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 その世界は、いくさの世界だった。どこの国も、どこかの国と戦争をしていた。それが当たり前の日常だった。


 ストルヘナ王国では、男女問わず、七才から軍事訓練を受けさせられる。そこで成績が悪い者は、軍を離れて生産者に回る事になるが、それは不名誉なことだった。子ども達は、立派な兵士になる事だけを夢とするよう求められた。そして多くの子ども達は素直にそれに従った。

 軍事訓練は、王族でさえも例外ではなかった。ストルヘナは神に愛された国で、王族は神の子だとされていたが、それでも庶民の子どもと共に汗と砂にまみれながら剣や槍の稽古をする。


 アルディクは十歳の時、初めて彼女に出会った。アウレルキア・アリア・ストルヘナ。まだ七歳の第三王女。


「あれが王女さまかあ……」


 傍にいた子が目を輝かせて、彼女がドレスを脱いで兵装に着替えるのを遠巻きに見ていたが、アルディクは苛立った気分で目をそらしていた。


 王族が兵士になるなんてただのお芝居に過ぎない。神の子さえも戦うのだと子ども達に教える為に何日かはこの軍事寮に留まるが、それでおしまい。最後には、最も成績の良い子を叩きのめして、『神の子にはもう訓練は必要ない』ともとの場所に帰っていくのだ。王族の住む王都には戦いの影は持ち込まれない。皆がのんびり歌ったり踊ったり贅沢して暮らしているのだ。そんな暮らしが保証されているのに、苦しい訓練を受けて立派な兵士になる夢を持ったりする訳がない。王族は俺たちとは違う人間なんだ。


 アルディクが他の子と違ってそれを知っているのは、一年前に、12歳だった兄が、王族の子と闘ったからだ。成績優秀だった兄は、王族を決して傷つけずにうまく負けるよう言い含められ、そのようにしようとした。だが、相手の王子は、兄が倒れても攻撃を止めなかった。アルディクも兄も驚いた事に、七歳の王子が持っていたのは、兄が持っていた訓練用の剣ではなく真剣だったのだ。兄は、玩具を壊して興奮しているような子どもに何度も何度も刺され、それでも耐えて一切抵抗しなかった。王族に逆らえば、弟も他の家族も死刑になると知っていたからだ。

 瀕死の兄を泣きながら看病する弟に、兄は苦しい息の下で、上官から特別に教わった王族の真実を教えてくれた。


『王族は神の子だから……仕方が無いんだ。最初から、遊んで暮らす運命に生まれたんだ。俺たちはそれを護る為に闘わなくちゃならない。だけど、これがこの世界の仕組みなんだから、逆らっちゃ駄目だ。いいか、いいか……』


 それが兄の遺言になった。

 九歳のアルディクには、兄のように世界を受け入れる事が出来なかった。兄を殺した王子は、どう見てもただの我が儘な子どもで、神のようには思えなかった。


『もうこれ以上は……』


 控えめに王子を止めようとする上官に王子は、


『なんでだよ。本物の剣で人を刺していいって約束で来たんだぞ』


 と言っていた。周囲が騒がしくて、殆どの子ども達の耳には入っていないようだったが、最前列で見ていたアルディクは確かに聞いたのだった。


 王族は庶民を護ってくれない。なのに何故、庶民の子は親から引き離されて毎日毎日戦闘訓練を受け、やがて戦場に駆り出されていかねばならないんだろう?


『それが神のご意志だからだ。俺たちもまた、神に作られたものだからだ。王族を護る為に』


 疑問に対して、どこかで兄の声がそう答えた。いつも教習で聞かされている、模範的な当たり前な答え。

 逆らえない事は解っていた。逆らえば、女手ひとつで畑を維持してきた母親と、戦場で片足をなくして帰ってきた父親、最後に会った時はよちよち歩きだった妹が殺される。


 他の子と同じ兵装に着替えた王女がこちらへ向かって歩いてきた。アルディクはそちらを見ようとしなかった。見たら反抗的な顔つきになってしまい、それを咎められるかも知れない、と思ったからだ。

 王女が前を通る時、俯いたアルディクの鼻腔を何かの香りが刺激した。それは、嫌なものではなくて、きつい香料の香りでは決してなくて……。


(そうだ、家にあった金木犀の香り……)


 素朴な野樹の花の香りを、王女が纏っている筈がない。気のせいだと思った。だけど、我慢が出来なくて、顔を上げて王女の後ろ姿を見た。癖のある栗色の髪が波打っていた。姿勢良く歩き、機嫌良く周囲に声をかけていた。アルディクは失望した。こんな場所であんなに楽しそうに笑っていられるなんて、やっぱり違う種類なんだな、と。嗅いだ香りはもう空気に融けて、それはただの気のせいだったのだ、と彼は思った。


―――


 三日後、アルディクは、王女の対戦相手に選ばれた。

 アルディクは確かに同期生の中ではトップの成績だったが、もっと年かさで体格も良く、王女が打ち負かすに相応しい相手は他にもいた筈だ。だが上官は、


「王女殿下のご指名だ」


 と言った。


「ご指名……? どうしておれなんかが?」

「王女殿下は、お前の兄の事を何故だかご存じで、お前と剣を交えてみたいと仰せだ。勿論、お前は決して打ち返してはならない。王女殿下はお前を打ち負かして王都へ帰還されるのだから」

「……わかってます」


 おれは死ぬのかな、とアルディクは思った。兄のように、大衆の前で何度も何度も刺されて。七歳の女の子から刺されても、すぐに死には至れないだろう。兄は一晩で息を引き取ったが、自分は何日か苦しんでから死ぬのだろうか。


 上官からの指名に、周囲の子達が羨望の眼差しや喝采を投げかけてくる。こいつらは何もわかってない。王族の為に闘って死ぬ事が名誉だと、その言葉だけを繰り返し刷り込まれた子ども達。我が儘な子どもに全身を刺されても死にきれずに一晩苦しんだ、たった一人の兄を看取った経験などないのだから、理解出来なくても仕方がない。

 痛いんだろうな、苦しいだろうな、とアルディクは他人事のように考えた。あした、自分の身にそれが降りかかってくるなんて、どうにも実感が湧かなかった。


『逆らっちゃ駄目だ』

『この世界の仕組みなんだから』

『いいか、いいか……』


 窓から吹き込む風の音が兄の声になる。わかってるよ、とアルディクは小さく応える。息子が二人とも死んだら、両親は泣くだろうか。出来れば泣かないで欲しい、と思う。泣いたって仕方がないのだから、名誉な死だと馬鹿みたいに笑ってくれるほうがいい。王族の為に死ねば、家族には報奨金が出る筈だし、名誉の死を何度も生まれ変わって繰り返せば、いつか王族に生まれ変われるとも言われている。アルディクはそんな事は少しも信じてはいなかったが、両親にはそう信じていて欲しいと思った。緩慢な死が幾度も永遠に繰り返されるのが、この世界の残酷な真実なんだとしても。

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