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おいでよ 山賊の根城

 襲撃してぶんどった馬車を開けると、中には体をロープで縛られた一人の男がいた。


 男は固い表情で、しかし怯えるでもなく馬車の中でじっと座している。

 気難しそうな男である。


「ガハハ。お前、誰だ?」

「王都で茶屋を営んでいた者です」


 それを訊いてなんとなく、状況を察した。


 正直に言えば、馬車に王家の紋章が着いている事や、馬車が後開きの箱型で入り口に鍵が掛かっていた事、護衛の騎士があっという間に逃げ散った時点でそんな気はしていた。


「何でそんな奴がここに居やがるんだ?」


 一応、訊いておく。


「僻地の収容施設へ送られると言われ、この馬車に乗せられました」

「罪人だな」

「身に憶えはありませんが」


 茶屋の男は、落ち着いた様子で答えた。


 この身の上話も何度か聞いたな……。

 と内心で溜息を吐く。


 恐らくこの男は、あいつの妹が送り込んできた人間なのだろう。

 多分あいつのため、こいつに茶を用意させろって事だ。


「このまま放っておいてやってもいいが。何なら、うちの根城に来るか?」

「私は略奪を糧にするような事はしません」


 男はきっぱりと断る。

 肝の据わった男だ。

 山賊相手でも物怖じした様子がない。


 しかし、こちらとしてはそういうわけにもいかない。

 どうにか言いくるめられないか……。


 そんな時、仲間の一人が袋を持ってこちらへ来た。

 最近、仲間になった流れ者の新入りだ。

 歳は若く、まだ子供と言っても通りそうな外見だ。


「お頭様。別の馬車に、こんな物が。中身は茶葉みたいです」


 用意周到だぜ。


「ガハハッ! じゃあ、今まで通り茶を売ればいいだろう」


 答えると、茶屋の男は「ん?」と怪訝そうな顔をする。


「丁度いいじゃねぇか。この茶葉をくれてやるから、店を始めりゃいい」

「茶葉がなくなったら?」


 それは……。


「直接、また自分で買い付けに行けばいいじゃないですか。茶の仕入れは王都以外でしょう?」


 そうだな。

 茶畑は王都にないだろうし、仕入れるなら必然的に王都の外だ。

 そこなら、この男を見咎める奴はいないだろう。


 不思議な事に、この脱走犯に関する手配などは王都以外で行われていないだろうから。


「見つからず買いに行けるよう、取り計らってやるよ。どうだい?」

「……わかりました。いいでしょう。あなたに身柄をお預けする」

「ガハハ。じゃあ、決まりだな」


 そうして、茶屋の店主が根城で店を開く事になった。




 山の中。

 俺は仲間達と共に、山道をうかがっていた。


 山道の両脇は斜面になっていて、その斜面の茂みに身を隠していた。

 そんな時である。


「しっかし、ちょくちょくお洒落な店が増えてきやしたね。うちの根城……」


 隣で隠れていたイノシシ面の副長が言う。


「そうだな。ガハハ」

「これからどうするんです?」

「何の話だよ?」

「今まで、店なんて酒場ぐらいなもんだったじゃねぇですか」

「おう。そうだな」

「でも、今は店が他にもできつつありやす。今はまだ店が少なくて何とかなってやすが、今後増えるようならまずくないっすか?」


 ん?


「何が?」

「できた店、利用しないって奴もいるじゃないでやすか。それに体張ってぶんどった物を分配するのも、体張らずに暮らしていける奴がいるってのも不満に思う奴がいると思うんでやすが?」


