたしは彼の濡れた体を布で拭いていった。

 その時に、脇腹を走る傷に気付く。

 長く水の中にいたせいか、傷口からは血が固まらずまだ流れ続けている。

 赤いドレスのせいで、脱がすまでその出血にも気付かなかったようだ。


 傷口を軽く拭い、切り傷用の傷薬を塗る。

 縫った方がいいのかもしれないけれど、人の肌を縫うのはちょっと怖い。

 だから、これで許してほしい。


 その時、不意に腕を掴まれた。

 彼の目が開き、あたしを睨みつけていた。


「誰だ?」


 強い警戒を含む、鋭い声色だった。

 ちょっと怯む。

 でも、声を聞けてやっと男だと納得できた。


「食堂の店主です。……今は、あなたの手当てをしています」


 お客様対応で簡潔に説明する。

 言葉の真偽を探るが如く、彼はあたしの顔を注視する。

 緊張するし落ち着かない。顔を背けたい。

 けれど、ここで目をそらしたらやましい事があると思われるかもしれない。

 だから、強く見詰め返す。

 やがて、彼の目から険が消えた。


「そうか、すまないな」


 あたしの腕から手を離し、謝る。


「謝るくらいなら、お礼の言葉をくださいよ」


 安堵したついでに気が大きくなったのか、そんな軽口が出る。


「そうだなぁ……。ありがとう……」


 彼の声はとても深く、穏やかだった。

 静かで落ち着いた印象がある。


 その礼の言葉を最後に、彼はまた意識を失った。

 溜息を一つ吐く。

 彼の体を拭き終り、家にあった父の服を着せた。


 それから日中、食堂で閑古鳥を愛で、夜になって二階の私室へ戻るともう彼の姿はなかった。


 夢だったんだろうか?

 そう思った。

 けれど、濡れたベッドとドレスは部屋に残っていた。




 それから数日後の事だ。

 店の前にメニューを書いた立て看板を出した時。

 彼があたしの前に現れた。


 やっぱり、あの時の事は夢じゃなかったらしい。


「こんにちは。怪我は大丈夫なんですか?」

「大丈夫だ。もう治った」


 静かな口調で彼は答える。

 彼は前と違って、ちゃんと男物の服を着ていた。首元と手首にフリルのあるヒラヒラした服だ。


「貴族様だったのですか?」

「違うが?」

「そうですか」


 服装だけならそれっぽいのにな。

 おかしいね。


「それで、何か御用ですか?」

「恩を返しに来た」


 言って、男は小袋をあたしに差し出した。


「律義ですね。別に、構いませんのに」


 くれるなら貰うけれどね。

 袋の中身は何だろう?

 クッキーかな?

 お金とかだったら嬉しいな。


 手を伸ばし、袋を受け取る。


 思った以上にずっしりと重く、持った手が若干沈んだ。

 その時に、チャリっと金属のぶつかり合う音がする。

 それだけで中身を察するには十分だった。

 あたしはすぐに袋を開けた。

 中にある物の輝きに、目が焼かれる。


「金貨じゃない!」


 聞いた事はあれど、見た事無い。

 貴族や一部の豪商以外、一生見る事などできないであろう金貨という代物が、その袋にはぎっちりと詰められていた。


 嬉しいとは思ったけど、これはちょっと引く。


「これは、何です?」

「金貨だ」


 見りゃわかるよ。


「何故、あたしにこれを?」

「恩を返しに来たと言っただろう。気に入ってくれると嬉しい」


 アホか、気後れするわ!


