正しさのもたらす物
リハビリその二。
第二王子から見た妹様の話です。
おかしな表現を修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。
庭園に少女の笑い声が響いていた。
しかしそれは、おおよそ少女が出すような可愛らしい物ではなかった。
心の底から楽しげではあるが、あまりにも歪んだものだ。
人の声では無い。
それに、人の死を前にして笑い続けるその姿……。
あれではまるで――
私と、あの女の話をしよう。
私はこの国において、第二王子という立場にあった。
そんな自身を語る上で、まず話しておくべき事は幼少期の事からであろう。
この国には、こんな御伽話がある。
昔々、世界に強大な力を持つ悪魔が現れた。
人々は悪魔を倒すために多くの兵士を向かわせたが、悪魔はそれを簡単に全滅させてしまった。
戦う気力を無くした世界中の人々を、悪魔はあらゆる方法で苦しめ、残酷な方法で殺していた。
人々は悪魔の悪行を恐れ、天の神へ祈った。
するとその願いを聞き入れた神は一人の天使を地上へ使わす。
天使が悪魔へ光の槍を投げつけると、あれほど強かった悪魔が跡形も無く消滅してしまった。
人々は神へ感謝し、信仰を強くした。
かいつまんで話せばそんな話だ。
あらゆる御伽話がそうであるように、この話は子供へ教訓をもたらすためのものである。
どれだけ強いものであっても、誤った力の使い方をする者は滅せられる。
神への信仰を大事にし、信心深く正しく生きよ。
そんな所だろうか?
少なくとも、私はそのように受け取った。
父が側仕えに命じ、私へ本を読み聞かせたのはそういった教訓を与えるためであろう。
そして私はその話を素直に受け取り、正しい人間であろうと子供ながらに決心した。
幼少に思った事は人格の根幹となるものらしく、その気持ちは成人した後もなお私の心へ残る事になった。
「愉快な話であったな。神とはなんと強いのだろうか」
私と同じく、側仕えに本を読み聞かせられた兄が言った。
「そうですね。そして、人は正しくあらねばならないのですね」
「そうなのか?」
兄は不思議そうに訊ね返した。
どうやら兄は、純粋に話を楽しんでいたらしい。
話の訓示には思い至らなかったようだ。
それはそれで間違った事ではないのだが、父の意図を完全に理解していない行いだ。
「だが、正しい事は大事だな。正しくあるという事は、私に忠誠を尽くすという事だからな」
はぁ?
あまりに脈絡ない兄の発言に、私は思わず内心で声を上げる。
「どういう事でしょう?」
「この国で一番正しい者は王だ。そして私は、王になる事が決まっている。だから、私は正しいのだ」
「はぁ、そうですね」
「お前は私に生涯仕えるのだ、弟よ。それが正しい事なのだからな」
兄は第一王子という立場だった。そして、この国では第一王子が王の立場を継ぐ物だと定められている。
この国では法律が絶対だ。王ですら覆せない。
だから確かに、それは正しい事なのかもしれない。
私は心の底から納得した。
少なくとも、その時は……。
「はい。私は兄上のために尽力いたします」
私が答えると、兄は上機嫌になってそのままどこかへ行ってしまった。
ある日の事だ。
王宮お抱えの仕立屋が兄の怒りを買った。
「お前は本当に、王宮へ出入りを許された仕立屋か? 私の言った通りに仕上がっていないじゃないか!」
「とは申されましても、わたくしどもは殿下の申された通りにお作りした次第でして……」
「言い訳はいらんっ! 二度と貴様の顔など見たくない! 今後は城内へ入る事を禁じる!」
「そんな! 殿下、お許しください! 今一度……、今一度御慈悲を――」
謝罪を続ける仕立屋だったが、衛兵に引き摺られて部屋から追い出された。
私はそんな仕立屋と入れ違いに兄の部屋へ訪れた。
「兄上、何があったのです?」
「見るといい。酷いのだ、あの仕立屋は」
言って指し示したのは、一着の服だ。
とてもよい仕上がりの服で、何が悪いのか私にはわからなかった。
「この部分、群青色にせよと申し付けたのに、ただの青なのだ。私はこんな色ではなく、もっと鮮やかな青を、と申し付けたはずなのに!」
違いがよくわからなかった。
説明を聞いても、兄があそこまで怒る心情を理解できなかった。
私から見て、この青は確かに群青に見える。
