ある公爵の出会い
一応、妹様関係の話です。
修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。
私と、彼女の話をしよう。
私にとっての彼女は、女王のようなものだ。
私は、この国において公爵の身分にある人間だった。
王家筋の格式ある家柄に生まれ、財と才に恵まれる人間だ。
なおかつ、容姿にも恵まれている。
あらゆる面において、私は満たされた人間だった。
だがそれはあくまでも人からの評価であり、私自身もそうなのだろうとは思いつつも実感する事がなかった。
私が本当の意味で満たされていると実感できたのは、彼女と出会ってからの事だ。
あの少女に出会った、あの日。
運命の日だ。
私は、それまでの自分がその実、何も満たされていない事を思い知ったのである。
それは王宮で開かれたパーティでの事だ。
あれは、第一王子の婚約披露が目的の物だっただろうか。
第一王子はおおよそ褒められるべき所のない人間であり、他者が褒め言葉を口にすればそれはもれなくお世辞以外の何物でもないという人物だった。
私もまた、その世辞を告げる人間の一人であり……。
その虚飾に塗れた文言を考える事が、なかなかに苦痛だった。
私は一切の興味をこの愚鈍な王子に懐く事はなく、第一王子もまた私に興味を懐いていなかった。
むしろ、彼は女性以外に興味を持てない性分の人間らしいから、私に限らず男へ懐く興味の一切を持っていなかったのかもしれないが。
今も、王子は自分の婚約者を連れている。
大層な美人だ。
ただ、その表情に感情は見えない。
美しくはあるが、あれは人の美しさではないように思えた。
彫像の美しさだ。
彼女はただ王子のそばにいて一言も交わす事無く、去り際に会釈して王子と共にその場を離れた。
あの婚約者も、家柄は申し分ない人物である。
その上美人となれば、王妃に相応しいと言えるだろう。
だが、面白みのない人間だ。
少なくとも私は、あの少女に興味を懐けなかった。
彼女は積極的に関わりたいと思える人間ではなかった。
いや、彼女だけではない。
私にとって、他人など興味の対象になりえないものだった。
かといって、自分に興味があるわけでもない。
自己愛はむしろ薄い方だ。
私は人に……。
いや、自分を含めた自分を取り巻くもの全てへ興味を持てなかった。
私は幼少の頃から、父より厳しい教育を施されて育った。
教えられた事は、貴族として必要な事の全てだ。
私は父に教えられるままその全てを余す所なくこの身に収めた。
そして父が亡くなり、私は公爵位を継いだ。
私は父から教わった知識のおかげで、貴族の家長として困難なく過ごす事ができた。
しかし、あまりにも困難が無さ過ぎた。
領地の経営も、人との関わり方も、全てが私にとって簡単過ぎるものだった。
やりがいなど見出せようはずも無い。
興味を示すような楽しさや驚きなど、私の人生にはなかった。
無味である。
私の人生を私はそう評する。
つまらない人生だ。
ただ淡々と、貴族としてやるべき事をこなしていくだけで何の色味もない。
しかしそれだけの事なのに、人は私を高く評価する。
やるべき事を成している、それだけの事だというのに……。
皆が私を評価し、価値を見出している。
人は私を褒め称える事しかしないのだ。
それもまた、私の人生をつまらなくする要因だ。
人々が楽しげに笑い合うこのパーティも、私の心を楽しさで満たす事は無い。
ただただ、私には苦痛で仕方がない。
そのくせ、私がいる事を知れば多くの人間が寄ってくる。
今もそうだ。
第一王子との話が終わって早々に、数多の人が寄ってくる。
挨拶を交わし、二、三の言葉を交わし、別れてもまだ別の人間が寄ってくる。