「確かに嬉しいですが、お断りします。ちょっとこの額は、お礼の範疇を超えています」


 うちの店を新築してもお釣りの方が多くなる程度の額が、この小袋には詰まっている。

 ちょいと手当てして、ベッドを貸した程度で貰っていい額じゃない。

 厚顔に受け取れるほど、あたしは剛毅じゃないのだ。

 過ぎたる物には、裏があると疑ってしまう性質だ。


「そうか? なら、何がいい。何を贈れば、受け取ってくれる?」

「そうですねぇ……」


 金貨一枚だけでも……。

 いやいや、それでもかなり暴利なんだよね。

 人間を売り買いできる額だ。

 受け取って、気付いたら身売りされてたなんて冗談じゃない。

 ただでさえ、最近は自分の体がスケベな貴族に狙われているのだ。余計に警戒する。


「だったら、何か食べていってくださいよ。料理の適正価格程度なら、受け取らせていただきます」


 これならいい。

 料理を出し、それに見合うだけの価値を交換するだけだ。

 互いに妥当な利点を得る。

 それなら安心できる。


「そんなものでいいのか?」

「今はお客さんが少ないから、毎日来てくれると嬉しいかもしれませんね」


 ちょっと欲を出してみる。

 チラチラと彼に目をやった。

 彼は口元をかすかに歪めた。

 あまりにもわずかな変化だったが、もしかして笑っているのだろうか?


「いいだろう」


 答えて、彼は店の中へ向かう。


「どうぞ、いらっしゃいませ」


 あたしは恭しく彼を店内へ案内した。



「どうして、客がいないんだ?」


 彼は白身魚のグリルを食べ終わり、付け合せのスープを飲みながら訊ねた。


「さぁ? あたしはそれなりに美味しい物を作っているつもりなんですけどねぇ」

「そうだな……」


 さりげなく、同意する言葉があたしには嬉しかった。


 でも、本当になんで急に客が来なくなったんだろうか?

 美味しい物を作っているつもりなんだけどなぁ……。




 その二日後。

 あたしの店は信じられないくらいに繁盛していた。

 店の席は全て埋まり、外には何人か待っている人間もいる。

 一人で切盛りしているので、目が回るくらいに忙しい。

 常連だったお客さんも増えているし、会った事のない人も多くいた。

 そういった新規のお客様は、ガラの悪い人が多いのでちょっと困る。

 毛皮を着ていたり、半裸だったりする。剣も持っているし、見た目は山賊みたいだ。


「いらっしゃいませ。お久し振りですね」


 常連のお客さんに、挨拶する。ちょっとだけ皮肉を込めてみた。


「ああ。久し振り。しばらく来れなくて悪かったね」


 そんなあたしの可愛らしい皮肉を流してくれるのだから、おじ様ったら素敵!

 家で娘さんが冷たい分、あたしが構ってあげるんだから。


「お店とお客の事ですから、気兼ねは必要ありません。来てくださるのは、とても嬉しいですけど」


 あたしとしては、料理の味を目当てに来てほしいのだ。

 だから、義理で通ってほしくない。

 あたしがお客に対して口調を改めているのは、そのためだ。

 丁寧な口調は耳に心地良いが、逆に他人行儀な印象を与えるものだ。

 お客さんとは仲良くなりすぎず、あくまでも客と店主でいたいのだ。


「私としては来たかったんだがね。ただ、ここ最近、この店に行こうとするとガラの悪い連中に絡まれたんだよ」

「ガラの悪い連中……。山賊みたいな?」

「いや、街のゴロツキって感じの奴らだな」

「そうですか」


 ごめんなさい。新規のお客様。

 根拠のない疑いを持ってしまいました。


「来てくださったという事は、そのゴロツキももういないのですか?」

「たぶん、大丈夫だと思うよ。何せ今日の朝、広場に吊るされたからね。全裸で」


 川までの通り道に広場を選んでなくてよかった。

 朝っぱらからそんな汚ねぇ物見たくない。


 ふと、あたしは思い至る。

 お客さんに断りを入れて、その場を離れた。


「もしかして、何かしました?」


 テーブル席でスープを飲む彼に、訊ねる。


「知らないなぁ。料理が美味いから客が来ている。それだけだろう?」




 その日、彼は一人の人間を伴って来店した。

 見るからに山賊然とした姿の人だ。


「ここがお前のお気に入りか。奥からいい匂いがしやがるじゃねぇか。ガハハ」

「味は保証しますよ、兄さん」


 普段とは違う、丁寧な言葉遣いで彼は答える。

 どうやらお兄さんらしい。

 あれ? でも服のどこにもフリルがないぞ。それどころか、上半身の布地がほとんどない。バキバキに割れた腹筋が丸見えだ。

 本当にお兄さん?


