表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/32

お父さん

 僕と、僕のお父さんの話をしよう。




 僕は、お父さんの事をあまり知らない。

 僕が生まれた時から、僕のそばにはお父さんがいなかったからだ。


 いたのはお母さんだけだった。


 お母さんが言うには、お父さんは僕が生まれる前に死んでしまったらしい。

 どんな人だったかと訊けば、お母さんはそれを教えてくれる。


 お父さんは強くて優しくて、お母さんより美人だったらしい。


 僕のお父さんは女の人なのかもしれないと思った。

 でも、その事を話したら、それは絶対にないと友達に笑われたので多分男の人なんだろう。


 会った事もない、お母さんの話の中だけに出てくるお父さん。

 僕はその話を聞いていると、本物のお父さんに会ってみたいと思うようになった。




 その日の僕は、友達と遊ぼうと思って外へ出かけていた。


 友達といつも遊ぶのは下町の空き地。

 特に遊びの約束はしないけれど、そこにいけばだいたい誰かがいた。


 空き地に着くと、思った通りそこには知っている子がいる。

 その子は「がはは」とよく笑う女の子。


 僕よりちょっとお姉さんなのに、僕より子供っぽい女の子だ。

 その子の姿を見つけた僕は声をかけようとしたけれど、それを止めた。


 何故かと言えば、彼女が大人の男の人に遊んでもらっていたからだ。


「がはは。あたしの必殺技をくらえ!」

「そんなもん当たらねぇぜ! ガハハ」


 とても仲良さそうに遊ぶ二人。

 僕はお姉ちゃんのお父さんを知らないけれど、その大人の人が彼女のお父さんなのかもしれないと思った。


 僕は二人から気付かれないように、そっとその場を離れた。


 別に、混ぜてもらってもよかったかもしれないのだけど……。

 そんな気になれなかった。


 二人の姿が、僕にはとても羨ましく思えたのだ。


 僕にはお父さんがいなくて、遊んでもらった事なんて一度もない。

 僕は多分、お父さんに抱き上げてもらった事すらないだろう。


 そう思うと、父親に遊んでもらっているその子が、僕にはとても羨ましく思えた。

 そんな二人に混じって遊ぶ事を思うと、辛かった。




 昼時の食堂は多くのお客さんで溢れていた。

 テーブルを囲んだお客さんの話し声や食器の音で騒がしく、入り口近くの待合椅子には席が空くのを待つお客さん達が座り、その列は外にまで続いていた。

 そんなお客さんへ応対するために、給仕のお姉さんが忙しなく動き回る。

 そこに、厨房で料理を作る音が加わる。

 料理を作っているのは、お母さんだ。


 お母さんの作る料理は美味しいので、お客さんはいつも多い。

 けれど、ここまで多いのは滅多にない事だった。


 その騒がしい食堂の片隅で、僕は自分用の椅子に座って本を読んでいた。

 僕の身長に合った子供用の椅子だ。


 お母さんは食堂を経営していて、僕はいつも食堂の隅でお母さんの仕事が終わるまでじっとしている事が多かった。

 遊びに行ってもいいとお母さんは言ってくれるけれど、それよりも僕は部屋でじっとしている方が好きだった。

 それでも何もしていないというわけじゃなくて、僕はもっぱら本を読んで一日を過ごしていた。


 今読んでいる本はお母さんが誕生日の祝いに買ってくれたもので、親子の冒険家がいろいろな場所を冒険する話だった。


 とても面白い本で、次々と続きが気になる内容だ。

 僕はそれを夢中になって読んでいた。