それは私と親しくしたい人間だ。
公爵とはそれほど魅力的な地位だ。
私には財も権力もある。
出資を願い出たい人間が擦り寄ってくる。
そのうえ独身だ。
公爵である私を嫁ぎ先に、と考える人間も多くいる。
それが煩わしく、私はパーティ会場を出た。
人のいない所に行きたかった。
そうして逃げるように行き着いた場所は、バルコニーだった。
そこで私は、先客に気付く。
バルコニーの手すりに肘をついて寄りかかる一人の少女だ。
可憐な少女だった。
後姿からして、他の貴族の子女とは違う。
何かの力がその身を包んでいるかのように、彼女の周囲の空気は異質さを持っていた。
異質をまとう少女だ。
他の貴族の子女とは、まったく違う。
ふと、少女は手すりから身を上げる。
私に気付いたのだろう。
ゆっくり、振り返った。
後姿とは比べ物にならなかった。
美しい顔。
美しい立ち姿。
美しい所作。
全てが、美しかった。
しかし、その顔には見覚えがある。
先ほど会った、第一王子の婚約者。
彼女に顔が似ている。
……思い出した。
あの婚約者には、妹がいるという。
なら、彼女こそがその妹だろう。
私が見ていると、少女はスッと目を細めた。
今までに受けた事のない眼差しだった。
未だかつてない感情が、その眼差しには含まれていた。
あれは何の感情だろうか?
その正体が知れる前に、円らな唇が開かれる。
「何を欲しがってるんですか?」
突き放すような冷淡な口調。
可憐な少女が放ったとは信じられないような、硬質で鋭い口調だった。
公爵である私に対し、あまりにも無礼な物言いだった。
しかし、それに怒りを覚える事はなかった。
むしろその言葉を聞いた時、私はぞくりとなんとも言えない感覚を味わった。
「私が、欲しがっている?」
思わず、訊ね返していた。
「ええ。私のような小娘に何を期待しているんです」
「私は何も期待など……」
少女は笑う。
躊躇いの無い足取りで私に近づく。
そして小さく囁きかけた。
「そんなものが欲しいなんて、あなたは卑しい人ですね」
その言葉を残し、彼女は私の横を通り過ぎる。
短いやり取り。
それだけで、私は彼女を忘れられなくなった。
彼女の眼差しに宿っていた感情……。
それは侮蔑だ。
私はあらゆる物に満たされている。
才能にも、財にも、地位にも、知識にも、容姿にも……。
欠けたる所はない。
しかしそのどれもが、父から受け継いだものだ。
私を満たすものは、そのほとんどが父だった。
私は父に、満たされている。
私という人間が介在する余地もないほどに……。
自分を自分足らしめるものは趣味や趣向に現れるというのが私の持論である。
私にはいくつか好ましく思う物がある。
しかし、それすらも私のものでは無い気がする。
好きな料理も、酒も、これは良い物だと父より教えられたから嗜んでいた。
美味いとは感じるが、何と比べても美味いとは思わない。
女性もそうだ。
好みの女性というものはない。
いずれは妻を娶る事になるだろうが、今は時期が早いと思える。
その時期が来れば家柄の良い誰かを娶るだろうが、その誰かは誰であっても良い。
最悪、健康的で子供を産めるならばそれでいい。
女性とはそういう物だ。
血を残し、家の繋がりを増やすための存在でしかない。
そう思っていた。
だから、今私が懐いている気持ちには戸惑いがあった。
私はあの少女に出会い、投げかけられた言葉が頭から離れなかった。
それは、類稀に優れた容姿と言葉の奇異さによる興味かもしれない。
ただただ、物珍しいと思えたから印象に残っているだけかもしれない。
それがどちらであっても、もう一度会いたいと思った。
もう一度会えば、全てがはっきりする。
