ある家族の話 レジャー編表
「お姉様が原点だった事、忘れていませんか?(にっこり)」
私と、そして家族の話をしましょう。
「お前、前に魚が食いたいって言ってたな。今から、食いに行こうぜ。ガハハ」
その日、男は急にそんな事を言い出した。
どうやら、川まで行ってその場で食べようというつもりらしい。
こちらとしては家事などの都合もあるというのに、まったく仕方のない男だ。
何を言っても聞きはしないだろうから、結局行く事になるだろう。
私は黙って従う事にした。
そして、朝食を取るとすぐに出かける準備をし、私と子供達は男に連れられて山の中にあるという、景色の良い川へ向けて出立する事になった。
あの男が先頭を行き、その次に上の子供二人がちょろちょろと互いにちょっかいを掛け合いながら歩き、最後に私はまだ小さくて体力のない次男と手を繋いで続いた。
そうして歩く事半刻ほど。
男の言う川に着いた。
木々が赤く色付く中、赤い葉を散らした清流がとても綺麗な景色が作り上げていた。
「着いたぜ! ガハハ!」
「すげーっ! 川すげーっ!」
「すごくきれーっ!」
男が笑い、長男と長女がはしゃぐ。
特に長男は出る時に友達と遊びたいとごねていたのに、今は一番楽しんでいるように見える。
最近、長男に新しい友達ができた。
あの男の仲間、その子供らしい。
男の子だと男には紹介されたが、どう見ても女の子である。
女の子っぽい容姿の男の子なのかと思ったが、確認してみたらやっぱり女の子だった。
長男はあの男の言を素直に信じているので、それとなく訂正してみたのだが……。
「え、あいつ男だぜ」
「いえ、どう見ても女の子ですよ」
「だって父ちゃんが言ってたんだぜ。絶対男だよ!」
何故私より、あのちゃらんぽらんの信頼の方が厚い?
甚だ不本意ではあったが、私は不満をグッと飲み込んだ。
「じゃあ、俺は魚を獲ってくるぜ。ガキ共と一緒に薪を集めていてくれ」
「わかりました」
先端を尖らせた枝を片手に、男は一人で川の方へ行こうとする。
どうやら、釣りなどではなくあれで突き刺して魚を取るようだ。
「では、行きましょうか」
「わかった」
「うん」
息子二人が応じる。
「ねー、かーちゃん。わたしはとーちゃんと魚獲りしたいー」
でも、どうやら娘はそちらの方に興味があったようだ。
「わかりました。いってらっしゃい。気をつけるのですよ」
「わかったー」
長女が川の中に入った男の所へ駆けていく。
川は滑りやすいから本当に気をつけるのですよ。
私は籠を背負い、左手で次男と手を繋ぎながら、手頃な枝を拾いつつ森の中を歩いていた。
長男はとても元気で、森の中に入ると好奇心の赴くままに動き回っている。手頃な棒を振り回して遊ぶ事に夢中だ。
「手伝ってくださいね」
「わかったぜ!」
と元気良く返事をしたのに、私を手伝う気配は一切ない。
あれはもう忘れているな。
逆に次男の方は、私のそばからあんまり離れたがらず、黙々と枝を拾い集めてくれている。
父親よりも私に懐いていて、言いつけもよく守る良い子だ。
ちょっと甘えん坊な所はあるが、上の二人が父親にべったりだったので実は嬉しい。
「かーちゃん! キノコキノコ!」
長男が枝にいくつかのキノコを串刺しにして走り寄って来た。
「これ、食えるかな?」
「さぁ……」
確かに、魚だけじゃなくてこういった物も一緒に焼いて食べるのはいいかもしれませんね。
ただ、キノコには毒のあるものもあるらしいので、ちょっと怖い。
でも、あの男に聞けばわかるだろうか。一応、持って帰る事にした。
不意に、次男が立ち止まる。しゃがみ込んだ。
「かーちゃ、はい」
どうやら下に落ちていたらしく、次男が木の実を拾って渡してきた。
食後に甘い物というのもいいかもしれない。
……多分、甘いですよね? 食べられますよね?
「ありがとう」
お礼を言って頭を撫でる。
次男の表情は変わらないが、喜んでいるのがわかった。
ぎゅっと手を握り返してきた。
甘えん坊だ。
「かーちゃん! かーちゃん!」
長男が必死の声音で叫び、私に走り寄って来た。
「どうしました?」
「クマだ!」
「えっ?」
長男が今しがた走って来た方向を指した。
私も慌ててそちらを見る。
のそりのそりと、黒い大きな獣が歩いてくる姿が見えた。
確かにそれは、熊だった。
目と目が合う。
怖気で身が竦みそうになった。
すぐに長男と次男を自分の背中へ隠した。
「グルルルルルゥ……」
熊が唸り声を上げる。
一歩下がると、熊も一歩距離を詰めた。
どうしたものであろうか?
背を向けると、すぐにでも襲い掛かってきそうな気がした。
きっと追われれば、逃げ切る事など到底できないだろう。
叫びを上げて助けを呼んでも、その瞬間に飛び掛ってくるかもしれない。
それでもあの男が気付いてくれればなんとかなるかもしれないが、気付いてくれなければどうしようもない。
どうすればいい?
どうすれば、この子達を助けられる?
