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手紙

 遊びに行っていた長男が泥だらけになって帰ってきた。


「何でこんな事になったのです?」

「山に遊びにいったら、こうなったぜ。泥溜まりができてて、転んだ」


 訊ねると、悪びれる事もせず長男は答えた。


 言いたい事は二つほどある。

 そもそも危ないからあまり山には行くなという事。


 前はそれほど気にしなかったが、一度熊に襲われた事があるのでそれ以来は禁じていた。


 それから、あからさまに転んだだけには見えない事。


 長男は頭から足先まで、前も後もドロドロだ。

 転んだだけでこうもドロドロにはならないだろう。


「本当に?」


 とりあえず、訊ね返しておく。


「……本当は、泥溜まりで泥合戦してた」


 やはり……。


 しかしこの子は、何でこうもすぐにバレる嘘を吐くのか。

 嘘を吐いたら吐いたで、あっさりと折れる所は素直で良いとは思うが……。


「ごめんなさい。うちの子に付き合わせてしまって」


 長男の隣に居た幼馴染の子に謝る。

 幼馴染の子は、細かく跳ねた泥の汚れを除けば、顔の上半分と手が泥で汚れているだけでうちの子ほど汚れてはいなかった。


「いいえ、お構いなく」


 丁寧な口調で答える。

 しっかりした子だ。

 うちの長男と歳も変わらないはずなのに。


 少し、申し訳なさそうだ。


 この子はあまり率先してこういう事はしないので、多分うちの子が先に手を出して反撃したのだろうな、と思えた。


 しかしその反撃が容赦ない。

 ほぼ一方的に、しかも全身くまなく泥をぶつけている。


 不意打ちで顔に泥をぶつけられて、怒ってやりすぎてしまったのだろう。


 それで申し訳なさそうにしているのだ。


「お湯を沸かすから、二人とも体を洗いなさい」

「おう」

「ありがとうございます」


 桶に湯と水を入れてぬるま湯を作り、二人の体を洗う。

 泥の汚れを落とし、布で拭って水分を取り去り……。


 ふと、私はぎった考えに捕らわれた。




 子供達を寝かしつけ、その父親と二人で居間にいる時だった。

 テーブルを挟んで向かい合って座り、特に会話もなく過ごしていた。


 二人の前には、紅茶の入ったカップがある。

 赤い水面みなもを眺めていて、ふとある事を思い出した。


「そう言えば最近、近くにお菓子屋さんができましたね」


 そう切り出す。


「おう、そうだな。ガハハ。それが、どうかしたか?」

「その店の方に、見覚えがあります」

「そうなのか?」

「ええ。昔、まだ王都で暮らしていた時、贔屓にしていた菓子店の店主……に見えるのですが」

「へぇ、そうだったのか」


 男は目をそらしながら言った。


「何やら、王都で濡れ衣着せられて店が取り潰されたらしいぜ。その上、僻地の収容施設に連行される途中だったんだよ。可哀想なこったな」

「そんな方が、どうして」

「たまたま襲った馬車が、その男を運ぶための護送車だったんだよ」


 盗賊稼業という物は決して善い行いとは言えないものである。

 私もまたその稼業によって活かされている事を思えば、非難する事もできないだろう。

 しかし、あの店主を助けた事に関すれば、善い行いに思えた。


「戻っても同じように幽閉されるだけだろうからな。うちで預かる事にした。何か、偶然仕事道具も全部馬車の中にあったから、ここで店を開くんだと」

「また、ですか」


 そう言って、私はカップの中の紅茶を覗き込む。


 この紅茶は、根城に出来た茶屋で買った物である。

 その茶屋というのは、王都で贔屓にしていた店で……。

 そこの店主もまた、今話した菓子屋の店主と似たような経緯で根城に店を構えるようになったという。


 身に憶えのない罪で投獄されそうになり、護送中に山賊達から襲われてここに来たのだと……。


「それが本当なら、私が居た頃よりずいぶんと王都の情勢は荒んでいるようですね。王が新しくなったという話も聞きますし……」


 その治世には暗い影が落ちているのかもしれない。


「恐らく即位なされたのは、第二王子殿下。あまりよく知りませんが、きっと魔王のような方なのでしょう」

「おう、そうだな。ガハハ……」


 何故ちょっと歯切れが悪いのです?


