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最近、妻が母に猫っ可愛がりされているのだが……

 私の妻の話をしよう。


 ここ最近、妻が母に甘やかされている。




「新しいお洋服を作らせたから、今から私の部屋に来ませんか?」


 母はにっこりと笑い、妻を誘った。

 場所は王城の廊下。

 たまたますれ違った時の事だ。


「ニャフフ……お邪魔させていただきます……」


 妻は笑顔をかすかに引き攣らせ、母に応じた。

 目が死んでいる。

 妻は母を前にすると、まるで借りて来た猫のようにおとなしく、そして飼いならされた犬のように従順となる。


「あなたはどうしますか?」


 母が私に訊ねる。

 しかし、その顔には「来るな」と書かれているかのようだった。


「遠慮しておきます」


 どういうわけか、母は妻の事が大層お気に入りのようである。

 こういった誘いは今に始まった事でなく、母はよくよく妻に目をかけていた。

 そして妻も、それに逆らわず従う。


 妻曰く。


「あの人、何か怖いんだよね。逆らっちゃいけない気がする」


 との事である。

 概ねその認識は間違っていない。

 私もその意見には賛成だ。

 妻は具体的にどう恐ろしいのか理解していないが、どうやら本能的に察してしまったのだろう。

 本来ならば、物は貰うよりも盗み出す方を好む彼女。

 今ですら私からの贈り物は受け取らない。あとで盗りにくる。

 母上からの贈り物を素直に受け取るのは逆らってはならないという気持ちが強いからだろう。


 おとなしく母に連行された妻は、日が翳り始めた頃に部屋へ帰ってきた。

 ありえないくらいに宝石を散りばめられたドレスに身を包んで……。

 この一着だけで人は何年遊んで暮らせるのだろうか?