 小さな僕には少し大きい本だから、ちょっと重くて両手で抱えなければ持つ事ができない。

 だから、はずみでよく落としてしまう事があった。


 お母さんは毎年、僕に二つの誕生日プレゼントをくれる。

 一つは玩具が多いけど、もう一つは必ず本をくれた。


 どうしていつも二つなのか? と聞くと一つはお父さんの分だと答えてくれた。

 そばにいられない分、プレゼントは二人分。

 そうお母さんは答えた。


 お父さんは、本を読む事が好きだったらしい。

 お父さんが贈り物をするなら本を選ぶだろう、との事だった。


 だからこの本はお母さんに貰ったものだけど、お父さんからの贈り物なのだ。


 今読んでいる所は、冒険家の子供がお父さんと喧嘩をしてしまい、一人で洞窟の中へ入ってしまった所だった。

 その洞窟には大きな怪物がいて、子供に襲い掛かる。

 そこに、お父さんが現れて助けてくれるのだ。


「父親っていうのは、子供のためならどんな時でも駆けつけるもんなんだぜ」


 そして、怪物を倒したお父さんはそう言って笑うのだ。

 そうして、親子は仲直りする。


 僕は本を閉じた。


 僕のお父さんは、駆けつけてくれないんだろうな。

 そんな事を思う。


「いらっしゃいませ」


 その時、店の中に一人の男の人が入って来た。

 給仕のお姉さんが応対する。


 気付けば、客足が途絶えている。

 昼時のピークを過ぎたんだろう。


 空席の目立つようになった店内を案内されて、その男の人は席へ案内される。


 その人は、たまに来るお客さんだ。

 背が高くて、フリルの付いた服を着ている。

 整った顔立ちをした人だけれど、表情がいつも固い。

 ちょっと怖い感じの人で、僕はその人が少し苦手だった。


 席に着いたその人を見ていると、不意に目がこちらを向いた。

 目が合って、怖かったので僕はその場を離れた。


 店から出て、二階の部屋へ上がった。




「え、あの人はお父さんじゃなかったの?」

「そうだぜ。どっかのおっさん」


 僕は空き地で、友達のお姉ちゃんと一緒にいた。

 がははと笑う子だ。

 他の子がいなかったので、僕はお姉ちゃんと話をしていた。


 僕はあまり運動が得意じゃないので、彼女の好きなチャンバラごっこもすぐに負けてしまう。

 それが彼女にとっても物足りないのだろう。

 だから、僕とのお話に付き合ってくれているんだ。


「どうしてそんなおじさんと遊んでたの?」

「道でぶつかって、遊んでって頼んだら遊んでくれた。そっから、たまに遊んでくれるんだぜ」


 見ず知らずのおじさんにそんな事頼んだんだ……。

 僕にはできないな。


「お父さんだと思ってた」

「そりゃねぇぜ。オレんち、母ちゃんしかいねぇもん」


 ふぅん。

 そうなんだ。

 僕の家と一緒だったんだ。


「大人の人と遊ぶのって楽しい?」

「おう。楽しいぜ。がはは」


 お姉ちゃんは笑った。

 本当に楽しいんだろうな、と見る人に思わせる笑顔だ。


「そうなんだ。羨ましいな」

「そうなのか?」

「僕の家もお父さんいないし、お母さんも忙しくて遊んでくれないから」


 僕は本が好きで、遊んでもらえなくても退屈はしない。

 ずっと食堂でお母さんと一緒にいるから、寂しいと思う事もない。


 でも、たまには本じゃなくて、お母さんに遊んでほしいと思う事がある。

 家族に遊んで欲しいなって、事が……。

 そういう時にこそ、お父さんがいればいいのにと思うんだ。


「だったら、そういう顔しろよ。お前、あんまり表情変わらないから何考えてるかわからねぇんだもん」


 そうなのかな?