「しかし店主には悪いですが、一度子供達にあの店のお菓子を食べさせてあげたいと思っていましたから、それは嬉しいですね」

「そうなのか。初耳だな。……それ、誰かに話した事あるか?」


 はて、何故そんな事を問うのだろう?


「茶屋の店主に話した気がします。昔、王都に住んでいて、この店の紅茶とお菓子を合わせるのが好きだった、と」

「なるほどな」


 心の底から納得した、という様子で男は言った。

 何がなるほどなのだろうか……。


 とはいえ、こうしてもう二度と楽しむ事ができないと思われていた物を得る事ができるようになった事は、素直に喜ばしい事である。


 私は紅茶を飲もうとして、途中で止めた。


 喜ばしい事……。

 けれど……。




 長女が次男のフリルを盗んだ。


「うあー! うあー!」


 そして怒り狂った次男は今、叫びを上げて長女を探し暴れている。


 次男は暇さえあればフリルをおもちゃ代わりに遊んでいる。

 身に着ける事はもちろん、手に取ったり、口に入れたり、色々な楽しみ方をしていた。


 世界中を探しても、ここまでフリルという物を楽しんでいる者は私の息子だけだろう。


 どれだけ持っていても貰うと嬉しいらしく、可愛らしい笑顔を向けてくれる。

 それもあって、裁縫などで布切れが余った時に小さなフリルを作ってあげてしまう。


 そして、たまに長女がそのフリルを盗む。

 今日は、背中に着けていた物をさりげなくかっぱらっていた。

 しかし、次男はすぐそれに気付く。

 体の一部であるかのようにすぐ気付く。


 長女はすぐさまその場を逃げ去り、どこかへ隠れたのだが……。


「うわ、何で見つかったしーっ!?」

「うがー! うがー!」


 次男はすぐに見つけたらしく、長女が廊下を走りぬけ、その後を次男が追いかけていった。


 たまにある事なので珍しい事ではないのだが。

 最近、それが洒落にならなくなりつつあるので、洗濯物を畳んでいた私はそれを中断して二人を追いかけた。


 すると、壁に追い詰められた長女に、次男が迫っている所だった。


「うぎー! うぎー!」


 怒りの叫びと共に、次男の髪の毛が逆立ち、体から電光がバチバチと発せられる。


「わー! それやめるしーっ!?」


 どうやら、次男は魔術の素養があるらしかった。

 その才能が最近、開花したらしい。


 私自身、魔術の才能がないためそれが自然な事なのかよくわからないが……。

 怒ると自然に魔術が出てしまうようだ。

 今回は雷の魔術が出ているが、何が出るかはその都度違う。


 ただ、前に火を吹いた時は私も思わず「ひっ」と本気で怯えてしまい、それ以来火だけは出さなくなった。


 怒っていても分別がある事とどれもまだそれほど威力のある物が出ない事は、幸いと思うべきだろう。


「二人とも、やめなさい」


 私が声をかけると、次男の魔術が収まった。


「うー! うー!」


 次男は唸りながら、抗議するように長女を指差した。


 一応次男は言葉を喋れるのだが、怒っている時はそれを忘れてしまう傾向がある。


「わかっていますよ。ほら、返してあげなさい。また、水浸しにされますよ」


 次男と長女にそれぞれ言う。


「にゃふふ。あれは楽しかったから別にいーよ」


 あの時は長女だけでなく家中が水浸しになって大変だったので、こっちとしては良くない。


