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俺のいい女

 俺と、俺のいい女の話をしよう。




 夜の王都。

 目的地は、下町にある食堂だ。

 俺が俺のいい女とその料理屋へ入った時、中にはもう他の連中が揃っていた。


 今日のこの店は貸切で、俺の弟妹きょうだいとその連れだけで宴会を開く事になっていた。


 店に入ると、もうすでに妹と弟の姿があった。

 二人とも、テーブル席に着いている。


 どうやら、俺が最後だったらしいな。


「あ、ニャフフ。にーちゃんおひさー」


 俺の妹が真っ先に気付き、声をかけてくる。

 その頬っぺたはもうほんのりと朱に染まっていた。


 もう、一杯ひっかけてるみたいだな。


「おう、久し振りだな。ガハハ。元気してたか?」

「ちょー元気だよー。ニャッフッフー」


 いつも以上に元気だぜ。

 一杯どころか、結構やってるのかもしれねぇな。


 そんな妹の隣には、一人の男が座っている。

 どことなく、賢そうというのか、気難しそうというのか、とにかく物静かな男だ。

 弟も物静かな方だが、こいつはまた違った感じの物静かな男だ。


 なんとなく、母ちゃんに雰囲気が似ている気がする。

 そう思ってみると、顔も似ている気がしてきた。


「どうも、お義兄にいさん」

「おう。お前も元気してるか? ガハハ」

「ええ。それなりには」


 どこが、と問われれば困るが、なんとなく俺はこの男が気に入っている。

 直感的に、こいつはいい奴だな。というのが分かるんだ。


 しかし、よく下町まで出てこれたもんだ。

 何せこいつは王族だ。

 おいそれと供も連れずに町へ出かける事なんてできない。


 多分、俺の妹が手引きしたんだろうけどな。


 それにしても、男っ気のなかった妹がいきなり結婚すると言い出した事は驚いたが、それが王様の子供だってわかった時にはもっと驚いたもんだ。

 どうやって知り合ったのかさえ、よくわからねぇぜ。


 まぁ、それは今日、酒でも飲みながらゆっくり聞かせてもらうとするか。

 朝まで飲み明かすつもりだからな。


「兄さん」


 弟が声をかけてくる。


「おう、遅れてすまねぇな」

「いえ、丁度良い時分でしょう」


 弟が俺から視線を外し、店の奥へ向けた。

 丁度そこから、大皿を持った小さい女が出てくる。

 大皿には、色々な種類の料理が乗っていた。

 どれも美味そうだ。


 この小さい女は弟のいい女だ。

 そして、この店の店主でもある。


「どうも、お義兄さん」

「おう、相変わらずちっちぇーな。ガハハ」

「よく知っています。だから、会うたびに言うのやめてくれませんか?」

「ガハハ」


 これで全員だ。


 本当は父ちゃんと母ちゃんも連れて来たかったんだがな。


 最近の母ちゃんは、あんまり体の具合がよくないらしいからな……。


 王都まで来るのは辛いだろう。

 それに、昔色々あってあまり王都には近付きたくないらしい。


 そうして俺達が席に着き、宴は始まった。


「兄さん、結婚おめでとうございます」

「あーそうだったー。にーちゃん、おめでとー」


 妹と弟が祝辞を贈ってくれる。

 俺はつい最近、俺のいい女を見つけて一緒になったのだ。


「おう、ありがとよ。ガハハ」


 俺も素直に礼を返した。


 そう、俺は結婚したんだ。


 今まで俺は、父ちゃんの言う俺の「いい女」を探していた。

 そしてついに、俺はいい女を自分の物にする事ができたんだ。




 俺があいつと初めて会ったのは、父ちゃんと剣の稽古をしていた時の事だ。




 ガキの頃……まぁ、今もそうなんだが。


 俺は父ちゃんに憧れていた。


 強くてカッコイイ父ちゃんが好きで、俺も父ちゃんみたいな男になりたいとずっと思っていた。


 そして俺は、父ちゃんみたいに俺だけのいい女を見つけたいと思っていた。

 それが夢だった。


 だから俺は、父ちゃんみたいに強くなりたくて、よく剣の稽古を強請ねだってたんだよな。

 初めての稽古で、父ちゃんが木を削りだして作ってくれた剣はその時の俺の宝物だったな。


 その日も、俺は父ちゃんから剣の稽古を受けていた。


 稽古って言っても、うちにはそんな上等な流派なんてねぇ。

 木剣で適当に打ち合うだけの稽古だ。

 いや、今思えば、俺は真剣に打ち合ってたが、父ちゃんにとっては遊びの延長みたいなものだったのかもしれねぇな。


 で、ガキの頃の俺は、そんな事にも気付かず父ちゃんに歯が立たない事が悔しくてすぐムキになっちまってたわけだ。

 その時の俺も、父ちゃんに勝てないのが悔しくて周りが見えないくらいがむしゃらに向かっていっていた。


 だから、全然気付かなかったんだよ。

 イノシシのおっちゃんが、あいつを連れてこっちに来ている事なんてな。


 必死になって父ちゃんに斬りかかり、簡単に剣を落とされる。

 俺は父ちゃんに勝ちたくて、だから周りが見えなくなっていたんだろう。


「後で遊んでやるから、今は挨拶しな」


 そう言われるまで、おっちゃんが近くまで来ている事に気付かなかった。

 図体のでかいおっさんにすら気付かなかったんだから、ちっちゃかったあいつになんて気付くはずは無い。


「おう、わかったぜ」


 返事をして、おっちゃんの方を改めて見る。

 そこで俺は、ようやくそいつの存在に気付いたんだ。


 銀髪と浅黒い肌が特徴的な子供だった。


 そいつを一目見た時、俺は今まで感じた事のない感覚に陥った。

 それが何なのか、その時にはわからなかった。

 ただ一つ、思った事がある。


 こいつと一緒にいたい。


 まだ一度も言葉だって交わした事もないのに、俺はそいつを一目見て気に入ってしまった。


 よくわからねぇ気持ちだった。


 それが、俺とあいつの初めての出会いだ。


「イノシシのおっちゃん! こいつ誰?」


 俺はそいつの正体がたまらなく知りたくなり、おっちゃんに聞いた。


「俺の子供です。仲良くしてやってくださいよ」


 ちらりと見比べる。

 全然似ていない。


「がはは、似てねぇな!」


 俺はそのまま思った事を口にした。

 すると、あいつはムッと顔を顰めた。


 何か怒らせちまったか?


 イノシシのおっちゃんに似てないって言われるのが嫌なのかもしれねぇな。

 もう二度と言わない方がいいと、子供ながらに思った。


 どういうわけか俺は、会ったばかりのあいつに嫌われたくないと思ってしまっていた。


「見ての通り、同じぐらいの男同士だ。仲良くしてやるんだぜ! ガハハ!」


 父ちゃんが言う。


 男?