 彼はお兄さんを空いたテーブルへ案内する。

 そこは毎日来てくれる彼のための予約席だ。

 どれだけ人がいっぱいでも、そこにだけは予約席の札を立てている。


「いらっしゃいませ」


 声をかけると、彼は小さく頷いた。


「お前、ちっちぇーな。ガハハ」


 知ってるよ。失礼な。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「魚のフライがいいな」

「俺は肉だ」


 彼の兄らしき人物が、とてつもなく漠然とした注文をくださった。


「肉にもいろいろございますが」

「猪がいいな。ガハハ」

「申し訳ございません。猪は置いておりません。あと、できれば調理法や料理名を教えていただければ……」

「じゃあ、熊だ。焼いてくれ!」

「申し訳ございません。生憎とそちらも……。あと、もう少し具体的に……」

「ガハハ、ここは客への注文が多いな!」


 このお客様、怒っているのか上機嫌なのかよくわからない態度で対応しにくい……。


「豚肉のステーキでいい。料金は倍出すから、肉を倍の厚さで提供してくれ」

「はい。かしこまりました」


 彼が代わりに注文してくれる。

 正直、助かった。


 他のお客様からもまとめて注文を取り、厨房でまとめて調理する。

 それらを全て作り、配り終えた。

 最近、この作業にも慣れてきた。

 でも、ちょっときついのでそろそろ人を雇った方がいいかもしれない。


 それから何度かお客を捌き、お客の入りも少し落ち着いたので、あたしは彼のテーブルに近づいた。

 料理はもう全部平らげられている。

 二人は何やら、こそこそと話をしていた。

 真剣な顔をしているので、誰にも聞かれたくない大事な話をしているのかもしれない。

 近くのテーブルを拭くフリをして、あたしはその会話に容赦なく聞き耳を立てる。



「兄さん、また女の子を家に連れ帰って来たみたいですね」

「ああ。俺の「いい女」じゃなかったから、すぐに帰したけどな。ガハハ」


 かなりどうでもいい……ろくでもない会話らしかった。


「そうですか……」

「おい、そんな目で俺を見るな。怖いだろうが。お前の目つき、ただでさえ母ちゃんに似てるんだから」

「こんな目にもなりますよ。誰が、その後始末をしてくれていると思っているんですか?」

「ちゃんと感謝してるぜ? ガハハ」


 彼は溜息を吐いた。


「時間だぞ」


 そんな二人のテーブルに、誰かが近付いた。

 浅黒い肌をした目つきの鋭い人だった。

 やはり上半身の布地は少ない。丸見えの腹筋は当然のように割れている。


 そういう習慣のある地方の人なんだろうか?

 割れてないと住む事が許されない土地柄の人間なのだろうか?


「おう、丁度お前の話をしていたんだ」

「迷惑、おかけしています」


 その人物にお兄さんが手を上げ、彼は深く頭を下げた。


「お前のせいじゃない。こいつがロクデナシなだけだ。それより行くぞ。飯は食ったんだろう?」

「おう。じゃあ、俺は行くぜ。ガハハ」


 お兄さんが立ち上がる。


「はい。では、また後日」

「おう、じゃあな」


 彼と挨拶を交わし、お兄さんは迎えに来た人と一緒に店を出て行った。


「俺達の話は、あまり聞かない方がいいぞ」


 それと同時に、彼に声をかけられた。

 バレていたようだ。


「はい。すいません」

「今回は構わないが、場合によってはお前をどうにかしなければならなくなる」


 どうなるんですか!?