 そんな事、初めて言われた。


「別に、親じゃなくても遊んで欲しかったら誰にでもそういえばいいと思うぜ」

「うーん。でも……」


 それができるのは、お姉ちゃんくらいだと思うけど。


 そんな時だった。

 空き地に男の子が一人来た。

 男の子は、年上のお兄ちゃんだ。


 お兄ちゃんは、お姉ちゃんがいる事に気付くと露骨に嫌そうな顔をした。


「おう。チャンバラしようぜ!」

「嫌だよ!」


 木剣を構えるお姉ちゃんと、それを嫌がって距離を取るお兄ちゃん。


 このお兄ちゃんも運動は得意じゃないのに、お姉ちゃんは彼に対してだけ妙に当たりが強い。

 なんというのか容赦がなく、ちょっと意地悪になる。


「どりゃーっ!」

「痛い!」


 お姉ちゃんの木剣に叩かれて、お兄ちゃんは悲鳴を上げた。




 その日も食堂は、昼食を求めるお客さんで繁盛していた。

 僕もいつものように食堂の片隅で本を読んでいる。


 お客さんの中には、あの怖いおじさんもいた。

 おじさんは、僕の座る椅子の近くの席に着いていた。

 おじさんは、その席に着く事が多かった。


 相変わらずフリルの付いた服を着ている。

 しかも今日の服はいつもよりフリルが多い。


 こんな服、どこで買っているんだろう。

 お店で見た事がない。

 貴族街の近くでたまに見かける貴族の人達はこういう服を着ているけど。

 もしかして、このおじさんは貴族なのかもしれなかった。


 おじさんはお魚のフライを注文して、待っている間にワインを飲んでいた。

 このおじさんは、いつもお魚のフライを食べている。

 それだけじゃなく、本も読んでいた。

 ページを捲り、視線で文字を追いながら、たまにワインを傾ける。


 その本がどんな物か、少し気になって目を向ける。


 すると、おじさんの読んでいる本は僕の読んでいる物と同じだった。


 少しだけ、おじさんの事が怖くなくなった。

 親近感が湧く。


 ふと、おじさんと目が合う。

 けれど、おじさんはすぐに視線をそらした。

 その視線はまた、本の方へ向く。


 僕がおじさんを苦手に思っているように、おじさんも僕の事を苦手にしているのかもしれなかった。

 そう思うと少し寂しくなったので、お母さんの所に行こうと席を立った。


 その時だった。


「テメェ! ぶっ殺してやる」

「上等だ! この野郎!」


 近くの席のお客さんが、怒鳴り声を上げて立ち上がった。

 どうやら、酔っ払って喧嘩になったらしい。

 僕は驚いて、大事な本を取り落としてしまった。


 本は転がり落ちて、ページが開いた。

 そこに、騒ぎ出したお客さんが取っ組み合いの喧嘩になり、一人のお客さんの足が僕の本を踏みつけた。

 踏み躙られて、ページがぐちゃぐちゃに破れる。


「あ……」


 お母さんからもらった本。

 お父さんの誕生日プレゼント……。


 それがぐちゃぐちゃにされて、僕は悲しくなった。

 あまりにも悲しくて、涙が出た。


 バンッ!


