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察しの悪いフリル

 本当は、前回の話とセットにして変態さを相殺しようと思っていたのですが、時間がかかってしまったのです。

 俺と、彼女の話をしよう。




 俺は、察しが悪いらしい……。

 人の気持ちを理解する事が、俺には難しい事のようだった。


 俺は子供の頃から、お袋にべったりで……。

 きっと兄姉きょうだいと比べても、誰よりそばにいた時間は長いだろう。


 それに比べて、親父の事は嫌いだった。

 理由は単純に、お袋が親父を嫌っているように思えたからだ。

 お袋は普段から感情を見せなかったが、親父に対しては特に素っ気無かった。


 だから俺も、お袋と同じように親父へ素っ気無い態度を取っていた。


 だけれど、そんな素っ気無い態度を取られながらも、親父は誰よりもお袋の事を理解しているようだった。


 子供の俺達の誰よりも、親父はお袋を理解していた。

 それに気付いてから、不思議でならなかった。

 嫌われているはずの親父がどうしてお袋の事を一番理解しているのか。


 そしてふと気付いた。

 俺は勘違いをしていたのだと。


 お袋は親父を嫌っているわけじゃない、と。


 気付いたのは俺が十二かそこらの時だ。

 それまでの間ずっと親父とお袋を近くで見て来たのに、この始末だ。


 それほどまでに、俺は察しが悪い。




 王城。

 割符を門番に見せると、俺は城の庭に立つ小屋へ案内された。

 小屋の中には、テーブルと二脚の椅子があった。

 一方の椅子に座って待つ。

 しばらくすると、一人の男が姿を現した。


 椅子から立ち上がって出迎える。


「来てくれたか」


 その男は酷薄な印象のある男だった。

 歳は、俺よりも少し下だろうか。


 俺は彼に頭を下げる。


 この男は、こう見えて王子である。

 第一王子だ。

 失礼な態度は許されない。


「何の御用でしょう?」


 無礼にならないよう、俺は態度と仕草に気をつけながら答える。

 こういう時、俺はおふくろに作法を教わっていてよかったと思う。

 上流階級の人間に対して、自然とどのような対応をすればいいのかわかるからだ。


 礼儀は大事だ。


 恐らく、兄貴にはできない芸当だ。

 だから、こうして依頼を請ける時は俺が王城へ出向く事になっていた。


 俺達は盗賊団だが、時折こうして城からの依頼を請けていた。

 どういう経緯で山賊風情が王宮との繋がりを持ったのかは謎だが、そのおかげで討伐される事もなく安定した収入を得る事もできている。


 その依頼を出しているのが、この男だった。

 かつては別の人物が依頼を出していたようだが、今はこの王子が全てを取り仕切っている。


 しかし、こうして呼び出される事は滅多にない事だった。

 普段は、手紙でやり取りが交わされる。

 それが、どうして今回は直接会う事になったのか気になった。


 いつも以上に、重要な案件なのかもしれない。

 実際、王子はすぐに本題へ移った。


 椅子へ座らないまま、テーブルに手をやる。

 俺から視線をそらして口を開く。


「近頃、こそこそとよからぬ事を考える輩がいるようだ」

「よからぬ事?」

「王家への反逆……。いや、正確には母上への反逆か。母上の命を狙う輩がいるそうだ。詳しくは言わぬが、母上は多くの貴族から恨みを買っている。その中には、直接的な手段をこうじる過激派勢力もいるのだ」