 ぶんどり品は基本的に、根城のみんなで山分けしている。

 それは根城の店に対しても同じだ。


「ああ。なるほどな。いるかもな」


 今までは親父の代からの酒場があっただけだった。

 けれど、他にも店ができるとそっちにも平等に物を分けていくのか、という話になってくる。


 獲物が分散すれば、当然各々の取り分が減ってくし……。

 命がけで盗った物を何もせずにせしめる奴がいるのもまぁ、不満っちゃ不満だわな。


 新しく出来つつある店が、嗜好品を扱う物である事も問題だ。

 利用しない奴にとって、その店への分配なんて無駄以外の何物でもないだろう。


 酒も嗜好品ではあるが、酒場は事情が違う。

 仕事帰りに飲みたい奴は多いし、同時に食料を提供していた事もあって毎日の食事をそこで取っている独り身の奴もいる。

 だから、酒場はなくてはならない店でもあった。


 だが、他の店は微妙な所だ。

 パン屋やら、茶屋やら……。

 まぁ、パンは食料品だから一部の野郎共にも案外好評なんだが。

 酒を飲めない奴とか。

 酒屋とも提携していて、サンドイッチなどがメニューに増えたからパン屋に価値を見出している奴も多いだろう。


 パンという物は、山の幸や獣の肉ばかりで飽きた野郎共にとっては比較的新鮮な味だ。


 茶屋の場合は、完全に嗜好品だ。

 生活になくてもそんなに困らない。


 一部の所帯持ちは、利用している奴もたまにいるが……。


 ……俺の事だけどな。

 あいつは表情を変えないが、持って帰ると喜ぶのがわかるんだ。


 うーん。

 別に、店をやっている奴らがサボっているわけじゃないんだがなぁ……。


 何度か、茶屋のおやじの仕入れに同行した事があるが、その選別には妥協がない。

 茶葉の色合いを見て、葉の感触を触れて確かめ、匂いを嗅ぐ。

 その間の表情は真剣そのもので、より良いものを得る事に命をかけているようですらあった。

 それでも気に入らなければ、別の茶畑へ出向く。

 費やす労力は大きなものだ。


 店を開く人間も別の苦労をしているが、携わった事のない人間にはその苦労がわからない。

 何もしていないのと同じだと思えちまうんだろう。


「お頭様。山賊団を給与制にして、通貨を流通させるというのではいけないんですか?」


 新入りが話に入ってきた。


「通貨?」

「銀貨とか金貨とか、結構溜まっていますよね?」

「まぁな」


 貴金属や宝石の類は誰かが欲しいと言わない限り、全て通貨に換金している。

 根城では基本的に物々交換なのだが、山では手に入らない物を買う時などのために通貨は必要なのだ。

 特に最近では、小麦粉や茶の買い付けを定期的に行っているから前より使う頻度は増えた。


 それでも溜まっているのは確かだ。


 ただ、何でこいつの言う通りにすればいいのかがわからねぇ。


「それで、どうなるんだ?」

「今の所、ぶんどり品を根城全体で平等分配《山分け》しているからモメるって話でしょう? なら、今後は山賊業の人間に対してだけ報酬は通貨での支払いにするんです。そうして、欲しい物にだけ自分で財を割く事ができるという状況を作ります」

「そりゃいい案じゃねぇか」


 イノシシ面が感心したように言う。


 わかってねぇのは俺だけか?


「それで店を開く人間は、品を売って支払われた通貨によって生計を立てる。お頭様は根城の人間全てをひっくるめて一つと見ているようですけど、山賊業と根城を切り離して考えるんですよ」


 新入りは続けるが、やっぱりピンとこない。


「そうすると解決するのか?」

「必要のない物に出費を強いられる必要がなくなるから、不満は減ると思いますよ。ただ、そうなると通貨を使う選択肢を増やすため、逆に今よりも多くの種類の店が必要になってくるかもしれませんが」

「ふぅん。よくわからねぇけど……。じゃあ、すぐに実行するより少し様子を見た方がいいって事でもあるよな? ガハハ」

「まぁ、確かに……。お店が増えてからでいいかもしれませんね」


 状況がいろいろと変わっていくなら、それに沿ってこっちも変わっていく必要があるかもしれねぇな。


「もし採用されるのでしたら、農作物の栽培や山での狩りに専従する人間を確保して、食料品の店を増やすのがいいかもしれません」

「まぁ、食える物を増やすってのはいいかもな」

「はい。根城全体の食料を自給自足できるようになれば、それだけでコミュニティの維持はできますし。独自の産業を獲得できれば、輸出して通貨を得る事もできます。そうなれば財政も潤って、根城も今よりもっと住みよくなるでしょう」


 なるほどなぁ。

 それだけで生きていけるようになるわけだな。


 住人の住みよい根城を作る、か。

 そのための仕組みを考えていくべきなんだな。


 ……いや、それはなんかおかしい。


「……それもう、山賊の根城じゃなくてただの村じゃねぇか?」

「いえいえ、そんな事は……。あ、でも、税収や制度などを決めていけば、さらに立派なむ……住みよい根城になると思いますよ」


 今何か言いかけたろ?