だが、兄にとってこれは思い描いた青ではなかったのだろう。
「そうですか」
曖昧に答える。
素直に指摘すると兄は拗ねて嫌がらせをしてくる事があるので、私はそれが嫌で気持ちを隠した。
その後、王子の不興を買ったという評判が広がり、仕立屋は王都に身の置き所をなくした。
私は仕立屋にいくらかの金銭を渡した。家族と共に他へ移り、店を構えるのに不自由しないだけの額だ。
私には兄の行いがあまりにも理不尽に思え、その矛先となった仕立屋を哀れに思ったからだ。
すると、私はすぐに父から呼び出される事になった。
「お前は、あの仕立屋に便宜を図ったらしいな。あのような事は今後やめよ」
「何故でしょうか? 兄の仕打ちは理不尽に過ぎます。哀れに思ったとして、はばかる事はないと思います」
「かもしれぬ。だが、お前の行いは王族として正しくない」
正しくない。
正しくあろうと誓う私にとって、父から告げられた言葉は辛辣だった。
胸がキュッと締め付けられる。
「……では、兄は……兄の行いは正しい事なのでしょうか?」
問い返す声は震えていた。
押し隠そうとした感情が、そうさせた。
「そうだな。まだ、正しいと言えるだろう。王族としては」
「王族の正しさとは何なのですか? 父上」
「そなたは民に慈愛を与えた。だが、そなたの兄が与えた物は畏怖だ。慈愛は親しみや愛情を生むだろう。だが、侮りも生む。対して畏怖は畏敬へと繋がる。王が民より受ける感情は、親しみや愛情ではなく、畏敬でなければならないのだ」
畏敬……。
恐れ敬われる行いこそが王族としての正しさだというのだろうか?
「第一王子の行いは褒められた物ではない。だが、王族への恐れを知らしめる事ができた。だからこそ、正しいと言えるのだ」
それが正しさだというのなら、確かに私の行いは正しくないのだろう。
私は理解した。
だが、心からの納得はできなかった。
それからも兄は、多くの者を己の身勝手で不幸へと陥れた。
私はその様を呆然と見やる事しかできなかった。
兄の行動は王族として正しく、それを看過する事が私にとっての正しい行いだからだ。
正しい王族として、心を痛めながらも私には何もできなかった。
そんなある時の事だ。
私はあの女と出会った。
その頃、成人を経た私には多くの貴族が群がるようになっていた。
兄を暗殺し、私を王へ祭り上げようと考える一派の者達だ。
兄は子供の頃から変わらぬ愚かさを引き摺り、むしろ磨きをかけ、王になれば暗君の謗りを免れぬ事請け合いの人物へと成長していた。
そんな暗君の下にある事を快く思わない貴族は多く、そんな彼らに賛同はせずとも積極的に反発する者も少なかった。
王に逆らいたくないが、第一王子を認める事もできないという日和見主義の者達だ。
そういう事情もあり、兄の暗殺という大それた計画も止める者がおらず、着々と進行していたようだ。
私もまた日和見主義者達と似たような態度を取っており、暗殺が成功しようがしまいがどうでもよいと思っていた。
兄は人を苦しめる害悪であると、私は思っていた。
だが、それと同時に私は「正しさ」を思い、積極的に賛同する事ができなかった。
兄を殺すという事は、どう考えても「正しい」事ではないからだ。
そして暗殺計画は、また一人の少女を不幸へ落とす結果となる。
その結果として、あの女は私の前へ姿を現した。
女は私を密会部屋へ呼び出した。
その女は兄の婚約者だった。
火傷を負った末に追放されたかの令嬢の妹にあたる人物である。
そして、かねてより私への協力を申し出る貴族の令嬢だった。
この令嬢が兄と婚約したのだって、兄を弑するための布石だろうと私は思っていた。
だから、此度の呼び出しもその貴族の意向であろうと判断する。
「このような夜更けに呼び出すなど、どう言った用件かな? まさか、姦通の相手にお選びか? 義姉上様」
だから、口を衝いて出たのはそんな皮肉っぽい言葉だ。
そんな言葉を向けられて、この女はどんな顔をするだろう。
泣き出しはしないだろうか? 言ってから少し心配になった。
だが、この女はそんな可愛らしい女ではなかった。
女は正面から笑みを向け、淀みなく言葉を返した。
「ベッドの上の方が気分よく話を聞いてくれると言うのなら、考えなくも無いですよ」
私は人の考えを読む事に長けていた。