 女だと思ったんだけどな。

 でも、父ちゃんの言う事なら間違いないぜ。

 こいつは男なんだ。


 だったら、俺はこいつと親友になりたい。

 こいつとなら俺は、誰よりも仲良くなれる。

 そう思ったんだ。


「おう、わかったぜ! 仲良くしようぜ! がはは!」


 笑いながら俺は言う。

 そいつは「仕方ねぇな」っていう顔で溜息を吐いた。




 仕方ねぇな。


 そんな顔をあいつはよくする。


 俺が馬鹿な事を言ったり、何かやらかしたりした時なんかにあいつはそんな顔をした。


 だけどいつも、あいつはそんな顔をしながらも俺のやる事成す事に付き合ってくれた。


 俺達はいつも一緒だった。


 そして俺達はそのまま一緒に、親の跡目をついで山賊になっていた。




 初めて出会ってから十何年か経って、俺は山賊団の頭領になっていた。

 そしてあいつは副頭領だ。


 最初は遠慮してるみたいで副頭領を俺の弟に譲ろうとしていたんだが、俺はあいつと一緒の方が嬉しいから俺の方からあいつを副頭領に押した。


 その後、あいつは悪いと思ったのか副頭領補佐という役職を作って弟を任命した。

 世襲ってわけじゃねぇから、別に気を使う事なんざねぇのにな。ガハハ。



 俺達は山賊団だが、いつも好き勝手に山賊しているわけじゃない。

 行商の馬車を襲う事もよくあるんだが、仕事の割合は別口の方が多い。

 その別口っていうのは、親父の知り合いから受ける依頼だ。


 その相手が誰なのか詳しく知らないが、どうやら王家の人間らしい。

 どこで知り合ったのかは知らねぇが、親父はそいつと付き合いが長くて、ずっと依頼を請けていたんだと。

 俺はその関係を頭領の肩書きと一緒に、継いだわけだ。


 とはいえ、俺が直接依頼人と会う事はない。

 だいたい小難しい事は、あいつと弟に任せていたからな。


 二人は俺よりも頭がいい。

 だから、あいつらに任せた方が間違いねぇんだ。

 ガハハ。


 その頃からだろう。


 王都でよく活動するようになった俺は、俺だけのいい女を探すようになった。

 山とは違って、そこにはたくさんの女達がいる。

 ならその中には、俺だけのいい女がどこかにいるんじゃないか。

 そう思って、俺はたくさんの女と夜を共にするようになった。


 父ちゃんは言っていた。

 いい女ってのは、出会えば解かるって。

 だから、色んな女に会って、俺だけの「いい女」を探そうと思った。


 だが俺は、どんな女を前にしても父ちゃんの言っていた感覚を味わえなかった。


 ほんの一瞬の関わりじゃあ、わからない事なのかもしれない。

 そう思って、俺は出会った女とは軒並み一夜を共にしていた。


 でも、やっぱりいい女は見つからなかった。


 俺のいい女は全然見つからない……。

 けれど俺は、あまり焦りを覚えていなかった。


 いい女は見つからない。

 でも、あいつはいつもそばにいたから。


「今回は違った」


 そう答えると、あいつはいつも言うんだ。


「仕方ねぇな」


 って、溜息吐きながら。

 そして、小さく笑うんだ。

 その笑顔を見てると、俺もまぁいいかって思えた。




 その日は例の依頼主の持ってきた仕事をする事になっていた。


 内容は、相手を騙して誘い出し、捕まえるというものだ。


 そいつが何者で、何で依頼主が捕まえようとしているのかはわからない。

 そういう事は、全部弟に任せてある。


 苦労はかけてるだろうが、その分荒事は俺が受け持つ事になっていた。


 分業制ってやつだ!

 ガハハ!


 その相手を呼び出す際に女を装ったらしく、待ち受ける人間は女装する事になった。


 どうやら弟は、あいつを女装させるつもりのようだった。


 ちょっと見てみたい気がしたが、あいつは見るからに嫌そうな顔をしていた。


「お前でいいんじゃないか?」

「え?」


 あいつが言って、弟が意外そうな声を出す。


「お前が女装すればいいだろう」

「そうだぜ。お前が一番女っぽい顔してるしな。ガハハ」


 嫌がってるなら、無理強いはしたくないぜ。

 俺はあいつの肩を持った。


 弟は、フリルさえ身につけていればご機嫌だから大丈夫だろう。


 でもちゃんと見比べて見ても、弟の方が適任な気がしたんだよな。

 どっちも女顔だが、よりドレスが似合うのは弟だ。


 そうして弟が女装する事に決まり、俺達は待ち伏せの場所へ向かった。




 待ち伏せは上手くいった。


 相手はまんまと現場に現れたし、奇襲のタイミングも完璧だった。

 簡単な仕事だぜ。


 なんて、飛び出した時には思っていたんだが……。

 思いがけない事が起こった。


 弟が、相手の護衛の一人に斬られ、崖下の川へ落ちてしまったのだ。


 斬られるだけ、川へ落ちるだけなら、奴の事だ。

 平然と生きていただろう。

 だが、その二つが重なれば助からない。


 弟は死んだんだ。

 瞬時にわかってしまった。


 弟が殺られたと思うと、俺は何もかも忘れて奴に斬りかかっていた。

 仕事もクソもねぇ。


 何があってもあの野郎をぶち殺してやる!


 そう思って俺は奴へ迫った。

 気付けば、あいつも俺について走っていた。

 いつもの仕方ねぇな、って顔じゃない。

 本気で怒りを覚えている顔だ。

 これは俺に付き合っての事じゃない。

 あいつもまた、弟の死に怒りを感じているんだ。

 俺達は一緒に、奴へ斬りかかった。


 だが、手も足も出なかった。

 あいつはひらりひらりと攻撃をかわして、ついには逃げ果せてしまった。


 弟が死んで、俺はその仇すら討てない。

 情けなくて堪らなかった。

 自分の不甲斐無さが情けなく、腹立たしい。


 俺は男を追おうとする。

 だが、そんな俺の肩を掴む奴がいた。

 手の主はあいつだった。


「やめろ。今の戦力じゃ追っても無駄だ」


 あいつは言う。


「このままにしておけるか!」

「落ち着け! 今回は失敗だ。これ以上やっても、生き残った仲間まで死ぬだけだ」

「……くそ……わかった……。お前の言う事はいつも正しい」


 そう。

 あいつの言う事はいつも正しい。

 あいつは俺より、何倍も頭がいい。

 あいつがそう言うのなら、それに間違いは無い。


 なら、追っても無駄なんだろう。

 でも……。


 悔しくてならねぇ……っ!