 反逆者か。

 その目処めどがついていない現在、誰がその反逆者の一派かはわからない。

 呼び出したのは、直接伝える事でその反逆者に察知されないようにという配慮か。


「それで?」

「その勢力の中心となっている人物を、母上へ牙を剥く前に調べ上げてもらいたい」


 王子はそこで再び横目で俺を見る。


「できるな?」

「はい。承りました」


 そうして、俺は調査を開始した。

 それから数日かけて探り、その手がかりを掴むに到ったのだが……。


 俺はその仕事をしくじった。




 例の貴族を呼び出し、襲撃したまではよかった。

 だが、その最中に俺は斬られてしまった。


 斬ったのは黒い服の男だ。

 男は、仲間の一人を斬ろうとしていた。

 俺はそれを庇い、しかし受けきれずに斬られて川へ落ちた。


 それからどうなったか、正確には憶えていない。

 助かりたくて、ただがむしゃらに岸を目指して泳いだ。


 しかし刻一刻と川の水は体の熱を奪い、それに伴って意識は薄れていった。

 このまま俺は、死ぬのかもしれない。

 そう思った。


 そして次に意識を取り戻した時、俺はベッドの上に寝かされていた。

 ……肌に触れられている感触がある。

 誰かが、俺に触れている。


 その触れている物に、手を伸ばした。

 掴むとそれは細い手首だった

 目を開けて、その相手を見た。

 そこにいたのは、一人の少女だった。


 十四……。

 いや、十五歳くらいだろうか?


 それくらいのどこにでもいるような少女だ。


「誰だ?」


 睨み付けて訊ねると、少女は答える。


「食堂の店主です。……今は、あなたの手当てをしています」


 その言葉の真偽を確かめようと、俺は彼女の顔をじっと見た。

 表情には緊張がある。

 怯えもあるだろうか。

 俺のような男に腕を掴まれて詰問されればそれも当然か。


 それでも彼女は、俺から目をそらさなかった。

 まっすぐに俺の目を見据えていた。


 そうして目を合わせていれば、警戒は薄れていった。


「そうか、すまないな」


 手を離し、謝罪する。


「謝るくらいなら、お礼の言葉をくださいよ」


 少女は言って、小さく笑みを作った。


「そうだなぁ……。ありがとう……」


 礼を言うと、意識がゆっくりと眠りに落ちていく。


 どういうわけか。

 彼女と言葉を交わし、敵でないとわかった途端……。

 不思議と安心した。


 だから俺は、あっさりと意識を手放した。


 それが、彼女との出会いだった。


 それからどれだけ経ったかわからないが、再び目覚めた時に彼女の姿はなかった。

 目覚めた俺は、見覚えのない服を着ていた。

 あの少女が着せてくれたのだろう。


 ……フリルがない……!

 イライラする。


 ドレスの袖からフリルを千切り取り、手首に巻く。

 落ち着いた。


 傷は痛むが、体は動く。


 体の調子を確かめて、部屋を出る。

 ここは二階らしく、階段の手すりが部屋の前にあった。


 家屋の中は思ったよりも静かだ。

 あの少女は食堂だと言っていたが、そのわりにそれらしい音が乏しい。

 人の声は聞こえる。

 食器の音も聞こえるが、騒がしさがない。


 しかし、客がいる事も事実だろう。

 怪我をした男が下りてくれば、店に悪い評判が立つかもしれない。

 そう思い、廊下の窓から出て建物を壁伝いに下りる。

 地面に降り立つと、人通りへ出る。


 見覚えのある街並みだった。

 恐らく、下町。

 通った事も何度かある。


 店の名前を確認する。


 また近々、礼を言いに来るとしよう。


 そう思い、ひっそりとその場を離れた。



 食堂から出ると、俺はすぐに兄貴達の住処へ向かった。


「お前、無事だったのか!」

「心配かけさせやがって! この野郎」


 すると、兄さんと副頭領が喜色満面の笑みで駆け寄った。


「死んだと思ったんだぜ! ガハハ!」

「すみません。心配かけました」

「無事ならいいぜ。しかしお前が帰って来てなかったら、今すぐにでも敵討ちに行こうとしていた所だったんだぜ」


 相手の居所もわからねぇのにどこに行くつもりだったんだ、兄さん?