「ほら」

「はーい」


 もう一度強い口調で促すと、長女は次男にフリルを返した。


 すると次男はフリルを両手でがっしりと掴み、上機嫌になった。

 そんな次男を後から抱き上げる。


「これに懲りたら、人の物を盗むのはやめなさい」

「やだー!」


 嗜めると、長女はすぐさま拒否する。


 うちの子はみんな頑固だ。

 基本的には素直だが、一度言い出したらまったく言う事を聞かなくなる。

 いったい誰に似たんだろう……。


 それでも、長女の悪癖だけはどうにか修正したいと思うが……。

 どうしたものだろう。


 私は小さく溜息を吐いた。


「お菓子を買ってあるので、食べましょうか」

「お菓子!」

「おかし!」


 提案すると、子供達は嬉しそうな声を上げた。


 子供達はお茶が好きではないので、お菓子だけを出した。

 苦いのがいけないらしい。


 テーブルに着き、夢中でお菓子を食べる子供達。

 その姿を見て……。


 私は視線をそらした。




「何かあったのか?」


 夕食後。

 外に出て一人で居ると、男が来てそんな事を問う。


「どうして、そう思うのです?」

「ガハハ。そりゃ気付くぜ」


 自分では、普段通りだと思っていたのに。

 この男にとっては、私の様子はどこかおかしかったのかもしれない。


 この男はどうして、それに気付けるのだろうか。


「それで、どうしたんだ?」


 どうした、か。


 少し前まで、私はそれに気付いていなかった。

 いや、目を背けようとしていた。

 けれど、それに気付き、今は自覚している。


 だから、それに答える事は容易だった。


「最近、気になる事があるんです」

「言ってみな」

「……はい」


 少しの躊躇いを経て、私は答えた。


「家族の事……特に妹の事が気になるんです……」

「妹?」

「ええ。あれから、私の家族がどうしているのか……。私にはそれがわからない」


 私の婚約が破棄されて、修道院に送られ……。

 それから私は、家族がどうなったのかわからない。

 その家族の事が、今になって気になるのだ。


 特に気になるのは、妹だ。

 きっと妹は、あの時に唯一私を心配してくれていた。


 そんな妹が今、どうしているのか。

 今になって、それが気になったのだ。


 今まで、どうしてそれが気にならなかったのか。

 それは多分、その余裕がなかったから。


 自分の身に起こった事ばかりに気が行ってしまい、考える余裕がなかったから。


 いや、途中からは違うかもしれない。

 考えないようにしていたような気がする。


 けれど、今は違う。


 私は今、満たされている。

 いや、今も日々満たされ続けていく。


 そして満たされていけばいくほど、しこりができていくのだ。


 我が身の不幸を顧みれば、私はそれから目をそらす事ができた。

 けれど、今はそれもできない。

 顧みても私は、そこに不幸を見出せなくなっている。


 だから、直視せざるを得ない。


 そうなると、無性にあの家の事が気になった。


 家族はどうしているのか……。

 妹は、幸せに暮らせているだろうか……。


「今の王都の情勢はあまり良くないようですし。無事に暮らしているのか、と」

「なるほどなー」


 長女の真似ですか?