 そんな時だ。


「大丈夫さ」


 不意に、抱き締められた。

 まるで子供を宥める様に、俺の体をポンポンと叩く。


 これが他の奴だったら「馬鹿にしてるのか」と怒ったかもしれねぇ。

 でも、そんな気分にはまったくならなかった。


 むしろ、さっきまでの荒々しくどうしようもなかった心の乱れが、一気に凪いでしまったようだった。


「奴は魔法が使える。崖から落ちたって簡単に死なない。案外、ひょっこりと帰ってくるかもしれないだろう」


 優しい声であいつは言う。

 慰めるように、諭すように……。


 それが慰めるための言葉だとわかっていた。

 けれど、心地良さを覚えた。

 あいつの胸の中、慰められると気分が良かった。


 ずっとこのまま一緒に居たい。

 俺はそう思った。



 その二日後。

 弟は何事もなかったような顔で普通に帰ってきた。


 やったぜ! ガハハ!




 弟が無事だとわかると、沈んでいた心が嘘みたいに晴れた。

 弟が死んだと思っていた時は外へ出るのも億劫だったが、今はむしろ部屋にこもっているのが馬鹿らしく思える。

 だから俺は、外へ出かける事にした。


 あいつも何かしらの用事でいないから、一人で町をぶらぶらする。

 そんな時、ふと思い出した。


 そういえば、何日か前に裏町の娼婦を口説いたんだ。

 で、後でまた来るって約束したんだったか……。


 俺は裏町の方へ向かった

 確か、あの娼婦は子供みたいにちっちゃかった。

 どこか小動物みたいに怯えていて、顔には大きな青あざがあった。


 正直に言えば、俺はあの青あざがあって声をかけたようなもんだ。


 嫁にするなら、母ちゃんみたいな「いい女」がいい。

 子供の頃からそう思っていたし、今でもそう思っている。

 それは多分、親父みたいになりたいという気持ちだけじゃなくて、本当に母ちゃんが好きだからでもある。


 俺は父ちゃんが好きだが、母ちゃんも好きだった。


 母ちゃんは声を荒らげて叱るって事を一度もした事がない。

 手を上げられた事もない。

 いつも俺達を大事にしてくれる優しい母ちゃんだ。


 でも、怒るととても怖かった。

 スッと細められた目で見られると、何もかも見通されているような気分になる。

 そうして、嘘を吐いても「本当ですか?」と訊ね返されれば、俺はすぐに謝った。


 ちなみに弟の目は母ちゃんに似ていて、その目を細められるとちょっと怖い。


 そんな母ちゃんには、体の半分を走る大きな火傷があった。

 けれど、それは火傷が恐かったって事じゃない。

 きっと俺は、母ちゃんに嫌われる事が恐かったんだ。


 あの優しい母ちゃんを怒らせて、見向きもされなくなる事が恐かった。

 それは、それだけ母ちゃんの事が好きだって事でもあった。


 顔や体に傷のある女を見ると、俺はその女に声をかけたくなるのだ。

 もしかしたら、こいつが俺の「いい女」なのかもしれない。

 そう思って……。


「よう、憶えてるか?」


 俺が声をかけると、一度ビクリと体を震わせてからそいつは振り返った。

 俺の顔を見ると、ほんの少しだけ緊張を解く。

 それでも、まだ恐がっているようだった。


「前に声をかけてくださった方ですね?」

「おう。ちょいと遅くなったが、奪いに来たぜ」

「は、はい」


 俺は娼婦を連れて宿屋に戻った。


 部屋の扉を閉めると、娼婦は服を脱ぎ始めた。

 脱いだ服の下には、下着を付けていなかった。

 全裸になった体を隠すように、娼婦は手で隠す。


 あばらの浮き出たやせっぽちの体には、所々あざが目立つ。


 表情を作る笑顔はぎこちなく、不安がありありと見て取れた。


 たまに「この仕事を好きでやってんだ」っていう感じの娼婦もいるが、この娼婦は見るからにそれとは逆のタイプだった。


 やりたくないけれど仕方なくやっている。


 この娼婦はそんな感じだ。

 そんな女を無理に抱くような事はしない。

 俺の目的は、どちらかと言えば性欲を満たすためじゃないからだ。

 まったくないとは言わないが、それは二の次だ。


「来いよ」


 自分のそばに招く。

 娼婦は重い足取りで俺の方に来た。

 俺は女を抱き上げる。

 早い鼓動が腕に伝わってくる。

 ベッドに転がして、俺はベッドの端に腰掛けた。


「そのまま、寝ちまっていいんだぜ」


 俺は「いい女」を探すために、女を部屋へ招いている。

 けれどその女が「いい女」かどうか、それを確かめるのにどうしても抱かなくちゃならないってわけじゃない。

 だから、このまま何もせずに眠ってもそれはそれでいい。


 不思議そうな顔で、娼婦は俺を見る。


「よろしいのですか?」

「ああ。俺も同じ場所で寝るが、嫌がる相手に手は出さねぇよ」


 娼婦の体に、掛け布団をかけてやる。

 娼婦は掛け布団を深く被った。


「あ、ありがとうございます……」


 礼を言うと、恥ずかしそうに掛け布団で顔を覆った。


 それから娼婦としばらく話をしていたが、途中で会話が途切れた。

 眠ったんだろう。

 それから少しして、俺もベッドに入った。


 寝ているのか、起きているのかわからないが、娼婦が布団の中で俺の腕を抱き締めてくる。


 可愛い女だ。


 けれど多分、こいつは俺の「いい女」じゃないんだろうな……。

 そんな事を思いながら、俺は眠りに落ちていった。


 一夜明けて、俺はあいつに娼婦を送らせた。


 もう、会う事もないだろうな……。


 その時には、そう思った。




 どうやら弟は、崖から落ちた後に誰かから助けられたらしい。

 その誰かってのは女らしく、度々会いに行っているようだった。


 そして、ある日こんな事を頼まれた。