そう思っている間にも、長男が私の前に出ようとぐいぐい力を込めている。
守ってくれようとしてくれるのは嬉しいがやめなさい。
次男は怯えているのか、両手でがっしりと私の手を掴んでいる。
この二人は私の宝物だ。
どうしても、守らなくてはならないものだ。
守りたい……。
なんだ、簡単な事じゃないか。
どうしても守りたい大切な物。
それを守るための方法を私は知っていて、前にも同じ事をしたじゃないか。
何かを守ろうとするならば、その身を差し出して盾にすればいい。
「いいですか、あなた達。私が手を離したら、お父さんを呼びに行くのですよ」
「かーちゃん?」
「かーちゃ?」
一度やった事……。
もう一度同じ事をするだけ。
前ほどの怖さはない。
私は二人から手を放し、後ろへ突き飛ばした。
同時に、熊に向けて前へ出る。
熊が私を餌食とすれば、きっと時間はできるだろう。
助けを呼びに行くには十分な時間が稼げる。
合流できれば、後はあの男がなんとかしてくれるだろう。
熊が後ろ足だけで立ち上がった。
「グルァアアアアァッ!」
叫びを上げて、前足を振るった。
その時だった。
私の前に、人が飛び出した。
あの男だ。
男は私を庇うように前へ立つと、真っ向から熊を殴りつけた。
振るわれた爪が男の胸を深く抉る。
大量の血が噴き出した。
熊は殴られて仰向けに倒れる。そのままぐるりと反転して、四つん這いに戻った。
「グアアアアアァ」
雄叫びを上げる熊。
「……ガアアアアアアアアアッ!」
それに対して、男も雄叫びを返した。むしろ、吠えた。
信じられない事に、男の雄叫びに熊が少し怯んだ。
おいおい。
男が向かってくる熊の顎を殴り上げる。
それに熊が反撃してくる。
鋭い爪が男に迫り、私はそこで目を閉じた。
見ていられなかったのだ。
それから男と熊の雄叫び、そして肉と骨を叩く打撃音を耳にしながら、私はずっと目を開けられなかった。
あの男がどうなったのか。
目を開けたら、あの男がやられてしまっているのではないか?
そう思うと怖かった。
やがて、音が止む。
恐る恐る目を開けた。
そこには、動かなくなった熊の上に馬乗りとなった男の姿があった。
熊はぐったりとして動かない。
倒した……。
という事なのか?
「スゲーッ! とーちゃんつえーっ!」
「つえーっ!」
長男と、いつの間にか来ていた長女が歓声を男へ送っていた。
二人とも大興奮だ。
「ガッハッハッハッハッハッハァ!」
男は大笑いし、熊を踏み台に両拳を天へ突き上げた。
……よかった。どう見ても無事だ。
安堵の溜息を漏らすと、私はその場でへたり込んだ。
全身の力が抜けて、腰が抜けたらしい。
足に力が入らない。
「おう、大丈夫だな?」
男が私のもとへ寄り、訊ねてくる。
手を私に差し伸べてくれる。
私はその手を取った。
「ええ。大丈夫ですよ」
「ならよかった。ガハハ」
手を引いて立たせてもらう。
手にぬるりとした感触があった。
見れば男の手には傷が走っていた。熊との格闘で負ったものだろう。
溜息が漏れる。
私は自分のドレスの裾を破った。
男の手に巻く。
「止血にはなるでしょう。あまり綺麗な布じゃないので、帰ったら取り替える方がいいでしょうね」
「別にかまわねぇぜ」
「無理はしないでくださいよ。あなたが死んだら、あの子達はどうなるのですか?」
「そうだな。お前も困るな」
「私は良いのです。それから……ありがとうございます」
「ガハハ」
「あと、何で全裸なんですか?」
男は何故か全裸だった。
「クマうめーっ!」
「うめー」
長男と長女が、持ってきた鉄板で焼いた熊の肉を絶賛する。
あの後全員で熊を運び、解体して食べる事にしたのだ。
肉の総量はとても多く、今食べているのは一部でしかない。
他の肉は持ち帰って干し肉なり塩漬けなりにして保存する予定だ。
思わぬ所で食料の備蓄ができたわけだ。
それは良い。
良いのだが……。
「ところで、お魚は?」
「取れなかったぜ! ガハハ!」
「そうですか……」
まぁ、いいけれど……。
ちょっと残念……。
あ、意外と美味しいですね。熊。
帰り道の半ばから、すでに怪しかったのだが。
家に辿り着いた時にはもう、子供達は全員夢の世界へ旅立っていた。
私は一番軽い次男を抱え、男が長男と長女を抱えて家まで帰りつく事になった。
初めて行楽に行き、遊び倒した事で体力を使い切ってしまったのだろう。
いつもより早い時間に眠ってしまったが、これはもう朝まで起きないな。
子供達を子供部屋に寝かせて二人、居間へ行く。
男がテーブルを前に床へ座る。
男の座るいつもの場所だ。
その向かいが私のいつもの場所だ。
でも、今日はそこに座ろうと思わなかった。
男の隣に座る。
「なんだ?」
「少し疲れまして。寄りかかりたいと思いました」
私は男に体を預ける。
「今日はもう、子供達も起きてきませんね」
「そうだな……。ガハハ……」
いいでしょう?
こういう気まぐれも、たまには……。