しかしそんな私の目から、この女はその身の内にある全てを隠し通していた。
だからその言葉の真意は一切わからない。
幾度か言葉を交わしても、ほんの些細な取っ掛かりさえ掴めない。
人物判断のできない女だった。
けれん味のある喋り方をしていたが、その内面がそれと同様に愉快であるとは思えなかった。
彼女の作る表情はどれもが本心からのようであり、しかしあまりにも的確な表情の作り方だったのでむしろ嘘臭く見えた。
そして女は申し出た。
「あなた、王様になりたくありません?」
と。
「協力を申し出たいと受け取ってもいいのか? そなたの父上にも、同じ事を言われたな」
そんなつもりなどはなかった。
私は王になりたいなどと思った事がない。
しかし私は、気付けばそう答えていた。
そして、この女は自分の父親から自分に乗り換えろとまで言う。
この女が何を目的としているのかわからなくなった。
「そなたの「願い」を明かせ。手を組むのはそれからだ」
だからそう訊ねる。
少しでもこの女を理解するために。
すると、思った以上の反応が返ってきた。
「お姉様を傷付けた人間。その全員に例外なく罰を与えてやりたい。それだけですよ。私の願いなんて」
そう口にする女の表情に、一瞬だけとても濃い憎悪が浮かんだ。
私が花を愛でるために城の庭園へ赴いた時の事だ。
木陰からそそくさと出てくる令嬢に出くわした。
少しばかり着衣が乱れ、顔は赤く上気している。
令嬢は私に気付くと恥ずかしげな様子で一礼し、早足で去って行った。
溜息が小さく漏れた。
令嬢の出てきた場所には恐らくもう一人誰かがいる事だろう。
その人物が誰か察してしまったからだ。
木陰へ入っていくと、そこにはシャツの胸元を肌蹴た兄がいた。
「兄上。婚約者のある身です。御自重ください」
「まだ婚約だ。はばかる事はなかろう。それに、側室へ召し上げてもいいからな」
「成婚なされていないから問題なのです。あの令嬢がまだ正室も持たない次期王の本妻を望んだらどうするつもりです?」
「好きにすれば良いさ。勝手に決めて、勝手に正室にでも側室にでもなればいい」
自分の眉根にしわが寄るのを感じた。
「私はな、誰が妻になろうとどうでもいいのだよ。その相手が美しければな。女とはそれだけでいいんだ。私に釣り合う者であれば誰でもいい」
その言葉で脳裏に浮かぶのは、兄を庇って半身を焼かれた令嬢だった。
あの女の姉だ。
「……美しくなくなったから、兄上はかの令嬢を遠ざけたのですか?」
「誰の話だ? ……ああ、アレか。当然の事ではないか。かつては確かに美しかった。隣に並び立つ姿は誰よりも私に似合っていただろう。無愛想で気の利いた事も言えぬ無作法者であったが、それだけの価値はあった。が、その価値もなくなった。何の価値も残らなかった」
「私には、それでも彼女が美しく思えました。人のためにその身を差し出す。誰にでも出来る事じゃない。それは心根の美しさがあるからできる事なのではないですか」
私の言葉を兄は鼻で笑った。
「フフ、お前はまだ青いな。見えぬ美しさに何の価値がある? アレをそばに置くくらいなら、彫像を並べた方が余程いい。表情を変えず言葉も足らぬなら、損なわれぬ分だけ彫像の方が優れている。そうだろう? 実に納得できる見解だと思うが」
「……そうですか」
それがあなたの正しさなのですね。
兄上。
その考えがあるからこそ、あなたの命の灯火は消え入ろうとしているのですよ。
「比べれば、妹の方は素晴しいな。姉に負けず劣らずの器量を持ち、感情豊かだ。返す言葉も心地良い。あれはいい女だな」
「左様ですか」
その後、兄と逢瀬を交わしていた令嬢の家は父親が失脚した事により没落した。
令嬢は力のある家との繋がりを持つための政略結婚に使われたという。
直接の原因については、恐らくあの女が関わっている。
兄の正室を狙い、あの女と敵対した結果、令嬢は排除されたのだろう。
あの女は婚約者という立場を暗殺に際して絶好の場所であると心得ている。
その場を奪おうとする者が邪魔なのだ。
だが、令嬢がそうなったきっかけは兄だ。
兄の軽率な行動が、また一人の人間を不幸へ見舞ったのだ。
これから先も、兄は人を不幸へ落とすだろう。
そう思うと、私の心は兄の暗殺へと積極的に傾いていった。
私の行いに正しさは無い。
そう思いながらも私は、女と共に着々と計画を進めていった。