「ちょっと、団の何人かを借ります。いいですか?」

「ガハハ、別に構わねぇぜ。でも、何をしようってんだ?」

「少し、目障りな連中がいまして……」

「喧嘩か何かか?」

「掃除みたいなものです」

「荒事なら、俺も行くぜ。楽しそうだからな。ガハハ」

「ありがとうございます」


 そういうやり取りがあって、山賊の仲間を何人か連れて弟についていった。


 その相手という奴を見せられる。

 そいつらは絵に描いたようなゴロツキだった。

 山賊の俺らと比べればマシな格好をしていたが、それでも全員がよれよれの服を着ていた。

 話す声も笑い声も下品な連中だった。


 そいつらは路地や道の端にいた。

 そして、人が道を通ろうとするとそれに絡んで邪魔しているみたいだった。


 それも無差別に狙っているわけじゃなく、ある方向へ向かう道を通る人間だけに絡んでいるようだった。


「何だあいつら? 何がしてぇんだ?」

「ある店へ、人が向かわないようにしているんですよ」

「何のために?」

「店の収入を断つためだと思います」

「何の店なんだよ」

「料理屋です。大変美味い料理を出します」

「わけがわからねぇぜ」

「本当に。でも、あの店の迷惑になっている事に違いは無い。なので始末しておこうと思いまして」

「なるほどな。でも、何でお前はその料理屋のためにそんな事をしてやる気になったんだ?」


 弟は俺より頭がいい。

 というより、俺が兄弟の中で一番頭が悪いだけなんだが。


 それでも弟は、並みの人間と比べても頭はいい部類のはずだ。

 きっと母ちゃんに似たんだろう。


 そんな弟は「無駄な事をしない主義」を持っているらしい。

 だから、きっと今回の事も弟にとっては意味のある事なんだろう。


「恩を返すためですよ」

「もしかして、お前を助けた女の店か?」

「……はい」

「お前にとっての「いい女」か?」

「さぁ……。俺は親父みたいに直感が鋭いわけじゃありませんから」

「まぁ、どっちでもいいか。お前の恩人だって言うのなら、俺だって恩は返してぇからな。全力で当たらせてもらうぜ。ガハハ」

「ありがとうございます」


 そうして、俺達は山賊団の野郎共と一緒に、ゴロツキ共を掃除した。

 全員をぶちのめして、全裸で広場に吊るしてやった。


 弟が言うには見せしめという話だが、どっちにしろここまで面目潰してやれば恥ずかしくてもういきがれないだろうさ。



 それから何日かして、俺は弟の恩人と会う機会に恵まれた。


 実際に会ってみると、そいつはちっちぇー女だった。

 料理屋の女店主らしく、作った料理はかなり美味かった。


 その後、迎えに来たあいつに怒られた。




 ある日、あいつが一人の女を連れて帰ってきた。

 その女に、俺は見覚えがあった。

 前に買った、顔にあざのある娼婦だ。


「おい、こいつを連れて帰るぞ。お前の女にしろ」


 あいつは俺に強い眼差しをくれると、唐突にそんな事を言った。


「あ? 何だ急に? でも、そいつは……」


 俺の「いい女」じゃない。


「いい女じゃないと言いたいんだろう? それでもいいじゃねぇか」

「どういう事だよ?」

「前から言いたかった事だ。お前は、女をどう思っている?」

「女なんて穴さえありゃあいいんだよ」


 親父がよく言う言葉だ。


 あいつはそれを聞くと自分の眉間を指で揉んだ。


「そう思うならそれでもいいさ。でもな、人間は物じゃないんだ。少しは扱い方を考えろ」

「物扱いなんざしてねぇよ」


 女は女だ。

 物じゃない。


「連れてきて、思っていたのと違うから捨てるっていうのは物を扱うのと一緒だ」


 怒鳴りつけたわけじゃない。

 でも、あいつの声には怒りが混じっていた。


 その時にふと、思い出した。


 そういえばあいつは、元々奴隷だった。


 親父が奴隷商人の馬車を襲って、連れ帰ってきたのがあいつとあいつの母親だった。

 母親はイノシシのおっちゃんの嫁になって、あいつはおっちゃんの子供になった。


 奴隷というのは人じゃない。

 というより、人として扱われない。

 どんな扱いをされるのか、俺は何度か奴隷商人の馬車を襲って知っていた。


 あいつは俺のした事で、奴隷だった頃の事を思い出して怒っているんじゃないだろうか。


 俺は、嫌な思いをさせちまったのかもしれないな……。

 あいつが嫌がる事を俺はしたくない。


「……わかった。お前の言う事はいつも正しいからな。ガハハ」


 俺が答えると、あいつは小さく息を吐いた。




 拾ってきた娼婦。

 いや、もう娼婦じゃねぇな。


 そいつは俺と同じ部屋で暮らすようになり、俺の身の回りの世話をするようになった。

 今まで同じ部屋で寝泊りしていたあいつは、別の部屋を借りて一人で寝泊りしている。


 溜まってた洗濯を干し、俺とあいつの料理を作り、毎日部屋の掃除をする。

 そして夜には、俺と同じベッドで眠った。


 抱く時もあるし、抱かない時もある。

 だが、どれだけ一緒に過ごしても「いい女」だという実感は湧かなかった。


 その日もそいつは、掃除のために部屋の中を動き回っていた。


 顔にあったあざも最近では薄くなってきた。

 肌の張りも少しよくなって、裏町で立っていた時みたいな不健康な顔色ではなくなった。


 特にたくさん食ってるわけじゃない。

 そいつが作った料理を三人で一緒に食ってるだけだ。

 なのに、ここまで変わるなんて、前はどんな生活してたんだろうな。


「なぁ」


 床の雑巾がけをするそいつに声をかける。


「はい。なんでしょう?」


 そいつは笑顔で返事をする。


「何でそんなに頑張ってくれるんだ?」

「それは……恩を返したいから……です」


 本当か?

 何か嘘吐いてないか?