この気持ちがより一層強くなるか、興味が失われるか。
どちらか。
あれから、何度かパーティへ出た。
その都度、私は彼女を探した。
パーティへ出席するたびに、彼女がいない事を知って何度か落胆した。
そして何度かその落胆を味わい、ついに私は彼女と再会する機会を得た。
「これは公爵様。ご機嫌麗しゅう」
しかし、再会した少女はあまりにも普通の貴族令嬢だった。
その一挙手一投足には高い品性が感じられる。
けれど、それだけだ。
そこに、あの日感じられた不思議な魅力を感じない。
「ああ。ありがとう」
私の興味が急激に萎んでいくのを感じた。
判で押されたような社交辞令を交わすと、早々に話を切り上げる。
「では、私はこれで」
言って、彼女が私の横を通って行こうとする。
その時だ。
彼女の靴のかかとが私の小指に食い込んだ。
「……っ!」
痛みに顔が歪む。
「すみません」
謝る彼女の顔を私は見上げた。
息を呑む。
私を見る者は、その目に尊厳を映している。
それが純然たる尊敬の眼差しであれ、下心のある不純な眼差しであれ、そこには確かな敬意が含まれているものだ。
誰もが私に価値を見出し、その部分へと貴さを映し出す。
しかし、彼女は違う。
彼女の私を見る目には、一切の敬意が見られない。
ただただ、汚らわしい物を見るかのような侮蔑に満ちた嫌悪の感情が見て取れた。
見下している。
私をまるで役に立たない価値のないゴミを見るかのような目で見ている。
このような仕打ちは、本来許されざるものだ。
自分よりも高い立場の人間にこのような事をすれば、無礼と罰する事もできるだろう。
「いや、構わない」
私はそう答えていた。
落胆から一転して、私は再び彼女への興味を強くした。
痛みや屈辱よりも、不思議な喜びが私を満たしていた。
「こうして欲しいのかと思いまして」
「そんな事は……」
「そうですか。なら、これでおしまいです。私にも立場がございますので。あまりにも目に余る事を公爵様に致しますと、公爵様が許しても他が許しませんからね」
それは……。
人の目さえなければ、彼女は私に他者から見て目に余る事をしてくれるという事だろうか?
他にも解釈はあっただろう。
けれど、私が真っ先に思い至った解釈はそれだった。
正直に言おう。
私は、期待していた。
彼女から与えられる苦痛を……。
「では、私はこれで……」
彼女が背中を向けた。
「待ってほしい」
彼女を引き止める。
軽蔑の眼差しが、ゆっくりとこちらを向いた。
私を見据える彼女の眼差しは、私を全て見抜いているように思えた。
全てを見られている気がする。
私ですら知りえない、心の奥底にある何もかもを……。
「何か?」
「裏庭にいかないだろうか? そこならきっと……」
「きっと?」
訊ね返される。
私は言葉を躊躇った。
ここで答えてしまうと、私は逃れられない気がした。
彼女に対して、全てを曝け出さなければならなくなる。
全てを暴かれてしまうだろう。
そう思った。
私は答えられなくなった。
そんな私に彼女は優しく笑んだ。
口を開く。
「行きましょうか。裏庭に」
彼女は私に選択すら与えずに、私という人間を暴くつもりのようだった。
その日から、私は彼女の虜となった。
彼女は私を貶める。
時に罵倒され、時に痛めつけられ……。
心身共に屈服させるかのような彼女の振る舞いに、私は服従するようになった。
その服従が私には心地良かった。
彼女の言葉の一つ一つは私の心を抉るようなものばかりで、今までの私の何もかもを否定した。
そうして私は少しずつ、少しずつ、自覚させられていく。
本当の私という物を……。
私は満たされているようでいて、満たされていなかった。
貴族としては満たされているのだろう。