 息子の嫁へ贈る物にしてはあまりにも過剰な品だ。

 しかもよく似合っているのだから性質が悪い。

 文句が言いにくい。


「ニャフフ、ただいまー」


 力なく笑い、妻は私に近寄った。

 そのまま抱きついてくる。


「癒してー」

「わかった」


 ベッドで膝枕する。

 額を撫でるとくすぐったそうに「ニャフフ」と笑った。


「いい匂いだな。浴場にでも行ったのか?」

「お義母さんに誘われたー。「あ、肌の質がそれっぽい。なんだかそれっぽい」って言って体中洗われた」


 何してるんですか、母上。


「母上にも悪気があるわけではないだろうがな」

「優しくしようとしてくれてるのはわかるんだけど、ちょっと疲れるー」


 母の行いは、好意からきているのだろう。

 だからこそ、彼女も対応に困っているのだ。

 初めから悪感情で接せられていれば、彼女はどうあっても母上を避けていたはずだ。

 妻は窮屈さに耐えられる人間ではなく、場合によっては最悪、私を盗み出してでも城を出ていたかもしれない。


 不意に、彼女が私の首に手を回し、押し倒した。

 そのままぎゅっと抱き締める。


「ニャフフ……」

「どうした?」

「眠いー」


 そう言うと、妻は私を抱き締めたまますぐに寝息を立て始めた。

 私のそばを安らぎの場としてくれているという事だろうか。

 そう思えば嬉しかった。

 単に、気疲れしているだけのような気もするが。


 眠るには早い時間。

 私はまだ眠気を覚えていなかったが、一緒に眠る事にした。




 後日、夫婦揃って母の茶会へ招待された。

 そう、茶会だと聞いていたのだが……。


 実際、テーブルに並んでいたのは貴族を招いての舞踏会でもお目にかかれないような美食の数々だった。

 珍味と噂されるチョウザメの卵の塩漬けまである。

 お茶会の要素など、それぞれの手元にあるティーカップとティーポットぐらいだ。

 そのそばには、平皿と食器が置かれている。

 ちなみに場所はサロンで、客は私と妻だけだった。


 こんな物は茶会ではない。晩餐会か何かだ。


「お招きに預かり光栄です、母上」

「お招きに預かり光栄です、お義母様」

「ええ、よく来てくれましたね。歓迎します。さぁ、どうぞ」


 料理の置かれたテーブルとは別の三人が着く事のできるテーブル席へ促される。

 二人が隣り合って座れるように椅子が配置されていて、向かい合うようにもう一脚の椅子が配置されている。私達は隣り合った方だという事だろう。

 と思っていたら母上が、椅子の隣り合った方へ座った。


「さ、どうぞ」

「は、はい。恐縮です」


 母に促され、妻がその隣に座った。


 そっちでしたか……。


 まぁ、私など母にとっては価値のない人間であろうしな……。


 私は向かい合わせの席に座った。


「お茶会に誘っても、いつも物足りなさそうな顔をしていましたから、今日は料理も一緒に楽しもうと配慮しました」


 母上、それもうお茶会じゃないです。


「ありがとうございます。ご配慮、痛み入ります」


 緊張に凝り固まっているのがわかる。

 その様子はいつも妻ではなかった。

 本当に苦手なのだろう。


「あなたは川魚の香草焼きが好きでしたね」

「え、あ、そうでしたっけ?」

「ああ、間違いました。それは別の人でした。あなたが好きなのは鶏肉のソテーでしたね。ふふふ」


 母が命じて給仕の者に、料理テーブルから料理を持って来させる。

 その料理、鶏肉のソテーを母は手ずから一口大に切り分けた。

 フォークで突き刺し、妻の口元へ持っていく。


「はーい、あーんしてください」

「は、はい、あーん……」


 妻は母上に従って、料理を食べさせられた。


「おいしいですか?」

「はい。とてもおいしゅうございます」


 妻の目の光が徐々に消えつつある。

 緊張がピークに達しているのだろう。

 かわいそうに、せっかくの料理の味などわからないのではないだろうか。


 私も給仕に持ってこさせたスープを一口飲む。


 かつてない程に深い味わいだった。

 これは下ごしらえに十日以上を要するという宮廷料理か何かではなかっただろうか。

 少なくとも茶会に出すようなものではない。

 母上がこの茶会にどれだけ本気だったかが、この一杯のスープからうかがい知れるようだった。

 驚愕だ。

 正直、引いてしまう。


 どれだけ妻の事が好きなんですか。




「あの、大変申し上げにくいのですが、もう満腹になってしまいました」


 なすがままに料理を食べさせられていた妻が、そう言って料理を断った。


「もう、ですか?」

「最近、あまり食欲が湧かないのです」


 母は残念そうに料理を皿に置いた。

 ただ、母の言う事はもっともだった。

 妻は私よりも大食だ。

 普段はもっと食べる。

 今日の妻はいつもの半分の量も食べてはいないのだ。