 そんな気がするぜ。


「恩って言ったって、お前を助けたのはあいつじゃねぇか」

「そうなのですけど……。私が一緒にいたいのは、あなたなんです。そのようにしろと、あの方も言ってくださいましたし……」


 ふぅん。


「お前、俺の事が好きなのか?」


 俺が訊ねると、そいつの体が固まった。

 しばらく黙り込む。

 そして、搾り出すように答えた。


「……はい」

「そっか」


 でも、俺はお前のその気持ちに応えてやれねぇぜ。

 だって、俺の「いい女」じゃねぇからな。




 あいつが別の部屋を借りて、今の部屋を出て行った数日後。

 最初こそ、飯の時は顔を出して一緒に食べていったものだが、ここ最近はそういう事もなくなり始めていた。

 最近では、丸一日顔を見ない日もあった。


 俺はそれが寂しく思えてならなかった。

 このままあいつが離れていくんじゃないか、そんな事を考えて妙に心細かった。

 だからその日、俺はあいつを探した。


 夜の中、あいつを探して町を歩いていると、ある空き地で剣を振っているあいつを見つけた。


 一心不乱に、何かを振り払うように剣を振り続けていた。

 長い間体を動かしているためか、この寒い中上着を脱いでいた。

 はだけた肩は、薄く汗で濡れている。


「珍しいな。お前がこっちで鍛錬しているなんて。いつもは、根城にいる時しかしねぇのに」


 声をかけると、あいつは剣を振るのを中断した。

 こちらに振り返る。


「また、あの黒服の野郎と戦わなくちゃならないかもしれないからな」


 そういえば、そんな奴もいたな。

 弟が殺されたと思った時はどうあってもぶち殺してやろうと思ったが、無事だとわかってからはすっかり忘れていた。


「ああ。弟を崖から落としやがった奴か。確かにそうだな。でもよ、それだけか?」


 なんとなく、こいつが剣を振っている理由はそれだけじゃない気がした。

 あいつは溜息を吐く。


「何だか調子が悪い。妙に落ち着かない。そういう時は、へとへとになるまで剣を振るのが一番だ」


 そうだな。

 そういう時もあらぁな。


「そうか。好きにすりゃいいぜ。ガハハ」


 地面に脱ぎ捨てられたあいつの上着を拾い、軽く払ってから投げ渡す。

 あいつは上着を受け取り、着ると剣を地面に置いて座り込んだ。

 その隣に座る。


「お前だって、どうしてこんな所に来た?」

「お前を探しに来たんだろうが」

「話でもあるのか?」

「……よくわかるな。俺の事」


 本当に、こいつは俺の事をよくわかっている。

 誰も気付かない俺の事をこいつだけはよくわかってくれているんだ。


 昔、こんな事があった。



 俺はよく、根城の大人達から「頭領に一番似ている」と言われていた。

 そう言われるのが俺は好きで、そう言われるたびに俺は喜んでいた。

 その時も、俺はそう言われた事が嬉しくてあいつに報告したんだ。

 でもあいつは……。


「はぁ? お前は全然頭領に似てねぇよ。お前は頭領に憧れて真似してるだけじゃねぇか」


 ちょっとキレ気味に否定した。

 だけど、真っ向から違うと否定されても俺は怒る気にならなかった。


 なんとなく、あいつの言っている事が正しいと思ったからだ。


 俺は父ちゃんが好きだ。

 父ちゃんみたいなカッコイイ「いい男」になりたいと思っていた。


 でも本当の俺は、父ちゃんに似ているわけじゃない。

 父ちゃんみたいな「いい男」だってわけじゃない。


 ただ俺は、そんな父ちゃんのような男になりたいと思って、真似をしているだけだ。


 多分それは、大人になった今でも変らない事だ。


 俺は父ちゃんのようになりたくて、父ちゃんのように振舞っている。

 父ちゃんのように、自分だけの「いい女」を見つけたいと思っている……。



「付き合いが長いからな」


 あいつは答えた。


 本当にな。

 思えば、ずっと一緒だな。


「それで、どんな話だ?」


 あいつが聞き返す。


「お前が言った事が気になってるんだ。人は物じゃないって」

「ああ……。あれか」


 そんな事か、というふうに答える。

 そして言葉を続けた。


「気にしているつもりはなかったんだけどな。俺は、奴隷だった時の事を今でも引き摺っているのかもしれない。あの時の俺は、貴族の所有物だったからな」


 やっぱりか。


「そうか。嫌な思い、させちまってたんだな」

「構わないさ。こっちだって、気にしているつもりはないと言ったろ」


 会話が途切れる。

 静かな時間が流れていく。


 俺は、こいつと一緒にいる時間が好きだった。

 こうして静かな中でも、何をするでもなく一緒にいる事が好きだ。

 このままずっと、一緒にいたいと思えてしまう。



 本当の所はどうなんだろうな?

 ふと、思う。


 気にしてないなら、あいつを連れ帰って来たりしなかったんじゃないのか?


 わからねぇな。

 お前は俺の事をよく知っているのに、俺はお前の事、わからない事だらけだよ。


 少しぐらい、俺も何かこいつの事をわかってやるべきなんじゃねぇのか?

 そう思い、声をかける。


「……あいつを連れてきたのは、物扱いが許せなかったからか?」


 あの元娼婦の事だ。


「それもあるな。でも、もう少し付き合ってみればいいとも思ったんだ」

「どうして?」


 一息吐いてから、あいつは答えた。


「お前が親父さんとお袋さんの出会いに憧れているのは知ってる。俺だって、運命的な出会いって物は素敵だと思うさ。でも人の関係、それも人を好きになる事っていうのは運命的な一目惚れだけじゃないと思うんだ」

「どういう事だ?」

「人間の良し悪しは、付き合ってみなければわからない。だから長く一緒に居て、それでもずっと一緒に居たい人間を好きになるのもいいんじゃないのか?」

「そういう事か」


 一緒に長くいて、それでも一緒に居たい人間、か……。


 ……お前の事じゃねぇか!


 思わず溜息が出た。


「お前が言うなら、それは正しいのかもしれないな。お前はいつも、正しいから」


 でもお前、男なんだよな……。


「この話に関しちゃ、何が正しいかなんてわからんさ」


 男でもいいんじゃないかって話か?

 いや、でもなぁ……


「……一緒に居たい奴を好きになる、か」


 一緒に居たい奴ではあるんだけどなぁ……。


「……このまま探し続けても、俺は俺の「いい女」に出会えると思うか?」

「さぁな。でも、「いい女」ですら見つけるのは難しいんだ。まして自分だけの「いい女」なんてもっと難しいはずさ」


 本当にな……。


 本当に、こいつが女だったらいいのにな。


 父ちゃんは言っていた。


 こいつを俺のものにしたい。

 自分だけの「いい女」に出会った時は、そう思うものなんだと。


 今思えば、俺もそんな気持ちを懐いた事がある。

 それは、あいつと初めて出会った時だ。

 ずっと一緒にいたい。

 手放したくない。

 そう思った。


 でも、あいつは男だった。

 だから……。


 それさえなければ、確かに……一番好きな奴だ。


「そうだな……。一緒に居たい奴、か。……はぁ、お前が女だったらよかったのになぁ」


 思わず未練がましい言葉が出てしまう。


 誤解されて避けられるかもしれねぇ!

 とちょっと焦ってあいつを見る。


 何言ってるんだこいつ、って顔で見られた。

 そして、口を開く。


「何言ってるんだよ。俺は女だぞ」


 何だって?


「は?」

「何だよ、その顔?」

「お前が冗談を言うのは珍しいな。ガハハ」


 そんな事あるはずねぇぜ。

 だって、親父も言ってたし、長年一緒だった俺がそんなの間違えるわけがない。


 間違えたら馬鹿だぜ。


「お前、子供の頃に何度か一緒に汗流したろうが」


 ……確かに、ついてなかったな。


「だってお前、たまに奴隷商人の馬車を襲ったら、取られちまった奴とかいるじゃねぇか。だからお前だって」


 たまにいるんだ。

 そういう奴が。


「じゃあ、こんなに胸のでかい男がいるか?」

「いやだって、水球を胸に入れてる奴とかいるじゃねぇか」


 裏町の奥地で立ってる化け物みたいな連中が。


「親父だってお前の事を男だって言ったぞ」

「いつの話だよ。あれは純粋に間違えられただけだ」


 ……親父が間違っていたっていうのか?


「はぁ……お前は本当に……はぁ……」


 心底から呆れたという様子で、あいつが二回も溜息を吐いた。


 でも、確かに親父が間違っていたと考えた方が、俺には都合がいいんだよな。


 そう思うと、俺の口から言葉が出た。


「お前、本当に女なのか?」

「そうだけど」


 あいつは覇気のない声で答える。


「そ、そうか、そうだったのか……」


 何度も思った事だ。


 こいつが女だったらいいのにって……。


 だけど、あいつは男だった。

 だから……。


 でも、女なんだったら……。

 きっとこいつが俺の「いい女」だったんだ。


 ガハハ。

 父ちゃんの言った通りだ。


 わかるもんだな。

 自分だけの「いい女」って奴は……。


 俺はあいつの顔を見る。

 そして、口を開いた。


「なぁお前、俺の嫁にならねぇか?」


 あいつは呆気にとられた顔をする。


「今まで散々男扱いしておいてそれか?」


 まぁ、そうなんだけどよ。


「だってお前、一緒に居たい奴を好きになればいいって言ったじゃねぇか」


 ちょっとばつが悪くて、誤魔化すように答える。


「一番一緒に居たい奴って言えば、それはお前だからよ。だから、お前を嫁にしてえんじゃねぇか」


 嘘でもねぇんだぜ?