しかし、そんな物はこの国の社会だけのものだ。
この国を出て行けば私など、地位も力もないただの人だ。
何が貴族であろう。
何が公爵であろう。
ただの人間でしかない。
私など、下町の路地に住まう浮浪者となんら変わらない。
私など、汚らわしい人間ゆえ。
死なば肉ゆえ。
何も貴い事などないのだ。
私は、パーティがある度に彼女を探した。
そして、見つけると人気のない場所へと向かった。
その日はバルコニーに向かった。
彼女はホールに並んだ料理の中から、ビスケットの上に生クリームが乗ったお菓子を持っていた。
バルコニーには、テーブルと椅子があった。
彼女は椅子に座る。
私は座らない。
二人になった時、私に喋る権利は無い。
彼女の許しがあるまで、私は一切の言葉を発してはいけないのだ。
だから、ただ待つだけだ。
彼女が私に何かをしてくれるまで……。
いつもなら思わぬ所から、言葉で責めてくる。
一見して穏やかな会話から、気付けば私の人格を貶めるような言葉へと移行していく。
しかし、その日は何も言わなかった。
黙々とお菓子を食べている。
彼女は、お菓子のクリームの先を舐め掬った。
ふと、そんな時に彼女はお菓子を落とした。
お菓子は、彼女の足の甲へ落ちた。
正確には、靴の爪先に近い部分だ。
クリームの部分が、べちゃりとくっついてしまっている。
「落ちてしまいましたね」
何気なく言うと、彼女は私に振り返った。
「綺麗にしてくれませんか?」
私は頷いて、ハンカチを取り出した。
「このお菓子は美味しいんですよ」
拭おうとすると、彼女はそう言った。
「ハンカチで拭いとってしまうなんて勿体無いと思いませんか?」
……それは、舌で舐め取れという事だろうか?
私は彼女の差し出す足の前で跪いた。
そして、綺麗にした。
「まるで犬のようですね」
そう仕向けたのは彼女なのに、その言葉には侮蔑の色が含まれている。
汚らわしい、と心の内で思っているかのような響きの声だ。
「もしかしたら、ここにも人が来る事だってあるのに。誰かに見られたら、あなたに向けられる尊厳に満ちた眼差しも、全てが侮蔑に変わるでしょうね」
徹底的に人としての扱いを受けないこの関係に、私は喜びを覚えていた。
真っ当ではない。
それは理解していた。
だが、真っ当ではないと思いながらも、私は抗えなかった。
今までにない。
今まで知る事のできない喜びだ。
思えば私は、人から侮蔑された事がなかった。
それは私が他よりも上等な人間だったからだ。
秀でる所が多く、地位もある、容姿も整っていた。
誰も私を罵ろうとは思わない。
だから、私は今まで知りえなかったのだ。
この感覚を……。
何故彼女が、私に対してこのような扱いをしようと思ったのかはわからない。
だが、私は彼女が私自身すら知りえない私の趣向を見抜いていたからではないかと思えた。
「ふふふ、さぁ横になりなさい」
彼女は、私を床の上に寝転がらせる。
「お腹を出しなさい」
私は言われるままに服をたくし上げ、腹を出した。
「これが何か分かりますか?」
そう言って彼女が取り出したのは、金属製のボウルだ。
何が入っているのかはわからないが、ボウルの上からは湯気のたっていた。
何だろうか?
わからない。
彼女はあれで何をしているのだろう?
不安だ。
しかし同時に、期待が膨らんでいく。
「これは今しがた湯煎して溶かしたバターです。あつあつですよ」
言われれば美味しそうな匂いがする。
「これをあなたのおへそに流し込んであげましょう」
「そんな……! 火傷してしまう……!」
「おだまりなさい。あなたに、言葉を許した覚えがありませんよ」
そう言って、彼女は熱々のバターをヘソに流し込んだ。
ああ! 熱い!
とても熱い!