 あと税収って、今の仕組みとあんまり変わらないだろ?

 根城へ分配される物が、物品から通貨に変わるだけだ。


 不満が解消されるとは思えねぇ。


「税収はもちろん、お頭様の懐に入ります」

「そんなのはどうでもいいぜ」

「そうですか? 奥様に良い暮らしをさせられますよ?」


 うーん、それはちょっと考えちまうな……。


「まぁ、あくまでも一案です。お頭様のなさりたいようになさってください。僕は、ただあの根城が少しでも住みよい形になれば、と思って言っただけですので」

「一応、考えとくぜ。ガハハ」


 まぁ村にしちまうってのも、山賊稼業なんて危険な仕事を選ぶ必要がなくなっていいかもしれねぇ。


 ……しかし、そういうわけにもいかないんだよ。

 俺の義妹にあたる、あの女との取引があるから。


 俺達の活動を目零す代わりに、こちらはこちらであの女に協力するという約束だ。


 今回のように。


かしら、来やしたぜ」


 イノシシ面が言い、俺は他の隠れている連中に合図を送る。

 今まで、そこらで聞こえていた仲間達の雑談がピタリと止む。


 それから少しして、山道を通る馬車があった。

 馬車は商隊が使うような実用重視のものでなく、豪華な飾りを施したものだ。

 車体には、家紋もある。


 そしてその馬車を守るように、馬に騎乗した数十名の騎士が併走している。


 この馬車は、ある貴族の馬車だ。

 あの女にとって、邪魔な人間らしい。

 だから、それを消すようにと手紙が来た。


 ……あの手紙。

 最近ではいつの間にか俺の部屋に置いてあるんだが、どうやって届けてるんだろう?