 父ちゃんの言う自分の物にしたい女でもあるし、一緒に居たい女でもあるんだからな。


「はぁ……」


 あいつは溜息を吐く。


「俺は、お前の言ういい女じゃないぞ?」


 仕方ねぇな。

 そんなふうにあいつは言う。


「俺がそばにいてほしいと思うからいいんだよ! ガハハ!」


 そんなあいつに、俺は答えた。


 こうして俺は、あいつを自分の物にした。




 その日は、弟から個人的な仕事を頼まれた。


 待ち合わせの場所は、普段から良く使う裏町の酒場。

 俺はあいつと一緒に酒場へ向かった。


「リンドウはいるか?」


 あいつが弟の偽名を口にする。

 そうして通されたのは、酒場の奥にある個室の席だ。


 その席では、弟が座って待っていた。


「待たせたな」

「いえ、どうぞ」


 俺達が座ると、弟は本題に入る。


「最初に言っておきます。これは例の依頼じゃありません」

「そうなのか?」


 俺は怪訝な顔を向ける。


 俺達が依頼を請ける相手は決まっている。

 その相手は一つだけで、それ以外から受けるという事は一切ない。


 収入源ではあるが、それでも義理の意味合いも強いから好んで他から依頼を受ける必要もないと思っていたんだが……。


「これは俺からの依頼です」

「お前からの?」


 弟は頷く。


「はい。勿論、仕事で得た取得物は例の依頼主に渡すつもりですが」

「商品を先に準備してから売りつけるってわけか」


 あいつが口を挟む。

 弟は頷いた。


 俺は黙る事にする。

 こういう話はあいつに任せた方が早いからな。

 ガハハ。


「はい。仕事の内容は、ある貴族の調査」

「ある貴族?」

「王都の一区画を治める貴族です。その屋敷へ入って、弱味になりそうな物を捜して来て欲しいのです」

「弱味になりそうなもの、か……。お前の頼みにしてはえらく漠然としているじゃないか」

「そうですね……。正直に話せば、この仕事には俺の都合が多分に入ってます」

「私情か……。お前にしては珍しいな。詳しく話せ」


 弟は一度頭を下げて答える。


「はい。女のためです」

「ああ、あのちっちぇ女か」


 俺は前に弟から紹介された女を思い出し、思わず口を挟む。


 本当に珍しいな。

 こいつは今まで、本当に女気がなかったからな。

 まぁ異性に興味が無ぇのは、妹も同じだがな。


「いいんじゃねぇか? 俺は受けてもいいと思うぜ」

「……頭領の決定なら仕方ねぇな」


 あいつは溜息を吐いて答える。


 そうして、俺達は例の貴族の屋敷へ侵入する事になった。




 貴族の屋敷ばかりが建ち並ぶ、貴族街と呼ばれている区画がある。

 例の貴族の屋敷は他の貴族と同様、その区画の中に建っていた。


 何日か下見をして、入り込めそうな場所や警備状況、例の貴族が屋敷にいる時間、寝入る時間などを調べた。


 主にあいつが。


 屋敷の主人には、定期的に外へ出かける習慣がないらしい。

 かなり不定期的にどこかへ出かけ、返ってくる時間も早かったり遅かったりまちまちだ。


 どちらかと言えば、来訪者の方が多いだろう。

 それは貴族の時もあるが、むしろ平民らしき女の方が多かった。


 主人の居留守を狙う事は難しいと判断したあいつは、家人が寝静まった頃に忍び込む事に決めたらしい。

 深夜になってから、俺達は警備の目を盗んで屋敷へ侵入した。



「弱味ってのは、どんなもんを持って帰ればいいんだろうな?」


 主人の書斎。

 本棚を調べるあいつに、俺は訊ねた。


「お前には見てもわからん。静かにじっとしてろ」

「おう、わかったぜ」


 その分俺は、見張りを頑張るぜ。


「意外と小奇麗にしているな。何もない……。他の部屋を探そうか」


 屋敷の見取り図を書いた紙を取り出し、あいつは手早く次の居場所を決めてまた紙をしまった。

 部屋を移動するために、扉から外をうかがう。

 廊下には人の姿がなく、気配もない。


 ただ、天井に吊られた照明の明かりが、丸い飛び地のような光を廊下の絨毯に点々と照らしている。


 それを確認すると、静かに扉を閉めて外へ出た。


 足音を立てず、それでいて急ぎ足で目的の部屋へ向かう。


 その途中、俺達へ向けて何かが飛んでくる。

 俺は、先導するあいつの肩を掴んで引き、入れ替わるように前へ出る。

 抜いた剣で飛来するそれを叩き落した。


「黒塗りの投げナイフ……よく気付いたな」

「音が聞こえたんだよ」


 あいつの言葉に答える。

 と、同時に上から飛び掛る影に気付く。

 影の振るう剣を弾く。


 そうして音もなく細身の男が床へ下り立った。

 俺はそいつに見覚えがあった。


 床に下り立ったその男は、前に弟を崖へ落とした奴だった。


 あいつの言った通りだ。

 また会う事になったな。


 今度こそ、ぶちのめしてやるか。


「逃げるぞ」


 けれど、小さな声であいつが言う。

 ちょっとやる気になってたけどまぁいいか。

 あいつの言う事はいつも正しいからな。


「いいのか?」


 あいつは頷いて、上を見た。


 俺はあいつが何を考えているのかを察した。


 奴が迫ってくる。

 振るわれた剣を剣で受ける。


 それと同時に、あいつが俺の肩を駆け上り、踏み台にして上に飛んだ。

 そのまま照明を吊るす鎖を断ち切る。


 俺と奴の頭上に落ちてくる照明。


 俺も奴も同時に後ろへ飛び退く。


 けたたましい音と共に照明が落ち、灯りの油と火が撒き散らされる。

 そうして一瞬にして、廊下が炎の明るさに照らされた。


 炎に怯む奴。


 俺達はその隙を衝いて窓を割り、外へ逃げ出した。



「あんなにあっさり逃げてよかったのか?」


 屋敷から抜け出し、貴族街を逃げ走る最中にあいつへ訊ねる。


 まだ、弟に頼まれていた弱味は見つけていないからだ。

 けれど、あいつはあっさりと答える。


「構わない。弱味は見つかった」

「そうなのか? いつの間に?」

「あの男だよ。あいつがいるという事は、あの日に逃げ去った貴族はこの屋敷の家人、もしくは縁の者という事だからな」

「それがどうして弱味になるんだ?」


 深い溜息を吐かれた。


「とにかくなるんだよ」