「本当に、よく無事だったな」


 副頭領が声をかけてくる。

 副頭領は、浅黒い肌の女性だ。

 何故か兄貴は男だと思っているが……。

 まぁ、そんな事はいい。


 男勝りの気の強い人だが、余程心配してくれていたのだろう。

 目尻には涙が滲んでいる。


「心配おかけしました。あの後、手当てをしてくれた人が居まして」

「ほう。そいつはよかった。どんな奴だ?」

「女です」

「ふぅん。まぁ、無事ならよかったよ」


 そうだ……。


「あの後、どうなったんですか? 貴族は?」

「逃しちまったよ。残念ながらな」

「そうですか」


 また、一からやり直しか……。


 今回は援助の申し出で釣り出したが、警戒されてもう同じ手は通じないだろう。

 これから、大変だな。




 俺は反逆者の貴族について、再調査を始めた。

 とはいえ、手がかりは一切無い。

 相手も慎重な人間らしく、どこにも情報が転がっていない。

 身の隠し方も上手いのだろう。


 反逆者の情報を王子が掴んでいる以上、所々でやり取りが漏れているのだろうが。

 肝心の実態を掴ませる事がなかった。

 痕跡が完璧に消されている。


 あの日の失敗は本当に大きかったのだと実感する。


 調査した所で、手がかりがなければ探せない。

 とはいえ、何もしないわけにもいかないが。


 俺は毎日外へ出て、王都を巡って情報を集めた。


 そんなある日。

 俺は下町へ向かった。


 調査のついでに、礼を渡しに行こうと思った。


 食堂に着くと、彼女が店先に看板を出していた。

 彼女が俺に気付き、驚いた顔をする。

 すぐに表情は笑顔に変わった。


「こんにちは。怪我は大丈夫なんですか?」

「大丈夫だ。もう治った」


 俺は魔法が使える。

 魔法の力で、傷の治りも早い。


「貴族様だったのですか?」


 ふと、彼女がそんな事を聞いた。


「違うが?」

「そうですか」


 彼女の視線は、俺の首元や手首に向けられていた。

 何だろう?

 何かおかしいのだろうか?


「それで、何か御用ですか?」

「恩を返しに来た」


 答え、小袋を彼女に渡した。

 お礼の品だ。

 中には金貨が入っている。


「律義ですね。別に、構いませんのに」


 苦笑しながら彼女は答え、小袋を受け取った。

 その途端、顔色が変わる。

 すぐさま中を確認した。

 中身に気付き、酷く驚いている様子だった。


「金貨じゃない!」


 彼女は叫んだ。


「これは、何です?」

「金貨だ」


 さっき自分で言ったじゃねぇか。


「何故、あたしにこれを?」

「恩を返しに来たと言っただろう。気に入ってくれると嬉しい」

「確かに嬉しいですが、お断りします。ちょっとこの額は、お礼の範疇を超えています」


 それは残念だ。

 何を贈ればいいかわからなかったから、金貨を選んだのだが……。


「そうか? なら、何がいい。何を贈れば、受け取ってくれる?」

「そうですねぇ……」


 問い掛けると、彼女は悩みに悩んだ。

 顔を俯けて、顎に手をやっている。

 何やら深い葛藤が見えた。

 やがて、彼女はこちらに向く。


 良い案が出たのかもしれない。


「だったら、何か食べていってくださいよ。料理の適正価格程度なら、受け取らせていただきます」

「そんなものでいいのか?」

「今はお客さんが少ないから、毎日来てくれると嬉しいかもしれませんね」


 彼女がそう言うのなら、そうするとしよう。


「いいだろう」


 それが礼になるというのならば、早速食事をさせてもらおう。

 店の中へ歩を進める。


「どうぞ、いらっしゃいませ」


 彼女はそう言って、中へ案内してくれた。


 食堂のメニューは豊富だった。

 各種の肉や野菜料理、魚の料理もある。

 調理法も多彩で、焼き物、煮物、揚げ物、酢漬け、燻製くんせいなど、バリエーションが豊富だ。


 白身魚のグリルを注文する。

 他に客のいない店内で、一人。

 彼女の調理する音と焼ける魚の匂いだけを感じる。


 今、看板を出した所だ。

 だからとしても今は昼時。

 客が一向に来ないのは何故だ?


