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欲深い女

 ご指摘があり、そちらが相応しいと思ったので若干修正致しました。

 

 私と、私の愛する方の話をしましょう。




 人という物は、欲深くできているらしい。

 それまで求めて止まず、手に入らなかったものだったとしても……。

  手に入れてしまえば、それ以上のものを求めてしまうようになるのでしょう。


 私も例外では無いらしく……。


 得られる事がどれだけ奇跡的でどれだけかけがえないものだと知っていて……。

 だからこそ得られただけで満足だと思っていたのに……。

 私は、それ以上のものを求めてしまった。

 だから……。


 私には、それを手放す事しかできなかったのです。




 私が生まれてから、明確に幸せを感じられた時間は短い。


 物心ついた時、私の親は服の仕立てで生計を立てていたそうです。

 店を持っていたからそれなりに稼ぎはあったのかもしれません。


 断言できないのは、その事情を私が知らないからです。

 それを知るよりも前に、両親は亡くなってしまったから。

 幼い私には、仕事の事などよくわかりませんでした。


 人伝に聞いた話によれば。

 商売はいつしか傾き、商売許可料を払えなくなるほどに売り上げは落ち込んだといいます。

 それだけならばまだしも、それから両親は許可料の支払いと損失を補うため借金へ手を出した。

 そして財政の建て直しに失敗し、二人は首を括りました。


 私を残して……。


 私を連れて行ってくれなかったのは、私などいらなかったからでしょうか?