 ちょっと怖いぜ……。

 ガハハ。


 少しばかり気になるが、たまにあるこういう指令をこなすのが協力するという事だ。


「よし。行くぜ」


 俺の合図と共に、イノシシ面が笛を鳴らした。

 それを合図に、茂みから伸びた縄を切る。

 すると、茂みの中から丸太が飛び出し、斜面を転がる。


 斜面に配置し、茂みに隠して縄で固定していた物だ。


 山道の両脇に配していたそれらは、斜面を転がって数名の騎士を巻き添えにしながら馬車に直撃した。

 両側から丸太に挟まれる形となった馬車はその場で動けなくなる。


 もう一度、笛が吹き鳴らされると、同時に仲間達が一斉に茂みから飛び出した。


 奇襲に戸惑う騎士を仲間達が斬り殺していく中、俺は馬車の中へ入り込む。

 車内には、三人の人間がいた。

 質のいい衣服に身を包んだ男。

 そして、女と子供だ。


 くそ……。


 俺は内心で悪態を吐く。


 男は疲れきった様子だった。

 その疲れは表情に深く刻まれているようであり、長い疲弊の中でそうなったように見える。


 男は無傷だったが、女は頭から血を流していた。

 丸太がぶつかった時に怪我をしたようだ。

 子供の方も、足から血が出ている。


 女は俺を見ると、怯えた表情を見せる。


「よせ! やめろ!」

「やめてください! せめて、この子だけでも……」


 男が叫んで女を庇い前に出ると、懇願するように言った女は子供を抱きしめて背を向けるようにして庇った。


「……」


 俺は、男を殴り倒した。

 女の首筋へ手をかけ、そこにのぞいていた宝石のネックレスを引きちぎる。


「ガハハ! お前達の命に価値なんてあるもんか。そんな物を盗っても腹はふくれねぇ」


 そう言って、ネックレスだけを手に馬車から出た。

 扉を閉める。


 外に出ると、すでに騎士達が全滅していた。

 残っているのは、馬車の御者台で震えている御者だけだ。

 そいつに声をかける。


「おい!」

「はひっ!」

「丸太をどかすから、さっさと行きやがれ!」

「はひぃっ!」

「お前ら!」


 仲間達に声をかけ、丸太をどかせる。

 その間に、御者は馬を走らせ、馬車はこの場所から離れていった。


「殺さなくてよかったんですか?」


 いつの間にかそばに来ていた新入りが、そんな事を問う。


「俺達は山賊だぜ?」


 俺は問い返した。


「価値のある物以外に盗る物なんざ無ぇ。死体から装備を剥いで、馬を頂戴する。それ以上に、今回は価値のあるものなんてなかったのさ」

「わかりました」


 新入りがその場から離れる。

 俺はその背を見送った。


 別に……。

 男だろうが女だろうが、殺す事に抵抗なんてなかったんだ。


 その考えは、今でも変わらねぇだろうな。

 けど、子供を庇う姿を見ると、他人事に思えなくなっちまったんだ。




「何でもしますぅ! 助けてくださいぃ!」

「よしわかったぜ。じゃあお前、俺達の根城で菓子を作れ。材料は用意してやる! ガハハ!」

「はいぃ! ありがとうございますぅ!」


 例によって襲った護送馬車から菓子職人が出てきたので、そんなやり取りを経て根城で菓子屋を開かせる事になった。


 それから数日後の事。


「そう言えば最近、近くにお菓子屋さんができましたね」


 居間であいつと二人、茶を飲んでいた時。

 あいつはそう切り出した。


「おう、そうだな。ガハハ。それが、どうかしたか?」

「その店の方に、見覚えがあります」

「そうなのか?」


 なんとなく事情を察しつつ、惚けて訊ね返す。


「ええ。昔、まだ王都で暮らしていた時、贔屓にしていた菓子店の店主……に見えるのですが」

「へぇ、そうだったのか」


 まぁ、そうだろうな。

 あの女はそういう基準で選んで、ここに送り込んでいるはずだ。


「何やら、王都で濡れ衣着せられて店が取り潰されたらしいぜ。その上、僻地の収容施設に連行される途中だったんだよ。可哀想なこったな」

「そんな方が、どうして」

「たまたま襲った馬車が、その男を運ぶための護送車だったんだよ」


 本当はたまたまじゃねぇけど。


「戻っても同じように幽閉されるだけだろうからな。うちで預かる事にした。何か、偶然仕事道具も全部馬車の中にあったから、ここで店を開くんだと」

「また、ですか」


 おう、またなんだよ。


「それが本当なら、私が居た頃よりずいぶんと王都の情勢は荒んでいるようですね。王が新しくなったという話も聞きますし……」


 目を細めながら言う。


「恐らく即位なされたのは、第二王子殿下。あまりよく知りませんが、きっと魔王のような方なのでしょう」


 実際は前より住みよいと評判になってるくらいらしいけどな。


「おう、そうだな。ガハハ……」


 まぁ、魔王みたいな奴が関わっている事は間違いねぇな。


「しかし店主には悪いですが、一度子供達にあの店のお菓子を食べさせてあげたいと思っていましたから、それは嬉しいですね」

「そうなのか。初耳だな」


 ふぅん。


 という事は、これもこいつの意思が反映された結果なんだろうか?


 実の所、パン屋も茶屋もこいつが欲しいと漏らした時に、俺があの女に伝えると人が送られて来る。

 しかし、今回俺は今初めてそれを知った。

 もちろん、あの女に伝える事はできない。


 なら、今回の菓子屋は誰があの女に伝えた?


 ……直感で意思を感じ取ったとか?