「男の子なんだから、我慢しなさい」
私は熱さに耐える。
彼女に言われてしまえば、耐えざるを得ない。
「満足しましたか? 答えていいですよ」
「はい。満足です」
「嘘つきですね。満足なんてしていないでしょう?」
「そんな事は……」
「嘘つきですよ。あなたが、こんな事で満足できるわけないでしょう?」
言って、彼女は私を踏みつけた。
彼女の靴はヒールだ。
赤く、高いヒールだ。
先端がとても細く……。
初めて私の足を踏んだ彼女の靴とは、比べ物にならないくらい鋭い。
そんな靴で、彼女は私を踏みつけた。
そこで、私の目が覚めた。
「夢、か……」
安心と残念さの混じる溜息が口から漏れた。
満足できていない、か。
私と彼女が肉体関係を結ぶという事は一切なかった。
今の彼女は、第一王子の婚約者だ。
姉が顔に火傷を負った事で遠ざけられ、婚約者の座が彼女に回ってきたのだ。
だから今以上の関係を求めないのは、当然と言えば当然だ。
だが、それを不服に思った事は無い。
私はただ従属するだけだ。
その関係は今も続いている。
それで十分だ。
でも、確かに満足はできていないのかもしれない。
何せ、求めずにはいられない。
もっともっと、と彼女から与えられる苦痛を。
そのためには、さらなる強い服従を示さなければならない。
しかし、今以上の服従……。
それは、どのようなものであろうか?
その頃、王都は第一王子が暗殺されたという話で持ちきりになっていた。
私は「さもありなん」と思いこそすれ、事件を論ずる諸侯達のように話題としてその話を楽しむ事はなかった。
王位は、第二王子が継ぐという。
それは素直に良い知らせだと思った。
あのまま第一王子が継いでいれば、あらゆる皺寄せで私の仕事も増えた事だろうから。
そんな頃だった。
彼女から申し出があった。
「ところで、お願いがあるのですけれど」
「はい」
「私をあなたの養女にしてくれませんか?」
「それは……」
本当に思いがけない話だった。
「どういう事ですか?」
「そのままの意味です。いますぐにでも今の家から出る必要がありまして」
どういった理由でそうなったのだろう。
ただ、私はその申し出を嬉しく思った。
彼女が養女になるという事は、同じ家で長い時間を過ごせるという事だ。
今までのように、会えるかどうかもわからないままパーティを巡って鉢合わせる機会を待つ必要がなくなる。
いつ如何なる時でも家にいる限り、私は彼女から苦痛を与えてもらえるという事だ。
私にとってはこれ以上ないほどに、いい話だった。
「ならば、父君に話を通さねば」
「その必要はないと思いますよ」
そう言って、彼女は笑った。
養子縁組の手続きを行なうと、驚くほどあっさりと事が進んだ。
本来ならば元の家から了承を得なければならず、手続きをしてから時間がかかるものだ。
しかし、国政院に手続きの用紙を提出すると、その翌日には手続き完了の手紙が送られてきた。
あまりにも手際がいい。
まるで、初めからこの時のために全ての準備を整えていたかのようである。
そうして、彼女は晴れて私の娘となった。
彼女が我が家へ移り住む事になった日。
その日をどれだけ待った事だろう。
私はその数日間を心躍らせながら待っていた。
そして、彼女が我が家へと訪れる。
玄関で出迎える私。
そんな私に、彼女はニコリと微笑んだ。
ただの可愛らしい少女のように。
その仕草に、私は違和感を覚えた。
その違和感の正体に気付いた時、私は愕然とする。
彼女の私を見る目から、私へ対する侮蔑の一切が消えていた。
私は内心で戸惑った。
「これから、お世話になります。お義父様」
「はい」
「よろしくお願いします」
彼女は深く頭を下げた。
「……ああ。部屋に、案内しよう」
私は答え、部屋へ案内する。
彼女のために整えた部屋だ。
「こんな良い部屋を用意くださるなんて……。ありがとうございます」
「いや、いいんだ」