 ただ、それは今に始まった事ではない。

 ここ最近の妻は少し食欲が落ちていた。

 体もだるいらしく、全体的に元気がない。

 少し前まで「体が軽い!」と言って頻繁に外へ遊びに出ていた物だと言うのに、最近はほとんど部屋で過ごしている。

 母上のラブコールに対するストレスが原因では無いかと私は思っていた。

 猫なども構われすぎるとストレスを感じるものだという。

 そういう物だろう。


「ふむ」


 母上は妻を顔から順にじっくりと眺める。

 しばらく胸元に留まった視線を徐々に下ろしていく。


「痩せてはいないようですね。むしろ……ああ、そういう事ですか」

「どういう事なのですか? 母上」


 思わず訊ねていた。

 妻の不調の原因がわかったのなら、知っておきたい。


「簡単な話。多分、子供ができたのですよ」

「「えっ?」」


 私と妻は揃って声を漏らした。


「本当ですか? 母上」

「私は医者ではないので、断言はできませんけれど。多分、そうだと思いますよ」


 後日、医者に診断してもらった所、確かに妻のお腹には子供がいるようだった。




 診断後、私と妻は母上の自室へ向かった。

 診断結果を伝えるためである。

 母上からは前もって、結果が出た時に報告するよう言い含められていたのだ。


「ああ、やっぱりそうだったのですね」


 母上は嬉しそうに笑うと、自分が座っていた椅子から立ち上がる。

 さぁ、と妻をその椅子へ導く。

 座っていいものか、と逡巡する妻だったが、母上は手を引いて座るよう促した。

 妻が椅子に座る。

 母上は妻の前で膝をつく。


「触ってもいいですか?」

「は、はい、どうぞ」


 母上は優しい手つきで妻のお腹を撫でる。


「ふふふ」


 母の表情には慈愛が満ちていた。

 本当に愛おしいものを前にしたかのように穏やかで、優しさに満ちていた。

 二人のその姿は、今すぐにでもキャンバスへ切り取りたいという思いを私の心に募らせる。


 母上が私を見る。


「良いですか? 妊娠と出産には想像を絶する苦痛を伴うものです。だから、もし次の機会があれば今度からはあなたが産むのですよ」


 なんて無茶な事を……。

 冗談ではなく、本気でそう思っているように見えるのが怖い。


 母上はおもむろに妻のお腹に顔を近づけた。耳を腹に当てる。

 妻は母上の頬が触れる瞬間、びくりと一瞬だけ身を震わせた。


「しかし、そうですか……。ここに私とお姉様の血を継ぐ子供がいるのですね……」

「母上?」

「お姉様そっくりの女の子だといいですね。いえ、男の子でも面白い。王位を狙えますから……アハハ」


 不穏な事を口にする母上だったが、その口調と笑い声は無邪気なものに聞こえた。

 幼い少女がするような可愛らしい笑い声だった。




「うー疲れたー」


 部屋に戻ると、妻はすぐベッドへ腰掛けた。


「癒すか?」

「おねがーい」


 いつものように、私は彼女に膝枕する。


「しかし驚いた。子供ができたなんて」

「うーん、そうだねー」


 実感の湧かないような声で妻は返した。


「嬉しくないのか?」

「ん? んーん、そうじゃないけどさー……」


 まだふくらんでいない自分の腹を妻は撫でた。


「そっかー。私、かーちゃんになるんだー」


 しみじみと呟く。

 今度は声に実感がこもっていた。

 不意に、起き上がる。


「ねーねー、あなたー」

「何だ?」

「今度、かーちゃんに会いに行こうよ」

「ああ。あの方か……」


 彼女を妻に向かえた時、私は一度だけ彼女の両親に挨拶をするため会いに行った事がある。

 そこは山の中の根城だった。

 彼女の父親は山賊であり、そして母親は元貴族の令嬢だった。

 その顔の半分を焼かれた顔を見て、私は母親の正体を察した。


「そうだな。また、挨拶に行こう」

「うん」

「また、そなたの父上に殴られそうになるだろうか?」


 前に行った時は妻の父親に「一発殴らせろ。ガハハ」と笑顔で言われた。

 すぐに妻の母親が止めてくれたが。


「そうなったら、かーちゃんが止めてくれるよ」


 そなたは止めてくれぬのか?

 しかし、その必要もないのか。


「そうであろうな」


 父親が母親の言葉で拳を引っ込めたやり取りに、私は二人の信頼関係の強さを見た気がした。

 私の察する母親の素性が正しければ、その人生は伝え聞く限り悲惨な物だ。

 しかしその真実が伝え聞く話と異なっているのだろうと、私は気付いた。

 少なくとも私には、母親が幸せそうに見えた。

 夫婦揃って、互いに幸せを分かち合っているように見えた。


「私達も、そなたの両親のようになりたいものだな」

「ニャフフ、私もそう思うー」

 ニャフフは、絶対に逃げられない状況で構われすぎる事がストレスになっています。

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