 堅気ではなさそうな雰囲気は金貨を渡された時からなんとなくわかっていたが、今の言葉で具体性を帯びてちょっと怖いです。

 全裸で広場に吊るされるどころじゃすまない予感がする。


「気をつけます」


 あたしは素直に謝り、今後彼の話は盗み聞かない事に決めた。




「何で、そんなにフリルが好きなんですか?」


 ある日、ずっと気になっていた事を聞いてみた。


「好きというわけじゃない。身につけてないと落ち着かないんだ」

「そうなんですか」

「もちろん、何度か矯正しようとした。だが、どうしようもない。兄さんよりも短気になるし、誰にでも喧嘩売るようになるから、仲間にも悪いしな。今は諦めてる」


 嫌な禁断症状だ。

 彼がそうなってしまう姿を想像できない。

 見たくもない。


「何で、そんな面白い癖がついちゃったんです?」

「それはわからない。親父に聞いても兄姉きょうだいに聞いても知らないと言う。お袋は何か知っていそうだが、聞くと悲しそうな顔をするからな」


 お母さんが原因じゃないの?




 期限の一月が経ち、貴族の部下が店に訪れた。

 貴族の部下はニヤニヤと、妙に勝ち誇った顔で入店した。

 どうせ無理だったろう? という優越感に満ちた表情だ。

 そんなご機嫌な顔の前に、あたしは銅貨が大量に入った袋を掲げて見せた。

 最初、貴族の部下は怪訝な表情になる。

 が、チャリチャリと音を立てる袋とあたしの得意げな顔で事態を察したらしい。

 途端に面白くなさそうな顔になる。


 それより、さっさと受け取れ。

 銀貨数枚で済む所をあんたが困るようわざわざ銅貨に換えて重くしてやったんだ。

 あたしの非力な腕がプルプルするじゃないか。


「ちっ、また来月だ」


 男は捨て台詞を吐いてすぐに外へ出て行った。

 その背中を晴れやかな気持ちで見送ると、あたしは振り返って彼の予約席へ目を向けた。

 彼はいつも通り、そこにいる。

 こちらを見ていたらしく、目が合った。

 小さく口角を歪めていた。




 その日の夕方。

 夕食を取りに彼が店に訪れた。

 これも毎日の事だ。

 彼は三食をこの店で食べていってくれる。

 あの時の恩を返し終わるまで、ずっとそうしてくれるつもりなのかもしれない。


 でも、うちの料理の定価じゃあ、きっと一生かかってもあなたが感じる恩は返せないと思うよ。

 だから、あたしかあなたが死ぬまで、毎日食べに来てくれるんだよね。

 毎日会えるって事だよね。


「どうした?」


 魚のソテーを食べている所を見ていたら、彼に声をかけられる。


「落ち着きませんか?」

「いや、そんな事は無い」

「すいませんね。食べ方がとっても綺麗だな、と思って」

「そうか。そう思ってもらえるなら嬉しい」


 彼のナイフとフォークの使い方は、動作がどれも洗練されている。

 まるで何か、熟練した作業を見ているようだ。

 実際に見た事はないが、貴族のテーブルマナーというのはこういうものかもしれない。そう思わせた。


「お袋の物の食べ方が、とても綺麗だったんだ。子供の時に、俺もそんな風に物を食べられるようになりたいと思って、食べる時の作法を教わった。だから、そう言ってもらえてとても嬉しいな」