 あの女ならやりかねない。


 奴め、ついに人をやめたか……。


 それは冗談として。


「……それ、誰かに話した事あるか?」


 それはそれとして気になったので訊いてみる。

 真面目に考えて、俺が伝えていないのに人が送られて来たという事は俺以外にこいつの意思をあの女へ伝えた人間がいるという事だ。


 それは、俺の知らないあの女の手先がこの根城に紛れ込んでいるという事でもある。


 ……多分、そいつは最近俺の部屋に指令の手紙を置いていく奴でもある。


 少し思案し、あいつは答えた。


「茶屋の店主に話した気がします。昔、王都に住んでいて、この店の紅茶とお菓子を合わせるのが好きだった、と」

「なるほどな」


 茶屋の店主、か……。


 確かにあいつは、茶屋の店主にしては胆が据わりすぎている気がするな。

 茶屋として一級品の腕前だと思うが、実態はあの女の手先という事なのか?


 少し探ってみるか。




 あいつから話を聞き、俺は茶屋へ行ってみる事にした。

 店内は茶の良い匂いに満ちていた。

 外から香りによって隔てられた店内に入ると、まるで別世界へ入り込んだかのように錯覚する。


 店内はそれほど広くない。

 というより狭い。


 店内には、カウンターとその前に人一人が通れるだけのスペースがあるぐらいだ。


「いらっしゃいませ。お頭様」


 カウンター越しに店主が声をかけてくる。


「おう。相変わらず、狭苦しい店だな」


 本当は、カウンター奥の通路を行けばもっと広い空間に繋がっている事を俺は知っている。

 この店を建てる時に、俺も手伝ったからだ。


 この建物は茶葉を保管した倉庫が一番大きく取られており、次に茶葉のブレンドを研究するための部屋に空間を割き、そしてベッドとクローゼット程度しかない小さな自室がある。