「そうか。わかったぜ。ガハハ」


 こいつが言うなら間違いないぜ。




 俺はあいつを自分の「いい女」にした。

 その日の夜は、あいつと一夜を共にしたわけだが……。

 それから先、まだ一度も抱いていない。


 どういうわけかあいつは、その日からまた元の部屋へ戻って一人で寝泊りしている。


 だから、今も俺は元娼婦だったこいつと一緒に暮らしているわけだ。


 あいつを抱きたくなって誘っても「あいつを抱けばいいだろう?」と素っ気無く返される。

 あいつの言うあいつっていうのは、そいつの事だ。


 貴族の屋敷から帰ると、そいつは料理を準備して待っていた。

 俺が帰ってくるのを待っていたのか、料理に手はつけていなかった。


「どうぞ」


 そう言って微笑む顔には、もう痣が残っていない。

 体にあったものも、ほとんど消えている。


 俺は料理に口をつける。

 季節も季節だから、料理はとうに冷めている。

 それでも、味は悪くない。

 元の料理がそもそも美味いからだろう。


 こいつは料理が美味いんだ。


 遅い晩飯を食べると、すぐにベッドへ入る。

 そいつも一緒だ。


 いろいろあって、俺は疲れていた。

 屋敷に忍び込んで、あの黒い奴とも戦って、逃げた後も走り通しだ。


 くたくただった。


 身を寄せてくる。

 柔らかい体を片手で抱き寄せてやる。


「……お抱きになってはくださらないのですか?」


 おずおずと訊ねてきた。

 そいつがこうして強請ってくるのは初めてだった。


「抱いて欲しいのか?」


 俺の言葉に黙って頷く。


「そうか……」


 どうしてやるべきなのか、少し悩む。


 俺はあいつを抱いてから、他の女を抱く気になれなかった。

 思えば、あれ以来俺はこいつを抱いていない。


「駄目、なのですか?」

「駄目じゃねぇよ」


 俺は答えて、望み通りに抱いてやった。


 何が変わるわけでもない。

 あいつもこいつも、女は女だ。

 違う場所なんてない。


 でも……違うんだよ。


「なぁ」

「はい」

「俺にはもう、いい女がいる」

「はい。わかっています」

「だから俺は、お前をいい女にしてやれねぇ」

「……それでも、構いません」

「何で?」

「あなたと、一緒に居たいからです」


 一緒にいたい、か……。


 あいつが言っていたな。

 一緒に居たい奴を好きになるのもいいって。

 それが普通に、人を好きになるって事なのかもしれないな。


 だったら俺はもう、こいつにとっての「いい男」なのかもしれないな……。


「あなたは、私の事がお嫌いですか? そばに居たくないと、そうお思いならば私は……」


 言葉が途切れる。


「言いたくねぇ事を無理に言うな」


 言うと、額を胸にこすり付けてくる。

 俺はその頭を優しく抱いた。


 でも、俺はどう思ってるんだろう?


 好きか嫌いか……。


 間違いなく嫌いではないな。

 なら好きか?


 あいつと一緒にいる時ほど気分が良いってわけじゃない。

 でも、まぁ一緒にいて気分は良い方だ。


 女に対する好きって気持ちは、ただ人を好きなる事と種類が違うからな……。

 難しいぜ。


 そもそも俺は、あいつの事も好きなんだろうか?

 好きな事には間違いないか。


 でも、あいつへの好きは少し特別過ぎてよくわからないんだ。

 あいつへの気持ちと比べると、俺がそいつに懐いている気持ちが好きかどうかよくわからない。


 こいつは、料理が美味い。

 掃除もできる。

 俺と一緒に居たいと言ってくれる。

 破れた服を繕ってもくれる。

 寒いな、と思っていると何も言っていないのに湯を沸かしてくれる。


 さりげない事ではある。

 でも、それはどれも俺のためにやってくれる事で、気分の良い事だ。


 まるで、母ちゃんみたいだ。


 そいつを見ていると、母ちゃんを思い出す。

 母ちゃんは、決して「好きだ」なんて父ちゃんに言う事はなかった。

 態度もそっけないものばかりだった。

 俺達にだって、そんな直接的な愛情表現をした事はない。


 でも、わかるんだよな。

 愛されている事は……。


 母ちゃんはいつも、さりげなく父ちゃんや俺達のためになる事をしてくれる。


 頼まれたわけでもなく、相手の事を思いやって、先回りでしてほしい事をしてくれる。

 毎日水浴びする父ちゃんのために、冬には湯を沸かしてくれていた。

 俺が腹をすかしていると、聞く前から何かおやつを用意してくれていた。


 母ちゃんの愛情表現はどれもそんな、さりげないものだった。


 母ちゃんは間違いなくいい女だ。


 だったら、そんな母ちゃんに似ているこいつも、いい女なのかもしれないな。


 そう思うと、そいつの事が妙に愛おしく思えた。


 そして、俺はそんな「いい女」にとっての「いい男」だ。

 だが、俺にはもう「いい女」がいる。

 だから、気持ちに応える事はできない。


 でも、いい女が幸せじゃないのは嫌だな……。


 俺はそいつに対してどんな気持ちを持っているのか、まだいまいちわからねぇ。

 愛おしくは思っても、それが男と女の好きという気持ちなのかはわからねぇ。

 少なくとも、あいつほど強い気持ちじゃない。


 そんなよくわからねぇ気持ちのままで、こいつの気持ちに応えてやってもいいのか?


 お前はそばにいるだけでいいって言ったな。

 でもよ、好きな奴のそばにいるだけっていうのは辛くないか?

 そばにいるだけで好きな奴に愛情を向けられないっていうのは辛くないか?


 俺は辛いよ。


 父ちゃんは、困った時や辛い時には笑えと言う。

 でも、あいつがもしも俺じゃなくて別の奴を好きになっていたら……。

 そばにいながら、自分の気持ちが届かないとしたら……。

 きっと俺には笑う事なんてできねぇよ。


 それに……。

 そいつとあいつ、二人を幸せにする事は、俺の手に余る気がした。


 父ちゃんですら、愛情を注いで幸せにしようとしている女は母ちゃん一人なんだ。


 なのに俺なんかに、二人の女を幸せにできるほどの力があるんだろうか?

 それが俺には不安でならなかった。


 父ちゃん。

 父ちゃんなら、こんな時どうするんだ?