「そうなんですか。良いお母様だったのですね。……でも、お兄さんは……」


 最終的に手づかみでしたね。


「一応、みんな教わっているんだがな。兄さんは嫌がって逃げ出してたからな。兄姉きょうだいの中で兄さんだけは作法が身に付いていないんだ」


 そんな感じですよね、あのお兄さん。



 彼にも都合があって、用事がある時は食事をしてすぐに帰ってしまう。

 けれど、時間がある時は長い時間あの席でくつろいでいた。

 今日は、時間があったらしい。

 ワインをお供に、本を読んでいた。

 この人は文字を読めるらしい。

 商売柄、メニューを書かなくてはならないのであたしも文字の読み書きはできる。

 けれど、平民では読み書きできない人が大多数だ。

 食事作法の事もあるし、やっぱり貴族なんじゃないだろうか、と思えてしまう。

 でも、あのお兄さんを見ている限り違うような気もする。

 あの人は貴族にも平民にも見えない。

 謎の多い家庭環境だ。


 夕食目当てのお客を捌いていくと、気付けば店にいるのはあたしと彼だけになっていた。

 空いたテーブルを拭き終り、あたしは彼を見る。

 じっと本に目を落としていた。


 そんな彼の向かいの席へ、あたしは座る。

 彼がこちらに気付いて、顔を上げた。


「どうした?」


 そうだなぁ。

 どうしちゃったんだろうか?

 これは客商売の人間にはあるまじき態度だ。

 こうして同じテーブルで向かい合わせに座っていると、まるで対等な関係の人間同士みたいだ。


 そうだね。

 あたしは、彼とそうなりたいんだ。


「ねぇ。今日、うちに泊まっていかない?」


 本来のあたしの喋り方で訊ねる。

 とはいっても、最近はずっとお客さんとしか話していないから、こっちの方がいつもと違う喋り方になるのかもしれないけれど。


「……どういう意図だ?」

「こういう時、どう言っていいのかわからないけれど……。女が男を家に誘うのって、かなり状況が限定されない?」


 彼は黙り込む。眉根を寄せて、額を揉んだ。


「意図はわかった。だが、その誘いを受ける事はできない」


 だよね。

 あなたは、あたしに恩を返してくれているだけだもんね。

 こういう気持ちを持っていたのは、あたしだけだったんだね。

 あたしは俯く。

 彼と顔を合わせる事ができなくなった。


「そうなんだ……」

「今日の所は、な」


 続く言葉に、あたしは顔を上げる。

 普段通りの表情で、彼はあたしを見ていた。


「今日はこれから用事がある。長い用事だから、昼間の内にここへ来る事はできないだろう。だが、夕方にはここへ来られる。その後で良ければ……」

「うん。じゃあ、待ってる」


 思わず顔が綻び、あたしは満面の笑みで答えた。




 翌日、あたしは昼のお客が引いてすぐに、店を閉めた。

 夕食は店を彼のための貸切りにして、特別料理でも振舞おうと思ったからだ。

 二人きりでする初めての食事になるわけだし、手間暇かけてご馳走を作ってやろうと企んだわけである。

 今はそのための下ごしらえをしている最中だった。


 彼は魚料理が好きなので、ちょっと手間のかかる変わった物を作る予定だ。

 塩包みの姿焼き。すり身の揚げ物。魚介のトマト煮込み。

 他にも色々と作る予定である。


 全部食べられるのか?

 と冷静な自分が囁きかけるが……。

 彼なら大丈夫だよ。

 と浮ついた心が根拠のない信頼を懐かせる。

 結局、自分では半分も食べられずに残してしまいそうな量のメニューが調理されていった。


 そんな時だった。

 フロアの方から、豪快な物音が鳴った。

 木板をへし折ったような、バキッメキメキッという音だ。


 何事かと思って厨房からフロアへ向かう。

 すると、そこには鍵のかかっていた入り口ドアが壊され、六人の見知らぬ人物が店内に立つ光景があった。

 皆一様に、口元をスカーフで隠していた。


 うわ、豪快な強盗だ!