 こんな造りになっているのは、店主の要望だ。


「茶を売るだけならば、これだけで十分です」

「ガハハ。よくわからねぇな」

「今日は、奥様の茶を所望でしょうか?」


 答えると、店主はそれ以上の雑談を拒むように訊ねた。


「ああ。もちろんいただいていくぜ。ただ、もう一つ用事がある」

「何でしょう?」

「訊きたい事がある。お前、あいつから菓子屋の話を聞いただろ?」

「ええ」

「誰かに話したか?」

「当の菓子屋に話しました。仕事柄、王都に居た時から交流がありまして」


 菓子屋が来た時に話した、か。


「他には?」


 店主は首を左右に振る。


「基本的に雑談はしない主義なので」


 つまり、こいつが別の人間に話した結果、菓子屋がここへ連れて来られたわけじゃないって事か。

 となると、こいつ自身があの女に報告しているという可能性が高い……。


 茶の買い付けで根城を出る事もあるから、その時に連絡するという事もできる。


「お前、あの女の手先か?」


 まだるっこしいので直接訊いてみた。


「あの女?」


 ただでさえ普段から渋い表情をさらに顰め、茶屋は訊き返した。


「王都の魔王だよ」

「ああ。王妃様ですか」


 半ば冗談で言ったが、それで誰の事だか通じるんだな。


「一応面識はございますが。残念ながら違います」

「そうなのか?」

「誓って」


 なんだかんだで、こいつは嘘を吐けない気がする。

 なんというのか、とても素直な男だ。


 出会った時もそうだったが、誰にも物怖じしないのはそういう部分が強いからだろう。

 嘘を吐けない人間は、ただ生きているだけで多くの人間とぶつかってしまう。

 それだけ敵も多くなる。

 そんな中で生きてくれば、肝も据わっていくもんだ。


「わかった」


 俺は店主を信じる事にした。


「じゃあ、この話は忘れてくれ」

「わかりました」


 そのやり取りを交わした時だった。


 店の入り口が開く。

 そちらに向くと、次男を抱いたあいつが立っていた。


「いらっしゃいませ。奥様」


 店主が丁寧に挨拶する。


「どうも。……どうして、あなたがいるのです?」


 店主に言葉を返し、次いで俺に訊ねる。


「まぁ、ちょっとな」


 答えながら、俺は視線を入り口のドアへ向ける。


 ……ああ。

 そういう事か……。




 早朝。

 根城の外れにある林。


「おう」


 そこで俺は、声をかける。

 その相手は、新入りである。


「ああ。おはようございます。お頭様」


 新入りは人懐っこい笑みを浮かべて挨拶した。


「早いですね」

「ガハハ。ちょっとお前に話があってな」

「根城の改革についてですか?」

「まぁ、そいつも考えているが……。今は別の話だ」


 俺は笑みを消し、すっと目を細めて新入りを見た。


「お前、あの女の手先だろ」

「手先、という言い方は好きじゃありませんね。でも、正解ですよ。お頭様。僕は、あの方の忠実な下僕しもべです」


 新入りは、あっさりとその事実を認めた。


「どうしてわかったんです?」

「前、茶屋に来ただろ。俺が居る時に」

「気付かれちゃってましたか」

「ガハハ。盗賊のかしらを舐めんじゃねぇぜ。隠れてようが、人のいる気配ぐらいわかる」

「それもう、盗賊の頭というより武術の達人じみてますよ」


 そうかな?