 不思議に思いながら待っていると、料理が運ばれてくる。

 付け合せにスープがセットになっていた。


「どうぞ」

「ああ」


 料理をいただく。


 ……ほう。

 これなら、礼としてでなく毎日通っても良いくらいだ。

 いい味だ。


 白身魚のグリルを食べ終わる。


「どうして、客がいないんだ?」


 付け合せのスープを飲みながら、先ほど生じた疑問を投げ掛ける。


「さぁ? あたしはそれなりに美味しい物を作っているつもりなんですけどねぇ」

「そうだな……」


 理由がわからないか。


 味は良い。

 値段も他の店と比べて高いわけでなし。

 むしろ良心的だ。

 立地だって悪くない。


 だというのに、未だ客が一人も入っていないのは異常だ。

 店が悪いわけじゃないなら、他に何かしらの理由があるかもしれないな。




 店に客が来ない事を不思議に思った俺は、少しその辺りの事を調べてみる事にした。

 すると、どうして彼女の店に客が入らないのかすぐにわかった。


 彼女の店へ向かう道の各所で、それを邪魔する輩がいたのだ。


 俺はあえて、そいつの潜む道を通る。


「おっと、ここは通さね――」


 俺の前に立ち塞がる男。

 そんな男が何か言い終る前に襟首を掴んで、路地へ引き倒した。


 仰向けに倒れる男の横腹を爪先で強かに蹴り上げる。


「ぐぅ……っ!」


 あまりの痛みに声もでないのだろう。

 男は呻き声を上げ、横向きになって体を丸めた。


 そんな男の側頭部を踏みつける。


「おい、お前。何であの店の妨害をしている?」

「た、頼まれたんだ!」

「誰に?」

「……い、言えねぇ! 消されちまう!」

「今消してやってもいいんだぜ?」


 男は答えない。

 代わりに、呻き声を上げる。


「まぁいい。時間はあるからな」


 男の側頭部から足を離し、代わりに膝を頭に落として蹴りつける。

 男は気を失った。


 こいつは連れ帰って、じっくり話を聞くとしよう。

 だが、差し当たって今は他の事を片付けた方がいいだろう。


 店の妨害をしていたのはこいつだけじゃない。

 一人でなく何人もいて、組織的に店へ客が行かないよう妨害しているようだった。

 彼女の店に客が来ないのは、そいつらのせいだろう。


 そっちを片付けなくては、彼女の店に客が入らない。

 しかし、如何せん数が多い。

 一人ずつ潰していては時間がかかる。


 兄さんに頼るとするか。


 その後、兄さんに頼って盗賊団の仲間達と店の妨害をしていた連中を排除した。

 のした連中は見せしめのため、全裸にして広場でさらし者にした。


 これで、こいつらもでかい顔できなくなるだろう。

 それにこいつらが退治された事が広まれば、あの店の常連がすぐにでも店へ戻ってくるだろう。


 予想した通り、昼時に来店すると店内は今まで見た事のない繁盛を見せていた。

 仲間達も何人か来ていた。

 ついでに店の紹介をしておいたのだ。

 この店の味ならば、みんな気に入るだろう。

 売り上げの足しになってくれれば幸いだ。


 席がないかと思ったが、彼女がわざわざ予約席として空けておいてくれた。

 お言葉に甘えて、その席に着かせてもらう。


 料理を楽しみながら、店内を動き回る彼女を眺める。


 料理の注文を取り、調理場で料理を作り、と動き回る彼女は忙しそうだ。

 けれど、嬉しそうでもあった。


 喜んでくれているんだろうか。

 だったら、奴らを片付けたかいがある。


 ふと、そんな時だ。


「もしかして、何かしました?」


 と、彼女が訊ねてくる。


「知らないなぁ。料理が美味いから客が来ている。それだけだろう?」


 俺はそう答えた。




 どうやら、店の妨害はある貴族の命令で行なわれていたらしい。

 それは、前に捕らえた男から聞きだした話だ。


 その貴族は妨害する事で店の許可料を払えないようにしておきながら、集金を待つ条件で彼女を手篭めにするつもりらしかった。


 さらに調べると、その貴族は何度も同じ手口で女性を手篭めにしているようだった。

 言わば、悪徳貴族だ。


 潰してしまいたいとも思うが……。

 そのためには、王子に手を回してもらわなくちゃならない。

 それに、妨害を潰した以上その手口で彼女を手篭めにする事はもう不可能だ。

 奴が堅気としての真っ当な手だけを使うなら、これ以上俺が手を出す事もないだろう。


 そう思って、これ以上は有事の時以外に何もしないよう決めた。


 妨害さえなければ、彼女は許可料を十分に払えるだろうから。


「何で、そんなにフリルが好きなんですか?」


 ある日、彼女にそんな事を聞かれた。


「好きというわけじゃない。身につけてないと落ち着かないんだ」


 どういうわけか、俺は物心ついた時からフリルが好きだった。

 今でも、服のどこかにフリルがないと落ち着かない。


「そうなんですか」

「もちろん、何度か矯正しようとした。だが、どうしようもない。兄さんよりも短気になるし、誰にでも喧嘩売るようになるから、仲間にも悪いしな。今は諦めてる」

「何で、そんな面白い癖がついちゃったんです?」

「それはわからない。親父に聞いても兄姉きょうだいに聞いても知らないと言う。お袋は何か知っていそうだが、聞くと悲しそうな顔をするからな」


 本当になんでこんな癖がついてしまったんだろう?