気は重いが、中断しようとも思わなかった。
まず女は暗殺者の確保を行った。
父は貴族達による兄の暗殺を察知しており、私にも警戒の目を向けていた。
国の暗殺者をそれとなく把握しており、迂闊に依頼すれば王に露見する恐れがあった。
そのため、王の把握していない暗殺者を使う必要があった。
そうして連れてこられたのは、見るからに山賊という風貌の若い男だった。
何故か時折「ガハハ」と笑う。
見るからに不潔そうな格好をしているのに、覚悟していた体臭は一切なかった。
もしかしたら、彼は他人からの印象を誤魔化すためにあえてそんな風貌をしているのかもしれない。
だとするならば、かなり腕の立つ暗殺者だろう。
礼を疎かにしてはならない。
「私はこの国の第二王子だ。ご足労願い、感謝する。あなたに、仕事を依頼したい。内容は、私の兄である第一王子の暗殺だ」
「ガハハ。いいぜ。任せておけ」
とても頼もしい男だ。
言葉には自信が宿り、その目には闘争心が漲っていた。
彼なら間違いなくやってくれそうだった。
他の細々とした計画も、ほとんど女が決めていった。
女の言う願いを私が叶えていくだけで、事は面白いように転がっていく。
女自身も動き、その上で上手くこなすのだから冗談みたいに状況は順調だった。
女は頭脳明晰であり、それだけでなく行動力もあった。
だが、女の真価は人への接し方の上手さだろう。
それは人付き合いの上手さではなく、人心掌握の上手さだ。
人によって自分の人格すら偽り、相手に好まれるように接する。
相手の弱い部分を見つけ、そこにスルリと入り込み、心を掴む。
社交場での様子を見ていたが、彼女が大臣の愛娘を篭絡する手腕などは目を瞠った。
「怯えなくていいよ。仔猫ちゃん。君が秘めたその繊細な気持ちを僕だけは知っているから」
女は大臣の愛娘の顎をクイッと持ち上げ、目を細めながら告げた。
誰だお前は……。
しかしそんな冗談みたいな対応で、大臣の愛娘はあの女を慕うようになった。
心酔と言ってもいい。気持ち悪いくらいにあの女を好んだ。
見事としか言い様がなかった。
私は本心を隠す術は得意だが、あのように人を篭絡する才に恵まれていない。
だからその部分だけは見習いたいと思った。
それから程なくして、全ての準備は整った。
しかし、何故か女はすぐに暗殺を実行しようとしなかった。
「全ての準備は整った。だが、どうして実行しない?」
時期を計っているのだろうと何も言わなかったが、あまりに実行する気配がないので女に聞いてみた。
「今やっても、釣り合わないからですよ」
女はにんまりと楽しげに笑って答えた。
とても愛らしい表情だ。
悔しいがとても可愛らしく見える。
「何に釣り合えば良い?」
「姉が味わった苦しみ。その倍は苦しんでいただかないと納得できません」
「その時期が待っていれば来ると?」
「人が最も苦しく思う事は、幸せの絶頂から不幸の底へ落とされる事なのですよ? 落差が大事なのです。高い所から落とされた方が痛いでしょう?」
私は彼女の待つ時期という物を理解した。
そして、その時期が来る時はそれほど遠くないだろう。
父が引退を表明し、兄が戴冠する事となった。
明日には式が行われる段取りである。
そして戴冠式を明日に控えたこの日こそが、暗殺実行の日だ。
「おはようございます、兄上」
「ああ、おはよう、弟よ」
朝、私は兄と廊下で鉢合わせた。
少しの会話を交わす。
「おめでとうございます。兄上。ついに王となられるのですね」
「ありがとう。だが、その言葉は明日まで取っておけ。まだ、王ではないのだからな」
「はい。わかりました」
その明日はきっと来ないだろう。
思いながら、私は兄を見送った。
これから、兄は自分の主催する茶会へ向かう。
兄はそこで死ぬだろう。
あの女の怒りが、その命を奪うのだ。
それがわかっているのに、不思議と感慨は浮かばなかった。
呼び止める気さえ起こらなかった。
それからしばらくして、私直属の騎士が呼びに来た。
手筈どおり、事は進んだらしかった。
私は庭園へ向かう。
私はずっと、正しくあろうと生きてきた。
正しきものとは、この国に生まれた私の立場において王という存在だった。
国を統べる王は正しく、王を任じる法律は正しく、そして次期王となる兄は正しかった。
だが、その正しさは何をもたらしただろう?