「何よりそいつが、俺の女を監視してるともなれば見過ごせねぇからな」


 気配に気付いたのは、あいつが茶屋に来た時だ。

 それが偶然ではない事は明らかだった。

 少なくとも、入ってこなかったのだから茶屋に用がある客ではなかった。


 そして、あの後あいつと一緒に帰ったが、その時には身を隠すように気配は離れていった。


 目的が俺の女である事は明白だ。


 それからしばらくあいつの周囲を警戒していたら、この新入りが不自然なほどあいつの近くにいる事が多いと気付いた。


「そして、それがどこかへ報告されている。わざわざあいつの事を知りたがる奴なんて、一人ぐらいしか思い浮かばねぇ」


 声をかける前。

 隠れて様子をうかがっていると、こいつはどこかへ伝書鳩を放っていた。

 もう、ここまでくれば殆ど確定だ。


 半ばカマをかける形で今訊ね、思った通りの答えが返ってきた。


「監視、という言い方も好きじゃありませんね。僕が命じられたのは、姉君あねぎみ様を見守る事と姉君様の置かれる環境を少しでも整える事ですから」


 根城の改革に口を出してきたのも、それがあるからか。


「で、それを定期的にあの女へ報告してるんだな」


 新入りは頷いた。


 これで、菓子屋が送られてきた謎が解けたな。


「それで、どうします? 僕の正体を知って……。追い出しますか?」

「ガハハ。そんな事はしねぇさ。追い出しても、どうせ別の奴が来るんだろ?」

「まぁ、その通りです」

「それなら、誰がそうなのか把握できてた方がいいぜ」


 言うと、新入りは小さく笑った。


「よかった。追い出される事になったら、お叱りを受ける所でした。お頭様が賢明な方で助かりました」


 どこまで本気で言っているんだろうなぁ、こいつ……。


「そういうわけで、今まで通りお願いしますよ。お頭様」


 恭しく頭を下げ、新入りはその場を去ろうとする。


「ちょっと待て」


 俺はそんな新入りを呼び止めた。


「一つ頼みがある」

「何ですか?」


 新入りは振り返り、訊ね返した。


「お前の主人に直接会いたい」


 何故そんな事を頼んだか……。


 そう、それは数日前の事になる。




 最近、あいつの様子がおかしかったので、俺はそれを問いただした。

 するとあいつは……。


「家族の事……特に妹の事が気になるんです……」


 と、そう答えた。


「妹?」

「ええ。あれから、私の家族がどうしているのか……。私にはそれがわからない」

「今の王都の情勢はあまり良くないようですし。無事に暮らしているのか、と」


 いや、大丈夫だよ。

 あいつめっちゃ元気だよ。

 多分、この国で一番良い暮らししてると思うぜ。


 と内心で思いつつ……。


「なるほどなー」


 すっとぼけて答えた。


 これは何も知らないこいつにとっては大事な事で。

 本当の事を教えてやって、憂いを取ってやりたい所だが……。


 言わねぇ方がいいだろうな。


 こいつの事だ。

 下手な事を言えば気に病むかもしれない。


 けれど、こいつが真剣に悩んでいるなら、どうにかその心を軽くしてやりたい。

 そう思って少し考え……。


「じゃあ、一度連絡を取ってみたらどうだ?」


 俺はそう提案した。


「え?」


 驚きの声が上がる。


「いや、直接会うのは難しいし……返事を貰う事もできないだろうが。探して言伝ことづてするくらいならできると思うぜ」


 本当は直接会って、返事を貰う事もできるだろうが……。

 それが可能となれば、こいつは会いたいと思うかもしれない。


 でも……。


 あの女はこいつと生涯会わないと言っていた。

 それが自分への罰なんだ、と。

 なら、下手に居場所を知っているなんて事は言わない方がいいだろう。


「本当……ですか……?」

「おう。……場所は知らねぇけど。いっその事、手紙でも書いてみたらどうだ? 言伝よりもそっちの方が渡しやすいし、しっかりと気持ちが伝わると思うし」


 加えてそう提案した。


 それからしばらくして、あいつは俺に手紙を渡した。

 俺はそれを直接渡すという約束をしたのだ。




 俺は夜の王都に居た。

 あの新入りの手引きで王城に行く。


 俺と新入りはある場所に向かった。

 そこには、城を囲う壁とさらにその前を囲う堀があった。

 何の変哲もないその場所は、警備の人間も少なく無用心に思えた。


「それで、これからどうするんだ?」

「あそこを見てください」


 新入りに指されて見ると、堀から大きな穴が空いていた。

 排水のためのものだろう。


「実はあそこ、ただの穴でどこにも繋がってないんです」

「なんじゃそりゃ」

「まぁそれでも、着いてきてください」


 言われるまま、先導する新入りに従って俺はその穴の中へ入っていった。


 穴の中を進み、その途中で新入りは足を留めた。


「ここです」


 そう言って、新入りは天井に手をやった。

 力いっぱいに押す。


 すると、天井だと思っていた部分が押し上がった。

 天井を押し上げてどかした先には、夜空が広がっていた。


「秘密の連絡通路です」

「おう」

「他の人には内緒ですよ? 場合によっては僕の首が物理的に飛びます」


 物騒な内容に関わらず、新入りは冗談めかした調子で言った。


「いいのかよ。そんな大事な事を教えて」

「首を飛ばされたら、そのまま宙を飛んであなたの首に噛み付いてやりますから」

「答えになってねぇぞ?」

「まぁ大丈夫でしょう」


 こいつの腹の内は読みにくいな。


 秘密の入り口から城の庭へ出る。


「ここから先は、決まった順路を通ると警備兵に見つからず、あの方の部屋へ行く事ができるようになっています」