二人共無言になる。
「それだけ、ですか?」
思わず、聞いていた。
私の方から欲しがるなんて、卑しい事だ。
けれど、言わずにはいられなかった。
私の卑しさがにじみ出るこの言葉を咎め、辛辣な叱責を与えてほしかった。
すると、私の問いに彼女は微笑んだ。
「だって、お義父様は私にとって恩人ですもの。私はそんな相手を蔑ろにするほど恩知らずではありませんし、親不孝でもありませんよ」
事も無げに答える彼女。
それは心底から出た言葉のように思えた。
私は落胆を隠せなかった。
「そうか……」
私は答えると、すぐに部屋を出た。
彼女が私のそばにいてくれる事は嬉しい。
けれど、私はこんな物を望んでいたわけではない……。
私が求めたのは、私という人間を否定し、罵倒し、咎めてくれる人間だ。
そんな人間は彼女しかいなかった。
唯一の存在だ。
そんな彼女が、今消えたのだ。
……いや、そうではないか……。
そんな人間は、かつてもいたんだ……。
それは父だ。
父は私の至らない所を指摘し、咎めてくれる人間だった。
自分という人間を容赦なく否定する、そんな父を恐ろしいと思っていた。
父の発する私への罵倒は、全てが私を思っての事だった。
私を立派な人間へと育てあげたいという愛情を以っての仕打ちだった。
私はそんな父を尊敬していた。
頼もしいとも思っていた。
だからだろうか?
私は、自分を咎めてくれる人間を求めていた。
消えたのは二人だ。
父と彼女。
私の求めた人間二人が、消えてしまったのだ。
言い知れぬ喪失感と絶望感を覚えた。
その日の夕食の事だった。
長テーブルに着き、私達はシチューを食べた。
私達は無言だった。
彼女がどう思っているのかはわからないが、私の心は沈んでいた。
そんな時、彼女が口を開く。
「言い忘れていた事がありました」
「何でしょう?」
「私、嫁ぐ事に致しました」
思いがけない言葉だった。
「ですので、近日中にこの家を出る事になると思われます」
「え? ……相手は?」
「第二王子様ですよ」
この国の王は先日死んだ。
王位を継ぐはずだった第一王子も暗殺され、王位は今空席である。
そして、その空席には近日中に第二王子が据えられる事となった。
そんな王子に嫁ぐ……。
それはつまり……。
彼女が、この国の王妃になるという事か。
素直に驚く。
そして、私は彼女が嗜虐に満ちた笑みを向けている事に気付いた。
「そうなれば、私は名実共にあなたより上の立場になりますね」
そういう事か……。
彼女は正式に、私よりも上の立場になる。
私は彼女へ公私共に従属を誓う事になるのだ。
それはとても素晴しい事のように思えた。
「そう、ですか……」
彼女は失われてはいなかった。
彼女は私に希望を与え、あえてその希望を打ち砕く形で絶望へと突き落とし、そしてまたさらに大きな期待を私へもたらした。
このために彼女は私の元へ来たのだ。
「喜ばしい事です」
私は笑みを向けた。
席より立ち、彼女の元へ向かう。
第一王子の死も、その後釜に座る第二王子にも興味は無い。
忠誠など、先王の頃から形式以上の物以外は持ち合わせていなかった。
だが彼女になら……。
私は心から跪く事ができるだろう。
「王妃様」
彼女の前に跪く。
「まだ、早いですよ」
彼女は笑みを浮かべる。
その笑みは、既に支配者の風格に満ちていた。
その後、彼女の実家は没落した。
王家への反逆行為が発覚したからだ。
彼女はそれを知っていて、私の養女となる事で罰を逃れたのだろう。
私には、それが彼女の謀に思えてならないが、それは考えすぎだろうか?
そして、間も無くして彼女はこの国の王妃となった。
もっとコメディタッチにする予定だったのですが、書き終わってみると変態を耽美に描いただけの話になってしまいました。
正直、私は何を書いているんだろうとは思ったのですが、書いていて楽しかったです。
次はもっとまっとうな話にするのでお許しください。