 不思議でならない。


 お袋が知っていそうだが、無理に聞き出して悲しませたくない。

 いったい、俺の癖にどんな秘密が隠されているのだろうか。


「ワインを頼む」

「はい」


 注文すると、彼女は店の奥へ向かう。

 すぐに、ジョッキ一杯のワインを持ってくる。


「ありがとう」


 言うと、彼女は小さく笑みで返す。

 口角だけを上げる、作ったような笑みだ。


 彼女は、客と接する時に感情をできるだけ見せないようにしているようだ。

 どういう意図かはわからないが、常連の客を相手にも堅苦しい口調を使う。


 まるで、誰とも親しくならないようにしているかのようだ。


 そんな彼女だが、感情をあらわとする時がある。


 ワインをテーブルに置くと、彼女はテーブルのそばで控える。

 店内を眺めた。


 客が楽しげに食事を楽しむ店内。

 それを眺め、彼女は笑みを浮かべる。


 嬉しそうな笑みだ。

 幸せそうにも見える。


 こうして客が多く入った店内を見渡している時、彼女はこんな笑みを浮かべる。

 それは客に見せる物とは違う、彼女の本心からの笑みのように思えた。


「いい店だな」

「そうでしょう」


 そう言って、彼女は俺に笑みを向けた。

 それは、先ほどとは違う作り笑顔ではない。

 店内を見る時と同じ、嬉しそうな笑みだった。


 彼女にとってこの店は、本当に大事なものなのだろう。




 その日、俺は店で夕食を取っていた。

 ワインを飲みながら本を読んでいる時だ。


 椅子を引く音が前からする。

 顔を上げると、彼女が前の席に座っていた。


 気付けば、周りにいた客達の姿がなかった。

 帰ったのだろう。


 そんなに遅い時間なのか。

 本にのめり込み過ぎて、気付かなかったようだ。

 今、店の中は俺と彼女の二人きりだ。


「どうした?」


 彼女は笑みを浮かべた。

 客相手に向けるものとは違う、自然な笑みだ。

 けれど、どこか緊張した様子で……。


「ねぇ。今日、うちに泊まっていかない?」


 彼女は言った。


「……どういう意図だ?」

「こういう時、どう言っていいのかわからないけれど……。女が男を家に誘うのって、かなり状況が限定されない?」


 そういう事か。

 俺は理解する。


 彼女は、俺に好意を持っていたらしい。


 そして、俺自身も恐らく彼女に好意を持っている。

 でなければ、彼女にそう言われてこんなに嬉しいわけがない。


 俺は察しが悪い。

 彼女からこう言われなければ、その事にも気付かなかったのだから。


 兄さんが前に言っていたが、本当に彼女は俺の「いい女」なのかもしれない。

 だが、たった一人の大事な女なのかと問われれば、未だに実感はわかないと答えるほかないだろう。


 その程度の感覚だ。


 親父曰く、自分の「いい女」とは唯一無二の存在らしい。

 彼女がどうなのか、その時の俺にはわからなかった。


 どうあれ、俺は彼女の誘いを嬉しく思った。


 だが、残念だ。

 今日は、予定がある。


 王子からの依頼で、俺は今反逆者の貴族を探っている。

 そのために、今日はある人物と会う約束をしているのだ。


 だから、今日は泊まれない。


「意図はわかった。だが、その誘いを受ける事はできない」


 答えると、彼女は表情を強張らせた。

 顔をうつむかせる。


 断るというわけではないのだが……。


「そうなんだ……」

「今日の所は、な」


 続いて言うと、彼女は顔を上げる。


「今日はこれから用事がある。長い用事だから、昼間の内にここへ来る事はできないだろう。だが、夕方にはここへ来られる。その後で良ければ……」