 なんて、ひねた考えをしてみた事もあります。

 でもそれはその後に待ち受ける私の運命を嘆き、その運命へ私を置き去りにした両親へ向けて恨みを募らせるための方便でしかなかったのでしょう。

 誰かを恨む事で気を紛らわせる以外、私にはできる事がなかったのですから。


 借金のカタとして、両親の死後に売られた私には……。




 それまで山の根城で暮らしていた私はその日、王都へと降り立ちました。

 石畳へ慎重に足を運ぶと、続いてあの方が馬車から降りて来ます。


 浅黒い肌の女性。

 私の愛する方の妻。

 そして、私を自由にしてくださった方です。


「ありがとうございます」

「それは構わないが……。本当にいいのか?」

「はい。もう、決めた事です。その決心は変わりません」

「そうか。……一つ、聞いてもいいか?」

「何でしょう?」

「どうして、出て行こうなんて思ったんだ?」


 私がこの王都へ連れてきてもらったのは、旦那様から離れるためでした。

 どうして唐突に私がそんな事を言い出したのか、彼女には不思議な事だったのでしょう。


「私は……あなた様と旦那様のそばにいるべきではないと思ったのです」

「……それは、俺に気を遣っているからか?」


 その気持ちがないとは言えない……。

 けれど、私がそうしようと決心したのはまた別の気持ちでした。


 私は首を横に振り、否定の意思を示す。


「私は、そんなに殊勝な人間ではありません。むしろ私は、もっと欲深い人間なのです」




 借金のカタに売られた先は、裏街の女衒でした。


 社会から爪弾きにされた者達が流れ着く裏街。

 そんな王都の底に住まう落伍者達の、欲望のはけ口とされるさらに底辺の女として私は生きる事になったのです。


 そう、女。

 私には、少女の期間はなかったように思えます。

 売られたその日から、私は女でしたから。


 いや、少し上等に言い過ぎたかもしれません。

 女というより、私は「物」でした。


 女衒にも、客にも好きに扱われて、自分を出す事は決して許されなかった。

 ただ女という形をし、その用途に殉ずるだけの物品でしかありません。


 それが当然として扱われ、私もまたいつしかそれが当然のように思い、受け入れていきました。


 それから何年か経って、私は子供を身篭りました。

 そして失った……。


 商売に差し支える、という理由からでした。

 身重の女は真っ当に仕事をする事ができません。


 生まれる前の命を奪われる行為。

 そこに命を尊ぶ気持ちは一切なく、ただ利益を慮るばかりの所業でした。


 この世に一人残された事で、両親を恨んできた私でしたが……。

 それ以来、その気持ちも消えました。


 その時に、両親の気持ちがわかりましたから。

 子供にどうあっても生きていてほしいという気持ちが……。


 たとえその子供が、父親の解からない子供だったとしても私の子供である事に違いはありませんでした。

 確かに私は、自分の身に宿る命に愛おしさを感じていたのです。

 その愛おしさに満たされた時間は短かったけれど、その愛情を失った悲しみは深く長く私を蝕みました。


 私は両親を恨む事をやめ、そしてそれ以来子供ができる事はありませんでした。




 あの方に案内され、私が向かったのは裏街でした。


 悲しく恐ろしい思い出しかない場所ではあるけれど、この暗い街を歩く事に恐怖はありません。

 この方が一緒だからでしょうか。


 彼女の後ろをついて辿り着いたのは、ある酒場でした。


「リンドウはいるか?」


 店主に訊ねると、奥の個室へと案内される。

 個室へ入ると、そこには一人の男性がいました。


 女性的な顔つきの男性。

 身なりは整い、袖や首元にはフリルがあしらわれています。


 この方は、旦那様の弟さんです。


「どうも、義姉ねえさん方」


 テーブルの空いた席を示す。

 示されるまま、私達は座った。


「もう、その様に呼んでくださらなくてよろしいのですよ」


 もう、私はあの方の妻ではないのだから。


「俺にとって義姉さんは義姉さんですよ。変わりゃしません」

「そうですか……」


 会話が途切れ、弟さんは本題を口にする。


「下町の一角に家を用意させてもらいました。治安の良い場所で、近くにはうちの店もあります。何かあっても、声をかけてくれれば若い連中をすぐに向かわせます」

「仕事も、その店で雇ってもらえるのですよね?」


 確か、山で採った品や伝手で安く買い入れた商品を小売店へ卸す店でしたか。

 その雑務を紹介してもらえるという話でした。


「そうですが……。生活の援助ぐらいは受けてもらえませんか?」

「いえ、好意は嬉しいですがお断りします。私は旦那様から離れる身です。甘えてはいられません」

「……気になっていたんですが、どうしてそうしようと思ったんです? 兄さんが何か気に入らない事をしたって言うんなら、俺の方から言っておきますが?」

「そんな事があったなら俺が言う」


 弟さんが訊ねると、あの方が返しました。


 二人共、私に気を遣ってくださっている。

 私のような浅ましい女を尊んでくださっている……。


 それだけで、私は胸が一杯です。


「そのような事はありません。ただ、私が耐えられなくなっただけなのです」


 私は二人に答えた。




 私の人生には苦痛ばかりがあり……。

 私はいつも、自らに纏わりつくそれから逃れたいとばかり思っていました。