 と驚いている内に、彼らはあたしに向かってきた。

 逃げようとしたがすぐに追いつかれ、あたしは口を布で塞がれ、体もロープで縛られた。

 身動きの取れないまま、一人の男に担がれて店から連れ出されてしまった。



 あたしを連れ出したやつらは、すぐに人気のない路地へ入り込んだ。

 往来ならいざ知らず、ここまでわざわざ助けに来てくれる人はいないだろう。


 どこに連れて行くつもりなのか。

 連れて行かれた先でどうなってしまうのか。

 不安と恐怖に苛まれる。

 このまま連れて行かれるのは嫌だと思ったあたしは、しばられた体でじたばたともがく。

 すると、偶然あたしの肘があたしを担いでいた奴の頬に当たった。

 痛みに、そいつは思わずあたしを取り落とした。

 固い石畳に体が打ちつけられる。でも、そんな事は気にしていられない。

 すぐに逃げ出そうとする。が、どっちにしろ縛られているのでそれはできなかった。

 代わりに、地面へ放り出されたあたしは、あたしを取り落とした奴の顔を見た。

 肘を当てられ、スカーフがほどけてしまった人物の顔にあたしは見覚えがあった。

 貴族の部下である、徴収者だった。


 これは、どういう事だ?


「こいつ……!」


 忌々しそうな目で睨みつけられる。

 何もできない状態で見下ろされ、あたしは怯えた。


「おとなしく連れて来られりゃいいものをよっ!」


 貴族の部下が、横たわるあたしを目掛けて蹴りつけようとする。

 その痛みを想像し、目を閉じる。

 が、その痛みがあたしを襲う事はなかった。


 いつまでも来ない痛みに恐る恐る目を開けると、目の前には彼の背中があった。

 あたしを背中へ庇うように、彼は襲撃者達へ立ちはだかっていた。

 その先では、貴族の部下が路地の壁に寄りかかるようにして倒れていた。

 彼がやったんだろうか?

 あたしを守ってくれたんだろうか?

 場違いな嬉しさを覚える。


「テメェらが真っ当な手で来るなら、こっちも真っ当に相手をしようとしてたんだがな。この領分で手を出すっていうんなら、こっちも容赦しないぜ」


 指の骨を鳴らしながら彼は凄み、襲撃者達は怯んだようにたじろいだ。

 一人が、ナイフを取り出す。それを合図にして、他の襲撃者達もそれぞれナイフを取り出した。

 たった一人、凶器を持った五人に挑まれる彼。

 それでも戦おうとするのは、無謀以外の何物でもない。

 もしかしてそれは、あたしを守るために否応無く取った判断なんだろうか?

 だとしたら逃げて欲しい。あたしなんて置いていってもいい。

 そう思った。

 のだが……。


 気付けば一番前にいた一人が宙を舞っていた。

 拳によるかち上げだ。

 腕の力で人間一人が飛び上がる光景をあたしは初めて見た。

 そのまま彼は、次々に襲撃者達を撃退していった。


 ナイフを持つ手を取り、そのまま投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた仲間に巻き込まれて倒れた奴の顔を思い切り蹴り飛ばす。

 頭を掴み、膝で蹴り上げる。

 前蹴りで腹部を刺し、下がってきた後頭部を思い切り殴りつける。


 と、瞬く間に襲撃者達は片付けられてしまった。


「大丈夫か?」


 彼はあたしの口から布を外して訊ねる。


「大丈夫、だけど……。これってどういう事なの?」

「こいつらはこの区画の貴族に雇われた奴らだ」


 ロープを外しながら答えてくれる。


 それは知っているのだけど、どうしてあたしは狙われたのだろうか?