 彼女の表情が輝いた。


「うん。じゃあ、待ってる」


 そして、嬉しそうに言った。




 約束の人物とは無事に会う事ができた。

 その翌日も、他にやらねばならない事があって、彼女の店へ向かう頃には昼をとうに過ぎていた。

 むしろ、夕刻に近い時分だ。


 きっと今頃彼女は、俺のために夕食を作ってくれているはずだ。

 普段は店主と客の関係でしかないが、今日は違う。

 共に食事をするのだ。

 それが楽しみだ。


 何より今宵は、彼女と過ごす事ができる。

 そう思えば、歩む足が速くなる。


 彼女に早く会いたい。

 その気持ちが俺を衝き動かした。


 そうして、店の前まで来た時だ。

 俺は、打ち破られた食堂のドアを見た。


 すぐに駆け寄り、店の中を見る。

 彼女の姿を探す。

 しかしそこに彼女はいなかった。


 店の様からするに尋常では無い。

 そして彼女がいない。


 嫌な予感がした。


 彼女がどこへ消えたか、定かでは無い。

 だが、そこに留まる事ができなかった。

 すぐにでも動かなければならないと、そう思えた。


 彼女が危うい目に合っている。

 そんな気がする。


 このまま、彼女が失われてしまうかもしれない。

 そう思うと恐ろしかった。


 俺は適当な塀に登り、そこから家屋の取っ掛かりを利用して屋根の上に登った。

 屋根の上から、辺りを見回す。

 そして、路地を走る男達を見つけた。

 その一人の肩には、縛られた彼女が見えた。


 そこへ向かって走る。

 少しずつ低い足場を見つけて走り下りていく。


 そんな折、暴れる彼女を男が取り落とした。

 そして、男は彼女を蹴りつけようとする。


 何しやがる!


 男達の近くに追いつきかけていた俺は、塀の上から男へ飛び掛った。

 飛び膝蹴りを男へぶち当てた。

 男が飛び、壁に体を強打する。

 そのまま壁に寄りかかって動かなくなった。


 彼女を庇うように、男達の前へ立つ。


 こいつらは、恐らく例の悪徳貴族の手下だろう。

 でなけりゃ、わざわざ店の戸を破るなんて派手な事をしてまで料理屋の店主などかどわかそうとしないだろう。


 やっぱり、こんな事になるのならその貴族を潰しておくべきだった。


 でも、こういう手段に出るって言うのならもう容赦はしない。


「テメェらが真っ当な手で来るなら、こっちも真っ当に相手をしようとしてたんだがな。この領分で手を出すっていうんなら、こっちも容赦しないぜ」


 言うと、男達がナイフを抜いた。

 襲い掛かってくる。


 刃物を持とうが、所詮は町のゴロツキだ。

 普段から盗賊稼業で、護衛の傭兵等を相手にしている俺にとって相手にならない。


 男達を容易く打ちのめす。


 そうして、彼女に向いた。

 彼女の口に噛まされた猿轡を外す。


「大丈夫か?」

「大丈夫、だけど……。これってどういう事なの?」


 彼女が普段通りの調子で訊ね返してくる。

 少し安心した。

 今のやり取りで、怖がられるんじゃないかと少し心配だったからだ。


「こいつらはこの区画の貴族に雇われた奴らだ」


 彼女を拘束するロープを解きながら答える。


 しかし、よかった。

 彼女が無事で……。


 正直、彼女に危機が迫っていると思うと恐ろしかった。

 怖い思いも、痛い思いもさせたくない。

 彼女がそんな目に合う事が、俺には堪えられなかった。


 その考えを自覚して、俺はふと思った。


 自分以外の誰か……。

 その誰かをこんなにも大切に思う事は今まであっただろうか?