 俺は久し振りに、山の根城へ帰る事にした。


 帰ってきたのは俺一人だけだ。


 俺は一度、父ちゃんに会って話がしたいと思った。

 どうすればいいのか、父ちゃんに聞いてみたかった。


 家に着くと、入り口の横に誰も座っていない安楽椅子があった。

 そこは母ちゃんがいつもいる場所だ。


 珍しく、今日は座ってねぇみたいだな。


「ガハハ。久し振りだな」

「おかえりなさい」


 家に入ると、居間で父ちゃんが座っていた。

 その隣には、母ちゃんが座っている。


「帰ったぜ。ガハハ」


 二人に言葉を返し、俺は父ちゃんの前に座る。


 母ちゃんが立ち上がろうとして、父ちゃんが手を貸す。

 母ちゃんは父ちゃんの手を支えにして、立ち上がった。

 そのまま、家の奥に行った。


 茶を入れてくれるつもりかもしれねぇ。


「まぁ、ゆっくりしていけや」

「おう。それより、話してぇ事があるんだけど」

「何だ?」


 俺は、ここ最近悩んでいる事を打ち明けた。

 あいつが俺の「いい女」である事は間違いないが、もう一人「いい女」かもしれない奴がいる。

 そう相談した。


 正直言って、俺には手に余る状況だった。

 だから、父ちゃんに話を聞いて欲しかったのだ。


 父ちゃんは俺の話を真剣に聞いてくれた。


「なるほどな。幸せにしたい女が二人ねぇ……」

「それも、一人は俺にとっての「いい女」じゃねぇんだ。父ちゃん、俺はどうすりゃいいんだ?」

「そんなもん、俺に聞く事じゃねぇだろ。お前はどうしたいんだよ」

「そりゃあ……俺は、できるなら二人とも幸せにしてやりてぇんだ。でも、俺の力じゃ二人とも幸せにする事ができねぇ……。そんな気がするんだ」


 言いながら、俯く。


「でも、二人とも幸せにしてやりたいんだろ? だったら、できるようになりゃいいじゃねぇか」

「そんな簡単なもんじゃねぇだろ」

「そりゃそうだ。

 俺だって、あいつ一人を幸せにしようと考えて今まで一緒に生きてきた。

 それこそ何年もの長い間な。

 だけど、今でも幸せにできたかどうか自信がねぇんだ。

 何をしてやれば幸せになるのか、今でもさっぱりわからねぇんだ。

 でもな、そうできる男になろうとはしていたんだぜ。

 その事だけは、自信を持って言えらぁ」


 そうなのか……。


 俺には、母ちゃんが幸せそうに見える。

 父ちゃんは母ちゃんを幸せにできた、と俺は思ってる。

 父ちゃんのしてきた事は、きっと十分だ。


 でも、父ちゃんにはその自信がないらしい。


 そんなもんなのかもしれねぇな……。


 できるかわからなくても、そうしてやりたいって気持ちで動くのが一番なのかもしれないな。


「ガハハ。それによ、そのもう一人だってお前の「いい女」かもしれねぇんだぜ?」

「あ? どういう事だよ? いい女ってのは、一人きりだけだろ」

「誰がそんな事言ったんだよ」

「だって父ちゃんの「いい女」だって母ちゃん一人きりじゃねぇか」

「そりゃあたまたま俺が出会えたのがあいつだけだっただけで、もしかしたらどっかに別の「いい女」がいたかもしれねぇだろ」

「まぁ、そりゃそうかもしれねぇけどよ」

「だからよ、運が良ければもしかしたらお前の母ちゃんは二人になってたかもしれねぇぜ」


 そんなもんなのか?

 そんなんでいいのか?

 父ちゃん?


 でも、父ちゃんが言うのなら、そうなのかもしれねぇな。


 俺は、少しだけ気分が軽くなった。

 それが正しい気がしてきた。


「父ちゃんが言うなら、そうなのかもしれねぇな。でもよ、父ちゃん」

「何だよ?」

「後ろに母ちゃんがいるぜ?」


 母ちゃんの顔は、普段通りの無表情だ。

 でも、俺にはわかった。


 母ちゃんは今、怒ってる……っ。


「ガハハ……」


 弱々しい父ちゃんの笑い声。


「あなた……ちょっと……」


 言いながら、奥の部屋を指す母ちゃん。


 父ちゃんと母ちゃんの話の邪魔しちゃ悪いぜ。


「じゃあ俺、王都に戻るぜ」


 俺は立ち上がる。


「おう。わかったぜ……。また近い内に顔見せろよ、ガハハ……」

「じゃあ、話はここでもいいですね……。気をつけて戻るのですよ」

「多分、近い内にまた帰って来ると思うぜ」


 嫁を連れて。


 二人に見送られて、俺は実家を出た。


 あんな元気そうな母ちゃん、久し振りに見たぜ……。


 それにしても……。


 あなた。


 そんな呼び方、今までしていなかったのにな……。

 何かあったのかな?




 王都に戻った俺は、二人を呼んで話をした。

 それは、二人を嫁にしたいという内容の話だ。


 あいつはそれほど驚かず、そうなるだろうな、という顔で話を聞いていた。

 もう一人は、これ以上ない程に驚いていたが。


 二人は俺の申し出を了承してくれた。


 俺には、二人を幸せにできるかわからねぇ。

 そんな力があるのか、まったく自信が無ぇ。


 でも、父ちゃんの言っていたそれができる男になろうと思った。


 それができた時、俺は父ちゃんを超えられる気がした。

 父ちゃんの真似ばかりしている今の俺じゃなくて、また違った俺になれる気がした。


 父ちゃんは俺にとって憧れだ。

 それは変わらねぇ。


 そんな憧れた相手よりも、すごい人間になれるかもしれねぇ。

 そう思うと、胸が躍った。


 そして俺は、二人の「いい女」を自分の物にした。




 下町の料理屋。


「これ、美味しいですよ。旦那様」


 隣に座る俺のいい女が、いくつかの料理が取り分けた皿を持ってくる。

 一度食べて、俺が好きそうなものを選んで取り分けてくれたんだろうな。

 そいつはいつも、俺に甲斐甲斐しく尽くしてくれる。


「おう。ありがとよ。……本当に旨ぇ。お前も食え」

「は、はい」


 フォークに料理を刺して、口元へ運んでやる。

 目を瞑り、口を開く。

 その口に料理を放り込んでやった。


「美味しいです」


 そう言って照れ笑う顔が可愛らしい。


 それに比べて、もう一人のいい女の愛想の無さと言ったら……。


 あいつはワインを片手に、弟と何やら小難しい話をしている。


「じゃあ、しばらく依頼はないのか?」

「はい。前の仕事で大体片付いたそうなので」

「そうか……最近は本業も芳しくないらしいからな。しばらくは倹約した方がいいか」

「その事なんですが、山菜や川魚を獲って市場に流そうと思っています。どうでしょう?」


 小難しい仕事の話ばっかりしやがって。


「おい」

「何だよ?」

「ちょっとは俺もかまえ」


 言うと、呆れた顔をされた。

 その顔が、仕方ねぇなって表情に変わる。


「悪いが、仕事の話は今度にしよう」

「そうですね」


 弟が苦笑する。


 何だよ?

 こいつらは俺の「いい女」だからな。


 俺は、両隣に座るいい女達を椅子ごと抱き寄せた。

 いい女達が驚いた声を上げる。


「お前にはお前の「いい女」がいるんだからそっちにかまってもらえ」


 言うと、弟は深く溜息を吐いた。

 他の話で気付いた方もいると思うのですが、アナちゃんは長生きしています。


 それから、従姉から「アナちゃんのモデルは日曜日夕方にやっている国民的アニメのお母さん?」と訊ねられました。

 モデルではないのですが、言われてみれば似ているかもしれませんね。

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