 何かを叩く大きな音がする。

 見ると、フリルのおじさんが立ち上がる所だった。

 おじさんの両手が机に置かれている。

 今の音は、おじさんが机を叩いた音だったんだろう。


 おじさんは喧嘩するお客さんの所へ近付いていくと……。


 一人のお客さんの頭を蹴りつけた。

 その一撃でお客さんは倒れ、そのまま動かなくなる。

 気を失ったみたいだ。


 もう一人のお客さんがそれに驚くと、おじさんはそっちに向き直る。


「な、おい! ま、待て! お前は関係な――」


 怯んだ様子で言いかけたお客さんの顎を打ち上げる。

 お客さんの身体がちょっと浮いて、そのまま床に倒れこんだ。


 二人のお客さんは動かなくなった。


 おじさんは自分の席に戻っていく。

 けれど座らず、テーブルに置いていた本を手にして僕の方に来た。


「これをあげよう」


 そして、さっきまで読んでいたその本を僕に差し出した。


「え、いいの?」

「ああ。俺は一度読んでいるからな。君の持っていた物は子供向けの簡単な奴だから、こっちは少し難しいかもしれないが……」

「ううん。大丈夫だよ。難しい字も練習するから」

「そうか……」


 おじさんはかすかに微笑んだ。


「ちょっと!」


 厨房から、お母さんが出てきて叫んだ。

 そして、気絶した二人のお客さんを見て、それからおじさんを見る。

 お母さんはおじさんに近付いた。


「騒ぎを起こすなら外でやってちょうだい」

「ああ。悪かったな」


 おじさんは謝ると、店を出て行った。


「お母さん。おじさんは悪くないよ。おじさんがお客さんをやっつけたのは、多分僕のせいなんだ」


 僕が言うと、お母さんは僕を見る。


「そう……」

「あのね、僕の本が踏み潰されちゃったの。だから……」


 僕は床に落ちた僕の本を示すと、お母さんもそっちを見た。

 それから僕の持っていた本を見る。


「じゃあ、その本は?」

「あのおじさんがくれた」


 お母さんは、店の入り口を見た。

 おじさんはもういない。


 お母さんは入り口から僕に視線を戻すと、軽く僕の頭を撫でた。


「今度来た時、謝らないとね。あと、あなたもお礼を言うのよ?」

「うん」




 それから僕は、あのおじさんが来る日を待った。

 あの日から僕は、おじさんの事が気になるようになった。

 お礼を言いたいからというのもそうだけれど、純粋に会いたいと思うから。


 でもおじさんは、本当にたまにしか食堂へ来ないらしい。

 そんな事今まで気にもしなかったのに、来て欲しいと思えば待ち遠しく思う。


 次におじさんが店へ来たのは、ある夕方の事だった。

 その日は強い豪雨で、店の中には屋根や窓を叩く雨音が響き続けていた。


 客足も少なくて、今もテーブル席が一つだけ埋まっているくらいだ。

 いつもなら忙しく動き回っている給仕のお姉さんも、今は退屈そうにしている。


 そんな時、おじさんは来た。

 おじさんがテーブル席に着くと、僕はおじさんに近づいた。


 おじさんはいつも通りの少し怖い表情で、僕を見下ろした。


「何だ?」


 おじさんに訊ねられ、僕はすぐに答えられなかった。

 それでも勇気を振り絞って、声を出す。


「あの、この前はありがとうございます。本、貰って……」

「構わないさ」


 おじさんが答える。


 けれど、僕はその場から離れなかった。

 まだ言いたい事があった。


「向かいに座っていいですか?」

「……ああ」


 少し迷ってから、おじさんは返事をしてくれた。


 僕は向かいの席を引いた。

 お客さん用の椅子は僕には大きいので、よじ登って椅子に座る。


「……お話して、いいですか?」

「ああ」

「おじさん。その服、どこで売ってるの?」

「自分で作ったんだ」


 おじさん、器用なんだね。


「おじさんはお魚が好きなの?」

「そうだな」


 僕と一緒だ。


「僕も好き」

「そうか」


 それからいくつか、僕はおじさんに言葉を投げ掛けた。

 疎ましがる事もなく、おじさんは僕の言葉に耳を傾けてくれる。

 質問にも答えてくれた。


 そうしてお話する時間が、僕には楽しかった。


 ちょっと怖い雰囲気の人だけど、僕は「この人がお父さんだといいのにな」と思った。


 お父さんだったら、一緒にいられるから。

 僕はこのおじさんに、そばにいてほしいと思ったんだ。


 ううん。

 別にお父さんじゃなくてもいいのかもしれない。

 お父さんじゃなくても、そばにいていいんだ。


 友達のお姉ちゃんだってそうなんだ。

 何もおかしな事じゃない。


 そんな時、おかあさんが食堂へ出てきた。


「今日はもう店を閉めるから、もうあがってくれていいわよ」

「はい。お先に失礼します」


 給仕のお姉さんとそんなやり取りを交わす。


 お話に夢中で気付かなかったけれど、最後に残っていたお客さんもいつの間にかいなかった。

 テーブルに着いているのは、僕とおじさんだけだ。


「ご注文は?」

「魚のフライ」

「はい」


 お母さんは答え、店の扉にかかる木札を「開店」から「閉店」にひっくり返した。

 そして厨房へ戻っていく。

 給仕のお姉さんが帰ると、しばらくしてお母さんが料理を持ってテーブル席に来た。


 それはおじさんの分だけじゃなくて、僕の分もあった。

 僕がお母さんを見上げると、お母さんはおじさんに声をかける。


「この子に本をくれたそうですね。そのお礼と言っては何ですが、この料理は奢らせてください」

「いいのか?」

「はい。それと、せっかくなので夕食をご一緒させてもらいますね」

「……ああ」


 お母さんが言うと、おじさんは答えた。


「今日は雨だから、ゆっくりしていってくださいな」

「そうだな」


 それからお母さんと僕、おじさんの三人で夕食を食べた。


 いつもお母さんと二人で食べるから、三人での夕食は初めてだった。

 だからなのか、それとも相手がおじさんだからなのか、その日の夕食は普段よりもさらに美味しく感じた。

 言うまでもないかもしれませんが、次男の子供の話です。


 運動が苦手と言っていましたが、多分そんな事ありません。

 まだ小さいからです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