「順路を間違ったら捕まるわけだな」


 新入りは頷いた。


 新入りの案内で、城内を進んでいく。

 無警戒に進む様子からして、さっきの話は本当の事なのだろう。


 そして、俺はある部屋の前に辿り着いた。


「じゃあ、僕は外で待っていますので」


 そう言って新入りは俺に道を譲り、扉を手で示した。

 俺はその横を通り、扉へ手をかけた。


 扉を開き、中へ入る。


 部屋の中には、あの女が居た。

 窓際のテーブル席に座り、一枚の書類へ目を落としている。


 俺が部屋に入ると書面から視線を外し、書類をテーブル上の書類束へ積んだ。


「お久しぶりですね。お兄さん」


 言葉を向ける奴の口調は丁寧な物だったが、声色はどことなく不機嫌そうだった


「ガハハ。そうだな」


 細かく憶えちゃいないが、最後に会ったのは何年か前だ。


「こんな時にも仕事してるのか?」

「私は約束を守る主義でしてね。国を治めるのに手腕が欲しいと口説かれた以上、その役目は果たさないと」


 言いながら、奴は書類束に目をやってそれを整え始めた。


「それが王妃の役目ってんなら……。今は休んでいるだけでも十分だと思うがな」


 奴の腹には不自然なふくらみがあった。


「正直に言えば、じっとしているのは暇なんですよ。かと言って仕事が楽しいかと言えばそうでもないんですが、何もしてないよりましですからね」

「ふぅん」


 書類を綺麗にまとめて箱へ納めると、再び俺の方を向く。


「それで、何の用事ですか? わざわざ会いに来るなんて」

「そうだな」


 雑談を楽しめるような間柄じゃねぇ。

 すぐに用件を済ましてしまおう。


 俺はテーブルのそばに行き、封書に収められたあいつの手紙をその上に置いた。


「これは?」


 怪訝な顔で訊ねてくる。

 俺は壁にもたれかかる。

 奴の座るテーブル席から、窓を隔てた場所だ。


「あいつからの手紙だよ」


 答えると、奴は驚きを隠せないようだった。

 こいつが、驚いている所なんて初めて見た気がする。


「どうして?」

「お前がどうしているか、心配だったんだとさ。それで、手紙を書いたら探して渡すと約束した」

「……関わりがある、という事は言わなかったのですね」

「ああ。お前は会いたくねぇんだろ?」


 奴は小さく息を吐いた。

 そして、小さく口元を歪める。


 故意に作ったのではない。

 かすかな困惑と喜びがない交ぜになった、自然な笑みだ。


「素直に感謝しますよ」

「いいよ。別に。俺は、あいつのために何かしてやりたかっただけだ」

「そうですか」


 奴は、テーブルの上の手紙へ手を伸ばす。

 手紙の紙面を、さながら壊れ物を扱うかのように、優しく撫でる。

 その指の動きには、わずかばかりの躊躇いが見て取れた。


「あいつは、お前の事を心配していたぜ」


 俺が言うと、指の動きが止まった。


「お前の気持ちも知っているから、会ってやれとは言わねぇ。けど、返事ぐらいしてやったらどうだ?」


 その方があいつも喜ぶし、こいつだって救われるんじゃないのか。

 そう思っての言葉だ。


「それは……できませんよ」


 けれど、奴はそれを拒否した。


「お前が自分に厳しいのはわかってる。だが、それでもお前にとってあいつは大事な存在のはずだ。だったら、あいつの気持ちを一番に考えてやるべきなんじゃねぇのか?」


 言うと、奴は小さく苦笑する。


「わかっていませんね。お兄さん。そうだとしても、お姉様の気持ちを無碍にしなければならない苦痛。そして葛藤も含めて、それが私への罰なのですよ」

「そうかよ」


 こいつの自分に対する厳しさは、俺の思っている以上のものらしい。


 もたれかかっていた壁から離れる。


「お前がそれで良いって言うなら、もう何も言わねぇさ。俺の用事はそれだけだ」

「そうですか」


 部屋を出るため、扉へ向かう。


「ありがとう」


 その背に、奴はその言葉を向けた。


「ああ」


 一言答え、俺は部屋の外へ出た。




 家に帰った俺は、手紙が妹の手に渡った事をあいつに伝えた。


「そうですか……。あの、返事は?」


 すると、縋る様な声色であいつは訊ねた。


「それは、やっぱりもらえなかったよ」


 俺は後ろめたさを覚えつつ答えた。


 途端に、その顔が俯けられる。


 返事は期待できないと言ったが……。

 それでも、訊かずにはいられなかったんだろうな。


 それだけ、こいつにとってあの女は大切な存在だったんだ。

 可愛い妹だったんだろう。


 俺としちゃあ、そんな可愛げをあの女に感じる事はできないが……。

 大事なものってのは、人によって違うもんだからな。


 俺にとっては、こいつが一番大事だが。

 それがわからねぇ奴もいるだろう。


「ガハハッ! そんなに心配すんな」


 言いながら、手でその頬を撫でるようにして顔を上げさせる。

 こいつの表情から、その感情を読み取る事は難しい。

 でも、落ち込んでいる事はわかる。


「お前の妹は、とても元気そうだったぜ」


 だから、慰めるつもりでそう答える。

 これは嘘じゃねぇしな。


「よかった……」


 すると、そんな言葉がその口から零れ出た。

 彼女の手が、俺の手に重ねられた。


「ありがとう」


 告げられた感謝の言葉。

 彼女からは、先ほどまでの憂いがなくなっているように思えた。


 これが俺の言葉がもたらした事なのだとしたら、それで救われたのだとしたら。

 これ以上なく嬉しい事だ。


「ああ。これくらい、全然構わねぇぜ。ガハハ」

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