 でも、自分の力で逃げようとはしなかった。

 売られてからの数年で、私の心は疲れきっていました。

 取り巻く環境から逃げるには、力も勇気も湧いてこなかったのです。


 そんなある日の事。

 私はあの方々に出会いました。

 その出会いは、絶望の闇に閉ざされた私の人生に一条の光を差すかのようでした。


「なぁ、今夜一晩、俺に奪われてみねぇか?」


 その方は、そう私に声をかけてきました。

 それが私と彼との出会い。


 この時はまだ、私は彼をただのお客様以上に思う事はありませんでした。

 ガハハと笑う、ただ少しばかり風変わりなお客様。

 そう思っていました。


 結局、その時はそれだけで私が彼に奪われる事はありませんでした。

 冷やかしだったのかもしれない、と。

 そう思い……。

 けれどまた別の日。


「ガハハ。今夜こそ、お前を奪いに来てやったぜ」


 そう言って、彼は私を迎えに来てくれました。

 不思議とそれが嬉しく思えたのを憶えています。


 事実、一夜を共にしたその方は妙な安らぎを与えてくれる不思議な方でした。


「女は穴さえあればいいんだぜ」


 そううそぶく彼は、しかし今までのどんな客よりも私に優しくしてくれた。

 人間として、女性として扱ってくれたのでした。


 決して「物」として扱う事はなく、「女」として私に接してくださいました。


 そんな稀有な夜を過ごしたからでしょう。


 その帰り、彼の連れである浅黒い肌の女性に送ってもらっていた時でした。


「あの、私をあの方のそばに置いていただく事はできないでしょうか……?」


 私はそんな申し出を彼女にしていました。


 諦めに沈んでいたそれまでの私では、こんな事は言えなかったでしょう。

 でも、あの方の優しさに触れて、少しばかり力が湧いたのです。


 苦痛から逃れたい。

 そう思い、行動を起こしたのです。


 それでも、できる事は懇願する事だけでした。

 結局良い返事は頂けず、私はそのまま帰る事になりました。


 その後日の事です。


 私はその日、売り上げの悪さを女衒に叱られていました。

 いえ、叱るというには少し生ぬるいでしょうか。


 私は殴られ蹴られ、痛めつけられながらひたすらに謝り続け……。

 建物の外まで飛び出していました。


 そんな時でした。


 あの方が私の前に現れました。

 浅黒い肌の女性。

 あの不思議な男性の連れの人。


 彼女は女衒へ詰め寄ると二、三言葉を交わし……。


「ところで、世の中は理不尽なものだと思わないか? 自分にはどうしようもない不幸が、思いがけない所から現れる」


 唐突にそう問い掛けると、剣を抜き、女衒の胸を一刺ししました。

 それは一瞬の事。


「世の中は理不尽だろう? 何せ、相手の気分を害しただけで殺される事があるんだからな」


 あまりにもその動作は速く、私が事を察したのは彼女がそう言葉にした後でした。

 気付けば女衒は倒れ、口の中を血でいっぱいにしながらもがき苦しんでいました。


 そのまま、彼は死ぬのでしょう。

 こんなにもあっけなく……。


 世の中は理不尽なもの。

 私もまた自らの半生より、その考えを幾度か思った事があります。

 しかしそれは私だけでなく、私にとって恐ろしい存在だったこの女衒も例外ではなかったようです。

 思いがけない所から死が忍び寄る。

 それは確かに、彼女の言う通りでした。


 世の中は理不尽なものなのでしょう。


「俺達はこういう人間だ」


 彼女は私に言いました。


 こういう人間。

 それは、平然と人を殺める事のできる人間だという事でしょうか。


 それならば、この女衒も変わらない。

 私に宿った命を潰したのは、この男なのだから。


「それでもいいと思うなら、連れて行ってやる」


 だから、続くその言葉に、私は迷いを抱く事はありませんでした。




 あの時……。

 私はただ苦痛より逃れたいと思っていました。

 だからこそ、彼女へ縋り付くようにしてついていきました。

 苦痛より逃れられればそれでいい、と。

 ただただそう思って彼女の手を取りました。

 けれど……。


 弟さんに案内された新しい家。

 あの方も弟さんも帰り、一人、部屋に残された私。


 思い出すのは、あの方との出会い……。


 寂しさを覚えました。

 両親が死に、ずっと私は一人。

 売られてからは寂しさを覚える暇もなく、ただただ世の無情さに怯えるだけの日々。

 だから、このように寂しさを覚えるという事が不思議に思えました。


 私の中であの方達と一緒にいる事が、もはや当然の事となっていたのでしょう。


 そんな時でした。

 部屋の戸が叩かれます。


「どなたでしょう?」


 私は、外へ声をかけました。


「俺だ。入っていいか?」


 返ってきた声は旦那様……。

 私の愛しい方の声でした。


「どうぞ」


 知らず、声が強張りました。


 何故ここへ来たのか、その理由が気になったからです。

 彼の怒りを買ってしまったのではないかと怖かったのです。


 旦那様が、部屋へ入ってくる。


 旦那様が目前に立ち、私を見下ろしました。

 怒りを抱いている様子はありません。

 何を言うでもなく、ただ私を見詰め続けます。

 何を言おうか、言葉を選んでいるようでした。


 彼が言葉を選び終わり、私へ語りかける事を少しだけ怖く思いました。