 こういう事なのかもしれないな。

 親父が言っていた感覚というのは……。


 ……そうだな。

 間違いない。

 多分彼女は、俺の「いい女」なんだろう。


 失えば取り返しがつかないと、そんな恐れを懐く相手だ。

 きっとそうに違いない。


 こんな時になってようやく気付くのだから、本当に俺は察しが悪い。


「さて」


 ロープを解き終え、俺は倒れる男達へ近付いた。

 適当な一人を肩に担ぐ。


「一人で戻れるか?」

「それは大丈夫だけれど……あなたは?」

「ちょっとこいつに聞いておきたい事がある」


 例の貴族について、もう少し詳しく聞いておく事にしよう。


「すぐに戻る。店で待っていてくれ」

「わかった」


 言うと、彼女は素直に頷いた。


 それから、仲間に男の身柄を引き渡すとすぐに彼女の店へ戻った。


 そして彼女が狙われる理由を、彼女に話した。

 こんな目に合わされたのだ。

 知っておきたいだろう。


 俺がその事実を告げると彼女は表情を曇らせる。

 恐らく、不安なのだろう。


 その不安を取り去ってやりたかった。


「もう、大丈夫だ。これから先、あんたを狙う奴はいない」


 そういうと、不安そうだった彼女の表情が和らいだ。


 よかった。



 その後、俺は彼女の家に泊まり、一夜を共にした。




 俺は、例の貴族をどうにかしようと思った。


 本来なら、依頼がない限り国の事に介入する事柄ではないが……。


 彼女の安全を考えれば、このまま手をこまねいていたくなかった。


 しかし、私情で仲間を危険に晒すのもよくない。


 少し悩んだが、俺は兄さんと副頭領に話を持ちかけた。

 これが例の依頼ではない事を前置き、仕事の話をする。


 例の貴族の屋敷へ忍び込み、弱味になりそうな物品を探す。

 汚職の証拠などが出れば、王子に売る。

 彼ならば、例の貴族を摘発してくれるだろう。


「弱味になりそうなもの、か……。お前の頼みにしてはえらく漠然としているじゃないか」


 話を聞き、副頭領が言う。

 半ば睨みつけるようにして、俺を見ていた。


 俺の考えを見透かされているような気分になった。

 私情を挟んでいる事に、やましさを覚えていたからそう思えただけかもしれないが。


 だが、この人は兄さんと違って鋭い人だ。

 俺の心の内にある部分を察していてもおかしくない。


「そうですね……。正直に話せば、この仕事には俺の都合が多分に入ってます」


 俺は、素直に胸の内をさらした。


「私情か……。お前にしては珍しいな。詳しく話せ」


 頭を下げ、答える。


「はい。女のためです」

「ああ、あのちっちぇ女か」


 兄さんが口を挟んだ。


 兄さんは彼女と面識がある。

 前、一緒に店へ食事に行ったからだ。


「いいんじゃねぇか? 俺は受けてもいいと思うぜ」


 兄さんが副頭領を見て言う。

 副頭領は溜息を吐いた。


「……頭領の決定なら仕方ねぇな」


 言葉通り「仕方ないな」という口調で副頭領が言った。


 その後、兄さんから声をかけられる。


「やっぱり、あのちっちぇー女はお前にとって「いい女」か?」

「多分、そうでしょうね」


 そう答えた。


 その後、貴族の屋敷へ兄さん達が侵入し、そして意外な事がわかった。

 貴族の屋敷には、俺を斬って崖へ落とした黒衣の人物がいたのだ。

 つまりそれは、例の貴族が王子からの依頼によって探っていた人物その人だったという事だ。


 思いがけない所で、当初の目的が果たされたわけだ。


 俺は王子に報告し、ほどなくして例の貴族は粛清された。

 これで、反逆者の一派も芋づる式に明らかとなる事だろう。


 俺が思い描いていた筋書きとは違うが、これで例の貴族が彼女に危害を加える事はなくなるだろう。




 あれから、ほどなくして次の依頼があった。


 例の貴族は捕縛され、粛清された。

 だが、その折に黒衣の男は見受けられなかったという。

 恐らく、逃げたのだろう。

 奴は、あの貴族が抱えていた暗殺者だと思われる。


 あの黒衣の男がただの雇われで、金の繋がりだけがあったのなら何も憂いはない。

 しかし、あの貴族に忠誠を誓っていた可能性もある。


 その場合は、主人の敵討ちに単独で王家へ報復行動を取るという事もありえる。

 なので、その憂いを絶つ為に黒衣の男の始末を頼まれたのだ。