 どことなく、気のない言葉を返される。

 こちらは真剣に悩んでいるのに。


「じゃあ、一度連絡を取ってみたらどうだ?」

「え?」


 思わぬ返事に、私は驚きの声を上げた。


「いや、直接会うのは難しいし……返事を貰う事もできないだろうが。探して言伝ことづてするくらいならできると思うぜ」

「本当……ですか……?」

「おう。……場所は知らねぇけど。いっその事、手紙でも書いてみたらどうだ? 言伝よりもそっちの方が渡しやすいし、しっかりと気持ちが伝わると思うし」


 ……そうか。

 伝えようと思えば、伝えられるかもしれないのか。

 私の気持ちは……。


「そうですね。そうしてみます」


 その日から、私はゆっくりと時間をかけて手紙を書いた。


 書く事には困らない。

 そう思っていたはずなのに、私の筆は思うままに動かなかった。


 手紙を書くにも作法という物があって、だからただ手紙を書く事は難しくないはずなのに。

 定型の形からなるそれは、この手紙に相応しくないと思えたのかもしれない。


 そして少しばかりの迷いもあり……。


 これは自己満足かもしれない。

 私は、自分が楽になりたいからその言い訳を言い募ろうとしているだけなのかもしれない。

 そんな気持ちが筆を鈍らせていた。


 これは、一方通行の手紙だ。

 こちらから、伝える事しかできない。


 それならば、本当に伝えたい事以外には不要だ。

 作法も言い訳もいらない。


 だからそんな不純物が入り込まないように、精査していく。

 本当に伝えたい事――

 それだけを選び出し、書く事に私は時間を費やしたのである。


 そうして書き上げた手紙を、私は男に渡した。


「お願いします」

「ああ。俺が直接渡してくる」




 数日後。

 しばらく家を留守にしていた男が帰ってきた。


「手紙は渡してきたぜ」

「そうですか……。あの、返事は?」


 玄関先で、私は男に訊ねた。


 返事はもらえないだろう。

 そう言われていたが、問わずにいられなかった。


「それは、やっぱりもらえなかったよ」


 男の言葉に落胆する。

 顔を俯けた。


「ガハハッ! そんなに心配すんな」


 男は笑い、私の左頬に手をやった。

 私は顔を上げる。


「お前の妹は、とても元気そうだったぜ」


 頬を撫でながら、告げた。

 滅多にない、私を労わるような優しい声だ。


 それを訊いて、私は心配に凝り固まっていた自分の心が解れていくのを感じた。


 私はその男の言葉をすんなりと受け入れた。

 受け入れる事ができた。


 それはでまかせで、嘘かもしれなかった。

 けれど、どうしてか信じられる。


 それは私が、彼を信頼しているからだろうか。

 それとも、ただそう信じたいからだろうか。


 どちらであったとしても……。


「よかった……」


 ただただそう思う。


 私が男の言葉に、そう思えた事は確かな事だった。


 私は、私の頬を撫でる男の手へ自分の手を添える。


 私は、自分の左側に触れられる事を厭っていた。

 左側には火傷がある。


 見られたくもないし、触れられたくもなかった。

 けれど、今私は嫌悪感を抱いていない。

 むしろ、安心感を覚えている。


 素直に、彼の手を受け入れた。


 変わっていく……。

 私や、私の周囲にあるものは……。


 それは良いものばかりではないけれど、悪いものばかりでもない。


「ありがとう」

「ああ。これくらい、全然構わねぇぜ。ガハハ」


 私の彼に対する気持ちは、良いものなのか、悪いものなのか……。


 ただ、顧みる我が身に不幸を感じなくなったのもまた、その変化の一つなのだろう。

 そう思える。

 あまり意味のない長めの雑談と言い訳をします。

 興味が無ければ、読み飛ばしてくださると幸いです。


 アナちゃんの話は『いいんだよ』で書きたい事を書き終えている。

 というのが、自分の認識です。

 多分、この子の人生で一番の波乱は『いいんだよ』で起こったくらいだろうから。

 これ以上、特に何かすごい事が起こる事はないだろうな、と思っています。

 何かあったとしても、ガハハと妹様が何とかします。

 なので、彼女の話を書く事が苦手です。

 彼女に限った事ではありませんが、何を書いていいのかわかりません。

 ふとした時に思いつく、もしくは気合で捻り出す、事でどうにか話を書いています。

 今回は後者です。


 すみません。

 オチが中途半端になった事への言い訳です。

 一応、三部作の予定となっております。

 二部、ガハハ視点の話はしばしお待ちください。


 それからこの話を書き終えて、従姉に読んでもらった時の事。


「やっぱりアナちゃんはいいね」

「そう。でも、アナちゃんは『いいんだよ』で書きたい事書いたから、もう何書いていいかわからない」

「じゃあ、頭絞って考えて」

「……わかった。頑張ってみる」

 というやり取りがありました。

 どうやら、従姉はアナちゃんが好きらしいです。


 皆さんは、お気に入りのキャラクターがいますか?

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