「……俺は、何か悪い事をしたか?」


 やがて出てきたのは、そんな問いかけでした。


「いいえ。旦那様は、何も悪くありません」


 私は答えます。


「なら、どうして……」

「それは、私が耐えられなくなったから……それだけの事です」

「何に?」

「……お二人の間に居座り続ける事に」

「どういう意味だよ」

「だって、旦那様は……。私の事を愛してはくださっていないでしょう?」

「俺は、お前の事も好きだぜ」

「はい。それはわかっています。でも、愛してはくださっていない。あなたの愛情は、あの方に注がれている」


 旦那様は黙り込む。


「もっと早くに、こうするべきだったんです。でも、私はあなたから離れたくなかった。だから今まで……」


 離れようと思っていても、離れられなかった。


「離れたくないと思っているなら、一緒に居ればいいじゃねぇか」

「いいえ、それもまた辛いのです」


 旦那様は私よりも、あの方の事をとても愛している。

 見ていればそれはよくわかる。

 私の入り込む余地がない事も、残酷なまでに如実に……。

 思い知らされる。


 旦那様は私の事も愛そうとしてくれていました。

 けれど、そこには努力の色があるように思えました。

 私の事もあの方と同じくらいに愛そうとする努力。


 自覚がないかもしれない。

 もしかしたら私の勘違いかもしれない。

 でも、そう思えてならなかったのです。


 人を愛する事に努力はいりません。

 だから、そのように無理をする彼を見る事が辛かった。

 自分もまた惨めに思えてならなかった。


 辛いと思いながら……。

 場違いだと感じながら……。

 私は、二人のそばから離れる事ができなかったのです。


 かつては、苦痛から逃れる事ばかりを願っていた。

 けれどそれが叶うと、いつしか幸せに縋り付く事ばかりを考えるようになった。

 私は、旦那様に愛されたいと願うようになっていたのです。

 あの方よりも深く、一番に愛されたいと思うようになったのです。

 愛されていない事に不満を抱くようになっていたのです。


 一つが満たされると、また別の物が欲しくなってしまう。

 なんと欲の深い事でしょう。


 人は欲していた一つが満たされると、また別の物を欲するようになるのでしょう。


 これは嫉妬というものでしょう。

 とはいえ、あの方を恨む事もできませんでした。

 私はあの方の事も大事に思っていました。


 耐える事以外にできようはずもありません。

 だからこそ辛く……。

 幸せを手放したくなくて、だから私は自分が場違いであると思っていながらも旦那様から離れる事ができなかったのです。


 今の今まで……。


 二人の間に居座り続けてしまったのです……。


「俺と一緒にいる事が辛いのか?」

「……はい」

「そうか……。じゃあ、もうこれから会わねぇ方がいいのか?」

「……はい。できるなら……」


 少しの躊躇いを覚えつつ答えました。

 この期に及んで、私には少しの未練が残っていたのでしょう。


 答えると、旦那様は私に背を向けました。

 旦那様は溜息を吐きます。

 今回の事で、心を痛めているのかもしれません。


「……幸せにしたいと思っても、傷付けちまう事もあるんだな。俺は、お前を幸せにしてやりたかったのに」

「いいえ、違います。私は幸せですよ。今も、これからも……」


 それだけは胸を張って言える事でした。


「だから、笑ってください。いつもみたいに」

「ん?」

「私は、あなたのあの笑い方が好きなのですから」


 豪快で、快活なあの笑い方。

 私は、あの笑い方が好きだった。


 これが最後だというのなら、せめて……。


「ああ……。お前が、好きだって言うんなら」


 旦那様は振り返る。

 笑顔を作る。


「じゃあな。ガハハ。いつでも、帰って来いよ」




 私は欲深い女です。

 愛情を欲して、他人をかえりみず、自分のしたいように振る舞い続けた浅ましい女です。


 そう自分をなじりつつも、今まで決して旦那様から離れようとしなかった酷い女です。


 そんな私が旦那様から離れる決心を着けられたのは、代わりを見つけたからでした。

 新しい、愛情の向ける先を見つけたからです。


 代わりがあるから今までのものを捨て去るというのもまた、なんと不誠実な事でしょう。

 けれど、その代わりが無ければ私は旦那様から離れる事ができなかったのです。


 旦那様が帰り、一人になった部屋で。

 私は自分のお腹を撫でました。


 まだ目立ってはいないけれど、少しすれば大きくなっていく事でしょう。


 私のお腹には、赤ちゃんが宿っていました。

 旦那様との子供です。


 これが代わりです。

 新しい、愛情の向く先……。


 あれから子供はできなくて……。

 もう、二度とできないと思っていました。

 だから、こうしてまた身篭る事は奇跡的な事に思えました。


 旦那様。

 あなたは確かに、幸せをくれたのですよ。


 これから先、私がどんな人生を送るかはわからない。

 それが確かな幸せを約束するものであるとは限らない。


 でも少なくとも私は、これから一人になるわけではない。

 愛し、慈しむ対象がそばにある。

 それさえあれば、私はどんな事があっても強く生きていけるでしょう。

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