 一刻を争うため、今は盗賊団の全員で黒衣の男の捜索に当たっていた。


 そして、さらに姉にも協力を要請する事にした。

 姉さんは盗賊団の一員というわけではないが、王都で暮らしている。


 姉と、いつも利用する裏町の酒場で話をする。

 個室になっていて、密談のできる酒場だ。


「姉さん。お願いがあります」


 ワインを飲む姉さんに、話を切り出す。


「なにー?」

「ある男を始末してほしいんです」

「命を盗めって事?」

「はい」

「んー……」


 姉さんは思案する。


「あんまり好きじゃないんだけどな。命を盗むのは……」

「お願いします」

「まーいっかー。可愛い弟の頼みだしー。ニャフフ」


 姉さんは奇妙な笑い方をする。

 姉さんの幼い頃からの癖だ。


「で、それって誰?」


 問われ、目標を伝える。


「ふぅん。あんた、斬られたんだー。へー」


 姉さんは真顔で呟き、ワインを煽った。


「ちょっとやる気が出たかなー。見つけたら、やっとくよ」

「ありがとうございます」


 そう言って、姉さんは空になったジョッキをテーブルに置く。

 そのまま、個室から出て行った。




 ほどなくして、姉さんは黒衣の暗殺者を始末した。

 その報告を受ける際、彼女の食堂で話をする事になったのだが……。


 来店した俺を見て、彼女から殺気が放たれた。


 それでもいつも通り、席へ案内してくれたのだが……。


 彼女の視線が先ほどからずっと鋭く突き刺さってくる。

 その目も焦点が怪しい。

 瞳孔の闇がいつにも増して深く見える。

 光がない。


 テーブルへ、ナイフとフォークが入った籠を持ってきてくれる。

 が、その最中、右手にナイフを握りこんだ。


 それをどうするつもりだ?


 ……いや、察しの悪い俺でもわかる。

 彼女は誤解している。


 恐らく姉さんを浮気相手か何かと勘違いしているのだ。


 すぐにその誤解を解かねば、彼女のナイフは俺の身体に突き刺さる事となろう。


「姉だ」


 彼女が行動を起こす前に慌てて姉さんを紹介した。

 すると、彼女の目に光が戻った。


「ちわー、はじめましてー。ニャフフ」


 姉が挨拶する。


「あ、はじめまして」


 何とか危機は脱せたようだ。

 やれやれだぜ。


 その後、料理が運ばれてきて食事をしながら話を続ける。

 例の仕事の話だ。

 見事、完遂してくれたらしい。


 流石は姉さんだ。

 手際がいい。


「じゃあ、報告しておきます。報酬も後ほど」

「あーそれなんだけどさー。私が報告にいっちゃだめかなー?」


 珍しいな。

 こういう煩わしい事は、兄さんと揃って苦手なはずなのに。


「構いませんが。どうして?」

「んーちょっとねー。気になる事があってー」


 はぐらかされる。

 これも珍しい。

 姉さんはいつも、開けっ広げな人なのに。


 だが、隠したいというのならこれ以上聞かない事にした。



「お姉さん、綺麗な人だね」


 姉さんが帰ってから、彼女が声をかけてきた。

 砕けた口調だ。

 最近彼女は、俺と話す時だけはかしこまった物の言い方をしないようになった。


 親愛の証だろう。

 と思っているが……。


 察しの悪い俺の事だ。

 勘違いかもしれない。


「お袋に似ているんだ」

「そうなんだ。何歳くらいなの?」

「今年で二十歳だな」

「あたしと同じなんだ」

「同じっ!?」


 なんだと……!?


 どう見ても見えない。

 子供と見紛うような容姿だと言うのに……。


 その上年上だとは思わなかった。


 ちなみに、俺は十九歳だ。


「そう、なんですか?」

「何で言葉遣いを改めたの? ちょっと距離を感じるんだけど」

「いや、年上を敬うようにしているだけです」


 目上の人間に敬意を払うのは礼儀だ。

 礼儀はちゃんとしねぇとな。


「今まで通りにしてくれないかな? 嫌なんだけど」

「わかりま……わかった」


 今まで普通に接していたはずなのに、慣れないもんだな。


 ……おいおい慣れていくか。

 思ったよりもパンチの弱い話になってしまいましたね。

 フリルの裏側を描くだけの話です。

 本当は+αがあったのですが、長くなりそうだったので省略したためです。

 そちらもいずれ書きます。

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