「さて」


 彼は、貴族の部下に近づいた。

 気を失っている事を確認すると、その体を担ぎ上げた。


「一人で戻れるか?」

「それは大丈夫だけれど……あなたは?」

「ちょっとこいつに聞いておきたい事がある」


 どんな聞き方をするつもりなんだろう。

 多分、言葉を交わしあう以外の方法がそのお話では使われるんじゃないだろうか。


「すぐに戻る。店で待っていてくれ」

「わかった」




 店で待っていると、彼はそれほど時間をかけずに来てくれた。

 そして、あの貴族の部下から聞きだしたのか、あたしがさらわれそうになった理由を話してくれた。

 その話によると、あたしは初めから貴族の妾として狙われていたらしい。

 この区画を仕切る貴族様は好色な男性で、前々から許可料や土地代などの未納を待つ代わりに女性を手篭めにしていたらしい。

 予め工作して、あえてお金を払えないようにしての事だ。

 そして、今回はその標的として光栄にもあたしが選ばれたわけだ。

 客が来なくなっていたのも、裏で貴族の部下達がそう仕向けていたからだ。


 でもさっきは助かったけど、相手が貴族様じゃどうしようもないんじゃないだろうか?

 根本の相手をどうする事もできないわけだし、これからもああいった連中に狙われる事になる気がする。

 とても不安だ。


「もう、大丈夫だ。これから先、あんたを狙う奴はいない」


 けれど、彼にそう言って貰えて不安が吹き飛んだ。

 根拠はないけれど、彼がそう言うなら本当になんとかなってしまいそうな気がした。


 となれば、別の事が気になってくる。


 今日は泊まっていってくれるんだろうか?

 騒動のせいでお流れになったりしないよね?



 結果的に、彼は泊まっていってくれた。


 あたしと彼は、恋人という関係になった。




 その日、彼はとても綺麗な人を店に連れて来た。


 え、早速浮気?


 なんとなく、ナイフを手に取りながら彼の席に向かう。


「姉だ」


 何か言う前に彼から紹介された。

 ちょっと慌ててたけどなんでだろうね。

 おかしいねー。


「ちわー、はじめましてー。ニャフフ」

「あ、はじめまして」


 気さくな人だ。

 しかしそれにしても、挑戦的な服だな。

 入店直後はコートを着ていたが、脱いでしまうとその下はとてもラフな服装だった。

 丸見えになったお腹は割れていなかった。

 どうやら、そういうしきたりがあるわけではないらしい。

 よかった。あたしも割らなきゃならんのかと思ってた。


「魚のフライ定食」

「私もー」

「かしこまりました」


 料理を作り、運ぶ。


「この前の件、どうなりました?」

「終わったよー」

「気乗りしない事を頼んですみません」

「可愛い弟の頼みだからねー。ニャフフ」

「ありがとうございます」


 彼は頭を下げた。


 何か込み入った話かもしれない。

 聞いていていいんだろうか?

 と思って彼を見る。

 目が合った。

 彼もあたしがいる事に気付いているようだ。

 それでも話を続けるという事は、聞いていても構わないって事だろうか?


「それと、久し振りにお袋に顔を見せちゃあどうです? ここ何ヶ月も帰ってないでしょう」

「あー、うーん、今はちょっとダメかなー。しばらくこっちに居たいんだ」

「そうですか。わかりました。料理も来たみたいですし、食べましょうか」

「おー、そーしようか」


 それを合図に、あたしはテーブルに料理を置いた。

 ちょっと、今運んでいいのかわからなかったんだよね。




「お姉さん、綺麗な人だね」

「お袋に似ているんだ」

「そうなんだ。何歳くらいなの?」

「今年で二十歳だな」

「あたしと同じなんだ」

「同じっ!? そう、なんですか?」

「何で言葉遣いを改めたの? ちょっと距離を感じるんだけど」


 年上は嫌って事?

 それを理由に別れたりしないよね?

 ね?


「いや、年上を敬うようにしているだけです」

「今まで通りにしてくれないかな? 嫌なんだけど」

「わかりま……わかった」


 なんかぎこちないぞ。


 でも、いいか。

 これから長い間一緒にいるわけだし。

 ちょっとずつ、慣れていけばいいよね。


 書いている時に、昔読んだ漫画を思い出しました。

 具体的に言えば、世界一腕の立つ殺し屋からキレイな顔をフッ飛ばされそうになる漫画です。

 あれもきっかけはこんな感じだった気がする。

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