私の見える範囲で、それは人へ不幸を撒き散らしただけに過ぎない。
だからこそ、私は――
庭園へ出ると、そこには倒れる兄とあの女の姿があった。
女は倒れる兄の顔を逆さに覗き込んでいた。
そして、何かを語りかけているようだった。
女から、暗殺の概要は聞いている。
強く望んでいた王という立場。
それが手に入る幸福の絶頂。
そこから、死という不幸へと叩き落される。
しかもその不幸は一瞬ではなく、緩やかに心を締め付けていく。
恐らく今、兄の心は地獄のような苦痛で満ちているのだろう。
あの女は今、その苦痛をさらに強くねじ込むように、言葉で精神を抉っている最中なのだ。
その表情に普段の豊かさはない。
彫像のような無表情だ。
その表情を見れば思い出す。
なるほど。姉妹だ。
この女はかの令嬢に似ている。
そう思った時だった。
彼女の口元がピクリピクリと動き、少しずつ釣りあがっていった。
無表情が崩れ、彼女は満面の笑顔になった。
「ヒャハ……ッ」
その口から、奇妙な音が漏れた。
最初それが何なのか、私にはわからなかった。
「ヒャハハ……ッ。ヒャハッヒャハハハハハハハハ……ッ」
だが、断続的に続くそれを聞いて、その正体が笑い声だという事に気付く。
途切れる事無く、彼女は笑い続けていた。
人の声では無い。
それに、人の死を前にして笑い続けるその姿……。
あれではまるで――
悪魔だ。
長く笑い続ける女を、私はじっと眺めていた。
不思議と目が離せなかった。
やがて女は笑いつかれたのか、長い笑いの後に倒れた。
仰向けになった女に近付き、声をかける。
「満足したか?」
「いいえ、全然。家に帰ったら、また思い出し笑いしますよ」
「局所的な地獄だな」
「可愛い笑い声で満ちているんですから、天国ですよ」
私は女に手を差し伸べる。
女はその手を取った。
「あーあ、失敗しました。死に目に、私の可愛らしい笑顔を見せてしまいましたよ」
この女は、そんな事を考えていたのか。
だが、十分であろう。
「あれが死に目なら、大層恐ろしかっただろうな」
私なら、御免被る状況だ。
あれは地獄だ。
だが、この世に地獄を生み出したこの悪魔に、私はある提案をしていた。
「一ついいか? 提案がある」
「何ですか?」
「私の正室にならないか?」
何故、そんな事を言ったのか?
必要だと思ったからだ。
兄が死んだ以上、私は王になる。
その時に、この女が必要だと思った。
私はもう正しくあろうと思えなくなっていた。
御伽話で、悪魔は天使に倒される。
それは悪魔が正しい存在でなかったからだ。
だが、悪魔は天使に倒されるまでの間に多くの事を成した。
人々の願いを受けるまで動かなった天使などよりも、余程頼もしい存在に思える。
その力強さが、王として生きるには必要だと思った。
父は言った。
王には畏敬が必要だと。
なら、その畏れを担うのに、この女ほどうってつけの人間はいないだろう。
だからこの女を手中に入れたかった。
「私にそんな価値がありますかねぇ?」
「十分だ」
「ああ、私の女としての魅力が無愛想な王子の心を溶かしてしまうとは……」
「そういう観点からの価値は薄いぞ」
「そうですか」
女は肩を竦めた。
そして、妖艶にも見える微笑を向け、私に問い掛ける。
「そんなに私が欲しいんですか?」
「ああ。欲しいな」
「だったら、条件があります」
「何だ?」
「私の家を完膚なきまでに叩き潰してくださいませ。再興の目もありえないくらいに。落ち目の今なら、簡単でしょう?」
この期に及んで、本当に悪魔じみた女だ。
さしずめこれは、悪魔の契約といった所か。
「いいだろう。その願いを受けよう」
悪魔の契約書に魂の判を押す。
それでも私に後悔はなかった。
彼女が決して正しくなくとも、彼女と共に歩む事を後悔しない。
それは国の繁栄を約束してくれるだろう。
何故なら、悪魔を御せる者が天使のみだからだ。
彼女にとっての天使、それは姉だった。
しかし、その天使はこの国を見限った。
ならば、もう悪魔を止められる者は誰もいないのだ。